2009年の日記に戻る

=2009-08-05=

自由にしても良いが、仕事が決まっているだろうから、速くしなさい、程度の環境が良い。

社会は、自由には任せるが、経済は全てほうっておいてもうまくいく程度の完成度を持っているものが良い。

自動販売機のような社会になると良いだろう。

あるいは、それが嫌なら、中世だ。むしろ、原始時代だろう。

まぁ、どうでも良い。

その点は、僕としては、共産主義は嫌いではないね。

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僕の子供時代は、ゲーム、ミニ四駆、漫画、小説、ピアノ、英語、書道、学校、剣道、学級委員みたいなやつ、最後に友達。

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あとは、無数の発見。

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で、決めていくと可能性は無くなる。こうな可能性もある、こうな可能性もある、こういうものがそれとしていたんでは、やっていけないからね。

しかし、決めなおすと可能性は増えるようで、そうではない。ここを理解して、やめようとすればやめられる。

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積み重ねは面白いからやると良い。

あれはこれかな?それともこれかな?

そうした可能性を残したまま、次の選択肢も、これかな?これかな?と進む。

そのうち、溜まって来たら、組み合わせる。

その後は、しばらく普通に生きて、一度、チャンスが来たときに、一人で考える場所を作る。

そして、あれはそうなんだなあ、と、まず知識を沢山とりこむ。

で、観察の結果が重要なのだけど、そうだとしたら、何をしたら良いかを考えれば良い。

で、適当にインターネットで発言し、返った内容から、また想像する。

すると、言っている事の意味が、積み重ねというバックボーンから良く分かる。

積み重ねは、思考か経験か。どちらだったっけな。いや、可能性だと思う。

可能性を積み重ねて、可能性が増えるのを楽しむのもまた良し。

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僕の作ったものは、わずかなソフトウェアを何個かと、マニュアルを大きなものを1つ、小さなものをいくつか、そして、最後に、ものすごく大量の思い出と科学の文章。そして、昔から作っている木工と畑。あとは、それ以前の記憶が良いかな。

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僕の最後の科学が、心理学。とかく、相手の行動を想像する。

原始人がコンピュータを使ったら何を言われたとき何を思うだろう・・・現代人の行動を、古代人の行動と照らし合わせて、分析していく。

感情と環境。そして、精神的な変貌。

狂うといったらおかしいけど、精神が少し統合されていない状態になる。

最後まで地獄を経験して、この精神は一つとなろうとしている。

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僕のもうひとつの科学が、物理意識論。物理的な意識を実感で捉える考え方を発想して、「ああ、月は太陽にあちらから照らされているから、本当にある物質で、地球の物質と同じなんだな」とする。そうしたもの。

人間は光だ。植物は太陽だ。水は生態系だ。

そして、何故存在するのかと、何故生きているのかを考えたり、するものですよね。

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僕の信念は、むかしから精神の人間的尊厳の尊重だった。

それを自由と勘違いして、オープンソースに走った。でも、本当は、不登校ながら、出来る事を求めていた。

でも、オープンソースで、僕は何も出来なかった。マニュアルばかり書いてて、マニュアルばかり書き直してて。。。

その後に登場したのがGentooだった。あれで僕はLinuxの仕組みが分かったから、マニュアルを完成できた。

まぁ、オープンソースは良い。

自由にするため、いじめの問題を解決したかった。

本当は、僕は成長しすぎの病で、それが好きでどんどん成長した。で、僕は、何もかも受け入れるようになった。

そうは言っても、ナチスだけは受け入れられなかったなあ。

人種差別と戦って、自分なりに、ナチスとの戦いをした。こちらが書く方も、共産主義のナチスだった。

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僕の科学は、相手の立場を重視する。

検証されたかが重要だ。だから、しっかりと想像して、長い対話をする。

同時に、自分のおかれた場がそこだったらを考え、自分ならどう感じるか考える。

そして、想像して、他の人を理解する。

そして、全員の頭の中を予測する。それだけじゃなくて、全員の意識を知りたい。

だから、適応する。

想像力が重要。

でも、人間だけじゃなくて、世界の周りにあるものも知りたかった。

だから、気づく。家の天井のへこんでいる部分を見つけて、軽く自分設計学をする。

そして、どんどん気づく。現実世界と個人の世界の間で、何が関わっているんだろう。

でも、それは、あんがい、環境活動と言ってしまえば、それだけのこと。

だけど、どんなアドバイスがどこにあったらいいかとか、考える。

で、ただものや空間ばかり見ていたら駄目です。世界にはどんな人が居るのかを考える必要がある。

だから、文書を読むんです。なんとなく、一度自分が書いた感じの文章を誰かが書いていたら、この人こんな感じかな、とか分かる。

で、世界にはどんな業界の中にどんなキーパーソンが居るかを考えて、その人を知る。

でも、ただ想像力と文章だけでは、自分でやった事にはならない。だから、会話をして、技術をなんとか分かって、マニュアルを作る。

で、技術の話をして、Gentoo Linuxのコンパイルにトライする。

あとは、そこから、マニュアルを膨大に編集して終わり。

結構色んな活動、他にも(行間を読んでください)してたよなあ

で、そんなこんなで分かっていると、想像力とインターネットだけの自分になってしまうんだ。

頭はよくなるけど、現実は知らないよね。

現実を知るなら、仕事と科学が良い。芸術(絵とピアノ)だけやっていたけど、今度は、考えの積み重ねの人間から、思考と状態の記録の人間に変わった。

どんどん決めていって、タイミングよくそれを違うものに変えて、で、最後に決めなおす。これは、網羅して全員に公開しながら、本能のままにやると、今まで理解した全ての事を考えられる魔法のユダヤマジック。

そこまで行くと、全てを達成し終えている。

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さくら なぜ きみは いつから そう 呼ばれているのかな

さくら きみが この庭を去って もう 何年かな

さくら 僕は 君と誕生の年が同じで

君はきれいだった

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ここに書けるようなことは普段あまり考えていない。普段は自分の事を考えているから。

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僕にとってみれば、むしろ、世界はそこまでどうでも良い。

フランス語とドイツ語の本を買った。しかし、そろそろあまりしたくなくなってきた。

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僕にとって見れば、スターリン、レーニン、ヒトラー、ユダヤ教の神が賢い。

そのような体験をして、それぞれの顔を、スターリン、レーニン、ヒトラー、神、としたからだ。

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僕は、自由という言葉の意味を、健康的な精神といった別の意味と履き違えているようだ。

僕は、平等といった言葉の意味を、王によって全員にその彼に必要なもの全てを与える事、のように、平等を王によるものと意味を履き違えているようだ。

市民による平等もあるだろう。健康的でない、病気がかった自由も存在するだろう。

僕は、人生という言葉の意味を、人の生きる全てであるかのように考えている。それは間違いだろうか?

はたして、市民による平等とは、市民が国家に逆らう事によってなされるはずの平等であるが、反乱によって平等が与えられるのは微妙だ。

さて、僕は、他にも履き違えている。人間を、地球の細菌のように扱っているからだ。

人間は、脳を持ち、四体を持ち、臓器を持った、生命体であり、道具を使い、言葉を使い、コミュニケーションし、決まりを作り、さまざまなものを作り出して、自分の好きな環境と自分の好きな自分を持って生活する、国家と関わりがあっても、係わり合いが無くても素晴らしいものなのである。

要は、地球に対してネガティブに捉え過ぎていた、そういうきっかけがあったという事である。

人間は地球の子孫、地球の触手、地球の一部、とも考えられる。不思議な事だ。

他にはきちがえしているのは、国の名前だ。

僕のアラビアは、僕の小学生時代、という事になっている。

僕のアメリカは、僕の不登校時代、という事になっている。

僕のドイツは、僕の病気と王の時代、という事になっている。

僕のフランスは、ドイツでたまに現れる、終わりに終わりきった期間、という事になっている。

僕のロシアは、ドイツの次、今現時点で、病気が逆戻りしている期間、という事になっている。

もちろん僕は日本に住んでいるが、これを総合して、僕のソ連、という事になっている。

そして、総合して、不登校時代はドイツ人、病気と王の時代は日本人、あるいは、不登校時代はフランス人、病気の時代はドイツ人、ともなっている。

で、ドイツ語は、おかしくなってどんどん分かる状態になる事を指す。フランス語は、普通に話している言葉を指す。

昔の状態では、スペイン語は、関係代名詞をどんどんよく使う、を指し、ポルトガル語は、その上で停止する、を指す。

フランス語はどんどん終わっていく。ドイツ語はどんどん続いていく。

ドイツ語は頑張る言語で、フランス語は積み重ねて楽をする言語だ。

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国: クラス

=> 法律

=> 経済

=> 選挙

=> 資金

=> 官僚への金

=> ビジョン :: 指導者

=> 国会 :: 政治家

=> 外交

=> 市場介入・制限

=> 党派によるまとまり

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工場: クラス

=> 会社

=> 工場長

=> もの作り

=> 社員

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名前は、UNITED KINGDOM OF THE WORLD.である。

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終わった、達成した人間は、何をすべきだろう。

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なぜ、人は生きる事に意味を求める?自分の目標に向かって、一心不乱に突き進んでいれば、その期間に意味があるのは当然である。

おそらく、道案内が必要なのだろう。

まずは、社会の全体像を知らせるべきである。そのためには、人が必要だ。

まず、人が必要だと分かった。それなら、子供のごろに、大人の社会を経験させるべきだ。

それだけでは不十分である。社会的活動を一度、完璧にさせるべきである。

ならば、技術と哲学が良いだろう。社会哲学、自然哲学、経済学をさせ、技術的には、最先端の機械が良いだろう。

その目標の中で、人々と話し合い、自分の能力を増やす。

しかし、それは、普通意味が無い。

コミュニケーションの中で、表現力と考え方を身につけ、知恵と工夫を生み、芸術が出来る。

科学は、自分で出来る。ただ、対象を考え、考えを積み重ねて、どの科学が正しいのかを考え、必要な理屈と概念、想像力を残せば良いのだ。

最後は、全てに満足するだろう。

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精神は、認識と交じり合って、適応と意識を生み、感情を育てる。

感情は、他の感情と組み合わさり、認識は、他の認識と組み合わさり、新たな感情と認識、すなわち知を生み出す。

最後に、それらは活動と環境によって融和し、大いなる影響力を放って、社会を変える。

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国家は、1つあれば良い。

全員のための憲法を裁定すべきである。

全員が、同じ国で、同じように、人間的に生活できるべきである。

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権力は、全員のためにあるべきである。

ナチスは、ヒトラーが居なければ存続しないという点で劣っているが、共産主義ほど愚劣ではない。

ユダヤ人を迫害する価値観には全く賛同しかねるが、一人の権力者の審判がユダヤ人という民族的・宗教的なものであった事は、認めざるを得ない。

共産主義は、権力を話し合いという場で行い、商売や企業の社長を否定し、権力を無くし、財産権さえも党のものとする。

その結果生まれたのは、全員を自分のロボットとして所有する異質な機械的支配国家である。

それを否定せずして、何を否定するか。

しかし、ソ連は、それでも、一番意味のある国家だった。

平等を目指す上で、低い人間たちと交わり、平等に話し合いの機会を提示し、工業と農業を発展させるモデルは、それだけで完璧だったはずだ。

必要なのは、指導者の権力が多すぎる事、あるいは、指導者に権力が偏りすぎる事であり、指導者を分散させ、指導者の権力を減らす、これをまず代替案として提示するが、むしろ、個人的な意見としては、指導者を増やし、それぞれの指導者がそれぞれ権力を持てる、共同体主義的な、機械を排除した人間的社会である。

資本主義は人間をモノ扱いするが、共産主義は人間を一つの頭の下に従える。

どちらも無意味だが、会社経済は成り立つ。

それは、全員に権力という一番の自由を分散して与えるからであり、金、物、権力、そして人を分散し、人間扱いし、指導者は社会の健全性を考えるべきであると思う。

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平等は、目指すべき信念として最も重要なものだ。

低い人間が重要だが、精神的に劣った人間たちは重要でない。

モノは不必要であり、その人間の求めるものが必要だが、孤独な人間にとっては、何が必要なのか分からない。

そうした人間には、レールが必要だが、同じレールは必要ない。

自由にまかせるのであれば、スラムとホームレスが生まれる。

そうではない。

きちんとした道を与える必要があるが、それぞれに目的とする目標を選ばせ、そのために必要なものを自身の能力の向上と社会的な自発的活動によって得る事が重要である。

ならば、自由にさせるより、まず、情報収集と研究の訓練をさせ、社会の中で、無数の一般市民と交わる機会を与えるべきである。

その全てを平等にすれば、全員が人間的な活動が出来、失敗と成功を繰り返して、最終的には達成の中で満足するだろう。

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自由はそこまで重要ではない。

精神の健康、つまり、社会の精神的健全性が重要である。

病気になった社会においては、不自由を自由と呼ぶ。

本来の自由と呼ぶ精神的健康性は、豊かな人間関係と受容の精神にあり、幸福を生む。

社会を作る、作り変えるのであれば、悪い精神的影響力を行使するコミュニケーションを排し、あるいは、その中で理解を作るべきである。

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むしろ、普通に生きなさい。

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動詞から考えると終わり。

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で、何をすべきなんだろう。

国を変えたいなら国を変える、何かの職業になりたいならそうなる、何かが出来るようになりたいなら出来るようになる。分かりたいなら分かる。

それ以上は、分からない。

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日本は自由主義国だ。共産圏との関係はどうなのかな。共産主義に対してはどういう視点を持っているのかな。

日本は科学技術立国だ。日本を支えている技術は何なのかな。日本人の科学者はどれだけの業績を残しているのかな。

他の国との外交関係はどうなのかな。

日本の中では、庶民は何を考えているのかな。どんな人が、どこで働いて、何を考えて、どのように日本社会はなりたっているのかな。

経済はどうなのかな。経済って何だろう。金回りかな。それは資本主義だと思う。社会主義は、金持ちと資金による経済を嫌う。

党は、自由民主党、民主党、社民党、共産党、公明党、などがある。

他の国は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、中国、韓国、北朝鮮、アラブ諸国、旧ソ連、アフリカ、アジア、などがある。

ヨーロッパには他にも国があるし、アメリカ大陸にも他にも国はある。

日本には小さな社会が沢山ある。その中で、沢山の人々が生きている。社会人、学生、に分かれるし、職種、会社、地位、立場、経験、年齢、家族構成、などによって違うし、学校は、小学校、中学校、高校、大学がある。

それぞれの全ての社会を知れれば良いだろうが、それは不可能だ。しかし、インターネットを使えば、ブログなどがある。

国家は、経済だ。あるいは、法律だ。いや、民族かもしれない。それなら、自由主義と社会主義、むしろ、社会科学、あるいは、社会哲学、政治学が、それを考えている。

自然の世界は、自然科学が考えている。物理学では全ては分からないだろうが、物理的な現象を研究することができる。

あとは、個人の世界がある。心理学がそれを考えている。感情、認識、記憶、人格、意識、思考、などを考える。

あとは、自分の能力を高めるべきだ。そのために、沢山の文章が山のようにある。

最後に、歴史を考えるべきだろう。

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認識したり認識しなかったりすれば治るでしょう。それで終わりです。

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昔々、一つの国と、王様があった。

その国に、戦争が起こった。

しかし、王様は、それに対処出来なかった。

修道院で、議論が開かれた。しかし、良い意見を言う者は誰も居なかった。

国は滅び、相手の国の領土となったが、村の国民は、自分たちの言葉を失うのをためらった。

数ヵ月後、それらの国によって、革命が起きた。新たな皇帝が現れた。彼は、国民の自由と文化のため、革命の先頭に立った。

しかし、皇帝は殺された。その国は分裂し、沢山の豪族が治めたが、全てが破綻し、内乱の続く無意味な時代になった。

一人の男が、危機に立ち向かい、新たな主義を作った。軍事的なあらゆる考え方を封じ、全ての国家を統一して、やや無政府主義的な、自由の思想を広めた。

しかし、その集団は取り押さえられ、自由思想そのものの危機が訪れた。自由の全てが無くなり、自由と言葉を発するものは全て処刑される、ならずものの国家が全てを取り押さえた。

その国は、滅びながらにして生きていた。誰もが、もう終わっていた。

そんな中で、辺境のある村で事件が起きた。その、昔の自由思想が勝ち、その集団によって豪族達への戦争が起きた。彼らは見る見る仲間を増やして、世界の維新が起きた。

彼らは力を持ち、新しい宗教になった。

その宗教を、自然的多様教と呼ぶ。自由と言えない無数の人々が、考えた中で出た言葉であった。