2009年の日記に戻る

=2009-06-10(3)=

既にある感情を組み合わせて増やすと僕は良いと思うんだけど。

自由を望むと良いと思うけど、自由は一つの言葉に過ぎないから、組織化の自由や、言論の自由、戦争の自由や、生命の自由、支配の自由や、所有の自由、財産権の自由などとすべきだとも思うけど。

殺し合いの自由なんて合っても仕方が無いから、法律で決めるんだと思うんだけど。

金を無くして法律だけにすると、それはただの共産主義。でも、共産主義とレッテル張りをしないで、一つの仕組みとして、システムとして、肯定も否定もせずに、そうしたものも考えなければ賢くない。

金以外の資産の交換の仕組みがあっても良いと思う。でも、それは標準化されても良い。

自由とは言うけれど、自由主義は金銭と契約のある資本家の自由だから、そこまで自由じゃない。資本家の支配の主義だと思う。

そういうわけで、真の自由や知性、言論による変化などを望むべきだ。

それなら、どんどん変わるべきだと思うけど、悪いものは排除すべきだ。

発展の方向も誰かが調整しないと、変な企業がなりあがる。

青少年が何も分からなくなっている。青少年に分からせるべきだが、肝心の大人も常識と支配に洗脳されている。

自由は何か、という議論はもう良いと思う。

ソ連は平等にしたせいで抑圧が起きたが、それは、抑圧する側と抑圧される側が一緒になったせいで、される側だけになってしまったのかもしれない。しかし、全員する側になってはならない。しない側、されない側、という物を作るべきだが、何も経験しないと、何も分からない。

そういうわけで、今はし合っている。それが間違いだ。する側を罰し、あるいは、実際にしないでも良い様に何か工夫すべきだが・・・

まぁ、自由な精神を身につければ僕は解決すると思う。

しかし、自由になったとして、何をする?

ただ楽しいことをするのも良いけど、そのうち尽きる。

僕は技術を勉強して沢山書いたけど、特に、残ったものはあまり無い。

そういう意味では、学校をもっとゆるやかにして欲しい。