農園に行ってきた。
きちんと経験して分かると、恐れる必要はないのが分かる。
ただ、恐怖は、分かるヒントになる。そういうわけで、恐怖と上手く付き合えば良い。
きちんと分かると、恐怖は無くなる。
知性的、決定的、総合的、応用的な、関係と可能性を考えていた。
皆と「共に経験する自由」で分かっていた。
「鳥が話している」のように、生命や宇宙の実際の姿を見て分かっていた。
太陽や海は、生きている。精神は、水である。そういう風に現象学を作っていた。
人間は、「キモイ」が賢い。キモくなると、賢くなる。
ものは、知性から生まれる。
存在は、いつもそこに存在している。
場と視点の組み合わせと応用が、観念である。
三段論法のような「説明」と、「同じ本質」と、数学的な「体得」から分かる。
特に、同じ方法や同じ形態から、たとえ話で分かるようになる。
心を想定すること。皆の心を知ることで、環境的に因果性が分かる。
もう1つ何か言いたかったが、それは分からなくなった。
農園に行って分かった内容は、ここまでだ。
環境を変えられる、と言う、チャンスや機会を考えて、因果性を良く考えて分かっていた。
具体的な法則を知って、社会の実像を知って、そこから、チャンスを考えていた。
何がどうなるか、から、何をどうすべきか、どう出来るか、などを分かっていた。
自分は、神は信じなくて良い。ただ、今からイスラエルのようになる。
良いものを良い、悪いものを悪い、と信じれば分かる。
意味の無いものが悪いと思えば良い。そういう人間が多い。
自分は、本当に神みたいに見える。むしろ、全員に平等な神に見えるから、悪く見えない。
良い神と悪い神には見える。神は悪いから、これで神だ。
人間的なものを良いと思えば良い。そういうわけで、パソコンが一番人間的でない。
調和、協力、平和、友愛、のようなことを信じれば良い。
それこそ、自由は悪くない。自由なままで、理想の世界を作ることが理想的だ。
理想の環境を皆で作ること。それが一番良い。
善は容易く得られると、哲学者の誰かが言っていた。善人には、誰でも簡単になれる。
自分を悪いと思わない方が良い。自分を悪いと思うと、悪い人間になる。
悪かった昔の自分は忘れて、良い人間になった方が良い。
身分や出生で差別するのは悪い。自由は、全員を等しいと思うところから生まれる。それが、一番、アメリカのような、移民のような自由な世界になる。
アメリカン・ドリームも、自由選挙も、アメリカは全部そういう自由だ。平等ではないが、皆のことを同じだと思う自由をやっている。移民は、同化すべきだと思っている。
同じだとして、差別をせず、身分の低いものも受け入れる。アメリカが一番賢い。
図書館に行ってきた。
人間のことを、情動や実感から分かっていた。人生、存在、社会、人間のことが分かった。
昔は、そういう、頭の賢い、友愛を信じる、情熱的で経験豊富な人間だった。
環境のようなものを、全部作っていた。
可能性の世界のようなものを書いていた。
日本は、もう自分で無くなって、イスラエルのような美しい国になる。
滅ぼすのは止める。皆を殺すのはおかしい。
自分は、今のままで良い。今のままで良いなら楽になる。賢い方が本当に楽だ。
ウィトゲンシュタインの言う、言語ゲームとは、人間は言語で遊んでいるだけだ、と言いたいのかもしれない。勝手に混乱して、勝手に解決したつもりになる。それを言語ゲームと言いたいのかもしれない。それは、自分の限界を言語の限界だと思うせいで、そうなる。哲学には、そういう、「人間の限界」を考える哲学が多いが、ウィトゲンシュタインは、それを言語と言うことにした。それは、理性だったり、経験だったりする。あとは、ウィトゲンシュタインの言っていることを全く覚えていないが、写像とは、言語的に、現実世界と切り離して、様相のようなものを考えているのかもしれない。昔の自分に、そういう、写像を切り離して考える、と言う発想が多かった。ウィトゲンシュタインの言っていることを覚えていないから、全く違ったことを言っていると思う。あとは、カントの言うアプリオリのように、「経験に由来する」とか、「経験に依拠する」と言う発想をすると分かる。
本当に、ウィトゲンシュタインはそんなことは言っていない。言語と命題、世界と事実、像の写像のようなことを言っている。事実を写像していない、いかなる命題も無意味だ。
図書館に行って分かった内容は、ここまでだ。
最近、英単語はしていない。あまりしなくなった。それこそ、しても覚えない。
英会話教室に行っている。英会話教室で覚えると、本当に覚えるのが英語だ。
あとは、一通り終わったから、しばらく何もしなくて良い。休んだ方が良い。
歴史と経済は、出来ない。読みたくなくなった。
歴史を覚えているか試すために、書いてみたい。
人間は、原始人(猿人、原人、旧人、新人)から始まって、石器は土器や青銅器に進歩して、鉄器を使うようになった。国を作るようになって、宗教や経済が生まれた。
地域は、世界四大文明やオリエントの時代から、メソポタミアなどの文明が栄える。特に、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人などが活躍し、イスラエルでユダヤ教が栄えた。
古代ギリシャでは、アテネやスパルタなどの都市国家が栄えて、植民地を作った。民主主義と軍国主義が栄えて、ペルシャ帝国などと戦った。
古代ローマでは、地中海沿岸に広大な帝国を作った。キリスト教を迫害したが、のちに国教に認められた。王政から共和政になり、帝政になった。そのうち、分裂して、西ローマ帝国は滅びたが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は長い間続いた。
ゲルマン人の大移動から、ローマ帝国が滅び、フランク王国が栄えた。現在のフランス、ドイツ、イタリアの基礎が生まれた。
そして、封建的な身分制度と、キリスト教を中心として、中世の長い時代が続いた。
ルネサンスによって、古代ギリシャ・ローマの文化を再興する動きがあった。
自由な文化となった。従属的なキリスト教の「来世信仰」ではなく、科学的、人間的、芸術的な文化を再興する。イタリアのフィレンツェで始まった。
宗教改革は、カトリックではない、「神と人間を聖書によって直接に結びつける」ような、新しい文化、新しい宗教を作った。
大航海時代によって、新大陸と新航路が発見された。
国王による絶対主義の時代において、国民は王国としての連帯感を持つようになった。ユグノーやピューリタンなど、カトリック教徒と新教徒の戦争が起こった。
そのうち、王国政の矛盾から、イギリスでは市民革命、フランスではフランス革命が起きて、新しい民主主義の時代になった。ヨーロッパをナポレオンが制圧した。
アメリカの独立や、産業革命によって、まずイギリスから、人々は産業的に豊かになった代り、工場労働者は搾取されるようになった。
フランスでは、さらに2つの革命が起きた。そのうち、社会主義思想が生まれた。
そして、帝国主義が世界中を植民地にした。ドイツやイタリアが統一した。
第一次世界大戦とロシア革命で、民主主義と専制主義が争いながら、共産主義国家が生まれた。そして、ファシズムが台頭し、第二次世界大戦へと突入する。
戦後は民主主義が勝って、冷戦の体制になったが、ソ連は崩壊し、今の世界になった。
あまり覚えていないから、嘘を書いていると思う。フェニキア人なんか、どうでも良い。
昔は、この世界に人間が居るのを考えていた。
皆を同じだと考えて、可能性や「出来る」から存在を考えて、心を把握していた。
可能性の発揮とか、自然な経験とか、そういうことを知性で分かっていた。
最近は、分かるせいで分からなくなっている。「環境」などと言う言葉を忘れた方が良い。そのせいで、分からなくなっている。
歴史と実在がある。そして、行動には諸法則がある。そして、ものを作ったり、社会的な活動をしたりする。そういう風に考える人間が多い。
あとは、支配者や社会秩序のようなものを考えていた。
社会性から、国家が生まれる。秩序から、社会形成が分かる。
その中で、王が生まれる。
そういう、偉大で賢い王のようなものを、自分にして書いていた。
そういう、「社会的変化」のような文章をいつも書いていた。
不思議と、これなら、昔は誰でも出来る。思考の裏側を知って、経験して、人間と社会の道理のようなことを良く考えて、「何が何を意味しているか」を考えれば良い。
昔は、それくらいの馬鹿だった。それこそ、最近は賢くない。もっと賢くなりたい。
あとは、思考して、科学のようなものを作っていた。サルトルのようだった。
環境におけるその存在のあり方、目的と作用、意味、そして形成過程から考えれば良い。
特に、作用を良く考えると分かる。色んなことを実験していると、作用から歴史が分かる。
再利用も悪くない。使い捨ては悪いように見える。そういうところが分かる人間が多い。
それこそ、パソコンと思えば分かる。数学とは言うが、パソコンのような論理学を作っていただけだ。それしかしていない。本当に、パソコンから全てのことが分かっていた。
あとは、感情や経験や可能性を考えれば良い。あれは、そういう文章だった。
成立過程から考え方を考える。組織から世界を変えられる。そういう文章だった。
環境の歴史や、成立のプロセスみたいなものを書いていた。
経験論や人生論のようなことを言っていた。
もう、分かる。あとは、もうきちんとすぐに分かる。文章は、それくらいの文章だ。
皆のことが好きだとか、そういう内容も多かった。
自分のことのように他人のことを愛せとか、キリストのようなことを言っていた。
何故か、もう終わっただけだ。あとは、この世界を何かにした方が良い。
この世界は、革命となれ。
この世界は、キリスト教になれ。
全員は、王となれ。
全員は、救世主となれ。
全員は、哲学者となれ。
それで、もう、終わりだ。今日は、最後まできちんと分かった日だ。
もう終わりにする。全てに満足した。
場を考えていた。感覚で分かっていた。場の精神や、文化や価値観のようなことを書く。そういう、感覚的な場と理性と心の現象を、いつも書いていた。
自分は、何かを知りたいのだが、何を知りたいのか、分からない。
哲学のことを知り尽くすのは良いが、哲学では無い。何か、もっと違うものを知りたい。
何かを知りたいのが、最近の自分だ。
社会のビジョンと、人間の知的な目的や正しさから、人間の持つ真理のことを知った。
成長から、普遍的な人間性を分かった。
そういう発想が、普通、哲学だ。哲学者は、そこらへんを考える。
僕は、キリスト教やイスラム教のようなことが知りたいのかもしれない。
哲学は悪くない。ただ、哲学を知る、と言う行為は良いのだが、目的として、哲学と言う分野は正確でない。もっと、何か別の「真理」や「経験」を知りたいのだと思う。
昔の、偉大な人生や考え方のことを知りたいのだと思う。昔は、引き篭もりのおかしな馬鹿だったが、考えることが賢かった。色んなことを全部考えて、経験して、成長から達成して分かっていた。おそらく、そういう人間になりたいのだと思う。
良く分からない。覚えていないから分からないが、おそらく、聖書のことを知りたい。
自分は、キリスト教を信じることにする。
キリスト教で分かる、人間世界のようなものが知りたいのだと思う。
キリスト教を信じると、何故か、悲惨な人間になる。悲惨に、全ての現世のことを否定した方が分かる人間が多い。そういう、悲惨な人間には、分かる人間が多い。
そういうわけで、悲惨になって賢くなるのが、キリスト教だ。
自分のおかしな点は、そんなにすぐに信じて、すぐに忘れるのが悪い。
そこが悪いから、キリスト教を信じたのだけは、覚えていた方が良い。
それこそ、キリスト教はいつも信じている。
キリスト教の良い点は、昔みたいに分かるようになるが、パソコンのオタクにはならない。
そういうわけで、昔になるようで、昔にはならない。
本当に、色んなことが全部分かる人間が多い。きちんと賢い、大人のような人間になる。
キリスト教を信じても、悲惨な人間になるだけだが、それが不思議と、賢くなる。
何故か、賢い悲惨しか起きない。キリストが言うように、天の御国は悲惨な人間のためにある。キリストは、そういうことを言っている。
あとは、対話の神を信じても意味が無い。何故か、対話をしたままで治った。キリストと対話していると、キリストの方がきちんと考えるから、ここまで治る。
自分の問題は、自分だけが分かっていない。誰でも分かるせいで、自分が分からなくても、他の人間が分かる。キリストは、そこを担当している。そういうわけで、この悲惨は賢い。
ただ、キリストはもう良い。そろそろ、こういう風に分かるのを止める。
あとは、きちんと懺悔していると良くなる。祈りのようなことをすれば良い。不思議と、祈ると本当に良いことが起きる。宗教は、嘘に見えて、全く嘘では無い。
不思議と、キリスト教の人間世界は賢い。本当に、マスターのように全てのことが分かる。
それこそ、昔は哲学者で、最近は王と作家だ。それくらいが好きだっただけだ。
誰もがきちんと分かるせいで、他人の方が分かる。そういう、普通の部分を言っているのが、キリストだ。それこそ、神と言っているのは、これできちんと神だからだ。
昔なんか、悲惨な経験を全てして分かっただけだ。キリスト教は、そういう人間になる。
不思議と、昔をもう一度やりたいのはおかしい。完全に終わったのが分かっていない。
それから、神との対話を止めると、すぐに悲惨な人間になる。そのせいで止められない。
もう良い。不思議と、キリスト教を信じながら、昔とは違う人間になれば良い。それなら、楽しい。昔に戻りたいのがおかしいからこうなる。昔なんか、何も無かっただけだ。
そういうわけで、パソコンのことはしない方が良い。文章も、昔の内容はもう良い。
何故か、悲惨になれば、悲惨になるほど、賢い人間になる。
そういうわけで、悲惨になりたい人間が多い。昔の自分がそういう馬鹿だった。
皆のことも、悲惨にすると皆が賢くなる。そういう国がドイツだ。皆を悲惨にするせいで、皆賢い。哲学者にも、悲惨な人間が多い。悲惨な人間しか、賢くならない。
ただ、自分の場合、あまりに悲惨になりすぎた。あまり悲惨になりすぎると、意味が無い。
最近は、悲惨になって賢くなっている人間が一番多い。
皆、もっと悲惨になれば良い。
ライプニッツが言っているように、予定調和が起きる。神は、きちんと全員のことを見ている。全知全能の神が、支配して考えているから、心配や不安は要らない。
昔の引き篭もりなんか、悲惨な体験が賢かっただけだ。本当に全部の体験をしていた。
そういうわけで、昔なんか、悲惨になるだけで誰でも出来る。
今から、この世界は悲惨な世界になる。
あまり言う意味が無いが、宗教を信じると、悲惨な人間になる。それがキリスト教だ。
あとは、もう僕は何もしない。この世界を悲惨にして、それで終わりだ。
昔は、自分の経験から科学者や王を吸収していた。あまり書いていないが、昔は、そういう風に、全ての人間の経験を吸収して分かっていた。それを全ての労働と言っている。
そういうわけで、こんな人間は居ない。そのせいで、ドイツ人にすら一瞬でなれた。
あとは、この世界が滅びる。滅びると言うよりは、すぐに悲惨な世界になる。悲惨になる代り、すぐに楽になる。何故か、本当の楽はここまで辛い。こういう馬鹿が多い。
地獄とは言うが、昔の何も無い世界の方が地獄だ。こちらの辛いだけを天国と言う。
仏教で言う、声聞や縁覚になっている馬鹿が本当に多かった。色んなものを見聞きする、科学者の声聞や、自分のことを表現する、創造的な縁覚などを、全部経験していた。
そういうわけで、仏教も同じだから、仏教は悪くない。
ただ、仏教は最初から自分のことを分かっているところがある。それが良くない。
これで覚えていないからありえないのが自分だ。キリスト教のことは、覚えた方が良い。
環境のことを意識で分かりながら、数学的なことを考えていた。
昔は、ネットを見ながら、経験から、そういうありえない存在を作っていた。
この世界を悲惨にしたいなら、いじめやブラック企業では無い、もっと純粋な「良い悲惨」にした方が良い。それこそ、憎しみ合ったり、いじめたり、恨んだりするのは、もううんざりな人間が多い。もっと、完全に全てを否定するような、普通の悲惨になれば良い。
そういうわけで、今から本当にイスラエルのような世界になる。悲惨しか居ない国だ。
皆、この世界を否定するようになる。そこから入ると、良いだろう。
不思議と、相手を悲惨にすると、好きになる。そういうわけで、恋人や友達を悲惨にする馬鹿が、男にも女にも多い。そのせいで、好きな人と結婚しても、上手く行かない。そういう人間が多い。そういうわけで、皆を愛するなら、悲惨にすれば良い。
だから、こういう風になる。神が王になって、支配して何も無くするのが、一番悲惨だ。自分は、王と言うよりは、恋人だ。皆のアイドルにしか見えないのが、この神だ。
昔は、ネットで悲惨な経験を全部して分かっていた。それで、マスターのように、人間と宇宙のことが全部分かっていた。明らかに、ハイデガーがそういう馬鹿だ。
あとは、一応これも何かの神だ。人間は、最初にこれが好きになる人間が多い。この神は、どこから見ても、一番普通の神だ。皆をロボットにするから、誰もが嫌いだ。
そういうものが嫌いな人間が多い。こういう馬鹿が学校に見えるから、子供には学校が嫌い、しか居ない。学校なんかより、これの方が賢いのが分かる。
世界を悲惨にしていると、日本が治る。日本が何も出来なくなっているのが、悲惨になるとすぐに治る。そういうわけで、放っておけば治る。
皆が悲惨になれば良い。そうすると、すぐに賢くなる。そういうわけで、今から悲惨な引き篭もりみたいな人間が増える。こういう人間は、どこにでも普通に多い。一番キモイ。
こういう、悲惨な引き篭もりは、馬鹿に見えて、まともな賢い人間になる。自分の力だけで生きていると、賢くなる人間が多い。何故か、中卒に賢い人間が多い。
そういうわけで、神に頼らず、自分の力で生きれば良い。それなら賢くなる。
昔は、そういう、自分だけを頼る経験で賢くなった。本当にそういう人間だった。
自分を信じること。それが一番正しい。自分以外のものは、何も信じない方が良い。
そういうわけで、「自由」とは、そういう、人生を生きる自由のことを言っていた。
そろそろ、皆もそういう、悲惨な自由になる。辛い時代になるが、それで楽になる。
昔は、ヒュームのように、経験と理性を良く考えただけだ。
色んなことを自分で経験して、それで世界のことを分かっていた。
全て分かった。ヒュームと言うよりは、マルクスみたいな人間だった。
そういうわけで、左翼はこういう風に、悲惨になって賢くなる。
本当に右翼の方が悪い。右翼は、良いせいで、馬鹿になる人間が多い。
そろそろ、この世界が治った。皆すぐに賢くなって、本当に良い時代になる。
可能性、自然、共有、意志、記憶、独立、手段、個人、組織ぐらいを考えただけだ。
あとは、もう、ロキを見ると良い。ロキを見ると、これで昔の自分が出来る。
宣言とは言うが、違う自分になって、違う体験をしたかっただけだ。
最近の、この体験は悪くない。不思議と、本当にゲーテがこうなっている。ゲーテだ。
そういうわけで、今のままで良いように見える。まだ何か分かるように見える。
「治りたい」は止めた方が良い。治るわけがない。治る意味が無いのが分かっていない。
もっと、賢くなりたい。本当に、最近はきちんと賢くなった。
昔は、カント、ハイデガー、ヤスパースが言うような、「超越的存在」みたいな発想が多かった。自分の体験だけで、絶対者の精神のようなものが、ヘーゲルのように分かった。
不思議と、最近、自分が良い人間が多い。悪い人間なのに、良いからありえない。
それこそ、セックスとは、これのことを言う。これがセックスだ。
自分が賢いのは、セックスを全くしないからだ。きちんと正しい良い人間が自分だ。
自分も、何か出来ると思っていただけだ。自分も正しい人間だ。
あとは、自分は、ここらへんの作家の自分が一番好きだった。右翼に見えて嫌いだったが、中学生の頃、すでに「作家になりたい」と言っている。作家か科学者になりたかった。それは、目指していると言うよりは、すでになるのが分かっていた。
この世界には、基本的に意味が無い。学校とパソコンのせいで、本当に意味が無い世界になった。この世界に何か期待しない方が良い。何も意味の無い、妄想と幻想の世界だ。
あとは、世界を変える方法を考えること。それも、実際の姿を見て、確かな方法と、どこかで変えると言う、機会や要請から考えれば良い。
それから、認識を仮想的に考えていた。
謙虚な心構えを持って、皆の視点に立って考えること。特に、その人の視点、と言う発想を重視する。本当に、その人と同じ視点に立って考える。そういう発想が多かった。
ネットには何も無いし、キリスト教を信じると、悲惨な人間になるだけだ。
このまま、世界にはあまり意味が無くなる。どんどん悲惨な世界になるだろう。
自分は、完全に支配して、自分に良くすれば良い。そんなに正しく世界を治して治める意味が無い。もっと、普通の王として、普通の世界にすれば良い。
そんなに良いことはしなくて良い。ただ、悪いものを適当に倒して、強くしていれば、それで良い。その方が、良い帝国になる。それをした方が良い。皆は、自由に努力すれば良い。自活して、自助努力していれば、それで良い国になる。
あとは、もうそろそろ、自分になっているのが終わって、悲惨な国になるのが日本だ。
これなら、カントのように、経験的に認識を考えれば良い。それですぐに分かる。
知覚による、経験的で自然な世界観を考えていた。
宇宙を創造していた。
こういう、悲惨なキリスト教徒に、哲学者が多い。哲学はドイツだ。
そういうわけで、もう哲学はしなくて良い。もっとマシな何かをした方が良い。
それこそ、メジャーな分野はしなくて良い。キリストが言うように、マイナーな分野をすれば良い。昔は、「自分のやりたいことをやる」と言う発想があった。それが良い。
自発的な努力から、世界のことは自由に変えられると思っていた。
昔は、意識と経験から環境の変化を分かっていた。
英語は、昔分かっている。ネットの経験とパソコンの知識で分かった。
フランス語みたいなものを作っていた。
宇宙人になっているのは、もっと高い宇宙人になれば、賢くなる。
何故か、知性みたいなものが分からなくなった。昔は、分析の知性があった。