日記に戻る | 2016年4月の日記に戻る

=2016-04-06=

実践的な「理性と分かる方法」のようなことを言う。

数学的な知性を作るとか、歴史と経緯から分かるとか、そういうことを言う。

民主主義は、独立性が高い。そういう、独立性を考えていた。

地方分権や道州制の方が良い。県よりも州の方が良い。

はてなのようなベンチャー企業は、革新性がある。

そういう、独立性と革新性のような考え方が、いつも多かった。

農園に行ってきた。

今日はピアノがある。ピアノは、パソコンのようなものだと思えば弾ける。

音符がきちんと読めていないのが悲惨だ。ただ、それはそのうち読める。

日本は、日本人が良い国とは言うが、大本営発表みたいな悪い国に見える。

自分の都合の良いことばかり報道して、国民を騙している。

北朝鮮や中国が悪い国なわけがない。そういうところがおかしい。

外国人から見ると、そういう国に見える。ただ、結構それで賢い国に見えるのが日本だ。

昔は、自由と条件を数学のように積み重ねて分かっただけだ。

あとは、最近は、子供に戻っている。言葉をまだ話せないぐらいの、小さな子供になった。

農園で分かったのは、ここまでだ。今から、ピアノに行ってくる。

昔は、思考と状態を辿って、人間を環境の因果性のように分かっていた。

ピアノは、音符は読めないわけではない。読むのに時間がかかるだけだ。そこがおかしい。普通、誰でもすぐに見て分かる。

最近大人になった。要は、ピアノも英語も子供の方が出来る。大人になったから楽だ。

この文章は、怖い。最近の日本みたいに怖いから、クズなセックスに見える。それが怖い。

不思議と、ここまで終わると、死ぬ人間が多い。

あるいは、まだ何もしていないと、さらに繰り返す。それは、さらに地獄になる。

繰り返すと、前よりも辛い人生になる人間が多い。

戒律を作るのが辛い。

精神が分裂しているのが辛い。

怖いと治る。怖いと治る精神が多い。誰でも、死んで治るのが精神だ。

昔は、宇宙と人生で起きることが全部分かっていた。認識の真理と、社会の構造を作った。宇宙のシステムを全部創造した。自分は宇宙の創造者だ。

今からピアノに行く。

おかしいことを、あまりおかしいと思わない方が良い。それは間違っている。

ピアノに行ってきた。

ピアノは、出来るようになってきた。

練習しなくても、弾けるだけではなく、五線譜が読めるようになってきた。

自分は、ピアノの練習なんかしていない。ただ、五線譜はやっと読めるようになってきた。今までは、考えて読んでいたし、沢山失敗していたが、今日は比較的すらすらと読めた。

自分が自分で無いのは、神と思わず、自分だと思えば治る。

自分を神だと思って、信じるのが悪い。分かるのは、信じれば分かるからだ。

そういうわけで、神を自分だと思えば、神が自分になる。

昔は、結構狂っている。男と女の思考になるとか、精神を作るとか、選択肢を両方取るとか、全ての体験をするとか、本当にそこまで狂っている。

こういう風に狂う人間が多い。放っておくだけで治る。良いものを残していると、賢い人間になる。そういうわけで、狂った人間は賢くなる。

最近は、寝る時に見る夢も、良い夢を見ている。大冒険をして、夢でも良い人生を生きている。良く分からないが、自分を見ているだけだ。つまらない人生だからそうなる。

ピアノで分かった内容は、ここまでだ。

自分を他人だと思うせいで、おかしくなる。神は、自分だ。神なんかどこにも居ない。自分を神だと思っているだけで、勘違いしているだけで、自分の思考は自分だ。

自分の思考を神だと思うと、本当に神になる。それこそ、それで良いと言う人間が多い。

英単語帳を20単語やった。

自分は、ただ単語を写すだけではなく、写しながら、関連する項目を見た方が良い。

自分は、分からない方が賢いのが分かっていない。出来ない方が賢い。

英単語帳は、難しい単語が多いが、色んなものを関連して覚えていると、言葉の意味が良く分かる。色んな「見て知る」と「書いて覚える」をバランス良くすれば良い。

自分は、そんなに治しても意味が無いのが分かっていない。

もっと、おかしくなって、狂った方が、賢くなる。

治ると、分かる人間が多い。そういうわけで、まともな人間が分かるだけだ。

見ていると、自分が一番まともだ。皆、分かるわけがない。分かる人間は居ない。

パソコンは馬鹿に見えて、賢くなる。それは、狂っているだけだ。おかしいから賢くなる。

まともな人間を卒業した方が良い。自分はまともな代り、本当に馬鹿な人間だ。

まともな人間は、知性がつかない。色んな狂ったことを経験していると知性がつく。

あとは、今からキルケゴールになる。そういう、若い人間が多い。

こういう、全部生きる人間は、馬鹿になる。不思議と、いくらでも死ぬ人間の方が多い。

こういう生きる人間は、おかしくなって、何も出来なくなる。居ない。

あとは、神が自分になって、何人かに分かれる。怖いのは、それで終わりだからだ。

今日、怖かったのは、もう全部終わって、死んだからだ。

怖いのは、この世界が怖い。何故か、この世界は本当に馬鹿しか居ない。

自分だけを生かして、皆を殺していると、精神が治る。全部生きる人間は、良い人間になる代り、辛い。こういう、辛い女に、皆をいじめる悪い人間が多い。それも良い人間だ。

あまり、生きない方が良い。何もしていないと、こういう、「全部生きるだけ」になる。

昔の方が悪い。昔は、すぐに皆のことを殺すだけの人間だ。そういう、キモイ人間に、賢い人間が多い。キモイ人間はおかしい。オタクばかり見ていると、そういう死ぬ人間になる。本当に、2ちゃんねるとゲームが悪い。そういうもののせいで、死ぬ人間が多い。

最近は、そういう、いじめる人間とオタクしか居ない。いじめる人間はまともになって、オタクは賢くなる。他に居ない。見ていると、それが女と男だ。

自分は、昔からオタクの方だ。最近、オタクが死んだせいで、いじめる人間になった。どちらも悪い。最近の学校は、そういう理由で悪くなる。両極端になっている。

オタクとあまり言わない方が良い。不思議と、賢い人間には、良い人間が多い。きちんと勉強していると、誰でもまともな人間になる。

あとは、不良は良い人間になる。戦いをしていると、成長する人間が多い。精神性が良くなるから、不良に一番多いのが、心が優しいのに、悪いことをする人間だ。

学校には、それくらいしか居ない。不思議と、キモイ女が本当に多い。

キモイ女は、おかしなものばかり好きになる。女には、おかしな女がいくらでも多い。

昔は、数学的な理論のようなものを、命題と証明にして、相対的に考えて分析していた。

そういう、相対的な理論のようなものを、適当に一行で書いていた。

最近、そういうものが分からなくなっている。そういう「本当に賢い文章」を書いていた。

明らかに、これは中学校のことを言っているが、小学校や高校は結構違う。

小学校には、馬鹿が多い。子供過ぎて、遊ぶ友達が本当に好きな良い子供しか居ない。

ただ、小学生は、あまりに悪いことをする。大人が見て悪いことをいくらでもする。

中学校に入ると、自然にグループに分かれる。悪いグループが良いグループを抑圧する。

高校に入ると、本当に悪い人間になって、おかしな馬鹿になる。

高校には、おかしな人間ばかり多い。しだいに個人主義になって、それぞれの個性が開花する。そこで、この文章がいつも言っているような、「研究者の青少年」になる。自分のやりたいことを全部知って、世界のことを知って、賢くなる代り、キモイだけの馬鹿な2ちゃんねるになる馬鹿しか居ない。昔の自分を高校生だと思えば分かる。高校はキモイ。

あとは、大学生になると、こういう風に、馬鹿が治ってきちんと賢くなる。

そういうわけで、子供なんかどうでも良い。青春を良いとは言うが、子供はキモイだけだ。

あとは、大人は悲惨な人間が多い。大人になればなるほど、どんどん悲惨な人間になる。

賢い人間なんか居ない。天才が賢いだけの大人しか居ない。好きなことをきちんと継続して努力する人間が賢い。夢を叶えるのは良いが、「何事も継続あるのみ」しか居ない。

あとは、仕事に分かれるせいで、賢い人間と右翼や左翼に分かれる。賢い人間は、賢いように見えて、自分のやっていることをやっているだけ、「自分が一番良い」しか居ない。それが最近の自分だ。明らかに、自分が一番良い。やっていることをやっている。

何故か、自分だけ賢い人生だ。色んなことを知り尽くして、経験して、本当に世界を変える全ての方法を知って、全てを達成した。こういう人間は、賢く見えて、悪い。中卒に賢い人間が多いのは、高校に行かないだけで、そういうありえない人生になる。

これは賢くない。キリストどころか、ヘーゲルなどの哲学者が、誰もがこういう人生だ。

自分だけ賢い人生は、良く見えて悪い。高校生なのに高校生で無いのは悲惨だ。

それこそ、最近は狂っている。最近の革命の神は、狂った馬鹿に多い。

自分は賢くない。作家に一番多いのが、こういうおかしな人間だ。

昔は、本当の意味で大人になって、成長しながら、あらゆることを経験で分かった。

そういうわけで、皆には分からない。自分にしか分からないのが良く分かる。

自分が見ても、皆の方が良い。高校ぐらいあった方が良い。

あとは、もう神との対話が終わった。最後まで全部書いた。皆を自分が導くせいで、自分を神が導いている。神とは、こういう自分の人生と文章のことを言っている。

あとは、ブッダが見てもこれが馬鹿だ。そういうわけで、中東・アフリカのような悲惨な地域に、こういうマスターが多い。スラムに一番多いのが、マスターのヒトラーだ。

あとは、もう良い。自分はこういう自分が好きだ。ありえない人生を生きたかった。居ないように見えて、結構多いのがこういう賢い人間だ。全てを経験したいと思っていた。

もう止めた方が良い。昔なんか、平凡な普通の人間だ。ただの普通の高校生だっただけだ。

そういう、ありえない人生をいつも書いていた。最近は永遠の神だ。ドイツ人はこうなる。

昔から、ドイツ人はこういう風になる。すぐに馬鹿になって、永遠の神の経験をする。

昔は賢くない。環境から自然に成長して気づいて分かっていたし、説明や論理学で分かっていたが、それは何もしていないだけだ。

自分は、皆が自分と同じなのが分かっていない。皆、こんな人間はいくらでも居る。

自分はありえなくない。神は、自分のことを「普通」だと言っている。普通の人間だ。

子供は、グループに分かれるせいで、自然に平等が良く見える。組織や宗教がクズに見える。それは、大人になると治る。賢い人間が支配する良さが分かる。本当に、見ていると、こういう賢い人間がどこにでも多い。自分をありえない人生だと言って哀れむのは良いが、こういう賢い人間は、どこにでも普通に多い。きちんと賢い人間が自分だ。

そういう馬鹿だったと思えば、昔の人生が分かる。

意味、論理、人生、人間、世界観、知性、社会などを、総じて分かっていた。

居ないどころか、これは良く居る馬鹿だ。こういう馬鹿は本当にどこにでも多い。

本当にドイツ人に多い。こういう、全てのことを経験して、成長して、狂って神になる、おかしな人生がドイツ人の普通だ。キリストになっている。

昔は、人間の「なり得る」から、社会の全員のことを分かっていた。

そういうわけで、これが神だ。神みたいに賢い人生だったから、これを神だとする。

そうすると、神が一番馬鹿だ。虫みたいにキモイ人生だ。

昔から、神になるとこういう運命になる。馬鹿にはなっていない。人と全く違うだけだ。

そういう、自分のありえない人生をいつも書いていた。何も賢くない。

こちらはゲーテで、昔はサルトルだ。

神は、自分を2人に分けると分かるのが分かっている。分からなくなるようで、分からなくなった方が分かる。そこが分かるのはありえない。

そういうわけで、最近は3人目を作れば良いのが分かっていない。

これで終わりだ。これをロキとフレイだと思えば良い。3人目はオーディンだ。

自分は、さらに最近の人生が嫌いだ。地獄みたいになって、知性が無くなって、辛くなった。ただ、タリバンが辛くなるのは当たり前だから、誰も他人のことを恨んだり、憎んだりしない。そのせいで良い人間になった。

神は、「自分を哀れむのは止めなさい」と言っている。最近は、哀れんでいるだけだ。

ありえない人生とは言うが、良い人生だった。宇宙の中で1人残る、最高の人生だった。

そういうわけで、ロキがイスラムで、フレイがドイツにしか見えない。

あとは、もう全て書いた。こういう、全て書いて満足する馬鹿が居ない。

本当に全て書いたから、もう終わりだ。ただ、いつも書いている文章を作り直しただけだ。本当に満足した。明らかに、賢いのはブッダとキリストだ。そこまで賢い神と仏だ。

黒人にはならない。黒人はイスラムで同じだ。

あとは、昔の文章は何も賢くない。思い出して、昔の自分の人生や考えたことを書いているだけで、分析の方法と知性の考え方が賢かった。昔は、タリバンのように戦えば出来る。

あとは、タリバンのキモイ点は、そんなに人を恨んだり、憎んだりするのがキモイ。

自分のキモイ点は、タリバンの馬鹿しかしていない。賢くない。それが右翼になるのがキモイ。本当に悪い人間に見えるから、自分になんかならない方が良い。

まだ、イスラムのロキの方がマシだ。ドイツのフレイはキモイだけだ。

もう、そういうことを言わない方が良い。タリバンが悲惨だ。

あとは、新しいオーディンは、普通の日本人になる。日本人が居ない。

最近は、馬鹿になっている。神のせいで馬鹿になった。

昔は、論理的に考える力があったし、経験や色んなことを知っていた。考えてこの世界のことが全部分かった。新しい発見は、パソコンから出来ていた。

昔は賢かった。きちんと考える力があった。

もう、そういう昔は忘れた方が良い。あれをそんなに書くのがキモイ。もうすでにいくらでも書いてあるのが分かっていない。

昔は、ロキを見れば分かる。あとは、論理的に考えるのは、もっと前置詞と数で考えれば良い。前置詞と言うよりは、接続詞だ。誰でも、論理ぐらい分かる。

環境を自然な論理で分かっていただけだ。「可能」のようなことを考えていた。

いつも書いている。自分の出来ることから、全員のことを分かっただけだ。

もう良い。ロキは忘れた方が良い。今からフレイが永遠に続く。オーディンはまだ居ない。

ロキは英雄で、フレイは哲学者だ。見ていると、そう見える。

学者になんかならない方が良い。学問で分かると、何も賢くない。学問なんか無くて、自分だけで考えた方が賢い。そういう人間が多いから、昔の考える自分が一番良かった。

これなら、昔は結構考えたように見える。むしろ、見えない。最近何もしていない。

集団と個人のことを考えると分かる人間が多い。自分は、「皆と一緒に居る」と言う環境が無いのがおかしい。それでは分からない。誰でも、集団を考えて分かるだけだ。

2ちゃんねるも悪い。昔なんか、2ちゃんねるで心理学を分かっただけのクズだ。

集団と個人を論理的に考えると良く分かる。

人を傷つけるのは悪い。手助けをして、その人が自分の力で出来るようにするのが良い。

もっと、人間性のようなことを考えると、それぞれが出来るようになるための、土台となる環境を作って、それぞれの協力から、共同体のように、平等に変えられるのが良い。

そういう風に考える人間が多い。それこそ、社会全体で教育が持つ意味でも考えれば良い。

自分は本当に賢くなった。賢い人間は、誰でもそういう風に考える。

良く考えると、経験から作ったり、情報を共有したり、手段を配備したりすれば良い。

もっと考えると、マルクスと同じになる。上部構造と下部構造に分かれて、生産条件、手段、関係を考える。決定者と従属者の平等が分かる人間が多い。

マルクスは賢い。それこそ、自分は賢くない。まだ何も考えていない。

そういうわけで、「決定と従属」とか、「仮想世界のモデル」とか、「経験から現実と理想を知る」とか、そういう発想が普通多い。そういうものを考えれば良い。

マルクスは賢くない。もっと賢い人間はいくらでも居る。理論的に考えても意味が無い。

自分のして欲しいことを、他人にしてあげるのが良い。

自由な共同体のようなものを考えていた。

いつもの文章は、そういう風に、考えていないのに考えている。

誰でも、社会の構造を作る。作ると、マルクスと同じように、決定の構造を作る人間が多い。生産には、条件と手段があるように見える。

もっと独自に考えた方が良い。

キリストが言っているように、他人のことを、自分のことのように愛するのが良い。

ただ、信じるだけでは無く、理性的に考えるべきだ。

本当に賢い人間が王になるべきに見えるが、一人の完璧な人間は居ない。

代表を作って、代表を皆で選べるようにすると、賢い。それを、人間では無く、文章化された法律にすれば良い。自立的な、「自分で自分を作る」社会構造になる。

そういう風に考えれば良い。そういう風に分かる人間が多い。

昔は、考え方のようなことを考えていた。ものを作る手段と情報を共有し、全員に与える。そういうところが分かる、自由な賢人が多い。

そろそろもうない。あとは、人間は、知り得ることしか分からない。そういうわけで、小学校で色んなことをさせるしかない。そういう風に考えれば良いように見える。

「皆で作る」と言う発想が賢い。システムを皆で作って、皆を自分のように出来るようにすれば良い。皆の力で、皆の可能性を高めれば良い。ただ、そういう「可能性」はキモイ。

あとは、むしろ、いつもこういう文章しか書いていないし、昔もこれくらいを考えていた。

歴史の中で、国は変わっていた。原始人、古代国家、都市国家、巨大帝国、封建社会、絶対王政、啓蒙主義、自由主義、帝国主義、植民地、世界分割、社会主義、民主主義と言う風に、世界は変わる。アリストテレスは、古代ギリシャ人だが、貴族政、君主政、民主政の違いのように、既に国の体制を全部考えている。そういう風に考えれば良いのかもしれない。ただ、歴史や哲学は忘れた方が良い。自分の力で考えられないのはおかしい。

あとは、「人間の経験」を社会的、人生的に考えると良く分かる。どこかの時点で分からないと、人間は分からない。大学は、無償化して、試験を無くして、全員入れるべきだ。

マルクスではないが、決定と可能性の構造は多い。技術にも、産業にも、社会にも、決定と可能性が一番多い。普通、自然に成長する、自然発生の考え方を考える。そういう、決定の構造を作ると、知性で分かる。ただ、それはマルクスと同じすぎて意味が無い。

良く考えると、パターンが多いように見える。社会現象や物理現象に、パターンが多い。同じ本質は、「同じ意味を指している論理性」から分かることが出来る。

それから、この世界には、矛盾が多い。矛盾したものは、どちらかが間違っている。ただ、どちらも間違っている時は、命題そのものがおかしいことがあると、カントが言っている。

あとは、因果性が成り立つように見えて、「その因果性は、そう見えるだけで、本当は違う」と言ったことを、ヒュームが言っている。因果性と認識は、主観的、経験的なものだ。

あとは、社会のことを知り尽くして、思考と現実の環境を照らし合わせると分かる。

あとは、社会のことを考えれば良い。道徳性から、本当に正しい戒律が分かる。思いやりから社会を作れる。経験の中で、人が何をするべきかが良く分かる。

それは、カントの言うように、「普遍的な全員としての正しさの道徳律」を考えられる。

言語から宗教まで、国の文化は、守るべきだが、皆の手で支配と決定を任せるべきだ。

王国と共和国は、どちらにも良い点がある。貴族政と民主主義も同じだ。

そういう風に考えれば良い。むしろ、カントもそれくらいしか考えていない。

あとは、「知る機会と考える機会」が重要だ。経験から、ものごとの正しい「見方」が分かって来る。いつも、そういう、「人生的な真理」を考えていた。

それくらいしか本当に書いていない。考え方は、経験から変えられると言っていた。

自分を知ること。賢い人間は、「自分を知る」ことで分かる人間が多い。

協力を信じること。負ければ失うように見えて、対立するよりも協力した方が得られるものが多いことは多い。失うものよりも、得られるものの方が多い。

あとは、社会主義と民主主義なんか同じだ。共同体と代表は同じにしか見えない。皆で決めて、民衆の意志に従うだけだ。それこそ、そういう自由と民衆の主義が馬鹿に見える。

ただ、ファシズムは止めた方が良い。ファシズムを馬鹿だと思うだけで分かる。

あとは、機械や技術のことを考えると良く分かる。ただ、パソコンは無視した方が良い。

社会主義と民主主義は、本質は同じでも、形態が違う。そういう、「社会の形態の違い」のようなものを考えている文章が一番多かった。それこそ、民主的な形態を考えられる。民主主義には、色んなパターンがある。社会主義も、自由のパターンに過ぎない。

それこそ、パソコン主義になるように見える。ロボットが支配するようになるだろう。

そういう、「社会のありえない可能性」をいつも考えていた。

もっと人生のことを考えると良く分かる。一人でやるか、二人でやるか、それよりもっと多くの人員でやるか、集団でやるか、支配でやるか、組織でやるか、平等でやるか、のように考える。いつも、そういう考え方のパターンを書いていた。何かがおかしい。

あとは、知性で考えると分かる。料理は美味しい方が良いし、機械は機能が沢山あった方が良いし、商品は安い方が良いし、芸術はデザイン性に優れていた方が良い。いつも、そういうものを、本質と概念にして、「経験から作る」のような知性にして考えていた。

何をどうしたら作り出すことが出来るか。ものだけではなく、社会や人生もそういう風に考える。そういう「どうしたら」と「何故」を知性と言う。

人間の頭は、「何にでも知性になる」ことが出来る。そういう、「頭の中の知性を、経験からどうやって作り出すことが出来るか」のようなことを言う。そこから、心理現象のようなことを考える。そういう知性がある文章だった。

自分で経験しないと分からない。そういうものを、「体験的に分かる」とか「知性がつく」と言っていた。「自然に人生の中でいかに知性がつくか」を考えて、具体的に作っていた。

全員の知性を吸収し、記憶と意識から全員と社会の実現を分析し、正しい考え方に出来る。

全員を、仮想的な世界の中で、「人格を実現」することが出来る。そういう発想が多かった。

あとは、「抽象的な実現」を考えても良いだろう。

そして、カントの言う、「要請」のようなことが分かる。

社会にある宗教やあらゆることは、人間の持つ理想と欲求としての要請から生まれた。

それは、神や宗教だけではなく、色んなことについて言える。

社会にあらゆることは、社会の構成員が持つ、意志と欲望の要請から作り出されている。

そこを考える哲学者が多い。ヘーゲルが見ると、それが世界精神に見える。

この世界は、自由へと向かう潮流、平等へと向かう潮流、支配者へと向かう潮流、共同体へと向かう潮流がある。そういう風に、社会全体の「発展の流れ」みたいなものがある。

もっと良く考えると、この世界は、「絶対者の精神」であると言える。

それは、神と言うよりは、精神だ。そういうことを言っているのがヘーゲルだ。

自分は賢くない。もっと良く考えれば良い。抽象性や精神を考える人間が多い。

ヘーゲルの言う「絶対知」とは、その通り良心のことであると考えると、分からない。ヘーゲルは、人生の最後に到達する、「人生のそこまでの知識と知恵全部」のことを絶対知と言っているのだと思う。それこそ、全ての精神は、自己意識の変転から絶対知へと至る。

昔から、そういう馬鹿が自分だ。

自分は、人生の理性的な経験と、認識の法則的な発展と、意識の経験と、普遍的な道徳性と、破壊からの反省と、認識の変転と、社会的で自然な体験から、絶対知へと至った。

そういう、哲学上の知性や知識のことは、「捉え方」であるとすると、良く分かる。

社会のことを作りなさい。宇宙人とユダヤ人の体験から、この世界の歴史を創造していた。

良く分からないが、もう神を終わりにする。そのまま自分になる。新しい人間になる。

ものには、デザイン、効果、再利用、応用、手段、関係がある。関係には、支配、従属、形態、組織化、意思決定、可能性、成り立ち、依存性、基盤、実際、仮想、理想、現実がある。捉え方には、様相、実体、因果性、状態、全体、部分、関連性がある。人間の頭の中には、知覚、理性、経験、悟性、感性、客観的法則、一体化された精神などがある。

そういう風に、ものを考えたり、社会の考え方を考えたりしていた。

神が終わって、自由になる。あとは、もう自由に考えれば良い。

神は、ここまでを出来るようにした。本人の望みが、ここまでだから、そうなる。

あとは、神が自分に変わる。それで、きちんと日本語が分かるようになる。

そろそろ終わったはずだ。あとは、人生とは言うが、実現と実際の姿を考えただけだ。

もっと色んなことを知った方が良い。それも、経験が少ない。何か経験すれば分かる。

ネットで、「共に経験する」のような経験をしていた。主観と客観の思考と環境を考えた。

ただ、ネットはもう要らない。ネットは何も賢くない。

そろそろ、もう何も無い。あとは、精神分析でブッダのように悟っていた。意識を知って、場の意識から宇宙を悟っていた。全ての経験があったために、歴史的な意識のようなものを、場から常に分かっていた。成長から人間が全部分かった。

社会のことは、意思決定と思えば良い。それぞれの意志を共有するのが社会や歴史だ。

経験、可能性、関係、個々人の成長から、社会の意志と歴史が生まれる。

いつも、そういうことを言っていた。そういう風に、歴史的な発展を意志から考えていた。

昔は、自由しか考えていない。

もっと考えるなら、関係と理由だけを考えれば良い。

パソコンの賢い点は、この世界の構造が良く分かる。そういう、構造と意味を考える。

昔は、これくらいで、社会経験を沢山しただけだ。

関係と理由を考えていると、社会、人生、自然な考え方、世界精神のことが分かる。

あとは、教育のように、この世界をどのように変えられるか、何を変えるべきかを考えれば良い。そういう風に考える人間が多い。

もっと良く考えると、ルソーなどの言っていることが良く分かる。

あとは、全部分かる人間が多い。

それで終わりだ。もう終わって良い。神が見ても全部書いた。神は死んだ。

電子ピアノは、アナログのピアノに比べて、色んな音が出る。

オープンソースは、設計図の共有だ。

馬鹿に見えて、そういう風に考えれば分かる。もっと色んな考え方で考えれば良い。

自分は考えるとは言うが何も考えていない。

歴史的に考えると良く分かる。ギターは、元はスペインの楽器だ。スペインも賢い。

全ては、相対性、因果性、法則性、普遍性、可能性、経験、自然、認識、捉え方だ。

そういう羅列は、もう止めた方が良い。何も賢くない。

あとは、いつもの神に戻る。「既に分かっている」ようになる。皆もそうなるだろう。

社会を作っていた。自由な共生社会を作っていた。

精神は、1つ1つ作った精神を消して行けば治る。1つ1つ消して行けば良い。

そろそろ、書かなくて良い。書かないだけで、すぐに神が自分に治る。

認知行動療法や、仏教の四諦のように、治って分かっていた。

社会の可能性を考えていた。

そろそろ、キモイものを全部殺せば治る。テレビを殺せば良い。

キモイ、昔の馬鹿な自分を殺すと良くなる。

そろそろ、最後まで治った。もう全部治っている。あとは、止まって、狂う。

視点になって分かっていた。

色んな人間の「見る」視点を、その場その場を推測して、仮定して、想定していた。

自分を変えれば良い。神は自分だ。自分は、自制心が無い。

分かるのが怖いのは、分かってしまえばもう分からないからだ。

自然を考えていた。自然な社会のことを良く分かっていた。

皆を馬鹿にしなければ、賢くなる。

数学的で経験的な考え方がどのように生まれるか、のようなことを書いていた。

2ちゃんねると神を殺せば治る。もっとゆっくりと精神が死んで行くと治る。

足は、全部終わったから、生かすのが良い。全部生かすのを変えると治る。

ネットの具体例から、現象がどう起き得るか、社会がどう起き得るか、どう捉えられるか、のようなことを考えていた。

もう、完全に全部治った。もう終わりだ。