日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-13=

可能性を減らしただけだから、可能性を増やせば分かる。

ああもなる、こうもなると考えれば良い。

認識はフィルターであり、知と無知を比較し、知れば知るほど分かる、と考えれば分かる。

ヘーゲルのように、対象と法則の無限性、区別と統一の無限性を考える。

思いやりを考えて、思い出して分かっていた。

辛いと思えば辛いが、楽と思えば楽だ。

知っている状態と、知らない状態を考えて分かっていた。世界観を分かった。

ネットを見ながら、人間のことを、1人良く考えると、分かる。

難しくは無い。人が何を考えていて、何を分かるべきなのか、どうすれば良いか、いつ何が出来るか、ソクラテスのように考えれば良い。

あとは、経験を疑うこと。経験を信じないこと。理性を信じることだ。

皆に同じ理性があると考えて、同じ体験と経験から分かると分かる。

そして、思い出して考えると、実体験と意識と理性から、人間の全てが分かるようになる。

経験を信じるな。信じるべき時は、良く考えて信じること。それで分かる。

経験論はおかしくはない。経験から感情を考えれば分かることもあるし、色んな人間の経験、普遍的な経験を考えることも出来る。

神話は信じるべきではないが、神話を考えることで、昔の人間社会も分かって来るし、何故神話が存在するのか、作ったのか、生まれたのか、を必然的に考えることも出来る。

物理も物理で馬鹿だ。人間は、まだ何も分かっていない。何も解明されていない。

経験とは言うが、2ちゃんねると青春の経験で分かっただけだ。経験論や実存主義のように分かっていた。しない方が良い。むしろ、普通に高校で良い。それなら出来る。

誰が何を考えているか、のようなことを良く考えていたが、高校の仲間で良い。それなら誰でも出来る。わざわざ2ちゃんねるで馬鹿になる意味が無い。

2ちゃんねるの経験で馬鹿になっただけだ。辛いから、それを止めるしかない。

あとは、関係や客観視や影響力を考えて、集団と個人が全部分かった。それくらいの馬鹿だった。自分の経済学を作って分かっていた。社会の成り立ちが分かった。

経験から判断基準や視野や視点が生まれた。

この文章は、全部経験に頼って書いている。そこが間違っている。経験は無い方が良い。

いつもの文章は、ゼロから理性で考えていた。そこが賢かった。

経験から、世界モデルが生まれた。それは、理性から分かった。

もう、経験は信じない。これくらいで経験は終わりだ。理性を信じるようになる。それが一番、哲学者が出来る。デカルトやカントが出来る。経験を信じないと言うよりは、経験はただの経験に過ぎない、別の可能性もある、と考えた方が良い。

あとは、己の可能性を高めれば良い。能力をつけて、何でも出来るようになって分かる。

色んな行動から、実践的な理性が見えて来る。行動を捉えて分かる。

そろそろ分かった。そういうわけで、子供は賢くない。子供には分からない。

人間は全部経験的で、あらゆる観念と意識が経験である。それもおかしくは無い。

記憶と経験を良く考えながら、経験を信じないことで、モデルから分かることが出来る。

経験は本当に信じない方が良い。理性を信じるべきだ。

普通の大人にそういう人間が多い。皆の方が正しい。

皆と会話しなければ分からないが、分かってしまえば、それ以上は1人で分かる。

昔の子供時代、賢かったのは、この文章が分かっている。

最近、馬鹿になった。大人は馬鹿だ。

子供にいじめが多いのは、こういう風に分かる人間が多い。ただ、自分がキモイだけだ。

子供なんかどうでも良い。子供は忘れた方が良い。

子供を救いたかったのはおかしくない。学校は、もっと意味のある環境になるべきだ。

純粋理性や心も疑った方が良い。

理性批判や精神分析から分かる。

思い込みを考えれば分かる。

経済学を作っていた。実地的に考えて、未来学者のように方法や手段、具体例や可能性を考えた。社会の成り立ちと実像が分かっていた。

構造主義のように、ソシュールの言語分析や、レヴィ・ストロースの未開社会で分かっていた。そういうものは、全部インターネットで分かった。

支配すると、支配された側は楽になる。支配した側は考えて賢くなる。

オヤジは賢い。こういう人間が多い。賢いオヤジしかいない。

狂って死ぬのが怖いだけだ。

相対的な考え方を分かれば良い。

考え方を適用し、方法を改善し、職人を生み出し、場と知識を作る。

自然に環境から分かる。体験的に分かった。

実践的、応用的、研究的、実地的な経済学を考えていた。

知には、論述知、批判知、判断知、識別知がある。

知の形成を考えていた。理解と想像力と批判から生まれるとしていた。

経験と言語から知が生まれる。

正しく人間の理性を分析すると、カントになる。

あるいは、ヘーゲルになる。同じ人間が多い。

同じ人間は居ないようで、ゲーテが居る。ニーチェも居るだろう。

英語は反復だ。書いて、聴いて、繰り返すしかない。みんな頑張っている。

行動には判断力が必要だ。

あとは、インフラとか、予測とか、抽象的なこととか、発想とかいうことを言う。

歴史でもすれば良い。ナポレオンはカリスマだ。

自然や科学のことを構造的に書いていた。

生物学は、植物や動物の生態や、生態系を書いていた。

最近、日本語もきちんと分かっている。本もきちんと読めている。賢い。

賢い人間は、変わらない人間が多い。このままで良いから、それで楽だ。

パソコンのせいで、誰でも最近色んなことが出来る。パソコンは悪くない。

パソコンは条件だ。条件を想定するだけだ。だから、自分の数学は、誰でも作れる。

今日も、英語を25単語やった。続けることが大切だ。

あとは、意味を良く考えて、思い出して考えること。それで誰でも分かる。

予測し、思い出すことから、想像力がつく。経験から意識で分かる。

それくらいの哲学者だった。本当に、アリストテレスのような人間だった。

パソコンをやっていると誰でも出来る。

比較して、考えないと分からない。

自然な潜在性を考えて、限界を超えていけば良い。

もっと正しく、普通に、自分の経験から考えれば良い。

人間のことが分かると、社会のことは、人間を部品にし、関係にすることから分かる。

科学も同じだ。分かったことから、部品にし、関係にし、考え方を知ることから分かる。

経験を信じないだけで、科学が出来る。実験と仮説が分かる。

こういう人間は多い。賢くない。一番馬鹿なだけだ。

もっと良く考えると、認識の方法や、社会を構築する方法、分散した共同体、共有と一体、共通性と類似性、多様な環境と自然の保持、メタ言語のようなことが分かる。

そういうものは、パソコンを見ていると良く分かる。何も知らなければ分からない。

パソコンをする必要も、無くは無いだろう。

現代人に、パソコンを全くしない人間は、居ない。

言語や表記のようなことを良く考えると、本当に良く分かる。記号論のようなことを分かれば良い。そこから、思考や言葉と行為の関係、環境と文字の関係のように分かる。

部品にして、関係を考えるのは、賢い。

仏教も、原因と条件の相乗作用のようなことを言う。

能力や機能のようにして、考え方と構造にして、相対的な部品と関係を考える。

それですぐに分かるだろう。あとは、潜在的な可能性や、必然性を考えれば良い。

それを帰納的に考えると良く分かる。演繹も同時にすれば良い。

それ以上は、モデルにすることで、全体像が見えて来る。

機能や能力は、システムになる。そこから、生物や機械や意識のことが分かる。

部品にして、関係を考えることから、考え方や目的、前提条件や手段が分かる。

そういうことを言いたかった。そういう文章を書いているようで、もっと高度で応用的な文章をいつも書いていた。いつも、そういうことが全て分かっていた。そういう、賢い哲学者の科学者だった。ゲーテに見えて良い。

あとは、世界観を全部書いて、人格や考え方のモデルを書いていた。

そして、生命や人生のパターンを、思考の構造から判断で作っていた。

それくらいの文章だった。経験を疑う内容が多かった。

キモイ文章だから、忘れた方が良い。

頑張れば分かる。頑張っていると、分かる人間が多い。

ネットの英語勉強法は、参考になるかもしれない。だが、出来る人間は、一日8時間、3か月勉強して出来ている。そういう人間が多い。出来るわけがないから、一日30分で良い。ドイツ語まではしなければ良い。25単語ずつ覚えるのは、悪くない。

三日坊主で終わると悲惨だ。続けることが一番大切だ。

続ける人間が賢いから、自分が賢い。そういうわけで、続いた方が良い。

止めたいのはおかしい。もっと違うこともやれば良いだけだ。

体験的なことや、関係や歴史のことを良く書いていた。

悪い文章も多かった。皆を支配して、分からなくする。本当に分からなくなる。

もっと、ネットや本を読んだ方が良い。それで治るはずなのに、まだ治らない。

頑張れば良い。むしろ、ユメタン方式では、1週間で100単語することになっている。1日100単語を、1週間繰り返し、反復してやる。それが一番出来るから、すれば良い。

そうでもない。一日25単語、30分は悪くない。頑張りすぎなくて良い。

それで良いと思う。英語は、英会話教室に行く。明日は英会話教室の日だ。

作曲は、出来なかった。普通に曲を弾けば良いと思う。先生には、出来なかったと言うしかない。1人では出来ないものだ。

あとは、宇宙の創造や人生の設計図のような文章が多かった。

考え方を全部書いていた。決まりと構造を全て書いていた。そういう文章だった。

場のようなものを全部分かっていた。視点のような内容も多かった。

何より、分かっていた。分かっているマスターのような文章が多かった。

仮想世界と歴史の時代を全部作っていた。

人生のこと、体験のこと、心のことを全部分かっていた。

ただ、分かっているだけで、賢くは無かったが、世界を支配して、戦っていた。

自由な内容が多かった。自由に、体験的に、意味的に分かっていた。

もう終わった。どうでも良い文章だ。

科学のような内容も、宗教のような内容も、多かった。

狂っている内容も多かったようで、治すだけ、体験するだけ、思い出すだけが多かった。

人間と人間の関係や、経験と目的のような内容も多かった。

相対的な研究と思考の方法を書いていた。

記憶と経験から、学習と人生の経緯を書いていた。

社会を、段階的なモデルから分かっていた。

抽象的で、帰納的な、可能性と研究とものごとの分かり方、出来事の関係が多かった。

自然な変化の捉え方のような内容が多かった。

考え方と構造をいつも分かっていた。

可能性と見方を変えるような内容が多かった。

あとは、能力や、社会の多様性、影響力、知性、経験のようなことを考えていた。

そろそろ、いつもの文章はもう良い。

もっとある、もっとあるが、いくらでもあるだけだ。

対処法で治すのではなく、根本にある原因を無くすことで治す、と言う発想がある。

東洋医学では、そのように考える。

そういう、賢いことを考えれば分かる。賢いことが何も分かっていない。

子供が賢いのは、世界の中で初めて体験し、自分の眼で世界を見ることを覚えるからだ。

そういう、16歳ぐらいの子供が、一番賢い。自分も、そういう人間だった。

皆を導く文章や、永遠を創る弁証法のような文章が多かった。

現実世界でも、皆を永遠に導いていた。

あとは、昔の自分なんか、東洋医学のように、考え方と知識を全部吸収しただけだ。

生命は、生体エネルギーだ。

数学は、論理的な正しさと美しさの追究であり、論理と比の関係だ。

物理は、観測とエネルギーの組み換えだ。

そういう、考え方と博物学のようなことを全部言っていた。

日本の音楽の方が良い。アメリカの音楽は、悪い。ラップが多い。日本には、まともで賢いことを作詞で言う音楽が多い。人生の知恵や、自分のようなことを言う。アメリカの音楽は、どうでも良いほど、適当なフレーズを繰り返し言うだけだ。日本が一番良い。

あとは、アリストテレスや仏教のような、言葉の構造、言葉の分析、言葉遊びのような、分類的な文章が多かった。命題と定理のようだった。

また、歴史のような内容が多かった。

日本の文化は、完全な戦う自由な中での、平和だ。そういう、おかしな分析が多かった。

あとは、自由に出来るところを、全部自由にした。制度、教義、会社、設計など。

そういう自由を、もう止めた方が良い。

日本は、アメリカを止めて、ドイツのようになれ。

そういうわけで、ネットで安倍を支持している馬鹿はキモイが、それで良い。

自分もただの右翼の左翼だ。ただ、アメリカは好きだ。辛いソ連の方が嫌いだ。

皆それぞれ違うのを考えると良く分かる。同じにするのが一番悪い。

ドイツを悪いとは言うが、きちんと従い、戦い、神を信じる国だ。

最近のドイツは、ファシズムは嫌いだ。

それに、良い国の方が馬鹿になる。悪い国の方が賢くなる。

ドイツが良い。ドイツには、科学技術と、高い学術的な文化がある。

ドイツは馬鹿に見えて悲惨だ。メルケルやオランドは、一番青い人間に見える。

分からなくならなければ良い。感性で分かれば良い。

バイトなんか、しない方が良い。ブラックバイトは、辛い。

本当にソ連の方が良い。そういうわけで、平等にしない自由はおかしい。

壊して分かる、ありえないキモイ文章が多かった。

そんなに就職と労働を頑張る日本はおかしい。金と競争はブラックになる。

ソ連のように、最初から職を与えて、平等にした方が楽だ。

ソ連を楽だと言うとおかしいとは言うが、それは間違っている。ソ連は、楽だ。

辛いとは言うが、辛い人間は居ない。ユートピアのように、何もしていない。

ソ連が一番自由だ。殺し合いの自由は多いし、廃墟や逮捕も多いが、ソ連が理想だ。

それぞれの自由な意志の尊重を良いとはいうが、それはおかしい。

何故なら、就職活動や受験など、自由な意志なんかない、最初からゲームのような強制的活動が多い。

自由は、皆を馬鹿にしているだけだ。

ソ連は、ユートピアだ。賢い職業は無いが、馬鹿は平等に楽だ。民衆を逮捕するとは言うが、そんなことはしたりしない。ロシア人は、ものが無くて、発展しないのを悪いとは言うが、それは、アメリカや西側諸国と比べて顕著になっているだけだ。

そうでもない。ソ連は悪いだけだ。普通、一番悪い国の代表だ。敵の飛行機は撃ち落とす。そういう風に、西側を倒したいだけの国だ。

ただ、自由な意志が無いと、それは奴隷だ。昔の自分が見て、自由な意志が哲学的に正しい。だが、そうでもない。日本での自由な意志なんか、ただのロボットに見える。

それぞれの意志は尊重すべきだが、労働は平等の方が良い。そういう発想が多い。

グループや組織における、自由な意志はあった方が良い。支配や強制は悪い。

そうでもない。支配者が考えて、皆で考えて自由に強制すれば、強制労働は起きない。皆の評議会でノルマを決めれば良い。要は、本当にスターリンだけが悪い。

分かる考え方と人生の段階、意識のようなことを言っていた。

分割し、推論し、検査し、実験し、関係を考え、全体像を見て、実地的に考える。

比較し、仮定し、部分ごとに分かる。

そういう、人生と考え方のような内容が多かった。

ドイツは、従うだけだから、止めた方が良い。アメリカは馬鹿すぎるだけだ。

自分が決めると、スターリンではない、中国式のソ連にすれば良い。

むしろ、本当にいつかそうなるだろう。

ただ、ソ連は失敗した。破たんした国だ。東側が見ても悪い。おかしな、殺す以外の戦いをする。いじめて、体の部分を切除したりする。一番悪い国だ。スターリンは馬鹿だ。

ロシア人が見ても、ソ連は馬鹿だ。何も出来ない。共産主義の理論が間違っている。

最近は、意識と分析で記憶を全部分かっている。精神分析だ。

ソ連は一番悪いことをするとは言うが、フランスなどの帝国主義に勝ちたいだけだ。

それに、アメリカも同じように一番悪い社会だ。

馬鹿を自由にすると、ここまで悪いことをする。

そういうわけで、自分が一番アメリカに見える。そうでもないだろう。

既に死ぬのが分かっている、おかしな「覚えている」が多い。良く分からないほど、未来まで全部分かっている。そういう人間が神になる。普通、天皇がこうなる。

あとは、社会の実現のようなことを分かっていた。本当に何でも出来る、キリストのような人間だった。ブッダのように考えれば、誰でも出来る。

辛くなるのは、全部時計だ。時計のロボットになっている。

それが分かると、もう楽になる。辛いのは全部時計だ。

時間が存在しないとは、最近の自分のことを言っている。

未来は、こういう風に決まっている。

あとは、思考のスケッチのような内容が多かった。

そろそろ楽になった。

それで、もう皆治って、死ぬかもしれない。普通、楽になると、死ぬ。

死なない方が良い。

昔を馬鹿だと思わない方が良い。

神の眼から経験的に分かる賢い人間だった。

思考と体験で、八正道と同じものを分かっていた。

全て経験と理性から分かった、ドイツ人のような賢い人間だった。

知性があった。そういうわけで、不良のように賢かった。

最近も賢い人間だ。マスターみたいな賢くて正しい文章を書く。

そして、神と対等に対話した。普通の話をした。それで、今に至る。

原因や条件、森羅万象の変化を考えた。科学的かつ数学的に全て分かっていた。

目的と方法が分かる、人生の知恵と経験がつまった人間だった。

あとは、心理で自由に場を支配する、ぐらいが多かった。

応用的な考え方、環境における体験のようなものを考えた。

環境における意識や、想像力のようなものを分かっていた。

本にも書いてあるが、基礎を築き、話を聞いて、自由に考え、経験を重ねた。

基礎の構造を作って、可能性を分かっていた。何でも分かる、賢い大人だった。

正しい理想や情熱があった。感受性と受容性が高かった。

経験と人間性から、哲学を分かっていた。

あとは、記憶と思考を辿って分かっていた。あらゆる場合と状況を想定していた。

思考力と認識力があった。あとは、経験から環境を自由自在に考えていた。

人間のことが具体的に全部分かっていた。

抽象的な方法は、コンピュータと数学的な知性や体得から分かった。

システムを作るために、OSなどの機能の必然性を分かっていた。

時計が治って、足が治った。もう完全に楽だ。

地獄は辛かった。押し寄せる苦しみに耐えるだけの、地獄の戦争だった。

あとは、感情と想像力を言葉にしていた。言葉に出来ない構造を、言葉にして分かった。

仏教の言う我が無いとは、デカルトの逆である。デカルトは、我だけは確かにあるとした。仏教では、我などどこにもないと言う。それは、デカルトの方が普通だ。

今日もそろそろ終わりだ。あとは明日書けば良い。

フランス語がしたいのはありえない。一番キモイ。ドイツ語はまだカッコいい。