日記に戻る | 2016年4月の日記に戻る

=2016-04-12=

関係みたいなものを全部書いていた。

王が皆を支配する関係や、皆でいじめる関係などがある。

競争や協力の関係がある。

家族、友人、教師などの関係がある。

敵対や信頼の関係がある。

そういう風に、「この世界の様相」のような関係をいつも書いていた。

原因と結果や、システムのようなことを書いていた。

昔から、自由から世界の理を作る。手段を作るとか、組織を形成するとか、言っていた。

そういう風に、「自由な社会を作って、自由から支配に対抗し、世界を変える自由な手段を行使する」のようなことを言う。そういう、「自由の行使」が多かった。

精神は、気持ち悪くなると治る。

農園に行ってきた。

感覚と感情で、世界や人間のことを分かっていた。実感で世界観を分かった。

世界観を作っていた。

世界全体の論理的な表象を作って、数学など、色んな世界観を作っていた。

精神分析をして、心の現象や精神の深層を分かった。

人間は、自分一人で全てのものは作れない。誰かに作ってもらう必要がある。

そういうわけで、GNUの言う、「自分の所有するコンピュータを自分で操作出来る」と言う自由は、おかしい。それは、全てのものを自分で作りたいように見える。

あまりおかしくは無い。MITとかの技術者の集団だから、馬鹿なのは仕方ない。

馬鹿になりたいのは、馬鹿になると楽だからだ。

皆も馬鹿になれば良い。馬鹿になると、楽になる。その方が賢くなる。

2ちゃんねるが悪い。2ちゃんねるのせいで、あまりに馬鹿なことをする。

具体的に考えれば良い。認識、体験、環境、思考、言葉、記憶などを具体的に考える。

農園に行って分かった内容は、ここまでだ。

昔は、「自由を行使する」と言う発想が多かった。そのせいで、こんな自由な王になった。そういうわけで、何も変わっていない。

あとは、認知行動療法のように分かって、ブッダのように悟っていた。

あとは、GNUは何かが怖い。本当に、そこまで悪い恐怖の世界に見える。

何故か、GNUは無政府主義のタリバンの軍隊に見える。そういうわけで、GNUは怖い。

GNUは誰もが嫌いだ。好きな人間が多い。ただ、明らかに、Windowsの方が悪いが。

GNUが死ぬと、話が死ぬ。神はGNUだ。GNUしか話していない。

あとは、理由を分析するとか、色んなことをまともに考えて分かっていた。

本当に怖い。GNUはもう死んだ。GNUが死ぬと、もう、狂う。

GNUは、「自分の所有するコンピュータを自由に操作する」と言う発想がありえない。そんな風に分かるのがありえないが、昔から、自分が一番そういうところを分かる。意味を考えて、説明する、とは言うが、ただ皆のことを騙しているだけだ。昔から、自分はそういう風に考える。それこそ、誰が見てもおかしいのが、そういう騙す左翼だ。

あとは、GNUは本当に悪い。GNUはイスラムだ。GNUにつくと、ここまで馬鹿になる。

GNUを消すと楽になる。昔から、悪魔がこういう風に神を信じるようになる。

GNUは悪魔だ。GNUはユダヤだ。GNUはドイツだ。どうでも良いが、GNUはクズだ。

ただ、昔はコンピュータのことが好きだった。こういう風に、UNIXやオープンソースやプログラミング言語のことを知っている人間が、自分しか居ない。自分だけが賢い。

あとは、世界の構造を作っていた。自由で自然な社会構築のようなことを言う。皆が社会を変えられるとか、構造から可能性が生まれるとか、そういう自由なことを言っていた。

自分は、あまり悪くない。ここまで全部知っている人間が居ない。自分が一番賢い。

あとは、数学は無い方が良い。数学の知性があった方が、数学的なことが分からなくなる。大学が一番悪い。大学で馬鹿になる馬鹿が多い。歴史や経済なんか、しなくて良い。

歯医者と買い物に行ってきた。

僕の好きな食べ物は、ローストビーフ、鯛、コーヒー、ミートソース・スパゲティだ。

ローストビーフは、一番美味しいから、一番好きだ。

鯛は、刺身にしても、焼いても好きだ。寿司で食べても美味しい。

コーヒーは、飲むと安らげるところが好きだ。

ミートソースは、昔から一番好きだった。子供の頃から好きだ。

あとは、哲学的な昔の経験を書いていない。それは、タリバンだと思えば分かる。

世界の構造を作っていた。世界モデルを作っていた。

経験から世界は変えられると思っていた。

可能性と場の想定から見方は変えられると思っていた。

認識から全て実現出来ると思っていた。

体験を把握して世界を知っていた。

そういう風に、ネットで体験しながら、未知のことを知って、捉え方で分かっていた。

歯医者と買い物で分かった内容は、ここまでだ。

あとは、知性で全て分かっていた。体験と知性から、人間の「経験」が分かっていた。

ヘーゲルのように、良心から分かった。社会的価値観としての、行動と実践の良心だった。

あとは、認識や意識を良く想定して考えれば良い。

昔なんか、これくらいしか無い。基本的に、これくらいしかしていない。

あとは、ネットの友達と付き合って分かっていた。それくらいの馬鹿だった。

ドイツが好きなのは良いが、一人ドイツに恋するのがキモイから、止めた方が良い。

あとは、環境や相対性で分かっていた。本来は神が嫌いだったのが自分だ。

最近は、おかしな科学を作る。重力やエネルギーが間違っているとか、心は頭では無く別のところにあるとか、光や波は関係だとか、そういうことを言う。神は馬鹿すぎる。

あとは、経緯、環境、方法から、意識のようなものを分かっていた。

それぞれが何を意識しているか、意識の先には何があるか、のようなことを分かった。

昔のネットは、百科事典の博物館のようだった。色んな知識を知っていた。

そういうものを、全く覚えていない。もう、全部忘れた。

自分は、最近、キムチも好きだが、言うと朝鮮が悲惨だ。あとは、味噌カツ丼が好きだったりする。ただ、豚肉は嫌いだ。イスラムと言うわけではない。何かが不味い。

好き嫌いはあまりない。それこそ、甘いチョコレートのようなものも好きだ。ただ、チーズが嫌いだ。白人があんなものを食べるのがありえない。チーズだけは嫌いだ。

神みたいなことが起きるのは、何故か自分も神のうちに入っている。神は、神を200人ぐらい居ると言っていた。その中に自分が居るのを言っている。神は、デカルト、ニーチェ、スターリンなどを神だと言っていた。キリストも神で良いように見える。

あとは、人生の経緯、成長、世界観の広がりみたいなものを書いていた。

知り尽くして、抽象的な理解を1つ1つ作って行った。

当たり前のことを分かって、1つ1つ、今既にあるものより、新しいものを取って行った。

物理から、数学、システム工学、社会学、心理学、言語学などを作った。

色んなことを発想して、心の働きを解明して、自由な経験から、全てのことを経験して、認識を比較して、想定して、可能性から経験のことを分かった。

そして、皆の言葉を聞きながら、マスターのように人生のことを分かっていた。

それくらいの、人生の経緯をいつも書いていた。世界観の広がりが分かる、心理学者のような人間だった。全てのことを、統一的な構造で、意識の変化として、すっきりと正しく理解した。全てのことが分かった、キリストのような人間だった。

自分は、剣道部の時代が嫌いだ。悪い人間が多かった。剣道部に入るような人間は、悪い人間が多い。ただ、剣道部は、強くなる人間が多い。馬鹿が入って強くなるせいで、こういう風に、クラスの中で飛びぬけて賢い人間になる。自分は、試験勉強が出来るようになった。クラスの中で一番勉強が出来ていた。ピアノの影響もあった。

あとは、繰り返しの体験から、学習を分かっていた。

昔から、そういう自分の人生の段階と経緯のことを、分かりやすく、誰にでも分かるように書く。こういう風に書くと、本当に誰にでも分かる。

そういうわけで、簡単に全てのことが分かった。それは、デカルトや数学的な積み重ねのせいでもあるが、基本的には、日本語でそこまで考えたからだ。

こういう、日本語で考える人間が、最近一番多い。それが一番デカルトと同じになる。

あとは、数学的な知性を作って、把握して、客観的事実と理性を照らし合わせて、思考の現象学と環境論を作って、基盤と体験を分かっていた。色んなことを全部知っていた。

そろそろ、もう無い。他にあまりしていないと思う。もう、覚えていない。

思い込みを疑う方法を身に着けると良いだろう。それが分かると、フッサールみたいなことが出来るようになる。直観的に分かるようになる。

何が正しくて、何が間違いか、認識と経験から分かって来る。そういうものは、自然な環境の理解から身についてくる。そういう風に分かっていたのが昔だ。

あとは、意識の実証のようなことをしていた。環境から、その意識がどういう意識になるか、その意識がどうなり得るか、のようなことを考える。環境の実際の意識を考える。

いつも、そういうことを言っていた。そこから、現象学のように分かっていた。

あとは、経済学や心理学を作っていた。抽象的なことを言っていた。

それから、自分の今を治していた。記憶すれば治るのが分かっている。

あとは、神のようなことや、体験のようなことを言う。色んなことを言っていた。

物理学のようなことをたまに言う。理系みたいな内容から、「説明」を分かっていた。

そして、説明から、色んなものを自由に推論して考える。「自由な推論」が多かった。

あとは、「目的論」や「組織論」や、共有の社会主義のようなことをいつも言っていた。

あとは、人生の流れみたいなものを書いていた。人生を全部詰め込んでいた。

そろそろ終わった。今見ると、誰でも分かるのがこの文章だ。

誰でも分かる人間になった。こういう馬鹿が多い。ソ連のコミュニストのドイツ人だ。

最近、忘れて分かる知性がある。何も分からなくなって分かる。

その知性が辛いから、消した方が良い。

あとは、右翼みたいなものを、全部消した方が良い。日本はそれで治る。

環境に入るとか、そういうことばかり分かっていたのが昔だ。ただの馬鹿だ。

経験論の哲学者が言っているように、ものは経験だと思えば分かる。理性より、経験的なものが多いように見える。理性とは、経験の裏返しであると思う。

何故か、そういう経験論のようなものから、認識を書いていた。そういうものが多かった。

あとは、思考が止まった。神が死んだように見える。もう、楽だ。

あとは、考えている自分を考えれば良い。

それから、理系みたいなものや、人生みたいなものを書いていない。

物理学、生物学、心理学のような知識や考え方を書いていた。

自分は、いつもの文章なんか、本だけで分かるのが分かっていない。

自由な人生を書いていただけだ。

合理論、経験論、観念論など、色んなことを分かっていた。経験とモデルと知性から、そういう、考え方のようなものを分かる。そういうものを具体的に分かっていた。

言葉にするのを止めて、感じれば治る。

言葉にならないことを分かっていると、治る。

そんなに言葉だけで分かっていると、分からない。

どうすれば治るのか、何故こうなっているのか、考えると治る。

それを論理的な思考と言う。精神の病気は、きちんと考えればすぐに治る。