古代ギリシャの哲学者。ソクラテスの弟子。
自分の書いたブログ「わたしの名はフレイ」2020/09/07より。
プラトンはソクラテスの弟子である。
アカデメイアという哲学の学校を作ったことが有名だが、アカデメイアでは「幾何学を知らざるものこの門を入るべからず」と書かれていたように、昔は哲学も幾何学も同じような学問分野だった。
プラトンの思想は「イデア」。
これは、「この世界はもしかしたらまがいものかもしれず、本当の世界は別の世界にあるのではないか」というもの。
人間は生まれる以前にイデア界に住んでいて、そのことをすっかり忘れているものの、何らかのことがきっかけでそのイデア界のことを「想起」する。
また、この世界は本当は嘘の世界で、洞窟の中に見える影絵しか知らない縛り付けられた人類が、その洞窟の影絵だけをこの世界であると誤解することと同じであると言う。
イデアの考え方は、遺伝子にも似たところがあり、馬はたくさんいるが、どれも完全な馬とは言えず、どこかしらに欠点があるが、本当のイデアにおいては、完璧な馬の理想像があるはずであると考える。
この考え方は、プラトンの弟子アリストテレスによって、さらに遺伝子に近い「形相」として、「生物の中に存在する形相がイデアである」とされた。
プラトンはソクラテスの弟子で、アカデメイアと言う学校を作りました。「幾何学を知らざる者、この門に入るべからず」と言う標語が有名です。
後日注記:この学校の存在の影響で、ソクラテスやプラトンやアリストテレスの思想は大きく広まり、歴史上にも遺るに至った。中世以降のヨーロッパなどを中心とする西洋世界では、プラトンやアリストテレスの思想は、ユークリッドの「原論」並みに著名な権威とされた。
プラトンは、この世界はまがい物であり、宇宙のどこかに真実の世界である「イデア」があると考えました。
人間は生まれる前にイデアを見ていて、その想起によって全てのことを思い出して知っている、とプラトンは考えました。
イデアはさまざまな不完全なものを形作る時の「型」のようなものであり、さまざまな生物がある背景には、その型であるイデアがあり、それはイデア界にある、と考えました。後に、アリストテレスは、イデアはものの中にあるとする「形相」へと考え方を転換しました。
プラトンは、哲学者が王となり、
体 | 人 |
---|---|
頭 | 哲学者 |
胸 | 兵士 |
下半身 | 平民たち |
と言ったように、ある意味で全体主義的な国家論を考えました。
今のこの世界では、「大切な何かを失ってしまった」という人が増えています。
それは素晴らしいものであるとか、人間にとって必要な何かというわけではないのですが、何か、正しい「知性」あるいは「真理へと向かう光」のようなものを、集団で失ってしまいました。
これが何なのか、僕はこれこそが「イデア」だと思います。
この世界は、何に対しても正しくそれを解明する方法が見つかるような、経験的な道標、すなわちイデアを失ってしまったのです。
イデアを一度失った人間は、この世界をいくら見ていても何も分かりません。イデアはこの世界にないからです。イデアは、イデア界にしか存在しないものであり、イデアを失ったこの世界で生きているだけで、誰もがイデアが分からなくなってしまうのです。
解決方法は、「この世界にやってくる前に見ていたものを思い出す」ことです。この世界にイデアはありませんが、わたしたちはこの世界に来る前にイデア界でイデアを見ていました。だから、イデアをもう一度取り戻すためには、この世界に来る前の世界を思い出さなければならないのです。
「読まずに死ねない哲学名著50冊」より引用。
“この狂気こそは、すべての神がかりの状態の中で、みずから狂う者にとっても、この狂気にともにあずかる者にとっても、もっとも善きものであり、またもっとも善きものから由来するものである。”―プラトン
「ソクラテスの弁明」、「饗宴」、「パイドロス」、「国家」、など。