哲学に戻る

ロック

イギリス経験論の哲学者。

ロック

ロック。

画像はパブリックドメイン。

ロック

自分の書いたブログ「わたしの名はフレイ」2020/09/07より。

ロックはイギリス経験論の哲学者。

人間の心は最初は「白紙」であり、自分で経験したことしか心にはそもそも存在しないとした。

まさに、「知性は全て経験的に作り上げられたものである」。

また、社会についても同様で、「普遍的な社会文化など存在しない」とした。

つまり、今のこの社会が当たり前だと思っていても、歴史とともに社会の文化は変わっていき、未来においては変わってしまう、ということである。

ロックはこれを突き詰め、アメリカの政治哲学リバタリアニズムの土台を作った。

人間の生まれつき持っている理性は白紙である

ロックは、人間の生まれつき持っている理性は白紙であり、赤ん坊は白紙から生まれる、と考えた。

後日注記:ロックは、まさに赤ん坊は白紙、無であると考えた。その上で、全ては経験的に、周りの環境との関係などによって、後天的に生まれるものであるとした。これは数学的理性を信じる合理主義と対立し、「先天的なものがあるのかないのか」という哲学上の対立を作り出した。カントはこれに対して、「根源的獲得」を提唱することで、両者を上手く融和させ、バランスを取った上で統合した。

デカルトカントも参照のこと。

知性と経験

ロックは、人間は「知性」によって世界のことを認識するが、「知性は全て経験的に作り上げられたもの」であるとした。

後日注記:ロックは、知性を全て経験的に考える。著作の「人間知性論」では、こうした知性の全てを明らかにする。

後日注記:ロックは、人間の心にあるものは経験的に自分が作り上げたものであり、「心の中に存在するもので、自分自身がそこに置いたもの以外、心には存在しない」とする。

後日注記:ロックは経験主義の哲学者でありながら社会哲学者に分類されるが、僕が考えるに心理学者としても優れていると思う。なぜなら、「精神や知性には、自分が経験的に置いたものしか置かれていない」と考えた。このことは、精神病理を考える上で大きな立ち位置となる。すなわち、「治そうとしている精神異常のすべては、自分がかつて経験的に作り出したもの」であると考えられる。そして、経験を疑い、ひとつひとつの経験的精神について「関連性」や「依存性」を考えることで、人間は正常な精神や知性を取り戻す。また、「知性とはなんであるか」という本当の意味が見えてくる。これこそ、「ブッダへと至る道」ではないかと思う。

自由な社会哲学

ロックは、自由な社会哲学で有名である。社会における文化についても、経験的に作り上げられたものであり、普遍的な社会文化など存在しないとした。

ロックの社会哲学は、ルソーなどとともに、アメリカの独立宣言に影響を与えた。ルソーとともに、人間の生まれつき持っている自由で平等な自然権などを唱えた。

アメリカの政治哲学のリバタリアニズムの基盤を作った。(ロック・哲学早わかり | Philosophy Guidesを参考に執筆しました。)

後日注記:ロックはこの社会全てを疑い、「社会の文化は経験的に作られたものであり、将来的に変わる潜在的可能性がある」と考えた。ここから、アメリカの独自の「自分たちで潜在的な可能性を作り上げる」新しい思想へと繋がった。

後日注記:デカルトをはじめとする理性主義と、ロックやヒュームに代表される経験主義は、よく対立の構図となるが、ロックの唱えた「普遍的な社会文化など存在しない」ということは、「普遍的社会そのものを(経験的に)疑う」というものであり、デカルトによる「すべてを理性で疑う」ということと、通じるところがあると僕は思う。また、ロックの経験論は人生における宗教的導きや先天的知性を疑うということであり、これもデカルトに通じるところがあると思う。

ルソーも参照のこと。

ロックの言葉

読まずに死ねない哲学名著50冊」より引用。

“心は、言ってみれば文字をまったく欠いた白紙で、観念はすこしもないと想定しよう。”―ロック『人間知性論』

“法にしたがう能力をもっている生物にとっては、どんな場合にも、法のないところ、自由もまたない。”―ロック『市民政府論』

著作

「人間知性論」、「市民政府論」、など。