今日は、農園と英会話教室に行った。ただ、そこに行って分かった内容は無い。
羊と鋼の森と言う小説を買った。これを読みたい。
昔は、色んな新しいものを作って、発想して、可能性を作っていた。
新しい発明や発見をして、会社、もの、組織、国、社会、などを作っていた。
そのプロセスを書いていた。
可能性を作って、自然に出来るようにして、見方を変えると言っていた。
考え方を自分で作って、「自分の心で自分として分かる」と言う発想で分かっていた。
社会のことは、「皆が出来るようにする自由」で分かった。国のモデルを作っていた。
自分は、今が一番賢いのが分かっていない。治しても意味が無い。賢い方が本当に楽だ。
時間が治る。時計の機械になっているのが、そろそろ治る。
歴史の実際の姿を見て分かりたかった。時代の本当の姿を視覚化したかった。
救世主だった。全員が何も悪くないことにして、経験から、世界を救える人間だった。
英語のような文章を書いていた。弁証法のような、英語的な論理学の文章だった。
何をしてもすぐに死ぬのが悪い。そのせいで、皆辛くなっている。
多様性が好きだった。画一的に同じにする、工場のような学校は嫌いだった。
だが、法律で会社を同じにするとか、平等もそれはそれで良いと思っていた。
人の心の痛みが分かる人間だった。皆と苦しみを分かち合って分かっていた。
賢いものは、賢くない。普通に、世界を抽象的に考えるのだけが賢い。
知性と論理学から、経験的に決まりを考える。そして、正しいことから推論する。
賢い、とされているものは、何も賢くない。それこそ、哲学のこれくらいを分かると賢いように見えて、何も賢くない。経済学なんか知らなくても、常識ぐらい誰でも分かる。
自分は、皆のことが分かっていない。
昔は、皆のことを知ることで分かっていた。苦しみや、希望や、情愛の分かち合いから、人間とこの世界の活動が全部分かっていた。そういう経験があった。
あとは、本はネットで買った方が良い。本屋には、良い本が置いていない。
ネットで哲学の入門書を買えば良い。本屋には、哲学の本はあまり良い本が無い。
スピノザが言うように、この世界のあらゆるものには、形成過程、目的、形状、素材がある。そこから、あらゆるものが生み出される。
いつも、そういう文章を書いていたのが、自分だ。
あとは、自分は、普通の人間の分かることが分かっていない。
そういうわけで、哲学をするより、色んな人間と会話して、普通の本を読んだ方が良い。
普通に、そんなに賢くなく考えれば良い。そんなに賢いことは、分からない。
死に抵抗すると治る。
そんなに全部治しても治らない。ポイントだけ治した方が治る。
足の精神がそろそろ治った。
体験していると、分かる人間が多い。自分が分からないのは、体験しないからだ。
体験をしていないと、分からなくなる。自分で体験すると、分かる。
体験していると、その体験が何なのか、宇宙が何なのか、根源的に分かる。
そういう、体験のような文章をいつも書いていた。
可能性の発揮とか、未知とか、そういうことをいつも言っていた。
また、人生の段階のようなものが、体験的に分かっていた。
全ての体験をしたかった。全ての体験をしていた。
自分は、世界と人間のことを考えないのがおかしい。普通、世界と人間のことを考える。知覚、経験、思考、感情、理由、根拠、動機、知識、記憶、のようなものを考えれば良い。
これで人間のことを考えないから分からない。世界のことなんか、何も分かっていない。
羊と鋼の森のように、精神的な成長と人生のことを考えれば良い。それも、自分の経験から分かるところがある。この本は、ピアノの調律に魅せられた、青年の物語だ。ただ、まだ読んでいないから、色々と違うかもしれない。
昔は、ネットでそういう風に、体験的に色んなことを分かっただけだ。全て分かった。
足は、治る部分を消すと賢くなる。「治る」と言う発想がおかしい。
不思議と、左足がおかしいのは、もう治ったからだ。治ったからおかしいだけだ。
こういう風に考える人間が多い。理由と根拠、そして精神の成長を考えれば分かる。
羊と鋼の森は、読めないかもしれないが、青年の成長の物語だ。美しい小説と言う評判だ。
あとは、普通に人間のことを考えれば分かる。多角的に環境と心を考えれば良い。
そういう、多角的な説明、と言う発想が賢い。ものごとは、多角的に意味を見出せる。
昔は、説明、論理、考え方、推論、関係、のようなものを全部作っていた。
そういう発想が賢い。そういうわけで、自分だけ色んなものがある。
自分は、仏教関係のことをすると良いと思う。仏教は一番賢い。
哲学は、そろそろ終わりだ。これくらいにしておけば良い。Linuxの方が馬鹿だった。哲学は、きちんと賢く出来たから、それで良い。歴史や経済は、この文章できちんと出来た。
そういうわけで、今からは仏教のことをしたいと思う。
あとは、日本は繁栄を維持していればそれで良い。それぞれ、自活して頑張れば良い。それぞれが考えて、それぞれが作り出せば良い。自然な可能性から構築すれば良いだろう。
あとは、知らないものを知らないと思って、何が何なのかである可能性を考えれば良い。
「そうかもしれない」とか、「そうなるはずだ」とか、そういう風に考えれば良い。
もっと、想定していると、物理のように分かる。「いつどうなるか」の表層から、仮象の世界の意味を見出せる。それは、スピノザのように考えると、良く分かる。
そういうわけで、認識のデータベースとパターンから、コンピュータのように意味と論理性を見出す。昔は、それしかしていない。色んなデータベースの法則が賢かった。
意味と法則性を見出すとか、いつもそういうことを言っていたのが自分だ。
もう分かっているようで、分かっていない。もっと未知のことを可能性から考えれば良い。
経験と成長から未知を分かっていると、人間は分かる。
あとは、まともがつまらないだけだ。まともな方が良い。狂うと、馬鹿になる。
あとは、社会を構築出来るとか、世界観のようなことを言っている。
数学は、世界観だ。社会は、有機的生態系だ。いつも、そういう、おかしなことを言う。
あとは、世界の構造を作って、連想と思考から分かるようにしていた。
そろそろ、いつもの文章が消えた。いつもの文章は、セックスだ。それが辛いだけだ。
自分は、おかしくはなっていないが、女になっている。こういう、話ながら考える女が多い。男になりたいなら、頭をからっぽにして、皆を倒すようにすれば良い。それが男だ。
最初から、皆を倒したかったのが自分だ。皆を倒したいから、こういうアホな人生になる。
あとは、女のままで良いから、そのままで楽になれば良い。女は変えない方が良い。
女になっていると、まだ分かる。こういう、分かる女が一番賢い。作家に一番多い。
人生、環境、世界観の構造を作っていた。実社会を見て、全体像が分かっていた。
自分は、成長のことが分かっていない。きちんと戦わないと、成長しない。右翼を倒していると、成長する人間が多い。右翼とコミュニストをどちらも倒すべきだ。
ヘーゲルは、理性の世界、精神の成長の世界、歴史的文化の変貌の世界、と思えば分かる。
不思議と、ヘーゲルで分かる人間が一番多い。
それこそ、ヘーゲルはもうしなくて良い。もう終わったようにしか見えない。
フッサールは、小難しい本しかないから、読まなくて良い。
哲学のことは、これ以上しない。今から先、色んな普通の本を読んでいると分かる。
あとは、ヘーゲルとは、精神現象学のことだ。ヘーゲルには、法の哲学などもある。きちんと全世界、全部分かっている。いつもの自分と何も変わらない。
昔から、自分は理想の世界を作りたい。この世界を理想の世界にして、自分だけでは無く、皆が自分のように分かるようにしたかった。それだけの人間が自分だ。
環境を良い環境にするのは、自由にしたかっただけだ。そういう自由が悪い。自由より、独断で決めた方が、良い国になる。悪いとは言うが、ソ連はそれは悪くない。奴隷の独裁にすると、数の力で暴走したりしない。多数派が少数派をいじめるのが嫌いだっただけだ。それこそ、レーニンはそこが分かっている。少数派にも平等の、良い国にするべきだ。
ソ連は、止めた方が良い。そういう、理想の世界は、ソ連ではつまらない。
それこそ、イスラムもイスラムで、違うだろう。そこまで賢くないと、賢くない。
見ていると、手段があれば良いように見えた。この世界の全てを、一度まっさらな状態から、構築し直す。昔は、そういう考え方が多かった。
共有のプラットフォームを信じていた。ただ、共有は止めた方が良い。
むしろ、右翼で良いからこういう風になる。ある程度賢ければ、それで良い。
右翼は、誰もがきちんと分かっている。僕は、最近、左翼より右翼の方が好きだ。左翼には分からない。左翼には、何も分かっていない馬鹿しか居ない。右翼の方が良い。
自分は、タリバンとは言うが、戦い方がまともだ。皆を支配して、機械にして、手の内を見られないようにして、テレビを操る。タリバンと言うよりは、ユダヤだ。ミカエルのような、天使のようなユダヤ戦士になった。
昔は、思考で、いつ何が分かるかが全部分かっていた。皆、それでおかしくなっている。自分のせいで、自分のことが、おかしいぐらいそこまで分かる。馬鹿にしているだけだから、そういう、自分で皆を分からせるのを、止めた方が良い。皆認知症になっている。
こういう馬鹿な人間は、記憶が全て無くなる。最初から全部馬鹿だ。こういう馬鹿が多い。
戦いをしたかっただけだ。最初から皆のことを全員倒したかった。ヘーゲルも、そういう人間だと思う。サルトルも、ハイデガーも、哲学者にはそういう人間が多い。
世界に何があるのか、考えること。昔は、構成状態や目的から、可能性を考えていた。
それに、既に含まれているような、包括されたことを言うのではなく、応用的で、総合的な、周りにあるようなものを考えると分かる。例えば、「水は冷たい」は既に「水」と言う言葉の意味に含まれているが、「水は飲むことが出来る」は含まれていない。自己や他人との関係で初めて成り立つ。そういう、関係的なことを考えれば分かる。
そして、応用から、全てのものが変えられるのが分かって来る。それが、環境の変化だ。
そういう風に、意味あることを論理的に考えると、きちんと考え方が分かる。いつも、そういう、関係的な考え方を言っていたのが自分だ。成り立たせて考えていた。
今、羊と鋼の森を少し読んだ。ゆっくりと読みたいと思う。
「実現方法」とか、「理念」とか、「経験」とか、言葉にすることで総合的に分かっていた。
「自由とは」のような言葉で、書き直すことで全てのことを分かった。
関係を良く考えると、現象学的で、メタ的で、応用的なものになる。
あとは、世界モデルの人格のようなものを作っていた。
最近、姪が言葉を話し出すようになった。ああいう風に、分からないなりに、本人が頷いて分かるのが言葉だ。そういうわけで、英語もそういう風にすると分かる。最初は、簡単で、言葉にならないような、単純な言葉で良い。そこから分かると、きちんと話せる。
今から、僕は英語を話す。それこそ、英会話教室に行っているから、単語はもう知っている。頭のどこかで分かっているせいで、すぐに話せるだろう。
小さな子供は、見ている世界が狭い。まだ、この世界で、自分が何をして、どういう風に生きて行くのか、分かっていない。そういうわけで、写真集のようなものを見せると良いだろう。子供の世界を広げてやると、子供は賢くなる。誰か、哲学者が言っていたように、人間は生まれつき、知ることを欲する。知らせて、教えてやれば、誰でも賢くなる。
子供は、名前を言うだけではなく、言葉で説明してあげると知性がつく。頭が賢くなる。
昔は、論理学と認知行動で全て分かっていた。それを書いていただけだ。
経験論のように、観念や思考と記憶や経験を考えて分かっていた。
最近は、タリバンとは言うが、王をきちんと頑張った。支配して、世界を救った。
そういうわけで、自分は一番良かった。全てが分かった、最高の人生だった。
ネットで議論したり、意見を聞いたりしていたのが賢かった。そのせいで、ソクラテスや孔子など、古代の哲学者のように分かっていた。
あとは、これはただのタリバンだ。昔なんか、左翼のニートだ。ただのクズだ。
もっと違う内容を書いた方が良い。もっと、賢い方が良いだろう。
あとは、思考と喪失から、客観視、場、人生の進展、社会の形成過程を分かっていた。
ネットで環境を変えて、環境を変えられるのを分かっていた。
もう、それで、昔はもう良い。馬鹿に見えて、色んなことを思索して考えた人間だった。
最近なんか、ただのタリバンだ。もう、止めた方が良い。神を信じると、こういう人間になる。ドイツが昔からこういう集団だ。イスラムがロキで、ドイツがフレイだ。
社会と心の感覚、知性、精神で分かっていた。感覚で分かる人間が多かった。
イスラムとドイツが終わったから、次はイスラエルになる。
イスラエルになると、神になる。不思議と、まともな人間になって、楽になる。
イスラエルは、神だと思うとなれる。こんな右翼がなるのは悲惨だが、イスラエルで良い。
あとは、ロシアはもう終わったはずだ。中国やインドやアフリカが残っているのは分かる。
しばらく、イスラエルになる。不思議と、宇宙のイデアに他の国は無い。
イスラムは賢かった。全て経験から悟って、神のように全て分かっている王だった。
全て分かっているから、世界を導ける。そして、あらゆるものごとを自由に考えた。
見ていると、ドイツ人はクズだ。右翼のアメリカのソ連だ。ドイツはこういうクズが多い。
イスラエルになると、ドイツが死んで行く。イスラムは残る。
そのまま、最初に戻る。
そして、永遠に神が続くようで、神が見てもそろそろ終わりだから、神が終わる。
ユダヤ人は、まともだ。なると、すぐに頭が楽になる。イスラエルの神になった。
自分が見ても、ドイツ人はクズだ。ドイツ人に馬鹿が多い。何もしていないだけだ。
昔は、場と行動を仮想的に想定して、人間の状態を分かっていた。
足は、おかしくなって良いなら治る。
感じなければ治る。精神を使わなければ良い。
そろそろ、足の精神も治った。もう、最後まで終わった。
薬も過ぎれば毒となる。そんなに治した方が治らない。いくらか治らない方が治る。