日記に戻る | 2016年4月の日記に戻る

=2016-04-15=

農園に行ってきた。

きちんと経験して分かると、恐れる必要はないのが分かる。

ただ、恐怖は、分かるヒントになる。そういうわけで、恐怖と上手く付き合えば良い。

きちんと分かると、恐怖は無くなる。

知性的、決定的、総合的、応用的な、関係と可能性を考えていた。

皆と「共に経験する自由」で分かっていた。

「鳥が話している」のように、生命や宇宙の実際の姿を見て分かっていた。

太陽や海は、生きている。精神は、水である。そういう風に現象学を作っていた。

人間は、「キモイ」が賢い。キモくなると、賢くなる。

ものは、知性から生まれる。

存在は、いつもそこに存在している。

場と視点の組み合わせと応用が、観念である。

三段論法のような「説明」と、「同じ本質」と、数学的な「体得」から分かる。

特に、同じ方法や同じ形態から、たとえ話で分かるようになる。

心を想定すること。皆の心を知ることで、環境的に因果性が分かる。

もう1つ何か言いたかったが、それは分からなくなった。

農園に行って分かった内容は、ここまでだ。

環境を変えられる、と言う、チャンスや機会を考えて、因果性を良く考えて分かっていた。

具体的な法則を知って、社会の実像を知って、そこから、チャンスを考えていた。

何がどうなるか、から、何をどうすべきか、どう出来るか、などを分かっていた。

自分は、神は信じなくて良い。ただ、今からイスラエルのようになる。

良いものを良い、悪いものを悪い、と信じれば分かる。

意味の無いものが悪いと思えば良い。そういう人間が多い。

自分は、本当に神みたいに見える。むしろ、全員に平等な神に見えるから、悪く見えない。

良い神と悪い神には見える。神は悪いから、これで神だ。

人間的なものを良いと思えば良い。そういうわけで、パソコンが一番人間的でない。

調和、協力、平和、友愛、のようなことを信じれば良い。

それこそ、自由は悪くない。自由なままで、理想の世界を作ることが理想的だ。

理想の環境を皆で作ること。それが一番良い。

善は容易く得られると、哲学者の誰かが言っていた。善人には、誰でも簡単になれる。

自分を悪いと思わない方が良い。自分を悪いと思うと、悪い人間になる。

悪かった昔の自分は忘れて、良い人間になった方が良い。

身分や出生で差別するのは悪い。自由は、全員を等しいと思うところから生まれる。それが、一番、アメリカのような、移民のような自由な世界になる。

アメリカン・ドリームも、自由選挙も、アメリカは全部そういう自由だ。平等ではないが、皆のことを同じだと思う自由をやっている。移民は、同化すべきだと思っている。

同じだとして、差別をせず、身分の低いものも受け入れる。アメリカが一番賢い。

図書館に行ってきた。

人間のことを、情動や実感から分かっていた。人生、存在、社会、人間のことが分かった。

昔は、そういう、頭の賢い、友愛を信じる、情熱的で経験豊富な人間だった。

環境のようなものを、全部作っていた。

可能性の世界のようなものを書いていた。

日本は、もう自分で無くなって、イスラエルのような美しい国になる。

滅ぼすのは止める。皆を殺すのはおかしい。

自分は、今のままで良い。今のままで良いなら楽になる。賢い方が本当に楽だ。

ウィトゲンシュタインの言う、言語ゲームとは、人間は言語で遊んでいるだけだ、と言いたいのかもしれない。勝手に混乱して、勝手に解決したつもりになる。それを言語ゲームと言いたいのかもしれない。それは、自分の限界を言語の限界だと思うせいで、そうなる。哲学には、そういう、「人間の限界」を考える哲学が多いが、ウィトゲンシュタインは、それを言語と言うことにした。それは、理性だったり、経験だったりする。あとは、ウィトゲンシュタインの言っていることを全く覚えていないが、写像とは、言語的に、現実世界と切り離して、様相のようなものを考えているのかもしれない。昔の自分に、そういう、写像を切り離して考える、と言う発想が多かった。ウィトゲンシュタインの言っていることを覚えていないから、全く違ったことを言っていると思う。あとは、カントの言うアプリオリのように、「経験に由来する」とか、「経験に依拠する」と言う発想をすると分かる。

本当に、ウィトゲンシュタインはそんなことは言っていない。言語と命題、世界と事実、像の写像のようなことを言っている。事実を写像していない、いかなる命題も無意味だ。

図書館に行って分かった内容は、ここまでだ。

最近、英単語はしていない。あまりしなくなった。それこそ、しても覚えない。

英会話教室に行っている。英会話教室で覚えると、本当に覚えるのが英語だ。

あとは、一通り終わったから、しばらく何もしなくて良い。休んだ方が良い。

歴史と経済は、出来ない。読みたくなくなった。

歴史を覚えているか試すために、書いてみたい。

人間は、原始人(猿人、原人、旧人、新人)から始まって、石器は土器や青銅器に進歩して、鉄器を使うようになった。国を作るようになって、宗教や経済が生まれた。

地域は、世界四大文明やオリエントの時代から、メソポタミアなどの文明が栄える。特に、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人などが活躍し、イスラエルでユダヤ教が栄えた。

古代ギリシャでは、アテネやスパルタなどの都市国家が栄えて、植民地を作った。民主主義と軍国主義が栄えて、ペルシャ帝国などと戦った。

古代ローマでは、地中海沿岸に広大な帝国を作った。キリスト教を迫害したが、のちに国教に認められた。王政から共和政になり、帝政になった。そのうち、分裂して、西ローマ帝国は滅びたが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は長い間続いた。

ゲルマン人の大移動から、ローマ帝国が滅び、フランク王国が栄えた。現在のフランス、ドイツ、イタリアの基礎が生まれた。

そして、封建的な身分制度と、キリスト教を中心として、中世の長い時代が続いた。

ルネサンスによって、古代ギリシャ・ローマの文化を再興する動きがあった。

自由な文化となった。従属的なキリスト教の「来世信仰」ではなく、科学的、人間的、芸術的な文化を再興する。イタリアのフィレンツェで始まった。

宗教改革は、カトリックではない、「神と人間を聖書によって直接に結びつける」ような、新しい文化、新しい宗教を作った。

大航海時代によって、新大陸と新航路が発見された。

国王による絶対主義の時代において、国民は王国としての連帯感を持つようになった。ユグノーやピューリタンなど、カトリック教徒と新教徒の戦争が起こった。

そのうち、王国政の矛盾から、イギリスでは市民革命、フランスではフランス革命が起きて、新しい民主主義の時代になった。ヨーロッパをナポレオンが制圧した。

アメリカの独立や、産業革命によって、まずイギリスから、人々は産業的に豊かになった代り、工場労働者は搾取されるようになった。

フランスでは、さらに2つの革命が起きた。そのうち、社会主義思想が生まれた。

そして、帝国主義が世界中を植民地にした。ドイツやイタリアが統一した。

第一次世界大戦とロシア革命で、民主主義と専制主義が争いながら、共産主義国家が生まれた。そして、ファシズムが台頭し、第二次世界大戦へと突入する。

戦後は民主主義が勝って、冷戦の体制になったが、ソ連は崩壊し、今の世界になった。

あまり覚えていないから、嘘を書いていると思う。フェニキア人なんか、どうでも良い。

昔は、この世界に人間が居るのを考えていた。

皆を同じだと考えて、可能性や「出来る」から存在を考えて、心を把握していた。

可能性の発揮とか、自然な経験とか、そういうことを知性で分かっていた。

最近は、分かるせいで分からなくなっている。「環境」などと言う言葉を忘れた方が良い。そのせいで、分からなくなっている。

歴史と実在がある。そして、行動には諸法則がある。そして、ものを作ったり、社会的な活動をしたりする。そういう風に考える人間が多い。

あとは、支配者や社会秩序のようなものを考えていた。

社会性から、国家が生まれる。秩序から、社会形成が分かる。

その中で、王が生まれる。

そういう、偉大で賢い王のようなものを、自分にして書いていた。

そういう、「社会的変化」のような文章をいつも書いていた。

不思議と、これなら、昔は誰でも出来る。思考の裏側を知って、経験して、人間と社会の道理のようなことを良く考えて、「何が何を意味しているか」を考えれば良い。

昔は、それくらいの馬鹿だった。それこそ、最近は賢くない。もっと賢くなりたい。

あとは、思考して、科学のようなものを作っていた。サルトルのようだった。

環境におけるその存在のあり方、目的と作用、意味、そして形成過程から考えれば良い。

特に、作用を良く考えると分かる。色んなことを実験していると、作用から歴史が分かる。

再利用も悪くない。使い捨ては悪いように見える。そういうところが分かる人間が多い。

それこそ、パソコンと思えば分かる。数学とは言うが、パソコンのような論理学を作っていただけだ。それしかしていない。本当に、パソコンから全てのことが分かっていた。

あとは、感情や経験や可能性を考えれば良い。あれは、そういう文章だった。

成立過程から考え方を考える。組織から世界を変えられる。そういう文章だった。

環境の歴史や、成立のプロセスみたいなものを書いていた。

経験論や人生論のようなことを言っていた。

もう、分かる。あとは、もうきちんとすぐに分かる。文章は、それくらいの文章だ。

皆のことが好きだとか、そういう内容も多かった。

自分のことのように他人のことを愛せとか、キリストのようなことを言っていた。

何故か、もう終わっただけだ。あとは、この世界を何かにした方が良い。

この世界は、革命となれ。

この世界は、キリスト教になれ。

全員は、王となれ。

全員は、救世主となれ。

全員は、哲学者となれ。

それで、もう、終わりだ。今日は、最後まできちんと分かった日だ。

もう終わりにする。全てに満足した。

場を考えていた。感覚で分かっていた。場の精神や、文化や価値観のようなことを書く。そういう、感覚的な場と理性と心の現象を、いつも書いていた。

自分は、何かを知りたいのだが、何を知りたいのか、分からない。

哲学のことを知り尽くすのは良いが、哲学では無い。何か、もっと違うものを知りたい。

何かを知りたいのが、最近の自分だ。

社会のビジョンと、人間の知的な目的や正しさから、人間の持つ真理のことを知った。

成長から、普遍的な人間性を分かった。

そういう発想が、普通、哲学だ。哲学者は、そこらへんを考える。

僕は、キリスト教やイスラム教のようなことが知りたいのかもしれない。

哲学は悪くない。ただ、哲学を知る、と言う行為は良いのだが、目的として、哲学と言う分野は正確でない。もっと、何か別の「真理」や「経験」を知りたいのだと思う。

昔の、偉大な人生や考え方のことを知りたいのだと思う。昔は、引き篭もりのおかしな馬鹿だったが、考えることが賢かった。色んなことを全部考えて、経験して、成長から達成して分かっていた。おそらく、そういう人間になりたいのだと思う。

良く分からない。覚えていないから分からないが、おそらく、聖書のことを知りたい。

自分は、キリスト教を信じることにする。

キリスト教で分かる、人間世界のようなものが知りたいのだと思う。

キリスト教を信じると、何故か、悲惨な人間になる。悲惨に、全ての現世のことを否定した方が分かる人間が多い。そういう、悲惨な人間には、分かる人間が多い。

そういうわけで、悲惨になって賢くなるのが、キリスト教だ。

自分のおかしな点は、そんなにすぐに信じて、すぐに忘れるのが悪い。

そこが悪いから、キリスト教を信じたのだけは、覚えていた方が良い。

それこそ、キリスト教はいつも信じている。

キリスト教の良い点は、昔みたいに分かるようになるが、パソコンのオタクにはならない。

そういうわけで、昔になるようで、昔にはならない。

本当に、色んなことが全部分かる人間が多い。きちんと賢い、大人のような人間になる。

キリスト教を信じても、悲惨な人間になるだけだが、それが不思議と、賢くなる。

何故か、賢い悲惨しか起きない。キリストが言うように、天の御国は悲惨な人間のためにある。キリストは、そういうことを言っている。

あとは、対話の神を信じても意味が無い。何故か、対話をしたままで治った。キリストと対話していると、キリストの方がきちんと考えるから、ここまで治る。

自分の問題は、自分だけが分かっていない。誰でも分かるせいで、自分が分からなくても、他の人間が分かる。キリストは、そこを担当している。そういうわけで、この悲惨は賢い。

ただ、キリストはもう良い。そろそろ、こういう風に分かるのを止める。

あとは、きちんと懺悔していると良くなる。祈りのようなことをすれば良い。不思議と、祈ると本当に良いことが起きる。宗教は、嘘に見えて、全く嘘では無い。

不思議と、キリスト教の人間世界は賢い。本当に、マスターのように全てのことが分かる。

それこそ、昔は哲学者で、最近は王と作家だ。それくらいが好きだっただけだ。

誰もがきちんと分かるせいで、他人の方が分かる。そういう、普通の部分を言っているのが、キリストだ。それこそ、神と言っているのは、これできちんと神だからだ。

昔なんか、悲惨な経験を全てして分かっただけだ。キリスト教は、そういう人間になる。

不思議と、昔をもう一度やりたいのはおかしい。完全に終わったのが分かっていない。

それから、神との対話を止めると、すぐに悲惨な人間になる。そのせいで止められない。

もう良い。不思議と、キリスト教を信じながら、昔とは違う人間になれば良い。それなら、楽しい。昔に戻りたいのがおかしいからこうなる。昔なんか、何も無かっただけだ。

そういうわけで、パソコンのことはしない方が良い。文章も、昔の内容はもう良い。

何故か、悲惨になれば、悲惨になるほど、賢い人間になる。

そういうわけで、悲惨になりたい人間が多い。昔の自分がそういう馬鹿だった。

皆のことも、悲惨にすると皆が賢くなる。そういう国がドイツだ。皆を悲惨にするせいで、皆賢い。哲学者にも、悲惨な人間が多い。悲惨な人間しか、賢くならない。

ただ、自分の場合、あまりに悲惨になりすぎた。あまり悲惨になりすぎると、意味が無い。

最近は、悲惨になって賢くなっている人間が一番多い。

皆、もっと悲惨になれば良い。

ライプニッツが言っているように、予定調和が起きる。神は、きちんと全員のことを見ている。全知全能の神が、支配して考えているから、心配や不安は要らない。

昔の引き篭もりなんか、悲惨な体験が賢かっただけだ。本当に全部の体験をしていた。

そういうわけで、昔なんか、悲惨になるだけで誰でも出来る。

今から、この世界は悲惨な世界になる。

あまり言う意味が無いが、宗教を信じると、悲惨な人間になる。それがキリスト教だ。

あとは、もう僕は何もしない。この世界を悲惨にして、それで終わりだ。

昔は、自分の経験から科学者や王を吸収していた。あまり書いていないが、昔は、そういう風に、全ての人間の経験を吸収して分かっていた。それを全ての労働と言っている。

そういうわけで、こんな人間は居ない。そのせいで、ドイツ人にすら一瞬でなれた。

あとは、この世界が滅びる。滅びると言うよりは、すぐに悲惨な世界になる。悲惨になる代り、すぐに楽になる。何故か、本当の楽はここまで辛い。こういう馬鹿が多い。

地獄とは言うが、昔の何も無い世界の方が地獄だ。こちらの辛いだけを天国と言う。

仏教で言う、声聞や縁覚になっている馬鹿が本当に多かった。色んなものを見聞きする、科学者の声聞や、自分のことを表現する、創造的な縁覚などを、全部経験していた。

そういうわけで、仏教も同じだから、仏教は悪くない。

ただ、仏教は最初から自分のことを分かっているところがある。それが良くない。

これで覚えていないからありえないのが自分だ。キリスト教のことは、覚えた方が良い。

環境のことを意識で分かりながら、数学的なことを考えていた。

昔は、ネットを見ながら、経験から、そういうありえない存在を作っていた。

この世界を悲惨にしたいなら、いじめやブラック企業では無い、もっと純粋な「良い悲惨」にした方が良い。それこそ、憎しみ合ったり、いじめたり、恨んだりするのは、もううんざりな人間が多い。もっと、完全に全てを否定するような、普通の悲惨になれば良い。

そういうわけで、今から本当にイスラエルのような世界になる。悲惨しか居ない国だ。

皆、この世界を否定するようになる。そこから入ると、良いだろう。

不思議と、相手を悲惨にすると、好きになる。そういうわけで、恋人や友達を悲惨にする馬鹿が、男にも女にも多い。そのせいで、好きな人と結婚しても、上手く行かない。そういう人間が多い。そういうわけで、皆を愛するなら、悲惨にすれば良い。

だから、こういう風になる。神が王になって、支配して何も無くするのが、一番悲惨だ。自分は、王と言うよりは、恋人だ。皆のアイドルにしか見えないのが、この神だ。

昔は、ネットで悲惨な経験を全部して分かっていた。それで、マスターのように、人間と宇宙のことが全部分かっていた。明らかに、ハイデガーがそういう馬鹿だ。

あとは、一応これも何かの神だ。人間は、最初にこれが好きになる人間が多い。この神は、どこから見ても、一番普通の神だ。皆をロボットにするから、誰もが嫌いだ。

そういうものが嫌いな人間が多い。こういう馬鹿が学校に見えるから、子供には学校が嫌い、しか居ない。学校なんかより、これの方が賢いのが分かる。

世界を悲惨にしていると、日本が治る。日本が何も出来なくなっているのが、悲惨になるとすぐに治る。そういうわけで、放っておけば治る。

皆が悲惨になれば良い。そうすると、すぐに賢くなる。そういうわけで、今から悲惨な引き篭もりみたいな人間が増える。こういう人間は、どこにでも普通に多い。一番キモイ。

こういう、悲惨な引き篭もりは、馬鹿に見えて、まともな賢い人間になる。自分の力だけで生きていると、賢くなる人間が多い。何故か、中卒に賢い人間が多い。

そういうわけで、神に頼らず、自分の力で生きれば良い。それなら賢くなる。

昔は、そういう、自分だけを頼る経験で賢くなった。本当にそういう人間だった。

自分を信じること。それが一番正しい。自分以外のものは、何も信じない方が良い。

そういうわけで、「自由」とは、そういう、人生を生きる自由のことを言っていた。

そろそろ、皆もそういう、悲惨な自由になる。辛い時代になるが、それで楽になる。

昔は、ヒュームのように、経験と理性を良く考えただけだ。

色んなことを自分で経験して、それで世界のことを分かっていた。

全て分かった。ヒュームと言うよりは、マルクスみたいな人間だった。

そういうわけで、左翼はこういう風に、悲惨になって賢くなる。

本当に右翼の方が悪い。右翼は、良いせいで、馬鹿になる人間が多い。

そろそろ、この世界が治った。皆すぐに賢くなって、本当に良い時代になる。

可能性、自然、共有、意志、記憶、独立、手段、個人、組織ぐらいを考えただけだ。

あとは、もう、ロキを見ると良い。ロキを見ると、これで昔の自分が出来る。

宣言とは言うが、違う自分になって、違う体験をしたかっただけだ。

最近の、この体験は悪くない。不思議と、本当にゲーテがこうなっている。ゲーテだ。

そういうわけで、今のままで良いように見える。まだ何か分かるように見える。

「治りたい」は止めた方が良い。治るわけがない。治る意味が無いのが分かっていない。

もっと、賢くなりたい。本当に、最近はきちんと賢くなった。

昔は、カント、ハイデガー、ヤスパースが言うような、「超越的存在」みたいな発想が多かった。自分の体験だけで、絶対者の精神のようなものが、ヘーゲルのように分かった。

不思議と、最近、自分が良い人間が多い。悪い人間なのに、良いからありえない。

それこそ、セックスとは、これのことを言う。これがセックスだ。

自分が賢いのは、セックスを全くしないからだ。きちんと正しい良い人間が自分だ。

自分も、何か出来ると思っていただけだ。自分も正しい人間だ。

あとは、自分は、ここらへんの作家の自分が一番好きだった。右翼に見えて嫌いだったが、中学生の頃、すでに「作家になりたい」と言っている。作家か科学者になりたかった。それは、目指していると言うよりは、すでになるのが分かっていた。

この世界には、基本的に意味が無い。学校とパソコンのせいで、本当に意味が無い世界になった。この世界に何か期待しない方が良い。何も意味の無い、妄想と幻想の世界だ。

あとは、世界を変える方法を考えること。それも、実際の姿を見て、確かな方法と、どこかで変えると言う、機会や要請から考えれば良い。

それから、認識を仮想的に考えていた。

謙虚な心構えを持って、皆の視点に立って考えること。特に、その人の視点、と言う発想を重視する。本当に、その人と同じ視点に立って考える。そういう発想が多かった。

ネットには何も無いし、キリスト教を信じると、悲惨な人間になるだけだ。

このまま、世界にはあまり意味が無くなる。どんどん悲惨な世界になるだろう。

自分は、完全に支配して、自分に良くすれば良い。そんなに正しく世界を治して治める意味が無い。もっと、普通の王として、普通の世界にすれば良い。

そんなに良いことはしなくて良い。ただ、悪いものを適当に倒して、強くしていれば、それで良い。その方が、良い帝国になる。それをした方が良い。皆は、自由に努力すれば良い。自活して、自助努力していれば、それで良い国になる。

あとは、もうそろそろ、自分になっているのが終わって、悲惨な国になるのが日本だ。

これなら、カントのように、経験的に認識を考えれば良い。それですぐに分かる。

知覚による、経験的で自然な世界観を考えていた。

宇宙を創造していた。

こういう、悲惨なキリスト教徒に、哲学者が多い。哲学はドイツだ。

そういうわけで、もう哲学はしなくて良い。もっとマシな何かをした方が良い。

それこそ、メジャーな分野はしなくて良い。キリストが言うように、マイナーな分野をすれば良い。昔は、「自分のやりたいことをやる」と言う発想があった。それが良い。

自発的な努力から、世界のことは自由に変えられると思っていた。

昔は、意識と経験から環境の変化を分かっていた。

英語は、昔分かっている。ネットの経験とパソコンの知識で分かった。

フランス語みたいなものを作っていた。

宇宙人になっているのは、もっと高い宇宙人になれば、賢くなる。

何故か、知性みたいなものが分からなくなった。昔は、分析の知性があった。