日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-22=

昔は、存在のようなこと、視点と場のようなことを、成り立たせて分かっていた。

また、そういう世界を全部作っていた。そういう文章だった。

人間がいかにしてその人間になるかを、サルトルのように分かっていた。

一般的な賢いことを全部分かっていた。

概念や方法から、人間や社会を全部分かっていた。

頂点と包括とか、会社を作るとか、上が決めるか平等にするかとか、議論の形態とか、インフラ整備や初期投資とか、神と数学とか、自然と必然とか、分かっていた。

そういう、色んな一般的な賢いことを分かっていた。

計画し、実行し、確認や反省をする。そういう考え方や方法を言う。Plan、Do、Seeだ。

あとは、表現や創造性、創作活動や研究活動、インプットやアウトプット、世界モデル、プラットフォーム、生態系、循環、主従関係、成長と自立のようなことを言う。

そういう、一般的な賢いことを言う人間だったが、最近、そういうことが分かっていない。

認識と信じること、現象を知ること、心理学を作ることが、全てだ。

そういう、人生における概念と本質、活動と経験のようなことが全部分かっていた。

影響力や決定者のようなものを分かっていた。

また、感情で色んなことを分かっていた。感情的に分析していた。

受容性の高い、仏の慈悲と宇宙の原理が分かる人間だった。

あとは、自己表現、自発的な研究、誠心誠意頑張る、のようなことが多かった。

反支配、反独裁、反平等のような、ニーチェのような自由が多かった。

ニーチェの生の哲学のようなものを書いていた。力強い、経験的な自由だった。

そういうわけで、僕は自由な人間だ。自由になることで世界を全て知った。

多重人格が悪い。辛くなっているのは、多重人格になって、対話するのが悪い。多重人格を治すしかない。もっと、黙って、1つの人格のまま、留まっていれば良い。

今日も英単語をやった。今日は調子が悪いから、10単語にした。

今日はピアノの日だから、ピアノの練習をする。もういくらか練習した。

ピアノを結構弾いた。良く、確認することが大切だ。だが、基本的に覚えるだけだ。

繰り返し弾いて、楽譜を見たり、見なかったりして弾く。それで誰でも覚える。

ピアノは誰でも出来る。今日はピアノの日だから、もっと沢山弾きたい。

宇宙のシステムを作って、基礎の方法を全部書いていた。

放送大学の、基礎科目の発音の本を買った。ここから放送大学をする。基礎とは言うが、難しい本だ。出来ないかもしれないが、英会話教室と並行してやることで、ネイティブの英語が聞き取れるようになるかもしれない。放送大学も卒業出来れば良い。

多重人格が治った。楽になった。多重人格が治ると楽になる。何も辛くない。

足は、病気になると治る。治れば治るほど、棒のように辛くなる。

精神は、恐れている辛さがすぐに起きると治る。それで精神分裂は治る。

もう辛くない。何一つ辛くない。

精神や意識を保持しなければ良い。保持しなくなれば、すぐに消えて楽になる。

テレビを見ていると、すぐに死んで治る。テレビを見ないから治らないだけだ。

精神は消した方が良い。それですぐに楽になる。

普遍性や個別性、本質やあらゆる方法、実体や属性、中央集権と地方分権のような内容が多かった。

それがそうなって、さらにそうなって、いつどうなるか、のような内容が多かった。

もう終わった。テレビを見た方が良い。

自分が一番英語が分かっている。発音の本は、最初の一章をもう読んだ。明日が英語の日だから、明日読む。明日は、英会話教室もある。英語を沢山やれば良い。

ピアノは、結構練習した。今日はピアノ教室は無い。一か月に二回やっている。

心理で支配し、組織を自由に作るとか、本当に自由な馬鹿な考え方が多かったが、それで賢かった。

英語は、アメリカ人の気概が分かると出来る。アメリカ人には、ダイナミックで大胆な人間が多い。日本人には、大人しくて消極的な人間が多い。そういう人間には、出来ない。

あとは、英語の発音はどこを強く、どこを弱く言うかが重要だ。そこが分かると話せる。

自由な組織をいつも書いていた。自由な合意と契約から、組織、共同体、システムを作り、可能性と制度をそれぞれが決定する、と言ったことをいつも言っていた。

今、放送大学の英語の授業を見ているが、英語は難しい。聞き取れない。

だが、昔よりは大分慣れてきた。もう何年も英会話教室に行っている。

あとは、グループによる共有のようなことを言っていた。そういう、左翼の自由だった。

自由から、変化の可能性と多様性が生まれる。そういうことを言っていた。

共同体は、連邦制のように、それぞれの代表と自治体が独自に決められる、それぞれの自由だと考えていた。

あとは、個人の自由を考えていた。それぞれの意志と選択を尊重し、自由に経験や行動が出来る、権利と平等の自由を考えていた。その上で、経済システムを作っていた。

英語は、そろそろ全部分かったが、何も出来ていない。

これでアメリカに行けば出来るかもしれない。

昔は、心理の実験で人間を分かっていた。不思議と、全て分かった。そういう人間が居ないから、こういう風に、自分だけ賢くなる。

英語より、フランス語のような言語の方が良いかもしれない。

テレビを見た方が良い。テレビが日本だ。テレビを見ると日本語が分かる。

学校へ行かないから日本語が分からないだけだ。

学校に行く、と言うよりは、昔日本語が分かっていた中学生に戻るべきだ。

そういうわけで、中学生に戻るしかない。

ゲームや数学をしなければ、日本語が分からない。

昔の自分は、2ちゃんねるで分かったのが一番おかしい。Linuxは狂っている。きちんと考えたとは言うが、馬鹿になって分かっているだけだ。子供のような発想が多かった。

だが、あれは全て分かった、きちんと分かっている人間だった。

日本語を、適当に、何も考えず、何も言わずに、聞いていれば良い。それで出来る。

昔は、きちんと分かっていた。もう一度最初から分かり直すしかない。

問題は、理想や目標が高すぎるところだ。もっと低い理想や目標から頑張れば良い。

誰かを助けることが出来たら、それに勝る幸福は無いだろう。そういう風に、身近なところから行動していけば、いつか全てのことが出来る。

日本語が分からないとは言うが、難しい話や授業が分からないだけで、本は読めているし、文章も書けている。それに自分は漢字のことも良く知っている。

難しい話を話す馬鹿が悪いだけだ。そのうち、いつか分かる。

そういうわけで、学校は無視して良い。

数学は分からなくて良い。小学生の最初の一年生には、数の概念すら分からない人間が多い。それに無理やり計算を詰め込むのは、悪い。数学なんか、しなくて良い。

英語は、アメリカにでも行けば出来るだろう。分かっても意味が無いから、他のことをした方が良い。

パソコンでもすれば良いようで、一番意味が無い。やっていると、ただの2ちゃんねるがパソコンだ。工業大学に入れないなら、無視した方が良い。2ちゃんねるになる。

パソコンは悪くない。真面目に考えて、庶民にはパソコンぐらいしか選択肢が無い。

昔なんか、パソコンで適当に経験しただけだ。

大学があるとは言うが、入れない。大学なんか、何も賢くないだろう。

マイクロソフトのような良い会社には、誰も入れないから、庶民に賢い人間は居ない。

最近賢い人間が多いのは、パソコンがあるからだ。パソコンは悪くない。

マイクロソフトに入れないなら、オープンソースで良く見える。

自分がオープンソースを悪いと言うが、おかしい。どこでもオープンソースは賢い。

それこそ、何も出来ない。大学の教授のような賢い人間は、本を読んでいるだけだ。

昔、経験が多かったのは、悪い人間と思えば分かる。

ネットで、全部一度だけ悪いことを経験して、言って分かっていた。

悪いと思えば分かる。本当に、神ほどの経験があった。

社会のことを経験から全て分かっていた。

コンピュータの知識と併せて、MITのように分かっていた。

ただ、仏教の解脱のような体験を良くしていた。賢い仏のような人間だった。

最近は、そういう経験を書いていた。受容性と、判断基準、未知の可能性が分かる、自由でマスターのような人間だった。

社会のことは、プロフェッショナルを生み出す土壌を作る、というように、良く分かっていた。教育は、子供がもっと経験を積むべきだとしていた。

自分の文章は、三位一体だ。どれがどれかは異論もあるが、ガブリエルが天使で、ミカエルがキリストで、ラファエルが父なる神だ。そういうわけで、聖書だ。

ガブリエルが旧約で、ミカエルが詩編で、ラファエルが新約だ。

誰でもそう見えるから、神しか分かっていないように見える。哲学やマルクス経済学が分かっている、ありえない人間が自分だ。

昔の引きこもり時代、自分の経済学をそこまで考えた。

また、自分の数学や心理学も作っていた。

自分の経済学で、アリストテレスやマルクスのように、完璧にこの世界を分かっていた。

だが、覚えていない。何だったのか忘れてしまった。今の経済学をやっているせいで、本当に、分からなくなった。経済学のようなものを全部作っていた記憶は覚えている。

社会のことを実地的に研究して、出来る可能性を考えて、未来学者のように考えていた。

ただ、覚えていない。何か経済学のようなことを全部考えていたが、覚えていない。

昔から、アリストテレスと同じなのが自分だ。何もかも、ゼロから科学を作る。

神は嫌いだったが、宗教的な因果性は否定しなかった。

功利主義やプラグマティズムのような考え方は多かったし、神を否定する経験論のような考え方も多かった。本来は神が嫌いだったのが自分だ。

最近、神を信じるようになった。対話するようになった。

嫌いとは言うが、神との対話(書籍)に書いてあることが、一番正しい。全部、自分の考えたことと同じことが書いてある。

そういうわけで、世界モデルによって誰もが正しいとか、相対的な宇宙では全てが真理であるとか、生命は魂、精神、肉体から出来ているとか、体はエネルギーの受容体であるとか、神との対話に書いてあることを多く受け継いでいるのが自分だ。

だが、カルトは止めた方が良い。ただの宗教の本だ。簡単で無害だから、カルトには見えない。ただ、カルトに見えるからあまり言いたくはない。それに、悪い内容もある。子供の教育を社会が全てやるのはおかしい。ソ連に見える。子供をどこかに連れて行くように見える。共産主義と同じだ。そういう本だから、あまり読まない方が良い。

ただ、この本は良い本だ。気高く生きるために必要な、人生の知恵のようなこと、社会の理想をどのように実現すれば良いか、のようなことが全部書いてある。著者は、ニール・ドナルド・ウォルシュだ。一度は読んだ方が良い。

神との対話のように社会や人間のことを分かると、良く分かる。

人間は、気づかぬうちに何かの原因で、人間関係に失敗を犯している。

それは、本当に自分のことを理解し、他者のことを理解することで、かけがえのない経験と親友を持つように、自分の手で変えることが出来る。

そこでは、信頼するための勇気と、心構えが重要だ。

テロリストは、悪いことがしたくてテロをするのではない。それだけが、目的を達成するための唯一の手段であると誤解してテロをしている。

問題がある社会では、犯罪者を逮捕するだけではなく、社会のどこに問題があって、何故犯罪者が犯罪をせざるを得ない環境になっているのかを、考えて解決する必要がある。

神との対話に書いてあることは、昔自分が一度考えたことのあることばかりだ。

神が自分ではないかと、誤解することが多い。神との対話の神は、自分にしか見えない。自分がニールと対話しているように見える。そういう本だ。

カルトとは言うが、教団のようなものは作っていないように見える。ただ、作家が神と対話して、神らしきものを書いている、オカルトのような本だ。

子供には、放っておけばいつかする人間が多い。子供を育てる親は、そのことを信じてやる必要がある。そして、周りから、守り、支えながら、見守ってやる必要がある。

そのことによって、親にも良いことが伝わってくる。そういう風に、子供は親に自分の成長で色んなことを教えてくれる。

最近は、数学的な考え方も無いが、何より、想像力が無い。想像力は、色んなものを思い出すとつく。それも、言葉では無く、映像で思い出す。そうすると出来る。

数学は、そういう、想像力のある人間が出来る。数学は想像力だが、イメージと言うよりは、覚えて考える、知性と比較の学問だから、思い出し、良く考え、疑うことで出来る。

神との対話は、それ以上は、国としての理想のようなことが書いてある。昔の自分にも多かったが、共産主義は、実現のための方法を間違えて醜くなっただけで、基本的な理念のようなものは間違っていない。現代のアメリカは狂っているが、それでも、まだまともな自由な国だ。ソ連もアメリカも、どちらも実現したいことは同じだ。

ソ連は、強制的に平等にしたのが悪い。もっと、ほんわか、まったりと平等にすれば良い。

それはどうでも良いとしても、ソ連のように共産主義を実現するのは、一番悪い。

だが、アメリカなんか、何も変わらない。完全な自由はおかしいが、自由な方が良い。

世界政府を作るなら、アメリカのように、上院と下院を作って、日本のような自衛隊を国連軍として作れば良い。それでソ連と同じだ。

ソ連を悪いとは言うが、そういう国を作りたかっただけだ。ソ連が一番正しい。

それこそ、共産主義者は良い人間だ。悪いことをする人間には見えない。

昔は、教育から社会まで、全て変えられる、良いものが実現出来る、そして、全ての既存の考え方は、真理として理解出来ると、実感して分かっていた。

バッハ教団と言っていた。バッハを信じる宗教でも作れば良い。

世界モデルによって、それぞれ全員が、何も間違っていないのが分かる。

あとは、人格や言語で分かっていた。人格を吸収して、意識で言語を分かっていた。

そろそろ、この文章は書く意味が無い。そろそろ終わりにしたい。

ロシアも日本も、なあなあで、のんびり平和をやりたいところが同じだ。

中国も同じに見えて、中国は好戦主義だ。そこは、ドイツやアメリカと同じだ。

中国の良い点は、漢字だ。漢字が同じで、文化や人種も同じだ。

だが、中国から見ると、日本語はある意味が無い。

中国語は賢いから、すれば良い。日本人なら出来る。中国語入門の本をいつか買った。書棚にあるから、読んでも良いだろう。

フランス語やドイツ語は、つまらない。キモイし、右翼に見える。中国語の方が良い。明らかに、単語を覚えるのが楽だ。発音は違うが、慣れると、方言ぐらいの違いだ。

中国人から見ると、日本語は漢字の読み方を変えただけだ。変える意味が無い。

中国語をするかもしれない。むしろ、数字から覚えると、本当に簡単に見えて、そう言うことは無い。外国語だから難しい。日本語が長くて、中国語が短いように、きちんと違う。