新・日記2に戻る | 2018年9月の日記に戻る

=2018-09-02=

過去の成功体験を信じなさい。昔の僕は、さまざまな成功と失敗を繰り返し、その中から成功体験を見出して分かっていた。啓蒙の思想の中で、社会がどのように改革できるのか、あるいは文化や制度から何が「必然的に経験として」生まれるのかを考えていた。そして、学校の環境からの離脱の体験から、いつどのようになればどうなるのか、という環境の真理を知り、考えた。環境がどのように変わるのか、全て分かっていた。そのように、宇宙の全てを知った。

イギリス経験論の哲学者であるロックが言うように、心をまっさらで何もない白紙の状態として、観念や思考のひとつもない存在として想定しなさい。そこから先入観と偏見をなくして考えることで、全ては知性と経験から、この世界の全てをすっきりと理解出来る。それが純粋な「世界観」を生み出し、世界の「成り立ち」の様相を、矛盾なく知ることができる。世界の全てを理性から知ることができる。

心を結び直し、関係を作り直しなさい。精神は、作り直し、使い直し、結び直すことで、きちんと治る。治るために何が必要なのか、本気で考えれば完璧に分かる。

全てを受け入れることが出来た時に、達観は悟りに変わる。逃げないで立ち向かいなさい。精神は逃げていては治らない。逃げないで立ち向かえば、すぐに「精神の勝利」が訪れる。世界を受け入れ、宇宙を受け入れ、自分の心の躍動を受け入れた先に、全員との関係性は結び直すことができる。主体的に考えることを諦めてはならない。主体的になって自らこの世界を変えなさい。人々それぞれが変えられるようにした上で、善と影響力の方法論を自ら作り、この世界全体を支配しなさい。

自分は、ドイツの哲学をやろうと思う。特に、カントとヘーゲルのことをもっと学びたい。僕は、イラストを描いたりすることはできないが、哲学なら出来る。哲学だけはきちんと勉強した。本当は、哲学と歴史について、「理想の学生」のように勉強していた期間が、最近の自分の中で一番巨大な時代だった。もっと哲学を書きたいと思う。哲学なら自分でも出来ると確信している。それは人生の体験と観念の全てを既に知っているからだ。

今日の英語は、Does everyone play soccer in the UK?のような表現に対して、It is really popular, but many poeple play other sports.のような表現を学んだ。

環境の同じ心になって、相手の立場から、その人間の立場になって考えなさい。また、ヒュームのように、「問題とする部分が何であるか」ということを経験的に考えなさい。存在が存在しているか、していないかは問題ではなく、その存在が存在しているように見えているのはどんなことが原因であるか、と考えなさい。

心の作用から、環境の変化を考えなさい。環境と環境が与える作用から、どのような環境と心が生まれるのかを考えなさい。

人間の慣習や人生の成長のことを、経験的に考えなさい。「何がその考え方を環境から与えているのか」を考えることで、「因果性と認識を解明する」ことが出来る。ヒュームはそのように考えただけである。全てのことを経験的に考えることで、「記憶と観念をこの世界が自分に与えている」ということが「人生の過程として」分かることが出来る。そこから、人間の考え方を解明できる。

ヘーゲルの法の哲学のように、「自由に」社会のことを考えなさい。自由は内側から始まって、しだいに自分の外側へと行使・関係し、さまざまな体験や段階(教養や相互承認から倫理性や制度まで)を知ることが出来る。

哲学者として僕が言えるのは、「何から何が生まれるのか(生まれたのか)」を考えれば良いということである。認識や環境がいかにして、どのように生まれたのか、人々の常識や慣習がどのようにして生まれたのか、そして社会がその時代、その世界、その文化となるために、どのような段階があり、いかにしてその時代となったのか、などを考えれば、哲学は出来る。また、歴史だけではなく、心理学についても同じである。その認識、記憶、人格、人間が、どのように生まれたのか、そして生まれるのかを考える。人がそのようになるべくしてなったのはなぜか、自分がそれを何だと捉えているのか、などである。人格や思考がそこに行き着く哲学的な原因は何だろうか?そうしたことを「実際の経験」から考えていくことで、正しい哲学を知ることが出来る。

感受性豊かに生きなさい。哀しみや罪悪感と上手く付き合う術を学びなさい。そして、自分勝手で良いし、下手くそで良いから、何かを生み出しなさい。それが最後まで出来たら、合格である。この学校を卒業である。

神に命を委ねることで、精神病が治る。自分の体の外にある、魂の領域の精神を治しなさい。

環境や連想から、全ての作用と行動を捉えて分かりなさい。思考や感情など、全ての心的現象を「分かった上で行う」ことで分かる。そして、出来れば、そこに「驚き」の要素を足すと良いだろう。いつでも未来がどうなるか分からなくても、今の自分がきちんと上手くいっていること、それだけは分かる。

人間は、どんな人間であっても、その人間から見た世界においては、当然のことをやっている。だから、人を理解するために必要なのは、その人がどんな世界を見て行動しているか、ということである。そこから、環境と環境の関わり合いのようなことが見えてくる。関心事項から、意識の現象学を知ることができる。

もう、僕は足の精神が治った。完璧に治った。次はもうない。あとは、比較すれば分かる。さまざまな比較をすることで、原理を導き出すことができる。昔は、そういう、比較と連想を良く考えて、良く思い出すことで、何がどこから生まれ、その時どうなるかを分かったに過ぎない。