2009年の日記に戻る

=2010-03-03=

社会から外れなさい。

何時までも社会の中で平穏で居られるならば良いが、悲惨な環境に入ったり、人間関係で悩んだり、あるいは、もう継続しているすべての事が、満足できてやり終えて、他の事をやりたいのに、社会の中でやらされている事があって、何も出来ない、などの状態がある時。

環境を嫌いになったら、社会から外れてしまいなさい。

そしたら、インターネットくらいしかないが、何も無い中で、思索し、色んな事を試していると良い。

自分の進むべき道は、自分の信じた世界にある。その中で、思う存分、自分なりの事をやってみると良い。

やり終えたら、後は自由になる。

自由な中で、僕はとある地獄のような、戦争のような物事になった。何故なら、僕の世界の中で、人々を変えてしまったから。

そこからは、ただ執筆と教え、戦い、導く事が続いた・・・。

今に至るまで、何があったかを何も覚えていない。昔から、メタ的な抽象化によって人々と世界を分かっていたはずだった。つまり、それをカテゴリーに含めて、包括した抽象化を行い、世界と照らし合わせる。

後は、とにかく、自由を信じて、Linuxと共産主義の方の自由になった。それでも、インターネットとコンピュータが自分の研究対象で、何かの味方だった。

色んな対象を文章で研究して、僕の世界が出来た。全体像が分かったら、新しく詩や雑記を書いた。その後は、変になってしまった頭を治そうとしたり、ドイツ語やフランス語、物理学や政治学を考えていたなあ・・・。

そうした生活を終え、ピアノ、Linux、国家モデルという、僕のやり終えた物を思い返して、研究した心理学、政治・経済、物理・数理学、他、を振り返ると、僕は僕の人生で良かった。

楽しい事、辛い事、悲しい事、面白い事、何でもかんでもすべてあった。僕の人生は良かった。

全てが戦いだったけどね。

そういうわけで、そんな人生でも良いと思うならば、環境が嫌になって他の事を何かやりたいと言うのなら、社会から少し外れたところで、何かに取り組んでみると良い。

最後に、自分は頑張れば、カントもニーチェもヘーゲルよりも偉大な知に到達できる、そこまで信じなさい。自分を信じて、時には全てを疑いながら、最後まで知り、教えなさい。何も分からなくなったら、全てを忘れても良い。家族を信じ、家族を愛し、自分を守って、生命の力に従いなさい。言い足りない事があるので、箇条書きにする。

・自由は悪い。

・日本語が良い。

・無駄な事はするな。無駄な事は出来ない。やったことは全て、無駄にはならない。

・好きな事を全部しろ。

・そして、自分以外を愛せ。