2009年の日記に戻る

=2009-06-09から10=

手法、捉え方、取り入れ方を変える。

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思い出す事を止める。

思いつめる事を止める。

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こうしたら、こう出来る。こう思える。それだけがある。

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選択肢は、「今と違う」の方を選びます。

自由になります。

自ら治ります。

選択肢を全て決定する。

人生を生きる。

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気づく事がある。それが人間の全てだ。

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肯定すると、繰り返しを突破できます。

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自分の全てを与え、王になるのを止めます。

愛と私は関係ありません。

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数学について。論理的に「正しく」変えられる事が分かっているなら(変化の理論づけ(経緯と同一性))、そのように、別の「理論的に同一性のある」関係性についても、同様に処理しても正しい、という事をやっている学問である。論理的な正しさは、意味をもたらす定義づけ(変数とは何らかの数であり、=で示した時、論理的に一定の数が定まる)と、その式が表す意味において、矛盾しないものが生き残る。

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後は、意味が変わる。

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最後に、言葉と、その意味がある。

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三段論法ならぬ四段論法をすると良い。三段論法をして、さらに、その意味を考える。

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治すためなら怖い事でもしていきます。

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脳の中で動いていた感情を統和します。

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身体にも感情はあります。身体の感情も統和します。

全ての感情を統和します。

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行動様式を変えます。

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脳だけで体験している感情、心だけで体験している感情、というものがあります。

この2つを融和させます。

融和させた後は、変化させていきます。

外部から取り入れ、内部を変えていき、混ぜ合わせていくように、新しい感情にしていきます。

幼少期から、青年、大人となるに従って、外界から得た感情は、記憶の中にあり、今も自分の中に眠っています。

それを少しずつ理解し、はめこみ、重ね合わせ、一致させ、取り替え、動かして、別の世界認識と混ぜ合わせます。

進歩はまだ早いぐらいの状態です。

世界に対して、大きく、心を開きます。

恐怖と気持ち悪さが消えました。

頭の中には階段と、心の中は釣り糸があります。

まずは心を片付けます。

釣り糸は、下に引っかかっていました。とめがねのあるマンホールを開けると、中は真っ暗闇ですが、ざわついています。

そのまま、中を覗き込みます。

一匹の龍が、無数の害虫にやられています。

彼を助け出しました。

彼は大きく飛び立っていきました。

心にはもう何もありません。失うものは無くなりました。

今、すでに、頭の中の階段の上の方に居ます。

彼は降ります。

そこには、楽園が、一瞬だけ見えました。

私にはもう恐怖がありません。

心の部分、お腹の部分が、身体と融和して休息に浸ります。

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頭の中には、世界があります。

心の中には、全ての命があります。

世界に、命を住ませましょう。

頭の部分、脳の部分が、休息して回復していきます。

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後は、上半身と下半身の問題があります。

融和できていません。

心を抑えすぎています。

それを開放して、融和できました。

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まだ、首を融和できていません。

顔と融和させます。脳では無かったようです。

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やはり、首の付近がおかしい。

場を見ないからのようです。

場(今いる場所)がどんなところかを認識するのが良いのかもしれません。

それで融和され、治っていきました。

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克服出来ない事があるようです。

これ以上頑張る事が出来ません。

それでも頑張ります。

そろそろ終わりました。

今度は、続かず、終わらせていきます。

すぐに終わり終えました。

進歩して、はるか遠くへ行きました。

それが融和しました。

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表情もよく考えます。

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意味的に物質を観測すると、ただの単語ではなく、「ここにあるコンピュータ」「ここにあるラジカセ」と、意味的な装飾が付く。

「そこにCDが置いてある」となる。しかし、経緯的に観測すると、「そこにCDを置いて、CDはそこにある」という、説明文となる。

観測的に言うと、「ピアノだ」であり、経緯的に言うと、「ピアノが置いてある」であり、意味的に言うと、「置いてあるピアノ」である。

操作する時には、意味的な単語を使って経緯的に考える。「置いてあったピアノを前に動かした」では、「ピアノを前に動かした」という経緯的な文面で、「置いてあったピアノ」という意味的な単語を使っている。

助詞は、思い、観測を伝えるためにある。「の」「な」「を」「に」を使う。

「ピアノを弾いて音を奏でる」では、「て」を使う事によって、手段と目的、あるいは、原因と結果を考える。「譜面を見ながらピアノを弾く」では、「ながら」を使う事によって、同時に複数の行動を行う事を表す。

「譜面にそう書かれていたから、そう弾く」では、「から」を使う事で、理由を表す。「こう弾くと、このようなテンポになる」では、「と」を使う事で、現象の発生を表す。

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解を一つに定めるのを止めて、沢山の解に戻す。

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「この人は、これを見て、こうやっている」「こういう風に、こうやっている」などの表現で、人がどのようにそれをしているかを考える。

そして、「こうもできるし、こうもできる」によって、できる幅が広がっていく。