日記に戻る | 2016年4月の日記に戻る

=2016-04-07=

昔は、社会的な行動や経験をして、人生経験で分かっていた。

影響力を知って、自然を知って、創造性を信じて、心理学的な真理を分かっていた。

成長して、社会の形成と思考の想起を分かった。

感情で分かっていた。感情のことを考えた。

そういうわけで、昔は社会経験が多かった。

最近は賢くは無いが、永遠に文章を書きながら、まだ神と話している。

神を自分だと思えば良い。自分はそこまで賢い。

永遠の戦いの中で、この世界と一緒に地獄になった。地獄は悪くない。

あとは、人間の「生きる」を考えれば良い。何か考えると良く分かる。

社会には、人間が生きるために必要なものがあるが、それを作るべきだ。

そういう風に、「この世界の実像とは何か」から社会の形成を考えれば良い。

そういう風にすると、きちんと考えているように見える。

環境とは、それぞれの「エゴ」であり、「欲望」である。

それぞれが、欲望と承認を求めて生きている。

自由とは、承認を求めるエゴである。

社会とは、それぞれのエゴの反映である。

そういう風に考えると分かる。そういうものは、経験から正しく考えられる。

そして、数学的な正しい考え方は、経験的である。

自分は、何も考えていないから、もっときちんと考えた方が良い。

エゴがどこから生まれるのかを考えれば良い。そうすると、ヘーゲルと良く似ている。

あとは、方法的なことを考えれば良い。

人間の持っている理性は平等であり、それぞれの知っている方法の集合である。

方法は、色んなところにある。ものを作る方法から、分析の方法まで。

方法は、決定されている方法から、従属的な方法、導き出す方法、自由な方法がある。

方法は、数学的であると同時に、経験的である。

方法から、人間は理性と可能性を高めることが出来る。

あとは、人間の違いとは、環境の違いと、知識の豊富さである。そういう風に考える。

それこそ、世界をどうすべきか、のようなことを考えれば良い。手段を与えるのは間違っている。一人の偉大な王を生むために、正しい国家を作るべきだ。

栄えるより、滅びた方が、賢いこともある。

何かをきちんと分かると、その対象をコントロール出来る。

自由に出来る、と言う発想は悪くない。能力をつけると、自由に出来るようになる。

ただ、自由はキモイ。自由は止めた方が良い。会社では無く、個人がする意味が無い。

自由は悪いが、自由には段階がある。サルトルのように、「自由な段階」を考えられる。

あとは、カントのように、経験を可能にするのを考えると良く分かる。

哲学者で分かるのは、悪い。哲学では、何も分からない。哲学を忘れた方が良い。

考えているどころか、何も考えていない。

自分を書いても意味が無いし、皆を自分にしても、分からせても意味が無い。

考える機会とは、色んなことから経験して、自然に出立して分かる青春である。

そういうわけで、青春は意味が無い。自分にも意味が無い。

考える力が無い。それは想像力が無いように見えて、本質が分かっていない。

もっと本質的なことを、方法的に考えた方が良い。可能性では分からない。

昔なんか、可能性を実直に考えただけだ。何も考えていない。経験は何もしていない。

あとは、世界のことを知ると分かる。

オープンソースは、「集合知」と「自由な関わり合いにおける社会形成」だと思えば良い。

そういう風にすれば考えられる。ただ、普通に考えれば良いだけだ。

経験から、社会のことを洞察すること。

昔は洞察力があった。最近、正しくなった代り、洞察力が無くなった。

システムは、公開し、共有するべきだ。学校や会社のシステムも、オープンソースにする。

あとは、マイクロソフトのやり方は気持ち悪い。まだ、グーグルの方がマシだ。

そういう風に、嫌いなものを作ると良く分かる。そういう風に考える人間が多い。

ものごとを、知る機会から分析する。

人間がいつ何を知るのか、知り得るのかを考える。

社会のことを、「知」と言う観点から考える。

人間のことは、関数のようなものだと考えれば良い。

変換する機械と観測のようなものだ。

考えていないとは言うが、今から色んなことを考えたい。

きちんと発想すると良く分かる。決定や知性を考えていると、発想出来るようになる。

発想法を作るために、それぞれの考えていることを良く知ること。

それが自由に繋がる。考えていることを知ることで、発想法と人生の場面が分かる。

この世界のことは、発想と人生から分かる。

人間は、いつどうなるのかを把握することで、この世界のことが全部分かる。

全員になれる。全員の人格と、社会における、存在の可能性が分かる。

社会は、決まりと手段から変えられる。そのために、沢山の能力的な経験を積む。

成功するためには、本当にいくらでもやること。いくらでもやった人間が勝つ。

認識のデータベースから人間と社会のことが解明出来る。正しく考える。思考を辿る。

状態を想定して、根源的な意識を知って、実際の姿を考えて、把握すること。

もう、昔の自分は忘れた方が良い。今から、きちんと考えれば分かる。

あとは、皆のことを考えれば良い。皆、辛い。辛い人間しか居ない。

皆狂っている。何故か、ネットが右翼の常識を押し付けるせいで、皆右翼になった。

まともな世界にならないのがおかしい。

そういう風に考えると、むしろ、皆の方がまだまともだ。

皆、辛い。学校、会社、結婚まで、最近は本当に、いくらでも辛くなる。自分が悪い。

もっと楽な世界にした方が良い。楽にならないのがおかしい。

あとは、強制はしない方が良い。皆の自由に任せるべきだ。

農園と英会話教室に行ってきた。

理想の人間像を書いていた。

行動や判断の理系のような人間像を書いていた。

本当の理由や、思考の裏の理由を考えた。

人生経験と社会経験から分かった。引き篭もりの実体験があった。

考えて分かった。本当にきちんと人間のことを考えた。

考え方からモデルを作っていた。

そこから哲学が分かった。哲学者全員になった。

多重人格になるかもしれない。ただ、怖いからなりたくない。

セックスは辛いから、しない方が良い。

一度に全部を感じると辛い。ゆっくりと感じた方が良い。

餓鬼のような男と、楽な女だ。辛いセックスと、神だ。

もう、おかしな人間になる。だが、もう何も怖くない。本当に、悲惨な人間になる。

大学なんか、何もしていない。覚えているだけの馬鹿しか居ない。自分が一番賢い。

人間、社会、人生、森羅万象を全部考えた。

実体験から人生のことが分かった。

受け入れること、ありのまま生きること、失っても得るものがある、などを考えていた。

農園と英会話教室で分かった内容は、ここまでだ。

昔は、理性的に考えて、考え方を考えていた。最近、それが出来ていない。

必然的にそれになるとか、それになる可能性があるとか、それも正しいが逆も正しいとか、命題そのものがおかしいとか、捉え方は真実ではないがある程度は正しいとか、数学は本当に正しいとか、理性は平等だが方法を知らないとか、そういう風に考え方を考える。

モデルと説明、認識の方法、自然発生のような、捉え方や因果性のような理性が多かった。

社会を作っていた。多様性、思いやり、自由、経験から、正しい社会が生まれる。

最近、理性が無くなったのは、理性を分かると、もう分からなくなるからだ。

経験から分かる、時代が変わる、集団から社会になる、共有、など、実践や世界観を言う。

昔は、本当に相対的に、モデル、理由、方法、説明、捉え方、因果性のことを考えた。

あとは、ネットの発想や認識のようなものを吸収していた。

ヘーゲルのように、色んなことを吸収して、「承認」のようなことを考える。

誰でも、そういうところが同じだ。ヘーゲルが一番普通だ。

あとは、自由な論理性の世界観のようなものを書いていた。

英会話教室には行っているが、英語は出来ないと思う。何も出来ないだけだ。

歴史や経済学は出来ない。本を読むだけで終わるせいで、何も覚えない。

自分に出来ることは、哲学だけだ。そういうわけで、哲学の本でも読めば良い。

説明、法則、共通認識、自由、意志、行動、協力、社会形成などから、知の段階が分かる。

昔は、パソコンが賢かった。世界の広がり、技術、ネット社会、会社経営など、色んなことが分かっていた。パソコンのおかげで、哲学者が出来た。

これなら、捉え方を良く考えれば、哲学が出来る。

経験のあり様みたいなものから、「当たり前のこと」や「自然なこと」を分かる。

哲学は、そういうわけで、こういう馬鹿が出来る。馬鹿が出来る哲学が一番多い。

人生を自由だと思うと、知の段階と経験のあり様がロックのように分かる。

あとは、色んな人間の会話をネットで聴いていると良く分かる。それは、二度は出来ない。

哲学は悪くない。それこそ、数学や物理はもう出来ない。する気力が無い。証明を見ると、頭が辛くなる。証明は、賢い人間には出来ない。証明が出来る人間は馬鹿だ。

社会は絶えず移り変わって行く。偶然のようなことも、全て必然である。無駄なことは何も無い。最近、そういう風に分かる、仏教のように分かる人間が多い。

哲学も良いが、自分は仏教が良い。仏教は、本当に、宇宙の一番高い存在が見て賢い。

集団の中で没落していると、分からなくなる。主体的に考えること。

他人のせいにしたり、支配されているとか、そういうことを思ったりしない方が良い。

自分の責任であり、自分でしなければ、他の誰もやってくれないことを悟ること。

自分のすることには、100%自分の責任である、と割り切ること。

そして、他人を優先するのではなく、「良い意味」で自分のことを優先する。

あとは、人間関係の中で埋もれてしまうのではなく、自由に社会を見て、自由な余裕の中で、目的を持って、ネットのように、色んな社会を自由に知ること。

そこから、自由に経験し、人々が何を悩んでいて、それは何が悪いのかを知ること。

いつも、そういう風に、ヤスパースのように分かっていた。

それから、社会のことを、実存主義のように考えていた。

そして、「辛い今の自分の境遇を、ありのままに受け入れる」こと。

いつまでも望んでいるのに叶わないなら、諦めなさい。そこが出来ないのは、おかしい。

卑屈になるのではなく、前向きに考えなさい。

今の辛い境遇を受け入れること。作家の引き篭もりは、悪くない。

それから、書くのを止めたいのは、諦めた方が良い。明日も良い文章を書きたくなる。それこそ、前向きに考えれば良い。「もっと良い文章を書きたい」と思えば良い。

あとは、社会を作っていた。

目的とか、理由とか、物質的、社会的、人生的な考え方を書いていた。

現代史の本は、帝国主義の列強のところを今読んでいる。

あとは、もう死にたい。もう、本当に、死にたくなった。何もかも、嫌いだ。

死にたい人間は、楽になる。精神がすぐに死んで、カントのような賢い人間になる。

治りたい人間は、馬鹿になって、辛くなる。

そういうわけで、死にたいだけは、悪くない。いつも死にたかった。

学校なんか、行かない方が良い。子供はあまりに悪いし、学校は意味が無い。

学校に行きたくないなら、行かない方が良い。それは、行った方がおかしな人間だ。

大人と一緒に経験した方が、はるかに賢い人間になる。昔からそれが自分だ。

社会をどうすれば良いか、漠然と考えながら、理屈や経験で考えていた。

人生をどう生きるべきか、社会はどのようにすべきか、経験から分かっていた。

そういうわけで、こういう風になる。最近は、死にたい人間しか居ない。

昔から、自分はありえなく考える。昔はソクラテスのようにモデルを作って考えていた。最近は、神の言っていることを解釈して、ありえなく考えるようになった。

人間的な正しさ、人間性、みたいなものを考えれば良い。自分の心の中から出て来る。

社会を変える力は、自分の心の中から生まれる。

ソクラテスも、サルトルも、死にたいように見える。賢い人間は、死にたい人間が多い。

そろそろ精神は最後まで治った。最後に死んだ。

あとは、おかしな人間になる。治ってしまうと、狂う人間が多い。

死にたいと、すぐに精神が死んで治る。

昔は、経験から、古代ギリシャや古代イスラエルのようなものを分かっていた。

古代のギリシャ、ローマ、イスラエルは、賢いから、馬鹿に出来ない。

それこそ、現代なんかただの馬鹿だ。古代の時代が一番賢かった。

そういう、古代の世界のようなものを、ネットの経験で分かっていた。

自分はもう治る。うつ病の多重人格になる代り、完全に楽になる。死にたいなら、死ぬ。

そういうわけで、死ぬと治る人間が多いのが、狂った人間だ。一度自殺未遂をすると治る。

結合、分離から、1つのシステムや機能的なものを作る。それがLinuxだ。

死にたい人間がLinuxをやっていると、誰でも分かる。誰でも出来るのが昔だ。

Linuxは、やっていると本当にうつ病になる。それが引き篭もりだと、こうなる。おかしく革命家のように戦うようになって、神を信じるようになる。これがユダヤ人だ。

あまり意味が無い。Linuxのせいで日本が狂った。コンピュータのことが何も分からなくなる。クズにしか見えないのに、分からない。2ちゃんねるが滅びたはずだ。

それこそ、Linuxは賢いUNIXだ。馬鹿では無い。自分のせいで、クズにしか見えない。

それが賢いのがおかしいから、狂う。本当に、2ちゃんねるが狂った。

感受性が高くて、ヘーゲルの自己意識を分かった。馬鹿なネットの経験で全部分かった。

あれは、本当に天才だった。

自分の経験と理性批判から、哲学的なことを全部分かっている。科学的な方法だけではなく、社会の構造とか、意識とか、実例とか、何でも自分で分かっている。

全員のこと、全部のこと、全て作って、考えて分かっていた。

居ないように見えて多い。本当に、こういう人間が多いのが、キモイ日本人だ。

昔は、悲惨な人間だった。悲惨な人間が、喪失して、共同性や学習を分かっている。分かっても意味が無いのは分かっているが、ネットをしていたせいで、他の普通の大人や子供が分からないことを、一人、意味も無く全部分かっている。そういう人間だった。

こういう人間は、悪い人間になる。むしろ、良い人間になる人間が多い。悪いのに良い人間になって、世界を滅ぼす代り、正しく思いやるようになる。これがコミュニストだ。

あまり意味が無い。そんなことは言わなくて良い。

この世界を救いたいなら、誰のせいでもないと思えば良い。自分が変えなければ、誰も変えてくれない。皆が変えられるようにするのは良いが、自分が賢くならないと悪い。

そういうわけで、こういう馬鹿が左翼だ。左翼が一番悪い。

あとは、そろそろ足の精神が治る。むしろ、もう治ったはずだ。あとは、死にたいと治る。

こういう人間は、悪いだけだ。

もう、開眼したように見える。目覚めたようにしか見えない。

こういう人間は、物理が出来るようになる。心と体を物理的に考えれば分かる。

物理的に考えていると、考え方のことが分かる。

こういう人間は、宗教は嫌いな人間が多い。こういう馬鹿は、普通悪いものが好きになる。

本当にニーチェに見える。昔はニーチェで、今はキリストに見えるのが自分だ。

昔は、右翼が嫌いで、左翼が好きだったが、右翼も本当に嫌いでは無かった。

右翼になるには、何らかの必然性や原因がある。環境的な問題や、信念的な問題がある。

右翼も、悪くは無いだろう。社会を正す、と言う発想は、自分の経験から良く分かる。

正しいことだと分かっていることだけを信じる。そして、そこから導いたことだけを信じる。それと同時に、正しいことは、いつでも正しいのだと知る。

昔は、そういう風に考えると出来るが、高校生のような人間にしか出来ない。

そういう、賢い人間は、分かっているどころか、まだ分かっていない。

きちんと最後まで分かると、こういう風に、神を信じるようになる。それは分かっている。

そういうわけで、分かっていない人間は、デカルトになるしかない。

昔は、経験から、科学や社会のことが全部分かっていた。生物学者からプログラマまで、何でもオールマイティに分かる。それこそ、「人間がいつ何をすべきか」を経験と理性から全部分かっていた。いつも、そういう風に、教育と人生を俯瞰的、体得的に分かっていた。

人生の中で、全ての職業や科学を分かっただけでは無く、キリストやブッダの言っていることも、自分の経験と考えた観念の行動の中で分かっていた。それこそ、独自の八正道のようなものを作って、縁起や四諦と同じものを考えて、悟っていた。それが覚者だ。

哲学は悪くない。哲学は、やっていると、幸福な人間になる。「全部分かって幸せ」な人間しか居ない。涅槃の境地に達して、人間と世界と人生のことが全部分かる。

ただ、正しいことを信じると言うが、何を正しいと言うのか、と言う問題がある。信念も価値観も人によって違う。正しいと信じているから正しい、と言えるのか。

それなら、客観的に経験を考える必要がある。そういう風にデカルト的に考えると、本当に、哲学の全ての分野が分かる人間が多い。デカルトが哲学だ。

もっと良く考えていると、社会の価値観も、必然的では無く、変わり得るものである、と言うことが分かる。ただ、理想や理性の平等は、異なる時代で共通していることも多い。

あとは、経験的なものが何故そうなるのか、を因果性のように考えられる。

いつも、そういうものを経験のモデルと言っていたのが、自分だ。

時代によって価値観が違うとか、イデア界の模倣に過ぎないとか、そういうことは言うが、それでも、この世界に嘘なんか無いだろう。どの世界も、どの人間も、どの人生も、それなりに正しい。誰か、絶対者に決められる、「正しさ」や「正義」が一番間違っている。

ただ、それは右翼的で、悪魔的だから、止めた方が良い。昔から、そういう、「絶対善」は、「神」と言うことになる。それもおかしくは無い。それはそれで、良い考え方だ。

自分はクズだが、もっと、経験的に見て、正しいものも、間違っているものも、両者にはそんなに違いが無いと言うことが、良く分かる。何を持って正しいと言うのかは、人によって違う。間違っているものの方が、正しく見える馬鹿は多い。

自分はまともだ。それこそ、神が分かるのは、神はきちんと一番正しいように「見える」真実の世界観を教えている。それで分かるだけだから、ただ騙しているだけだ。

あまり、神を騙しているとか、そういうことを言わない方が良い。宗教を批判したりするのは良くない。それこそ、本当に天国に行けるように見えるし、本当に救済されるように見える。救済されるために、善行をして、キリストの言う罪をしないようにする。

そういうわけで、神を信じている人間は良い人間だ。ただ、誰も信じていない。

あとは、そういう、「昔の自分」を書くのは止めた方が良い。クズな左翼のニートにしか見えないのが分かっていない。革命もそこまでキモイ。

もっと、普通に考えれば良い。むしろ、キリスト教とイスラム教が終わったから、仏教に戻るのが良い。仏教は、騙しているように見えない。ブッダは本当に悟ったように見える。

そういうわけで、本当に自由な方が良い。誰が誰かを正しいとか、間違っているとか、一方的に決めるのはおかしい。それぞれ、皆、自由に人生を生きるべきだ。国のことも、社会のことも、皆で自由に決められるべきだ。平等は、理想に見えて、悪だ。

平等は、合理的でないし、生活用品ですら簡単に手に入れられない。自由が一番合理的で、いくらでも贅沢が出来る。自由の方が良いとは言うが、そんなに贅沢をする意味も無い。平等は理想だが、実現出来ない。いつか、生産力が本当に向上した時に、ソ連型社会主義とは全く違う、新しい形態の完璧な新ソ連が出来る。

自由がキモイのは当たり前だから、自由は悪くない。

皆、自由に色んなことが出来るのは、良いと言う。誰もが、自由に色んなことをしたい。

平等は悪い。言論や集会の自由が無いせいで、明らかにソ連の経済が劣っているのを、誰も言えないし、何も変えられない。本当に何も出来ないから、ゴルバチョフが無くすしか無かった。皆、それで良いと言う。だから、北朝鮮がまだあるのは本当におかしい。

それこそ、何時間も待って探して食べ物を買い、冷蔵庫に何週間分も貯蓄するのは悲惨だ。

そういうわけで、自由の方が良い。右翼は悪くない。ソ連は皆の力で倒すしかない。

あとは、自由も自由で悪い。明らかに、2ちゃんねるのようなクズが自由だ。

悪くは無い。ただ、自由も社会主義も悪いなら、右翼で良いだろう。

日本には、それしか居ない。右翼で良く見える。そういう、左翼の右翼が最近の自分だ。自由なんか、嫌いだ。資本主義を悪いと思っている。自由を無くさないと、直らない。

ただ、それは明らかにコミュニストだ。コミュニストは一番悪いから、止めた方が良い。

政治はもう良い。自分は、明らかに日本が良いのが分かっていない。

本当に日本が良い。日本のことでも書けば良い。

日本は、天使のような国だ。

日本は、賢い人間が多い。

日本は、自然に思いやりが生まれ、正しい社会を作る。

日本は、真面目に考えてものを作る力がある。

日本は、世界で一番知性と善良さがある。

ただ、日本を褒め殺すのはおかしい。その方が悪い国に見える。日本は本当に良い国だ。

あとは、政治経済や世界史なんか、しなくて良い。右翼になるようにしか見えない。

経済学の本は、最初から統制経済を否定して、市場経済が正しいと言っている本だから、つまらないだろう。ただ、それは悪くない。皆の常識がきちんと分かる。皆が賢い。

それこそ、見ていると、自由が一番悪い。自由のものに、悪いものばかり多い。社会主義で良く見えるだろう。サンダースが再び民主社会主義と言っているのは、馬鹿では無い。自由が一番悪いなら、平等で良い。それこそ、社会主義とは言うが、資本を再分配して、富の偏りをなくすだけで、ものを無くしたり、世界を滅ぼしたりはしない。

自由が悪いなら、日本で良く見える。日本は、誰もが自由が嫌いだ。昔の自分に見える。

ただ、真面目に考えて、自由と平等なら、平等の方が良い。

不自由を悪いと言うが、自由に自由なんか、あるように見えない。

サンダースは、悪いと誰も言わない。皆、良く見える。アメリカを社会主義にすれば、世界の格差が無くなって、平等になる。それこそ、日本共産党も良く見える。

ただ、本当にトランプの方が良い。誰でも、馬鹿はこういう風に、右翼にしかならない。

ただ、トランプなんか馬鹿すぎるだけだ。最近、そういう差別主義者が増えた。

それこそ、共産主義が巻き返しているのは当たり前だ。今からやれば、実現出来るように見える。それは、不思議と、居ない。今、共産主義なんか、一人も居ない。

あとは、政治のことはもう良い。ソ連は明らかに悪い。止めた方が良い。

僕は自由が好きだ。それで良い。2ちゃんねるの自由は悪くない。

それこそ、それで良く見える。これが一人、自由と言えば良い。それが王で、正しい。

自分は、色々と、そういう、世界の考え方のようなことをやっている。そこが王だ。

あとは、ただパソコンが悪いだけに見えて、パソコンは悪くない。パソコンは賢い。

全部間違えている自分が悲惨だが、最近はこういう、分からない馬鹿ばかり多い。

昔は分かる世界だった。昔は本当に良かった。それこそ、自分のような馬鹿が悪い。

最近は、本当に全知全能になって、世界を創造した。

何でも出来るが、意味が無いから、日本が勝つようにした方が良い。

それから、日本を平和で善良で豊かな国にした方が良い。

右翼、左翼と分かれるのを止めて、もっと良い発想をするように、人類を導く。

それこそ、自由と平等なんか同じだ。

自分は、これではトランプ陣営だが、自分ではオープンソースのサンダース陣営だと思っている。むしろ、クリントンで良い。クリントンもサンダースと同じように、何かを変えようと思っているから、クリントンで普通に変わる。

クリントンを変わらないと言っている馬鹿が多いが、クリントンで一番変わる。

アメリカは単純だ。トランプが保守で、クリントンが自由で、サンダースがリベラルの革新だ。だが、クリントンの方が保守にしか見えない。トランプが自由だ。

皆でクリントンに入れるしかない。それで良い。クリントンも、学生を支援してくれる。

サンダースは止めた方が良い。クズみたいな何も無い国になる。キモイ。

頭の中で別人格をやっているのが悪い。裏で全て分かって、人格を作っている。

それから、精神は感じないと治る。おかしくても、感じなければ良い。

テレビで分身ロボットと言うのをやっていた。離れた場所で労働する。分身は、1人だけではなく、2人にも3人にもなれると思う。労働の可能性が広がって来る。歩けなくなっても大丈夫だ。未来はありえないが、既に未来では無い。可能性はもうすぐそこまで来ている。

どうでも良い。あとは、もう多重人格になる。

神を感じないと、すぐに治る。

自分は、そんなにおかしくないのが分かっていない。普通、もっとおかしい。

感じなくなると、異常が分からなくなる代り、もっとおかしくなる。

そういうわけで、感じないと分からなくなる。感じなくなって分からなくて良いと楽だ。

つまり、治さなくて良い。足は、治したせいでおかしくなっただけだ。もう治っている。

正常を異常に治すのがおかしい。

治らない方が治るのは当たり前だ。狂った方が正常だ。誰もが狂っていて、感じないだけで、自分よりもおかしな人間ばかり多い。分からないのは、足は何もおかしくは無い。

果てしなく長い人生を全部分かって書いていた。自分の人生は、自然で、偉大だ。

ヒュームのように、まるでマスターのように、世界や人間を理性的に全て分かっていた。

要は、感受性がそんなに高すぎるのが悪い。そんなに分かっても意味が無い。

昔は、2ちゃんねるで分からなくなりながら、感性のことをきちんと考えていた。

そういう、分からない人間は、感情が減ることによって、感情がつくようになる。

逆に、今は、感受性が高いのに、感情が無い。感情で分かるのは、もう止めた方が良い。

そういうわけで、分からない人間の方が分かるようで、それが2ちゃんねる的な感性だ。

最近あまり言っていないが、昔はそういう風に、ネットの感情から融和的に分かっていた。

昔は、感情と想像力で正しく分かっていた。ただ、そんなに分かっても意味が無い。

分かるのを止めると、足の精神はすぐに治る。感情で分かるのは、おかしい。

あとは、感情を治すと良くなる。衝動的な行動や思考の裏の理由を考えるのも良いが、考えている「自分自身」のことを考えると良い。