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ハイデガー

ドイツの実存主義哲学者。

ハイデガー

自分の書いたブログ「わたしの名はフレイ」2020/09/07より。

ハイデガーはドイツの実存主義の哲学者。

ナチス・ドイツにコミットしたともいわれるが、その哲学は存在論でありながら一種の唯心論であり、「それが関心されていないなら、それは存在していない」と考える。

こうした関心を「ゾルゲ」と呼ぶ。

人間を「現存在」と呼び、存在の「了承」と「超越」を「時間化」から考える。

まるで戦争の最前線にいるかのような「緊迫した文章」を、自分が「全て分かっている知性と頭脳」から書き記していく。

彼の著作「存在と時間」は20世紀最大の哲学書と呼ばれる。

関心による存在論

ハイデガーは、「それが関心されていないなら、それは存在していない」と考える。

ハイデガーは、存在論をもう一度哲学者が考えるべきだとし、そこではバークリや唯心論の哲学者のように、「意識されているもの、関心されているものだけが存在する」とした。

だから、ハイデガーは、人間を「現存在」とし、全ての存在は人間が意識する中に存在する、逆に関心されないものは存在しない、とする。

ハイデガーはこうした「関心」のことを「ゾルゲ」と呼んだ。関心されるもの(ゾルゲ)だけが存在しており、それ以外のものは存在していない。

ハイデガーの解釈

僕が思うに、ハイデガーは「自分と言う現存在が存在している中で、現存在として存在しているものは、現存在の意識と関心が向いたものだけである」と言いたいのかもしれない。

自分がまず存在している。その上で、本当にその自分の中に存在しているものは、関心があったものだけである。

ただ、これはハイデガーのことを何も分かっていない、僕の個人の解釈と考え方である、と言うことに注意して欲しい。全くそういうことはハイデガーは言っていない。

ハイデガーは、人生の全てを「死へと向かっていく」と言うものであると考える。

可能性

人間とは可能性であり、人生とは可能性の発揮である、ということをハイデガーは言っている。

ハイデガーは、「自己とはその都度発揮される可能性である」と言っている。

存在の了承と超越

ハイデガーは、人間のことを「現存在」と言って、時間化のような「時間」という概念から存在を考える。

そこでは、存在の「了承」と「超越」がある。

ハイデガーはそのように、時間における存在の「存在化・時間化」から、超越論的に現象学を考える。

ハイデガーは超越を「世界内存在」であると述べている。

ハイデガーの作った言葉

(以下はわたしの哲学入門を参考に執筆しました。)

ハイデガーは、さまざまな言葉を作っている。

たとえば、「おのれを時間化する」(ジッヒ・ツァイティゲン)、「時間的作用」(ツァイティグング)、「時間性」(ツァイトリッヒカイト)などといった言葉を作る。

また、1930年代になると、自分自身の作った言葉すら放棄し、「存在了承」とか「存在企投」の代わりに「存在の生起」という言い方をするようになった。

緊迫した文章

ハイデガーは、存在と時間というテーマから、緊迫した全てを分かっているかのような文章を書く。

ハイデガーは、まるで全ての哲学を根本から再度考え直すかのように、新しい存在論を書いた。

ナチとの関係

ハイデガーは、ナチス・ドイツへとコミットした哲学者だが、それは何も悪いことではない。

ナチス・ドイツなども参照のこと。

著作

「存在と時間」、「形而上学入門」、など。