オランダの哲学者。
スピノザ。
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自分の書いたブログ「わたしの名はフレイ」2020/09/07より。
スピノザはオランダの元ユダヤ人の哲学者。
彼の著書「エチカ」は、普通の書物とはちょっと違う。
全てが公理と定理の形式で書かれた「数学的書物」なのである。
また、その中で登場する考え方は、全てが「神」に基づく。
神の存在や神とは何であるか、ということが、全て数学的な定理によって記述されている。
しかしながら、エチカは当時の神や宗教の考え方とも異なり「この世界そのものが神である」という独自の汎神論に基づく。
これは当時のユダヤ人社会では「異端的な考え方」とされ、スピノザは当時のユダヤ人社会を追放されてしまう。
エチカには、受動感情のコントロールなどのように、人間の生きていく上で必要となる考え方が多く書かれており、現代社会では、アランの幸福論やパスカルのパンセと並んで、精神的啓発書として並んでいることもある。
デカルトと並ぶ、大陸合理論の哲学者である。
デカルトも参照のこと。
スピノザは、この世界の全てが神自身であると言う独自の汎神論を唱え、数学的定理として、神の属性と理論を全て書きました。
スピノザは、独自の神のあり方の下で、全てを数学的方法(定理と証明)で説明しました。デカルトの影響を受けているため、近代合理論に分類されます。
後日注記:スピノザの「エチカ」は全てが数学的な定理と証明によって書かれた、公理主義の数学書です。同時に、エチカの中でスピノザは独自の神を作り上げ、「この世界そのものが神である」としました。「すべてを神という数学で分かった」のです。
スピノザは、受動感情をコントロールすることを唱えました。
後日注記:僕はスピノザによる「受動感情のコントロール」は、哲学や心理学においてとても重要だと思う。なぜなら、僕の経験から言って、心理学的に自分を「制御」するということの基本だからである。自分自身を制御することができるためには、正しく考え、正しく経験し、正しく生きなければならない。スピノザはエチカという、いわば「神の人生啓発書」を書いたが、このような「人が正しく生きる道」の大前提として、受動感情のコントロールがあったのだと思う。
後日注記:僕が考えるに、スピノザの言う「受動感情」は、本当は完全に受動的ではないと思う。受動感情のコントロールを行うことで、心理学的な環境における、「相手の受動的な心を救いへと向かう導きへとコントロール」することができる。受動感情を制御するだけで、この世界の環境的な「不幸の原因」を外部的作用として解決し、人々を救うことができる。これは言ってみれば「積極的な受動感情の制御」であると言える。また、自らの人生を正しく生きる上でも、「間違った情動に決して支配されないこと」は重要であり、これもまた受動感情のコントロールである。
スピノザは、自然に目的や意志はないと考えました。
後日注記:スピノザは、自然そのものを神であるとしながら、自然には目的や意志はないとする。これは僕は合理論において、神なのか、それとも理性なのかということを考える上での、ひとつの「正しい直観的ものの見方」、すなわちスピノザの直観力であると思う。スピノザには、直観力がある。
後日注記:スピノザが考えるに、わたしたちの持っている目的や意志の多くは「目的原因」(たとえば鳥は飛ぶためにいるとか、食べ物は食べるためにあるとかのこと)であり、知覚や認識として人間的に世界を見ているために目的や意志だと勘違いしています。スピノザは、この世界の自然の状態には、目的原因と人々が思っているような目的や意志は存在しないと言います。多くの目的原因はわたしたちがでっち上げたものであり、神や自然は目的原因などは作らなかったのです。
スピノザはもともとはオランダ人のユダヤ人でしたが、その思想からユダヤ人コミュニティの中で排除され、不幸な人生を生きました。
ユダヤ教も参照のこと。
「エチカ」、など。
スピノザは、独自の汎神論の宗教観を考え、数学的に神の定理を作りました。
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