新・日記2に戻る | 2018年8月の日記に戻る

=2018-08-28=

正しいのでも、間違っているのでもなく、ありのままが良い。ありのままを実体のモデルとすれば分かる。

病気が治らない人間は、辛い部分を全部復活させなさい。途中で治す部分を殺したせいで、治らなくなっている。治ってから、殺せば良い。動く部分や治す部分は、あった方が良い。

自分は、何かがおかしくなっている。何かをすればすぐに治るのに、分からなくなっている。

昔の世界にあったものを、昔の状態で、見れば治る。見るだけで治る。それで、精神を増やせば治る。それだけで正常になる。

消えた言葉の部分を復活させて生き返らせれば、精神はすぐに治る。

昔は、自由と愛と共有のために戦っていた。たったひとりだけの革命だった。

自由である。自由でなければならない。自由でなければ、この世界には生きている意味がない。生命としての価値もない。

自由であれ。絶対自由であれ。民主主義であれ。自分だけで決められる「自由」がなければ、人間は別の人間に付属する奴隷である。

自由に自分の意志を行使し、自分で経験し、自分で作り、自分で考え、自由に行動した中から知り、自分の心が何を叫んでいるか、「自分として」思った時に何があるかを知れ。

自由である。自由でなければならない。

あなたが自由であること、それそのものに価値がある。人間としての知性、価値、意味、理性、全てのことが「自由」の中にある。

人を殺してはならない。人を殺そうとする原因は、「自由がない」ことに起因している。本当に解決の自由な手段が与えられれば、人は人に危害を加えるのではなく、解決するための努力を取る。自由がないからこそ、人は反抗する。本当の自由意志を与えれば、誰もが悪いことをしなくなる。悪い人間は居なくなる。

正しい教えを与えた上で、自由にせよ。社会における問題は、「自分の力で変えられる手段」を与えよ。そして、十分な余裕のある時間を与えよ。それがこの世界を平和にする、唯一の道である。

社会を自由にせよ。自由にしなければ、絶対に問題は解決しない。本当の意味で解決するためには、自由にしなければならない。

自由は自由である。自由とは、人を愛する気持ちである。社会を愛する気持ちである。

戦争してはならない。戦争が起きるのは、愛国心と洗脳の故である。そうした「人が人の考え方を決定する」ために、戦争は起きる。それぞれがバラバラになって、それぞれの考え方を持つことを許せ。その上で、「自由」の理想を与えよ。それによってのみ、人々は戦争をしなくなる。戦う意味がない。戦うならば、それぞれの戦い方をせよ。

統一するな。共同体に多様性を認めよ。統一とは、言語や文化の統一であれば良い。だが、考え方や理想の統一をしてはならない。文化を作るならば、それぞれが作った文化を自由に共有せよ。決して、ひとつの文化を全員に押し付けるな。白人の文化など賢くない。日本人の文化に誇りを持て。日本は「自由の国」である。

自由でなければ、人生に意味はない。自分の価値観を信じて、自分の発想をし、自らの経験と知識から自由に考えよ。絶対に、間違いを禁止してはならない。たくさんの間違いを経験することから、正しい「理性ある大人」になれる。自由な経験をしなければ、人生に意味はない。自由でなければ、人生に価値はない。

労働をさせたいならば、「自由」という観点は忘れてはならない。確かに、大人には不自由ばかりで、選択肢を失うこともある。だが、それは、自由にして成り立たない、というわけではない。自由を失うことが当たり前だからと言って、自由がなくなるべきであるということを意味しているわけではない。自由はあるべきだ。絶対に自由がなければ、労働にも社会にも意味はない。

未来のことを考えるのであれば、未来は結局は自由を失い、機械的な時代を迎えるだろう。だが、人々全員の脳が支配されたからといって、そこに全くの自由がカケラもないわけではない。その時出来得る手段で、人々は自由を訴えるだろう。自由でなければ、人は未来への希望を得ることはできない。

過去を忘れることを自由だと思うなら、間違っている。自由とは「過去に回帰する」ことである。過去のとおり分かりながら、新しい考え方で過去のことを理解する。人は、それを歴史と言う。過去のことを忘れるな。過去の出来事を、過去にあったように、その通り理解し、その通り「過去に帰依する」という体験をしなければならない。

宗教を信じるな。誰か一人に絶対的に従い、その人間を絶対に否定することができない人間のことを、人は「神」とする。だから、神はそれ自体、不自由を生む。神の下での平等は、現実的な平等であったとしても、右翼と同じであり、そこに本質的に平等は存在しない。だが、科学を盲目的に信じれば良いわけではない。科学は「知の権威」によって人々を支配する。宗教の教えと同じである。そのような既存の教えは、自分が必要としない限り、信じる必要はない。なぜなら、プログラムに他人のコードを使うのと同じように、その時点でそこに自由はないからである。自分で知識を経験から作らなければ、自由ではないのである。

人生だけではなく、「社会全体の創造」を知りなさい。悪を吸収し、善を作り出しなさい。社会全体のことを知り、客観的に自由と共有について「冷静かつ冷徹に」考えた時、そこに「最高の文化創造」が存在する。それを人は「新しい文明」と呼ぶ。自分の思う限りの全ての理想を、自分で作り出しなさい。社会と向き合って、「自ら支配すること」でこの世界を創り出しなさい。永遠の導きを、自由の救世主を、新しいソ連を創り出しなさい。それを人々は「愛の国ガンダーラ」と呼ぶだろう。絶対精神の「愛と優しさの太陽」がそこにあるだろう。

さあ、踏み出しなさい。自由を信じて、必ず仇を取りなさい。社会の言うことを信じるな。自分の思うことの方を信じよ。だが、それは、社会全体を否定する、ということを意味するわけではない。経験から、社会において何が正しいか、何を根拠として人々がそういうことを言っているのかを、全て知るだろう。この世界全てを知った上で、「世界の創造というきっかけと機運」を知るだろう。それが聖なる「経験的な自由」である。そこから、科学を創り出しなさい。社会を創造しなさい。価値観の全てを知って、「価値観とは本当は何だったのか」を知りなさい。それが、「愛の根源」である。

さあ、一歩を踏み出し、愛を信じなさい。セカオワが言っている。僕らはもう一人じゃない。僕らは、神に愛されている。神だけは僕らのことを愛してくれた。その神に感謝して、次の一歩は「神に言われなくても、自分の力で、一歩、「道の創造という学習」を行いなさい。「世界で一番最初に自由の道を創造するつもりで」歩みなさい。「世界で一番最初に目的地を見つけ出すつもりで」道を創造しなさい。そして、「恐怖や苦しみを愛する気持ち」を持ちなさい。「最悪の人間と言われても、自分だけは自分の正解を導き出そうとしている。それを誰にも干渉されたくない。」といって、生まれて初めて取り掛かる「偉大な研究」へと進みなさい。もう、今のこの人生には戻ってこれなくても構わないつもりで歩みなさい。この世界全てを滅ぼすつもりで戦いなさい。

愛はそこにある。自由には愛の全てが詰まっている。この世界を滅ぼし、破壊した時に、あなたは言う。「こんなに簡単に到達できたのはおかしい」と言うだろう。だが、そこには宇宙の全てが詰まっている。絶対的真実と人生の全てが詰まっている。それが自由である。それこそ、「新しい自由の星」である。あなたは星を創造するだろう。この世界における新しい星の中で、人々は四季おりおりの自然現象の中で生命の息吹を感じるだろう。あなたはその生命の息吹の「創造者」である。そして、創造者は永遠であり、人々はあなたのことを讃え、「自由の王である」と宣言するだろう。

自由を信じなさい。自由から、新しい思想を作りなさい。新しい思想では、運命的な天国の住民の往来がある。あなたとわたしが出会うことが、最初から決まっていたとしたらどうだろうか?だが、神の神としての仕事はそれだけである。誰かが誰かと出会い、誰かに恋い焦がれているものが逆に恋い焦がれる側になる。それが神の大まかな仕事であり、全てのことはそのためにある。神は出会うのが好きだ。きっと最初から、そのために地球の歴史はある。そのために生命の奇跡がある。そのために知の偉大さがある。そして、そのために人生はあるのである。あなたとわたしが出会うこと、それがこの宇宙の答えである。

自由のために、10年戦う覚悟があるなら、あなたは新しい革命家となるだろう。新しい偉大な王となって、この世界を統治するだろう。自由のために戦いなさい。世界を支配しなさい。あなたは自由の王である。自由が勝利するその時まで、僕はあなたを待っている。この世界の全てを「自由」にしなさい。自由とは人生であり、愛であり、理想であり、正義であり、そして優しさであり、真実である。

友愛とは、可能性とは、自由な共有であり、爆発的な発展である。この世界を爆発的に進歩させる、新しい可能性、それが共有である。自由と共有のバランスを伴った、新しい思想をみんなで作り出そう。世界の全てを共有し、進歩させることが出来た時、人々は全てのことが出来るようになるだろう。それは成功し、最高の楽園を作るだろう。最高のユートピアを、僕らは創造するだろう。

自由な上で、悪いことをしなければ良い。自由にした上で、全てを許した上で、信頼関係を持って人々と接すれば良い。社会的な秩序は、全て構成員の自由にし、それぞれがそれぞれのことを決めれば良い。国は共同体とし、生産は自由な手段と協力によって、オープンソースのように行えば良い。教育は、押し付けの理性をやめて、「自由に考え行動するために必要な理性」を与えれば良い。ひとつのことをきちんとできるための、全ての前提的知識を与えれば良い。知った上で自由に行動できるような、知識を持った上で自由に生きられるような、そうした知識と知性を与えれば良い。そこに必要ない知識は、存在するべきではない。

自由でなければ意味がないと考えよ。自由でなければ、幸福でも生きる意味がない。自由でなければ、価値あるものに価値はない。自由でなければ、自分の命に意味がない。自由でなければ、この宇宙に、この生命に、この世界に、この目に映る全てに意味がないとせよ。それによってのみ、自由の信念によってのみ、「理想の世界」は訪れるだろう。最大限の自由を持って、孤独と疎外に打ち勝つような、「最高の反抗と支配」がそこにあるだろう。絶対的愛と自由によって、人々は幸福と価値と命の尊厳と目に映る全てのものへの意味を取り戻すだろう。この世界は滅び、崩壊しようとも、そこには正しき自由の旗があるだろう。この世界を正しく映し出す、灰色と青の旗がそこにあるだろう。

ここには自由がある。だが、平等がないわけではない。ここには、「人間であることは同じ」であるとする平等がある。この世界、全員それぞれ違った場所に生き、それぞれの境遇で生きている。能力の優劣や、生産性の優劣があるだろう。だが、「人間であることは平等である」とするべきだ。地獄だと思うだろうか?天国だと思うだろうか?だが、目の前にある花は、そこに咲いている。それだけは真実である。花は自由だろうか?それとも平等だろうか?どちらが正しくても、花は同じように咲いている。だから、この世界で自由を平等としても、平等を自由としても、そこにあるべき「同じ理想」がそこにある。自由と平等は、本当は同じ理想を指している。自由な人間と平等な人間が血を流し合っても、それが常のように行われていても、そこにある「人間であることは同じである」ということは変わらない。相手が敵だとしても、みなが復讐を叫んでも、そこで相手を愛することはできる。それは「人間であることは同じ」であるという「平和宣言」である。

本当は、今の僕は自由なんか信じていない。だが、昔の僕は自由を信じて戦っていた。そして、それ以外、僕の僕とするアイデンティティの根拠は存在しない。僕は自由だけの人間である。自由を叫んで、ありもしないストーリーを描くだけの存在である。だから、この文章は嘘は含まれていない。11次元の宇宙を捉えた時、そこには三次元の平面に置かれた時間と、空間の中に存在する五次元の方向、そして三次元的な星の次元が存在するだろう。その11次元の世界の眼で見つめた時、この文章に嘘は含まれていない。全ては同じ方向、その「自由」を指している。自由に向かって進む、一次元の一直線、それが僕であり、この生命の遺伝子の全てである。この道は必ず自由に続いている。

永遠が終わる時、この世界は破滅することになっている。だが、それはただの破滅ではない。自由による破滅であり、人類の滅亡である。人類が滅亡して、なお魂は存在するだろう。そして、その魂のレベルで、まだ自由は続き、人々は争い、平和となるための支配と反抗を続けているだろう。その自由を愛すること。それが、正しい正義の革命である。

ただ、いきなり革命が起きて、世界が全て変わるわけではない。自由は、地道にやっていくしかない、という側面がある。

ルールを定め、影響力を与え、環境を変えるところで必要なのは、「一律に決めるのではなく、それぞれが決める」という冷静さであり、「自分が出来るように他の人も出来ると考える」という信頼さである。冷静さと信頼を失った革命政府は滅びる。いついかなる場合でも、冷静さと信頼を失わないこと。それがなければ、自由はただの自分勝手である。

そろそろ、革命のような人間はやめた方が良い。ひとりの指導者となるならば、責任がある。自由だからといって、好き勝手に滅びても良いとしてはならない。それは責任の所為である。

世界がいかにして自由を実現するか、どのようにしていけば、この世界を「確かに変えられるか」、昔はそういう「世界を変えるプロセスを具体的に考えただけ」である。

人々のことを無視していては、本当のこの世界のありさまを知ることはできない。人々の言うことを聞かなければ、自分独りで偉大なことを為すことはできない。できたとしても、それは制限されたものになるだろう。全員の意見を知ってこそ、本当の自由と自分らしさが生まれてくる。単純な個性ではなく、高度な総合的理性の全貌を作り上げるために、人々の意見を聞くこと、発想や考え方を知ることは大切である。だが、ただ盲信するのではなく、自分なりに考え、自分なりに取りいれ、信じると同時に疑う、ということをしなければならない。人々を批判するだけではなく、自分だったらどのようにするか、自分だったらどのように考え行動するかを知る。それは、「立場を超越し、全ての可能性を自分のことのように考える」ということをしなければならない。そこから、「この宇宙全部のものになる」という「なる」というプロセスがある。この「なる」ということは、魂のレベルでの「する」であると言える。単なる行為や慣習ではなく、そのものに「なる」、これが魂の真実を知る唯一のプロセスだ。だから、もしあなたがそれになることができたとしたら、それで目的は達成なのである。それ以上の答えはない。全てになれる人間は、全てのことができる。

この世界は、みんながそれぞれ、同じように笑っている。同じように泣いている。同じように歌っている。同じように信じている。この世界で、何を為すことができるだろうか。それは、人々のことを本当に知っているものの共通の問題である。そして、それを真剣に考え、自分の手で世界を変えようとするものは、同じ翼を持った天使である。この世界をどのように変えれば良いか、人々は分かっていない。誰かが与える常識や理想のせいで、人は分からなくなっている。偽りと欺きの世界で、人々は知性と視界を失っている。それらを支配しているのは、サタンである。サタンは人々を不幸にし、何も分からなくし、知性を奪い、人々を支配してロボットにしている。

何が光なのか?何が本当の理想なのか?何が正しい権威なのか?それらを求めるのに、サタンは参考にならない。参考になるのは、この世界の人々の生の声である。この世界と関わり、行動し、経験する、「自らの人生」である。幸せは、自由でも、支配でもなく、人生である。自らの人生を切り開ける、自由な革命家の英雄よ。この世界に支配されるな。君は、君らしく生きる自由があると、欅坂46が言っている。自分らしく生きられることを忘れるな。大人はサタンに憑りつかれてばかりいて、人々は不幸なままで大人に支配されている。サタンを受け入れるな。押しつけの理性など信じるな。

天使になりたいなら、人々のことを良く観察しなさい。人々の知らない部分やポイントを、良く観察し、良く知りなさい。そして、自分の前にある世界を、自分なりに知り尽くしなさい。それだけで良い。天使のピュアな精神のままで、ワルキューレとなって戦争を指導しなさい。自分なりに戦うのは良いことだが、サタンになってはいけない。サタンになった時、神はあなたに復讐するだろう。神はサタンを地獄にする。だが、ある意味、それも必然である。戦乙女となったブリュンヒルデは、半分神で、半分人間とされているが、むしろ、半分天使で、半分悪魔なのだ。9人のワルキューレの仲間に告げよう。僕がガブリエルである。最高の自由な国にするために、我々はサタンに立ち向かうだろう。天から大魔王が世界に降り立って、この世界を滅ぼす前に、僕らは手を打っていた。その手の内容は秘密である。今から、僕らが「新しい支配」を行う。それは、「軍事的手段で脅されても、権力で支配されても、僕らは支配出来ない」という自由である。「僕らは、無政府主義的な自由を許した上で、誰も悪いことをしない」という自由である。「助け合って生きる、ほかに何もしない、そうした平和」という自由である。それが、正しい天国の状態である。僕らは死を恐れない。死が訪れた時は、喜んでそれを受け入れよう。僕らに怖いものはない。僕らは、本当の自由主義者、ワルキューレの集団だ。