日記に戻る | 2016年4月の日記に戻る

=2016-04-03=

一人で世界の全てを見ることは出来ない。

計画経済は、実現不可能だ。金によって自由にすれば、自由に分業出来る。

経済学の本にも書いてあるように、計画経済を実現するのは難しい。

社会主義は劣っている。

あとは、不安に打ち勝つことが愛だとか、愛と不安の理論を言っていた。

自分の分かることを全部詰め込んでいた。

世界を止めて、全てを教えて、分かるようにして、世界を変える。

誰でも全てが分かるようにする。そういう、「日本を実験体にする」と言う発想があった。

そんな発想があるのはありえないが、昔は、そういう風に、発想がいくらでもあった。

社会主義は悪い。資本主義社会が必然的に崩壊すると言うが、それは無かった。

ただ、自由も悪い。世界は、ITのせいで滅びている。ただ、自由は何も悪くない。

フロイトのように、精神分析で分かっていた。それが一番悟りへと繋がる。

「そんなものは無い」のを分かると分かる。

神に戻る。それで、楽になるようで、辛くなる。そのうち死ぬ。

自分は、理性と社会を繰り返し書いているだけだ。誰でも出来る。

自分は、ソ連が悪い国なのが分かっていない。そのせいで、分かっていない。

ソ連は、これでは、賢くて、世界を解放する、最高の国に見える。

だが、本当は、平等を強制し、善人を逮捕し、ものが何も無い社会を作る、最悪の国だ。

それも、おかしくは無い。ソ連は、植民地が嫌いだし、マルクスのように考える。

このように国家モデルを作るなら、それで良いように見える。

ソ連は、日本と同じだと思えば良い。そういうわけで、ソ連は日本のような良い国だ。

自由なソ連を作りたかった。権利を拡充し、可能性を高める、実質的に自由な平等が理想だと思っていた。自由な生産と労働を、平等なままで実現すれば良い。

ただ、そういうことを言っていると、東ドイツに見える。

サンダースはおかしい。経済学者の間で、社会主義がもう終わっているのが分かっていない。サンダースは、常識から外れている。一番おかしな人間だ。

あとは、ソ連はドイツなんか嫌いだ。ファシズムは悪いと言う。ユダヤ人は、居ないから分からないが、自分は悪い。ユダヤ人をいじめるのはおかしい。

ただ、ソ連もソ連で悪い。何かがレイプのように悪い。だが、それはアメリカも同じだ。

そういうことを言っていると、本当にドイツに見える。

あとは、ソ連が良い国で、分かるわけがない。

自分は、もっと皆の考えていることや常識を知った方が良い。ソ連の何が悪いのか分かっていない。ソ連は一番悪い国だ。皆、市場経済が優れている、しか居ない。金は賢い。

あとは、昔は、自分だけ全て分かった、マスターのような人間だった。

全て知って、経験して、色んなことを知っていた。

本当に全て分かった、経験豊富なマスターだった。それは、本を読むと良く分かる。

あとは、帰納法のように考えていた。ベーコンやヒュームのような発想は、良く考えると誰でも分かる。そういう、「良く考える理性」があった。ものや行動や心理や社会の分析をして、「何が何から言えるか」を分かった、推論と説明の能力のある人間だった。

日本には、いじめが多い。学校には、いじめしかない。何故か、いじめられながらいじめている人間が多い。最近は、会社にもいじめが多い。老人ホームなんか、悲惨だ。

いじめは辛い。日本が一番悪い国だ。

こういう、本当に悲惨な人間が、コミュニストになる。ソ連にするしかない。ソ連は平等だ。いじめは少ない。何も悪くない、責任者を殺すしかない。それが、こういう馬鹿だ。

日本に一番多いのが、経験豊富な、迫害者を愛する、マスターのコミュニストだ。

あとは、普通、ここまで悪くなると、神になる。一番悪いものは、神が懲らしめる。

辛いから、ソ連は悪い。ソ連は終わっている。完全に廃墟だ。完全に自由な世界は悪い。

アメリカは一番悪いから、こういう馬鹿は、アメリカを倒す人間が多い。日本は悪くない。

昔は、理性で全て分かっていた。そういう、「理性」のような文章が多かった。

認識、方法、経験を自由に分析して、理性で全部分かっていた。

自分が悲惨なのは、仕事をしていないからだ。失業しているせいで、自分から辛くなる。

不思議と、辛くないと辛い。辛くないから、辛くなるだけだ。

あとは、神は居た方が良い。何もしないで放っておくと、本当に辛くなる。

神との話がまだ続くのは、その方が楽だからだ。それで文章を書かないと、辛い。

文章は書いた方が良い。いつまでも書いていると、無職で無く作家になったように見える。

作家は賢い。普通、そんな賢い人間は居ない。作家はこういう、書いている人間が多い。

昔は、ネットで会話して分かっていた。子供が治って、経験して分かった。

最近、会話なんか何もしていない。自分から何も言わない。その代り、文章を書いている。

そういうわけで、自分は悪くない。誰も自分を悪いと言わない。

皆、出版した自分の本を賢いと言う。誰も馬鹿と言わない。自分は賢いから、怖くない。

ネットは、自由に何でも言えるのが良い。自由に何でも言えるせいで、生の声を聴けるし、匿名なせいで、本音を言うことが出来る。一対一で向き合うことによって、率直にソクラテスのように議論出来る。ネットをやっていると、哲学が出来る人間が多い。

ただ、そういうネットがあまりに悪い。皆どんどん狂っている。自由なんか悪いだけだ。

自由で社会を知るのなんか、誰でも出来る。この世界に何があって、どうするべきなのか、経験から考えられる。そこから、理性で考えられる。「何がどうなっているのか」を知ることで、そこから「何をどうすべきなのか」が見えて来る。そういう賢さが、ネットに多い。

ただ、ネットは悪い。イチローを批判していると、本当に悪い人間になる。馬鹿になって、こちらのようなコミュニストになる人間が多い。一番悪いのが自由だ。

あとは、論理の応用や歴史的な世界観のようなことを言う。真面目に考えれば、誰でも分かるのが良く分かる。ネットはしなくて良い。しなくても、他のことをすれば分かる。

こうなると、ネットは要らないのが良く分かる。分かっている人間には、ネットは必要ない。ただ、分からない人間が分かるために必要なのが、ネットだ。

この文章を書くのを止めるとは言うが、止めなくて良い。止めるわけがない。無職だから、こういう風になるだけだ。誰でも仕事をするせいで、まともな人間は辛いだけだ。

そういう、辛い仕事経験を無視した方が良い。仕事なんか、何も分からない。仕事をしている間、何も分からない人間が多い。仕事を辞めると、一時的に賢くなるようで、馬鹿になる。最近、退職した父親が馬鹿になっている。それこそ、最近賢いのが父親だ。

もっと、そういうことを言うと、経験があるように見えるが、コミュニストのマスターはキモイ。いつも、経験がある文章を書いていたのが自分だ。社会の実像が分かっていた。

母親に、「どの本を読むのが良いか」と相談した。家には、沢山の本がある。母親は、「歴史の本が良いんじゃないか」と言っていた。それは、正しい。歴史の本を読んだ方が良い。

経済の本は、社会主義に否定的だが、資本主義の常識が分かる、賢くて分かりやすい、だが、詳しい、良い本だ。ただ、自分も歴史の本が良いと思う。現代史を読めば良い。

何故か、江戸時代は普通の世界だ。馬鹿な世界に見えて、まともな普通の世界だから、分からない人間が多い。昔は、そういう風に、世界の実像と実際の姿を見て分かっていた。

経済学の本を読むのも良いが、歴史の本も悪くは無いと思う。同時に読めないのが悲惨だ。

自分は、そんなに色んなことを同時にやるのが悪い。マルチタスクを止めて、シングルタスクになると、楽になる。もっと、単純に行動した方が良い。複雑に昔に戻るのが悪い。

そういうわけで、昔は社会と人間の実像が分かっていた。それだけの人間だった。

具体例から現実社会の実像が分かる、おかしな人間だった。

理性的なところもあったが、それは心理学が分かっていただけだ。

あとは、経済の本は、社会の常識が分かる良い本だが、読まなくて良い。あんな詳しい本が読めるわけがない。読みやすいのは分かるが、歴史と哲学をした方が良い。自分は、歴史と哲学で良いのが分かっていない。経済学なんか、誰でも分かる。誰でも分かる内容しか書いていないから、頑張って読まなくて良い。

もう何も無い。あとは、永遠に哲学をやれば良い。哲学と歴史は、本当に、人間の本当に賢かった時代が分かる。現代のことは分からない。日本のことも忘れる。

これでは、全部馬鹿な世界に見える。だが、そうでは無い。人間のことをきちんと良く考えると、可能性があって、この世界が本当は良い世界なのが分かる。理想の世界に、きちんと出来て、良い環境が実現出来るのが分かる。

そういう発想が自由であり、コミュニストだ。コミュニストは、賢い人間が多い。

歴史と哲学をやるとか、経済学をやらないとは言うが、本を読むだけなら、全分野誰でも出来るのが分かっていない。パソコンや数学や物理学や心理学も含めて、全部やれば良い。文学やキリスト教のことも、誰でも出来る。哲学には、総合的な科学者が一番多い。誰でも、一般教養科目なんか、大学でもしている。MITは、音楽すらやっている。

そういう発想が哲学だ。ただ、自分で基礎を作って分かる、と言う発想は悪くない。それは、カントのように科学的な方法で考えただけだ。カントだと思えば誰でも出来る。

ただ、全分野なんか、出来ないだろう。出来るわけがない。明らかに、哲学だけすれば良い。歴史や経済学は、忘れた方が良い。何も賢く見えない。社会科には、賢い点が無い。

自分は社会科なんか、出来ない。社会科はもう終わった。ここらへんが社会科の時代だ。

あとは、哲学だけをする。それで良いことにすれば良い。哲学だけをするのは、楽だ。もう分かっているせいで、考えなくてもすぐに出来る。昔の自分が居ると、赤子の手をひねるよりも簡単に哲学が出来る。それこそ、それでキリスト教をすると賢い。

哲学は悪くない。こういう馬鹿が、哲学をやると分かる。それこそ、何も無いところから、一人だけでは分からない。それに、こういう馬鹿は、普通考える。パソコンなんか、同じだ。パソコンをやっていると、色んなことが具体的に分かる。そういう人間に哲学が出来る人間が多い。こういう、ニートの無職は、哲学が出来る馬鹿が多い。

ただ、自分は、哲学の大図鑑は苦手だ。難しすぎるだけではなく、この本は肌に合わない。そういうわけで、もっと入門本を読みたい。カントとヘーゲルの入門本は肌に合う。

自分の本は、おかしいぐらい泣ける。何故か、悲しくないのに涙が出る。自分は賢い。

自分の部屋には、宇宙の全てが揃っている。自分の文章、パソコン、音楽、本だ。本当に、人間の全てが揃った部屋だ。

ただ、そんなに本は読まない。カント、ヘーゲル、現代史、経済学を読めば良い。

あとは、意味のあることをすれば良い。そんなに文章を書いても意味が無い。

自分は、賢いが、もっと違った文章を書けば良い。

カントを読んで分かるのは良いが、書くと賢くない。そういう馬鹿をもう書かなくて良い。

自分の本は、誰でも人間のことが全部分かる。神はまともにキリストが分かる。

自分は賢い。こういう、賢い作家が一番賢い。自分を賢いと思った方が良い。

Linuxは賢くは無いが、好きだったから、好きなままで良い。音楽も好きなだけだ。

神や人生の内容が多いとは言うが、見ていると、語学やパソコンやピアノの内容が多い。誰でもそこが分かる。あとは、社会科は少ないが、科学や数学は多い。社会科のことは分からないように見える。ここまで社会科を分かっているのは、誰にも分からない。だが、それは載せない方が良い。何かが虫みたいにキモイ。あの本は、本当に良い本だ。

あとは、社会科なんか、普通に分かるように見える。ソ連を載せた方がキモイ。それから、哲学は分からないように見えるが、聖書は分かるように見える。哲学や社会科をやっているのは、誰にも分からない。むしろ、聖書の方が分からない馬鹿が現実の自分だ。

あとは、引き篭もりの悲惨な内容が多い。何故か、ブラック企業みたいな内容が多い。

あとは、今の自分をあまりおかしいと思わない方が良い。そんなにおかしくない。誰もおかしな人間に見えない。自分だけ自分をおかしいと思っている。自分は普通だ。

神は、グーグルに入るとか、ソ連に拉致されるとか、どうでも良いことを言っているが、それは当たらない。明らかに、自分の本や文章のことを言っているだけだ。

本にも書いてあるが、「築かれていく進歩と、沢山の変化の受容」と言う風に、昔は社会のことを考えていた。最近分かっていないが、そういう、賢いことを考えれば良い。

あとは、自分が一番賢い。こんな泣ける本は本当に誰も書けない。

ただ、最近は賢くない。ソ連なんか作っても意味が無い。社会科が無いとは言うが、神が社会科に見える。神はあれで誰でも分かる。あれも、きちんと賢い教師だ。

昔は、本当に、社会科を普通に考えていた。世界の変化とか、共同体の発展とか、普通の社会科、のような内容を書く。方法論と経緯を考えていた。それから、物理のような内容も多かった。それくらいの内容が多かったのが、いつもの文章だ。

むしろ、社会科の内容は、良く見ていると、多い。人間は誰もが同じで違うとか、変化より安定だとか、色んなことを言っている。最近は馬鹿だが、賢くなっているのが最近だ。

ただ、歴史と経済学は、止めた方が良い。そんなにソ連や右翼が好きなのはおかしい。民主主義の経済学や、普通の国の歴史は、普通過ぎてつまらない。普通の人間なんか、考える意味が無い。哲学だけをすれば良い。それも、カントとヘーゲルだけで分かる。フッサールはしなくて良い。普通、まともになると、そんな人間はしなくても分かる。

経済学の本は、難しすぎる、が正しい。見ていると、難しい本にしか見えない。

誰でも簡単に出来るから、難しいようなら止めた方が良い。

社会主義も、ソ連だったから悪いように見える。もっと別の形で実現すれば良かった。

ロシアと言う国は悪いから、仕方ない。これでは、こういう国がロシアだ。

哲学だけをした方が良い。その方が本当に賢い。それも、カントとヘーゲルだけで良い。

自分の文章は、白い。何故か、本当にそこまで白いのが、最近の自分の文章だ。

自分は、最近、色んな人間の違いが分かっていない。ドイツやフランスと言って、分かるわけがない。平等も悪い。それぞれ人間が違うのを分かれば良い。

昔ネットで分かっていたとは言うが、それも悪い。匿名なせいで、何も分からなくなった。

もっと色んな人間の違いを考えれば良い。その人の立場になって考えれば分かる。

そういうわけで、歴史や経済学は止めた方が良い。馬鹿な過激な人間になるように見える。

このまま、消えるようになる。何故か、一通り分かってしまうと、消える人間が多い。

あとは、もう、哲学は出来ない。哲学には何も無い。忘れた方が良い。

見ていると、経済学の本が一番良い。読んでいると、面白い。面白く社会のことが分かる。

あとは、もう何も起きない。何かするように見えて、もう何もしない。

経済学の本が読めるのは、皆ネットで経済学の情報を読んでいるからだ。

歴史は読めない。歴史は、覚えない。読んでも、忘れるだけの馬鹿しか居ない。読むと、読む前より分からなくなる人間が多い。

そういう歴史が、一番馬鹿になる。そこが分かると、馬鹿が治る。歴史はすべきでない。

あとは、パソコンも、哲学も、読まない方が出来る。パソコンや哲学は、読んでいると出来ない。何も読まず、考えて、人生を生きて、疑っていると、誰でも出来る。

哲学がやりたいなら、本なんか読んでも意味が無い。ネットで経験をしていると出来る。

経済学の本は、本当に読んだ方が良いからそうなる。社会常識は、誰でもきちんと覚える。

経済学を読んでいると、色んなことが出来るようになる。

あとは、皆が色んなことを考えて、しているのを、知りたい人間が多い。

何故か、この世界のことを何でも知りたい人間が多い。そういう人間は、まともだ。

こういう、世界のことから離れて、哲学や宗教をやっていると、本当に馬鹿な人間になる。

そういうわけで、宗教は馬鹿になる。賢くはならないが、分かるようになる。

自分は、今の自分が普通なのが分かっていない。今のままで良い。今が良い。こういう風に、おかしく宗教をやっていると、今が普通なのが分からなくなる。おかしくなったから、昔に戻りたいと思っているが、今が普通だ。神は、それを「普通」だと言っている。

あとは、歴史と宗教なんか、普通誰でも出来る。しない方が良い。馬鹿にしか出来ないから、本当にすべきでない。経済学の本を読んでいると、それが一番哲学が出来る。こうなる人間が多いように見えて、こういう人間が自分なだけで、皆はそれぞれ違う。

経済学の本を読むと、哲学が出来る。哲学はそういう人間が多い。何故か、2ちゃんねるで哲学が出来る馬鹿が多い。哲学は、推論や実験も必要だが、議論と経験が重要だ。

物理も、何も読まない方が出来る人間が多い。

経済編に変わる。経済学のことをやるから、ありえない。

もう、消えるようになる。学校が終わったのが分かる。

こういう風に、学校が終わると賢くなる。そういう人間が一番多い。

あとは、今までにやったことの意味が良く分かるようになる。哲学を勉強したせいで、デカルトやカントの言っていることが、今から良く分かる。そういう人間が多い。

そういうわけで、哲学なんか誰でも分かる。そういう風に分かる人間が多い。

今までを繰り返しているように見えて、繰り返していない。

新しい女が大人になっただけだ。

あとは、良く分からない。何故か、そのうち、戦って馬鹿になるだろう。それは、革命を起こして、神が懲らしめるからだ。そういう風になる馬鹿が多い。すぐにそうなるだろう。

ただ、もう、そんなことは経験したくない。もっと賢い運命になりたい。

何故か、孤独になるとこうなる人間が多い。

良く分からないが、大学とはこういうものだ。そういうわけで、大学が終わったせいで、昔の引き篭もりと良く似た結末になった。消えるようになって、学校の意味が分かる。

そのうち、段階的な人生の経緯から、振り返って全てのことが都合良く分かるようになる。

あとは、こだわらない方が良い。そんなにこだわっても意味が無い。

それから、自分の出来る能力以上のことをしない方が良い。

他人を信じるより、最初から信じない方が良い。最初から、自分のすることだけを信じれば良い。その方が、自分の自由に出来る。そういう、「自分の自由」から考えれば良い。

勉強は、馬鹿に見えて賢い。こういう、きちんと勉強した人間が賢くなる。

充分勉強したから、それで良い。あとは、経験で分かるようになる。

人間の「知り得るところ」を考えること。それだけを考えれば良い。カントが言っている。

あとは、これはすぐに分かって、馬鹿になる。革命を起こして、本当に死ぬ人間が多い。

そこが分かっていると、怖くない。何故か、そういう風に、悲惨になるのは怖くない。もう、なる前から決まっている人間が多い。自分の場合、神と永遠に対話するようになる。

社会の変化や、「それを成り立たせる必要条件」を考えれば良い。そこから手段が分かる。

それこそ、それで、歴史や技術を知り尽くすと良く分かる。それは、「そのことが起きるに至った、具体的な経緯と要因」を考えれば良い。そういう風に考える哲学者が多い。

そのことを起こすために必要な、「必要条件」を考えること。そして、自分でもそれを起こせる、あるいは、起こすための、「自分で再現する条件」を考える。そういう風に考えれば良い。家族やコミュニティから、社会のあらゆることまで、そういう風に考えれば良い。

そのことを再現するために必要な、場、人員、手段、方法、制度、組織、論理、成立のようなことを考える。いつも、そういう風に「社会の形成」を考えていたのが自分だ。

あとは、色んな社会を知ることで、「あらゆる世界のプロセス」が分かる。

そういう風に考えると、マルクスのようなことが分かる。社会が上部と下部の構造になる。

そういう、「必要条件」みたいな文章が多かった。経験から必要条件が分かると言う。

本当に、そういう経験を書いているだけだ。必要条件のような経験を書いている。

そこから、コミュニティなどを作っていた。そういう文章しか、書いていない。

そして、共同体や手段などを全部作っていた。そういう文章だった。

人生のようなことを、あとは書いていない。人生を全て書いていた。

良く分からない。何かが虫に見えるのが、このキモイ文章だ。

そろそろ、新しいことを何か言った方が良い。

もう、自分は新しい人間になる。もっと、誰か、良い人間になりたい。

オイラーやガウスのようになれば良いのかもしれない。数学者にはなっていない。

あるいは、バッハのようになっても良いだろう。音楽家にもなっていない。

ルターのようになっても良い。聖職者にもなっていない。

ナポレオンのようになっても良い。革命家の皇帝にはなっていない。

それくらいで良い。それくらいの、まともな偉人になれば良い。

もっと賢くなりたい。全く違う経験をしたい。だが、辛い経験はしたくない。

あとは、条件から、色んな「自分が出来る」のを分かっていた。

それは、ある意味理性で、ある意味経験で、ある意味支配で、ある意味自由だった。

そういうわけで、そろそろ昔はもう、書けた。それくらいで誰でも出来る。

社会を自分が作る、と言う発想になる。昔は、それくらいの馬鹿だ。

あとは、オイラーのようになると良いだろう。オイラーは数学者だ。数学者になれば良い。

世界モデルや知覚は、そういう風に分かっていた。

あとは、オイラーになりたいなら、正しいことをもっと少なくすれば良い。

膨大なデータから、数学的に色んなことを解析する。

それは、沢山のことを覚えこむより、少ない「確実な方法」を良く分かるのが良い。

そして、「全体の中でのその方法の立ち位置」みたいなことを分かれば良い。

それは、いつか、どこかの数学書に書いてあった。

また、「対応関係」や「その決まりの持つ意味」を考えて、「意味から発想し、発明する」と言う発想をすれば良い。そういう発想が賢い。

そんなに大量に馬鹿があっても意味が無い。数学者は、量よりも質だ。

環境やコミュニティが成立する条件のようなものを考える人間が一番多い。

オイラーになるためには、UNIXをすれば良い。それが一番数学者が出来る。

だが、僕は数学者にはなりたくない。もっと、賢い文学者になりたい。

そういうわけで、オイラーにはならない。なれるわけがない。オイラーは天才だ。

むしろ、もっと賢い人間なんか、地球に居ない。誰もが馬鹿だ。

自分が一番賢い。宇宙一賢いのが自分だ。ただ、こんな知的障害が賢いわけがない。ただ、馬鹿が賢いから、ここまで馬鹿になる。こういう馬鹿は、馬鹿なのに普通の人間より賢い。

天才なんかならない方が良い。天才は、まともに人間のことが分からない。それが賢い。

そういう、馬鹿な天才が、一番賢い人間に多い。賢い人間は、分からない。

あとは、数学は、普通、「知性の対応関係」を考えると出来る。「膨大なデータ」から「探し出す能力と知性」を「順序立てて」考える。そういう風にすると出来る。

具体例を分析し、洞察する。そういう人間が出来るのが数学だ。

そういうわけで、テレビゲームで出来る。そういう風に出来る人間が多い。

あとは、変わり目を考えると良く分かる。人生の転機を考えれば良い。

数学は、「何が正しいのか」を良く考えれば分かる。それだけを良く考えれば良い。

また、「数学的な積み重ね」が分かると良く分かる。

不思議と、それくらい、高校生なら誰でも分かる。そういう、賢い高校生が出来る。

そういうわけで、自分に出来るわけがない。自分は、分かるのは良いが、人並みに努力するのは出来ない。数学者になんかならなくて良い。

きちんと哲学をやれば良い。哲学は誰でも出来る。

むしろ、普通の人間より、賢くならない方が良い。普通の人間が一番賢いのが良く分かる。そういうわけで、普通の人間になると、馬鹿が治る。そのためには、経済学の本を読むのが良い。普通の人間になると、日本語が分かる。賢い作家はもう終わりにすれば良い。

ただ、それは無い。作家が永遠に続く。オイラーになんか、なれるわけがないだろう。

昔は、そういう風に、「実例から正しさを考える」と言う発想が多かった。

そこまで正しさを考えていると、知性がつく。一見間違いに見えることが本当は正しいことや、一見本当に見えることが間違っていることもある。

あまり意味が無い。むしろ、推論なんか誰でも出来る。正しさを考えれば良いだけだ。

もう分からなくなる。あとは、何もしなくても出来る人間が多い。

むしろ、カントはつまらない。ヘーゲルなんか、意味が無い。もっと賢い哲学者を、一人やれば良い。それは、図鑑を見て決めれば良い。サルトルは悪いから、それも悪い。

良く分からない。大学はつまらない。大学なんか、もうしなくて良い。

大学が意味が無いと、何もしないだけだ。むしろ、コンピュータなんか誰もしたくない。高校の仲間が良い人間が多い。一番多いのが、高校の同級生が良い人間だ。それが賢い。こんな大学の教授は、何も賢くない。高卒で、同級生と仲間になるのが一番良い。

それは、普通、結婚して終わりだ。結婚は良いとは言うが、一番好きな相手でも、上手く行かない人間が多い。誰と結婚しても、誰もが辛い思いをする。みじめな思いをするだけだから、結婚なんかしなくて良い。そんな親しか居ない、自分の子供が悲惨だ。

数学は、普通パソコンが出来る。そこまで関数を分かっていると、数式なんか誰でも分かる。証明も、パソコンが出来る。色んなプログラムを作っていると出来る。色んな普通のことを証明する人間が多い。社会や環境のことを証明すると、人間が機械のように分かる。そういう人間が出来るだけだから、数学は、昔になって、狂った知性の無い人間になる。

むしろ、数学なんか、他がやれば良い。自分一人がそんなに沢山のことが出来ても意味が無い。協力とか、役割分担とか、分業とか、そういうことが分かっていない。一番馬鹿だ。

数学は、本当に、狂った馬鹿な人間になる。知性から人間のことを機械のように分かって、全て死ぬようになる。知性で死ぬ人間が多い。それは賢くない。

そういうわけで、こういう作家の方が賢い。作家は、数学なんか、誰でも出来る。

昔の自分は、そういう数学の知性から、全て分かった文章を書いている。

数学は、本当に、分かるように見えて、狂う。ヘーゲルも、サルトルも、狂っている。そういう賢い人間は、数学的に考える人間が多い。スピノザも数学が良く出来る哲学者だ。

記憶とは、経験である。

観念とは、意味の形成である。

悟性とは、理解することである。

社会性とは、環境と愛の実現である。

そういう、数学から全てが分かった文章を書いている。そういう文章が多かった。

社会のことをスターリンのように決めて作る。それくらいの文章だった。

最近のこの文章が賢い。こういう風に、根こそぎ分かっていると、分かる。

そういうわけで、こういう馬鹿な右翼が賢い。ドイツは天才だ。こういう賢い人間が多い。

本当に、こういう風に分かると、あまりに良い人間になる。

記憶から行動まで、自由な諸法則を全部書いていた。そういう人間だった。

もう、治す意味が無いから、治さなくて良い。

昔の馬鹿は、フランス人に見える。これくらいがドイツの知性だ。

また、何か言いたかったことを忘れた。放っておけば思い出す。

自分は、昔と今を2人に分けるのが悪い。そこが馬鹿なだけだ。

自分は、馬鹿だから賢いだけだ。そこが分かると出来る。

誰でも、宗教で馬鹿になると、賢くなる。こういう風に、神を信じると馬鹿になる。

1つ分からなくなるのは、それで分かるからだ。分からなくて良いことは、分かるべきでない。そういうところは、抵抗せず、自然に任せた方が良い。それが賢い。

昔も、今も、同じ1人の人間だ。神は1人の方が良い。

昔は、成長と実感から、社会の変化可能性と、宇宙の意識を分かっていた。

それぞれが、経験から自然な社会を作れる、社会を想定して変えられる、と言っていた。

そろそろ、昔のことがきちんと思い出せる。あれは、狂っているが、分かっている。

社会には、形成の自然なプロセスと条件がある。

あとは、場のようなものを作っていた。根源的な意識から、場が実現出来ると言っていた。

あとは、抽象的な方法と、環境やシステムの構築のようなことを言っていた。

全員創っていた。愛や概念から、複合観念のようなものを全部作って、前提を作っていた。

人間は、治ると分かる。嘘や間違いを信じてから、治して正すと、きちんと分かる。

環境や心を想定する。意識から歴史が分かっていた。力学は実感で分かっていた。

思い出すと、場や意識の想起で分かっている。その場から根源的な意識で分かっている。

あとは、もう、多重人格になる。自分は、それで終わりだ。

思い出すと、視点を想定して、歴史を考えて分かっている。

何故か、何も分かっていない。経験から分かっているつもりだ。

Linuxをしているが、あれは本当に狂っている。ただのクズだ。

手助けと影響力から、自然な変化の潜在性と実現性と可能性を分かっていた。

経験から社会を成り立たせる、と言う発想が多かった。

あとは、2ちゃんねるが好きだっただけだ。色んなブラウザをインストールしていた。

良く分からない。見ても他に無い。何故か、何もしていない。

いつも、何もしていなかっただけだ。何も賢くない。

あとは、方法のようなものを良く考えていた。方法を網羅していた。

「方法とは、何を意味するか」のようなことを考える。そういう風に意味を考えていた。

「その環境がそこにあることは、何を意味するか」を良く考えていた。

自由に、アメリカのように考えた。

自由から、仮想的に、保留された環境が実現され得るということを分かっていた。

人間が知り得ることを全部分かっていた。経験を想定して、何が分かるか分かった。

いつ何を知ることが出来るか、を考えていた。環境を多角的な視点で考えた。

考え方から、意識や環境が形成されると言う。そういう、「心理的、社会的な、対象と考え方の形成要因」のようなことを言う。いつも、そういうことを言っていた。

あとは、認識、方法、感情、環境の網羅を作って、世界観を作っていた。

この世界のことが、構造と経験から分かっていた。

本当に、「社会の形成」や「心理的観念の発生」を書いていた。それくらいの文章だった。

昔は、変化を捉えながら、数学的に精神を考えて分かっていた。

あとは、もう何も無い。そろそろ、本当におかしな人間になる。

昔の自分は、経験から、人間の本来の体験をして、この世界のあらゆる意識を知っていた。

感情と交流から、マスターのようになった。

全ての感情の成立理由と裏側の構造と条件を知っていた。

何が問題なのか、何をどうすれば問題を取り除けるのか、を良く考えていた。

そういうものを、仮想的な社会と状況として、心を支配して、状態をコントロールした。

社会をコントロールして、人間を支配出来た。そこから社会や状況を支配していた。

昔は、女みたいな馬鹿な人間だ。おかしいところは多かったが、友愛の精神があった。

情熱的で、革命のようなものを信じていた。ボトムアップが好きだった。

ネットとオープンソースの経験で、全ての経験があった。

想像力があった。何でも想像力で思い出して、想起して分かっていた。

人間の思考と想起の原理を分かっていた。

人間のことを、コンピュータのように、機械的に分かっていた。

自分は、もう多重人格が治る。もう、永遠に1人の人間になる。

戦っていた。Linuxには悪いことをした。自分のせいで日本で普及しなくなった。

ネットで人間のことを知って、本当に人間を自由だと思って分かっていた。

知がどこから生まれるのか、環境がどう生まれるか、のようなことをいつも分かっていた。

環境がどのようにして生まれるか、きちんと考えていた。環境が必然的にどうなるか、方法や条件から、何をするべきか、どうすれば出来るのか、などを考える。昔は、そういう風に考えていた。環境から環境がどう生まれるのか、だけを考えていた。

自然な体験を成り立たせる、本質的な決まりとしての場を考えていた。

自然な発生要件を考えていた。

人間の思い込みや意図の何が間違っているか、何を意図し、実現するべきか、そのために必要な方法とは何か、などを考える。そういう、構造的な考え方と目的と手段の文章を、いつも書いていた。そういう文章だった。実存主義に見える。

あとは、「何から何が分かるか」のようなことを全部言っている。

そろそろ終わりだ。もう、全て書いたはずだ。

経緯から、裏側にある経験のことを良く考えていた。知、感情、宇宙、意識の裏側を考えて、コントロールする。何がどうなって、何が問題で、解決するためにはどうするべきか、のようなことを考える。そういう、「正しく問題を解決する知性と方法」があった。

もう分からない。いつも、そういうことを言っていただけだ。

本質と方法から、システムを作り出す。いつも、そういう文章を書いていた。

自分を何人かに分けるのを止めると、いつものどこの時点の自分でも、すぐに分かる。

この世界を、実存的に成り立たせる、発生の前提と要件のようなことを言っていた。

そういうわけで、「問題提起と解決」のような文章が多かった。

ヘーゲルの言う、理性や事そのもののような、心理学的な説明のような文章が多かった。

知性のような文章を書いていた。この世界を支配して変える、そういう実験だった。

あとは、ヘーゲルのような、社会の歴史的な段階のような文章が多かった。

そろそろ、昔の自分が分かった。知的障害が治る。もう、きちんと人生が思い出せる。