今日は、英会話教室へ行く。英会話教室の予約を取った。
英語は、出来ると思う。そのうち出来るかもしれない。
多様性とプラットフォームは、コンピュータのことを言っていた。
Linux/BSDは、色んなアーキテクチャで動く。
場を考えていた。
社会の変化は、場の変化だ。
皆で場を作り変えることで、社会は発展する。
場とは環境であり、視点であり、像である。
そのように、場を仮想的に作って分かっていた。
あとは、賢い大人のようなことを言っていた。
全ては、判断力、実現力、想像力、行動力、応用力だ。
成長と共有から真実が分かる。
全てのことを総じて見て、自由に考えれば分かる。
そういうことを言っていた。
今日は、英会話教室に行ってきた。英語は、楽しい。
そろそろ英語も出来る。怖かったのは、まだしなくて良いからだ。もうあまり怖くない。
植物は、人間が総称して植物と言っているだけで、植物の側には、分類は無い。
そういうわけで、定義することが重要だ。
自然科学も、人間の側にある、と言うことが良く分かる。
数学は、カントのように、矛盾する2つの命題を良く考えると分かる。
時代と場を考えていた。
場は、文化の集合で、自由に発展すると言っていた。
そして、正しい考え方で考えると分かる。考え方を考える。正しく考える。
辛いことは、あった方が良い。辛いことが無いから辛いだけだ。
誰でも、辛いことは多い。特に、中高生には、辛いだけの人間しか居ない。
そういうわけで、辛いだけの中高生が賢い。そういう辛いは、楽になる。
辛いだけになると、賢くなる。何も辛いことをしないと、こういう風に辛くなる。
自分が楽なだけだ。
因果性は人間の側にある。
生まれた時は全部白紙で、感覚にあるものしか意識には無い。
経験論は、そういう風に考える。
どうしてこうなったのかは、誰にも分からない。だが、全ては最初からあったと思えば良い。誰が悪いわけでもない。誰かが悪かった。それは、誰にも分からなかった。悪いのは全員だ。全員が悪いだけだ。良く考えると、本当にどこかの何かが悪かっただけだ。
文章は、物理、変化、構築、自由、知性のようなことを言う。
特に、知性や物理のような内容の分析が多かった。
また、知性で、楽器を作るとか、ものは三次元空間を移動するとか、考えていた。
英語の音楽を聴いている。悪くない。怖くは無い。むしろ、良い音楽も多い。
テレビを見ないのが悪いから、見た方が良い。テレビが怖いのは、まだ早いからだ。まだ見なくて良い。
英語をきちんとやった方が良い。
13歳のハローワークを読んでいると、普通の仕事なんか、どれも悲惨だ。
ファッションモデルを成功とは言うが、ありえない。一番馬鹿だ。意味が無い職業に見える。本当に、作家の方が良い。自分の本が残って良かった。
王になって経験せよ、のような、理想の学校や体験のような内容も多かった。
学習の経緯のようなものを考えていた。全ての本質を概念の関係から考えていた。
あとは、同じと違うで分かった。同じ部分の違いを良く知っていると良い、と言っていた。
昔の文章は、書かない方が良い。何かがそこまでキモイ。おかしな文章だった。
今から、新しく考えれば良い。
悪いのは、アメリカとWindowsだ。むしろ、任天堂やソニーも悪い。コンピュータは全部悪い。本当にオープンソースが勝つまで待つしかない。
政治家には、何も出来ない人間しか居ない。パソコンを無くすのはおかしい。自分も、ワードぐらい使う。パソコンはあった方が良い。オープンソースが正しい。
もっと論理的かつ的確に考えれば良い。
全てのことを、実現と構造の視点から、論理的に考える。部分ごとの違いを考えられる。
分からない。もっと論理的に考えれば分かる。
相対的かつ思考的に考えれば良い。相対的に考える方法のような、土壌が無い。昔あったのに、無くなった。
職業とは、アイデンティティであると同時に、束縛である。そのことしか出来なくなる。本当に自由な世界では、人間はあらゆる職業を全て兼任する。それは、パソコンと哲学が分かる人間なら、誰でも出来る。それは、全てを実現する王となって世界を導くだろう。
決まりと法則に当てはめて、対象を考えれば良い。そういうことを言いたいのだと思う。
調査し、研究し、方法を知り、整理し、まとめ、分析し、考え方を変え、見方を変え、自由に構築し、共有し、影響力を行使し、意見を知り、行動し、実践し、変化可能にする。そのことによって、可能性が生まれる。そういうことを言いたいのだと思う。
ただ、考え方のようなことを言いたいだけだ。
実践の中で、人は活動から意見を知り、意識を変え、自在に捉え、変え、作り、使い、応用し、共有し、意見し、そして情報から構築する方法を知ることが出来る。
全ての中で、普遍的な経験と違いから、共通された人間の英知と営みを考えられる。
自由とは、共通と個別における、普遍性と変化の、理解、習得、構築、体験だ。
全ては、相対的なシステムである。
全ては、価値と自由と共有の比較である。
全ては、愛を知り、共通性を知り、認識を知り、信じるものを知り、吸収することだ。
全ては、平和と共存である。
全ては、平和の中で、それぞれの理解と習得のバランスで、自分が何を出来るかである。
そう言う風に、色んなことを言っていた。
そろそろ言える。ただ、考え方を成り立たせて、角度を変えているだけだ。
全ては、順序と感性だ。
全ては、パターンと分類だ。
全ては、信じ、知り、考え、感じることだ。
全ては、捉えること、自然に任せること、体験的に知ることだ。
全ては、人生を変えるために、習得と個性に頼りながら、存在性を知ることだ。
理解と順序の中で、発想とシステム化が生まれる。
発想の中で、あらゆる違いと同じを考えられる。
自由にすることで、相対的な実現力と選択肢の幅が広がる。
統合性の中で、それぞれの工夫を共有し、分散された共同体の中で、多様性のある自由なシステムを構築出来る。
真理とは、違いと同じ、そして現象の捉え方である。
もっと、普通に考えれば分かる。
応用的なもの、普遍的なもの、共有的なもの、認識的なものが全てだ。
方法を良く考え、それぞれの違う意見を統合する、普遍的な命題を考えられる。
意識とは、それぞれが認識している部分の全体と統合と個別である。
モデルとは、意見し、考え方を変え、共有する中で、段階的に発生する、世界と人生の経緯であり、可能性であり、共通性のある自由な人生の経験のモデルである。
構築の方法は、それぞれの個別の方法の総合である。
それぞれの個別の方法は、多角的に考え、調査し、調和することから得られる。
それは、分析し、考え方を知り、それぞれの部分に分けることによって、得られる。
そして、それぞれの部分は、融和し、プロセスとして、順序的に統合することが出来る。
そこでは、やり方と結果から、総合的な分析と、考え方のマニュアルを行う。
皆、好きなことをやって、楽しむこと。好きなことを楽しいと思うこと。
理解と発想の中で、それぞれが個性を持ち、好きなことが花開くことが、善である。
それぞれの価値観を知り、習得され、好きなことが出来るようになることが、善である。
自由とは、価値観と個性の善のことである。
平和とは、言語的に、発想的に、体験的に、理想を共有し、それに従って生きることだ。
自由とは、平和を信じることだ。
そして、全ては、愛と平和のために、それぞれが努力し、戦うことなく調和することだ。
あとは、可能性と自然を考えた。また、詳細に言葉で理解を考えた。
理解から、自由、相対性、構造体、知性の考え方が生まれる。
自然から、確率、順序、感情、想像力の考え方が生まれる。
全ては、統合されながら、変化していく。関係しながら、互いに影響力を持つ。
自然な中で、発生し、プラットフォーム的に自然は進歩する。
工夫とは、違う部分と同じ部分を良く考えることだ。
作り変えることによって、全てのことは人間的に進歩する。
人間の本性とは、反応と習得である。人格と学習である。
全てのことは、方法から生まれる。
全てのことは、捉えることで理解出来る。
全てのことは、実現のための努力である。
自由に工夫し、考え、作るための全ての前提を満たすこと。そのために努力し、調査研究し、組織を作り、考え方を知ること。それが、自由だ。
最初は、行動と判断である。次にあるのは、法則性と統合性である。その次にあるのは、対応と自然による、照らし合わせとモデルである。その次にあるのは、実現と実践である。そして、理性と良心によって、ヘーゲルの言うのと同じ、絶対知が完成する。
その中では、感性と理性によって、思考と想像力と知識から、自由を捉えることが出来る。
人間とは、その中で、自然な環境と承認を持つ生き物だ。
もっと、良く考えれば良い。言葉だけではなく、知性を使って考えれば分かる。
脳とは、理解と記憶における、判断とそれによる構築と変化を捉える機械だ。
全ては、変化する。
全ての変化は、経験的である。
全ての変化は、相対的である。
全ての変化は、普遍的である。
変化しない、絶対的なものは、無くは無い。
神とは言うが、神もまた、いか様にも変化する。だが、数学は絶対的だ。そうでもない。数学も人間の作ったものに過ぎない。人間の理解出来る、理性的な事柄しか扱っていない。理解不可能な数学は無い。
もっと、理解不可能なものを想定すれば分かる。それは、純粋理性批判と同じだ。
法則は、数学的だ。
考え方は、モデルから、いくらでも自由に作り、判断し、習得出来る。
そして、自由は、法則と考え方から、人間の理由、行動、分析的な習得、記憶を知る。
人間とは、そういう、自由な可能性の、その都度その都度の発揮である。
人間は、考える生き物だ。記憶する生き物だ。思考し、感じる生き物だ。
表現とは、自己を自己の外に作り出すことだ。
数学とは、宇宙の根源を仮想的に表現し、美しい式にすることだ。
ものは、理解、発想、可能性の具体化から生まれる。
数学は、計算可能な理解であり、表記と法則である。
ヘーゲルが言うように、生命は結合と非結合との結合である。例えば、人間とリンゴの木はリンゴと言う媒介を通して繋がっている。
数学は、全ての人間の持つ理性から、あらゆる考え方を作り出し、生成することだ。
そろそろ分かった。そういうことを言っている。
経験とは、活動の結果から、自分の生きる目的を知ることだ。
時に、最後に終わる前に、誰でも狂暴な破壊者となる。その後に、それを全て清算する、良心の道徳になる。それによってのみ、人間は段階を知ることが出来る。
自由とは、自然に分かることの中で、考え、残すことだ。
一度終わった人間は、狂って辛いだけになって、最初に戻る。それは、もう全て分かっているために、知性が無くなって、何も分からなくなる。
普通は、何もしないだけだ。色んな自然の積み重ねと経験から、法則的な知性を知る。
もっと何もしなければ良い。それで誰でもまともになる。幼い子供は、何もしていない。
もっと、部分部分のことを見れば良い。
構造化可能な構築を比較することで、自然な可能性が開けていく。そこでは、視野を広げ、別次元のことを考えることが必要だ。
予想することから真理が得られる。それは想定となって、知性となる。
ものを作るために必要な知性とは、違いを知ること、正しさを知ること、順序を知ること、方法を知ること、考え方を知ること、原理を知ること、法則性を知ること、歴史を知ること、技術の知識を知ること、実現可能な条件を知ることだ。
こんなもので良いだろう。いつもの文章は、もっと色んなことの全体が見えていたし、色んな多面的な考え方の把握が出来ていた。
だが、知性が無かった。虫みたいに見える。
管理された中では、何も出来なくなって、経験が出来なくなる。管理は悪だ。管理などしない方が良い。それぞれを本当に自由にして、それぞれのためになること、自然な条件とそれによる経験や体験を与えるべきだ。
もっと、自然に経験すること。
愛とは、発想と、不安と、経験であり、全ての経験が愛に融和する。
平和とは、記憶と意識から考えられる、自由な可能性である。
記憶からモデルを作って可能性を考えること。
知性とは、デカルト的な考え方の創造である。
自由に生きること。平和に助け合うこと。そして、絶対的に相対化すること。
愛とは、許すことだ。それも、自分の命を投げ出して許すことだ。それによってのみ、平和な世界を理想的に築くことが出来る。
自由とは、皆のことを本当に思いやり、異なる環境の中で実現出来る秩序を考えることだ。
そろそろ、基本的な知性がついた。
あとは、理性批判しながら、判断基準を作れば分かる。
認識し、仮定し、想定し、信じ、疑い、批判的に考え、客観視すれば良い。
そこから、必然性と社会やシステムの全体像が見えて来る。
それ以上は、ヘーゲルのようなことが分かる人間が多いが、それはもう終わった。
あとは、全体と言うシステムの中で、見方を変え、他人の立場に立ち、色んな集団を仮定し、全体と個人の関係を考え、個人の信念と影響を考えることが出来る。
全ては、そういう風に、ヤスパースからヘーゲルとカントに行き着くだろう。
それで良い。もう終わった。
あとは、皆を導いていた。
皆、努力し、好きなことをすること。
皆、社会の中で、自分の思う不満や苛立ちのようなものを知ること。
皆、反抗し、自由にする中で、共同性と秩序を知ること。
平和とは何なのか知るために、社会を破壊することも、必要だ。
罪悪感は、知性を高めるが、解放は、感情を高める。
全ては、知性と感情のバランスだ。それは、そのまま、経験と意識である。
あとは、そういう風に、精神の構造が分かっていた。
全ては、記憶から知性をつけることだ。
全ては、想像力から構造を作ることだ。
そういうわけで、最近は、こういう風に賢くなる人間が多い。
悪いものは、全部パソコンだが、良いものも、全部パソコンだ。
そのうち、パソコンの動画サイトの方が、テレビに勝る。何故なら、情報量が多い。フィルタリング能力を強化して、参加者を増やせば、すぐにグーグルが勝つ。テレビの情報量は少ないし、そんなに賢くない。芸能人はおかしい人間が多い。
そうすると、むしろ、Linuxで良い。そういう人間が多いから、Linuxが一番悪い。
もっと人生のことを書けば良い。それで終わりだ。
Linuxのマーケティング活動から、システムの全体像と、競争的な経営学を体験で知った。
自由とは、2ちゃんねるの皆と共有した、繋がりと絆だ。
誇りを忘れずに、理想を追い求めながら、こだわりを追究すること。
時に、それは悪く出ることもある。仏教は執着を無くせと言っている。
だが、そうでもない。こだわりから、職人のような技術と能力が生まれる。
技術と能力を知り、高めること。
自由とは、違うもの、新しいものを追い求める中で、全てのことは同じで、自分のためになると知り、繰り返しの中から挑戦と可能性を開拓することだ。
平和は、自由であり、平等である。平等でないものは悪いが、自由で無いものは馬鹿だ。
アメリカの音楽を聴いていると、比較的当たり障りのない音楽が多いのに、全て悪い。
アメリカは、色んなものがあるとは言うが、何も無い。日本と同じように、何も無い。
普通、何もしない。そういう、何もしない国だ。
テレビやスターは多いようで、普通関係ない。友達づきあいなんか、日本と同じだ。
悪いものは多いが、当たり障りのないものが多い。
放っておくと、アメリカ人は賢くなる人間が多い。
今日は英会話教室には行ったが、農園には行かなかった。
農園では、最近、トマト、キュウリ、ナス、ピーマンが出来る。何故か、農業をやっているありえないニートが自分だ。
アメリカは、あまり良くない。日本の方が良い。
最近、外国人にも日本が好きな人間が多い。
自分が最後に統治して、良くしたのが日本だ。
だが、日本人は、日本のことなんか守らなくて良い。どんどん壊した方が良い。その方が良くなる。だが、それをそのまま受け入れるのは良くない。日本のことを守った方が良いことは多い。
日本には、アメリカやソ連のような、一番悪いものは無い。たまに漫画などにあるが、そんなに悪く見えない。何故か、日本の文化は、日本人の魂のように、心に染み渡っている。そういうところが一番賢いのが日本だ。
アメリカは、むしろ、そんなに悪くない。悪いものが多いのは、全体の量が多いからだ。日本なんか、一番何も無いだろう。むしろ、フランスやドイツの馬鹿よりはマシだ。
日本には、共産党やユダヤが居ない。何故か、居なくなった。それも賢い点だ。
アメリカは、戦ったりするようで、していない。真面目にこなしながら、将来のことと勝つことを考えるように見える。そういう国だから、良い人間が多い。
グッドジョブは良い言葉だ。覚えた方が良い。アメリカの良い精神が輝いている。
アメリカに良いものが多いとは言うが、プレスリーのようなものが多いだけだ。明らかに、マイケル・ジャクソンのような悪いものも多い。何故か日本の方がそういうものは多い。
色々と良いものは多い。ソ連なんか、何も無いだろう。アメリカが一番マシだ。
それは無い。アメリカが一番悪い。当たり前だ。
アメリカ人には、本当にアメリカが一番優れていると信じている人間が多い。
アメリカの強い政府が皆を守っている。教育や娯楽の質は高い。スーパーマーケットやコンビニには、ものが多い。何故か、そういうキモイ国だ。
日本の方がキモイ。全く何も無いだろう。オタクが多いのは、かろうじてそういうものが多いだけで、誰が見てもオタクはキモイ。パソコンを見ていると、オタクしか居ない。
不思議と、ヨーロッパやアメリカにもオタクは多い。GEEKと言う。リーナス・トーバルズが一番そういう、コンピュータのオタクだ。僕は、GEEKが好きだ。
そう言うわけで、アメリカにも日本が好きな人間が多いから、友好した方が良い。
アメリカは盟友だ。アメリカのおかげで日本の平和がある。広島に一番多い。
英語は、ほとんど簡単な単語しか使わない。量は少ない。だから、短い単語で成り立つ。短く言っても聞き分けられる。そういうわけで、英語は発音が分かると出来る。
Androidは、アメリカではその名前の通り流行っているのだと思う。
広島には、アメリカ人が好きな人間が多い。嫌いな人間は居ない。そこがありえない。
説明するのは難しいが、英語での単語と日本語での文字は同じだ。同じように言う。
2ちゃんねるは、しても意味が無い。そういうわけで、他と関わりたいのに関わりたくない。ネットなんか見たくない。ネットに英語が出来る人間は居ない。性の話はキモイ。
続きはブログでやっています。
http://assyschwarz.hatenablog.com/
上のブログを参照のこと。このワードは、もう終わりです。