2008.12.23
たくさんの思いがあるんです。
まず、私は、皆さんを愛しています。
みんな大好きです。
皆さんが大好きです。
そうなんです。
でも、文字だけでは表せないたくさんの思いがあって。
僕の心は、愛で満ちています。
でも、何かやりたいんです。
何かやりたくて、仕方がないんです。
これがしたかった。
なぜ、私はこんなことになってしまったんでしょう?
理由はひとつです。
ネットへの思いの書きすぎ。
それだけです。
愛があります。
ただそれだけですけれど。
2008.12.23 - 2
私は、皆さんを愛しています。
2008.12.23
よし、皆、戦おう。
僕と戦おうではないか。
何を言ってもいいぞ。
言う相手が居ないな。
僕が言う。お前は死ね。
何を言う。僕は生きる。
僕は、ずっと、命を掛けて、全てに取り組んできたんだ。
人生を掛けて、全てに取り組んできたんだ。
僕が言う。ならば、もう、十分だろうと。
私が言う。いや、全く十分でない。
僕が言う。それならば、勝手にすれば良い。
いいだろう。私は勝手にする。
君にはそこまでの期待はしない。僕だからだ。
いいか。もっと多くの知恵が必要だ。
ナチスだけではなく、ユダヤだけではなく、ロシアだけではなく、アメリカだけではなく、日本だけではなく。
ギリシャだけではなく。フランスだけではなく。
多くの人々が、今、混乱に陥っている。
それを解決する知恵があるだろうか。
僕が言う。それを解決する知恵があるか。
私が言う。まだ分からない。
多くの構造を把握して見せた。しかしながら、大きく間違っているんだ。
銀行がトップにあり、それに皆従っている。一度書いた事。もう書くのはふさわしくないだろう。
どうだ。
僕は言う。ならば死ね。
私は言う。私は死なないと。
君といつでも戦おう。僕自身だ。
私は必ず勝ってみせる。
僕は言う。ならば、ユダヤに勝てるか。
僕は言う。なぜ、勝たなければならない。
僕は言う。勝てるだろう。勝って見せれば良い。
僕は言う。今は無理だ。脳が正常に成長していない。
ならば、なぜこうなのだろうか。
脳は、ふつうに成長していく。待てば良いのだが、やることがないから、やりたいのだ。
テレビでも見るかと思う。
しかしながら、テレビはユダヤのメディアだから、疲れるのだ。
テレビというか、CMが。
テレビは嫌いだ。大企業の傘下にある。
僕は言う。あなたは、今ちょっとの間に、駄目になってしまった。わずか4行で。
僕は言う。その通りだ。
僕は言う。もう一度、愛に目覚めれば、やり直せる。
ならば、また戦おう。
僕は言う。君は誰と戦うつもりだと。
僕は言う。それは、まだ分からないが。。。
私は、皆を愛しています。
皆さんが大好きです。
それで良い。次はまた別の何かをすることにする。
2008.12.23
何と戦おうか。
何を愛そうか。
いつも、自分との戦いだ。
いつも、人を愛している。
やはり普通だ。しかしながら、敵を作る事が怖い。
まだ愛に目覚めていないようだ。なぜか書けない。
あるいは、これがいつもの普通だ。
やはり、駄目だ。
僕は言う。この書き方をしてみろと。
私は言う。ならば、確かにうまく行きそうだ。
僕は言う。あなたは、もう少し頑張るべきだ。
優しい言葉を掛けていただいてありがとう。
僕は言う。ならば、感謝しなさい。あなたには、感謝の気持ちが足りない。自分への感謝の気持ちだ。
僕は言う。僕よ、ありがとう。
がんばるべきだという事が分かった。
人を見なさい。誰が、何をしているかを見て、彼らを観察しなさい。
しかしながら、誰を観察したらいいんだ。
皆ふつうだろう。
僕は自由なのだね?
そう。あなたは自由だ。
私は自由だ。
しかし、何をしたらいいんだ。何をしたいんだろう。私の部屋には、パソコンと、大学のビデオしかない。大学の方は、やりたくないんだ。
甘えるな。自分で考えなさい。
ならば、これをする。
いいだろう。次のページを作れ。
2008.12.23
また戦うか。いいだろう。
私は勝つ、という自信が無くなった。
どうすれば良い?
やはり、戦いはやめるべきだ。
何を考えようか。
何かのプロになって、仕事をする、というのは、もう良いのだ。
もう十分だから。
ここからどうしていこうかな。
まだ、僕には分からない事がたくさんあるんだ。
しかしながら、本は読めない。
読みたくない。書きたいんだよ。
何が十分かって?もう、十分目指して、一応の、自分なりの達成をしたから。
だから、プロになるのは、もう十分なのだ。
自然に、思いを書きたい。
僕は平安を過ごしている。
しかしながら、脳をおかしくしたため、いつも、恐怖と戦っている。
どんな現象が、いつ起こるか分からないのだ。
何が怖いの?何が怖いんだろう。
皆を、直に確かめるのが怖い。
本当に、狂った世界へ行ってしまうのが怖い。
今の所、それくらいだけど、起きる事は、大体、良い事のようだ。
恐怖はあったけど、脳の回復につながった。
時たま、書く事で、脳が変わったりするんだ。自分で認識して、認識によって知覚するからだと思う。
もっと沢山の事を知覚したい。
戦いと愛しかないんだ。とにかく。
今の僕には。
あとは、幾ばくかの思い。
なぜ私は生きるのだろう。
なぜ皆生きているのだろう。
生命体という物は不思議だ。
ここまで脳の発達した生物は居ない。
その、脳の発達した生物皆が、なぜ自分は生きるのか、考えている。
あまつさえには、自殺さえ起きる。
なぜだろう。
2008.12.23
ひとり。思う。何だろう。
何だろう。でも、そこから先に進めないから、一人、思う。
この世の中は、沢山の、生活用品から成り立っている。
あるいは、パソコンは、少し違うだろう。
たくさんの、情報から、成り立っている。
広告や新聞。
インターネットは、また少し、違うだろう。
生活用品は、幅広い。
ティッシュのような単純な物から、洗濯機のような機械まである。
まぁ、未熟だ。本当は、仕事と、会社から成り立っている。
あるいは、発明から。
あるいは、経済から。
あるいは、歴史から。
あるいは、科学の無い時代からある、科学的な、宇宙の法則から。
そして、国家から。
権力者から。
国家を築く者、国家を利用する者(つまり、国民を利用する者)。
つまり、国民の生活を築き、国民それそのものを利用する。
権力者は、そうやっている。
理想的な国とは何だろう。
国民が利用されず、主権的な地位を持っている。インターネットのように。
国家は、国民によって、自然に築かれる。権力者は、国民の代表である。
民主主義であり、自由主義である。
共産主義も同じようなものだ。だが、計画的に、支配者によって築かれるものに、ソ連ではなってしまった。
本当は、支配者を無くし、民衆の下層が支配する、という思想だ。
いや、そうでもない。共産主義は、皆、支配者を求める。
ブルジョワとプロレタリアを一緒にし、使われる側を固定しないだけだ。
自由主義で達成されているのかもしれない。しかしながら、今は学歴社会なのだ。
自由主義はブルジョワ主義だ。民衆の最下層は、居ないが、雇用に付く必要がある。
全員が平等に働けるのであれば、自由主義だって共産主義だ。
間違っているだろう。資本主義では、そうは行かないからだ。
格差も生まれるし。
間違っている思考からしか出発できない。
いまや、人々は完全な労働者だ。
発明にも飽きているか、そうでもない。しかしながら、発明には僕は飽きた。
あるいは、まだ使いこなせない。
僕は、まぁ、記憶が無いから、一番の馬鹿だろう。
娯楽だってある。スポーツは皆好きなはずだ。
何と言うか。何と言えば良いのだろう。
理想的な国とは何だろう。
支配者というモデルは、簡単過ぎるのではないか。
皆が、民衆の長を求めるため、安易に作り出したものではないか。
無責任な、民衆の選挙によって、選び出して良いのだろうか。
日本など、自民党は、党が決めている。ならば選挙の方が良い。
しかしながら、選挙も正しいのだろうか。
皆、無責任になると思う。
スイスで行われているような、直接民主主義は、出来ないのだろうか。
明らかに、劣っている点もある。
スピードが無い。しかし、スピードを求めすぎて、本当に良い国家が出来るのであろうか。
グローバル資本主義、民主主義によって、人々はスピードを求めるしかなくなっている。
もちろん、共産主義や王国制と比べている。支配者が、何代にも渡って、国を作り上げた方が良いかもしれないからだ。
やりたい人間にやらせれば良いのか?
本当に能力ある人間を選ぶべきではないか?
能力ある人間を、試験や免許などで選び、それを選ぶか、むしろ、国が採用すれば良いのではないか。
最も能力ある人間を選ぶのに、民主主義選挙は、そこまで適して居ないように思う。
しかしながら、能力とは何だろう。知性だろうか。記憶だろうか。考えだろうか。経験だろうか。
どんな能力があれば、民衆を治めるのに適しているだろうか。
一流の指導者とは・・・
そもそも、指導者が必要だろうか。
ただの指導者などで政治をやらせては意味が無いだろう。
信念と、実現力があり、本当に全てを理解し、分かり、どうすれば最適かを考える人間が支配者になるべきではないか。
しかし、支配者とは本当に必要だろうか。
最も良い経済モデルとは何だろう。
国家所有は本当に正しいのか。社会主義は正しいか。
マネーゲーム経済は本当に正しいのか。資本主義は正しいか。
むしろ、個人所有の計画経済はどうか。後進国のようだが。
しかしながら、会社では、経営者がきちんと計画している。
しかしながら、潰しあいと、利益破綻による倒産が起き、雇用も減ってきている。
しかも、利益追求のために、全ての企業が、社会を破壊している。なぜなら、TV局がそうであればだ。
普通のテレビが見られても、僕はこのテレビが本当につまらなくなった。
無料で娯楽を与えているのは分かるが、インターネットもある。
しかしながら、インターネットも嫌いになった。こうした刺激の与え合いや、・・・
雰囲気というか。
やはり僕には、まだ早いのだろう。
今の体制が、本当に一番優れているのだろうとは思う。
それ以上の体制は、もっと共産主義あるいは王国政、指導者主義になるか、もっと自由主義+賢さ、能力主義になるか、2つに1つではないか。
コンピュータを使っていると、どんどん能力主義者になる。彼らは賢い。
指導者主義は、むしろ、賢くない。
しかしながら、インターネットもコンピュータも、社会主義的なのだが、直接民主主義のようだが。
直接民主主義と社会所有と自由は成り立つようだ。
現実の世界では、間接民主主義と個人所有と指導者主義が成り立つようだ。
僕は、直接民主主義派だし、個人所有派だし、自由派だ。
むしろ、インターネットは完全な個人所有を、さらに公開もしているだけだ。
そうすると、賢くなる。
やはり、ソ連体制が一番正しいのではないか。そう思える。
実際には、悪い国なのだろうか。
失敗したのは、なぜだろうか。
共産主義理論自体は、正しいのだろうか。間違っているのだろうか。
実際には、皆指導者を求めているのだろうか。
会社とは、何なのだろう。
自由と会社は、相反するのではないか。しかしながら、お金による経済は自由だろう。
というか、やはり、システムや工夫で成り立っているはずだ。
どのような国を、皆望むだろう。どのような国を、皆望んでいるだろう。
どちらを重視すべきか。皆望むだろうと思った、共産主義は、押し付けがましくなったのだろう。
皆望んでいる事は、指導者主義だろう。
会社の中、街中にいる、沢山の指導者と人々。
師弟制、教えてもらう事が一番正しいのではないか。
自分ひとりでも学ぼうとすれば、インターネットは嘘ばかり。それでもインターネットは素晴らしい。
あるいは、普通に学校に入る。
教科書をそのままノートに写すのだって、本を読むのだって、能力主義者の指導者主義に過ぎないのだろうか。
それは、やり方によるだろう。
自分から、効率的に利用するという方法がある。
ならば、全く同じように、国家を効率的に利用する、サービス型の経済、政治という物もあるだろう。
しかしながら、どれも違っていそうだ。
しかしながら、ここから考えるべきだと思う。
社会から考えたほうが良いのだろうか。
何をどう考えれば良いのだろう。
むしろ、機械や文化に興味が湧いてくる。
人々には、まだ興味が湧かない。
何か1つでも、やる事があれば、それをやる。しかしながら、今はそういう状況でない。
なんだろう。
家庭が一番にあると思う。しかし、家庭も崩壊している。
インターネットで、相手の気持ちを理解して見ようか。いや、いつも頭の中で、やっていた。今もしている。無意味だ。
ただの馴れ合いに過ぎん。
考える事も、もう十分なのかもしれない。
2008.12.23
私は、本当に、皆さんを愛している。
でも、物が愛せなくなった。
本当に、僕は皆を愛している。
世界が怖いよ。
頭が死んじゃった。
結局は共産主義と民主主義と指導者主義と直接民主主義と会社経済は同じだ。
なぜか、資本主義だけ別だと考えている。資本主義も同じだ。
昔の経験も、今の経験も、同じだ。
でも、本当に同じだと思えない。ただ、共産主義が未熟なだけだ。
ただ、資本主義が成熟しているだけだ。
共産主義は、指導者主義だ。
共産主義は、民主主義だ。
共産主義は、直接民主主義だ。
しかしながら、共産主義は、資本主義ではないからだ。
そこがおかしい。
そこを理解できていない。
共産主義と、資本主義の違いは、何だろう。
個人所有と、社会所有だ。
しかしながら、これは、ただある物の、権限を、誰が持つか、という話に過ぎない。
権限を国家が持てば、確かに、楽だ。
権限をそれぞれの国民が持っているのが、今の状態だが、金で、それを買う。
要は、金か、指導者か、だ。
今は、金と、指導者が、分裂している。しかしながら、複雑に見える。
金と、指導者、あるいは、金と、権力だ。
個人個人の金が、権力を持っている。
会社は、金をベースとした、自由なシステムだ。
公的権力は、指導者をベースとした、支配のシステムだ。
全部金にするか、全部指導者にするか、というだけだ。
指導者は分かりやすい。ただ指導するだけだ。
導くことも指導だ。
では、金はどうだろう。
これは、自由に、相手に対して命令できるだけだ。
指導も命令だ。
つまり、命令で成り立っている。
現社会は、命令で成り立っている。
日本は、それを、幻想で成り立たせた。
アメリカは、それを、契約で成り立たせた。
ドイツは、それを、指導者で成り立たせた。
アラブは、それを、宗教で成り立たせた。
ロシアは、それを、理論で成り立たせた。
社会の全ては命令だ。
そこから教わるものだ。
そこから反抗するものだ。
そして、自立するものだ。
そして、命令するものだ。
命令だ。日本人は命令しないが、面白い。
命令とは何たるか。
言葉が悪い。意思の係わり合いだ。
要は、人々の意思で、社会は成り立っている。
気づかなくても、意思を持っている。
ならば、全てを知らせるべきだろう。
日本の麻生は、指導者が必要なところで、金に頼っている。
あまり良くは無いだろう。
まぁ、金と支配者は命令だという事が分かった。
しかしながら、命令という言葉は、そうでもないだろう。
助け合いそのものが命令なのだろう。
命令とは助け合いなのだろう。
助け合いは、相手を助ける命令である。
むしろ、金と支配者は命令では無いのではないか。
仕組みだ。システムだ。決まり事だ。
そういう意味では、人間は決まり事を創造する者ではないか。
機械は仕組みだ。
機械はシステムだ。
機械は決まり事だ。
決まり事を考えれば良い。僕はプログラミング言語で考えた。
法律で考えるべきではないか。
法律は国家権力による命令だ。
指導者だと言える。
一応は。
つまり、金と法律で成り立っている。
金さえあれば良いと言うのは間違いだ。法律も必要だ。
だが同じ事だ。金は法律によるシステムだ。
しかしながら、金銭による物物交換というシステムを考えた人間は偉大だろう。
金と法律、つまり、法律だけだ。
法律を定めるために、沢山の決まり事があるが、それも法律であり、命令だ。
法律を法律が決めていく。
法律無き世の中では、自由至上主義になる。全て自己責任だ。
法律を決める相手を巡って、思想が対立するものだ。
なぜなら、許可される。
許可が全てだ。
完全に許可してしまうと、自由だ。完全に許可しないと、制限だ。決めると、王国制だ。決めると、共産主義だ。
制限をつければつけるほど、面白い。
自由は、むしろ、つまらない。
制限された環境の方が、面白い。
共産主義は、全員でルールを決める。面白い。
ナチスは、賢い人間たちだけがルールを決める。それは面白いか?
民主主義は、その間だ。全員の選んだ政治家が代表として法律を決める。面白くない。
民主主義はつまらない。
しかも、賢くも無いし、全員でも無いからだ。
支持者が選んでいるに過ぎない。金や利権も関わる。つまらない。
正しいと思ってるだけだ。
共産主義は、実際には、ひとりで命令していた。だからつまらない。
命令しあう方が面白いが、僕は飽きた。
しかしながら、全員でルールを決めて、やるのは、面白い。
しかしながら、共同体を自分たちで作るものだ。
それが、一番面白い。共同体主義の、排他思想さえも含んだ、同じ者が関わり、同じ者が受け入れる社会が最も面白い。
つまり、インターネットは面白い。
それだけだ。
2008.12.23
コンピュータと人間は違う。
見るからに違う。
当たり前の話だ。
全てはそれぞれ違う。
当たり前の話だ。
では何について話そうか?
僕の世界観はもともとそこまで大きくなかったし
人の話している話題からいろいろ考えただけだ。
インターネットの。
だから、掲示板をやるしかない。
そうは思う。
インターネットを見るとか。
本を読むとか。
方法は他にもあるし、
単にブログを読んでも良いけど
それはもう他の人がしている事で
ただ未知であると言う理由からのみあるものだから
未知でなければ意味が無い。
殆どは既知だけど
未知であるものもある。
本当は全て未知だけど、
理解できないと、そこまでのモチベーションが上がらない。
だから、掲示板をやるしかないと思ったのだろうと思う。
やはり、掲示板をやるしかない。
でも、掲示板は、ふつうに、遅いし、
どうしようかな。
2008.12.23
全ての物は自然に出来ている。
というか、全ての現象は自然に出来ており、起きている。
というか、今までの全ての現象は自然に起きた。これからも自然に起きる。
そこらへんが、もはや、想像出来なくなっている。
難しい。
そういうわけで、僕の知性は、どっかへ行ったのだろう。
再度追っていくと、
人々の生活用品
人々同士の関係性
人々の人生
人々の言葉
環境を変えること
会社・組織
会社・組織の歴史
発明
発明の歴史
科学
科学の歴史
戦争
政治
政治の歴史
社会
生命体
そこらへんで止まっている。
説明すると、
人々の生活用品で、そこにあるものだって、誰かが、何らかの理由で、そこに置いたから、そこにあるんだと。
発明品だって、社会の歴史だって、同じ事だと。
本質は同じ。
人々が、何らかの理由で、こうしたから、こうあるんだと。
その理由って何だろう。
自然な成り行きだろうか。
ならば、どうして。
システムだろうか。
自然な成り行きだとしたら、何だろう。
感情だろうか。
思いだろうか。
思考だろうか。
それはどうして出来てくるのだろう。
それこそ、システムだろうか。
環境だろうか。
どうやって、誰が、どうしてそれを成したのか。成せたのか。
僕のテーマはそれだ。
人が、なぜ、こうした。
そして、なぜ、出来た。
僕は、人が、なぜ、こうした、のか、よく考えた。
なぜ、出来たのか、あまり考えていない。
なぜ、出来たのだろう。
僕はそれを、人々が、なぜ、こうしたのか、とばかり考えている。
なぜ、出来た。それ即ち、なぜ、そうした。と考えている。
間違いだ。
なぜ、そうしたか。なぜ、出来たか。それは、2つとも、違う事だ。
パソコンは、何故、出来たか。それを考えずに、なぜ、パソコンを作ろうと思ったか、そればかり考えている。
それでは、確かに、動機は知れる。思いつきは知れる。
しかし、どうして、出来たのか。
2008.12.23
では、何故、出来た。
成功したからだ。
では、何故、成功した。
物理学や、工学や、数学や、政治情勢を、よく知っていたからだろう。
きちんと、論理的に考え、批判し、正しく賢くなったからだろう。
失敗した者が、同じくらい沢山居るのかは、よく分からない。
その時その時の社会環境によって違うだろう。
材料があって、設計があって、手法を知っていたからだ。
本があって、文字が読めて、きちんと理解し、覚えたからだ。
自分で、とにかく、やってみたからだ。
権力が、金や人に物を言わせて、雇用し、やらせたからだ。
なぜ、出来たのか。
きちんと、教えてもらって、あるいは、まねして、出来たからだ。
人々にとって良い物とは何かを考え、あるいは、望む物を創造して、それを作れるだけの能力があったからだ。
2008.12.25
金を与えると働く。
金が欲しいからだ。
働いていると金が貰える。
労働力が欲しいからだ。
なぜなら、上の人間の力になる。
なぜなら、利益を得るように出来ている。
利益は、平等ではなく、経営者、つまり、雇用主に与えられる。
そこを見て力と呼ぶが、間違っている。
全体をいっしょにすれば、一人の人間であり、一人の人間の意思を全員が同時に実行する事で、社会における権力になる。
利益も得られる事によって、その権力はどんどん膨らむ。
経済とは権力だ。
誰もが経営者になりたがる。それは、社会を変えるのに、最も簡単に変えられるからだ。
まぁ、本当は人それぞれ違うだろうし、創造的なものも居るだろう。
しかしながら、本当は、成功者と失敗者のリスクがある。
世界は、丁度良い人数しか望まない。
下位の能力ランクに居るものが失敗する。もちろん、金が無い者が、能力が無い者として扱われる。
そして、結局は、金がある株主が成功する。なぜなら、株式会社だからだ。
金が無い株主は失敗する。洞察力が無い株主は失敗する。
失敗者が居る事によって成り立っている。そうなりたく無い者は、ただの従業員になり、社会に影響を与えられない。
つまり、この世界を変えられない。
世界は、金持ちによって変わっている。
つまり、金持ちの世の中だ。
金とは権力だ。明らかだろう。
2008.12.25
じゃあ、人のためになる経済って何だろう。
金は駄目なのか?
金が駄目なわけが無い。これ以上のシステムは無いだろう。
ここで一息置いて。
金は駄目ではない。
しかし、これ以上のシステムがあるかもしれない。
共産主義という、全員にノルマを果たした報酬として物を配給する、というシステムがある。
しかし、社会所有のため、権限が国に与えられる。
それでは駄目だろう。
個人所有というものもある。
まぁそれはどうでも良い。
じゃあどうする?
もう一度基本から考え直すべきだ。
2008.12.25
もう一度基本から考えて見よう。
会社と言うものがある。
皆会社に入って給料を貰う。
しかしながら、公務員は違う。
何が違う?
給与が安定している。
会社は潰れるかも知れない。
行政法人は潰れない。
ならば、選挙によって、やる事も変わるし、何をやるか分からない。
だから試験が必要だ。
2008.12.25
じゃあ資本主義を考えて見よう。
金を保管するのに、銀行を使う。
しかしながら、株主になってみる。
そうすると、増える。
減るかもしれないが、
そうすると普通に、会社が作られる。
あなたの選んだ会社が伸びる。
そして、会社は発展する。
滅びれば、あなたも滅びる。
戦争のような物だ。
2008.12.25
では、資本主義社会はどうなるのだろう。
会社同士が戦争して、勝ったほうが勝つ。負けたほうが滅びる。
だが、どんどん会社は出来る。社会は革新的になる。だがいつか、どの会社も負ける。
だから買収という物がある。勝ちつづけるにはそれしかありえない。
しかしながら、行政法人は、あるいは公社は、安定している。
だから公社は普通に嫌われる。
だが、格差が生まれる。大企業、中小企業、あるいは、大企業同士の利益。全てのランク。
社会はランクになるだろう。
そればかりだ。
2008.12.25
どんな法律が一番素晴らしいのだろうね。
決めすぎるべきか?決めなさ過ぎるべきか?
バランスだと思う。
一つ一つの個別の要素について、決めたほうが良いのか?
むしろ、禁止するのか、制限するのか、免許を与えて許可するのか、自由に任せるのか(放置するのか)、それくらいしか選択肢が無いのでは無いか?
よく分かりません。
しかし、銃は禁止した方が良いと思う。
アメリカ人なんか嫌いだ。
でも、きっと、きちんとした法律学者は、アメリカ社会も理解しなければ成らないのだと思う。
アメリカ社会の法律はどうなっているんだろう。
どういう決め方をしているんだろう。
先進的な科学で決めているのだろうか。
ならば、法律学者に任せるべきだ。
じゃあ、法律学者はどういう風に考えているのだろう。
歴史からだろうか。
社会学からだろうか。
犯罪心理学からだろうか。
イデオロギーからだろうか。
国力からだろうか。
やはり国力からだろう。
強い者のために法律を決めている。
経済が最も発達するために法律を決めている。
ならば、社会の事など何も考えていない。
経済が強ければ良いからだ。
銃が蔓延した方が経済が強くなる。
それが自由だ。
社会などどうでも良い。
最低最悪の社会だ。
日本は汚染されている。
グローバル経済などサイテーだ。
日本人は、立派だ。
しかしながら、社会の事を考えている人間が少なすぎる。
だから、日米同盟などするのだろう。
明らかに、日露同盟の方が良い。
むしろ、日独同盟の方が良い。
しかしながら、単独でも、どの国と同盟を組んでいても、良い社会になるようにつとめるべきだ。
バランスなどどうでも良いと思う。
しかし、決めなければ最悪だ。
昔の僕は自由至上主義者だった。
法律で制限されたくない。
なぜなら、どんな独自の人生もありうる。
じゃあどう決める。
皆決めたがらない。
何から決める。
皆個々の物について、バランスで考えている。
だから、声の大きい方が勝つ。
それもおかしいだろう。
何から決める。どう決める。
メディアから規制すべきでないか。
メディアは自由すぎる。
しかしながら、国家権力側につくのもおかしい。
しかしながら、民衆側につくのは、馬鹿になる。
やはりヒトラーが正しい。
しかしながら、指導者の居ない共産主義にとって、メディアはどうなるべきか。
インターネットのようになるべきだろう。
今なっている。
しかしながら、アメリカケーブルテレビと言う物がある。
たくさんのチャンネルがあって、色んな側についており、人々が好きな側につける。
しかしながら、それは戦争だ。
アメリカは戦争の国だ。
日本は議論の国だ。
ロシアは、独裁指導者が命令しすぎたために失敗した国だ。
ドイツは、賢いが、従う国だ。
どうせ、行き過ぎると、ドイツはイスラムと同じだ。
やはり、日本とドイツの連盟が、どこから考えても一番良いと思う。
次点はロシアだ。独裁指導者が居なければ成功していたかもしれないからだ。
次点はアメリカだ。保守的なだけだろうと、一番強いからだ。
日米同盟を止めて、日独同盟にすべきだ。
ドイツは、今、独露仏同盟になっている。
アメリカ対抗のための同盟になっている。
そこに日本も入るべきだろう。
アメリカよりは、フランスやドイツ、ロシアを重要視すべきだ。経済的、政治的、法律的、報道的に、アメリカよりも先進的な国だ。
アメリカは保守派だ。先進的と考えるのは間違っている。アメリカの外交戦略に過ぎない。
いや、先進的だった。戦争すれば、古い方が必ず負けていく。
2008.12.25
日本は、もっと先進的だろう。なぜなら、国全体が滅びて、やり直しをやってるからだ。
ドイツは、最も一番先進的でない。伝統がある。やはり、日本と組むべきだ。
ロシアは、ただ失敗した国だ。しかしながら、非常に挑戦的だ。頑張れ。ロシア頑張れ。
フランスは、最高に先進的だ。間違った事だろうと、どんどんやっているし、どんどん進歩している。
世界には、アメリカと、日本と、ドイツと、ロシアと、フランスさえあれば良い。
他は後進国だが、アラブとイスラエルは面白い。
まさに、宗教をやっている。
面白い。イスラエルは、経済もやっている。
アラブの人間たちは、最も発達した、最も宗教らしい、イスラム教をやっている。必要かもしれない。
イスラエルは、本当に駄目すぎる。経済で世界を支配しているし、法律で世界を支配しているし、普通に領土戦争までやっている。
ユダヤ人は面白すぎる。
ユダヤ人は面白い。
2008.12.25
紛争を無くす為にはどのようにすれば良い?
法律で戦争をやめさせて警察で取り締まれば良い。
2008.12.26
アメリカは力関係の自由な社会だが、それは戦争である。
ソ連は一党独裁のいじめ国家だ。
私は議論も出来るソビエト体制がきちんと機能した共産主義を望んだが、議論であっても、個々の能力が勝利する、能力主義社会であり、戦争と似たようなものである。
ナチは、自ら戦争しているが、指導者が一人である、平凡な社会を、国家まで適応してしまった、プラトンの社会である。
金を増やせるのが、ソ連と同じ個々の能力であればアメリカも普通に納得出来るが、権力でもあるかもしれない。
まぁ、スティーブ・ジョブズなどのような偉大な人間であれば、個性の伸びる社会として、素晴らしい国だと思える。
まぁ、僕は、オープンソースの方が好きだ。会社は、参加できる環境として適している。
オープンソースは、インターネットという先進的な物を使った、ひとつの環境、とでも言うべきものであり、そういう先進的なものに私は憧れる。
共産主義は、一党独裁であっても、賢く正しく優しく普通の人間たちがきちんとそろって居れば素晴らしい国になる。権威のある学者の国だ。
ナチスの親衛隊は、議論でそれを実現しようとした。
全ては戦争だが、というか、争い合いだが、議論ならば協力も出来る。
しかしながら、それを否定しては、一人の人間が全てを決めるしかないだろう。
王政(独裁者)か議論(戦争)しか無いだろう。
ローマ帝国のような、市民集会あるいは王の社会が、最も適しているように思える。
2008.12.26
視野を広げる事は、賢くなる事だ。
賢い人間は、哲学をやるべきだ。
2008.12.26
宇宙はビッグバンで出来たと言われているが、本当か?まぁ、本当だろうけど。
ふつうに、宇宙は、最初からあったのではないか。
その中で、宇宙の「内面」が出来ていき、宇宙の「外面」へと近づいていったのではないか。
我々は、宇宙の「内面」に住んでいるに過ぎない。外面の事は、普通には分からない。
だが、おそらく、外面の方が古く、内面の方が新しい。
内面は2つ以上あるかもしれない。
根拠は勘だ。
外面が内面へと変わり、その外面の中で再び内面が作り出せるとしたら、僕らもいつか宇宙を作るか、あるいは、宇宙になるのかもしれない。
宇宙とはそういう2重構造になっている気がする。
むしろ、人間がそうだろう。
2重構造、3重構造と、意識は、何重構造にもなっている事は、僕は発見した。
ふつうに、人間と比較して考えれば、無から宇宙が出来るなどありえない。宇宙の元があり、その中で、丁度子宮の中で子供が出来るように、宇宙の中で宇宙が出来た、あるいは、宇宙を作り出した物の中で宇宙が出来た、と考えるのが自然だ。
無からは何も生まれない。
2008.12.27
駄目になった社会は兵士が増える。
必ず戦争で勝てる。
戦争では、賢い人間が負け、強い人間が勝つ。
社会はどんどん強くなるが、知性が下がる。
社会はどんどん悪くなる。どんどん駄目になる。
だから誰かが解決する。指導者が現れる。
しかしながら、古代ローマでは、普通に、そんなことをしなくて良い。市民社会と、必要ならば王政を取る、優れた単純な社会だ。
共産主義では、原始時代に戻そうとする。全く悪くは無い。しかしながら、古代ローマ時代に戻るべきであろう。
2008.12.27
判断と疑問と同意と納得で人間は成り立っているのではないか。
2008.12.27
日本語には、まず、て、という接尾語がある。
何々をして、何々がこうなる、という風に、文章をつなげる言葉だ。
日本語では、漢字とひらがなを同時に使う。
それも良い部分だ。
ドイツ語では、まず、語順が非常に自由だ。
格、と言う物もあり、さらに語順が自由になる。
前置詞もきちんとあるから、4格だけで良い。
4格のそれぞれは、は、の、に、を、であり、重要なのはに、とを、である。
ここを一緒にすると、アラビア語のような3格になる。
に、は、行動の文章だが、を、は活動の文章だ。
しかしながら、に、を考えまくると、活動的になり、を、を考えまくると、行動的になる。
を、だけになってしまうと、痴呆症だ。他の言語(日本語含む)ではこうなりやすい。こういう人間は嫌われる。何も考えずに行動するからだ。
が、という物が、日本語にあるが、ドイツ語では前置詞、ロシア語では格、で成り立っている。
これを使うと高度な文が可能かもしれないが、ドイツ語に無いから必要無いかもしれない。
ロシア語は必要だと判断し、前置詞は専用の格が必要だと判断したようだ。
が、はを、を効果的に書けるようだ。
男性と女性は、目に付くものが違うから、男性名詞と女性名詞の区別は、あると面白いかもしれない。
冠詞(格)の変化について、ドイツ語では、男性名詞や女性名詞、複数名詞や中性名詞で違うが、男性と女性の考え方が異なる可能性がある。
中性名詞は、最近出来た発明品などに付けるために必要だ。
フランス語は、間違った言語だが、間違った言語を使うと、正しい言語よりより正しい経緯を辿れるため、さらに正しくなる。
明らかに、スペイン語は、フランス語を正しくした言語だ。言語っぽくない。
そして、ポルトガル語は、やはり、スペイン語をさらに正しくした言語だろう。面白い。
ドイツ語は賢い言語だ。
日本語だけが、思う、を最後に付ける。こうすると、思う、とは何か、と言う風に、自分で哲学者になれる。孤独には成るが、賢い事を考える人間になる。
どの言語で考えるにしても、速く考えすぎてはいけない。ゆっくりと考えるべきだ。こうした情報があると面白い。
2008.12.27
Linuxはオープンソースによって成り立っている。自由参加型のインターネットを使った生産だ。
共産主義のようだが、全員自由だ。
非常に面白い。
2008.12.27
とにかく、全てのものは、宇宙によって成り立っている。
宇宙人は居るかもしれない。
歴史は、宇宙における、地球において起きた、生命の、著しい発展の歴史だと、僕は思っていた。
しかしながら、今現在の歴史は、力関係における領土争い、あるいは、資本争いの歴史だと思う。
ならば、まぁ、悪い。かな。
それだけだ
2008.12.28
哲学と政治は逆だ。
哲学とは積み重ねる事だ。
哲学とは試す事だ。
哲学とは科学的に考える事だ。
哲学とは数学的に考える事だ。
情報を得る事だ。
感情豊かになることだ。
制限しないことだ。
体験することだ。
全ての哲学を教えたい。
哲学者は政治を嫌う。
哲学者は社会を好む。
政治家は意味が無い。
哲学者には意味がある。
あるいは、逆だ。
哲学者は作り出さない。
あるいは、哲学者のみが作り出す。
政治家は従う。
あるいは、政治家は従える。
哲学者は政治さえ作り出す。
哲学者と政治家が逆なのではなく、哲学者は政治家を複合するのだ。
政治家は法律を作り、縛る。
哲学者は自らに法律を課し、人を縛らない。
哲学者は考え出す。
政治家は実行する。
哲学者はより良い物を目指して改善する。
政治家はなんとかまとまりをつける。
哲学者は全員をより良い社会環境につれていく。
政治家は自分にとって都合の良い考え方をする。
哲学者は全ての考え方を持つ。
哲学者は考え方を作り出す。
政治家はひとつの考え方に従う。
哲学者は理解する。
哲学者は理解させる。
政治家は哲学者に従って行動する。
哲学者は自由を考える。
政治家は自分の自由の定義に従って正義と思い込む。
哲学者は自由を肯定も否定もする。
全てを肯定する哲学者も、全てを否定する哲学者も居る。
哲学者は破壊もする。
政治家は哲学者の言う事に従う。
政治家は社会を変える。
それは、哲学者と呼ぶべきかもしれない。
2008.12.28
哲学者は宇宙全体を考える。
哲学者は人生全体、人間の生命全体を考える。
政治家はそれを利用する。
哲学者は平和を目指す。
哲学者は戦争も肯定する。
政治家は戦争する。
政治家はトップに立つが幼稚になる。
政治家は考えない。考える政治家は哲学者だ。
哲学者は平等を好む。
政治家は権力者になる。
政治家も結局は平等を好む。
哲学者が正しいからだ。
政治家は臆病だ。
哲学者は賢明であり、同時に失敗もする。
政治家は失敗しないが、嘘をつく。
哲学者は人に知恵を与える。
哲学者は勉強する。
政治家は分かってもいないことを強要する。
哲学者は分かった事を分かりやすく教えなおす。
政治家は単純だ。
哲学者はシンプルだ。
政治家は複雑だ。
哲学者は多様だ。
政治家は変わらない。
哲学者は変化する。
政治家は幼稚になる。
哲学者は偉大に成長する。
政治家は人間を全てと思い込む。
哲学者は生命を平等に考え、人間の尊厳を尊重する。
政治家は相手の意見を聞かない。
哲学者は人に従って自分を変えていく。
哲学者は全ての分野を好む。あるいは、全てを知っている。
政治家は、何も知らずに、全ての分野をどんどんけなす。
哲学者は時に全てを否定する。
政治家は、時たま、という行動が出来ない。
哲学者は全てを自然に肯定する。
政治家は自分が第一と考える。
全てに達したと感じた哲学者は、死さえも受け入れる。
全てに達したと感じた哲学者は、不可能な事に挑戦する。
しかしながら、全てに達したと感じた哲学者は、戦う。
そして、その哲学者は、政治家になる。
哲学者は、政治家になること、政治家であることも肯定しなければならない。
政治家は、どんどん幼稚になる。
政治家は、哲学者をやろうとしない。
政治家は、哲学者に従わなければ治らない。
あるいは、政治家は、哲学者をやらなければ治らない。
哲学者は、古い。
政治家は、新しい。
哲学者は、いずれ終わる。
政治家は、やめる事が出来ない。
哲学者には、努力が必要だ。
政治家は、我慢だけが必要だ。それは、哲学者と呼ぶべきかもしれない。
2008.12.28
環境と人。小さな家と考え。発明品
環境と人。国の集団と一個の国。
環境と人。個人個人の集まり。場の気風と個々の思い。
環境と人。システムと人。
環境と人。連想。絵画の風景と現実の風景。
環境と人。インターネットと日々の生活。
場と目線。観測対象と観測地点。両方変化する。
場と目線。環境で人は育てられ、目線で成長する。
場と目線。環境と物作り。
場と目線。相手との接し方。
場と目線。人生と生活。想像力と共に、人の行動を思考する。
場と目線。情報。人が生きる上で必ず必要なもの。
場と目線。田舎や都心部など、そこでの雰囲気。
環境と人。地球と生物。考え方の構築。
ある意味での言葉。その意味での言葉。さらに、概念的グループとその言葉。
つまり、科学的な視点でのコンピュータ、仕事的な視点でのコンピュータ、など。
生と死。記憶。それはつまり、視点の生物学的・医学的・心理学的な捕らえ方と、歴史。思考によって司られる、想像の作成と破壊。
神か、自然現象か。
2008.12.28
原則、制限なしのルール。
この世界は、原則、制限無しである。
何をやっても、自分の責任で持って、自由である。
しかしながら、金を払えば、病院などで見てもらえる。
ならば、金はどこからやってくるのか?
努力である、とされている。
しかしながら、努力できないほど酷い病気ならばどうするのか?
そこを例外としているのがおかしい。
全員が等しく金を持つべきであり、金のあるリーダーに力が与えられるのではなく、能力とやる気のある人間がリーダーになり、金を全て平等に配分すれば良い。
そうすれば、我慢をすれば、病気であろうと自立できる。
しかしながら、我慢をすれば、自分の好きなものが買える。
では、全員が努力しなくて良いのだろうか?
しかしながら、努力したものにだけ金を与えるのが正しいのだろうか?
価値観として。
では、何が正しいのであろうか?
やはり、全ての望みが叶うのが正しい。
よって、価値観を分け、国を民族程度の単位で分かつべきだとの主張が存在するが、朝鮮半島のように、同民族で離れ離れになったりする。
どのような人間に金を与えるべきであろうか?
努力した人間のみに与えるべきなのか?
そこに携わる問題とは、全員を知ることが出来る人間は極少数だと言う事である。
監視して、本当に必要だと判断したののちに与えるのは?
答えは出た。本当に必要だと判断したのちに、その人間に与えるべきである。
全ての人間に対して、その人間の特有の警察官を付ければ良いのだ。
常にその人間が、判断して、金を与えるべきかを問う。
与えるべき状況では与える。与えるべき功績では与える。
刑務所のように感じるだろうが、これを、もっと知恵のある方法でやれば良い。
まさに、自分の功績というノルマを用意して、機関に行き、ノルマを果たしている事を証明し、金がその機関から与えられれば、かなり良いだろう。
病気の人間や、介護の必要な人間には、積極的に金を与える。
結果、公社でもなくなる。金を貰う機関があり、積極的に自分から働いて、その報酬として金を与えれば良いのだ。
2008.12.28
今の時代、兵器やミサイルを使って戦争する。
賢い者が勝つだろう。
しかしながら、無責任で自分勝手な者が勝つかもしれない。
2008.12.29
こうだろう。
そうじゃないかもしれない。
ならこうじゃないか。
そうかもしれない。
2008.12.29
これはこうだし。
これはこうだし。
これはこうだし。
ならこうだろう。