2009年2月26日
ニュージーランドに行きなさい。
英語が身に付くでしょう。
フランスに行きなさい。
英語が通じるでしょう。
フランス語が身に付くでしょう。
ドイツに行きなさい。
ロシアに行きなさい。
英語を学ぶのに一番良いサイトはここです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Main_Page
http://www.youtube.com/?gl=US&hl=en
LispコンパイラをCで作ること。
時間、環境的なゆとり(余裕)を持って、適当にコミュニケーションしたり考えたり想像したり休んだりしながら1生を送りなさい。
それが嫌になれば、まさしく、その逆をやりなさい。
生き残れば、あなたは、生まれ変わる。
私を否定しなさい。
========
どうしようも無くなったら、全てを水だと考え、水と水の足し算をしなさい。
知的障害者になっても、それぐらいは残る。
そして、1年ほど経てば治るはずだ。しかしながら、一度全てが少しだけ(ほんの少しだけ)怖くなるはずだ。
ナチスもそれをやった。
私と共にそれをやった。
彼らは政敵だが、私の親友だった。
========
私がスターリンに見えるでしょう。しかしながら、私は今、まさに、能力主義者だった頃の自分に戻れた。
まぁ、文章力だけだが。それを4年続けた。TV局と争い、今居る。
OSを作りたかった。フランス語を学びたかった。日本を理解したかった。環境を変えたかった。
そして、何より、親友と同じようにインターネットに接していた。
まぁ、それも、相手にとっては、強い敵に見えた事でしょう。
----
私の中学時代と言えば、皆をまとめて、計画を立てて、きちんとやり遂げてばかりだった。
それに疲れ、努力の才能を活かし、果敢に技術(プログラミング)に挑戦してばかりだった。
働きたいと常に頑張りながら、たまにインターネットに触れ、少しづつ哲学に目覚め、そして、家族を第一にしていた。
私はそれだけで、死んでも良いぐらいだった。
おかしいぐらい能力がついて、フランス語を覚えようとし、数学と物理学をやろうとしていた。
あの頃は心が豊かで、何でも自分と同じように思えた。
議論ではいつも勝っていたが、政治板の右翼はすこぶる多くて強かった。一人で勝ったように思える。
TV局は変わった。愛に目覚めたようだ。僕は、もっと知っていた。全て教えたかった。
TV局には悪い事をした。何も分からないでしょう?私の責任だ。すまない。
========
こうかもしれないじゃないか。
考え方を変えよう。
こう考えれば
こういう風にだって考えられるじゃないか
そうだろ?
これだって
これだって
そうじゃないか
なあ
お前だって
俺だって
同じじゃないか
そうだろ?
========
何事も冷静に、分かっている事を言えば良い。