2009年の日記に戻る

=2009-01-17=

2009.1.17

わっはっは。わっはっは。誰も居ないぞ。敵が居ないぞ。ヒットラーも居ないぞ。わっはっは。勝った。この環境はすこぶる最高じゃないか。なぜなら誰もいない。

はっはっはっはっは。2ちゃんねるは面白いな。何故か皆遊んでいる。でも僕より優れた人間ばかりだ。面白いけど勝てない。強いなあ。彼らに勝ちたい。

これも普通だと言う事が分かった。面白いけど日本語は嫌いだ。よく分からないけど。

しかしながら狂ってしまった。これを治したい。でも今思っているこの言葉さえ狂っている。どうにも出来ない。

やはり皆おかしいのだろう。皆の方がおかしい。

なんだかなあ。おかしいなあ。全部おかしいんじゃないか。この社会がおかしく見える。

どうにかしてこの社会を改善したい。

この日本という国を素晴らしい国に変えたい。

もっと良い国は絶対にあるはずだ。

その国を目指すぞ。

でも、それがよく分からない。絶対に住み易い国が良い筈だし、支配は嫌だ。

でも、子供は逆らってはならない。だから僕は親にもそれに大人の作った学校にも通いたくないけど、でも、皆、従順でなければならないとは知っているし、絶対に子供の頃は勉強すべきだと思っている。

やっぱりなあ。子供は、大人にならないといけないんだと思う。

普通に、普通に、普通に、普通に、普通に、普通に、普通に成長しなければならないんだと思う。

だから、結局、僕は勉強する。

でも、迷路作りが好きだ。

よく嘘をつくけど、ポケモンの、金は持っていない。

普通に、皆と同じ物を好き好むけど、ミニ四駆は一番好きだし、1人とは親友になったし、彼と一緒に、友達に、プレゼントを作った。

面白かったなあ。

けど、本当は、サッカー部の人が好きだった。変な同性愛をしていた。変だ。

やっぱり狂っているのだと思うし、フーコーみたいな人間だと思う。

いつも、知の探求をしているし、数学と物理学がなぜかよく好きだ。

そういうわけで、学校の勉強は、いつも面白い。

1人とは、一番の親友になったけど、彼のクラスは、学級崩壊をしていて、自分はそうじゃなかったけど、締め付けられたクラスに入って、適応した。彼は、不登校になってしまった。同じ中学校に入ると約束したのに。

彼とは、その後も、一緒に、ミニ四駆の大会に出た。面白かったなあ。

あとは、習い事や、陸上競技をやっていた。ピアノや英語や習字をやった。結構色々友達が出来て、家に招いてゲームなんかをして、結構二番目ぐらいに友達が多かった。もっと優れた人間に友達を奪われて嫉妬したりしていた。

女友達には、迷路を見せたりして、面白がっていた。ズッコケ三人組の小説を全部読んで何故か女に尊敬されていた。

あとは、少し遅れてポケモンをしていた。面白かったなあ。面白い思い出でいっぱいだ。けど、別れる友人が物凄く多くて嫌だった。離別の悲しみばかりで嫌だった。遠くに引っ越す予定の友達とはポケモンのトランプをして遊んでいつかポケモンを買おうと約束したのに別れてしまったし、それに何人かとはモンスターファームで遊んでいたのに。

中学校に上がると、悲惨なクラスに入れられて、嫌だった。友達を作れなくなって、嫌だった。結局ネットゲームに走って・・・

学校では、勉強を沢山沢山沢山沢山沢山沢山沢山やっていた。

皆を取り仕切って生徒会長みたいな事をやっていた。小学校の頃から締め付けられたクラスでは凄い事をやっていた。ドイツ語のようにノートに図でドイツ語のように「に」や「を」を分けて、何々が何々に何々する、という事を書いていた。

とにかく、ノートに沢山書いた。

それで、世界地図と、首都を、全部、覚えた。

後は、虫食いで、覚えまくって、数学だけは何にもしなくても90点か100点を取れた。他の教科では全部90点か100点を記憶力だけで取っていた。技術家庭科が一番好きだった。親友と一緒に頑張って座椅子を作っていた。しかしながらその親友には酷い仕打ちをしてしまった。悪かったと思っている。

しかしながらもう全部が嫌になった。とにかく剣道部の連中は全員駄目だ。あそこに入ったのは親友の1人の変な誘いだった。

そういうわけで、僕は、不登校になった。

しかしながら、誰も居ない環境に僕は慣れていき、そして、目標だった、ネットゲームを作ると言う事を目的にして、2ちゃんねるを見ながら、情報を探していた。

かなり頑張ったが、1年目は大きく沢山の成長を経験した。素晴らしい普通の体験だった。自由に目覚めた。孤独は慣れていた。

孤独になって、むしろ、僕をいじめていたいじめっ子を愛するようになった。僕も子供の頃人を何人かいじめていたし、親友ともいじめごっこをしていた。いじめっ子の気持ちはよく分かる。

いじめられっこを否定するが、しかしながら、彼らを救出したかった。

最高の教育環境を作ろうとして、彼らで一緒になって自由で団結できてしかも楽しくて面白い教育環境や教材やそもそも教科書を作ろうと思っていた。

しかしながら社会そのものに興味を持った。同時に自分の人生に絶望したが達観してプログラマーになろうと決意した。この環境にはコンピュータしかなかった。

嫌いな人間も達観して優しく振舞った。

要は、皆嫌いなのに好きになった。

一人一人相手を理解しようとした。OpenJaneと言う2ちゃんねるブラウザの開発者の1人になって、OpenJane Memoという、Live2chのようなJaneを作った。

後は、2ちゃんねるブラウザの比較表の管理者にもなった。スクリーンショットを掲載した。

それで、15歳の頃は終わった。

16歳の頃は普通だった。

17歳の頃はLinuxを頑張っていて、でも、野球にも興味を持って、松井秀喜を罵倒してしまったのを後悔している。イチローが好きだっただけだ。

それでも右翼は嫌いだった。だから、左翼を応援する変な右翼だった。その後はその右翼を愛そうとしてナチスと戦った。要はテレビ局を叩こうとしたけどちょうどいいからヘブライの館のヒトラーの預言の文章を取ってきて、とにかく、頑張った。

一人一人を、最終的には解放することを前提に、極小に最後の1文だけ最初と同じにすると言う方法で支配して、後は、全世界の全てを説明しようとして、ネットに、書きまくった。

しかしながら、自分を否定して、否定して、否定して、世界を、最高の愛の状態に自分がしたと思い込んで居たけど、それをした自分を支配者だと否定して、とにかく、自分を殺すと書いて、脳を壊し始め、文章の通りに動きざわめき、昔の記憶を書くだけになって、支配と思った自由(それも、支配を自由だと思い込んでいたんだけど)を否定したため、予測能力、記憶をきちんと司る能力、相手の事を考える能力、を失った。

そもそも、そこまであの素晴らしい最高の状態を否定していなくて、昔から自分の客観視だけが出来なくて、ネットを壊したときも、相手から見た自分が分からなくて、そればっかりのために、自分の昔の状態に自分を持って行こうとした。それだけになってしまったけど、社会は僕の文章でどんどん変わるように見えた。TV局は自分を攻撃しているように見えたし、本当に攻撃していたのかは定かでは無いけど、彼らも攻撃しながら愛するようになった。

まぁ、しかし、全部の思考を公開するという僕の理想は無茶すぎた。文章そのままの思考以外の一切を考えなくなったから、高度な全ての考え方を忘れきったし、まぁ、そんな感じだった。

でも、もうどうでも良い。地獄は2年以上続いた。僕はおかしかったけど、結構立ってからおかしさを治そうとしまくったし、TV局も全部許して、好きなようにしていいと思った。でも、責任感が強すぎて、悪い社会になって欲しくなかったから、全部の(出来る限り全部の)開放はしたかった。

とにかく、16歳の頃はすさまじく賢かったのに、おかしな変な不登校の高校に通ってからおかしくなってしまい、記憶を遡れなくなってしまった。なぜなら自分の肩書きが高校生に変わったから、何にもかんにも考え方がおかしくなった。しかしながらあの頃もそこまでまともじゃ無い。やはり、そこまでではない。やはりUNIXとオープンソースの、それも、LinuxとGNUとGPL等と何故かNetBSDだけで賢くなった。そして、Gentoo LinuxとLFSとDebianと他のディストリビューションとの違い、それもプログラミング(ソースコードの内容)とその構造で賢くなった人間だった。

ブログをよく読んでいて、自分は最高のLinux派のオープンソース派の人間だと、梅田望夫氏のブログ(CNET時代)を読んでも、何を読んでも、Microsoft派のCNETでも、Linux派のjapan.linux.comでも、何を読んでもそう感じていたほど能力があった。

しかしながら、ネットスケープやUNIXまたはMulticsのページを読んで思ったのは、とにかくオープンソースが面白そうで、エリック・レイモンドとか、「ハッカーになろう」とか、ポール・グレアムとかに騙されていた。

なんつーか、よく騙されていたなあ。

よく考えて見ると、絶対オープンソースとかに騙されている。

でも、フリーソフトウェアの思想は正しいと思ってる。GNUのGPLやGNU宣言や、自分で書いたGPLの宣伝文章や、何か、RMSのスピーチとか、多分UNIXか何かの、Multicsかなんかだったよなあ。あのページを見て、とにかく彼の感情に共鳴した。

とにかく、独身男性板の皆の感情に一番共鳴していた。ふたばちゃんねるというエロサイトなどは、変な物だが詳しかった。

スラッシュドットと言うサイトに結構行っていて、Mona OSとかLinuxとかの記事を宣伝していた。

しかしながら、社会には適応していたし、とにかく、本を読む努力はしていた。沢山本は買ったけど、結局は暗号化の本ぐらいしかつまらなかった。

しかしながら、本屋には沢山出入りしていた。

沢山の事を沢山考えていたなあ。

思考の方法を物凄く考えていた。ああしたらこうなるを一番考えていた。何でも良く分かった。誰かがああしたからこうなったを二番目に考えていた。それから自分がこう思うのはこうだからだを三番目に考えていた。それだけだ。

あとはとことんとことんとことんとことん社会の事に詳しくなっていった。経営やオープンソース的なインフラの発展などを考えていたし、普通に、結構、賢くて、経営者とかになれたと思うけど、今考えて見れば彼らは時間が必要なだけで一番低度な仕事だと思うなあ。

今なら普通のプログラミングをずっとよく楽しめる。けど、昔は、賢くて頭が良くて知能指数が高くて知性があったからただのチュートリアルなど面白くなかった。代わりにリファレンスマニュアルやinfoドキュメントをよく読んでいた。でも、それだけでは一向に難しいカーネルやPortageなどのプログラミングは出来なかった。本当は言語に興味があって、プログラミング言語ばかりで悩んで、Linuxを選んだ裏の本当の理由は沢山の言語が使えてWebサーバーにも出来るという開発的な理由だったのだけど、結局、フォントやGNOMEやKDEに慣れる事も出来なかったし、パソコンも遅かったから、普通にWindowsばかり使って、Windowsの最低な全く標準化されていないOfficeなんかの部分ばかり考えていた。

あとは、インターネットで、絶望の世界や他の2ちゃんねるの電車男や切込隊長のBlog小説なんかをひたすら読んで沢山の面白い社会の理解の積み重ねをしまくって、変に賢いつもりで居た。しかしながらそれで自由な社会を目指ししかも感情から世界が成り立ち、そして社会はひとつひとつの国家ごとに民族的な意識が成り立つのでは無いかと思っていた。

そのごろから社会を変えたかった。あるいは別の国に行きたくて、別の社会をもう一度同じように完璧に理解したくて、別の国に行きたかったけど僕が体験した言語的な変な経験と比べて見る。あの頃の理想は高かったけど、日本以外は皆似たような悪くて言語的にロボットな環境だと思いこんでいる。それも間違いのような気がする。

あとは、抽象化を沢山して、それで、沢山のヘブライ語的な言語の中の言語を作って、日本語を改良したくてたまらなかった。それが一番やりたい事だった。それを自由だと思った。

そして、メタ思考。そして、経験を積めば感情は正しくなると知った。オープンソース的に自分を激変させていたけど、あれも正しくない。

まずは、全ては、ものだ。空間は、時間を複合する。

すべては、誰かが、した事だ。

すべては、適応で、僕は、適応が自由だと勘違いしたけどこれは支配だった。

すべては、構造で、すべては、ボトムアップとトップダウンで僕はボトムアップが自由で好きだった。全部自由のために書いたのだけど、自由を今はおかしい事に先ほどまではたった少しだけヒトラーと同じように否定して、国家主義のような文章になっているけど、国家主義は否定していたけど、今も同じだけど、でも、全部受け入れたけど、しかしながら昔のほうが認めていたのは活動してなくて、権力者のようじゃなかったからだけど、結局はあの方が幻想が少なくて良いかもしれないとも思ってはいる。ただ、幻想の素晴らしさに魅了されていて、幻想とは分かっていても人に幻想を与えたくて、影響力を一番行使していた。皆に素晴らしい幻想を与えるため、言葉遣いが上手く上手く上手く上手く上手くとつてもなく素晴らしい上手さになって、文章の言葉遣いの達人になっていた。結局は、皆に発見をして欲しかった。文章術でどんどん皆を賢くさせていった。

それを場と目線という名前をつけた。みんなに目線を与えた。

とにかくネットでもっと素晴らしい破壊でない僕にも出来る創造活動をしたくてでも英語が分からなくて、そもそも英語の勉強のために作ったサイトはどんどん変な目的に使われていた。

とにかく日本語を考える。ひらがなが素晴らしい。でも、である、だが、しかし、であるが、であっても、であるがしかし、まあ、なんつうか、変だなあ。これでは、今使っている変な日本語だけだ。昔は物凄く物凄く物凄く覚せい剤的な状態で(今は狂っていて脳がおかしい)、文章を読んでいたから、昔は、賢かった。沢山の日本語表現を使っていた。知っていた。分かっていた。まともに使えていた。

そのひらがな全てを知り尽くしていて、物凄くとてつもなく最高に哲学者のように言語を知り尽くして居たと思う。本など自分のピアノで培った感情やインターネットで培った感情と体験と記憶と賢さで、何でも理解できていた。難しい物理学の本でも理解出来て居たし、後は数式だけ覚えるだけだったし、語学のフランス語という最も難しい言語でもすぐに理解できたし、その後も一つ一つのビデオや文章を読むだけでこれは自分には出来そうだと思って居たし、少ないけど少しの本質か構造らしき物は理解出来ていた。

そして、歴史の事ばかり素晴らしく考えていた事は分かっているけど、ユーラシア大陸連盟とか考えて居た事は分かっているけど、でも、全く思い出せない。

しかしながら地獄の底の環境でも体験は素晴らしいと思っては居る。

まぁ要は、変化が素晴らしいと思っただけで、環境の変化や自分の変化・改善が素晴らしいと思った。で、自分の目線を相手の目になる事で、要は相手が持っているコンピュータのディスプレイを想像する事で(皆やってると思ったけどやってないの?)どんどん人を理解しまくった。とにかく努力しまくった。で、情報をどんどん探って賢くなっていった。SF小説ぐらい書いているし、変な手の鉄のアートぐらい作っている。美術絵画ぐらい沢山書いている。ピアノはショパンもベートーベンもかなり弾けている。まぁ嘘だが。結局は嘘ばっかり。

変化しまくりだ。皆も変化すれば?何かつまらなくなった。沢山の抽象化を書いて面白がらせるつもりで居たけど、まぁ、本当は、昔は物凄く思慮深くて慈悲深い今よりずっと神様みたいな18歳だったよ。想像力を高めてみんなやる事全て美しくて素晴らしいと思っていた。

大使館にたくさんのハガキを贈ったときがある。ノルウェーやスウェーデン、ドイツや何故かフランスだけ変でおかしくてつまらないうざったい民族主義の雑誌だったけど他は超面白い最高のテキストを送ってくれた。今でも感謝してる。最高だ。

しかしながら最近ロシアとアメリカに送ったところ全く返事が無い。つまらない国。

そもそもドイツとロシアを馬鹿にしすぎた。あれらの国は本当に素晴らしい。高度で進歩してる国だ。しかしながら誰かロシアを救ってやれ。

私は神にふさわしい人間になったようだ。