ワードを書いて、たまにブログにコピーする方法が一番楽だから、そうする。
昔は、想像力と人生のようなことを書いていた。
考え方、分析、社会構造のようなことを考えていた。
全ては、自由に変えられる。
自由に変えられる中では、機械の仕組み、生産の関係と手段、社会構造、人間関係、そしてものの関係と法則が考えられる。
全ては、自由、意図、関係、生きる力である。
生命は、環境におけるパターンである。
環境の中で、決まりを作ったり変えたりすることで、視野が広がり、可能性が高まる。
新しい世界観を持つことが出来る。
インフラは、プラットフォーム的に、皆の力で変えることが出来る。
そう言う風に書いていただけだ。自由なことを言葉巧みの構造にして分かっていた。
英語のラジオをiPodで聴いている。
英語は、何も考えない方が聞き取れる。
英語は、意外と単純で簡単な単語の組み合わせが多い。普通、it'sぐらいしか知らないが、そこの部分を良く分かると、分かるかもしれない。
英語は、休まず聞き取れば分かる。休むのが悪い。辛い時に聴いていると出来る。
自分は、知性が低い。もっと知性を高めた方が良い。
英語を聞き取るポイントは、発音と休まないことだ。そろそろ、本当に出来る。
あとは、自由な社会組織が共同体として発展すると言っていた。制度、決まり、可能性、構成員の自由と合意を考えた。もっと色んなことを、哲学のように考えていた。
社会の全体像とシステム、歴史と生成や形成のようなことを考えていた。
ものは、システムから構築出来る。
環境をどれだけ自由にするかから、環境の多様性が決まって来る。
そのように考えていた。
英語は、そろそろ分かった。まともに聞こえるようになった。楽に出来て良かった。
どれだけ相対的にするか、自然にするか、絶対的にするか、のように、どれだけそうするか、それによってどうなるか、と言う考え方が、文章に多かった。
これなら、ドイツ語も出来る。
昔から、全ての言語がしたかった。
ネットで同じようなことをしていた。全ての言語を分かっていた。
全部終わったから、イスラエルのユダヤ人になる。神のように全て分かる。
イスラム教は、ただ、悪くなって楽になる。もうイスラム教徒は終わりだ。
ドイツ語は、機械的な言語だ。むしろ、そんなものは出来るわけがない。英語だけで充分だ。ドイツ語は、日本語と良く似ている。医者に出来る人間が多い。
ドイツ語は、理系の専門でする。数学や物理は、ドイツ人が一番出来る。
文系は、フランス語をすれば良い。フランス語にも、賢い文献は多い。特に小説が多い。
文章を書いて、世界と戦った。戦うイスラエルのような戦争をした。全てを考え、全力で戦って、世界を導いた。世界を背負って頑張った。
もうそろそろ、分かることが宇宙にない。そういうわけで、もう治る。
もう全て分かったのに、まだ分かっていない。何故か、形式だけでは分からない。内容は、想像力と人生の内容だった。覚えていない。考え方と経験を考えていた。
ものは落ちる。方法と具体的な発想から、ものを作ることが出来る。手段によって、構造によって、考え方によって作る。
そう言う風に、抽象的なことを考えれば分かる。可能性を想定すれば良い。いつも書いているのに、出来ていない。ものだけを見ても何も分からない。可能性を考えれば良い。
それぞれが協力することで、この世界は部分ごとに変えられる。
自然に改善が積み重なって、全てのことはそれぞれの人員によって変えられるべきだ。
物理法則は、変わるかもしれない。だが、イデアのような完璧なものもあるかもしれない。
そう言う風に考えれば、いつもの文章だ。
プラトンの本質は、善のイデアだ。
それは、良く分かっていないが、完璧な善がどこかにあるかもしれない、と言ったことを言いたいのかもしれない。むしろ、もっと高度なことを理性的に考えている。
あとは、制度と環境、方法と基盤、プラットフォームとボトムアップのようなことを言いたかった。それぞれが何をして、関係して、結合して、どのような方向で変えるか、のようなことを全部言っていた。あれは、そういう文章だった。
本質と相互作用、関係のようなことを考えていた。
また、政治経済は、政党内で行われる、議論や意見などの、意思決定と情報のシステムやプロセスのようなことを考えていた。
また、世界の根源的なことを言っていた。多次元やベクトルのようなことを言う。
そして、仮想的な世界のモデルを作っていた。そういう人間だった。
そういうわけで、単純にプラットフォームと思えば分かる。そういう、青い、コンピュータのような人間だった。
国家から会社、工場まで、あらゆる意思決定のプロセスと経緯を分かっていた。
ものや学習は、本質と方法を網羅して考えていた。
また、考え方のようなことを言っていた。その見方が何故正しいか、から、部分に分けて考える、のようなことを言っていた。
また、人生の知恵のようなことを言っていた。存在のあり様のようなものを考えていた。
自由で創造的な、知恵と工夫に溢れる、想像力のある人間だった。
全てのことは、認識と人生の創造的な融和であり、関係である。精神的、肉体的、地球的、意識的な、結合と独立である。自由は、融和の逆である。そういうことを言う。
あとは、感情とか、目的とか、意味とか、判断力とかを言う。
それで、もっと賢いことを言っていた。賢いようで、どんどん馬鹿になる、おかしな人間だった。そういうわけで、あまり意味が無い。パソコンが好きだった。
モデルとは、文章のことと、関係や目的のこと、科学的な知性のことを言っていた。
平和や発展のようなことや、経済の仕組みのような内容も多かった。
無意味に戦っていた。皆を操作していた。その代り、戦いの中から、可能性と経緯の文章が生まれた。自然な発展は、自由な構成員の協力と、共同体の合意から生まれる。そういうことを言っていた。
普通、いくらかの数量ごとに分けて考える。
全ては、小さなものの組み合わせであり、その関係である。
それぞれの知恵と工夫から、ものが生まれる。環境は変えられる。それぞれが環境を変えることで、正しい環境が生まれる。
そういう、普遍的な知恵のようなものを考えれば分かる。
知恵を吸収し、方法を具体化し、経験を洞察し、認識を分析すること。
意識のように、機能を分類して考えることも出来る。
現場を見て、実体的な調査を行い、まとめて皆の意見を知ることから分かること。
全てのことは、歴史であり、人類の経験である。
会社や技術の歴史を知ることも、世界を知る助けにはなる。
あとは、発想や方法から理解が生まれ、理解から自由な考え方が生まれ、考え方から具体的なものが生まれ、それは新しい方法になる。
そういう、必然的に行う発想や行動を考えれば分かる。
全ては、構造を知り、経緯を知り、考え方を吸収して、方法から構築し、歴史的なものを残すことだ。
そのような、この世界を見通す構造のようなものも多かった。
また、人生の経験論のようなことを言っていた。本当に出来ると信じれば、宇宙は味方してくれる。だが、そういう、宗教的、観念的なものはあまりない。自然な中で、必然的にそのようなものになる。そういうわけで、宗教も科学的に解読出来る。
全ては、相対的な理由から、発想し、研究し、実現することが出来る。
そして、考え方から自由自在に理解することが出来る。
体験と経験から、人生の真理のようなものを知ることが出来る。
そして、人間を知ることで、宇宙の意識を全て知ることが出来る。
そのように、色んなことを言っていた。色んなこととは、そのような、人生的な概念、経験的な、考え方と体験の概念のようなことを言っていた。
ものを作るのにも、社会を築くのにも、組織を作るのにも、プロセスと方法と経験がある。方法は、経験的に知ることが出来る。それを正しく言っていただけだ。
あとは、科学的な発見の方法や、認識論のようなことを言っていた。
思考によって順序と経緯を捉え、環境から実現することが出来る。
感情と感覚から、自由な意識が生まれ、実験から精神と記憶を吸収することが出来る。
そう言う賢いことを言えば良い。いつもの文章で無く考えれば分かる。
意識は機能であり、生命は分類であり、自然は実験と仮説である。
説明すること。自由に説明することで、世界は新しい知を作ることが出来る。
それくらいを言いたかったのかもしれない。
もっと、自由に世界を開拓して考えれば良い。
社会が自由になるためには、人員、組織、環境を解決し、それぞれに合った正しい環境を与えなければならない。
そういうことを言いたかったのだと思う。
文章は記憶であり、データは経験である。コンテンツは、記憶と経験の共有である。
あとは、もっと色んなことを言っていた。色んな世界のことを分かっていた。
自由な取り組みから、愛が生まれる。
自由な構造を自由に作ることから、知性が生まれる。
考え方は、目的と手段、原因と結果、カテゴリーと分類、計算と推論だ。
そんなにいつもの文章が書きたいのもおかしい。全部で、それくらいだったと思う。
あとは、経験すれば分かる。
1人で色んなことをやっていると、分かる人間が多い。
テレビやネットを見て、自立して、何かをすれば良い。
自分には、経験が足りない。昔は経験が多かったのに、出来ないのがおかしい。
経験すれば、まともになる。知性もつく。しないのは、自分のことを「僕」だと思わないからだ。誰でも、自分の「僕」が発展する。そこを分かったのがヘーゲルだ。
ヘーゲルのように、自分の「僕」の発展を分かっていると、きちんと分かる。そういうわけで、ヘーゲルとデカルトは、ある意味、良く似ている。
僕は何もしたくない。そういう風に、自分のしたいことを言って、考えれば良い。
僕はピアノが弾きたい。簡単な作曲がしたい。
僕は、もっと色んなことが出来るようになりたい。
あとは、世界認識のようなものを考えれば良い。
この世界は、僕より遥かに馬鹿な人間しか居ない、つまらない世界だ。
全てのことが、思うがままだ。だが、何も出来ない。何一つ思い通りに行かなくなった。
何も出来ないなら、何か、全てのことを自由にしたい。
この世界はつまらない。何も出来ない社会だ。最初から何も無い。
変えられると言うが、ありえない。何か個人が出来るわけがない。
集団による自由は、あっても良いと思う。
そういうわけで、そういう風に、自由な人生を歩み出せば良い。
ヘーゲルと同じになる人間は多いが、普通は哲学なんか何も分からない。
技術を養えば良い。会話して、調査研究すれば良い。それなら分かる人間が多い。
英語は、しなくて良い。したい人間がいない。
つぶしの利くことをすれば良い。あとは、社会の確執的な見方を変えていけば良い。
それなら、分かる人間が多い。
全てのことは、数学だ。そして、全てのことは、経験だ。
あとは、それくらいしか言っていない。もっと違った意味でこういうことを言っている。
テレビやパソコンは悪くない。何も出来ない皆や弱者の方が悪い。
強者の自由を認めなければ、何も出来ない社会になる。
あとは、人生の経緯のようなことを言っていた。
全てのこと、世界のこと、人生のことを知るために、意図と手段から、関係と実現性を知って、実践的な自由を知った。
それくらいを分かっていれば良い。あとは、自由に生きれば良い。
必要なのは、皆とのコミュニケーションと助言、そして社会的な労働の経験である。
そういうわけで、仕事をした方が良い。それが一番賢くなる。
出来ないなら、仕事と同じことを何かして、数学的なことを考えればそれで良い。
それできちんと分かる。あとは、全部自由だ。
1つ言っておくと、メジャーな分野より、マイナーな分野の方が良い。キリストが言う。広い門から入るより、狭い門から入った方が、いのちの道に繋がる。
あとは、地上に溜め込まず、天に溜め込むこと。それくらいで分かるだろう。
思いの伝達とか、価値の創造とか、全員の信念とか、普通のことを考えれば良い。
考え方で考えると良く分かる。決まりから、適合のようなことを考えれば良い。
自由とは言うが、そういう自由は、もう終わった人間しか居ない。
自分も自分で、きちんと出来た。そういうところが意味が無い。
人はいずれ死ぬ。それは、正しい。いつまでも同じことは出来ない。誰でも、全て終わって出来なくなる。新しい子供にさせるしかない。だが、似たような人間にはなる。でも、決して同じ人生にはならない。
あとは、人生や環境のこと、歴史や価値観のことを考えていると、良く分かる。
そんなに同じにはしなくて良い。
それ以上自由を信じて経験すれば良い。それで誰でも分かる。
平等は馬鹿で、自由な方が良い。経験は出来るべきだ。
それ以上、人間は自由な行動と経験から分かる。
そう言う人間は、少ないが、だが、誰でも自由な経験から分かるものだ。
社会との関わり合いから、社会がどのようになっているかを知って分かる。
そういう、世界観や社会観のようなものを、ゼロに戻してもう一度すれば良い。
今の社会を知らないから、忘れた方が良い。ゼロから知った方が良い。
同じ人生にはならない。同じ人生を目指すから、何も分からない地獄になる。
違った人生を生きるのを目指さないのがおかしいだけだ。
思考はすれば良いが、神にはならなくて良い。
基本的なことは考えて良いが、具体的なことは違うことを考えた方が良い。
もっと違う人生にならなければ、意味が無い。
楽観的に考えること。これなら、そのうちいつか分かるだろう。
自分は、昔より強くなった。病気に対する抵抗力も強くなった。これなら当たり前だ。
そろそろ、戦いを止めた方が良い。戦うのは、疲れるだけだ。
経験すれば分かるとは言うが、考えなければ分からない。
全部考えれば良い。それでいつもの自分が出来る。
辿って、捉えて、いつどうなるかと理由から分かる。全体像と客観視をする。
コミュニケーションと体験から分かる。
皆も、何か考えれば良い。全部考えると、哲学は誰でも出来る。
自由、価値観、創造性、目的、手段、可能性、考え方、変化を考える。
そう言う風にすると、自分になる。自分にはならなくても、誰でも分かる。
あとは、人格と関係を考えれば自分になる。そうはならない方が良い。
いつも、それを反応と作用と言っていた。分かると知性がつく。
哲学者を見ていると、誰も自分にはならない。人間はそれぞれ違う。
認識の整合性のような、普遍的なテーマを考えると良いだろう。
皆は、認識や方法のようなことを考えて、疑ったり、信じたりすれば良い。
昔は、認識は人格の働きの一部であると考えていた。それ以上あまり考えていない。具体的な認識を集めることの方に力を置いていた。
ネットを見ていると、具体的な認識が全部揃う。それもおかしくは無い。不思議と、自分なんかそれで誰でも全部同じになれる。
自由を信じるのは悪くないが、Linuxを信じるのは悪い。作りたいなら、タブブラウザでも作れば良いと思う。Android用のアプリでも作れば良い。そういう、自分のしなかったことをすれば良い。
昔は、わけもわからず人間や生命を全部作っていた。文章を書いて、生命を全パターン創った。今考えると、虫のような生命だったが、今では人間になった。人間は、全員、そういう風に生まれた。
自分は、終わらせるのがおかしい。終わらせる人間がいない。辛い戦いをしたくないなら、しなければ良い。したかったのがおかしい。しなければならないと思うと、狂う。
最近は、こちらになって狂った人間が多い。ほとんどの人間は、昔のまま、永遠に歩み続けているだけだ。そういう人間には、こういう作家は出来ない。作家は誰でも終わってから始めるものだ。
そろそろ終わりだ。英語と作曲をやりたい。
この文章は、もう書きたくない。まだ分かる内容を書いているが、辛いだけだ。
全部言葉にするとか、信じて分かるとか、ありえない体験をしていた。
そういう、ありえない行動や活動の体験を、全部書いている馬鹿が多かった。
むしろ、それくらいしか書いていない。
あとは、自然の考え方から、知性のある考え方のようなことを言っている。
分かっていない。狂っている。そういう理由で、たまに虫みたいに見えるのが自分だ。
ドイツは嫌いな方が良い。こういうおかしな馬鹿は、ドイツだ。
ドイツを殺せば、昔に戻る。ただそれだけだ。ドイツみたいなものを悪いと思えば良い。それだけでまともになる。要は、オープンソースも忘れた方が良い。一番終わる。
ドイツみたいなものを悪いと思うのが普通だ。ソ連は頑張って実現したいが、失敗するのが多い。ドイツのやっていることは、足元から崩すのが良い。そういう理由で、こうなる。
パニックになっている人間は、何かがそういう風におかしくなっている。おかしなものを信じるのが悪い。ドイツになっている人間は居ないが、おかしな人間が多い。
反共主義もキモイから、これで良い。共産主義は、好きな人間は居ない。一番馬鹿に見える。そういう風にすると、賢い人間になる。左翼と右翼は誰もが一番嫌いだ。
明らかに、冷戦も悪いから、アメリカも悪い。アメリカを悪いことにすると、自分が治る。これでアメリカが好きだから、昔のようになる。
昔は、アメリカになったのが間違っている。アメリカは自由な2ちゃんねるだ。
いつも、心はアメリカを見ている。昔の自分が、アメリカと全く同じだ。
昔は、プラグマティズムで、哲学から普通の人間まで、全部分かった。そういう、賢い自由なアメリカが、最近どこにでも多い。自分と同じだ。そういう馬鹿は、こうなる。
アメリカをまともとは言うが、ありえない。ソ連より狂っているようにしか見えない。
アメリカなんか嫌いな方が良い。そうすると、自分にはならない。何にもならなくなる。
アメリカが好きなのを止めると、精神が治る。
すぐに、次の自分が出来る。
あとは、きちんと最後までやるだけだと思う。まだ分からない。
アメリカは、分かっている馬鹿だから、こういう風に、仕方ない、こうなる、などの言葉遣いになる。何も分かっていないのに、断言して分かるから、たちが悪い。
アメリカが嫌いになると、まともになる。それで治る。
ギリシャの国民投票を今日やっている。まだ結果は出ていないが、僕は、ユーロ圏から離脱した方が良いと思う。それで、中国やロシアと仲良くやれば良いように見える。真面目にそういうことを思う。EUが社会主義には、ならないだろう。おんぶにだっこのギリシャは悲惨だが、何年も経験した失業や増税、年金の減額には、もう耐えられない。緊縮策を受け入れることは難しい。EUに残ってほしいとも思わない。EUから離脱することで、ウクライナなどでも問題が起きている、EUが少し反省するべきだと思う。
僕は、スコットランドの独立にも、大阪都構想にも賛成だった。そういうことをしなければ、何も変わらない。何も変わらない民主主義は、民主主義で無く見える。
細胞には部分がある。昔は、そういうものを全部考えただけだ。
ロボットは機械で、人間は生き物だ。一緒にすべきではない。グーグルはおかしい。
生命は、全部の部分が細胞で出来ている。
これは、良く考えると不思議なことだ。耳から口まで、全部それぞれの部分が、1つの生命体のために関係して、働きあっている。細胞は、遺伝子だが、遺伝子がどのように備わっているのか、考えると不思議だ。
グーグルの良い点は、機械なら人間でも作れる。細胞では、人間は作れない。
だが、グーグルのせいで、人間の尊厳のようなものが無くなってしまう。それは、ターミネーターに出て来る、サイバーダインやスカイネットのようなものと同じだ。
今日は、じんましんが出た。子供の頃から持っている、僕の持病だ。じんましんが出るのは、悪くない。精神が治っているように見える。だが、かゆくて辛い。いつも、三日から一週間ぐらいで治る。治るまで、かゆみとの戦いだ。最近、じんましんは出なかった。もう5年ぐらい出ていなかった。治ったかと思っていたが、治っていなかった。
日本語を考えた方が良い。肝心の日本語が分かっていない。日本語を考えない人間は、いない。日本語は、文法ではなく、色んな言葉を考えれば分かる。普通覚える。
考え方は、仮想的に考えれば分かる。
モデルとモデルの融和から、新しいモデルが生まれる。
理解と発想の組み合わせから、会社における企画が生まれ、協力から実現出来る。
そろそろ終わりだ。そんなことしか言わない。だが、いつもはもっと賢かった。
自由とは、創造的な環境を作り、かけがえのない体験をすることだ。
いつも、全部分かっていた。経験と理性で全部分かっていた。全部考えていた。
人間とは、教えることだ。
平和とは、優れた人間を生み出すことだ。
自由とは、それぞれの関係性の中で、反応、作用、意見から、心理学を作ることだ。
そう言う風に書いていた。いつも全部分かっていた。
心がどうなるか、体験がどうなるか分かっていた。心の深層が全て分かっていた。
ただ、それは間違っている部分も多かった。神で分からなくなった。
もう一度、心を考えれば良い。
じんましんのせいで、精神が治ると思う。すぐに楽になるだろう。
文字ももう見えなくなった。そのうち、狂っているのが治る。
自分から殺されれば治る。それでしか治らない。それを「殺さる」と言っていた。
平和な中では、人間は自由な中で活路を見出し、平等な中で人を許す。
それは、自由を信じる時に、それぞれの性格に安心を与える。
そして、自由な環境を愛する時に、それぞれの心に知性を与える。
安心と知性から、真理が分かる。
覚えて、思い出して、その全てによって全てを分かることで、悟ることが出来る。
比較すること、場を想定することで、多面的に世界と自分を理解出来る。
行動すること。一番大切なのは、行動と会話である。それも、判断と助言があるべきだ。
感情を理解すること。
抑圧に対抗するために必要なのは、その場だけではない、別の場を確保することだ。
信じること。
大切だと思う気持ちから、偉大なことをする勇気が生まれる。
平和とは、守る気持ちで、日本を支配されなくすることだ。
支配するな。だが、むしろ、自由に色んな人間が、色んなことが出来るべきだ。
愛とは、不安の中で信じる気持ちであり、そこから可能性が生まれる。
挑戦し、試し、改め、確認することで、全て出来る。出来る人間には、そういう、常に挑戦している人間しか居ない。自分が昔からいつもそうだ。
だが、無意味なことは止めること。無意味なことは、する必要が無い。
自分にも出来ると信じること。誰かに出来ることは、きっとあなたにも出来る。
そろそろ終わりだ。そういう風に、心と行動と体験を考えれば良い。
基本は、相手の立場や視点に立って、客観的に考えること。物理も同じだ。
心とは、全て、欲求があるように見えて、欲求のほとんどは、かりそめのものだ。良く考えると、欲求は居なくなる。欲がある人間は、あまり分かっていない。