哲学の世界観です。
哲学するコツは、ずばり、ものごとをもっとも単純な基本行動に直して、その理由を考えることです。
たとえば、「見る」や「聞く」のようなことを、「知覚」と考えます。この知覚の「前提となる理由」を経験から考えます。
そして、理由が分かったら、そこからその意味を説明して考えます。
「わたしたちに知り得ることはほんの少ししかない、それでも知ることができないわけではない」と、こうした考えが生まれたら、それも立派な哲学です。
知覚の理由だけでなく、考え方の理由、世界の理由、行動の理由、心の理由、経験の理由、言語の理由、環境の理由、社会形成の理由、主体的な自由の理由、客観的な歴史の理由、行動する事前の留保された可能性の理由、そして何らかのことを知り得ることのできる知的チャンスの理由など、さまざまな理由を前提から考えられます。
そして、経験から反省すること、人々の声を聞くことで、次第になんらかの「理性から導き出される真理」へと哲学は昇華していくのです。
最終的に、原理原則を自ら発見し、「すべてが分かった」という体験をした時、あなたはまさに既存の哲学者を超え、新しい哲学者となったのです。
僕は、哲学的に考えるコツは、「自らが主体となって、自分から考え、主体的に行動するという立場の下に、理性的かつ活動的に考える」ということではないかと思います。
理性的な意味で言えば、これはデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」から始まった、「我の理性」に始まる哲学です。
同時に、社会的な理性で言えば、ルソーの人間には「生まれつき自由な権利がある」ものだと考えた社会哲学です。
この二つを統合したのが、ドイツ古典哲学(ドイツ観念論)ですが、それを開始したカントは、人間の持ち得るような知が有限であること、すなわち「知と観念の相対性」について、絶対的に認めました。そしてそれを終了したヘーゲルは、人間が人生の中で理解し得るような宇宙の全ての知について、すなわち「知と観念の絶対性」について、絶対的に認めました。
また、彼らと同時期にフランスで起きたフランス革命は、そうした「人間を主体として考え行動せよ」という哲学を、社会変革の歴史の中に実現するものであると言えます。
難しいことを言いましたが、結局のところ、「人間の理性の方が上であり、この世界や社会や存在の方が理性に従う」という意味で、彼らは新しい「自由で積極的な理性」を作り出したのです。
僕は、哲学をする上で、そうした「自分が主体的に世界を変える」という考え方、そしてそこにある「自分の経験に基づく思考」という考え方が、ドイツの近代思想を大きく作り上げたのではないかと考えています。
また、「神とは何か」という問いがあるとすれば、それは自分の中に内在する、そして同時に自分とは分離され外在化された絶対存在を作る、ということです。要するに、自分の中に完璧な存在を作る、ということが神の成立条件です。
以上の文章は、以下の書籍を少し読んで、自分なりに書きました。
2023.01.12編集
僕が思うに、哲学とは、「同一性」と「自己」を考える試みだと思います。
それが、なぜ同じなのか。どのように同じなのか。そして、同じであるということはどのようなことを意味しているのか。
自分とはなんなのか。自分とはどのようにあるべきなのか。どのような自分を自分であると定義し、自分とは本当はなんであると言えるのか。
そのようなことを、哲学では、いつまでも永遠に考え続けます。
必要なことは、「先入観でなんとなくそれでいいと思っている状態を脱すること」です。慣習的に、何も真実や真理に気付くことなく、なんとなくそうだと思っていることを疑い、そこにある気付くべきことに気付くこと、それこそが哲学であると言えます。
また、「普通の人間が当たり前だと思っていることは当たり前ではない」ということを考えることが大切です。これは、特に、小学生の頃から大人になった、中学生の哲学少年について言えます。今までは、小さな子供として、大人や学校が言うことや世界がその通り見えていることを、何も考えずに受け入れてきた子供が、青少年になって、それまでの子供の常識を疑い、自分がひとり、大人になって生きていく上で、「人間とは本当はどういう生き方や考え方をする動物なのか」ということを考える、ということです。
そのように考えた結果、哲学では、「このような考え方が当然で正しい」と言うのではなく、「本来考えるべきことをそこまで深く考えた結果、そのような考え方や経験則が言える」ということを言います。哲学は、本当は「正しさ」を考える学問ではありません。哲学は、本当は「間違い」を考える学問です。それは、「間違いではあるものの、そのように考えることが、自分の人生経験から言って、それ以上正しいと言えないぐらい正しい間違い」であるという、そのような間違いです。そして、そのような「間違った正しい主張」を行う人種を哲学者であると言えます。
哲学者は、厳密に正しく分析することを重視します。それは正しく当たり前のことが好きだからではありません。逆です。正しく当たり前のことが嫌いだから、哲学者は厳密に正しく分析します。「正しいだけでそれが当然のことのように社会で常識とされていること」を哲学者は嫌います。なぜなら、哲学者はそのような「常識」をそもそも「覆す」ということを好むからです。哲学者は、権威による正しさを嫌い、あくまでも個人の、自分自身の発見した自分自身の考え方の正しさを厳密に分析します。それは「自分自身がさらに分かることだけを最優先にする」ということであり、哲学者はソクラテスの時代から、ソフィストのような権威ある知識人たちを敵にまわします。哲学者は、正しさが好きだから正しいのではなく、正しさが嫌いだから、嫌いな正しさよりもより正しい考え方を作って、「正しいとされている間違ったものを覆す」のです。これこそ、まさに哲学者です。
そのように、正しく分析した結果分かること、それは「同一性」と「自己」です。すなわち、「同じだと思っていることは同じではなく、違うと思っていることは違うのではない」ということ、「自分だと思っているものは自分ではなく、自分ではないと思っているものは自分である」ということが、哲学者の限界まで正しい厳密な分析によって分かります。その結果、知覚や認識において、さらに思考を広げ、深めることができます。自分という存在は本当はなんなのか、世界にあるものとは本当はどういうものなのか、自分はそのものをなんだと思っているのか、そのものは本当はなんなのか。そのように考えていくことで、「考えている自分自身に起因する考え方そのものの答え」が分かります。自分を自分であるかそれとも自分でないかと考えること自体が自分であり、同一性と差異を考えることが同一性を定めることを意味している、という風に考えます。その結果分かること、それは「この世界には同一性を考える自分自身しか存在しない」ということです。まさに、デカルトの到達した境地は、誰であっても行き着く「正しい考え方」です。哲学とは、そのように、「誰であっても必ず行き着く最終的な考え方」を学びます。デカルトの考えたことは、誰であっても同様に考えれば行き着く必然的な考え方であり、だからこそ、哲学を議論することは可能なのです。
2023.01.11
ソフィーの世界は哲学を題材にしたミステリー小説で、僕はこの本ではじめて西洋哲学のことを知った。僕にとってのバイブルのような本で、著者のヨースタイン・ゴルデルは僕にとっての神様のような存在である。哲学を一切知らない人でも分かるように書いてあり、ミステリー小説としてもとても面白い。
ソフィーの世界を参照のこと。
僕がソフィーの次に読んだ本が以下。白取春彦さんの哲学入門はとても面白くて最高である。
僕は、哲学をやるのに必要なのは、存在、方法、過程、変化から「新しさ」を知り、考え、作り、変え、実現することではないかと思います。
新しくこの世界を変え、実現し、どのように変化したのか、どのような方法で変化できるのかを考えることで、「実現性」を考えることができ、また、自らの形成過程を成長の中で知ることで、「人生の意味」を知ることができます。
全ての変化を捉え、その裏にある概念を知ることができたら、もう既にあなたは哲学者の仲間入りです。その状態で世界を知れば、自然に、必ず偉大な哲学者になるでしょう。
自分の書いた「紅蓮と黄金の出会う場所」2024/07/25より。
僕はかつて、人生の期間の中で、西洋哲学について勉強したことがある。ここに、その概要を書く。
古代ギリシャにおいて、ソクラテスという哲学者が、居酒屋のような人々と語り合うことのできるコミュニティの中で、真・善・美を探求した。
ソクラテスは、「何も知らないことを知っている人間がもっとも賢い」という、有名な「無知の知」と呼ばれる言説を残した。
ソクラテス自身は著作を一切残さなかった。言葉を文字にして書き残すことにも、ソクラテス自身が反対していた。
だが、ソクラテスの弟子、プラトンが、ソクラテスの代わりに、「ソクラテスの弁明」として、その哲学思想に関する著作を残した。
ソクラテスの弟子、プラトンは、真実の世界である「イデア界」を探求した。
プラトンは、この世界のことをかりそめの世界であり、「洞窟の中で拘束された状態で影絵を見ているようなもの」であると喩え、この世界にあるものは不完全なものしか存在しないとした。
だが、この世界の不完全なもののバージョンも、イデア界においては完全なバージョンがある。その完全な世界における完全なもののことを「イデア」と名付けた。
宇宙の真理を知るためには、そのようなイデア界にあるイデアを見なければならない。
そして、わたしたち人類は、生まれてくる前にそのようなイデアを見て生きていた。だが、この世界に降り立ってから、そのようなイデアを忘れてしまっている。
それでも、わたしたち人類は、たまにイデアのことを「想起」することがある。それは生まれてくる前に見ていた、イデア界のことを覚えている、ということである。
プラトンは、学校であるアカデメイアを作った。アカデメイアにおいては、「幾何学を知らざるもの、この門に入るべからず」という標語が掲げられたように、幾何学が重要視された。
プラトンの弟子、アリストテレスは、「万学の祖」と言われるように、今存在している科学や学問の始祖となるような学問を作った。
アリストテレスは、論理学、生物学、政治学、倫理学といったように、さまざまな科学を作った。今存在している現代の科学においても、その学問を最初に作ったのはアリストテレスであったり、アリストテレスが大元の体系を作っていることが多い。
アリストテレスは、プラトンの言う「イデア」という言葉を、「形相」という言葉に直した。そして、形相はイデア界ではなく、生物の体ひとつひとつの中に存在するとした。これは現在のDNAの考え方に近い。
アリストテレスは、その後のヨーロッパ世界において、標準的な科学として普及した。ヨーロッパのカトリックの教義を作った神学者トマス・アクィナスも、「哲学でもある程度は進めるが、最後まで進むためには神を信じなければならない」と述べたが、その哲学とはアリストテレス哲学のことを意味する。新プラトン学派というプラトンの考え方を継承した流派もあったが、主流なのはアリストテレス哲学だった。
それから、ヨーロッパは長い中世の時代を迎える。そして、中世の終わり頃に、近代哲学の父である、フランス人のデカルトが生まれた。
デカルトは中世の暗愚な世界において、主に数学を学んだ。数学以外にもさまざまな学問を学び、その中には解剖学なども含まれ、またデカルトは兵士として生きながら各地を旅して生きた。特に、当時先進的な地域であったオランダを好んだ。
デカルトは、その人生の中で、「さまざまな学問を学んだが、役に立ったのは数学だけだった」と語り、数学者として、X軸やY軸によるデカルト座標系や、代数の文字の名前付けの順序や規則を考えたりし、数学と幾何学を統合して、フェルマーと並んで解析学の始祖とされている。
デカルトの取り組んだこと、それは「すべてを疑う」ということだ。中世という暗愚な時代において、デカルトは簡単に権威や世間の言っていることを信じることなく、すべてを疑った。その中で、自らが存在するということは、自らが思考する上でもっとも根本的かつ確かなことであるとし、「われ思う、ゆえにわれあり」と述べた。
デカルトは、方法的懐疑と呼ばれる四つの思考の格率を述べた。それは、「真実であると明らかに証明されたこと以外受け入れない」「問題をできるだけ小部分に分ける」「単純なことから推論して、複雑なことを成り立たせる」「すべてに間違いがないかどうか、最終的に精査する」ということだった。
デカルトは、その著作を凡人でも読みやすいフランス語で書き、出版した。デカルトの著作である「方法序説」などを元に、さまざまな近代哲学者が生まれた。そのため、デカルトは「近代哲学の父」と呼ばれている。また、デカルトの哲学は合理主義に基づいており、解剖学的な経験に基づいて「人間は一種の機械である」と述べた。そのため、デカルトの思想上の分類は「合理主義」とか「大陸合理論」であると呼ばれている。
デカルトと同じ、大陸合理論の哲学者として、スピノザが存在する。
スピノザはユダヤ人であったが、ユダヤ人の教えに反する「汎神論」を述べたため、ユダヤ人のコミュニティから排除され、迫害の中を生きた。
スピノザは、著書である「エチカ」を書いた。エチカは、神という存在は宇宙の自然それ自体であると述べ、神についてのさまざまなことを、数学的な公理と証明のように記述した。
また、スピノザは、「自然には目的や意志は存在しない」とした。
また、エチカは哲学書でありながら人生論の著作であり、「正しい人生を生きるためには、受動感情をコントロールしなければならない」とした。
スピノザはユダヤ人でありながらオランダ人だった。
大陸合理論のほかの哲学者として、ドイツ人のライプニッツなどが挙げられる。
ライプニッツは、宇宙の根源となる単位を、「モナド」と呼ばれる単子であるとし、物質や精神や宇宙すべてをモナドロジーという独自の学問で分析した。
また、ライプニッツは神を信じており、人生において神の導く運命は、ある程度の十分な時間を経た上でちょうどいい場所で予定的に終わるという、「予定調和」と呼ばれる考え方を示した。
当時、ニュートンが微分積分学を創始していたが、ライプニッツはニュートンとは別個に微分積分学を発見したため、「どちらが微分積分の発明者なのか」という論争が起こったが、今では両者どちらも創始者であるとされている。
大陸合理論のほかの哲学者には、パスカルなどがいる。パスカルは「人間はか弱いアシのような生物であるが、考えるアシである」と述べた。彼ら大陸合理論の哲学者は、皆イギリスを除くヨーロッパ大陸で活動したため、「大陸合理論」と呼ばれる。
大陸合理論に対抗する勢力として、「イギリス経験論」と呼ばれる、イギリスにおいて根付いた経験に基づく哲学がある。その創始者がベーコンである。
ベーコンはイギリス経験論の創始者であり、数学的推論に基づく「演繹法」ではなく、経験から分かったことに基づく「帰納法」を提唱した。
ベーコンは、人間の思い込みを四つの「イドラ」に分けた。イドラは、人間の種族や自然環境に由来する「種族のイドラ」、人間の個人的な人生経験に由来する「洞窟のイドラ」、ほかの人間から伝聞して見聞きしたことに由来する「市場のイドラ」、その時代の権威として一般人が信じている学者の学説に由来する「劇場のイドラ」があるとした。
イギリス経験論は、その後、ロックとヒュームによって受け継がれていく。
ロックは、人間の心や精神の中にあるものは、自らが自分でそこに置いたものしかなく、赤ん坊の心や精神は完全に白紙であるとした。
また、ロックは、普遍的な社会の文化というものはないとした。すなわち、今人間が普通の社会だと思っているものは、本当は普通の社会でなく、人間はさらなる異なる社会をいくらでも築くことができるとロックは考えた。
ロックの考え方をさらに発展させたのは、ヒュームだ。
ヒュームは、まず、経験的な帰納法と推論的な演繹法を融和し、「帰納的推論」と呼ばれる考え方を示した。これは「思考に先立つ経験をする」ということであり、経験をしたことに基づいて推論を行うという考え方である。
また、ヒュームは、たとえば天使のような概念は、赤ん坊の概念と鳥の翼の概念がいいかげんに融和しており、信じるに値しないペテンであるとし、それを「複合観念」と呼んだ。
ヒュームは、経験的にものごとを分かるためには、習慣によって導かれるのが有益であるとし、「習慣は偉大なガイドである」とした。
このほか、イギリス経験論の哲学者には、神の考え方をイギリス経験論として展開したバークリーなどがいる。また、人間に役に立つ有益なものが正しいとするイギリスの功利主義の哲学者として、ベンサム、ミル、またイギリスの政治学の思想家としてホッブズなどがいる。
そして、フランス革命期の思想家として、何度も逮捕状が出たことで有名な、社会契約説のルソーや、イギリス市民革命・フランス革命で有名なヴォルテール、モンテスキューなどがいる。特にモンテスキューは権力を司法、立法、行政に分割する三権分立の提唱者として有名である。彼らの時代や思想を「啓蒙主義」と呼ぶ。
ルソーの考え方を参考にした上で、ドイツ観念論の哲学者、カントが生まれる。当時、哲学の世界では、合理主義の「演繹法」と、経験主義の「帰納法」のどちらが正しいのかが重要な論点だった。カントは「先天的獲得」と「後天的獲得」に対して、「根源的獲得」と呼ばれる考え方を提示し、両者を統合する。
カントは、時間と空間に関する四つのアンチノミーや、理性や悟性や感性といった言葉を作ったこと、論理的な可能性と必然性に関する悟性のカテゴリーなどが有名だが、そのほか、人間の純粋理性に基づいた感覚的な真実(のように見えるもの)ではなく、コペルニクスの述べた地動説のように、真に正しい真理を得たいのであれば、超越的な真実を知る必要があると述べた。これを「コペルニクス転回」あるいは「超越論」と呼ぶ。
そのほか、カントは、認識や認知の成り立つ抽象的な世界である「仮象の世界」や、経験そのものが成立するという真理である「経験の成立」、そして人間は常に普遍的に全員が見て正しいとされるような道徳の格率において行動すべきであるとする「道徳律」や、道徳の考え方であり無条件にそれをせよと命じる「定言命法」などを述べた。また、ひとつの国が間違った侵略戦争をした時は全部の国でそれを阻止すべきであるとする「国際連合」の提唱者もカントである。
このようなカントは、「ドイツ観念論」あるいは「ドイツ古典哲学」において、相対的な知性を述べた哲学者として有名である。
ドイツ観念論のほかの哲学者に、フィヒテ、シェリングなどがいる。フィヒテやシェリングはロマン主義の代表的な哲学者である。ロマン主義とはヨーロッパ文化史において「不可能な夢を追い求める」とされるロマン的な時代である。フィヒテは、宇宙に存在するのは、人間の自我を超越した自我である「超自我」であると述べた。シェリングは、宇宙において起きる現象は、すべて同一のものの現れ方の違いにすぎず、すべては同一であるとする「同一哲学」を述べた。
そして、ドイツ観念論の最後の哲学者であり、「近代哲学の完成者」と呼ばれるヘーゲルを持って、近代哲学は完成する。
ヘーゲルは、まず、テーゼ(正の命題)とアンチテーゼ(反の命題)から成るジンテーゼ(合の命題)が存在し、それが無限に続いていくことで人類の歴史は進歩すると述べた。
ヘーゲルの述べた哲学はとてもたくさんあるため、すべてを網羅することは難しいが、ヘーゲルの著書「精神現象学」は、自己意識が成長し、人々と自由な中で戦いを経験しながら、世間から疎遠になりつつもその中でひとつひとつの確信を抱くようになり、恋愛や「心胸の法則」や「徳の騎士」を経て、最終的には「絶対知」へと到達していくということを述べた著作であり、ある意味で「青春の少年の成長」が哲学的に述べられている。
また、ヘーゲルは歴史においても述べるが、全体主義的なところがあり、国民の総和よりも国家や社会全体は大きなものであるとし、理想の国家はプロイセンであるとした。また、世界精神は人類全員の「目覚め」によって進歩していく。フランス革命もそのような目覚めのひとつであり、最終的に「絶対精神」へと行き着く。
ヘーゲルの哲学において、人間は「主観と客観の一致」と「普遍性と個別性の一致」から世界精神との「合一化」を果たす。同時に、この世界のすべては絶対的に存在しており、すべての絶対的に成り立つ命題は人生の最後に「良心」となって「絶対知」となる。
ヘーゲルは、ドイツ観念論の哲学者でありながら、宇宙のすべてを完璧に記述する。そのため、ヘーゲルは絶対的な知性を述べた哲学者として有名であり、「近代哲学の完成者」と呼ばれる。
しかしながら、哲学はそれ以降、新しい段階を経て進歩していく。ここからが、現代哲学である。
まず、キリスト教を信じる青年のような哲学者であるキルケゴールは、「ヘーゲルには全宇宙はあるが心や魂がない」と述べ、「現実に存在している実際の世界と人生の在り方」を「実存」と呼び、現代哲学のひとつ実存主義を創始した。
キルケゴールは、人生には「美的実存の段階」「倫理的実存の段階」「宗教的実存の段階」があるとして、「絶望を救うのは可能性を信じることである」と述べた。
実存主義哲学は、現代において、サルトルやハイデガーに引き継がれていく。
サルトルとハイデガーを述べる前に、マルクスとニーチェを述べよう。
マルクスは、共産主義を提唱した哲学者だ。マルクスはエンゲルスとともに、資本主義を批判的に分析し、「生産手段」「生産条件」「生産様式」について考え、人間の歴史を「階級闘争」であり、資本主義は「搾取」と「疎外」を生み出しているとした上で、歴史の進歩を「歴史の必然」として捉えた。
そして、マルクスは「資本主義は過剰供給によって破綻し、労働者による革命によって打ち倒され、理想の平等な社会主義経済が訪れる」と述べた。
マルクスの哲学の経済的な側面を言うと、まず、資本家と労働者は本来対等な「労働の再生産」という考え方に基づいた契約である。だが、資本家と労働者には力の差があり、本来対等であるはずなのに、労働者が弱い立場に置かれる。
労働者は労働力を資本家や経営者に対して提供しており、労働者の値段は「労働の再生産を行うための費用」によって計られるべきである。
だが、資本家は労働者を弱い立場においており、労働者を使うだけで何もせず「搾取」によって資本家は莫大な利益を上げている。また、社会全体が資本家による力によって抑圧され、「疎外」されている。このような労働者は団結して資本家に立ち向かうべきであり、マルクスは著作「共産党宣言」の中で「万国の労働者、団結せよ」と述べる。
だが、マルクスにも問題はある。まず、マルクスは資本主義の分析においては大きな功績を残した。著書「資本論」で述べられた資本主義の分析は今の資本主義社会においても十分に通用する。だが、マルクスは理想の社会主義経済が訪れると述べたものの、その社会主義国家がどのようなものであるか、ということは述べなかった。そのため、マルクス・レーニン主義者によって建国されたソ連や中国は、どのような国家を作ればいいのかというビジョンを持たず、独裁者スターリンや毛沢東による、暗愚な計画経済の国家となり、資本主義経済に比べて社会主義経済のほうが成り立たず、ソ連は破綻し、中国は「改革開放」と呼ばれる資本主義的な経済政策を取り入れてなんとか存続している。
マルクスともうひとつ、過激な思想として知られるのはニーチェ思想だ。
ニーチェは、キリスト教という考え方を批判する。ニーチェは、プラトンのイデア界やキリスト教の天国などは、「現世の世界を馬鹿な世界だし、どこにも存在しない理想の世界を正しいと信じている」と批判する。ニーチェは人間の人生を「権力への意志」であるとし、神の考え方に代わるものとして、力を絶対であるとする「超人思想」を導入する。
このようなニーチェは、ナチス・ドイツによって利用された。ナチス・ドイツのヒトラーは、共産主義を打倒する思想としてニーチェの思想を大きく利用した。そのため、ニーチェはナチズムやヒトラーの思想と関連付けられることが多い。
マルクスとニーチェに対して、さらに後続の思想として言えるのは、マルクス主義に傾倒したサルトルと、ナチス・ドイツにコミットしたハイデガーである。
サルトルは、「実存は本質に先立つ」という考え方の下、自由は刑罰であるとする「自由の刑」という考え方を展開し、共産主義思想に傾倒した。そこにあるのは単なる自由の否定ではなく、「留保された自由」「客体化された自由」「集団化された自由」という、自由の現実的な分析である。
ハイデガーは、古来より考えられた存在論について、再び再考する。ハイデガーはある種の唯心論者であり、人間の「関心」や「意識」が向かないものについては存在しないとする。この「関心」のことを「ゾルゲ」と呼ぶ。また、ハイデガーは人間のことを「現存在」と呼び、存在論の用語として「存在を時間化する」とか「存在の生起」のような言葉を作った。
現代哲学のほかの領域として、「現象学」と呼ばれる分野がある。
現象学の大きな哲学者は、フッサールとヤスパースだ。フッサールは、世界に存在するすべてのものを厳密に考えよとし、「厳密に考えるために、正しいとか間違っているとかいう判断を一度ストップせよ」と唱える。その上で、「事象そのものへ」と呼ばれる現象学の考え方を展開する。
ヤスパースは、この世界を「包括者」や「超越者」と呼ばれる絶対的存在の作った「暗号」であるとし、集団に埋没するのではなく、自分自身の「己に立ち返る」ということから、この世界を捉えて考えよとする。
そして、現代哲学のさらにほかの領域には、「分析哲学」や「構造主義」などが存在する。
分析哲学はウィトゲンシュタインの哲学である。ウィトゲンシュタインは著書「論理哲学論考」の中で、言葉の構造によってこの宇宙に存在するすべてを論理的かつ明晰に述べる。そこでは言語的な世界の完璧な命題と定理が記述されており、最後に「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」とする。
構造主義は、哲学以外にも多く見られる現代の考え方であり、言語学者のソシュールや未開世界について述べたレヴィ・ストロースの考え方が有名である。
そのほか、フランスを中心とする現代哲学として、メルロ=ポンティ、フーコー、デリダなどの思想が有名である。
2018-03-08、2018-03-10、2018-06-23、2018-08-26、2018-08-28、2018-09-01、2018-09-02、2018-09-24、2019-04-17、2019-07-24に関連する内容があります。
哲学書解説
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ソクラテス以前には、自然哲学者(自然のことを考える哲学者)が多く居ました。
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ソクラテスは、人間のことを本質的に考えます。弟子のプラトンが著作を残しました。
ソクラテスを参照のこと。
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プラトンは、「イデア」と呼ばれる「本当の世界」を考えます。
プラトンを参照のこと。
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アリストテレスは、万学の祖のように、たくさんの原初的な科学を作りました。
アリストテレスを参照のこと。
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アウグスティヌスを参照のこと。
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トマス・アクィナスは、カトリックの教義を作った人物です。アリストテレス哲学とキリスト教神学を融和・統合させました。
トマス・アクィナスを参照のこと。
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デカルトは、自己を考える「コギト命題」と方法的懐疑を考えた数学者の哲学者です。代数学と幾何学を統合して解析学を創始し、今の数学で言うXY座標や累乗を作ったりしました。
デカルトを参照のこと。
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スピノザは、独自の汎神論の宗教観を考え、数学的に神の定理を作りました。
スピノザを参照のこと。
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ライプニッツは、精神や自然の現象を「モナド」と言う単子で考え、予定調和と言う、「神は予定的に調和を起こす」と言うことを考えました。数学者です。
ライプニッツを参照のこと。
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ベーコンは、イギリス経験論を創始し、帰納的考え方(経験からその事実と法則に収束していくこと)を提唱しました。
ベーコンを参照のこと。
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イギリス経験論の哲学者の一人です。
ロックを参照のこと。
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イギリス経験論の哲学者の一人です。
ヒュームを参照のこと。
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イギリス経験論の哲学者の一人です。
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社会哲学者の一人。社会契約説に関して貢献しました。
ルソーを参照のこと。
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純粋理性批判で知られる、ドイツ観念論の哲学者の一人です。科学的方法を研究しました。
カントを参照のこと。
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ドイツ観念論の哲学者の一人です。
フィヒテ・シェリングを参照のこと。
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ドイツ観念論の哲学者の一人です。
フィヒテ・シェリングを参照のこと。
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ドイツ観念論の哲学者の一人で、近代哲学の完成者とされています。精神現象論で、「この世界全体を精神だと見た時、その精神がどのように変貌を遂げていくか」を考えました。また、社会哲学の貢献でも有名です。
ヘーゲルを参照のこと。
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実存主義の創始者だとされている、ヘーゲルを批判してキリスト教を信じた哲学者です。
キルケゴールを参照のこと。
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キリスト教を批判した哲学者です。
ニーチェを参照のこと。
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共産主義を創始した哲学者です。
マルクスを参照のこと。
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アメリカの「プラグマティズム」と言う功利主義的な哲学を作りました。
プラグマティズムを参照のこと。
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現象学と呼ばれる哲学をヤスパースなどとともに作りました。
フッサールを参照のこと。
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ヤスパースを参照のこと。
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言語学の専門家ですが、構造主義のグループに含まれます。
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ウィトゲンシュタインを参照のこと。
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ハイデガーを参照のこと。
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サルトルを参照のこと。
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フーコーを参照のこと。
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デリダを参照のこと。
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