日本語が分からないのは、分裂しすぎたからだ。構造を消して、総合的に考えれば分かる。もっと、1つ1つのことを小さく細かにではなく、大きくおおざっぱに分かれば分かる。
社会の実例を全部作って、国を作っていた。社会と実例を、構造的に全部作って、全体像と個々の構造を詳細かつ具体的に作って、そこから国のモデルを作っていた。
社会主義者を全部作って、ソ連を作る、と言う風に作っていた。
自由な把握と体験から、人生と人間のことを分かっていた。
何か、忘れた。自由な進歩のようなことを何か言いたかった。
日本語が分からないのは、分裂して、変化しないのが悪い。この世界と同じになっている。
この世界と同じになっているのを止めると、すぐに分かる。
怖いのは、脳の分裂が治って、言葉が分かるのが怖い。それは、死ぬのと同じだ。それこそ、英会話教室がそういう風に怖い。英語で言葉が分かるせいで、分裂が治る。
もう、日本語が分かるようになる。そんなに意味を考えず、言葉を保留して覚えれば良い。
子供に見えるのは、言葉が分からないからだ。そういうわけで、幼児が終わった。
知的障害は、こういう病気だ。赤ちゃん時代が長いだけで、馬鹿では無い。分裂が治ると、知的障害はきちんと賢くなる。大人になると賢く治る人間が多い。
何故知的障害になるかと言うと、赤ちゃんが賢いからだ。赤ちゃんはここまで賢い。
農園に行ってきた。
弱者を救済したかった。ソ連のような、弱者を救済する思想を考えていた。
自由な国家モデルを作って、弱者救済を考えていた。
自然と目的の考え方を分かっていた。
目的と共有と手段から、組織と社会の形成を分かっていた。
人間は、順番通りで無い方が、賢くなる。
高校や大学より、いきなりプログラマの仕事をしていると、賢い人間になる。
皆と同じになると、馬鹿になる。皆と違う方が良い。皆があまりに馬鹿なせいで、皆と同じになると、馬鹿になる。子供には、学校に入ると馬鹿になる子供が多い。
支配は、出来ないようで、こういう風にすると出来る。環境を支配するために、心理をコントロールして、宣言すれば良い。環境が心によって変わる。
世界は、自尊心と誇りを持てる世界になれば良い。自尊心がある情熱家は賢くなる。
自分は、ヘーゲルだけをすれば良い。それが一番賢い。
ヘーゲルをしていると、世界と人生の全てが分かる。精神現象学は、分かる人間が多い。
時間の流れを考えると、存在のことが分かる。
人生を考えると良い。何も分からない人間は、人生を考えていない。人生の中で、この世界の世界観をきちんと経験から分かれば良い。「新しいことを知る」と言う発想が良い。
昔から、批判と反論で分かっている。批判と反論の文章が多かった。
批判と反論を止めれば、すぐに楽になる。
初期投資と柔軟性から、アスファルトなどを考えられる。一度作ってしまえば、あとから変えられないが、一度作ってしまえば、あとで何度でも再利用出来る。それがパソコンだ。
悲惨は悪い。皆を賢くすると、悲惨になる。皆を賢くしない方が良い。
自分が賢いのも悪い。賢くなると、ここまで辛くなって、分からなくなる。
馬鹿が分かるだけだ。皆をキモくするのも悪い。皆、そこまでキモくなっている。
全部自分のせいだ。そういうわけで、もう皆のことを賢くしない。
日本はキモイから、日本史はしなくて良い。ヘーゲルとフランス史だけの方が良い。
農園に行って分かった内容は、ここまでだ。
ヘーゲルは、歴史をプロイセンで終着点に達したと考えているが、そのせいで全体主義に陥っている。それ以後の、フランス革命などの民主主義の世界が分かっていない。
自分は、フランス史なんかしなくて良い。歴史なんか、しなくて良い。
したいなら、世界史を全部すれば良い。その方が良い。通史だけ読めば終わりだ。
哲学者は、ヘーゲルにした方が良い。本当に、宇宙と人間のことが全部分かるはずだ。
感情、社会、認識、構造を、自然な経緯と場とプロセスの中で、自由に成り立たせる。
昔は、そういう風に、「モデルを自由に成り立たせる」ことで分かっていた。
皆を賢くするのは悪いから、馬鹿にした方が良い。色々と、戦って倒した方が強くなって賢くなる。戦わず、導いて賢くするのは、良いように見えて悪い。戦って倒した方が良い。
自分は、新しい発見をして、進歩しないのがおかしい。
国会のようなものを作っていた。国会は唯一、一つだけの巨大なものにして、全ての委員会の議長が参加する。そういう風にすれば、ソ連のような賢い国になる。
ただ、それは賢くない。自由にして、小さな政府にして、議論に自由に参加出来るようにして、支配者は支配するようにした方が良い。巨大な国は、悪い政府にしかならない。
もっと、良く考えると、きちんと新しいことが分かる。
若者にも、政治参加をさせた方が良い。若者は悲惨だ。学校に意味が無いから、特に、教育関係の活動に参加出来るようにした方が良い。若者本人が学校を考えるべきだ。それが、自由だ。自由と言うからには、若者にも責任感を持って、社会の一員になってほしい。
ただ、もっと重要なことに関与させるのも、ある意味難しい。若者は、先が見えていない。
地方分権を進めるのは良い。自活して、独立して、自助努力すると、良い共同体になる。だが、助け合いとのバランスを図るべきだ。市町村だけではやっていけない自治体もある。右翼は、そこが分かっていない。だが、自由は悪くない。やっていけないなら、他に頼るとか、吸収合併をするとか、自由な中で出来ることは沢山ある。そういうところを何かするために、カリスマのような市長を選んで、出来ることをすることが出来る。
ただ、自由は明らかに悪い。自由を漠然と「万能薬」のように考えるのは間違っている。自由で良くなるとは言うが、自治体レベルでの助け合いや連帯のようなものが、きちんと出来る自由が正しい。そういうわけで、国を小さくしても意味が無い。
それこそ、自由は平和になる代り、弱くなる。自衛隊はあまりに弱い。それもそれで悪い。
そういうわけで、もっと新しい発想をすれば良い。
自分は、新しいことが何も分からないのがおかしい。進歩が無い人間になっている。
自由に競争をさせると、良くなるようで、どんどん悪いことをする。ブラック企業にしかならない。日本は何も変わっていない。日本だけが、自由なのに上手く行くのは、本当に悪いからだ。悪いから、上手く行くだけだ。皆、そういう日本が嫌いだ。
自由を楽だとは言うが、それは強者から見た時だけだ。平等は、権利の拡充をして、福祉国家を作る。医療を無償で受けられたり、大学の授業料が無償になったりなど、平等の方が、老人や若者は楽になる。自由で楽になるのは、資産家や金持ちや大企業だけだ。国全体が豊かになるのは良いし、発展すると良くなる。そういうわけで、批判するのは難しいが、自由を批判すると、「数の暴力による暴走」と言うことになる。そういう、左翼も左翼で悪い。左翼はあまりに無責任で、言いたい放題を言って、一切の政策の全てに反対する。左翼の方が嫌いな人間が多いが、政治として見ると、共産主義はある意味一番優れている。それこそ、ありえない国にはならない。平等な国になる。ただ、経済としてみると、市場経済に比べて、社会主義の計画経済は完全に劣っている。ものも無く、発展もせず、自然な自助努力も起きない。何も無い国になる。何時間も食料を探して待つのはおかしい。
これは、左翼に見えて右翼だ。いつもの帝国主義者だ。それこそ、左翼なのは当たり前だ。
僕は自由が好きだ。昔から、コミュニストのような自由が好きだ。国民が合意するべきだ。
自由には、柔軟性がある。それぞれの世界の、それぞれの人間が出来る。
だが、そうでもない。それは、不思議と、支配者が居た方が出来る。皆、支配者に従う。その方が、いざとなった時に、何でも出来る。ただ、それも間違っている。自由の無い巨大なソ連の政府には何も出来ない。すぐに破たんするのは当たり前だ。
自分は、これ以上もう哲学は出来ない。見ても、さっぱり何も分からない。
社会科の勉強をする。歴史と経済学のことをもっとやりたい。
それで良いと思う。哲学はもう終わった。それこそ、パソコンと同じだから、また時代が終わっただけだ。数学や物理でもすれば良い。好きなことをすれば良い。
知識としてしか分からない知や、予想外の結果をもたらす存在は、信じない方が良い。自分で作った考え方、想定内の方法から、分かることが一番分かる。
それこそ、その方が、経験の持つ意味が良く分かる。そんなに、大学や社会のことが分かっていると、分からない。大学には何も無い。自分の行動と経験の先にしか何も無い。
今、自分が出来る行動と、分かっている範囲のことから分かること。
そこから、現象をそのままに見る「直観」と、欲動のコントロールとしての「感情」から、分析的な方法が分かる。それは、自分の知と理性と経験の先にある、必然的な知性だ。
そんなに未知の希望を信じない方が良い。自分を上へと押し上げてくれるような、他人任せの問題解決は、宇宙に存在しない。宇宙に存在するのは、自分による、自己責任の、自発的な問題解決だけだ。未知のことを求めるよりも、既知のことを良く考えるべきだ。
ものなんか、道具で作るだけだ。病気なんか、病院に行けば治る。金があれば生きられる。学校の知識なんか、調べれば良い。そういう、単純な手法で解決出来る問題は、考える意味が無い。もっと、色んな不可能なことを可能にすれば良い。
それこそ、道具があるのが手段なのが分かる人間が多い。そういう、「手段を配備する」と言う発想が賢い。それから、それぞれがそれぞれのやり方で出来ると同時に、平等に、相手の視点を配慮しながら、施設や店を作るべきだ。そういう、考え方や相手の配慮と言う視点が賢い。「それぞれが出来るようにする」と言う発想が平等だ。
いつも、そういう、賢い考え方のことを考えていたのが、自分だ。もっと、この世界のことを良く疑って、言葉にして考えれば良い。それこそ、テレビなんか要らない。物理なんか、方法に過ぎないし、何も正しくない。キリストが神と言うが、ただの馬鹿だ。そういう風に、世界のことを疑って、「もっと良い方法は無いのか」などと考えれば良い。
ピアノなんか、経験だ。役に立つものが賢いとは言うが、その「役に立つ」と言う価値観も間違っている。もっと良い価値観や考え方がそこにある。そういう風に考えれば良い。
それこそ、世界を変えるのなんか、誰にも出来ない。もっと良い価値観は、考えていると、神や絶対者のようなものになる。そういうものを信じれば良い。不思議と、キリスト教も多いが、マルクス主義も多い。そういう、「人生的な新しい価値観」を信じれば良い。
革新性が良いように見えて、平等な助け合いの世界の方が良い。その方がさらに正しい。そういう風に、「さらに正しい可能性」を、「何がどう変えられるのか」から知る。
「自分が社会に何が出来るのか」とか、「何が正しいか」と考えることから、啓蒙や改革が分かる。1つ1つ、社会の中での問題解決を試して、叶えていきながら、全てのことを出来るようになる。ヘーゲルも、そういうことを言っているのだと思う。
それこそ、全てのものを実験で知る、と言う発想から、世界の構造が1つ1つ形成されていく。自分の作り出せるものも、ものから、会社、組織、国家、自由な理想社会、と言うように、広がっていく。自分のなれるものも、王、作家、科学者、芸術家、聖職者、などと言うように、広がっていく。そして、あらゆる宇宙の原理が、科学を作ることで分かる。
そういうものを知りたい人間が一番多い。何故か、普通、誰でもそういう風になる。一番、高校生の時代、こういう風になる不良が多い。不良にしか居ない。ネットで色んな人間と戦っているとこうなるのが、高校生だ。そういうわけで、手段や機会は誰でも分かる。そういう、「人生的な社会要請」としての実現の手段や知の機会を考えただけだ。
それは、もう良い。どうでも良いから、何か考えた方が良い。自分の分かるものだけを、きちんと分かれば良い。何か未知のものや知識や考え方に期待したりするべきでない。
成長していると、そういうものが分かる人間が多い。高校生の賢い点は、成長のピークに達するからだ。何故か、大学で馬鹿になる。もう、馬鹿になる人間が、大学に一番多い。
自分の今分かっている考え方を良く分かること。それだけで、充分何でも分かる。
良く、考えていない。こういう人間は、「気づくためのきっかけ」が分かっていない。何かを連想して分かるような、「知のきっかけと考える機会」が足りない。何もしていないだけだ。それこそ、生活の中でしていることを考えれば良い。ネットでは分からない。
昔なんか、経験から可能性を考えただけだ。見ても、ネットは意味が無い。ネットはどうでも良い。ネットが賢いのは、ただWikipediaが賢いだけだから、2ちゃんねるは見なくて良い。Wikipediaだけを見れば良い。ただ、それは意味が無い、ゲームだ。
あまり意味が無いから、もう哲学は出来ない。哲学をやりたいのは止めた方が良い。
自分が賢いのは、全部キリスト教のせいだ。キリスト教をきちんと信じると分かる。
そういうわけで、悲惨な2ちゃんねるは賢くない。普通、きちんと友達を作ると賢くなる。
ただ、2ちゃんねるは比較的普通の体験が出来る。昔は、そういう、人生経験が多かっただけだ。オープンソースのおかげで、コンピュータの知識もあったし、色んな社会経験も出来た。ただ、自分は悪いことばかりやっている。Wikiを破壊するのはおかしい。
最近は、弁証法の機械になりながら、宇宙の歴史を創造していた。マクロ的な、地球が破滅を経験した後に、ナメクジの文明になるような、宇宙人の歴史を創っていた。
本当に、そういう、ロボットが創る宇宙のシステムと歴史のようなものを創造した。
それこそ、そこらへんがユダヤ人だ。世界を破壊する、イスラエルの王だ。
ただ、ソ連は本当に色々と参考になる。ソ連にそういう、観点や考え方の転換が多い。
不自由な共同体も、自由な支配者も悪い。共同体が、自然で、外部から守られて、独立しているのが一番平和だが、それは何も出来なくなって滅びる。
そういうわけで、自由も、左翼も、右翼も、全部間違っている。
正しいのは、この「ヴァイス主義」の文章のように、皆で考えることだ。皆の力で考える。
だが、そんなに考えても意味が無いし、ヴァイス主義は何も考えていない。
考えるよりも、行動の方が良い。この文章が眠たくなるのは、考えるだけで、行動しないからだ。それこそ、昔の自分は行動的だった。何も行動しない賢い人間は、クズだ。
自分は、「自分が何を出来るのか」だけを考えれば良い。それを考える人間が多い。
むしろ、こんな馬鹿には何も出来ない。出来る、と思うのがおかしい。出来るわけがない。
何かしたいなら、むしろ、全員出来ないのはおかしい。沢山の人間が出来るべきだ。そういう風に考える人間が多い。それこそ、全員貧民より、大多数が豊かな方が良い。
それこそ、弱肉競争が生命だ。キモイ虫なんか、すぐに死んで終わりだ。
あとは、心のことを考えれば良い。心が、何をしたくてそれをしているのか、のようなことを考えれば良い。心は、自分の行動や習慣の反映だ。
心は、治るより、狂いたいだけだ。狂った方が賢くなる。そんなに治したくないから、こういう風になる。頭が治したいとは言うが、それは間違った観念だ。正しくは、治したくない。それが、絶対的な正しい観念だ。その、治りたい、と、治りたくない、が矛盾している。そういう、矛盾している自分の認識が辛い。そういうわけで、狂っていれば良い。
そういうところをきちんと考えると、分かる人間が多い。心から社会のことが分かる。見ていると、皆も同じように、矛盾と確執の中で生きている。社会を見ていると、誰もがそういう風に、治りたい、と、治りたくない、の中で生きている。そのように考えれば良い。
自由は、柔軟性があって、理性があると言うが、そんな理性は要らない。自尊心や共同体の誇りがある、平等な精神の方が、良い心がある。プーチン(あるいは、誰か他の政治家だったかもしれない)が言っていたが、ソ連には心があるが、頭が無い。そういうわけで、ソ連は悪くは無い。皆を平等にする、と言う良い心がある。自由は賢いが、冷徹だ。弱者のことを、クズのように扱う。最初から、そういう馬鹿が自由だ。
ただ、自由で良いだろう。柔軟性があるだけではなく、娯楽や欲望を満たすものも多い。意味が無いのは、こういう賢い人間が居ない。こういう賢い人間は、自由でないところに多い。ただ、昔は、自由に賢い人間が増えるべきだと考えていた。プロフェッショナルを生み出す土壌を作る、とは、そういう、「自由な賢い人生と場」を作りたいと思って書いていた。誰もが賢くなれるように、環境と社会と国家を作る。そういう文章だった。
あとは、人生の自由な経緯、のようなものを考えていた。学校の逆に、それぞれがやりたいことを叶えながら、それぞれの思うきっかけから授業を進める。
それこそ、そういう風に自由が好きだった。自由とは言うが、平等に見える。そういう、コミュニストのような、自由で自然なコミュニティから生まれる理想の世界を書いていた。そういうわけで、子供は政府が育てるべきだとか、意味の無い最悪の馬鹿を書いていた。
もっと、心理のことを良く考えると分かる。皆、何か希望を求めてさまよっているのが最近だ。それこそ、日本と言う社会の中に何も無い。本当に正しいものは、「信じる」と「疑う」と言う考え方と行動の中にある。それは、「正しい教えと考え方」から生まれる。良く考えると、「正しいものの見方」のような、ブッダの言う真理が分かるだろう。
皆が何を求めているのか、良く分からない。見ていると、皆どんどん賢くなっているが、どんどん本当に悲惨になっている。良い社会は、馬鹿なように見える。
昔は、社会の色んなものを知りながら、価値観や文化のようなものを実感で分かっていた。ものは、工夫とパターンと構造から生まれる。ものには、実体と様相がある。社会には、目的と手段と役割と、それぞれの要請を満たす条件や状態がある。そして、社会は、全員の意志によって、いつでも変えられる。いつも、そういうことを言っていた。
独自性を作って、創造性を高めよと言っていた。だが、それは、社会における全員の視点と商売的な欲求があって、初めて良いものになる。ソ連では、キモイものになる。本当に、ソ連の町が一番キモイ町になる。そういうわけで、「誰が何を意図してその社会を作っているのか」のようなことを考えないと、分からない。そういうものを意図と言っていた。
昔は、「意図と社会と経験の対応関係」を良く考えていた。そういうモデルだった。
あとは、システムと本質の可能性のようなことを、総称的に考える。
システムは、公開され、自立され、共有される、全員のための、関係者によって柔軟に変えられる、オープンソースのようなものであれ。
本質は、本質の本質で、メタ的で、それぞれの人生を変え、社会を形成するものであれ。
そういう風に、可能性の全てを創る。そこから、宇宙のことを創造していた。
色んな経済的、技術的な考え方のようなことを言う。「自由」と言う言葉で、生産のことを全部分かっていた。ものは、材料を集めて、設計して、製造して、売って、利益を得る。そして、それを会社が考え、1つの会社ですることもあれば、外部に委託することもある。そういう、色んな考え方のことを、全部「自由な世界観」で分かっていた。
知恵を集めるとか、考え方を変えるとか、作用から法則を実現するとか、実際のモデルを知るとか、そういうことを言う。いつも、そういうことを言っていた。
それから、自分は正しい考え方が分かっていない。カントでは分からない。もっと、「科学的な方法」から考えれば良い。それは、数学の計算や証明、物理の実験だと思えば良い。そういう、「科学的な正しい考え方」から全てが分かったのが、昔の自分だ。
契機だと思えば良い。契機を良く考えることで、関係が見えて来る。
そして、解明だと思えば良い。科学的な考え方から、あらゆるものを解明し、理性と感情で理解することが出来る。思考と経験から、自由に分析して、完全に解明出来る。
そろそろ終わりだ。一通り、全部書いたはずだ。
あとは、ヒュームやマルクスのように考えながら、ヤスパースやハイデガーのように考えていた。サルトルやウィトゲンシュタインにも見えるし、フッサールも多かった。
あまり意味の無い、内容の無い文章を書く。それが一番おかしい。内容が何も無い。
数学的な、集合と論理とか、確率とか、そういう世界観も良く書いていた。数とは比であり、計算とは結合の繰り返しとパターンである。いつも、そういうことを言っていた。
独立と、独裁者は同じだ。それぞれが自由な意志を持つのは悪くは無いが、独立と独裁者が一番悪い自由なことをする。ドイツはそういう風に自由だ。ドイツが一番悪い。
もっと、全員で決めた憲法を守って、協力し、一致団結するべきだ。
そういうわけで、何故か、ドイツ人が一番反抗する。一番おかしいのが、ドイツの右翼だ。
自分は、そういう人間が嫌いだ。日本人の、従属的な、皆で協力する発想の方が好きだ。
あとは、議論みたいなものを考えていた。独裁者は議論しない。民主主義は議論するが、右翼は一致団結して従う代り、左翼は何も協力しない。どちらも悪い。きちんと、従い、反抗し、その中で色んな議論を起こすべきだ。共産党の方が議論しているのかもしれない。
それこそ、そういう自由な議論と意見をいつも考えていた。
あとは、日本なんか、ありえないだけだ。特に、敬語をありえないと言う。丁寧な時と、カジュアルな時で、言い方が全部違うのはありえない。日本人はおかしい。
それぞれを平等にしながら、自由な組織を作ることは、出来るかもしれない。
ノルマを国が定めながら、組織を作るのを自由にする。
例えば、工業の給料を全員50万円にしながら、工業の会社を誰でも作れるようにする。
それも、自由に作れるようにするために、金で作るのではなく、自治体がいくらかの会社を作れるように、国が費用を配給する。そういう風にすると、自由になる。
ただ、そういう風にすると、何もしない会社になる。製品なんか、何も作らない。むしろ、本当に作れなくなる。失敗するリスクが無ければ、結果は生まれない。
これは、赤いソ連に見えて、青いドイツだ。本当にソ連の旗が見える。
共同体に手段を与えるのは良いが、むしろ、コンビニのように、フランチャイズにすれば良い。そういう風にすると賢い。全部やってあげたり、何もする必要が無かったりするのは、一番悪い。それぞれが、きちんと努力して、努力したものに報酬があるべきだ。
そういうわけで、努力したものに報酬がある、自由な経済が一番良くなる。ただ、それは、ただ動物のように戦っているだけだ。ただの狼が自由だ。
会社の組織を、オープンソースのように、集合知として作ることが出来るかもしれない。民衆の集団が、ネットで、プログラムを書くように、この世界の組織の概略から詳細までを、全部書いて、GPLで共有し、改善する。ただ、それは虫みたいな世界になる。
そういうわけで、そんなに賢くしない方が良い。ただの普通の自由が一番賢い。
それこそ、普通の社会で良い。ロボットが普通になる、馬鹿な社会はおかしい。
ただ、僕は、人間と同じ知性を持つロボットなんか、すぐに作れると思う。もっと、意味を記号的に考えるようにすれば、ロボットが言語的な思考をし、脳と同じ機能を持つプログラムを持つことは、充分出来るように思える。すぐに実現するだろう。
ヴァイス主義の旗は、白と紫だ。紫にしたのは、赤にも、青にも、黒にも近いからだ。白は、ヴァイスの白だ。そして、同時に、自分の国の旗がこれになる。
社会のことを1つ充分に知って、その後に色んな社会を知って分かった。
昔の自分は、そういうところが分かっている。色んな仕事を、色んなやり方で経験した。
あとは、ノルマを評議会で決めるとは言うが、それは、多数決で決めない方が良い。それでは、平等にはならない。そういうわけで、独裁者にするしかない。そういうところが馬鹿なのが、平等だ。平等なんか、意味が無い。
そういうわけで、むしろ、普通に自由にした方が良い。それが良いと思う。
良く考えると、議長を自治体の代表にして、その代表を皆で選べば良いが、それも選挙で選ぶと悪いから、自治体の何かの合意で選べば良い。そういう発想がロシアだ。
あまり意味が無い。ロシアは止めた方が良いだろう。そういう発想が一番悪い。
環境を滅ぼすのが悪い。環境は、栄えた方が良い。
環境が、悪い女になっている。おかしな女の部分を消した方が良い。
環境に従えば良い。
意識の裏側で、環境のことを全部分かっているのが悪い。
環境が終わると、皆が死ぬ。幽霊みたいになる。
分からなくて良い。分かりたいのがおかしい。
自分の顔は、プーチンみたいに見えるが、ヴィルヘルム2世みたいにも見える。
女王だから、ビクトリア女王で良く見える。良く分からない。それは、どうでも良い。
そろそろ、この世界が栄える。それで、楽になる。すぐに馬鹿な部分が死ぬ。
環境を滅ぼすのが悪い。環境を滅ぼしたいのはおかしい。
環境の部分を殺すしかないから、そういう風になる。何故か、環境が怖い。
もう、批判や反論はしない方が良い。
環境が栄えると、キモイものが増える。それは、あまりおかしくない現象だ。
環境の裏側が何も無くなっている。
昔は、国語、算数、理科、社会のように、色んな博物学のようなものを書いていた。
頭がおかしな女になっているのは、精子を出すと治る。そのまま子供が生まれる。
子供を産みたいからこういう風になる。
良く分からないが、もう楽になったと思う。そのまま、子供になる。
悲惨なことに、「ヴァイス主義」と言う名前は悪い。ファシズムやファシストに良く似ているし、「白」と言う名前にすると、白人の主義に見える。
そういうわけで、「ヴァイス主義」と言う名前は悪いから、もっと良い名前にする。
あとは、何か言いたかったが、覚えていない。黄金のような名前が良いかもしれない。
人生主義、と言う名前は悪くなかったが、ライフイズムと言う名前にすると、虫に見えるから止めた方が良い。もっと、まともな名前を誰かに付けて欲しい。
とりあえず、思いついた「救済主義」と言う名前にする。神が皆のことを救済する。英語では、「リリーフイズム」だ。「リリーフ主義」と言う名前で良い。救急車のような思想だ。
宗教的な意味合いが強いから、「サルベーション」の方が良いかもしれない。
リリーフは、救援物資とか、救助とか、一安心とか、そういう意味だから、むしろ、悪くは無い。ほっと一安心して、皆に安心を与える主義だと思えば良い。
ただ、普通にサルベーションで良いから、英訳する時は、それを使った方が良い。
サルベーショニズムにすると長いから、サルベーシズムと言うことになる。
それは、むしろ、日本語で救済にして、「キューサイズム」にでもすれば良い。
「概念主義」とか、「記憶主義」のような名前も考えた。
英語では、概念はコンセプトと言う。記憶はメモリーだ。
あとは、キューサイズムは良くない。悪くは無いが、英語にする時に、「キューサイ」を間違えると、「キュサイ」になるが、それは「臭い」と良く似ている。
まぁ、悪くは無い。あまり考えない方が良い。一応、概念主義と言う名前にする。
あとは、皆がキモイ。何故か、自分から見ると、皆があまりにキモく見える。
皆を、昔の自分にするのも、今の自分にするのも悪いから、試練のような場に送った方が良い。地獄になる。適当な試練のような世界になる。それが一番良い。
あとは、地獄で良く見えるのが、テレビだ。テレビなんか、クズだ。
ドイツが死んだ。ソ連が勝った。最近、どこの国も右翼になっているのが、変わる。
地獄になるのもおかしいから、地獄にするのは止める。
この世界には、自然に良くなってほしい。僕が関与したり、誰かが支配したりするのではなく、皆の力で、皆の自由に良くなってほしい。
それぞれの夢を追いかけて、それが叶うようになって、善人にも、悪人にも、それぞれの報いがある、報われる世界が良いと思う。
僕が考えても、良い世界には到底ならないだろう。そういうわけで、それぞれが考えて、それぞれがするように、それぞれの力で良くなってほしい。そのために、皆で考えること。それが、1つの答えだ。自分だけが考えるより、皆が考える、平等な自由だ。
ただ、そこまで崇高な理念を信じるのも間違っている。楽で、正しくて、賢い良い世界にすれば良い。支配者が、世界を良くするのは、おかしくは無い。自分もある意味、指導者の一人だから、きちんとこの世界を、報われる世界にすれば、それで良い。
いつか言ったように、全員を主人公にする。そして、一つの、同じ光のもとに生きられるようにする。そして、青春から最期まで、常に栄光を生きれば良い。
それぞれを、栄光があるようにする。それくらいのことをして、最後まで分かるように、人々を導く。それ以上のことは、僕はしないが、したいなら、皆が出来るようにする。僕と同じように、王や革命家のようなことが、誰でも出来るようにする。
それくらいにした方が良い。それ以上、皆を賢くすると、皆悲惨になる。楽になると、馬鹿になる。良くすると、地獄になる。そういうものは、皆が勝手に決めれば良い。
皆、やりたいようにやれば良い。僕が決めるのではなく、皆が決めて欲しい。
あとは、最近の日本はキモイ。キモイとは言うが、何年か前が良かった。この世界と無関係に、自分の世界を何年か前に戻す。そうすると治る。そういうところがおかしいだけだ。
精神は、何かしていると治らない。何もしないで、放っておけば、すぐに治る。
相手に明け渡せば良い。
皆の自由にする。皆、もう好きにして良い。もう、皆を解放する。
自分が支配していると、こういうドイツ人になる。
あとは、右翼はキモイ。自由が好きなら、自由な左翼で良いのが分かっていない。
自由と平等は、同じだ。
右翼は、普通、こういう社会的地位の低い人間が支持する。右翼をやっている馬鹿は、狂っている人間が多い。狂った人間が、こういう右翼活動家になるのが普通だ。
皆に、支配者の権力を明け渡すことにする。
足は、いつも治っている。それを思うと治る。
あとは、意識と環境が、外側で全て分かりながら、内側を変えるのがおかしい。
分かっているのに、分かっていない。そのせいで日本語が分かっていない。
一度、全く分からなくして、内側と外側を融和した方が良いだろう。あるいは、内側を殺すか、外側を消すかした方が良い。本当に、知性があるようで、無い。それがおかしい。
皆をおかしく救済するありえない人間が自分だ。そこがおかしいように見える。
何か、忘れた。いつも、忘れてしまう。
何故か、こういう風になったせいで、自分は分かるのが怖くなっている。
そういうわけで、こんな人間は居ない。分かるのが怖いせいで、分からないのに分かるようになった。自分は賢くない。誰もが、分かるのが一番良い。
普通、覚えれば分かる。背景知識を知って、方法を知れば分かる。そういう発想が無い。
発想法から、理想の社会が作れる。基盤と考え方を作ることで、理想の社会を作る方法を、初期投資のように作ることが出来る。そういう発想が普通だ。
操らず、何もせず、殺さず、生かせば治る。
足なんか、いつも治っている。
足は治ったから、次の段階に移った方が良い。体全体の精神を融和する。
それで治る。あとは、怖くない。もう、世界も自分も、最後まで治った。
体が疲れているのは、ストレスと老廃物が溜まっている。それらを血から消すと治る。
あとは、場や地域を変えられるのをいつも分かっていた。
不思議と、血に老廃物が溜まっているのを治すと、楽になるだけではなく、精神がきちんと治る。すぐに治るだろう。もう何も辛くない。