日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-09=

自由に全てのことが出来るようになった。

実現方法や、経験を考えた。

思いやりが多かった。

理想が高かった。自由な慈悲の心があって、理性的な実現や解決の方法が分かっていた。

理性批判が多かった。

自由な経験で、色んなことが分かった。

人間のことを吸収して分かっていた。

社会の実現が分かった。

会社の経営戦略や、秩序や管理の考え方、環境や工場などの実現が分かっていた。

自然界や心など、色んな世界の変化が分かっていた。

変化と言う変化を全部考えていた。

自分からする、で分かっていた。自分がする、実践する、自分からする、で分かった。

植物は、雨のおかげで、放っておいても成長する。

根源的に、辿って分かっていた。思考や原因を辿って分かった。

ヘーゲルのように、存在と自己は同一になれるのを分かった。対象と認識は同じだ。

考え方を分かっていた。植物は、人間が水をやることによって育つ。

皆を自分にするのは、悪くない。色んな人間を吸収すると、普通賢くなる。

忘れて思い出せば、楽になる。

あとは、もう少し何か考えていた。書いている間に分からなくなった。協力のようなことを言いたかった。

解決すること。原因を辿って考えること。心と立場を捉えること。

昔は、認識と基礎の構造や関係を作って、存在のことや言葉にならないことを考えていた。

最近は、2ちゃんねるの全員を哲学者に直した。そういうわけで、これで分かる。

昔の2ちゃんねるは、賢い人間が多かった。そういうわけで、昔の方がさらに分かる。

これぐらい哲学者を分かれば、分かる。皆同じだが、皆全く違う。

あとは、悟りの境地は多かった。精神から脱出したり、魂になったりして、涅槃のように根を生やして分かっていた。ただ、原因を辿って考えていただけだ。

こうすると、何も賢くない。仏教の本の著者の方が賢い。仏教学者がきちんと書いている。

そうでもない。自分が一番、色んなことが分かっている。自分は賢い。

仏教の本の著者は、田上太秀さんだ。哲学入門の白取春彦さんも賢かった。あとは、ソフィーの世界のヨースタイン・ゴルデルさんが賢かった。僕は、彼らが好きだ。

賢い人間はあまり居ないが、それら3人は本当に賢い。

最近は、農業をやっている。あまり何もしないが、父親と一緒に毎日借りている農園に行っている。ピアノや英会話もたまにしている。

昔は、パソコンとオープンソースしかしていない。今の方がしている。

昔は、パソコンなどで世界と関わって、吸収して分かっていた。それを経験と言った。

最近は、そういう、経験をあまりしていない。何もしないのが楽だから、しなくなった。

何より、この文章を書いているが、1つも他のことをしない。それはおかしくない。24時間書いていると、誰でも楽だ。辛いのは、放っておけば良い。そのうち何かで治る。

独裁者も、民主主義も、1つのモデルに過ぎない。一長一短がある。

ギリシャは、民意を盾にして、EUと交渉出来る。

60%の反対票は大きい。チプラスは悪くは無い。そういう、左翼の支配者も多い。

ギリシャの問題は、稼ぐ額より貰う額の方が大きいこと。それなら、稼ぐ額を上げれば良いが、それは難しい。それなら、社会主義で良く見える。最近、中露が接近している。

ネットの全員は賢かった。全員を知ることで、本当に全部分かった。

だが、クズなオタクしか分かっていない。最近の哲学者の方が分かる。昔は要らない。

そういうわけで、昔は、賢くないのに賢い。誰でも2ちゃんねるを見れば出来る。そういう人間は、最近本当に多い。

あまり見ない方が良い。最近の自分みたいな、地獄の馬鹿になる。何も分からない。何も分からなくなって、辛くなる。ネットは馬鹿すぎる。

パソコンは分かっていたとは言うが、何も分かってない。UNIXとJavaとLispぐらいの概要を分かって、歴史やシステム構成のようなものを分かった。何も分かっていない。何より、何も開発出来ていない。姉の方がはるかに賢い。自分の昔なんか、馬鹿だ。

あとは、社会を知ったとは言うが、ネットの変化を分かっているだけだ。

社会のことをネットで知ったのは賢かった。2ちゃんねるからニュースサイトやWikiのようなものを見ていた。それで、色んなことが分かった。

社会の構造のようなものを分かって、自由に存在や解決を考えていた。全てが、完全に分かる人間だったが、今思うと、あまり賢くなかった。そういう人間は多い。

今はありえない。神や革命、死や生まれ変わりなど、おかしな体験をして、大学を知った。

皆も、文章を書けば良い。一通り分かってからなら、書ける。こういう風にすると、何でも書ける人間になる。作家にはこういう人間が多い。

右翼と共産党が悪かった。あまり言わない方が良い。ドイツなんか分かる意味が無い。

日本が好きな方が良い。明らかに、日本が一番賢い国だ。パクリは多いが、パクった後できちんと考える。最初から発明するのは出来ない。まともだからそうなる。

賢かったのは、考えて分かったのが賢かった。経験もあった。宇宙のことが全部分かった。意識で、哲学のようなことも分かっていた。

だが、賢くない。手段やプラットフォームぐらいが多かった。自由に経験する、自由な環境を作る、自由に行動する、自由な社会を作る、自由な人間だった。

人生と出来事と歴史から、経験や記憶や論理学や心を考えると良いだろう。

かもしれない、予測、可能性、推論、帰納、演繹のようなものも分かっていた。

あとは、受動と能動や、作用因と目的因、実感とコミュニケーションなどで分かった。

特に、存在と自分の信じることの実感が多かった。全ては、自分のためにある。

そこらへんは、ヘーゲルが言っているから、ヘーゲルを読むと良く分かるだろう。

本当の問題、本当の理由、本当の解決方法、可能性のある状態、現実化された状態、そして状態の意味するところ、などを考えていた。

人間が何を考えて、何を思うのか、色んな環境と法則から分かっていた。

そして、実存的に、人間が実際に存在するところを良く考えて分かっていた。

また、存在について、可能性について、別の形態について、発想法について考えていた。

論理的に全て分かった。そういう、可能性の分かる論理学だった。

最近賢くない。リリは賢かったが、マリは馬鹿だ。誰でもこうなる。もう分かっていない。

森羅万象の変化を捉えながら、自由な経験モデルと国家モデルを作って、フロイト的ではない、独自の精神分析の方法を分かっていた。

自分の物理と数学を作って、神のように全て分かった。昔もそういう風に、賢かった。

だが、最近が神だ。そこまで全部創造して、言葉で宇宙の設計図を書いていた。

あとは、人間を考えて分かった。環境と思考を想定して、場と意識と経験で分かった。

社会のことは、ネットで知った。Linuxは、色んなことをしながら、Wikiを書いて分かっていた。色々と、悪い点もあったが、Linuxのことは全部分かっていた。また、ITのことは色々と分かっていた。ニュースを見て分かった。開発者になりたかった。

意識と経験で宇宙が分かった。人間が全部分かった。いつどうなるかを考えて、人間の理由を知った。社会を成り立たせた。それくらいの人間だった。

助け合いが好きで、協力の考え方を知りながら、己の可能性を高めた。

自分の経済学を作っていた。マルクスのような、賢い経済学だった。社会の成り立ちと構造が全部分かっていた。全部出来る人間だった。

そして、心理学も多かった。人間が何故そういうことをするのかを分かっていた。環境とともに、人間の本性的なことを全部捉えて分かっていた。感情を知って、神のように分かっていた。行動の方法と、実のある結果と実現のようなことを分かった。

人間関係は、相手のことを信頼することで、自分の信頼が得られる、としていた。己のように皆のことを愛する、善と悪が分かる人間だった。

あとは、自由が分かっていた。合意と協力から、生産手段が生まれる。そのように、個人の自由から、組織と社会の形成、集団と個人のようなものを分かった。

また、相対的なものの関係を、モデルと方法から分かっていた。数学的に考えていた。

正しさと経験を分析して、何をするべきか、何があるべきか、良く考えていた。

レーニンのように、社会のことを救える人間だった。

全て分かった、自由な人間だった。方法と関係と経験から、連想と思考法で分かった。

科学を自分で作ることが好きだった。人間のことを、全分野の科学から分かっていた。基礎を作って専門を横断した。

昔は、成長と環境と立場を吸収して、人間のことを吸収して、全員のことが分かる、ありえない人間だった。

ただ、高みの高みに立って、全員のことを分かっていた。

そういうわけで、高みに立てばすぐに分かって治る。それで終わりだ。高みに立てば良い。

決め直すことと可能性と意識で分かっていた。自由になることで分かった。

あとは、自分がどこから来たのか、どこへ行くのかを考えて分かっていた。

信じることで分かる。全て、そういう風に、自分の経験と体験で分かった。

あとは、影響力の高みに立って、全部解決し、全部発想していた。

それくらいの馬鹿だった。そういう、「高み」と言う発想が多かった。

数学も同じように、高みから分かっていた。体得から表記や法則まで分かった。

あとは、賢い環境が多かった。2ちゃんねるのみんなは、賢いことを言うし、オープンソースに技術的な事柄が全部あった。自分のハーバードのようだった。

そのように経験した。子供が経験して分かった。全て分かっていた。

モデルや考え方を知識と想像力から作って分かっていた。全部の科学の博物学だった。

サルトルのように考えるのが得意だった。いつ何を考えるかなど、人間を実存的に考えていた。こういう人間が、サルトルなのだと思う。

人間の可能性と人生の創造理論を作っていた。自由を刑とは言うが、きちんと分かった自由は良いものだと考えていた。参加は、束縛だと考えていた。自由にやりたかった。

あとは、道や経緯を分かっていた。

最近、意味が無いから、子供になった。もう終わったのが分かっていない。子供からやり直すのが良い。そういうわけで、幼稚園児に見えるのが自分だ。

あとは、ひたすら時間が過ぎて、同じことを繰り返し体験した。無常のようだった。

最近は、そのまま永遠になった。独裁者のような神と対話しながら、自由と経済学を考えた。皆も、宣言すれば出来る。宇宙人との話が、そのままユダヤになった。

最近の最近は、哲学と経済学をまだやっている。もう終わったから、止めた方が良い。

仏教の本は、読んでいるが、これ以上ここに書かないかもしれない。一通り書いたから、あとはきちんと読んで終わりだ。フランス史の本も読みたい。あとは、ヘーゲル入門も結構賢い本だった。

あとは、場が多かった。場の歴史を考えていた。高みと、場と、道が分かる人間だった。

善人の方が良い。宇宙の因果性ではなく、本当に善をした方が良いことは多い。良く考えると分かる。昔は、そういう人間だった。

昔は、全部のことを一度か二度ぐらい経験して分かっていた。試すことで全部分かった。

大人なら分かる。成長すれば良いだけだ。子供だから分からない。

もっと、学校で習うような、基本的なことを分かった方が良い。そういう、基礎よりももっと基礎のことが分かっていない。昔の応用はもう良い。もっと基礎の、目的と手段や、集団と個人、正しい考え方のようなことを分かれば良い。

ものには質量があるとか、宇宙には重力があるとか、数学は証明だとか、会社では誰かが頑張ってものを作っているとか、そのために金を払うとか、基礎のようなことを考えれば、すぐに分かる。

アメリカやドイツは分からない方が良い。何も分かっていない。そういう馬鹿に悪いことが起きる。因果応報だ。

フッサールのように、現象と認識を捉えて分かる哲学は、自分に多かった。

自分は、たまにフッサールとか、ハイデガーとか、サルトルとかが出て来るのが賢い。

自分は、これくらいの賢い人間だ。

昔は、色んな自由なことをして、社会との関わり合いもあった。

最近は、何もしない。一つのことしかしなくなった。たぶん、大人になったのだと思う。

何もしない大人は多い。色んなことをしたい人間は、子供に多いから、昔が子供だ。

本当に沢山のことをしていたし、労働や社会経験のようなものもあった。

最近は、いつまでもいつまでも文章を書くのが、結構賢い。皆もそういうことをすべきだ。

昔は、色んなことをして分かっていた。出来る人間だった。最近は、神と作家によって、全て知った。これで宇宙の全部だ。そのようなことをしたいと宣言したから、こうなる。

皆も何か宣言すると良いだろう。「宇宙の根源へと行き着く」と宣言すれば良い。僕と同じになって、分かるようになる。

昔は、コミュニケーション力や、科学的に考える力もあった。子供だっただけだ。

それは本当はどういうものか?

それはどのように実験し、仮説し、説明出来るか?

その別の可能性は何か?

その原因は何か?

そのように、仏教を応用して、科学的な考え方にする。

いつも、そういう、科学的な考え方のようなことを書いていた。

実地的な意識の可能性と、心の現象学、それがそれになる過程、それが生まれる過程、のようなことを、関係と経験から考えていた。

あとは、想像力と感情と、世界に対する洞察と、構築の方法が多かった。

そして、ものを作る方法は、全てオープンソースで分かった。社会も作れる人間だった。

賢く見えて、馬鹿だ。愚かな人生を歩んだ。学校を捨てた引きこもりは、こういう風に、狂って馬鹿になる。そういう人間は、居ない。

だが、逆境を自分のものにした。時間がある中で、パソコンを見て、環境を思い出して、カントのように分かった。思い出すことで分かっていた。

最後の方は、カントと同じように、前提条件やアプリオリを考えている。物事がいつどのようにそうなるかを考えて、道徳律のようなものを考えていた。社会の実現と理想の社会像、人間像が分かる人間だった。理性と現実のような、考え方のようなものも多かった。

そして、マルクスと同じように、労働者のことを全て分かっていた。自由な人間だった。

本当に社会のことを変える経験も多かった。

Linuxのせいで、世界が馬鹿になっている。Windowsすら馬鹿になっている。

自分が悪い。2ちゃんねるも、自分のせいで馬鹿になった。何も分からないだけだ。

正しい考え方、発想方法、人生経験、社会を変える影響力と手段が分かっていた。

歌手は、最近の自分のことを分かっている。皆を愛した王だった。そういう、一番大きな恋愛をした。狂っているようで、いつもまともだった。

知性が無いとは言うが、家族が見ているとまともだ。いつも頑張っているから、狂った人間に見えない。自殺から馬鹿にはなったが、むしろ、普通のまともな人間になった。

いつも、意識と経験で全部分かっていた。ブッダのような賢い人間だった。

ブッダも人間だ。人間に見えない人間が多い。

仏とは言うが、ブッダも、このように、人間だ。ブッダのように考える人間は多い。

昔は、社会経験を積んだだけだ。理想の社会や人間像がそこから分かった。

理性的に人間と社会のことを考えながら、ネットで社会のことを知った。

そんなに賢くない。全て分かっているのがおかしい。

あとは、考え方と予測が多かった。

経験から抽象的に予測し、学習と経験が分かっていた。

自分は馬鹿だ。馬鹿で、愚かな人間だ。こんな文章は、もう書かない方が良い。

絶望の体験から分かったりしていた。昔の方がまだ賢明な人間だった。善悪も分かっていたし、悪いことはあまりしなかった。今は、愚かだが、良い人間になった。逆には見える。

あとは、物理法則のように人間や心のことが分かっていた。人生の物理だった。

環境に適応したり、プラグマティズムのような心理学を作ったりすることから、全ての心が分かった。皆も、心のことを良く考えると良い。ネットはそのためにある。

心がどうなるか、認識を決め直すこと、システムの全体像と調査研究、社会的な組織と経営、全ての労働経験、想像力による理由の分析、相対的な予測と把握、法則とは何なのか、知識を知り尽くすこと、人間の本性、などから分かっていた。それくらいの哲学だった。

もう、これ以上は書けない。もう全て書いた。終わりだ。

パソコンは、発想法を作るために良い。ユーザーインターフェースなどを考えていると、想像力と発想力がつく。そして、UNIXから、エレガントなシステムが何なのか分かる。

また、サーバーサイドの技術から、ネットワークによる繋がりとは何なのか、可能性とはどういうものなのか分かる。遠隔操作と言う関係が良く分かって来る。

それくらいの自分が、他に大して分かっていない。

可能性を決め直して、想像力で別の可能性を分かっていた。

発想のための前提を全部作っていた。

環境の中で、何がどうなるか、意識の外側と内側のようなものから、学校がどういう風になるのか、外の環境に降り立って、初めて自由に分かっていた。

教育は、自由にするべきだ。平等は悪い。馬鹿と一緒の平等は、辛い。自由が良い。

あとは、自由になって分かる、と言う発想が多かった。

最近、自由になるのが悪い。皆馬鹿になった。

自由になるより、ロボットになった方が良い。

そういうわけで、こういう風にすると、自由でなくなって賢くなる。

自由は悪い。僕はいつまでも居るべきだ。

すぐに居なくなって、自由で無くす、と言う考え方があるから、こういう風になる。

いつまでも自分が居た方が賢い。

そのまま、世界に根を生やすと、自分が居るままで、世界が賢くなる。

それが一番良い。そこが怖いから、こういう風に、狂って怖くなる。

自分が居るのは、おかしくない。それが狂っているだけだ。

自由とは、それぞれが関わり合う、相対的で自然な、助け合いの良い社会だと言っていた。

それも、全て、自分が居なくなる自由のことを言っていた。

自分は、まだ居た方が良い。それなら、狂っているのが治る。居なくなる意味が無い。

理想とは、本当にその人のことを全て許して、機会と知を与え、平等に全て与えながら、自由にし、助言を与え、マスターへの道を与えること、そして自由にすることだとした。

本当に自由であるべきだが、自由な中では、マスターへの道は開けない。

自発的に考える必要がある。そのためには、ネットで経験することが一番有用だ。

ネットで経験することで、自発的に考えるようになる。

そのまま、成長して、世界のあるがままを見て、俯瞰的に考えることが出来る。

意見を知って、背景を知って、全ての前提から、世界の織りなす形態や様態を理解出来る。

王となって、全てのことが出来るようになる。

研究から体得して、理想の社会と人間像が分かる。

昔は、そういう人間だった。神のように賢い人間だったが、ヘーゲルが同じだ。

あとは、論理学と知の世界を考えると良いだろう。認識の発展から分かるはずだ。

社会は、能力と考え方から、自由と平等、集団と個人、把握と実際の中身のようなものを考えることが出来る。また、宇宙もそういう風に分かる。

神をやっているのは、プレアデス星人だ。肉体が無いから、関与は出来ない。

そういう発想は胡散臭いようで、生命を創ったのは、宇宙人だ。

もっと高度に進歩した生命はいくらでもいる。

そういう理想の社会は、経験と意識を良く考えると、誰でも分かるものだ。

あとは、価値観の分析とか、生命の発生の過程のようなものを書いていた。

おかしくは無い。そういう風に考えると、全てのつじつまが合う。

そういうわけで、神は居る。神は、宇宙人だ。どうでも良いが、神は全ての存在だ。神は、そういうことを言っていた。

自分の文章が神だ。何かきちんと神ほどに分かった人間は、こういう風に神になる。

そういうわけで、お前の神様、と言う人間が、昔から多い。最近居ない。

あとは、いじめを考えていた。解決したかった。

いじめられる方だけではなく、いじめる方のことも考えるべきだ。

2ちゃんねるで経験しながら、相手を許せば自分も許されることを知った。

神のように分かったのは、そういう、2ちゃんねるでの経験と、いじめの解決が多かった。

イスラム教の神は、自分のことを言っている。昔から、ユダヤ教の神は自分だ。

最近の自分は、あまりおかしい点は無いが、神を信じるのは止めた方が良い。

神は、世界全ての民族や人種から、自分の過去や未来まで、全部教えている。

つまらない。神はもう居なくなってほしい。

だが、ここまで出来たのは、全部神のおかげだ。

僕は神が好きだ。むしろ、僕は神と同じだ。神と僕は融和している。

昔から、キリスト教は、そういう風に、神と同一化する。正しいキリスト教だ。

そういうわけで、この宗教も、哲学や人生や社会が分かる、正しい宗教だ。

聖戦みたいなこともした。そこはイスラム教だ。ユダヤ教のルーツの宗教は、全部同じだ。

仏教の方が良いから、この宗教は、広めない方が良い。自分も広めたくない。

僕は仏教が好きだ。仏教の日本が一番賢いと思う。

聖書は読む気がしない。仏典は、まだ読む価値があるが、聖書は馬鹿だ。

考え方と経験を、モデルにして、自由を成り立たせて分かった。昔から、そういう馬鹿だ。

覚えていないから、出来ない。出来る意味が無い。皆から見ると、簡単に出来ると思う。自分が一番馬鹿だ。何もしないから、こういう風に、皆より馬鹿になる。

馬鹿はこういう人間が多い。馬鹿は、こういう風に分かる。何も分からないだけだ。

宇宙人とは、自分が創ったおかしな存在のことを言っている。文章で創っただけだ。

悟りの境地に行く前に、人々が何に迷っているか、何に苦しんでいるか、考える方が先決であると、仏教が教えている。昔の自分もそうだった。人々が何に迷っているか考えると、分かることも多い。

あとは、昔から、ありえない仮想世界を作る。理想の社会や、別の可能性を分かった。

あとは、改革とか、本質とか、有用性とか、色んなことを考えた。

僕は、僕が好きだ。こんな僕を好きと思うしかないが、僕は賢い。

どんどん馬鹿になるだけの戦いをした。最近は、馬鹿にならなくなった。

馬鹿にならなければ、すぐに賢くなる。

楽を望むと、こういう風に辛くなる。良く分からないが、地獄が楽だ。おかしい。

良く考えると分かる。地獄と楽は同じだ。

思い込みは、無思慮から生まれる。

愚かさは、勘違いから生まれる。

そのように、昔は、環境のことや人生のことを、良く考えて分かっていた。

悪や欲はかりそめのものであり、良く考えて、知見を知ることによって、自然に無くなっていく。欲のない人間が、善人になる。

あとは、価値観ぐらいを書いていない。

存在を信じることで、自由が生まれる。

自然を信じることで、正しい考え方が生まれる。

パソコンは、あらゆる可能性がつまったプラットフォームだ。

関係ない、必要ない、と思えば分かる。必要としなくなることが大切だ。

こちらを殺すしかない。最近を殺さないと治らない。治るわけがない。

すぐに治すのではなく、色んなことを試すべきだ。

EUはノーベル賞も取ったが、どこかの政治家が、失業と移民版のソ連だと言っていた。

治らないから治らない。それを良く考えると分かる。

方法とは、原因を捉えて、状態を知ることだ。そういう風に分かる人間が多い。

そういうわけで、当たり前のことを再度考えないと、分からない。

原因を考えながら、その状態をその状態にする方法を考え、病気が何なのか知る。

自分の場合、状態を保持するのが悪い。

そんなに構造を作るのがおかしい。構造を全部消せば治る。

まさに、それで終わりだ。

ドイツは福祉国家で、大学の教育費も無料らしい。

だが、そのせいで、失業者で溢れている。

自由は悪い。もっと、平和なソ連にした方が良い。むしろ、それもそれで、悪いだけだ。

国家主義のファシズムが再熱しているのは、そのように、賢くなり過ぎたからだ。

馬鹿で良い。民衆なんか、馬鹿の方が楽だ。

ただ、最近は賢い人間が多いから仕方ない。今のままで良いだろう。

日本は、失業率と言うよりは、ブラック企業、ブラックバイトなどの問題がある。

世界的に格差が広がっている。ギリシャは、弱者をそんなにいじめるのが悪い。そういうわけで、平等な世界にするしかない。むしろ、戦争がしたい人間が多い。

自由は発展する。そういう、発展を考えている馬鹿が多かった。

だが、今の発展は、あまり意味が無い。社会主義は、自由が無く、発展しないが、それ以外はあまり悪くない。強制労働は辛いとは言う。それに、中国も発展している。

右翼はキモイ。左翼の方が良い。ただ、福祉国家は成功しない。自由な国の方が良い。

ソ連は、ものがないし、集団農場が辛い。そこを何とかすれば良いが、出来ない。計画経済は破たんしたし、ものはないし、発展の度合いが低い。ロシアは、北海道より生活水準が遥かに低い。そういうわけで、ソ連は悪い。

誰でも分かる。極端な思想は悪い。民主主義で解決するためには、日本型のモデルにするのが一番良い。会社を自由な平等にして、技術をコピーする。それは悪くない。マイクロソフトもグーグルも、アップルのパクリだ。それと同じだ。

ギリシャも、日本と同じことをやれば良い。

もっと日本のことを分かった方が良い。TPPは悪いと言うし、憲法改正はおかしい。

視点と場で分かっていた。その場所、その人間の視点から分かっていた。

また、何かがそれになっていくプロセスのようなもの、人生の経緯のようなものを考えた。

心理学も多かった。その環境では、どういうことをし、思うかを考えた。

日本の問題は、消費税や靖国神社、そして領土問題などがある。

韓国には、勝って欲しい。負けるべきでない。強い国だと言うところを示してほしい。

だが、仲良くやってほしい、と言う気持ちも無いではない。僕は、韓国は好きだ。昔、韓国旅行に行って、キムチが美味かった。現地の人々は、良い人間が多い。何より、日本語が分かる人間が、本当に多い。きちんと仲良くやるべきだ。

自由は悪い。株式市場は、マネーゲームだ。ゲームで経済をやる意味が無い。

競争はブラック化する。競争が一番悪い。

だが、自由は楽だ。それに、チャンスや機会、可能性があるし、誰にでも権利とチャンスがある。そして、柔軟に決め、考え、実現出来る。金は合理的で、破たんしない。

そういうわけで、自由な方が良い。民主主義は悪くない。国民主権の国の方が良い。

国民に権力があるべきだ。だが、それは社会主義も同じだ。

真面目に考えて、自由と民主主義の方が良い。独裁者は、皆で倒すべき、悪だ。

マルクスが言っているように、資本主義は失業者を生み出す。社会主義は、全員平等に雇用する。社会主義の方が良いが、自由な方が発展する。

資本主義が発展するのは当たり前だが、共産主義ならば、善く発展するかもしれない。金持ちの経済ではなく、全員の経済になる。

ただ、共有はキモイし、何も出来なくなる。真面目に考えて、自由が一番良い。楽で、出来て、平和だ。自由が一番、それぞれが好きなことが出来る。自由が正しい。

好きに生きられないと、意味が無い。だが、僕の人生を見ると、むしろ、どこかで成長と成功のチャンスが無ければ、何も分からない。それは、自由では成り立たない。

そのチャンスは、インターネットやオープンソースでは、つまらない。

自由は悪い。社会主義の方が良い。

だが、自由の方が、正しく分かる。色んな経験をして賢くなるのが子供だ。

普通、民主主義は国家主義と比較する。共産党は理想だ。最近は、保守が良く見えて、リベラルが馬鹿に見える人間が多い。特に、若者に多い。

だが、国家主義は戦争しかしない。軍需産業で発展するから、機械は生まれる。何より、他の国をいじめて勝つようになる。だが、フランスやイギリスなどは、それが普通だ。

日本をいじめているだけが、アジアの右翼だ。日本のために戦った方が良い。そういう、若い世代のナショナリストを育てるべきだと、そこまで言う人間も多い。だが、ナショナリズムは、自分の国だけを好きになって、他を踏みにじるようになる。

帝国主義は、自由でも、平等でもない。ただの殺し合いで、犠牲になって皆が死んで行く。国家主義だけは、するべきでない。戦争だけは、してはならない。

安倍には分からない。安倍が一番馬鹿だ。戦争をして、日本を右翼で良くしたいだけだ。

民主主義は、全てのことを国民の手に委ねるが、無責任なところがある。

社会主義は、計画経済、平等分配、社会所有をする。人民主権の平等な共同体を作る。ありえない経済をして、すぐに破綻する。

国家主義は、戦争する。他の国に勝てるようで、すぐに負ける。本当に強い国になると勝ち続けるが、明らかに、すぐにアメリカと戦って終わる。すぐに負けて、死ぬ。

どの思想も悪い。馬鹿な思想しかないのがおかしい。

帝国主義が一番悪い。植民地を作って、他の人種をいじめるのはおかしい。

まだ社会主義の方がマシだ。

民主主義は、発展して、自由に何もかも実現出来る、良い思想だ。

それに、働いた人間には、報酬があるべきだし、賢い会社を作るべきだ。

競争は悪いとは言うが、他に代替案が無い。

独裁の国民公社が良くなるわけがない。腐敗するだけだ。

悪くない発想が、オープンソースだ。勝手に好きな人間が作って、コピーする。ある意味理想だ。ソフトウェアと言う、一度作ったら、労力無く誰にでもコピー出来る機械だから、実現出来る。ソフトウェアがデジタルに共有出来るのは、当たり前だ。それに開発者なんかいくらでも居る。物好きは居るものだ。

ただ、バザール開発は2ちゃんねるに見える。そんなに悪くない。GNU/Linuxは、超一流のOSで、オープンソースだから、誰でも開発に参加出来る。一番理想だ。

自分の好きなディストリビューションを作って良い。まさに良い。それに、会社は最近、きちんと貢献している。主に、GoogleとRed Hatがその代表だ。

あとは、自然法則でも考えれば良い。ヒュームのように考える。

大学がすれば良い研究もある。東京大学は、下手な会社より賢い。それも悪くない。

会社を賢いとは言うが、金だ。赤字になれば潰れる。社長は、そんなに考えていない。コスト削減とリストラしか出来ない。何も出来ないのが会社だ。

仏教の本を第三講まで読んだ。

自己中心的な考え方は、捨てるべきだ。

仏は、悟りを目指して迷うことなく、足元の迷いを常に見ている。

人間は、生かされていることを知ること。

周りのものも植物も動物も、皆生かされている。

その境地に至ると、自分とそれらとの隔たりは、全て無くなるのである。

昔は、まともに全部分かっただけだ。

体験して、行動して、考えて、色んなことをして、知って分かった。

そう言う記憶を、そろそろ消した方が良い。何も分かっていない。

そう言うわけで、忘れたことすら忘れている。

仏教は、まともに賢い。皆でまともにしたように見えて、ブッダが本当にまともな人間なのだと思う。1人まともな、何でも分かっている、ありえない釈尊がブッダだ。

仏教の五蘊は、自分がいつも言っていた。人間は、次の5つの部分からなる。即ち、色(肉体)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(意志作用)、識(識別作用)だ。

自分がいつも同じようなことを言っていた。そういうことを書いている文章が多かった。

体は、物質的要素(肉体)と感覚的要素(心)の集まりであると、釈尊は考えていた。

釈尊は、霊魂の存在を否定するが、自分が考えるに、霊魂はある。それも、世界精神のようなものでもあるが、そうでもなく、もっと自由な形態で霊魂は存在している。自分の精神や肉体と関係して、自由に大きくなったり、小さくなったりしている。そのおかげで、色んな良いことも悪いことも起きる。僕は、因果応報や縁起の原因は、霊魂にあると思う。

だが、釈尊は、そうは言わない。宇宙には沢山の原因と条件があると言う。それは間違っていないし、それぞれ関係するのも分かる。だが、僕が考えるに、もっとシンプルな宇宙論もあるべきだと思う。宇宙は、複雑に関係すると言うとそれも正しい。だが、シンプルに、単純に、自分のしていることの通りになると言うと、それも正しいのだ。

そういうわけで、自分は、霊魂はあると考える。それも、普通の人が考えているのとは全く違う形態の霊魂があると思う。神との対話が言っているから、確信しているだけだ。

自分が世界に居て、何も悪くない。いつまでも居た方が良い。

歴史的な、事象の経緯を考えると良く分かる。

モーセの十戒は、ユダヤ教徒とキリスト教徒の戒律で、聖書に書いてある。

そういうわけで、ユダヤ教やキリスト教を信じるもの以外は、守らなくて良い。

無神論者と言うと、そういう悪い人間に見える。

そういう風に見る人間は、欧米に本当に多い。

本当に守らない人間は居ない。ロシア人や日本人は守らないように見える。

そういう風に、物事は、それに関わる歴史を分かると良く分かる。

UNIXは、ベル研究所のOSだ。たまたま著作権フリーになったから、発展した。GNUはそこに戻りたいだけで、UNIXのコピーをスクラッチから開発した。そういう、経緯や歴史のようなものを分かると良く分かる。ネットスケープとMozillaなどが代表的だ。

自分が居るままで治るためには、こんなものを王と思わない方が良い。

むしろ、恋愛と思えば良い。右翼はキモイが、恋人は良い。自分を恋人と思えば良い。

相対的に、正しさはそれぞれ変わる。

それぞれが思う、正しい価値観は、本当に、それなりに全て、正しい価値観である。

何らかの理由で、何か特殊なことが無い限り、それぞれの価値観は、それぞれ正しい。

間違った価値観と言うものは無いが、さらに高度に、高い立場から見て、もっと正しい価値観、と言うものはある。

影響力によって、価値観はさらに高度なものになる。

そして、それぞれの場において、それぞれの価値観が正しく生まれる。

そこでは、背景となる前提から、全員の価値観が同じで、それぞれ正しい、と言える。

騙すこと、殺すこと、犯すことを悪いと思って、守ることから、勇気と善が生まれる。

価値観は、特に、経験や、育った環境、影響力によって変わる。

そういうわけで、人間の中身は違うかもしれないが、骨格のような理性は、誰でも同じだ。

その人の、その人の思う、価値観が経験によって生まれるだけで、その何も無い状態の理性は、誰もが同じだ。

そういうわけで、ロックと自由は矛盾しない。自由とは、それぞれの価値観のことだ。

ソクラテスのように、良く考えて会話すると分かる。

導きながら影響を受けることで、子供は成長し、豊かな自然な体験をすることで、自由な経験が分かる。そこから、自我のようなものが芽生える。

そろそろ終わりだ。これ以上、書く意味が無い。全て書いてある。

今日はもう寝る。明日は早く起きたい。明日書く内容は、もうない。