僕は、抑圧を否定し、自発的な助け合いと思いやりの精神で、自由なまま幸福な良い状態を保つ思想家だったけど、それは出来ない。
ならば、共産主義で良い。
僕は、皇帝を自分で選びたい民主主義者だったし、国の独立性を保ったまま世界を統合したいEU派だったけど、それはソ連がやっている。
国の経済は、自由主義は資本家が契約と金で自由に労働者を支配できるだけで、労働者の事を考えれば、平等に賃金が与えられる共産主義の方が正しい。
プロレタリア独裁は、資本家や一部の民主主義的多数派、特定の支持層に偏る民主主義と比べて、全く正しい。
人間は国家の物ではない。
人民の政府とし、人民の会社とし、人民の国家とし、全ての国家を人民の手によって統合せよ!
万国の人民によって、人民を真に人間とせよ。
発展のためには、馬鹿な批判を無数に受け入れる必要がある。不幸にはなるが、発展するだろう。しかし、そんな発展は無意味だ。
権力者に従うべきだ。
僕は不可知論者だ。
言語には、○○すると、○○となる、という表現が、まず必要である。
格は、に、と、を、が必要である。
文字は、漢字を使う。
病気は、迷わず、確定していく事。するか、しないか、の時に、全部したり、全部しないのを止める事。変なこだわりを捨て、守ろうとせず、可能性を捨て、自由になる事。認識を自分の記憶や論理の中だけで閉じず、自分の思い以外のものをありのままに取り入れる事。学習する事。それは、もう既に分かった事、という感覚を捨て、もう一度分かりなおす事。拒絶せず、受け入れる事。世界中の全て、歴史上の全てを、拒絶するのを止めて、受け入れて、融和して、自分のものにする事。
人間関係を築くには、まず、積極的なアプローチをし、相手を知り、自分を伝え、誰とでも平等に接し、気軽に受け答えする事。成功するためには、よく考え、努力する事。
後は、男と女の大人の関係があるだけだ。
大いに狂うと良い。何でも行動できる。何でも肯定できる。この世は暴力と狂った性癖で溢れている。大いに犯し合うと良い。最後まで狂え!
僕は、個人としてはカトリック教徒だ。僕は、共産主義を認めるカトリック教徒となった。
僕は、恥を忘れて言えば、エロいものが好きだ。僕は20歳だ。
僕は、歴史と数学が好きだ。
僕は、最近聖書が面白い。
僕は、結構ローマ帝国が好きだ。ギリシャは、すべて未熟に見える。カントとヘーゲル(多少未熟だが)が一番好きだ。他の著名人としては、デカルト、ユング、ゲーテ、キリストが好きだ。
共産主義者は、スターリンとナチスを認めなければならない。
共産主義者は、孤独と戦いを受け入れなければならない。
共産主義者は、全ての批判を受け入れなければならない。
共産主義者は、低く、抑圧され、社会の底辺で暮らしている、全ての人、文化、狂い、そして異常と病気を受け入れなければならない。
病気は、そうして完治する。
僕はもう、争いあうのを楽しんでいる。それが面白い。
頭の中から過去の人間を排除すれば良い。
なぜ不安になるのか。なぜ未来を怖がるのか。人々は何も変わっていない。社会組織は何も変わっていない。
変わる可能性があるではないか。
変わらなければ、停滞し、堕ちていくだけだ。
自由を好み、多数派の政治から、少しずつ全員のためになる、少数派をカバーする政治へ。
しかし、多数派は強い。
能力をつけよ!
まずは、感情的になるのを肯定する事からだ。
感情ほど素晴らしいものはない。全員の感情を理解せよ。相手と同じ事をし、自分ならどうするか、どういう風にしてもらえば楽しいかを考えろ。
感情を理解することは、自分のこれまで行いを反省することだ。相手を理解しろ。自分を変えていき、相手と同じになり、同じ立場、同じ視点に立ち、どうしてこうなっているのか、どうしてこうなったのかを考えろ。
自分のせいではない。あなたの、あなたがたのせいではない。他人のせいではない。王や、革命、権力者のせいではない。
人のせいにするな。組織を理解し、環境を理解し、人々の現状をきちんと理解しろ。
頼るべき時には人に頼れ。自分でできない事をやるべきではない。できないことは、止め、どうしようもできないことは、中断し、また、できることからやり直していけばいい。
怖い事は、怖いと認め、終われ。
他人と同じ立場になることを認めろ。相手の側に立つ事を認めろ。過去の自分と違う自分になることを認めろ。自分の過去を否定しろ。
少しずつ、怖い事を認めていけばいい。少しずつ、なりたいように、マイペースで、自分の使えるすべての時間、持っている全てのものを最大限に活用して、自由に、自在に、そして好きな自分になっていけば良い。
過去は、いずれ忘れれば良いさ。皆、いずれ忘れるさ。
いずれ、自然に、歴史は塗り替えられていく。
自分の好きなように、世界を変えていけば良い。少しずつ、自分の出来ることから始めていけば良い。遠回りでも、素晴らしい人生と、記憶という名の体験が手に入る。
周りを見ろ。何があるか知れ。
もう終わった。好きにしていいだろうと、僕は思う。
それなら、偉大な事をしたい。
私は、ピアノが好きだ。
ピアノ曲を聞いている。
フランスが好きだ。
ドイツ、ロシア、日本、アメリカの順で好きだ。
フランスは特別扱いだ。
ドイツ語は、der, des, dem, denが素晴らしいと思う。
ロシア語は、エレガントな文法が素晴らしいと思う。
日本語は、無数の助詞が素晴らしいと思う。
英語は、僕は単純で覚えやすく、何にでも使える応用力が好きだ。
フランス語は、たくさんの、文法のような、言い回しのような、考えに富む発展があって大好きだ。
そういう理由で、僕は言語が好きだ。
次に好きなものは、物理現象と、プログラミング言語だ。
システムは嫌いだ。
しかし、改善したい。
僕は、広島に住んでいる。
クラシックとFLOWが好きだ。
結構、僕は、何でも好きな方だ。
弱いものが好きで、強いものになりたい。
賢くなりたいが、正しすぎるものは、自分の発展を阻害するから嫌いだ。
クラシックは、ショパン、ベートーベン、バッハ、ホルスト、チャイコフスキー、モーツアルトの順で好きだ。
ピアノが好きで、フルートとバイオリン、ギターが好きだ。
結構マンガとかのイラストが好きだ。
最近は、普通の、かわいいイラスト、面白いストーリーが無くなって、異常なものが増えた。
そこらへんは、変な影響を受けるから嫌いだ。
ゲームが大好きだった。インターネットに走ったのがよろしくない。
さて。何かやるかなー。
こんにちは。さようなら。それじゃ。
結構、インターネットでは、争い合いを楽しみ、煽り合いを楽しんでいた。
あまり意味は無く、無駄な時間が過ぎた。
OpenJaneぐらいを作っていた。
Delphiのようなソフトが好きだ。
まぁ、無料は好きだ。
Linuxは好きだった。
今、SuSEを使っている。amaroKでピアノを聴いていた。
やることを失った。
結構知識が欲しい。まともな知識が欲しいが、考える力がない。
アルミニウムって何だっけ?
因数分解って何て名前?
というレベルだ。
なんつーか、僕の部屋には、参考書と大学のビデオぐらいしかない。コンピュータとテレビ、ビデオデッキは一応ある。まぁ普通だ。
適当にスイスは嫌いだ。
特にやることがない。
インターネットは異常だ。変な二次元の世界で、レイプ画像を楽しんでいる。狂っていると言える。
まぁ、適当に、そういう人間達は狂っていれば良いし、大いに、本当に、男と女で(というか、女(男)と知り合って)犯し合えば良いと思う。
そういう目で見ている。
テレビも、異常な人間達が、異常なCMを流している。世界は異常だ。
僕も、脳内が異常だ。
まぁ、それは放っておけば治る、ただの学習の作用に過ぎない。頭の中で、精神現象学を試しすぎたに過ぎない。きちんと学習し直せば治るから、特に、何もしていない。
そして、amaroKで音楽を聴いていると、何もすることは無い。
そうすると、疲れるし、忙しいが、退屈で、暇だ。
社会は、もう知り尽くしている。思想から実際の人物の発言まで、人生の全ての期間を使って、国際的に、知り尽くした。
技術も疲れた。Linuxは疲れる。
しかし、一番満足したのは、翻訳とマニュアルの作成だ。そういうわけで、言語学が一番好きだ。
数学と物理学を知らない。しかし、数学の美しさは、論理学で理解できる。分数が分かれば、関数も分かるし、記号も分かる。まぁ、幾何学が好きだ。
そういうわけで、物理学だけを知らないが、知る気も薄れた。疲れた。
休みたい。
僕は頭が疲れて、身体が暇だ。
考える力が無いから、考えない。
結構書くのが面白いが、何も考えていない。
昔は、考える力があった。余裕と、自分のペースがあったからだ。
そういう社会になれば良いなと思っている。
僕は、いつも、自由にされていれば、自発的に進歩を始めるようになっているから、特に、自由が好きだ。
何も嫌いではない。
特に何も嫌いではない。迫害だけが嫌いだ。
孤独を好む。
そういうわけで、ユダヤ人と同じだ。
そろそろ治ってきた。
特に何も嫌いでは無いことが分かった。
嫌いなふりをしすぎた。
昔から、好きになりすぎて、自分から嫌いになっている。
嫌いになったあとで、それを戻せない。
今は戻った。
何も、本当は嫌いではないからだ。
そうすると、競争相手である、Microsoftすら、僕は、むしろ一番好きだ。
きちんと、一番動くものを売っている。
支配という点から嫌いだったが、支配が嫌いになって、支配なら何でも嫌いになって、ユダヤ人とヒトラーが嫌いになった。
適当に共産主義活動をやったが、共産主義も嫌いだった。適当にアメリカも好きだと言った。
そういうわけで、まぁ、昔は、自由が好きだったから、平等を嫌いになったから、共産主義は、昔から嫌いだったが、その前は、遥に共産主義者だ。
皆と平等に接し、遊び、大会を開くのが好きな、友好的な子供だった。
中学校では、変わった。クラスメイトを厳しく統制するようになった。
嫌われている。その自分が嫌いだったが、勉強ができていた。しかし、友達が居なくなり、何もやる事が無くなった。
その後、また変わった。過去の自分が猛烈に嫌いになり、ファシズムをやっている掲示板が好きになった。
しかし、いつでも、何でも否定していた。
人の生きる場面を想像し、社会と技術を知り、数学的な絵を描き、ピアノを独学で習得し、議論してエロ画像を見ていた。
しかし、孤独で、寂しい人間だった。
人々の全てを受容するようになり、人々を受け入れるようになった。
しかし、テレビ局のような支配者が嫌いになり、戦うようになった。
記憶を追想する思考を書くようになった。考えの全てを記録し、記憶と想像力の全てを理論化した。
低レベルな記憶と理論が残った。
社会主義者になった。
支配とシステムが好きになり、物事の仕組みを知り尽くし、考え方を知り尽くした。
何もかも思うように行ったが、どんどん自分の仕掛けた罠にはまっていき、変われなくなった。
自分で変えられる状況を保っておかなければ、自分の対処できない、取り返しのつかない事態になると思って、いつでも不安と恐怖を感じ、最大限の前頭葉を発揮していた。
何故か、作詞ができるようになった。
後は、ロシア人になった。ドイツ人とフランス人を交互に行き来した。しかし、生活のことは何もできず、恐怖から、いつも歩き回っていた。
怖かった。世界は、読者であるはずのテレビ局を通じて、自分に支配されているように見えた。自分を苛めて、他人を道連れにして、自分の頭は制御不能になって、世界はめちゃくちゃになって、自分は、何一つ、どうしようもできなくなっていた。
気づいたことは、支配への反抗と、支配を、同時にやめれば良いということ。そうすれば、世界は変わって、僕は自由になる。でも、世界が変わることは、一番の恐怖のはず。
それを乗り越え、常に発揮している勇気を別の視点で使えば、治りそうだ。
戦いで強くなり、元の賢く能力のある孤独な青少年が嫌いになった。しかし、僕は、何も記憶しない2年半を過ごしたせいで、何も分からない。
たまに社会主義者になったり、自由主義者になったり、共産主義者になったり、王になったり、聖職者になったり、科学者になったり、哲学者になったりする。
想像力をつけて、想像力が無くなっただけだ。
想像力と意識が好きだった。
最近は、理性と治療が好きだ。
いつも、わけが分からなくなる。戦いになることが怖い。
いつでも、自分から好きなものを壊してしまう。築いたものが、記憶の中だけになってしまう。
敵対関係だけが残る。
女なのか男なのか分からない。
すべて、嫌いで好きだ。
昔は、好きだが嫌いだ。
ありえない。ありえないが好きになった。
方向性が分からない。
疲れた。
止めたい。
分からない。
努力しているつもりで、努力していない。
そろそろ努力すべきだ。
それで治る。
何もかも、認知することで、脳は治るように戻った。
恐怖は無いと認知した。
後は、頭が昔に戻るがONになるだけだ。
これで終わった。僕は完治した。
何もかもやるのを止めて、脳を昔に戻し続ければ良い。
繋がっていたのは、変な人間達ではなくて、普通の人間達だったと思えば良い。
他には誰もいない。
愛のあるセックスを肯定すれば良い。
何もかも愛に浸って、全て治っていく。
世界を良い人間達と悪い人間達に分けるのは悪い事だ。
皆、普通の人間達だ。
幼稚だ。
特に不安も無くなり、病気も無くなった。
普通に暮らしていた、普通の人生を思い出す。
暑いときには、クーラーを掛けて、勉強していた。
意味も無いのに、猛勉強して、意味もないのに、高得点を取っていた。
全てが無意味に思えた。
遥に意味のない期間を過ごした。
何も残らなかった。
さらに遥に意味の無い争いと病気を作った。
何もかも消え去った。
普通に、今の体制が良いと思う。
少しずつ、出来ることから改善していけば良いと思う。
異常なものも、受け入れて、共存していけば良いと思う。
民主主義が成り立っていて、共産主義が失敗したのに、共産主義になるのはおかしい。
遥に、意味の無い本を買った。
バカな行動をした。
賢く見せようとしたのが一番の間違いだ。本当は幼稚だ。
たくさんのことを分かろうとして、無意味な低レベルなことが沢山分かった。
それでも、昔の、一つのことを追求しようとして、全部が次第に分かって行った体験があったから、少しずつ、積み重ねる事で、分かっては行った。
昔は、努力し、覚え、適度に、余裕を持って、マイペースで、やり、表現し、理解していたから、想像力がつき、少しずつ増えて行った。
それが、その後は、どんどん減って行った。
治すためには、深層心理の進歩さえ必要だった。
昔は、バカを理解した。だから賢くなった。
そういう人間と一緒になって、女としては犯されたくなかったから、嫌いになった。
そういう人間は居ない。
しかし、僕は男だ。
よく分からないが、いつも女の立場に立っている。しかし、独身男性以外を排除する掲示板が好きだった。
女は嫌いだ。
しかし、オタクを見ると、犯されたくない。
そんな人間は、居ない。
後は、意識を消していけば良い。
意識は、増えすぎているが、低レベルな意識だ。
顔は、女っぽくなっていた。身体は男だが、ふるまいが女のようだ。
感情も、性癖も、何もかも女だ。
まぁ、僕はこれでも男だ。
エロ画像は好きだ。
後は、SUSEとGentooが好きだ。
後は、FirefoxとKDEが好きだ。
後は、Linuxカーネルが好きだ。
後は、GNUとGPLが好きだ。
後は、BASH、Emacs、TeX、Wikiが好きだ。
知識なら、何でも好きだった。
想像力と思考の集大成を作り、社会学の体系を頭の中で作り上げていた。
後は、経済学的なたくさんの小さな基礎的な理論を網羅していた。
心理学者をいつもやっていた。
歴史が好きで、人物学が好きだった。
後は、言語が好きになった。
自分の使っている言語環境が、日本語なのに、ドイツ語とロシア語、フランス語になった。
後は、いつも気持ち悪くて、吐き気がしていた。
何も食べられなくなっていた。
何故か治ってきている。
アリストテレスやソクラテス、プラトンが好きだった。
本質が好きだった。
後は、とにかく勉強が好きだ。
物理学と数学しか残っていない状況になって、今もそれしか残っていない。
体系は何一つ学んでいないし、仕事も出来ないから、何も出来ない。
最近は、よく音楽を聴いている。amaroKが好きだ。
視点と特性がある。同一性と性質がある。具体例と仕組みがある。
社会主義:
給食を配給する。
コンピュータ、音楽アルバム、サッカーボールを支給する。
競争が無く、自由に選択できる、定額のノルマで、公社で働く。
公社を作る事を支援し、1億円、1000万円、100万円の資本を、適当に与える。
後は、映画を作るなら、歴史を先に決め、登場人物と、面白い場面を作る。漫画でも、小説でも同じだ。
音楽を作るなら、作曲であれば、メロディを作りだし、リズムと指使いで、感情と情景を伝える。
作詞は、全員が読む事を想定して、何らかのメソッドを使って、自分の思いと他人の思いそうな事、それに対する反応を執筆する。
仕事は、議論のため、発言では言いづらい意見を、紙にコピーして配る。
絵を描くのであれば、ピカソのように2重、3重構造の表現をすると、普通ありえない状況を表現出来て良いだろう。
科学者ならば、きちんと試すこと。変化させ、新しい事を試し、さらに変化させる事。経営者でも同じだ。
インフラ整備なら、ただやるだけだ。資格を持った労働者なら、常に勉強することだ。
以上。
こうしてやらされるのは、自分でやっていないから、全く何も意味が無い。
自分で考えて、自分で分かるべきだ。
僕は、頭を良くしようとしているのが間違いだ。
僕は、作文ばかりして、相手の望みそうな事、嫌がりそうな事、変化しそうな事、一つに定まりそうな正しい事を書こうとしているから、変な頭の良さがついた。
きちんと読んで、考えて、感じて、自分なりの世界観を持って、行動して、体験して、試して、変化させて、沢山の可能性を得て、その上で自由自在になり、本質を理解し、自分を変え、相手にきちんと受け入れられるように努力すると、きちんとした正しい人間になれる。
どちらも必要だ。
子供は、大人にしたがうべきだ。それも正しい。
きちんとした正しい大人になれば、習得でき、体験でき、より体験でき、より発見でき、文章を読め、想像力が付き、感情表現が出来、何でも出来る。それだけで良いと思う。
分かっていると思って、終わるのが悪い。納得して、終わってしまうのが一番悪い。それらだけが悪い。
環境を予想すれば良い。
本当は、やっている事を変えれば良い。
今、amaroKでオペラを聴いているが、自分が高まるように感じる。
全てが怖くなくなった。それと、意識が戻っている。そのせいか、不安がある。
文章に書いて、自分の頭をそれによって動かすより、それとは違って、自分の今生きている環境を、変え、いや、それとも違って、動かす、というか、それによって、それに応じて、自分を動かす方が、全く良いように感じる。
例えば、私の今すぐそこにあるピアノを弾いて、むしろ、習得して、いや、そこまでしなくても、ただ感じるだけでも、私は、動こうと思えば、むしろ思わなくて動くのが一番良い、そうは分かっているが、動けるのである。
動けば、変わるだろう。大学のビデオを見るのが、一番良いように思う。
このように、きちんと、考えて考えれば、何故か、昔を思い出す。
本を買ったなら、その本を読むべきだ。
速くは考えられない。ゆっくりと考えるべきだ。
中国語は速く考えそうだ。フランス語もダメそうだ。英語も一番ダメだ。ドイツ語にした方が良い。
いや、こうした、自分の変化における、バカな、意味の無い言語的な(人種的な)レッテル貼りをやるのは、むしろ、好きになるのは一番悪いことだ。
フランスは、本音で言えば嫌いだ。
これをやるのはダメ人間だが、他が思い浮かばない。
どうすれば良いのか分からない。
フランスは、フランス人が居る国だと、現状では思っている。
人口は、調べたが、それには、あまり意味が無いと思う。
何に意味があるのか分からない。
違う国など知ったところで、何の意味も無いのではないか。
実際に行ってみてみれば分かるだろう。
分からないものを、レッテル貼りして、分かったつもりになるのは悪い。
実際に行ってみてみるべきだ。
行ってみた人間の言うことを参考にして、行く国を参考にすべきだろう。
ならば、僕はドイツかロシアだ。
マルクス、ヘーゲル、カント、ゲーテ、デカルト、レーニン、スターリン、ぐらいは、結構知っている。
あまり意味は無い。偉人には意味は無い。
むしろ、国民性を考えているのが異常だ。
文化が重要だとされているが。
GDPが重要かもしれない。
何も分からずにツアーに行ったところで、ホテルと料理ぐらいが分かるに過ぎない。
国家にとって重要なものとは何だろう。
労働環境だ。
教育環境と子供も分かりたい。
それなら、ロシア、ドイツの順だ。
ロシアに行きたい。
歴史も知りたいが。
それなら、その2つの国が悪い。
アメリカ、フランスだ。
あるいは、カナダ、オーストラリア。イタリア、ギリシャ、むしろ、EUの方が良いかもしれない。
北欧には憧れる。本当はそこまで良い国ではないと、写真で思っている。
むしろ、自分の国を知り尽くした方が良い。
インターネットは悪いが。
それでは、人に頼るしか、自分の国を知る方法は無いのではないかと思ったが、いや、それはありえない。
きちんと旅行に行けば良い。
電車に乗って、沢山の地方に、広島なら、広島城、駅前、市民球場、紙屋町、宮島、原爆ドーム、平和公園へ行けば良い。
あとは、アストラムラインに乗れば、田舎にも行ける。
あとは、車に乗れば、きちんと行ける。しかし、外国では出来ないだろう。
外国でも、電車に乗れば良い。シベリア鉄道が一番良いと思う。しかし、ヨーロッパにも、EU的な線路が走っている。
しかし、それは一番危険で、書いてあるドイツ語やロシア語が分からないし、受け答えも出来ない(こちらが単純な言葉を本で見て話しても、相手の言っている言葉が分からなければ、どうしようもない)なら、どうしようもない。アジア人ならば、危険もある。犯罪にあっても、警察の場所さえ分からない。
それでは、ダメだ。英語も通じないだろう。民衆が英語が話せる訳が無い。
しかし、ツアーなど意味が無い。
ダメだ。ドイツ語が分からないと、ドイツには行けないと思う。フランスも、ロシアもありえない。
なぜ、EUの中で、ドイツ人やフランス人達は、勇気を持って行き来できるのだろう。彼らは偉大だ。
その上で、働いている。みんな国際的で、英語が出来るのだろう。
アメリカより遥に賢くて、素晴らしい国だ。
僕は、歴史的には、ロシアが、沢山の事に挑戦して、やり終えているから、ドイツほど全員の理性を大切にしてはいないが(ナチス時代はダメに洗脳されているが)、好きだった。しかし、あれは、ただのスターリンのロボット王国だ。自分で良く分かる。しかし、そこまで悪くはないとは思える。しかしダメだ。
しかし、ゴルバチョフも悪く思える。国を破滅させた張本人だと、日本人の、ロシアに長く行った人間の本に書いてあった。
プーチンは最悪だ。
ドイツが一番素晴らしい。
そういうわけで、僕はドイツ語をするしかないようだ。
もうやった。
単語が分からない。
ドイツで覚えようと期待を持っていたのは、ありえないほどバカだ。
僕はKDEを知っている。
これは、ドイツ人が作った物だ。
そういうものを知るべきだ。
ドイツ人が作り、ドイツ人が使い、あと何だっけ
考え、思いついたもの、築いたもの、したこと、作った映画、
作られた体系
カント、ヘーゲル、マルクス、あたりを読んで、行くべきだろう
ドイツの料理ぐらい知ってから行きたいけど、行ってから本場の味を知った方が良いように思う
なぜなら、中華料理は、むしろ日本の方が美味い
つまらない
日本人は損をしすぎている。バカなところが良すぎる
やはり体系の方が良い
サッカーが良いのではないか。ヨーロッパが良く分かる
日本ならば野球だ。
むしろ、サッカーをした方が良いような気がする
サッカー自体も良く分かる
スポーツは幼稚だ。
ならば文学だ。
ゲーテを読むべきだ。
フランスならば、レ・ミゼラブルだろうが、僕の場合は、ドイツが良いと思う。
これ以上悩むべきではない。
日本など知り尽くしている。東京は嫌いだし、インターネットは知り尽くしている。
ロシアの音楽は悪かったから、ロシアもダメかもしれない。それなら、ドイツもダメかもしれない。
それなら、ダメなわけが無い。
広島は、むしろ宮島は素晴らしいからだ。
しかし、世界遺産など分かっても意味が無いだろう。
商品を見て回った方が、遥に有意義だ。スーパーに行くべきだ。むしろ、ドイツ人と会える、パブなどの場所が良い。昔話したフランス人は、居酒屋が好きだと行っていた(彼はフランス語教師だから、当たり前に日本語ができる)
学校に行ければ良いのだが・・・留学できれば良いのだが、僕にはありえない
ドイツ語をやれば出来るだろうが。
フランス語の方が好きだが、ドイツ語の方がすぐ出来る。もう一度やったことがある。覚えてはいない。
むしろ、国を知るより、一人でも友人が欲しい。
手紙のやりとりが良いと思う。英語ぐらい、辞書を引けば分かる。
英語でやれば良いと思う。
それなら、フランス人の友人も欲しい。
ロシア人も欲しい。
あまり多くを望みすぎない方が良い。日本人の友人で充分だ。
むしろ、友人など必要ない。
あっても、あまり意味は無い。
普段の生活を考えて居なかった。
何か仕事をやった方が良いだろう。
普通の仕事で良いだろう。
金が入れば良い。
それなら、適当に楽しくやった方が良い。
外国人と友人になるのも良いだろう。
それもあまり意味は無い。
仕事にも意味は無い。
生活に一番の意味がある。
能力もつけすぎた。もう一度つけるのも良いだろう。
物理学は知らない。
数学は知らない。
心理学、社会学、歴史学、何も知らない。
つまらない。面白いと感じれない。
自分に何の意味もないからだ。
何かの目的を持っていれば、意味がある。
世界を知りたいなら、文学、歴史を知るべきだ。世界を知りたいならばだ。
むしろ、自分を動かすべきだ。
もう自分を動かせる。怖くないと思える。
意識が世界認識と溶け合っている。素晴らしい。
脳も治っていきそうだ。
人格と人格が溶け合う。
エロスと、孤独が溶け合う。
戦いと、生活が溶け合う。
昔は、あまりに青年過ぎた。
社会の将来の事、子供たちの事、経済の事、自分の将来の仕事の事ばかり考えている。
疲れた。そこまでではない。学校に音楽を流そうとしたり、学生に紙を配布し、レポートを学校で共有させる案の改良システムなどを、インターネットから閃いて考えている。
それでも賢いと思っていた。
後は、Linuxディストリビュータや、Linuxやオープンソースのシステム、インターネット、コンピュータのニュースがあった。
他には、沢山の無数の考えがあったはずだが、忘却の彼方に消え去った。
どこにも、何にも、残っていない。
後は、自分がどう生きていくかを考え、最初の方では漫画を独りきりで読んでいただけだ。
次は、本を読んでいた。
抑圧を否定していた。
教育の優れた案を考えていた。
後は、時代が悪かったために、その時代を知り尽くした。
核家族化の問題を考えた。
昔の方が良いと考えた。
今の社会を、昔から、順序追って行って、こうなって、こうなって、こうなったのではないか、と言うことばかり考えていた。
その上で、体制を考えた。
一人一人の思想を理解し、対立関係などを理解した。
振り返って、可能性を考え、別の可能性を考えていた。
想像力がついて、賢くなる。
この環境で、出きることを考えた。
コンピュータぐらいしか無かった。
主格と与格を、少し間を開けて描き、対格の矢印で繋げると良い。
僕は、子供なりに、スターオーシャンセカンドストーリーが好きだった。オタクが嫌いなのは、その自分が嫌いなだけだろう。
重力もエネルギーも、ニュートンが作った概念に過ぎない。ただ法則性が同じなだけだ。
細胞は、大洋と重力から生まれるように思う。
物質は、圧力から生まれるように思う。
他には、成長のしすぎだけがあった。今は、それだけになっているのが悪いと思う。それ以外には、地球は丸いとか、僕等は自然の中で生きているとか、国というものはみんなの頭の中にあるだけで本当は自然と都市があるだけだとか、まぁ、面白いことを沢山考えて、成長して、沢山の事を認めた。
僕は自由主義者の資本主義者として育って、ソ連を否定して、共産主義が嫌いだった。自由が好きだったけど、最後に、共産主義を認めた。それでもソ連が嫌いだったけど、共産主義活動の途中で、ソ連を認めた。
生産手段の配給と自立は正しく思えた。
それだけがあった。
変に分かっているだけだ。
後は、死を認める。そして、永遠に異常が続くことを認める。異常な人間になることを認める。危害が加わることを認める。自分の環境が悪くなることを認める。異常に見られることを認める。異常な世界で生きることを認める。努力が必要になることを認める。過労が続く事を認める。争い事が続くことを認める。今のままが続くことを認める。
最後に、矛盾を無くし、矛盾を知り、自分を変えていけば良い。それが、本当の最後だ。