日記に戻る | 2016年4月の日記に戻る

=2016-04-27=

現実を知り(物理)、社会を知り(経済)、論理を知り(数学)、感情を知り(心理学)、世界を知り(歴史)、人間を知り(哲学)、システムを知る(情報)。

そういう、「論理的な知と人生の発見の段階」みたいなことをいつも書いていた。

気づくことから発見していた。気づきから、インフラを変えられるのを分かった。

社会の可能性を分かっていた。奴隷にはしないで、家政婦のようなものを作れば良い。

弁論術から分かっていた。

哲学的な知恵を分かっていた。

社会の変化を分かっていた。この社会が、どう変わるのかを、社会変化として分かった。

社会の実現を分かっていた。

今から、バーチャル・リアリティの世界になる。バーチャルが流行ると思う。

いつも、そのように、論理的に段階を考える。

社会の洞察と、事実や現実を見ることから、世界の可能性が分かると言っていた。

そういう、段階的な知の発展を言う。本当にそれだけの、人生と知の文章だった。

あとは、チャンスや協力から社会を成り立たせていた。経緯を書いていた。

文章を書きたいのは、おかしくない。生きているとは、こういうことを言う。

哲学で作家は多い。不思議と、羊と鋼の森の著者も、文学部哲学科だ。

それこそ、歴史や経済やキリスト教に作家が一番多いし、哲学にもドイツや宗教が多い。

あとは、最近はパソコンで作家が一番多い。ビジネスも多い。それから、何故か作家には馬鹿が多い。斎藤一人のように、中学しか出ていない作家も多い。そういう人間が出来る。自分は、作家に向いている。それこそ、物語が書けないとは言うが、詩人だと思えば良い。

作家には右翼が多い。あとは、ジャーナリストや実業家や宗教家が多い。

それこそ、作家なんか、賢ければ誰でも出来る。あとは、学者や政治家も本当に多い。

頭がおかしいのは仕方ない。こういうものを生きていると言う。書くのを止めると、死ぬ。

それこそ、止めても死んだりはしない。その方が辛いだけだ。

昔は、本当に実業家のように歴史や社会が分かっていた。作家には、そういう人間が多い。

物語が書けないとは言うが、最近いつも書いている。

それこそ、作家には最近になる人間が多い。狂って、意識で全て分かる。作家には、そういう、全て分かっている馬鹿が多い。本当に宇宙のことが全て分かっている作家が多い。

ただ、作家には賢い人間が多い。馬鹿は居ない。これより賢い人間が作家が出来る。

ドラえもんは賢くない。藤子不二雄なんか、馬鹿なストーリーを本当に書いているだけだ。ただ、藤子プロは悪い。藤子の名誉を傷つけている。それこそ、藤子プロなんか、金が欲しいだけだ。金儲けが一番悪い。ただ、ドラえもんは、まだ物語としては賢い方だ。

そういうわけで、結構オープンソースは悪くない。金儲けの方が悪い。ビルゲイツなんか、何もしていない。帝国主義列強が世界中を植民地にしたのも、金が欲しかったからだ。

ドラえもんの研究でもすれば良い。ドラえもんなんか、のび太とドラえもんと友達が、ドラえもんの道具の力で遊んでいるところで、ハプニングが起きて、大冒険になるだけだ。色んなピンチが起きて、それぞれが頑張って、エンディングを迎える。ただ、そのエンディングが結構馬鹿なのがドラえもんだ。藤子なんか、そういう風に書いているだけだ。

自分も、パクって書けば書けるように見える。ただ、自分は発想が未熟だ。馬とイノシシの物語とか、そんな発想しか思いつかない。誰でも、ほとんど同じにすれば書ける。

あとは、言うとつまらないが、藤子は、ハプニングと言うより、本当にその世界と出会う内容しか書いていない。ロボットで遊んでいるところに、本当のロボット戦隊と出会う。雲の都市を作って遊んでいるところに、本当の天界人と出会う。それで、出会ったものからその世界を知って、その世界でヒーローになったり、敵を倒したりする。

自分も、それをパクって書けば良い。それは、パクリに見えない。考えたように見える。

小説を10ページ書いた。結構良く書けたつもりだ。

(後日注記:小説は全てが見える地図からご覧になれます。)