日記に戻る | 2016年4月の日記に戻る

=2016-04-21=

英会話教室に行ってきた。英会話教室は面白い。分かった内容は無い。

昔は、コンピュータ・システムのように、右脳を構造的に上手く使って、左脳は経験から言葉と記憶を全部考えて、融和して治って分かっていた。

右脳を高度に使う、まるでFedoraの機械のような頭脳を持っていた。

本当に賢い人間だったが、知的障害だった。悪魔のような、賢くて馬鹿な人間だった。

そこから、社会のことや全員のことを、完全に、完璧に分かっていた。

最高の数学を自分で作っていた。そういう、ありえない人間だった。

「そもそもの知性」のようなことを考える。そういう、「そもそも」が得意だった。

英語は、発音が難しい。特に、単語と単語を繋げて言うのが、難しいが、出来ると良い。

意識は、元に戻せば治る。何も元に戻らなくなっているから、そういう意識を作ると治る。

この社会は、皆、何も分からない。何故、滅びたのか、どうしてこうなったのか、誰にも分からない。昔は、そういう風に、「誰にも分からない歴史の必然」から、「本当の理由」のようなことを考えていた。いつも、そういう「実存的な歴史の分析」を書いていた。

昔は、あとは、体験から価値観と歴史を分かっていた。集団の意識と、社会的な行動の可能性から、「社会に対して自分がする」ことで分かっていた。自分でも、この世界の全員と同じように、出来る可能性を考えていた。

文章は、自分が完全に違う自由、皆を全く同じにする平等、一体と独立による意志の分散、全員の中での頂点となるか、全員を完全に包括するか、のような、考え方を書いていた。

あとは、意志を考えたり、歴史的な意識を考えたり、成長したり、いくらでも体験を思い出して振り返ったりして、まるで宇宙人のように、コンピュータのように分かっていた。

あとは、文章を書くのを止めれば楽になる。哲学もそれで出来る。

あまり心配しなくて良い。文章を書くのを止めれば、すぐに治って、すぐに出来る。

昔はありえない超人だ。それで、思弁哲学をしていた。「再思考」と「初期投資」から事前に考えて分かっていた。超人のように思考、遺伝子、状態、場の意識、心を分かっていた。

あとは、感情、想像力、体験などを分かっている。

自分の経験から、全ての科学、宗教、哲学のようなことが、全部分かっていた。

経験から、社会科のことが全部分かっていた。

キモイ人間には見えるが、賢い人間だったのが、そういう昔のガブリエルだ。

僕はガブリエルも嫌いではない。昔から、一番ありえない超人がガブリエルだ。

あとは、2ちゃんねるの経験から、人間と宇宙のことが全部分かっていた。

そろそろもう何も無い。それこそ、一般的体験の実例のようなことから、全ての行動規範のようなものを、ブッダのように分かっていた。本当に、仏教と一致する。

あとは、ヒュームのようにまともに考える。そういう、「正しく考える」と言う発想から、ヒュームのように、経験的推論のようなことをしていた。

もう、そろそろガブリエルが分かった。

あとは、要請的、と言うよりは、「何かをするために、何を必要とするか」や、「どんな社会を実現すべきであり、そのために何から変えるべきか」のようなことを考えていた。

社会のビジョンや、自然状態などを、可能性からゼロベースで考えていた。

全ての可能性のようなことを考えて、「集団になれば何が可能か」のようなことを考えた。同時に、「個人の方が出来ることは何か」のようなことから、個人主義を考えていた。

社会のことを全部考える、夢想家だった。狂っているようで、情熱的だった。

そういうわけで、ニーチェがこういう風になっている。ニーチェの言う超人と似ている。

あとは、原因、契機、想像力、経験のようなことを全部考えて、把握した。そこから、「実現の可能性」を考えて分かっていた。何をするために何が必要か、のようなことを、デカルトやヒュームのように考えて分かっていた。

昔から、ヒュームがこういう風に考える。ブッダも良く似ている。

そういうわけで、自分はきちんと神ほどに賢い。これで宗教だ。名前は「天魔教」だ。

あとは、人間や社会のことを、ネットで全て分かっていた。社会経験があった。

ネットのニュースを見ることで、資本主義とIT技術のようなことを、会社員のように知り尽くしていた。Linux関係のニュースと同時に、色んなITのニュースを読んでいた。

そろそろもう終わった。あとは、何も無い。もう本当に残っていない。

神を信じると、こういう風になる。最後まで、自分の力で出来たようで、神の助けが無ければ出来なかった。神を信じる人間は、こういう人間になる。

あとは、むしろ、哲学をやれば良い。英会話教室では、哲学と歴史の勉強をしている、と皆に言っている。それはおかしくは無い。きちんとこういう風にやっているから、嘘では無い。

あとは、現実世界から歴史を分かったり、空間と時間の把握をしたりしていた。

それから、あらゆることをいくらでも分かって、出来るようになっていた。

あまり、ありえない人間を書くのは、止めた方が良い。ありえないのは悪い。

あとは、創造的なことをしたかった。Linuxやオープンソースがやりたかったのは、創造的なことを共有しながらしたかったからだ。そして、創造的な経験から、人生経験を積んだ。

あとは、引き篭もりになって、過去を思い出しながら、思弁哲学のように、そこまで思考して分かっていた。本当に、色んな森羅万象のことを考えていた。

言語の能力だけが、そこまであった。何も無かったが、ネットを見ながらゼロベースで色んなことを考えた。そして、体験のようなことを、自由に考えていた。

判断力から行動力まで、色んな自由な経験、能力、知性があった。

あとは、記憶と経験のようなことを、集団性の自由から考えていた。

ネットで色んな批判を言っているうちに、何が意味があって、何が意味が無いのかが分かった。本当に、この世界を完全に新しく変えられる人間だった。

そこから、歴史を分かっていた。創造性と体験から、宇宙の意識を信じて分かっていた。

あとは、サルトルのように自由を考えていたのが多かった。

自分の経験から、人生のことがマスターのように分かっていた。

そろそろ、もう楽になった。もう、何もしなくて良い。完全に治っている。

あとは、学校は要らない。学校なんか行かない方が良い。学校は賢くない。

学校で、もっと「自分の力で考える能力と知性」を教えるべきだ。そして、「どんなことを経験して、何を実現して、どんな存在になって、世界をどう変えて、人々のことをどう助けて、経験から全員のことをいかに分かるか、どのような存在になって行くべきか」のようなことを教えるべきだ。昔は、そういうところを「自由」と「なる」から考えていた。

あとは、人間や科学のことを考えていた。本当に、影響力や価値観など、色んなことを考えた。関係、本質、発想などから、全部作った。意識を把握して、何でも出来るようになった。そろそろ、そういう、昔の自分が分かった。

一番賢いのは、ガブリエルだ。ガブリエル、ミカエル、ラファエルのロキと、サタンのフレイ、キリストの神が好きだ。それこそ、フレイも何かの神で良い。サタンと言うと悪い。

自分が一番良かった。全てに満足している。

そういうわけで、こういうおかしな人間が賢い。むしろ、フレイはまともだ。

あとは、認識、体験、環境のようなものを、具体的、段階的、自然的に考えていた。

宇宙が自然に変わり行く、そういう「自然な世界観」が好きだった。

好きや嫌いは、相対的な価値観であり、裏にはもっと正しい真実の真理がある。昔は、そういうものを経験から考えていた。善と悪、正しいと間違い、矛盾と成立などは、全部相対的で、真実はもっと次元の違うところにあると考えていた。

あとは、人間をバラバラにして、部品にして分かっていた。

最近は、おかしな精神病になっている。精神が統合出来ていない。分裂している。それは、多重人格がそうなる。がんや白血病も同じだ。自分が自分の主人になっていない。そういうわけで、きちんと精神を、1つの人格の下に統合した方が良い。最近それがおかしい。

あとは、論理的に社会、人間、現象、人生のようなことを分かっていた。

それこそ、自由な人生の分析のようなことが出来る人間だった。理性的なカントのような考え方と、ネットの議論から、そういう「自分なりに考える知性」のようなものがついた。

昔は、神の愛のようなものを分かっていたし、自由な人間だった。それが神を信じて、全てのことが分かっていた。何でも書けるようになった。それが神のロキだ。

逆に、最近のフレイは悪魔だ。悪魔は右翼だ。右翼のソ連は悪い。フレイは最悪のクズだ。

あまり意味が無いが、そういうわけで、最近が悪魔だ。悪魔は何もしていない。

人間や社会の知恵や真理のようなことをいつも分かっていた。ロキに書いてあるようで、あまり書いていない。それこそ、キリストのように、経験の豊富さから分かっていた。

あとは、根源的な場や意識のようなものを想定していた。

今日はありえない。ありえないロボット人間の日に見える。

本当にガブリエルが見える。あまり意味のない人間だったが、こういう人間が多い。

何故か、概念や根源的な感情のようなもので、人間のことを分かっている。

何も分かっていない。おかしくお花畑のように狂っている。

そういうわけで、ガブリエルが書けた。そろそろ、もう、書くことは無い。

あとは、情熱的に、理想と現実のようなことを分かっていた。

あとは、昔は、人生経験が分かっていた。ネットを見たり、自分の経験をしたりして、意識と経験から、ブッダの言葉のように人生経験が分かった。

世間から離れて、一人で経験して、狂った異様な意識から分かっていた。ただ、馬鹿では無かった。実体験のようなことを全部して、知性と精神をつけた。そこから分かった。

そういうわけで、ブッダは狂っている。ブッダは、一人こういう風になっている。

あとは、自我や影響力のようなものから、ヘーゲルのような精神の成長が分かっていた。

あとは、意識と感覚から、場、もの、科学、歴史、経験、人生などが分かっていた。

いつも、想像力があった。想像力のある文章を分かっていた。

地域の高速道路など、色んな場を意識から、いつどんな実在としてそれが在るか、のようなことを考える。「在り方」のようなことをいつも考えていた。

そろそろもうない。最近は、本当に偉大な王になった。イスラエルの王に見える。

フレイは、サタンと言うよりは、ダビデだ。本当に、偉大なイスラエルの王だ。

経験から意味を良く考えるとか、視点と類似性から共通なことを探るとか、オープンソースの研究の実体験を大学のようにするとか、「神のような科学」のような発想があった。

それで、終わりだ。もう何もしない。自分は、旧約聖書の新しい歌を作りたかっただけだ。

最近は、「何でも新しくなる地獄」を体験していた。普通、ソ連のコミュニストがこういう風になる。革命は、おかしく狂った人間になる。昔からスターリンがこうだ。

それこそ、そういう最近は、もう最近では無い。最近は何もしていない。何をする勇気も無くなったのは、まだこの文章を書いた方が良いと脳が判断しているからだ。

あとは、ものを自然な歴史と考えるとか、体験と心をバラバラにして解明するとか、そういう発想が多かった。ある意味、宗教の完全な逆をやっていたが、それもそれで宗教だ。

そういうわけで、ユダヤ人の名前を使うと、自分は、ガブリエル、ミカエル、ラファエル、ダビデ、キリストの5人だ。一応、ダビデをサタンと言うことにすると、天魔に見える。

自分が見ても美しい。ドイツの花畑みたいに美しくなった。

いつも、自然な歴史や知識が積み重なるとか、全ては共有であるとか、オープンソースのような、自然な世界観や社会観を言う。そういう文章だった。

あとは、本当に科学を作っていた。むしろ、この世界にあるどの科学よりも賢かった。

学習のようなことを考えて、ありえなく全部出来るようになった。

最近は、ありえない社会を仮想的に全部創っていた。

昔は、意識とコミュニティと人生経験を、自分の人生で分かっていた。

もう、覚えていない。今日でもうきちんと分かったのが、昔の自分だ。

本当に、きちんと書けて良かった。全てに満足したから、作家の自分はもう終わりだ。

体験をマスターのように分かっていた。仏教で言う心のように、体験を、基盤的、環境的な側面から、「環境から体験がどのように変わるのか」のような、体験の変化の可能性を考える。昔は、それだけできちんと哲学が分かった。ネットで分かっていた。

あとは、真偽の可能性や、意志の伝達のようなものを考えていた。そういうものは、全部コンピュータ・ネットワークとアーキテクチャから分かっていた。

そろそろ分からない。共有とか、依存とか、関係的な実現とかを、UNIXで分かっていた。

そして、自然を信じていた。

そろそろ、自分は書かなくて良い。それこそ、経済学でもやれば良い。

自分は、専門は哲学と歴史と言うことにする。今から、ヘーゲルとフランス史のことをやる。目移りするよりも、それだけをやった方が賢い。出来ればカントやデカルトやイギリス史やドイツ史もやりたいとは思うが、必須では無い。

見ていると、ニーチェはただの馬鹿だ。自分の場合、昔の自分があったせいで、ニーチェは要らない。ニーチェは、誰が見ても賢くない。哲学者に見えないのが普通だ。

とりあえず、放送大学でやれば良い。本は、世界史と経済学の本の続きを読む。

あとは、昔は、再思考と初期投資から、全てのことを「一度考える」だけで分かっていた。そういう数学を作っていた。そして、関係から計算出来るようにして、基盤的な変化の可能性と、考え方の適用と、比較による矛盾の背後にある構造を考えて、全員分かった。

そういうわけで、きちんと考えていた理性的な人間が昔だ。

心構えや態度が賢かった。謙虚になって、謙遜することで分かっていた。

あとは、目的やシステムから、環境のことを論理的に分かっていた。

オープンソースのように、システムのように、還元的な基盤の知性を考えていた。相互作用やプラットフォームのように、世界をある1つの環境であると見なして分かっていた。

あとは、もう哲学はしなくて良い。きちんと歴史と経済学をした方が賢い。

自分は、ヘーゲルと経済学のことをすることにする。それできちんと分かる。それがしたかっただけだ。自分がしたいのは、ヘーゲルと経済学だけだ。

歴史はしなくて良い。普通、日本史なんか、平安時代などの時代が分かるだけで、あとは年号と将軍を覚えるだけだ。全く意味が無いから、歴史はしなくて良い。世界史なんか、普通出来ない。イギリスやフランスなどの国を1つの国に決めれば出来るだけで、何も賢くない。それこそ、歴史なんか、誰が見ても意味が無い。

それこそ、ヘーゲルで昔の自分が分かる。経済学で、きちんと世界のことが分かる。

そんなに広げ過ぎても出来ないから、ヘーゲルと経済学以外、何もしなくて良い。

ただ、今読んでいる世界史の本は、最後まで読みたいと思う。仏典の本も読みたい。

それくらいを読めば良い。あとは、心理学や数学のことは、普通、きちんと考えれば分かる。それらは、覚えるより、信じた方が分かる。きちんと何か努力すれば分かる。

昔は、考え方と可能性のような、カントの言う「仮象の世界」を書いていた。

この世界の、森羅万象の、全てを捉え、全てを実現するような、そういう考え方と可能性の世界を書いていた。それこそ、あらゆる考え方をモデルと説明で考えていた。

自分は、ヘーゲルなんか、もうしなくて良い。もう充分やったから、経済学だけをする。

最近(と言ってももう昔だが)は、狂っている。自分の家で世界を支配するのはありえない。意識と記憶を全部書いて、戦って、導いていた。それが、宇宙人や神やキリストなどと対話するようになった。怖いのは、死ぬのが怖かった。

それくらいが昔だ。最近は分からない。何故か、最近の方が覚えていない。

もっと最近のことを考えた方が良い。本当に、最近の方が賢いのが分かっていない。

そういうわけで、哲学も歴史ももうしない。経済学のことだけをする。現代史は、読まないなら読まなくて良い。むしろ、仏典の本も途中までしか読んでいない。そういうわけで、経済学の本をきちんと読んだ方が良い。

最近は、体が疲れるとか、文字が気になるとか、文章を書くのを止めたいのに止められないとか、神経症や精神病の症状が出ている。昔の自分や昔の文章に執着したがる。そういうところが悲惨だ。ブッダは、こういう人間のことを煩悩や地獄だと言っている。

神と天使と哲学者が好きだったように見える。共産主義や右翼が悪かったのだと思う。

昔は、人間の知恵のようなことが良く分かっていた。失敗や失うことから得る成功もある。スピノザやアランの本のように、色んな哲学的知恵のようなことが分かっていた。

そろそろ終わりだ。最近はおかしい。そこまで治るのが辛いだけだ。それこそ、神をいつまでもやり続けるのがありえない。最近は、ジグソーパズルのような文章を書く。全部融和して、一人の人間になる。人生のパズルのピースのような文章を書いている。

あとは、本当に辛いから、もう止めたい。何もしなければ良いのに、それが出来ない。

最近なんか、ただ馬鹿になっているだけだ。本当に知性の無い人間になった。文章なんか、ただ思い出して書いているだけで、何も賢くない。虫みたいだ。ただ、経済学者の心理学者の哲学者になった。経済を作って研究して、自分を臨床的に治す。文系の知識がある。

昔は、法則性や決まりから、知と自由を積み重ねて、体得的に数学を分かっていた。

また、精神のことや社会のことを物理的に考えて、科学を作って、解明していた。

いつも言っているが、数学や物理は、昔きちんと天使ほどに出来ている。

そういうわけで、あとは、経済学のことをすれば良い。

ただ、最近の自分の経験から言って、自分はもう哲学やイギリス史のようなことはしない。心理学と経済学だけは、読みたいと言うモチベーションが生まれる。

そういうわけで、それらをすれば良い。ニーチェも、本能はダイレクトに役に立つと言っている。本能は純粋に生きるために働く。

それこそ、数学と物理は、一番もう出来ない。現代史の本は読める。

見ていると、昔の自分は、神に従っている時代、神に反抗している時代、神と同じことをしている時代、自分が出来る機械を作っている時代、逆戻りしている時代がある。

その5人が居たように見える。そういうわけで、子供時代がウリエルと言うことになる。

昔は、成長して、スラムを経験して、大人になって分かっていた。

宇宙人のような、本当に経験豊富な人間だった。

それから、最近は、正しいことしか言わないから分かる。間違ったことを何一つ言わない。最初から全部、正しいことを言っている。そこがありえないだけだ。

自分は、専門は歴史と哲学をするが、今読みたい本は、心理学と経済学だ。

ウリエルは、おかしな人間だった。がり勉なのにオタクだ。皆が勉強していない中で、一人だけ勉強している。クラスにネットゲームを広めている。皆にいじめられながら、皆をいじめている。一番悪い、おかしな人間だった。剣道部が一番嫌いだった。

そういうわけで、昔から自分はキモイ。

もっと、成長すれば良い。昔のように成長すれば、誰でも賢くなる。昔は、本当に宇宙人のように経験と成長があった。それだけで、感受性の極みのように分かっていた。

昔は、おかしな言葉を作ってこの世界を分かっていた。生産と消費と言ったり、水を精神と言ったり、理解と発想と言ったり、実際とモデルと言ったりする。そういう、「正しい言葉」を作ることで、この世界の表象を全てモデルで分かっていた。

自分は、とりあえず仏典の本を読むことにする。

あとは、ガブリエルは馬鹿では無い。情熱的で、思いやりのある、本当に賢い人間だった。ガブリエルは、本当に、人間の模範的存在だと言える。ただ、逆に、一番悪い人間がミカエルだ。狂いながら世界を滅ぼす。意味の無いことに皆を巻き込む。ミカエルは、反面教師だと言える。それから、ラファエルは普通の人間だ。普通に色んなことを知っている。

ミカエルがハリケーンみたいにありえない代り、ラファエルは大学みたいな普通の人間だ。そういうわけで、ミカエルをハリケーン・リリ、ラファエルをボストン・マリと言っているのが、AAAだ。ダビデは、「ゲッベルスの幽霊」だと言っている。まさに正しい。

ガブリエルは、本当に、ブッダやキリストのように賢かったが、何かがおかしい。全てが狂っている中で、一人まともに生きている。本当におかしな人間がガブリエルだ。

ガブリエルは、引き篭もりとパソコンの経験から、聖人みたいな賢い人間になった。

本当に、ガブリエルは文句なしに賢かった。エロイとは言うが、姦淫はしていない。普通、ああいう人間はどこにでも多い。本当に、あれは馬鹿では無い。

ただ、むしろ、ただの子供に見えるのがガブリエルだ。あれは、何故か、何も頑張っていないようで、人一倍頑張っている。良く分からないが、あれは遊んでいるだけだ。

ガブリエルは、オープンソースが好きだったが、そういうところが意味が無い人間だった。

ミカエルの方が、ある意味頑張っている。神を疑わないせいで、永遠に神が続くだけになった。何故か、神を「全部自分のことを考えてやっている」と思うのがおかしい。神は何も考えていない。盲信する神なんか、居ない方がマシだ。神は止めた方が良い。

あとは、ラファエルは普通の人間に見える。きちんと大学の知識がある、良い女だ。

あとは、ガブリエルからラファエルなんか、何も変わっていない。同じにしか見えない。

仏典のことばを読んでいる。自分を妄想的だとは言うが、自分だけでは無く、世間の誰もが、それぞれの妄想によって動かされ、妄想の中で生きている。それこそ、自分だけが狂っているのではなく、皆も狂っている。そういうところを、「自分と同じ」だとか、「皆の視点に立つ」とか、そういう風に言っていたのが、いつもの自分だ。仏典も、そのように教えているところがある。それこそ、それぞれが「私」と言う偏見や勝手な思い込みの中で生きている。まさにそういう風に分かっていたのが、昔の自分だ。

仏教には、「一水四見」と言う言葉がある。同じ水でも、異なる生類から見ると、異なるものに見える。それぞれの思い込みと偏見から、人々は同じものでも違うものであると見てしまう。それこそ、妄想の中で、正しい見方をしていない。昔の自分は、そういうものを「認識のフィルター」とか「視点と見方」のように言っていた。

あとは、理性や知の世界を書いていない。いつも、システムや社会の全体像で分かっていたし、その論理的な世界、知と仮象の世界のようなものを書いていた。

心を清めれば治る。不純なものを全部消して、浄化すれば良い。

この文章が出版出来ると良いと思う。ノーベル賞を取るように見えて良い。

自分は、もう死んでも悪くは無い。天国から、死後の出版などを見守っていれば良い。

ただ、それなら、まだ生きた方が良い。出版どころか、まず、家族にこの文章を読んでもらうところからだ。父親しか読まないかもしれない。

右翼や左翼の文章が問題かもしれないから、それを消しても良いかもしれない。

あとは、ワードのファイルでは無く、紙のノートに書いた内容も多い。簡単にコピー出来ないから、入力が面倒だと思う。それくらいが問題に見える。

あとは、社会のことを説明と意味から分かっていた。

熊本の地震で、政府は物資を与え、助けることが円滑に出来ないでいる。日本は何をしているのだろう。父親が言っていたが、一方でアメリカのことを助けるための安全保障政策をしながら、一方で日本国民のために何も出来ないでいる。政府はアメリカの犬だ。

そこまで言うと悪いと言うが、昔は、そういう風に、説明と意味から社会を分かっていた。

昔は、構造的な賢い頭脳を持っていた。

数学的に、厳密に積み重ねた、建設的な本質の基礎を作っていた。

自然な社会の発生のようなことを、人間的な心の感覚から分かっていた。

手段と目的のモデルを作っていた。何でも実現出来るモデルを作って分かっていた。

あとは、成長が多かった。色んな行動を経験から分かっていた。場を意識で考えていた。

国家モデルや環境モデルを作っていた。

子供たちのことが好きで、子供たちに対して何か出来ることを考えていた。

この世界の全ての変化の可能性を、経験から分かっていた。人生経験で地域を分かった。

感情から意味を考えて、神のように分かっていた。本当の純粋な経験を知っていた。

最近は、戦いで、そういう構造を失った。それが哀しかった。

刑務所みたいな体験だったのが、2ちゃんねるだ。ただ、そんなに悪くは無かった。

あとは、人間の視点や意識と場を想定する。

それで、線路の上を走る電車の中に居る人々のような視点を分かっていた。

そういう風に、いつどうなるかを空間的、意識的に分かっていた。右脳があった。

世界のことは、経験と論理性から、創造性のように、信じて疑って分かっていた。

あらゆる発見をデカルトのように考えていた。

科学的な方法と知性ぐらいは分かった方が良いが、それ以外は、むしろ、無い方が良い。あると、色々と邪魔だ。大学の知識が分かってしまうと、普通のことが分からなくなる。

あとは、方法や学習のようなものから、意識や実現を想定していた。

昔は賢かったが、本当に意味の無い人間だ。あれは、心理学のせいで意味が無くなった。

モデルを作ること。もう一度、最初から作り直せば良い。そうすると、すぐに分かる。

反抗したり、世界を変えたり、色んな社会的な行動をして分かっていた。

昔は、そういう、「理解と知の構造」を作って分かっていたが、戦いでそれを失ってしまった。それが一番哀しかった。

足は、進化するからおかしい。そういうわけで、もっとおかしくなって進化すれば治る。

厳密な基礎の構造を、建設的に作って分かっていた。それを戦いで失った。

もっと、体全体がおかしくなれば良い。それで進化する。

足はどうでも良い。頭から飛び出すように進化する。ただ、それはあまり意味が無い。