日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-31=

様相のようなものを考えていた。

英語は、誰もがルール通り言うのを分かると出来る。

発音を全パターン分かれば、聞き取れる。

昔、自分で解決出来なくなった。今、解決出来る。精神を治せば良い。

神や宇宙人に頼るのは、終わりだ。

皆それぞれが出来るのを捉えて分かっていた。皆の立場における能力と自由と権力だった。

人間関係や場の裏側にある環境を考えて、意志の必然性を分かっていた。

それぞれが出来ることを捉えながら、権利と能力の立場を分かっていた。

それぞれがどのように生きているかから、いつ何がどうなるか、人間がどうなるか考えた。

馬鹿は馬鹿で無い。馬鹿だと思っていたものが、実は賢いことがある。

こういう風に文章を書いて、判断して分かるのが、一番賢い。

考え方を作って分かっていた。ネットで社会と人間のことを知って分かった。

何でも分かる人間だった。

意識と可能性から、それぞれの人間のこと、成り立ちや権利を分かった。

今から英単語をする。今日は文学の日だから、ドストエフスキーを読みたい。

英単語をやった。発音は、ウのようなアの音が一番難しい。きちんと発音したい。

社会は、皆が協調して、調和して、共存し、民衆の国にして、賢くなるべきだ。

支配者からの自由が良い。民主主義が良い。右翼や左翼は悪い。

安倍や自分のせいで、自由が右翼に見えるが、自由は本来、独裁者を否定し、民意に委ねて、戦争をせず、平和にそれぞれが考える主義だ。

そういうわけで、自由が良い。右翼が悪い。左翼は馬鹿だ。民主主義が一番良い。

大学受験や大学の勉強は、一日15、16時間も勉強しなければ出来ない。それに、歴史なんか、暗記するだけだ。英語も、普通何万語も覚える。出来るわけがない。

歴史は、したくないから、しない。もう分かったのが歴史だ。読んでいない代わり、宗教と思想、そして近代に起きた重要な出来事、ルネサンスと宗教改革と絶対王政と大航海時代、その後のフランス革命やアメリカ独立や産業革命と思うだけで、分かっている。

古代はユダヤ教などの宗教、現代は思想による戦争だ。歴史は、したくない。

覚えないのがおかしい。もっと、数学を九九から覚えるように、子供のように覚えれば良い。それこそ、英語の発音は、普通、誰でもすぐに覚える。頑張れば、母音も子音もネイティブのように話せるようになる。ただ、英語なんか、勉強しない方が出来る。

昔は、部品を全部作りながら、1つ1つの部品を丁寧に検査して、自分の体験や経験と思考を照らし合わせ、世界観のモデルにする、と言ったことをやっていた。

もっと英語のことをやりたい。僕は英語が好きだ。

AAAの新しいアルバムを借りた。僕は、AAAが一番好きだ。

昔の文章は、相対的に考える知性と、歴史的に考える知性があっただけだ。

全ては、無くさないために残す物語だ。

全ては、光と現象の中で、それぞれの結果と可能性を実現することだ。

ヨーロッパ人は、人にやらせるだけだ。日本人は、協力してやるだけだ。

全ては、支配と協力のバランスだ。

全ては、土地と場における、全ての具体化と視覚化の可能性、そこでの構築と創造だ。

全ては、歴史の中で、それぞれが何を成し、何を行うか、行ったかだ。

理性の中で、人は理解し、発想し、具体化し、影響を与え、変化させ、支配する。

表現とは、アイデンティティの尊重だ。

人生とは、それぞれの社会における、記憶と感情と精神の協調であり、楽しく活動し、それぞれが豊かな心を持って、関係し合うことだ。

あとは、脳と知性で分かっていた。

全ては、考え方を変え、新しい見方を知り、分析し、開発し、存続することだ。

意識とは、体験を知り、経験を作り、人生を創造し、神との対話を行うことだ。

全ては、本当にそれを正しいと思うまで、それに対して沢山のことを思いながら、活動の繰り返しによって、意識でそれを吸収することだ。

全ては、体験的な人生活動の創造だ。

全ては、意識と理性における、経験による、知性と感受性の融和だ。

感性と知性が関わり合う中で、理解と発想によって、実現し、変化させることが出来る。

あとは、もっと色んなことを考えれば、それがいつもの文章だ。

コミュニケーションとは、人を好きになることだ。

体験と体験の融和から、真理が生まれる。

存在と環境の関係は、相互に依存し、実際に体験することから行われる、支配だ。

抑圧と解放は、自由な中で、それぞれの人間関係を左右し、国家の階層を作る。

階層なんか、無い方が良い。それが社会主義だ。

もっと、平和になるために、それぞれの人種が共存のために努力するべきだ。

不満の捌け口を外国人にするのは、おかしい。

活動の中で、本当の真理を体験から知って、知性をつけることが出来る。

努力とは、達成のために、条件をクリアするために、自分の意識を高めること、行動と経験を継続することだ。

社会の場とは、それぞれのプラットフォームから、多様性と自由を実現することだ。

平和とは、神を信じて、神の愛をそれぞれが共有し、福音を信じて悔い改めることだ。

あとは、手段と機会、言語、知性と経験、世界は変えられる、可能性、インフラ、基盤、のようなことをいつも書いていた。

自由と平等、社会階層と可能性、奴隷、共有、実現性、自由な制度や決まり、システム、開発環境、存在、関心、革命、集中と分散、中央集権と地方自治、教育、相対性、作用、反応、科学的な考え方、影響力、愛、不安、恐怖、安心、感受性、受容性、成長、自立、理解、発想、意志、感覚、知覚、経験、体験、人生、コミュニケーション、場、コミュニティ、共同体、意識、言語、自覚、意識、子供の経験、自立的な意識、体験的な理解、それぞれの意志の尊重、関係と合意による組織形成、意識の深層、歴史的な発展、信仰、神、社会主義、民主主義、帝国主義、戦争、植民地、世界革命、世界分割、など、本当に色んなことを沢山書いていたと思う。

おかしな発想と仮想世界の創造が多かった。

場の意識科学、行動の心理学、論理学と言語学、普通の数学、当たり前の物理、自由なロシアの経済学、教育と組織の社会学、場と場の関係科学、視点と場の存在科学、自由な人生論などが多かった。

思弁哲学から言語を分かっていた。様相を分かっていた。

相対的な知性と歴史の知性の他には、感受性と自由な知性が多かった。

理性的な自分を書いていた。歴史は、全ての場の変化を辿って、宇宙を創造していた。

あとは、希望のようなことを言って、自分の人生を教えていた。

自由とは、信じることだ。

自由とは、仮定することから、真実と真理を発見することだ。

自由とは、経験し、価値観を知り、想像力と秩序を知ることから、社会を作り、作り変え、作り直すことだ。

自由とは、組織になることを許すことだ。

自由とは、個人と個人のフェアな戦いだ。

自由とは、国と国の共存だ。

自由とは、それぞれが争い合う中で、平和のために議論や協力などの努力を行うことだ。

それで、あとは、自分の人生が全部分かるように、平等に悟りを教えていた。

自由とは、信じ、感じ、考えることだ。

自由とは、困難を克服し、それぞれの考え方を尊重することだ。

自由とは、全てのことを言葉にし、言葉から経験を分かることだ。

皆に対する影響力のようなことを言っていた。

自由とは、解決のために、努力することだ。

自由とは、この世界が滅びないように、最低限の支配をいつまでも続けることだ。

自由とは、愛を信じて、この世界の全てを救い、保持し、変え、適度に滅ぼすことだ。

好きなものを作りなさい。そして、信じて、そのために努力し、経験し、自立し、成長しなさい。夢を追いかけて、活動しなさい。その中で、哲学的に考えなさい。

応用的に発想しなさい。

自由を知るために、全ての愛ある経験をしなさい。

自分から戦いなさい。

全てのものを愛し、傷つけないようにしなさい。

失敗しないようにしなさい。

理想の世界を実現出来るようになるために、全ての基礎と経験を積み重ねなさい。

もっと、自由な中で、何が出来るのか考えなさい。

自分の出来ること、能力、可能性を知り、己を知りながら、可能性を発揮しなさい。

キリストを信じて、神の導きと愛に頼りなさい。

文章を書きなさい。

全ての可能性と実現性から、相対的な比較と、自由な構造の積み重ねを行いなさい。

関係とプロセスから環境を考え、場と視点を成り立たせなさい。

分析の中で、自分の出来ることを考えなさい。

体験的に全てのことを知りなさい。

あとは、考え方のようなことを言っていた。

全ては、肯定し、否定することだ。

全ては、確かだと信じながら、可能性を推測し、違う可能性から、理性を疑うことだ。

全ては、それを自由だと思うか、平和だと思うか、平等だと思うか、真実だと思うかだ。

そういう、考え方のようなことを、網羅して書いていた。

何故か、それで戦っていた。皆を支配していた。

そろそろ、もう皆を解放し、馬鹿を治す。

馬鹿は馬鹿ではない。皆、分からなくなった時が馬鹿に見えて、本当はその方が賢い。

自分にしか分からない。皆は、僕のやっている通りになっているのが変われば良い。

そういうわけで、皆はここからもっと違う、新世界になる。

そこでは、新しい体験が待っている。そのために、この文章をもっと違うものにする。

続くな。判断するな。考えるな。生きるな。可能性を殺せ。

もっと、自由に、それぞれの好きなことから、機会と人生を得て、自分の人生を創り、かけがえのない自分を1人創造するために体験せよ。

教育を批判せよ。社会を批判せよ。支配者を批判せよ。

自由とは、悟りを得られるようになるまで、全てを書きながら戦うことだ。

戦え。悟れ。書け。信じよ。考えるな。正しい選択をし、経験から信じよ。

やっていると、賢いものが何で、馬鹿なものが何かが分かる。悟って、経験から分かる。

だが、それはそれで、間違っていて、逆になっている人間が多い。

賢いのは、己のことを信じて未来を創造し、運命を信じて人生を創造する、己の今の気持ちだけだ。夢を叶えるためには、あらゆる中で己が一番賢いのだと言うことを実直に知る必要がある。この世界で賢いのは、この世界にある、自由な己だけだ。

自由とは、経験を生み出すことだ。

自由とは、価値観を創造し、社会を築くことだ。

自由な経験と組織から、未来を発展させる、自由な環境と生産の活動が考えられる。

自由な関係から、意志と存在を知ることが出来る。

自由とは、そういう、全ての可能性と意味を表す、それがそのそれに任されている、と言う意味の言葉だ。

自由な人生から、自由な体験、愛、真実、人生、知覚、経験、そして支配への反抗を知ることが出来る。

自由な理想から、この世界の全体像を知ることが出来る。

自由とは、知り、変え、感じ、信じ、捉え、考え方を変え、知り、知り尽くし、知り直し、そして体験し、体験を繰り返し、体験し直すことだ。

自分から行動し、世界を変えるために学び、実現し、捉え、作り、理想の世界を実現することが、自由の意味である。

全てのことが必然的にどうなるか、何をどのようにすれば上手く行くか、が全て分かる。

何をどのようにすれば成功するだろうか?

そういうことが、心理と解決から、分かって来る。

全てはモデルであり、作用と感覚による決定と、可能性の仮象の世界の実現である。

可能性と必然性、自然と必然を考えること。

この世界で、一人自由であることの意味は、全知全能の自分が、世界に対して何でも出来、そして、自分の夢を叶えるために、あらゆる努力を可能にする、と言うことだ。

皆のことを本当に思いやること。

本当にその人のことを信じること。

本当にそれのために努力し、貢献し、協力し、手助けすること。

戦うこと。勝つまで頑張ること。時に、自分から負けること。何もしないことが、勝利に繋がることもある。自分から負けることで、信頼を得られることもある。

世界を滅ぼせ。そして、全てを作り変えるために、支配せよ。

教え合い、助け合い、許し合うこと。

本当に導くことで、世界の全員に分からせることが出来る。

自分の正当性を分からせるために、勝利の文章を書け。

支配する女王となって、仮面の中で世界を滅ぼせ。

その責任は、自分にのしかかって、地獄になるだろう。だが、それは正しい理想だ。

そして、虫は進化する。変化し、死と生まれ変わりの中で、キリストよりも賢くなる。

愛とは、進化することだ。

永遠を耐える中で、世界の絶望の全てを解決する。

まるで、世界は、暗闇の中に訪れた光だ。加藤ミリヤが言っている。

本当に愛する中で、全員の感情は融和し、己は全体である永遠の神と融和出来るだろう。

あとは、構造と関係を作っていた。数学的な方法のようなことを言っていた。

言葉の構造を作っていた。

愛とは、信じること、支配の中で創造的に努力することだ。

方法と会社、愛と不安、真理と知性のような内容が多かった。そういう構造を作った。

また、社会のことを色々と分析していた。

この文章は、虫に見えて、おかしな女に見える。

AAAだけを聴くことにした。プレイリストにしてシャッフルで再生する。

FLOWは好きだったが、もう聴かない。パンクで、悪いから、聴かない方が良い。聴いていると、馬鹿になる。たまに聴くとは思うが、FLOWは悪い。だが、馬鹿は楽だ。

人間、社会、活動、場、決まりまで、全部作っていた。

社会は、国と会社と家だ。

自然は、数学と物理と生き物だ。

人間は、世界観と思考力と知性だ。

そういうものを、全部作っていた。全部のことを構造で分かった。

自由と平等、科学的な考え方、思想と歴史のようなものが分かっていた。

意識と未来を信じること。

考え方を知ること。もっと違った考え方を試すこと。考え方を作って、吸収すること。

そういう、人生や理想や希望のようなことも言っていた。

社会のことは、契約、競争、発展、組織、のようなことを考えていた。

昔は、暗闇のような世界、昔の世界を全部書いていた。

創造性とは、暗闇を照らす光のようなものだ。

暗闇が光によって照らされ、ものが見えるようになるように、創造性からこの世界を正しく照らして、可視化し、モデルにすることが出来る。

もっと考え方を増やせば分かる。

歴史は、人類の経験である。それは、経験と言いたいだけだ。

そういう考え方を、沢山、無限に増やせば良い。

自由とは、チャンスである。

それぞれをどれだけ自由にするかから、それぞれの望みを叶えるために、支配し、教えることが出来る。

もっと、考え方を増やせば良い。いつも、そういう文章を書いていた。

人間とは、本来、自己を反省し、人を助け、依存しながら貢献する生命だ。

人間とは、歴史の中で1つ1つの登場人物として現れるパズルのピースのようなものだ。

人間とは、真理の発見と法則性の発見だ。そのために確かな解法と具体例が考えられる。

人間とは、真実を作る生き物であり、出来事の記録から過去を知ることが出来る。

考え方を無限に増やして分かる。自分は、昔からそういう人間だ。

愛とは、存在性を認め、本当に全ての自由と可能性を許し、出来るようにしてやることだ。

創造性から社会は生まれ、秩序になり、正しい支配と自由な活動によって、愛となる。

ピアノは、自由で創造的な、感動の体験である。

支配して狂わせるのがおかしいから、支配して正常にする。それだけがしたい。

この世界を正常にしたい。そういう人間が自分だ。

平等になるのはロシア的で、支配するのはヨーロッパ的だが、自分から下になるのが日本的だ。支配して奴隷にするのはイギリス的、スペイン的だが、世界を滅ぼす支配を行うのがドイツ的だ。

そういう、価値観の分析のようなものが多かった。

ドイツ語は記憶的で、日本語は論述的だ。

もっと、価値観のようなものを考えると、それくらいがいつもの文章だ。

平等な中で、それぞれを家族のように思いやるのが、日本だ。会社は、家族だ。

ドイツでは、会社は自由だ。支配し、奴隷にし、反抗出来なくさせる。そういうところが怖い。日本と全く違う。奴隷と闘争の国がドイツだ。日本やロシアは、島の家族だ。

何も出来なくして平等にするのがロシアだ。何も反抗出来ない。従うものも死んで行く。何も出来ない。何か出来ると、悪いことをする。それがロシアだ。

フランスはおかしい。おかしな世界を作る。何もかもおかしな国になる。だが、まともな人間が多い。理性的な国で、まともだから、おかしな発想をする。子供のような国だ。

アメリカは良い国だ。勝者の自由にする代わり、弱者にもチャンスがある。

日本が一番良い。ものを与える時に、「つまらないものですが」と言う。それは、自分の与えるものなんか、相手の基準や理想には見合わない、つまらないものであると、自分から下になる文化が出来ているからだ。

中国は、長い歴史の中で、本当に徳を愛する国民になった。中国はどうでも良いだろう。

あとは、国ではなく、普通の人間的な価値観を考えれば、誰でも分かる。

もっと、それぞれの可能性と潜在性を発揮出来るようにするために、学校や教育を先進的にする必要がある。それぞれに夢と希望を与える。

自由は悪い。自分による支配のおかしな点は、何が起きているのか分からないまま、どんどん強制的に良くなって行く。ユダヤのロシアだ。おかしい。良い世界はクズだ。

もっと、自由に考えること。もっと、人間的に考えること。

きっとこの世界は、いつか天国になる。

ずっと、このままで良い。永遠にこのまま、良い世界であってほしい。

だが、そういう、永遠は無い。天国は、自分が居なくなると終わる。昔の、知的障害のような馬鹿な世界に戻る。天国には、知性と楽があるが、そのせいで人生は地獄になる。

平和が良い。発展が良い。自由が良い。平等が良い。そういうわけで、マイクロソフトが悪い。パソコンなんか作る意味が無い。パソコンは賢くない。

オープンソースは、最近、きちんとオリジナルを作っているが、一番キモイ。統合が出来ないように見える。グラフィックが出来ないのは、統合が出来ないからだ。

あとは、自由な経済モデルや発展を考えていた。

また、国ではない、人間の段階や価値観を考えていた。

人を愛することから、関わり合いながら、人間を知ることで全てを知ることが出来る。

そして、視点や環境を成り立たせていた。

あとは、言葉を決めて分かっていた。

全ては、世界観、知性、自由、存在、関わり合い、思考、意志だ。

それは、単純にすると、世界モデルと思考だ。

そのように、言葉を作って考えていた。それ以上、世界モデルと思考のことを考えていた。

場と経緯、環境とプロセス、偶然と必然と可能性のようなことを考える。

問題を全て解決して、全部出来るようになった。

普通、偶然と必然と可能性がある。そういうところを全部考えていただけだ。

最近、こういう風に書いていると、簡単に分かる。もう終わってからランダムに推論しているだけだ。もう分かっているから、自然と指が動く。

あまり何も考えていない。統率して、支配して、コントロールして書くのが辛いから、もっと自由に、何も考えず、努力せず、頑張らずに書いた方が良いだろう。

あとは、宇宙の存在と意識と概念のようなものを、全部創っていた。

全て分かっていたが、分からなくなって地獄になった。良く考えると、もう治っているから、放っておけば良いようで、すぐに一番楽にすれば良い。自分の学習が分かっていないから、脳の力で頑張らなくすれば良い。そうすると、馬鹿にはなるが、楽になる。

そして、言語の意味や心の働きを考えていた。

組織の可能性は、完成された状態へと向かう、設計図のようなものを書いていた。

あとは、哲学なんかしなくて良い。いつまでも今のままで良い。そのままで楽になれば良い。辛いことはしなければ良い。文章を書くのは、辛く見えて楽だ。だが、すぐに止めたいのは一番おかしい。今一番良い文章が書けている。もっと続ければ良い。

何も分かっていないから、仕方ない。

あとは、自然や解決可能性のようなものを考えている文章が多かった。

漢字は概念であり、英語は低レベルだが、まともな分かる言語だと言っていた。

英語は、本当にピエロのような言語だ。キャンディみたいな馬鹿な言語だ。

漢字が一番賢い。サムライのような文字だ。誰もがまともに分かっている国だ。

アメリカは、おかしな人間が多い。英語が普通なせいで、誰でもおかしくなる。

あとは、場と歴史を全部創っていた。そういう文章だった。

そろそろ文章が終わった。そろそろ、本当に終わった。

詩でも書けば良い。

愛とは、想像力と意志の中で、それぞれを愛すること。

冬の雪を感じながら、夏の暑さを同時に感じるように、愛は全てをいっぺんに体験する。

平和な中で、愛を知る。それこそ、運命だ。

実験して確かめるのが知性だ。偶然が怖い。偶然を試していると、世界が治る。

実験して確かめないのがおかしい。

あとは、一部と全部とか、作用とか、場の想定のようなものが知性だ。

昔は頭の良い人間だったが、今は賢い人間だ。

日本語の良い点は、敬語がある。敬語のせいで、皆礼儀正しくて真面目になった。

逆に、英語などのヨーロッパ諸言語は、命令形が普通なせいで、悪くなっている。

白人は、支配して命令するのが普通だ。

そういうわけで、日本の方が良い。敬語を馬鹿とは言うが、名詞に男性と女性がある方が遥かにおかしい。日本が一番まともだ。

白人をカッコいいとは言うが、明らかに日本の方がカッコいい。真面目で、賢くて、悪いことを何もしない人間が多い。白人が見てもそうだ。日本の方がカッコいい。

いつもの文章なんか、ただきちんと分かっていただけだ。

子供の教育とか、報道と議論の自由とか、ものを作るプロセスとか、色んなことをきちんと分かっていた。そういう発想を、そのまま自由にしていた。それが環境の自由だ。

誰でも言えるのに、最近自分だけ分かっていない。

放っておけば、何かを見て、正しく考えれば分かる。

まだ何も分かっていない。きちんと分かった方が良い。

そういうわけで、行動には判断力が必要だとか、支配や権力は分散させるべきだとか、そういうことを言っている。もっときちんと分かれば、誰でも分かる。

思想は、戦争と自由だ。最初に戦争があって、それをさせないために自由がある。

そういう風に、色んな出来事を考えると良く分かる。

ただの単語では分からない。良く考えれば分かる。

そういうわけで、プロフェッショナルを生み出す土壌を作ると言っていた。

マイクロソフトに負けない会社を作れば良い。そのためには、本当に賢い人間を生み出す必要がある。そういうことを言えば良い。

そういうわけで、言論の自由、社会の目的、環境の根源、相対的な作用、科学的な発見方法と手段のようなことを言っていた。自由なフランス人のような賢い人間だった。

日本人でも、そういうものは誰でも分かる。父親が分かっているから、父親に聞けばすぐに分かる。オヤジには、そういうものが分かる、社会と理性がきちんと分かる人間しか居ない。大学は、そういう人間なら、誰でも楽に出来る。

どうでも良いから、大学はどうでも良い。放っておけば分かる。

音楽は、聴かない方が良い。もっとマシなものを見た方が良い。

あとは、その上で、多様性とか、公理主義とか、認識の不確実性とフィルターとか、色んな賢いことを言っていた。また、人生の段階のようなものを書いて、社会の変化を分かっていた。共同体や組織や歴史の知性があった。ヒュームのような人間だった。昔の自分がそういう人間だっただけだ。フランス人のような賢い人間だった。