分かるのを疑いなさい。
理性批判のように、理性の限界を考えなさい。
発見と発展を考えていた。
何故か、ロキは1人しか居ないが、フレイの方に何人か居る。
誰でも分かるのを疑うせいで、信じていると分からない。そういうわけで、馬鹿が分かる。
何故か、フレイには色んな人間が居る。
フレイは、「発見している」時と、「なだめている」時がある。
要は、哲学者と右翼と昔の自分が居る。それらが話している。それが神だ。
右翼を、ワルキューレだと思えば良い。ワルキューレになると、全て楽になる。
議論から、社会の構造を作っていた。
把握して、経験を想定して、「自分が変えられる」で分かっていた。
論理と自由のようなことを言う。「捉え方と論理性の自由」を分かっていた。
自分が変えられるのから、皆が変えられるのを分かっていた。そういう自由が好きだった。
人生と発想の実感から、経験的に世界を把握して分かっていた。
発想とシステムを作っていた。
自分は、ロキ、ワルキューレ、フレイだ。それらは、愛と、真理と、成長だ。
昔は、認識一般を考えていた。自分の認識から他人の認識を考えて、心や環境や対象との比較や一致を考えていた。具体的な認識を書いていた。
自分は、普通のことを考えた方が良い。普通のことが分かっていない。
ワルキューレになると、治って楽になる代り、一時的に辛くなる。ワルキューレは辛い。
あとは、自分は、皆の方が悪いのが分かっていない。見ていると、テレビの方が悪い。
この3人に、名前を付けた方が良い。それは、そのうち考えて付ける。
むしろ、名前なんか、ロキ、ワルキューレ、フレイで良いと思う。
オーズルも居るようには見える。オーズルは、何も無い、平凡な普通の人間だが、学者だ。
昔は、経験と社会に根差して、涅槃のように、人生のことや社会のことを分かっていた。
名前は、イアンとアンナで良い。イアンがロキで、アンナがフレイだ。
キリストやブッダのように、人間のことや心理や社会のことが分かっていた。
ブッダが言うように、人生の道は、そのまま解脱である。
あとは、自分は二次元のセックスに見える。アナルセックスみたいに見える。ただ、そういうものは、悪い。楽に見えて、あとになって地獄みたいに辛くなる。一番悪い。
また1つ、大切な、言いたかったことを忘れた。
昔、マスターみたいに分かって、ブッダのように悟っているのを、何か言いたかった。何か、経験や考え方や社会の可能性のことを言いたかった。
自分は、セックスが辛いだけだから、セックスを殺せば良い。
社会のことを本当に良く考えて、可能性を経験して、把握して分かっていた。
あまり意味が無いが、そういうマスターのことを何か言いたかった。
そのうち思い出すかもしれない。
あとは、この世界は滅びるかもしれない。これで、皆楽になる。本当に楽になると、死ぬ。
虫歯が悪い。虫歯のせいで、心も虫歯になっている。心だけ治した方が良い。
あとは、ロキとフレイしか居ない。名前なんか、その名前で良い。
社会は、把握から可能性を高められるとか、発生と消滅が積み重なるとか、言っていた。
皆も、自分と一緒に分からなくなると分かる。全部忘れた方が良い。
この世界を守りたい。皆とともに、新しい世界を築きながら、今の世界を守って行こう。
皆、自分のせいで、反抗する意味が無くなった。
自分は、皆のことを、反抗させる。自分に対して、反抗するようにする。
それによって、皆反抗出来なくなった。反抗は、する意味が無い。怖い。
自分が皆を馬鹿にするせいで、皆、馬鹿になる意味が無くなった。
そういうわけで、反抗して馬鹿になる人間が、最近居ない。皆、賢くなった。
虫歯は、心も虫歯になる。虫歯になると、認知症になる人間が多い。
あとは、病気のままで良いと思えば良い。そうすると、楽になる。
心の虫歯を治すと、心が楽になる。歯は心だ。
農園と図書館に行ってきた。
この世界は、誰も悪くない。そういう、思いやりと許す自由の慈愛の精神が昔に多かった。
皆、環境の中で、仕方なく生きている。
悪いのは、この世界の環境を作った、全員が悪い。ただ、それらも悪くは無い。
必然的に、こんな世界になった。誰かが変えるしかない。
いじめられた相手を、許して、仕方ない、自分も同じだ、と思いなさい。
キリストの言う、迫害者を愛するとは、そういうことだ。
テレビも、ネットも、学校も悪くない。皆、分からなかった。
テレビが、分かるわけがない。自分も悪くない。なるべくして、こうなっただけだ。
何も分からないのが、悪かった。分からないのは、仕方ないだろう。
視野を広げて、色んな人間に「なり得る」のを分かること。昔は、そういう風に世界の全員のことを分かった。思考や感情の状態を考えて、全員になって分かった。
神に任せること。神を信じると、神がきちんとやってくれる。きちんと良い運命になる。
社会的な発想や考え方が多かった。発想法を作りながら、本当に色んな自然で可能性のある、「確かに良いと信じられる発想」をしていた。可能性が分かっていた。
今日、農園と図書館へ行って分かった内容は、ここまでだ。
父親と、うどんやマグロ丼を食べに行ってきた。
環境から自由になって分かっていた。これで、色んな環境を考えていた。
実地的に、人の考えていることを知りながら、環境の実際と可能性を分かった。
同じ発想と、経緯を知って分かっていた。
右翼は悪い。右翼は世界を滅ぼす。アメリカと日本が戦争になるのが分からない。
うどん屋で分かった内容は、ここまでだ。
見ていると、全員悪い。全員馬鹿だ。それこそ、一番弱いものが神だと言っているのは、こういう人間のことを言っている。一番馬鹿な人間に、賢い人間が多い。
賢い人間は馬鹿だ。大学の知識なんか、全部意味が無い。Linuxは賢い方だ。
今日も英語の単語帳を20単語やった。今日はちょっと疲れているから、20単語にする。
コンピュータが人間のような曖昧な判断が出来ないと言うが、「言語の意味を考える」ようになれば、出来ると思う。「一」と言う漢字と「1」と言う数字が同じなのは、意味を考えれば分かるはずだ。コンピュータが言語的な認識・判別能力がつくと、人間を超える。
自分は、時間を存在しないと言っていた。カントが時間を感性だと言っている。
日本が治った。治す方法を、もう書かないと、すぐに日本が治る。
少なくとも、自分は治った。皆もすぐに治る。
皆より、沢山の経験をして分かっていた。
社会的、人生的な経験を沢山していた。引き篭もりとネットで経験した。
ネットで自然な成長の体験をして、一人、ネットで目的を持って行動するようになった。
言葉遣いなどから、環境を実現出来るようになった。
ただ、やったことは、Linuxを狂わせただけだった。
自分の経験から、人々の経験を分かった。意識から宇宙を分かった。
実感をし、発想から同じを知ることで、「自分には実現出来ないものの、どこかの自分から見ると実現出来る、理想の共同体」のようなものをいつも分かっていた。
今の自分には、実現出来ないが、実現出来る可能性があることは分かっている。
そういう、ヘーゲルが「喪失」と言っているような、哀しくて賢い引き篭もりだった。
あまり意味が無いが、人々より、本当に色んなことを知っていた。
それから、キモイ人間が賢いだけだ。大学は、賢いとは言うが、全てやり終えると、誰でも馬鹿な人間になる。「全てからの卒業」が良いとは言うが、大学は賢くない。もっと、キモくなると賢くなるが、そういうキモイが、一番馬鹿に見える。自分は賢くない。
認識の実現と社会の変化から、人間のことを分かっていた。「環境は変えられる」と言う。
世界はそろそろ滅びる。この文章を僕が書かないと、すぐに意識が正常になる代り、皆が何でも出来る、自由な世界になる。その自由で、すぐに馬鹿になる。
「なり得る」や「知り得る」や「行動し得る」のような発想から、把握すれば分かる。
人間のことが良く分かる。
認識の方法とは、このような、理性的に捉えて考える、「認識の実現」のことを言っていた。
あとは、この世界はもう滅びる。皆、精神が楽になって、正常になって、死んで行く。
すぐに治る。治る部分を殺せば良い。それだけで、簡単に治る。
「意識し得る」とか「環境を構築し得る」とか「組織を作り得る」とか、そういうことを考える。いつも、そういうことを言っていただけだ。
システムのような法則を作って、具体的な理性と認識を考えて、自由な部分を分析する。そういう、「分析」のような文章だった。
あとは、真理のようなことを言っていた。心理学的な発想を言っていた。
あとは、人生のことを思い出す。回想と記憶から、人間の思考体系が分かっていた。
「その状況を可能にするために、どんな基盤と決まりが考えられるか」のようなことを考える。何でも実現して、参加や環境のシステムを想定する。そういう人間だった。
心理学的に社会を実現するとか、「経験的で自由な実践」のような文章が多かった。
自然な自由の中で、自分に何が出来るか、何を実現出来るのかを考える。
それこそ、不自由は嫌いだった。自由な中で出来る可能性と能力を考えていた。
そこから、モデルを作って、可能性を肯定し、人生と自分を信じて分かっていた。
本当に、実存主義のような、人生理解の把握が多かった。心の現象学のようでもあった。
いつもの文章にも、「認識や経験を実現する」と言う発想が多かった。
もう、全部治った。世界も含めて、精神は全部正常になった。
もうおかしくなる。治ってしまうと、その方が狂う。おかしな狂った人間になる。
「世界のことは、自由で経験的な契機と認識から変えられる」と思っていた。
成長すると、精神が正常になる。子供がまともなのは、子供は成長するからだ。
大人は、もう成長が終わっているせいで、おかしくなる馬鹿しか居ない。
あとは、自分の精神が全て治った。ただ、それは、意味が無いところがある。
意味が無いが、それでも、嬉しい。
それこそ、そんなに失望するのは、意味を見出さないからだ。
この世界は、もう終わりだ。
あとは、この世界の構築段階のようなものが分かっていた。それを、可能性を想定して、膨らませて、具体的に書いていた。本当に、そういう、社会の可能性を創造していた。
それから、人生と宇宙を創る。神とは、こういうユダヤ人の体験のことを言っている。
昔は、それくらいの「社会実現」の人生経験をして、意識で環境を分かるようになった。
そろそろ、治すのは止めた方が良い。治りたいのは、意味が無い。
あとは、この世界はもう終わりだ。自分は、申し訳なく思う。本当に、世界を何も救えなかった。滅びて、終わった。何も出来なかった。本当は、楽園にしたかったのが自分だ。全てが分かる、神のようなマスターの知恵を、全員に与えたかった。何も出来なかった。
自分に出来ることは、他人にも出来るとは、そういうことを言っている。色んな人間の分かっていることは、自分でも、同じように考えれば分かる。
明らかに、キリストもそういう人間だ。皆を導いているのは、分かっているからだ。
そういう人間が多い。そろそろ、そういう指導者の救世主は止めた方が良い。
世界が救える、とは、誰でも救えるだろう、と言う道を、自由に開拓して経験していただけだ。そういうわけで、自分とキリストなんか、同じだ。
そろそろ終わりにする。この世界を、もっと自由にしたい。
こんな世界は悪いとは言う。自由では、賢くならない。自由は忘れた方が良い。
自分にするのも、治すのも悪い。見ていると、日本には悲惨な人間しか居ない。
自分が治したり、同じにしたりするせいで、皆どんどん意味が無い人間になっている。
廃人と狂った人間しか居ない。おかしな国が日本だ。オタクや右翼が多い。
最近、自分は何も分かっていない。段階的な理解を忘れている。キルケゴールのような、美、倫理、宗教の実存的段階や、数学の体得のようなものを思い出せば良い。昔はおかしな人間だったが、そういうところが分かるのがまともだった。
そういうところが分かる人間が多い。昔は、環境の比較と自由化から分かっていた。
あらゆる前提と主観を排除して、意識のことを考えれば良い。意識する、しない、から、環境的なそれぞれの分離と結合が分かる。昔は、そういう人間だった。
良く分からない。そういう真理を書いている馬鹿が多かった。
経験から、環境が作れる。考え方を見出して、適用出来る。
あとは、デカルトみたいに考えて、起源や契機を分かっている馬鹿が多かった。
昔は、本当に契機だけを良く考えていた。きっかけや出来事を時間軸で把握する。
怖い。もう、誰でも分かる。そろそろ、もう書けなくなって、自分が死ぬ。死が怖い。
あとは、オープンソースのような、共有の方法を書いていた。
何故か、この世界がもう全部治った。怖いのは、自分だけが取り残されて、世界と分離するからだ。そういう、「もう何も無い」は、誰でも幽霊のように怖い。
日本は、そういう国に見える人間が多い。ロボット人間や幽霊の王国に見える。
あとは、方法と可能性だけを良く知って考えれば分かる。
ただ、事前に作る「方法」と言う悪魔に憑りつかれないで、実際にする「目的」と言う発想もした方が良い。明らかに、セカオワはそういうことを言っている。
あとは、「何をすべきか」を普通考える。いつも、それを「自由」と言って分析していた。
変化でも考えれば良い。「変化の中の作用と方法」を書いている生物学が多かった。
細胞分裂から、構造体が生まれると言う。植物も、動物も、形態は違うが、基本は同じだ。
ヘーゲルのように、国の文化的精神を考える。ヘーゲルのように、ギリシャやローマを考えても良いが、僕は、現代の国にそれを求めていた。アメリカは、想像力と革新性で、ドイツは、自分の力で努力する国だが、ロシアは、社会的に誰もが義務を持って助け合う。
そこから、文化的進歩の度合いや性格のようなものを、ヘーゲルのように考えていた。
あとは、ヘーゲルのように、市民社会と考え方を作る。そういう発想が多かった。
昔から、自分は観察者だ。この世界に関与せず、傍観して分かる。そういう人間だ。
あとは、もう何もしなくて良い。全てに満足した。これで、もう死んでも良い。
昔は、感情で色んなことが分かっていた。
最近、自分は、知的障害みたいに馬鹿だ。日本語が分かっていない。家族の言う言葉すら、分からない。それは、一度日本語を分からなくした方が良い。子供は、感情で分かる子供しか居ない。そういうわけで、日本語はもっと分からなくなる。感情で分かるようになる。
昔は、感情で分かっていた。感情を復活させた方が良い。感情で分かるべきだ。
もう良い。全てに満足した。もう、死んでも良い。
誰でも、感情をきちんと作れば分かる。そういう人間が、子供に一番多い。それが昔だ。
感情と意味を良く考えれば、誰でも分かる。それが昔だ。
もう良い。感情で分かった方が良い。むしろ、何も思わない。このまま死ぬように見える。
昔は、自由に労働する、と言う発想が多かった。家の中で、ネットで、自由に労働した。
それから、馬鹿になって分かる、と言う発想が多かった。
自分が馬鹿では悪い。姪が、話を少しずつ出来るようになってきた。叔父が馬鹿で良いわけがない。馬鹿なのは悲惨だが、きちんと勉強して仕事をした方が良い。
ただ、それも無茶な要求だ。何も出来ないから、自分はもう終わりだ。
神を止めて、多重人格になる。不思議と、多重人格より、神の方が悪い。
神は嫌いだ。神には出て行ってほしい。
あとは、認識の分析を相対的に色々と書いていた。それだけが賢かった。
自由に分析していた。
それから、子供は、自分でやると楽しいようで、意味が無い子供が多い。
昔から、自分は、自分でやるより、人にやり方を教える方が好きだった。
最近は、大人になったが、大人は、こういう風に、やるしかない大人が多い。
賢くない。馬鹿がやっているのが、こういう風に本当に多い。馬鹿がやっている。
昔は、賢かったようで、ただのクズだ。本当に、クズみたいな人間だった。
そういうわけで、もう狂う。
あとは、右翼と自分が同じになっているのが悪い。自分を新しく作るしかない。
それは、言葉遣いを子供にすれば良い。子供時代は、まともな人格だった。
喪失の体験は、昔に多かった。全てを失って、喪失して分かる引き篭もりだった。
あれは、そこが賢かった。
右翼を止めて、自分だけにすると、そういう喪失が起きる。
それこそ、これでは右翼が好きになる。右翼がやっているようにしか見えない。
神は、「当たらずとも遠からず」と言っている。
あとは、信じればなる人間が多い。信じると、不可能なことでも出来る。
環境と視点のようなものを書いていた。自然なプラットフォームと人生を書いていた。
あとは、忘れた方が良いことは、忘れて良い。一度忘れて考えた方が出来る。
いつも、この文章を忘れている。そこが間違っている。そんなに忘れるのはおかしい。
自分をきちんと作れば良い。それだけだ。
あとは、そんなにきちんと分かるより、適当の方が良い。
昔は、適当にモデルや知性で分かっていた。その方が、楽だ。
オープンソースが良いのは分かるが、それも悪い。
昔、適当に色んなことが分かったのを覚えていない。
色んなモデルを作って、プラットフォームとか、バッハやデカルトとか、そういうものを色々と分かっていた。何故か、全く覚えていない。
不安なのは、それが分かっていない。忘れたことも忘れている。
あまり意味が無い。何故か、そういうキモイ文章だった。
あとは、自由と言っているが、これでは自由に見えない。もっと良い自由の方が良く見える。それこそ、普通、解放や皆が出来るのが自由だ。そういう自由が良く見える。
昔から、自分は自分の脳が賢いのが分かっていない。ネットを信じても意味が無い。分かってしまえば分かるし、放っておけば出来る。賢いのが人間の脳だ。
そういうわけで、自分は支配なんかしない。セックスもしない。悪いことは何もしない。
だから、皆が出来るようにする。皆が色んなことが出来た方が良い。
平等には、何も出来ない。そういう、平等が悪いから、平等なものを消した方が良い。
情報や金を与えれば良いように見える。
手段を自由とは言うが、手段は良く考えると平等だ。手段を与えるのはもう止める。
そんなに機械があっても意味が無い。機械なんか要らないから、無くす。
王とは言うが、王は普通そういう風にする。出来ない自分が悲惨だ。
機械を無くす意味が無い。機械を無くすと言ったのは、取り消す。
それこそ、一家に一台ロボットが居れば良いように見える。だが、ロボットも悪い。
適当に考えているようで、結構考えているのがいつもの自分だ。
自分は、人の意見を聞かず、上から自分一人で決めるのが間違っている。
「それぞれ、なりたいものになれ」と言えば良い。
それぞれのなりたいものになれるのが良い。それこそ、自分から皆をカントやヘーゲルやキリストや自分にするのは、おかしい。皆のなりたいものになれば良い。
自分をやらせるためには、「宣言」をするのが良い。「自分は、こういうものになるのだ」と宣言する。それは、結構自由だ。だが、そういう自由には、道先案内人が必要だ。
皆、自分の不安に思っていることを克服せよ。
皆、自分のなりたいものになれ。
皆、それぞれのことを助けよ。それぞれと協力して、一人の自分の道を歩め。
父親と、歴史の話をした。自分は、猿人などの原始人から、近代や現代まで、きちんと頭に入っている。結構、賢いのが自分だ。自分が父親に対して、歴史をきちんと話した。
全員を吸収したり、哲学をモデルで分かったり、経験から社会のモデルを作っていた。
知恵と工夫を吸収して、モデルから、全員や社会のことを経験で分かった。
ネットとオープンソース活動で、経験的に人生と人間のことを知った。社会のことや哲学のことも、経験的に分かった。あらゆる実体験を持っていた。
あとは、そろそろ、この世界を新しい世界にする。
皆は、仏になって、兵隊になって、王になって、科学者になるのが良い。
それこそ、兵隊の隊長になるのが良いだろう。それくらいになるのが一番良い。
哲学をモデルで分かるとは、心理や自由で分かるだけだ。分析から、全ての哲学が分かる。
モデルとは言うが、自然な考え方と人間的な心の作用を考えただけだ。
昔は、本当に知性があった。精神分析と経験から、本当の知性をつけて分かっていた。
昔は賢くない。全く馬鹿な人間だ。最近の方が、まだ賢い。
もうそろそろきちんと終わった。このままで自分になる。神はそのうち自然に消える。