皆、そのままで良い。何もしなくて良いが、何をしても良い。自由なまま、自分の好きな事を思って発展を続けなさい。
何故支配者が必要なのか、分かるかな?国の自由は、個人の自由と同じだが、一人だけではないので、その人の思い通りには行かない。
よく考えてみれば、代表者が必要だと分かる。そういう理由で、代表者を立てる。それが王であり、大統領であり、民主主義なのだよ。
自由は素晴らしい。自由は全てだからだ。
そういう理由で、いつもきちんと自由はある。
しかし、支配者の自由を許すと、民衆の自由は減る。
どちらを取るかだ。支配者の自由ばかりとっていても、民衆の自由が減るだけだ。
民衆の自由が最も大切だ。
しかし、支配者は、自由というよりもきちんとやる必要がある。
そして、民を平等に扱い、全ての人間をきちんとさせれば良い。
民衆の自由に割って入って、良いものに得をさせ、悪いものに罪を与える。
殺さなかったものを生き長らえさせ、殺したものに罰を与える。
法律は、そうして生まれる。
国が自由な国にしようというなら、それに従うべきだし、平等な国にしようというなら、経済発展の国にしようというなら、それに従うべきだ。
努力すれば何でも出来る。しかし、努力しなければ何も出来ない。
社会主義はよく考えているが、一つのことしか見ていないために、実際に適用すると国が破綻し、滅びる理論が多い。
そういう理由で、社会主義は排除されるべきだ。
そういう意味では、自由主義で、民主主義であれば良い。
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ここから先は、国教を少し書く。
国教は、私が決める。暴力と諸悪、抑圧を否定する。
科学は自由であるがゆえに駄目である。
科学は可能性と再現性のみで作られるために、何も未来のことを考えず自由である。
皆嫌いだから、科学は必要ない。
宗教だが、
殺害は、皆嫌いだから駄目だ。
キリスト教は素晴らしいが、若干悪い点があると思うので、駄目だ。
私の国、私の宗教は、私が決める。
若者が自由だと、邪悪なことをする。自由は悪い。全員学校に入れる。だが、自由とは言わない。普通の時間を与える。
自由だと若者は悪いことをする。発言と行動が最も重要である。しかし、言論統制までするのは良くない。
行動をきちんとさせ、悪いものは見せない。代わりに、良いものをどんどん見せる。良いものとは文章であり、特に知恵の文章である。多数執筆する。
しかし、個性は必要である。全員同じにはしない。しかし、それが難しい。自由の方が同じになる。
ユダヤ教が良い。あそこまでやるべきだ。
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体力をつけるべきだ。体力がつけば努力できて、何でもできる。
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国としては科学をすることにしようか。なぜなら、他にないだろう。
科学って何だろう。現象から分かって、現象をとらえて、構造を見出し、法則性を見出し、作り出す。
素晴らしいものだ。しかし、教育に良くない。大人が努力してやれば良いと思う。
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物理を分かる秘訣は、単純化して位置と重さを考える事だ。ありえないものが沢山あって面白い。