今日も農園に行ったが、分かったことはあまりない。
小説をシナリオだけ最後まで書いた。あとは、膨らませれば良い。
母親が、「まだ最初の部分を読んだだけだけど、面白い」と言っていた。
昔は、経済モデルのようなものを書いていた。
アルバイトから一体型組織のようなものを、モデルにして作っていた。
自分は、小説家になれば良い。何故か、ドラえもんの映画より賢い。
あとは、あらゆる考え方を書いていた。手段、機会、影響力、作用など、考え方を書いた。
面白い小説になったからそれで良い。あとは、もっと小説を書いた方が良い。
あとは、物理的な「分かる」の内容や、具体的な社会のことを書いていた。
小説は、むしろ、25ページのままの方が良い。そんなに増やすと、皆、読めなくなる。
もっと小説を書いた方が良い。そのためには、さらに色んなことを分かるしかない。
自分は、いくらでも文章を書いて、積み重ねたのが賢い。そのせいで楽に書けるようになった。ただ、それが辛いのが分かっていない。辛いから、もう止めた方が良い。
楽にはならない。むしろ、最近は書いた方が楽なのが自分だ。
自分は、色んなもの全部になりたかった。そこが一番おかしかったのが自分だ。
アリストテレスは、実地的に考えていない。経験的に考えているだけだ。
もっと、アリストテレスのように考えれば分かる。
あとは、この小説なら、自分が哲学者に見える。それで誰でも昔が分かる。
自分は、詩が昔の男で、小説が今の女に見える。
ただ、賢くは無い。良いものは書けたと言うが、四日で書いた文章だ。出版は難しい。
小説は、情景を増やすのも良いが、面白い部分を増やすことにする。
最近は、怖いのが精神に染みついている。それを浄化すれば楽になる。
小説を増やして、章立てした。本当に良い作品になったから、満足だ。
ドラえもんは賢くない。子供だから遊んでいるだけだ。遊びと夢と冒険を考えている。
それこそ、自分はそういう風に考えないのがおかしい。作品をどうすれば良いか、普通に考えれば良い。最近、そういう、「普通に考える知性」が無くなっている。
パソコンにも、テレビにも、家の外にも、学校にも何も無い。あるのは、自分の家と家族だけだ。その中で考えれば良い。「何が何だから何だ」と言うことを考えれば良い。
あとは、本にも何も無い。本は、これ以上読まなくて良い。
家族と自分のしていることしかない。それだけにすると分かる。考えて知れば分かる。
ヘーゲルのような、相対的な知、社会、視野の広がり、成長、経験を書いていた。
主に、それを書いている。何を知って、考えて、分かるか、のようなことを書いていた。
そろそろ小説の筋書きは完成した。あとは、情景を書くだけだ。
もっと沢山小説を作った方が良い。それを出版すれば良い。
小説は、未知の世界との「出会い」だと思えば書ける。
きちんと考えると、出会いから書くのは当たり前だ。出会いから人生を書く。
神やマスターのような人間との出会いを書くか、歴史や異界との出会いを書けば良い。