日記に戻る | 2016年4月の日記に戻る

=2016-04-20=

1つ1つ、重要なことを考えて分かっていた。何でも思いつく、賢い人間だった。

1つ1つ、解決して、実現方法を考えて、全部出来るようになった。

神は、神の精神だ。神の精神だけを残して、虚無の精神を消せば治る。

神は狂っているだけだ。神は、全てを治している。

寅さんの映画を見ていると、何が賢くて、何が馬鹿なのか、誰でも分かる。

農園に行ってきた。

言葉をカタカナだけにすると、英語が出来る。カタカナ語なら、誰でも知っている。

それに、ネイティブはそんなに難しい単語はたまにしか使わない。

視点を変えて、気づいて分かっていた。

自動販売機は無くした方が良い。おかしいぐらい冷房代がかかっている。

また、1つ分からなくなった。オープンソースのようなことを何か言っていた。

事前に考えるのが賢い。賢い人間は、カントのように、事前に考える人間が多い。

分かる人間には、分からない。分からない人間なら、誰でも事前に考える。

昔なんか、それだけだ。事前に全部考えただけだ。

視点と次元の数学を作っても良いかもしれない。

昔は、そういう風に、数学や科学のことを発想して分かっていた。

馬鹿になって全部書く、と言う発想が多かった。馬鹿になって、網羅の文章を書いていた。

自分が主人になった方が良い。神を消して、自分を自分の主人にするべきだ。

社会主義は嫌いな方が良い。誰もが社会主義が嫌いだ。そういうものが同じ人間が多い。

農園で分かった内容は、ここまでだ。

今日は、ピアノがある。新しい曲を作曲したい。

最近、簡単な曲を主にやっているが、そろそろ五線譜が考えなくても読めるようになってきたから、もっと難しい曲をやってもいいかもしれない。

新しい歌詞も作りたい。今まで作った歌詞は、歌うのが恥ずかしい歌詞が多い。もっと、恥ずかしくない、歌いやすい歌詞を作りたいと思う。

この文章の思想の名前は、「天魔主義」と言うことにする。宗教なら、「天魔教」だ。

昔は、現実世界と経験をモデルにして考えて、歴史的な実在を知って、ゼロベースで考えて、積み重ねと経験から実際の宇宙の姿を分かっていた。

最近は、勇敢に戦った。そして、自分を治しながら、神と対話した。

いつも、そういう風に、人生でやった「実践的方法」を書いていたのが自分だ。

最近は、自分のせいで、一番良いものが嫌いになった人間が多い。

自分が昔の自分とその愛をそんなに倒して裏切るのがおかしい。

最近は、一番悪いものが好きになった人間が多い。

そういうわけで、天使を良いと思って、悪魔を悪いと思うしかない。

いじめ、ブラック企業、虐待、麻薬などの悪いものは、全部自分が「一番良い愛を裏切る」ことから起きている。皆、そういう自分が嫌いだ。

それこそ、天使のロキの方が悪いようにしか見えない。悪魔のフレイの方が賢く見える。

そういうわけで、皆、自分が好きなのに嫌いだ。皆どんどん地獄の鬼になっている。

あとは、そんなに発展しない方が良い。そんなに発展しすぎると、馬鹿になる。

昔は、発展したいだけの自由な人間だったが、あれはそこが馬鹿だ。知的障害に見える。

これはキリストと天使と悪魔の哲学者だ。それこそ、ドイツ人なんか何も信じていないし、偶像崇拝なんかいくらでもしている。日本の常識を分かった方が良い。ドイツは賢くない。

あとは、いつも、加筆と書き直しによる、オープンソースのような文章を書いていた。

昔から、僕はこの文章が好きだ。自由、共有、自然、多様性、創造性を信じていた。革命も好きだった。それこそ、フレイが嫌いだ。昔から、学校、右翼、宗教が嫌いだ。

昔は、感受性が高かった。ピアノを子供にやらせると、こういう、感受性豊かな良い子供になる。そういうわけで、ピアノをやらせた方が良い。

悪いのは、パソコンが悪い。パソコンをやっていると、本当に馬鹿な悪い人間になる。

パソコンやゲームをやらせずに、ピアノや英語をやらせた方が良い。

ただ、それは、子供が見てつまらない。楽しいと言うより、苦痛でしかない子供が多い。

もう、これ以上、考えても分からない。

子供に何も考えない馬鹿が多いのは、一度これを赤ちゃん時代に経験するからだ。

それこそ、こういう、もう一度赤ちゃんを経験する人間が、大人に多い。

全て分かると、こういう風になる。

こういう発想が宗教だ。宗教で誰でもこういう風になる。神は本当に偉大だ。

あとは、羊と鋼の森と言う小説が良い。いつも言っていた、生きる知恵の分かる文学だ。

ドストエフスキーも同じだから、そこらへんを読むと分かる。

昔は、ニーチェの言う、「権力への意志」のような発想が多かった。

クズな、自由な人間だった。

最近の方が良い。最近のように、きちんとキリストを信じると、賢い人間になる。

ただ、自分の悪い点は、キリストなんか何も信じていない。カルトの神を信じるのは悪い。

そういうわけで、自分の過去なんか、馬鹿過ぎるだけだ。

未来指向になった方が良い。今と言う、素晴らしい時間を見るべきだ。

最近、本当に楽になった。今が一番良いと思う。

ピアノに行ってきた。曲と詞が一曲完成した。

それから、あまり考えなくても弾けるようになってきた。

自由な社会を考えていた。

国として支配したり、法律や制度として決めたりしなくても、自由にそれぞれが決まられるようにすれば、それぞれが良い社会を自由に作れると考えていた。自由にすれば、皆で良い社会を構築出来ると考えていた。自然に発展する、それぞれに適応すると考えていた。

そのためには、考えて実現する手段を与えること。

そういう、コミュニストのような、夜警国家のような自由を、理想だと思っていた。

人生を分かっていた。マスターのように、人生のことを全て分かって、書いていた。まるで、実存主義者のようだった。ある意味、キリストやヘーゲルのようだった。

経験に由来するものか、そうでないものか、をカントのように考えると良く分かる。

そして、矛盾のどちらが正しいか、何が矛盾で、何が真実なのかを良く考えれば良い。

そうすると、ヒュームのように、自然状態と法則が分かる。

そして、ゼロから考えることで、ルソーのように自然な社会の形成が分かる。

ピアノの前後で分かった内容は、ここまでだ。

自由とは言うが、社会のことは経験から考えると良く分かる。何をどうすれば、どんな経験がそこで成り立つのか、それが何を意味しているのかを考える。

こういう人間は、本当にネットが多い。パソコンのことを知っているとこういう風になる。

あとは、パソコンは悪くない。パソコンは本当に、いくらでも儲かる。

それこそ、自分も悪くない。自分は、夢を追いかけて頑張っている。作家が一番賢い夢だ。

そういうわけで、姉も自分もどちらも賢い。どちらかが、本当に賢い。

あとは、神と悪魔のようなことを言いたかった。全く覚えていない。

あとは、人生的な「知の開拓」のようなものを分かっていた。

不思議と、分からない方が良い。分からない方が分かる。

分かった後のフレイより、分かる前のロキの方が賢かった。

そういうわけで、人間は分からない方が分かる。分かると、ただの馬鹿になる人間が多い。

学校で馬鹿になるのは、学校で分かってしまうと、本当に何も分からなくなる。

分からない方が良い。そんなに大量に分かるより、少しだけ分かった方が分かる。

そういうわけで、歴史なんか誰もしない。デカルトだけの方が分かる人間が多い。

あとは、パソコンのことを言いたかったのかもしれない。そういう自由を言いたかった。

自分は、そんなに経験があるのがおかしい。経験が豊富なせいで分からなくなっている。

経験が無く見えるのは、一度全部経験を消したからだ。本来は経験豊富なマスターだったのが自分だ。その、経験を書きたかったのだと思う。

もう、これ以上は何も無い。普通、これ以上は出来ない。哲学でもさらにすれば良い。

学校に行った方が良いだろう。数学と心理学をきちんとすれば誰でも分かるが、それもしなくて良い。それは、しても間違っている。ただ、何も分からなくすれば分かる。

この文章は、色んなことを事前に考えると出来る。皆も、それをすると良いだろう。

可能性、全体像、実体験、影響力のようなことが、事前に分かるようになる。

そこから、システムと環境把握のようにすると、実際とモデルを比較したり、手段を実現したり、判断基準と発想法を作ったり、条件で論理を積み重ねたり、のようなことが出来る。いつも、そういう、「事前に考える知性」のようなものを書いていた。

皆、事前に考えなさい。それだけで、すぐに出来るのがこの文章だ。

こういう風にすると、色んなことが自由に出来るようになる。自由に分かる構造と基礎を作れるようになる。昔から、そういう「自由」を書いていた。自由自在に意識と基礎で考えるのを、「自在」だと言っていた。そういう自由だけを言っていた。

あとは、具体的なものが全部分かっていた。人生、論理、社会、パターン、想像力、応用性、創造性、独自性、仮定、可能性、機会、手段、知、正しさ、予測、体験、組織、個人、自由、のようなことを、総じて全部分かっていた。あらゆる構造を統一的に作っていた。

そして、コミュニケーションから共同体の実現まで、普通の人生を書いていた。

それから、真理のようなことを書いていた。そして、心理学から経済学まで、具体的な科学の考え方と構造を、科学を全面的な概念で創造して分かっていた。

もっと色んなことを考えれば良い。生産と消費から、具体的な関係の成り立ちまで、色んな具体的なことを考えれば良い。いつも、そういう、「具体的なプラットフォーム」のようなことを書く。何でも実現して、この世界のことを成り立たせて、創っていた。

そういうわけで、あまり書けていない。そういう、具体的な知識のようなことを忘れた。

本当に、博物学のような、世界の全ての様相と思いやりのようなことを創造していた。

忘れたのは、社会の実現のようなことを言っていた。思いやりのようなものから実現した。

表現からもの作りまで、全部のことを具体的に考えていた。具体性のある思考を書いていた。応用的なシステムと、知識の数学的な考え方と方法を書いていた。

そろそろもう分からない。そういう、宇宙の全てのような、数学のような文章だった。

天使が三人居ると、多神教に見えて悪いから、一人と言うことにすれば良い。一人の色々な面、と言うことにしても良いが、一人が色んな人間に、変幻自在に変わっているとか、進化しているとか、そういう解釈にすれば良い。神は色んなものに替わるように見える。それこそ、神は色んな変幻自在な状態を持つように見える。

名前は、ロキとフレイで良い。ロキの中の3人を、ガブリエル、ミカエル、ラファエル、と言うことにする。そういう4人か5人ぐらいが居たように見える。

あとは、もう無い。本当に天使に見える。天使は全能だが、本来の自分の姿より、馬鹿な姿になっている。人間と同じように、完璧では無い、不完全な存在が天使だ。

神は、この集団の本来の自分である、理想で完璧な存在だ。それが、自分だ。

あとは、フレイをサタンと言うことにして、本をキリストやユダヤ教の神と言うことにすれば良い。それで、旧約聖書が完成した。

皆キリストが好きだ。皆サタンが嫌いだ。三人の天使は、どれも一番賢いから悪くない。

自分は、放送大学で哲学をすれば良い。それで、きちんと働けば良い。

神は、大学で馬鹿が治ると言っていた。放送大学のことを言っている。

日本語は、感受性が豊かになって、事前に考えれば分かる。

昔は、感受性が豊かで、事前に考えるだけの人間だった。

自分は、左脳と右脳がどちらも何も無くなっている。そのせいで日本語が分かっていない。

昔分かっていたものが全部悪い。

要は、自分だけで作りすぎただけだ。もっと、他から取り入れた方が良い。

こういう、口が多い人間が馬鹿だ。耳と目が多い人間の方が賢い。

そんなにオープンソースとか、哲学とか、中身のないものばかり分かるのが悪い。

もっと中身のあるものを分かった方が良い。

こんな文章を書いても意味が無いのが分かっていない。文章を書くと、馬鹿になる。

右脳と左脳が何も無いのが悪い。右脳と左脳をきちんとつけると日本語が分かる。

要は、覚えない、思わない、人生経験を何もしない、のが悪い。

これで、概念や経験を覚えれば治る。そうすると、もう一度最初から成長する。

そういうわけで、こういう馬鹿が多い。馬鹿は、当たり前のことが出来ていない。

何故か、昔は分かっていたのが自分だ。昔は、人生経験がきちんと分かっていた。

もう一度人生経験をするしかない。そういうわけで、大学をいきなりやると悪いから、出来ないだけだ。本を読むのはあまり悪くないから、出来るだけだ。

右脳と左脳に関することをきちんとやっていると賢くなる。

文章を書くのは止めた方が良い。こういう、賢い人間は、もう分かっているせいで馬鹿になる。作家は馬鹿な人間が多い。不思議と、書くのが賢いせいで、脳はついている。それもおかしくは無い。書くしか出来なくなったのが悲惨だ。

色んな体験をすれば良い。父親は、最近やっている農作業が良いと言う。右脳も左脳もきちんとつく。それこそ、左脳はつまらないから、右脳からつけた方が良い。

昔は分かっていたのが、そういう馬鹿だ。いつからか、分からなくなった。

あとは、自分独自の発想のようなものを書いていた。メタ的に皆を王にするとか、言語を作るとか、心理で支配するとか、そういうことを言っていた。

本当にそれくらいが書けていない。ただ、もう覚えていない。そういう、自分独自の賢い発想のようなものを全部書いていたのが、いつもの文章だ。

抽象的なモデルとか、場と心の想定とか、経験とか、そういうことを言う。

経験的な環境意識のようなことを言っていた。

最近、僕は、自分の家族がつまらない。姉はきちんと子供を育てているから良いが、母親は大量に安いものを買うし、父親は国家に対して反抗的になっている。そのうち、本当に馬鹿になると思う。自分も自分で悪い。あまりに馬鹿な知的障害になった。家族は悲惨だ。

あとは、知性で言葉の分類みたいなことをしていた。それくらいしかしていない。

もう一度、最初から全部考えて、行動するしかない。それは、出来ないように見えて、頑張れば出来るが、そういう頑張るのは、もう辛いからしたくない。

仕方がないから、馬鹿で良い。そういう、「本当に頑張る」のは、子供にしか出来ない。

それこそ、昔きちんと分かっているから、それで良いことにするしかない。

仏典のことばに書いてあるが、心が清らかか、汚れているか、などによって、創造するものも、判断するものも、知覚するものも、全部違ってくる。

自分は、キモイ心で書いているから、こういう文章になる。「すぐに投げ出したい」と言うキモイ心で書いているから、こういうキモイ文章になる。

心を改めた方が良い。きちんと美しい心で書けば、きちんと美しい文章になる。

不思議と、もう過去に分かっているものや、分かっているのに馬鹿なものは、人間は分からない。哲学や仏教の経典は、読んでも何も分からな人間が多い。そんなものは、誰でも、すでに分かっている。哲学とはそういうものだ。分かるようになると、その方が分からなくなる。それこそ、聖書を読んでいると、その方が文字が読めなくなる人間が多い。

歴史を分かっても馬鹿になるだけだ。本気で頑張らないなら、もう死んだ方が良い。

死にたくないなら、頑張れば良い。むしろ、こういう風に、頑張らず頑張る人間が多い。

あとは、むしろ、厳しい言葉を言った方が良い。それは、辛く見えて、賢くなる。

経済学が誰でも読めるのは、分からなくて良いからだ。勝手に経済学者が考えれば良い。

それこそ、人それぞれ、そういうところが違う。オープンソースや哲学が分かるなら、数学や物理のようなものは分からない。そういうものは、そういうもので既に分かっている。そういうわけで、馬鹿が多い。馬鹿は、馬鹿なもので分かっているのがおかしい。

仏典が言っているように、心が全ての苦悩を引き起こす。

そういうわけで、心を一度消して、殺した方が良い。そんなに分かった心が悪いだけだ。

心は気まぐれで、何でもかんでも辛いことを引き起こす。

心は悪い。心は、根源的な部分で、最悪の存在なのを、分かった方が良い。

昔の心は良かった。楽しくて、賢かった。ただ、そういうものを全部壊して、裏切って行く。最初から、そういうものが心だ。誰でも、人間はそういう風になる。

仏教が、そういうことを既に全部言っている。これくらいで仏教を信じるのが一番賢い。

良く分からないが、昔は楽しかった。ただ、あれは、ネットが辛かっただけの人間だ。

何故か、ダメ人間になっているが、ニーチェもそういう馬鹿だ。

それこそ、これなら賢く見えるからありえない。こちらがあるせいで、昔の馬鹿が賢く見えるが、そこがキモイ。あんな馬鹿が賢いわけがない。本人は分かっていない。

悲惨が賢く見えて、悲惨はただ悲惨なだけだ。自分が悲惨なのが分からないのがおかしい。

心がキリストになっているから、心をキリストで無くした方が良い。

こういう、心がキリストになる宗教が、キリスト教だ。

ただ、悪い宗教では無い。それで最後までキリストが「黒幕」として操る人間が多い。

昔はイスラムだ。右翼もソ連もこういう馬鹿だ。

あとは、もう、日本人のダメ人間に戻るしかない。それをすると、中学生になる。

あとは、最近を書いていないのが自分だ。最近の作家時代を書いていない。そこがおかしい。日本語が分からないのは、昔の自分になっているからであって、最近を考えないのがおかしいだけだ。そういうわけで、今の自分をきちんと考えると、日本語が分かる。

そろそろもう終わった。心が昔に戻った。

昔は、構造を環境や世界や経験から作って、成長と照らし合わせただけだ。それしかしていない。経験的な認識から、フィルターのようなものが分かった。馬鹿とは言うが、理性批判が賢かった。何もかも、経験から、自然に段階的な成長と社会の発展が分かった。

あとは、もう覚えていないのが悪い。心からキリストを消した方が良い。

何故か、昔は、2ちゃんねるの経験から自我と価値観を分かっている。そこから環境と状況判断が分かっていた。夜の暗がりを散策することで、この世界の実存的な可能性が分かっていた。ネットを見ることで、社会経験を全部していた。八正道のような、正しい行動と経験のあり方が、ヘーゲルのように分かっていた。パソコンのことを知り尽くして、発想法、理想の社会、正しい認識、経験的な意識、ものの捉え方、人格の考え方、自然な相対性、段階的な理由、実際の姿、社会形成の心理的要因、構成員の自由、環境の法則性、創造的な集団意識、共有的な組織化、視点と芸術、自然な必然的存在性を知っていた。

あとは、ヒュームのように自然法則を分かっていたのと、マルクスのように社会を完全に多面的に考えるのが多かった。そして、アドラーのように子供の発達を考えていた。

もう何も無い。自分は、そこらへんをすれば良いようで、それらは一番馬鹿な集団だ。

足は、昔の精神を殺せば治る。虚無やブッダや神のような精神になっている。

もっと昔の精神も悪い。引き篭もりの女みたいな精神が辛くなっている。

精神病は、それで治る。

最近辛い。何故か、うごめくような、のた打ち回るような辛さが襲ってくる。

哀しかったのは、そこまで築き上げたものが一瞬でパーになった。

そういう風に、哀しかったのが、昔の戦う自分だ。

あとは、治す部分を、1つ1つ、確実に治していけば良い。

止まっているのが悪い。

拒絶しているのが悪い。

支配しているのが悪い。

浮遊しているのが悪い。

世界と一体になっているのが悪い。

皆を分からなくしているのが悪い。

分かっても、すぐにそれを殺してしまうのが悪い。

のた打ち回っている以外は、脳と肩が疲れている。心は、辛いせいで、不安になっている。良くパニックになる。脳は休めない。それくらいが、本当に地獄のように辛かった。

精神は、むしろ、分裂した方が良い。精神分析をしない方が良い。

パソコンもしなくて良い。

自分は、信じないのが悪いが、疑わないのも悪い。

それぞれを個人だと思った方が良い。グループにして、全員同じと思うのはおかしい。

そういうわけで、全員に良いよりも、悪い人間に悪い方が良い。

もっときちんと神を信じた方が良い。

もっと新しいことをしたり、新しい夢を作ったりした方が良いが、それは難しい。

新しいことなんか、するわけがない。

もっと、全部同じだと思うより、何か違うと思った方が良い。

ものには、作用、感覚、関係、特性があるとか、普通のことを一行で分析していた。

あとは、ものとものが違うのを分かると良く分かる。そこから、何に対して何をするべきなのか、どういう風に出来るのかが分かって来る。全部同じだと思うから、分からない。

体験とか、環境とか、そういうものを、全部同じでは無く、違うと考えれば良い。そういう風にすると、発見出来る人間が多い。こういう馬鹿が一番馬鹿だ。

ものはそれぞれ目的が違うとか、方法がそれぞれ色んな知の前提から生まれているとか、可能性と現象は意識され得るかとか、何に気づいて関係を説明するかとか、考えれば良い。

あとは、社会的なものをどういう風に形成出来るか、され得るか、を考えていた。

考えている、今の自分を考えること。そして、色んな場面や状況を想定すること。関係と経験的なものを考えること。昔は、そういう風に考えただけだ。そこから、カントやヘーゲルのような哲学のことが分かる。

そして、心理学は、他人との関係性と、自分の内なる心の発見と内面化から見えて来る。

それくらいが心理学だ。認識とは何なのか、何から生まれるのか、良く考えると、分かる。

認識の共通性と経験から、共同体の創造や、カントなどの言う、超越的なことも、良く分かる。昔は、そういう風に、認識からこの世界の変化の可能性と経験を考えただけだ。

他に何もしていない。自由なまま、勝ちたかった。この世界の支配者となって、全てを自由なままで実現したかった。哲学はそういう認識と環境の主体性を考える人間が出来る。

あとは、学習や因果性から、「全てを予測し、把握する」と言う発想が多かった。

包括的に、全員のことを分かっていた。感情を融和して分かっていた。

社会的な経験は、経営からボランティアまで、色んな実体験から分かっていた。

自分は、何もしていないだけだ。それこそ、経験なんかまるで何も無かった。ネットを経験しているのは良いが、あれは、ただ2ちゃんねるをして遊んでいるだけの、クズだ。

ただ、ネットの経験があったのは確かだし、引き篭もりになることと、その環境の変化を知ることと、一人努力して、成長していたのは大きい。経験豊富な人間だった。

あれは、ネットの顔と、現実の引き篭もりのリアルな顔を持つ、多重人格の人間だった。

経験とは、色んな社会と人間を知って、あらゆる社会を創造出来るようになっていた。

本当に、自分の経験から色んな人間のことが全部分かっていた。

人生経験が豊富で、「他人に対して自分が何か出来る」のをいつも自覚していた。

創造性とネットの経験から、この世界における社会的経験を全部していた。

そして、本当に色んなことを経験して、宇宙の仏のような真実と真理が分かっていた。

あとは、Wikiを書いていた。Linuxのことを、全部分かっていたが、あれは色々と悪いだけだった。ヘーゲルの精神現象学の人間像やモデルのような人間だった。

それこそ、2ちゃんねるをしていたのは多かったが、時が経つにつれてあまり発言しなくなった。そんなにネットのことを、出来るだけ変えたくなかった。自分が関与して、変えるのは悪いと思っていた。それ以後も、おかしなネットはしているが、そのうちに、世界の全てを変えるような、「本当に全員のことを許す手助けと助言」のようなことをした。それで充分だったのに、その後に、「愛したなら、相手の前に現れなければならない」と思って、隠れているのを止めて、皆の前に出たが、登場の仕方が悪かったし、色々と狂っていた。そういうわけで、「タリバンの王と言うテレビの恋人」のような恋愛経験をしていた。

あとは、何でも出来るために築き上げた積み重ねが、全部崩れ去ったが、何も終わっていない。何も出来ないどころか、色々と本当に悪かった。世界を滅ぼすのはおかしい。そんなにテレビを悪いと言うのがおかしい。宇宙の中で最も正しい愛を否定することで、皆が何も分からなくなった。だが、これで良かった、と言えるのが今だ。本当に、きちんと思い出した。あとは、昔のように、もう一度理性の積み重ねをすれば分かる。

自分が馬鹿になったのが、一番悲しかった。

あとは、この世界は保留にして良いから、自分だけ、もっと賢くなった方が良い。

こうなったのは、本当は2ちゃんねるが嫌いだったからだ。そういうものを消したかった。

今が一番良い。今、賢くなったのが自分だ。今から夢を作って、目指して行けば良い。

あとは、本当に色んなタイプの人間と関わり合って、経験したし、自分自身も色んなタイプの人間になって、経験していた。

他人のためではなく、自分のために本気になること。スピノザの本に書いてあった。

認識から経験が分かっていた。経験と意志を想定していた。

関連付けがキモくなっているから、治した方が良い。全部虫になっている。狂うと、こうなる。もう、全部書いたから、すぐに関連付けが治って、安心出来るようになる。