日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-11=

存在、方法、心、社会など、マスターのようなことを言っていた。

社会、人生、方法の段階のようなことを言う。

意見から努力を知った。

関係から想像力と判断力を知った。

法則を知った。

可能性を知った。

理想の社会と発想を知った。

思考で分かった。

そのような、人生の段階のようなことをいつも言っていた。

また、社会の段階も言っていた。

自由な社会から、それぞれが思いやって、平和で助け合い、許し合う社会が生まれる。

そこでは、自由な秩序と契約によって、組織が行われる。

あとは、環境とプロセスのようなことを言っていた。

社会は、アメリカのような自由な社会から、ドイツのような王によって統治される社会になり、ソ連のように皆で決める社会になり、日本のように文化が発達した社会になる。

あとは、分かり方のようなことを言う。

照らし合わせて分かる、モデルを作って分かる、辿って分かる、信じて分かる、戦って分かる、書いて分かる、など。

そろそろ終わりだ。本当にそれくらいしか言っていない。そういう、マスターを言う。

世界観を必然性から考えた。何かの観念は、必然的に経験から生まれるとした。

システムや方法も、必然性から考えた。

あとは、経験のようなことを言っていた。ネットを見聞きして、自分を信じて分かる。

自分に出来たことは、誰にでも出来る。そういう風に分かった。

そうなるべくしてそうなる。そのように分かっていた。

あとは、思考を辿って、経緯を考えて、モデルと照らし合わせて分かっていた。

像を考えて、人間がいつどんなことをするか、経験と想定から考えていた。

また、人格がどうなるか分かっていた。

そして、色んな人間のことを経験で知っていた。人生のことや場面を分かっていた。

その人の立場に降り立って、その人と同じ視点で分かっていた。

だが、解決は、望むだろうことを考えていた。良く考えて、その人、その問題は、どうすれば良いか考えていた。その人が望んでいないことでも、直るならそれで良かった。

ある意味正しい、とされたことを全部分かって、高みから決定と影響力を分かった。

何もかも、根源的に、裏側から考えれば、正しいこと以上に正しい、そういう階層的な段階がある、と言うことを分かっていた。

そういうことを、理性、判断力、前提、そして理性批判、などで分かっていた。

全ては、苦しみと言うよりは、努力であり、努力の結果が人格であり、自我である。

そういうことを言えば、哲学的だ。

他人を、手段ではなく、目的として扱うこと。カントが言っていたと思う。

正しいことの積み重ね、考え方の積み重ねが、判断力だ。正しいものよりも、もっと正しい、メタ的な発想をすることで、あらゆる実践と努力が可能になる。決め直すことから分かる。高い立場から、人間を吸収することが出来る。

正しいことよりも、もっと正しいことを知って、決め直して、積み重ねること。

前提となる考え方を作って、基礎を作ること。

それできちんと分かる。不思議と、哲学なんか、それで誰でも出来る。

社会のことを積み重ねて、建設的に考えること。本当の問題がどこにあるのかを考えて、自由を捉えて、自分が出来ることから、手段や解決のようなものを分かっていた。

誰でも出来る。もっと、本当に間違っている原因や理由のようなことを、経験的に考えれば良い。理性と自由から分かって来る。

だが、自由は悪い。止めた方が良い。自由は2ちゃんねるだ。それで良いなら良いが。

あとは、自分の数学が生まれる。ものには、原因、方法、条件、関係、結果がある。

そういう風にすれば、昔の自分が出来る。社会実現を考える。

あとは、カントのような科学的方法で分かる。問題を正しく捉えて、解決する。科学的な考え方から、自然のことから心のこと、社会のことまで、全部分かる。人間のことは、理性批判から分かる。認識は経験的だ。そのようにすると、哲学的な知が分かる。

あとは、人間のことを考えれば良い。経験、存在、人生のことを考える。実存主義のように分かっても良いだろう。だが、哲学ではなく、普通に考えた方が良い。

ネットを見て、人間を考えて、経験して、良く疑っていると、こうなる。

あとは、一度世俗から離れて、引きこもりになるのが良い。それが一番分かる。

そういうわけで、誰でも出来る。あとは、必然的に、社会と技術のことが分かる。

そこから歴史と生命の不思議が見えて来る。博物学の考え方を作る。色んな応用的な知恵と、共有の世界を知る。そのようにすれば良い。

経験を思い出して、比較して、全て経験して、意識で分かる。

そのように、思い出せば分かる。色んなことを思い出して、学んで、発想し、反省する。

そこから、想像力がつく。想像力は、相手のことを予測することでつく。

構造を作る。考え方を作る。認識を作る。関係を作る。あらゆるものを作って、道が分かって来る。そこから、未来のこと、社会の潜在性なども見えて来る。

人間のことを考えるためには、考え方を変え、見方を変えること、経験的に認識を考え、経験に頼らず、理性的に考えることだ。

最近は、色んな国の経験をした。アメリカ、ロシア、イスラエルを経験した。そこまで色んなことがあった。地獄だったが、天国のようでもあった。辛かったが、楽しかった。

あとは、見方を変えて考えれば良い。いつも、そういう、見方を変えるような文章を書いていた。全て分かっていた。あらゆる角度から分かった。それくらいしか無い。

あとは、予測のようなことを言う。馬鹿みたいなことを言っていた。

頭が辛いのは、切り替えて分かるからだ。そこを楽にすれば良い。そんなに頑張って分かる必要が無い。もっと、楽に、適当に、自己中心的に分かれば良い。

昔は、心を比較して、切り替えて、物理のように分かっていた。

基盤から心を分かった。心のプラットフォームのようなことをいつも分かっていた。

もう分からないようで、あとは、適当に簡単に分かる。

そんなに感じなくて良い。もっと、適当に、言えば良い。簡単だ。

もう楽だ。もう何も言わない。そういう、切り替えて分かるのは、意味が無い。

そういう風に分かるのは、もう止めた方が良い。それで頭が楽になる。

おかしな多重人格の知的障害が治る。パーキンソン病になっている。自閉症も多い。

あとは、正しい考え方が経験から分かっていた。それくらいの人間だった。

いつもの文章は、相対的なことを言いたかった。

「どれだけ」や「どうすると」が多かった。環境や体験を考える、方法論的な、考え方のようなことを言っていた。また、記憶と学習、価値観と正さの分析のようなことをいつも言っていた。自由な人間だった。理性的に、可能性と制限の自由を考えていた。

平等に、それぞれが出来るようにする、と言う、ボトムアップ的な信念から、国やモデルを作っていた。

あとは、あまりない。理性的なことを言っていた。体験から発想と理解が生まれる、のようなことを言っていた。

あまり書かない方が良い。本当に見ると、虫みたいにキモイ。

いつもの文章は、そこまでのキモイだけだ。

そんなに馬鹿で、おかしくて、悪いのがキモイ。おかしく書いた、おかしな文章だった。

もっと、「どのように」のようなことを考えれば分かる。

どのように作るか、のようなことを考える。

機械は、例えばボタンなど、必要なところを作るだけだ。それが設計だ。

普通、そういうところが全部分かる。分からない自分は馬鹿だ。

昔から、そういう風に分かっていた。それを書いていた。今、分からないのは、忘れたことすら忘れているからだ。日頃そういうことを考えないから仕方ない。

そういうわけで、「どうやって」のようなことを考えれば良い。

昔から、どうやって分かるか、のようなことを書く。経験から帰納的に分かるとか、理性と理解と発想から分かるとか、可能性を辿るとか、発生要因を知るとか、言っていた。

そういうものを全部分かると分かる。書きたかったのはそういう内容だ。

発生原因、人間の識別、場との関係、決定と可能性、そして自由な考え方が全てだ。

構造と関係から、それが発生する理由を、遡っていくらでも無限に考えられる。

全ては、歴史であり、相対性であり、未来的な事象だ。

そういうことを言いたかった。そのように、考え方で世界観を分かっていた。

全ては、場と場の関係である。

創造性、愛、考え方が全てだ。

平和な状態と、平和で無い状態、平和で無い原因、平和にする方法を考えること。

自由とは、理解から新しく優れた体験の可能性を生むことだ。

体験とは、存在的に、体感して考えることだ。

そのように、全て分かった世界観のようなことを言う。そういう人間が自分だ。

方法とは、考え方と原因のバランスと交差である。

人生とは、それぞれの考え方による、知と体験の関係であり、知っていることを体験することである。

考え方とは、理解と方法による、経緯的な分析と、関係とプロセスの比較である。

原因とは、全てを築く基礎である。

そして、自由に考えることで、体験的に全てのことを知り、実感して分かることが出来る。

自由とは、平和な環境を作るために、それぞれの認識と概念を知り、考え、どこかで起きた問題を解決することである。

世界は、もう滅びない。もう、絶対的な理解を全て残した。終わりだ。

自由とは、習得、体験、理解から、それぞれの知を経験的に作り出すことだ。

全ては、経験だ。経験からあらゆることが生まれ、見えて来る。

そろそろ終わりだ。そういう、世界観から考え方と存在と概念を捉えて分かっていた。

考え方は、自由、前提、概念、制度、組織、可能性、状態だ。

可能性と状態から、あらゆる存在と社会の進歩を考えられる。

自由とは、進歩することだ。

自由とは、未来を生きることだ。

自由とは、自分を信じることだ。

自由とは、価値観の分析から歴史を知ることだ。

自由とは、モデルにすることだ。

自由とは、思いやり、許すことだ。

罪など無い。罪という概念は、間違っている。罪悪感は、全ての生命力を枯らす、毒だ。

だが、悪いことをすると、自分の感情が辛くなる。知性が低くなる。それは正しい。

良く考えると、宗教的に考えなくても、善悪の必然性は分かる。

本当に良いことをした方が良い。それは、科学的に、相対的に見ても、正しい。

あとは、哲学的なことを考えれば良い。存在を全体として把握するとか、煩悩の原因とか、哲学的なことや、宗教的なことを考えると分かる。

組織は、人員の階級と力によって支配された組織を作ることも出来るし、平等で助け合う平和な生産的な組織、正しい組織を作ることも出来る。

組織は、相対的で、自由に生まれる、システムだ。

そのような考え方のようなことをいつも言っていた。世界観の中で、共同体の、合意と契約による歴史のようなものを作っていた。

そういう風に、世界観を書いていた。

あらゆる認識を潰しながら、場と構造を作っていた。

正しい概念とは、抽象性、類似性、原因と条件、方法、そして方法の応用である。

そういう風に考える、理性的な観念像のようなものが多かった。

自然と自由から、相対的な世界と歴史が全部生まれるのを、いつも書いていた。

生まれる世界のことを、普遍性と自由な概念から、全部分かっていた。

考え方は、意味のようなものを想定して考えていた。

自由とは、概念と概念が織りなす、生命のプラットフォームである、と言っていた。

あとは、人生のことを言っていた。

判断基準、根拠、根源、動機から、形而上学のように、人生が分かっていた。

経験とは、識別、感受、相対性、関係、相互作用であるとしていた。

全ては、科学であり、科学の歴史である。

全ては、思想であり、思想の歴史である。

全ては、生産関係、手段、条件であり、生産の歴史である。

あとは、国家モデルのようなものを作っていた。

中央集権と道州制、給与の自由と平等、代表を選ぶ自由、平等な一体などを考えた。

また、理性と現実のモデルを作った。数学は理性、物理は現実であるとした。

あとは、マクロ的な時代を作っていた。宇宙の歴史、生命のパターンのようなものを創造した。自由な人生と経緯の宇宙史だった。

昔は、オープンソースのことを1人でしていた。最近は、文章を書くのが1人で出来ている。英語も、1人ですれば良い。皆は、そこが出来ない人間が多い。1人でするのは難しい。そこが分かると、皆も同じことが出来る。ただ、1人ですれば良い。それは難しい。

もう、黙れば良い。それで楽になる。神との対話は終わりだ。いつまでも話す意味が無い。

意味を良く考えれば分かる。

真面目に考えて、時間が無い人間には、余裕も何も無い。何も出来ない。

環境が自由なら、そこでは自由なことが出来る。

言語は、読めない人間もいる。読めても、理解するためには、沢山の基礎と前提がある。

そのように、意味を良く考える。前提と対処のようなことを考えれば良い。

あとは、自由を考えていた。自由な制度、環境、経緯のようなものを考える。

だが、それは止めた方が良い。知性が無くなって、馬鹿になる。

これで知性が無くなる方がおかしい。もっと、意味を良く考えれば治る。

この文章は、そういう、知性を無くす悪魔の文章だ。

だが、それはそうでもない。誰でも、馬鹿が全部治る。そういう、天使の文章だ。

終わりだ。一度全部分かって、忘れるのが良い。全て忘れると、気分が良いし、楽だ。

意外と、ここまでの馬鹿は本当に多い。ゲーテなどは、全く違う。全部分かっている。

日本人は、昔から、全部同じ人種だ。

そういうわけで、これになると良い。日本人がこれになると、一番賢い。

虫とは言うが、虫は好きな人間が多い。どうでも良いが、そういう、どうでも良いことを考えれば良い。

いつもの文章は、自分を破壊するだけだ。構造と制度から可能性が生まれる、のようなことを言う。破壊しているだけだ。

全て詰め込んで、教えて、発展させたかった。

自由で悟らせて、自分のことを全部教えた。悟るだけの馬鹿な賢い文章だった。

平等に全て教える、平等な支配者だったが、皆それで馬鹿になった。皆、全部同じになった。自分になって、辛くなって、正常でなくなった。感情が辛くなって、賢くなったように見えて、ただ辛くなって賢くなった。馬鹿にならなくなった。

辛いから、もう日本は賢くなくて良い。自分にならなくて良い。平等にならなくて良い。自分を拒否して、愛さずに、反すれば良い。背中を向ければ良いと、ケミストリーも言う。

知らない方が良いこともある。大学は馬鹿だ。知らなくて、人間に普通に備わっている、普通の概念や観念を考えれば分かる。感情で考えれば良い。昔は、そこが分かっていた。

知りたいようで、知りたくなかった。感情で考えれば、誰でも分かる。感情を信じて分かれば良い。その方が賢い。

大学のせいで馬鹿になった。大学なんか、ただの馬鹿だ。哲学専攻は、ハイデガーしか分からない人間のような学派だ。カントなんか誰でも分かるとは言うが、自分の方が普通だ。

自分は、きちんと哲学が分かっている。だが、そういう、知ったことで分かるのが悪い。人間に普通に備わっている、本来の理性、本来の感性で分かるべきだ。哲学なんか、しなくて良い。大学なんか、行く意味が無い。心理学や歴史は、もう終わったはずだ。

あとは、想像力のようなことを言っていた。機械の仕組み、学習、発想、本質、ものと人間の関係、社会の集団と個人、予測、客観視、自由な社会や生態系を書いていた。

それくらいで全部だ。もっと色んなことは言っていたが、そろそろ分からない。記憶とか、プラットフォームとか、と言っていたはずだ。

全ては、発生要因と意図であり、形相と質料である。そのようなことを言う。

全ては、意志と意識と識別や判別である。そういうことを言えば良い。

自由とは、考えること、信じること、識別することだ。

宇宙は三次元に見えて、もっと高次元だ。何次元もある。その宇宙では、全てが違う。

生命は、宇宙人が創ったと言うよりは、宇宙から降り立った、と考えるのが正しい。

地球に来る前には、もっと別の惑星に居た。自然な成り行きで、地球に降り立った。

そういう風に考えると、全てのつじつまが合う。ただ、おかしいとは言う。科学的でない。

あるいは、海から生まれたと考えるなら、海が何らかの化学反応を起こしたのだろう。

三次元に人間と地球の生命しか居ないのは、もっと高次元に宇宙人が居るからだ。

宗教を科学的でないとは言うが、時に、宗教も科学的に考えられる場合がある。

だが、宗教は宗教だ。考えられない善と悪を、信じることしか出来ない。

そういうわけで、仏教には良い人間が多い。

驕りや妄執を悪いと思えば、誰でも救われる。

誰でも分かるように見えて、教えないと分からない。

賢い人間は、そういう、宗教で分かる人間が一番多い。

それなら、まともな仏教が良い。キリスト教の一派は、信じるべきではない。

だが、神との対話のように、カルトにも賢い本は多い。そういうものだ。

分子から細胞が生まれ、植物から動物が生まれたとするのも、おかしくはない。裏で、地球や海が何か考えているかもしれない。地球は地球で考えているのかもしれない。

科学的に考えた方が良い。昔は、科学の構造を考えていた。力や電磁場のようなものを考えれば良い。現象は、ものと光と振る舞いだと言っていた。次元と言っていた。

それから、感性で普通に考えた方が良い。体験と感性の関係のようなものを、想像力で考えていた。本質のようなことを言う。それくらいしか、書いていない。

波は、ただの振る舞いだ。存在ではなく、現象だ。

そういう風に考えれば分かる。

自然法則も振る舞いだが、物質や人間は、存在だ。

存在と振る舞いが全てだ。そこには、ものと力と現象がある。

そういう風に考えれば良い。

あとは、ものとものとの関係では、反応と作用が存在する。

宇宙の現象は、人間が思っているものより高度かもしれない。

そこから、認識の不確実性や、ヒュームのような自然法則論も、見えて来る。

因果性が何なのかは、仏教でしか分からない。

そういうわけで、自分はそれくらいしか言わない。賢くなった。

良く考えると、目的、作用、形相、質量の原因がある。アリストテレスだ。

これくらいを分かるのがいつもの自分だ。

あとは、ニュートン力学から相対性理論などの、物理と生物が多かった。

水は循環する。それは、複雑なようで、シンプルな、関係の法則だ。

物質の決まりは、重力、熱、エネルギー、化学反応であり、それは複雑な依存関係にある。

だが、数式で分かるところもある。だが、人間が実験して考えないと、分からない。

最近は、コンピュータの人工知能の方が、優れているところもある。

宇宙は、基本的に、高次元だ。三次元や四次元どころで無い、十一次元の宇宙と言うものがある。そこでは、全てが、クルミのように違っている。

ホーキングがそんなことを言っていたかもしれない。間違っていると申し訳ないが、分からない。難しすぎるのが、現代の今の物理だ。

相対性理論は、分かる人間が多い。空間も多様体で、変化する。分かる人間が多い。

あとは、光は粒子であり、波だ。量子力学では、全ては観測とともに変わる、振る舞いだ。そして、物質も、原子力エネルギーだ。核兵器が作れるほど、エネルギーの量が半端なく多い。そのように考えれば分かる。

あとは、進化論は間違っていると言う人間が多い。どのように進化するのか良く分かっていない。人間は、宇宙から、最初に居たように見える。イデアは同じだ。最初からイデアがあったように見える。

不思議と、プラトンは、もっと正しい善のイデアや、高次元の惑星のようなものを、イデア界と言っている。いつか分かった。

もう、そういう哲学は忘れる。物理の方を分かった方が良い。物理が分からなくなった。

量子力学は難しいが、観測とともに変わると思えば良い。観測者が居た時にのみ、その観測結果が得られる。

そして、宇宙は、最初は、一円玉よりも小さい領域に居た。それが膨張して、宇宙になった。そういう、ビッグバンのような考え方が正しい。神は居ない。宇宙は、自然に発生した。神と思っているものは、自分のようなものだ。分かった人間が神と言う。

月のような、他の天体は、確かに存在している。光の反射を見れば分かる。どこにも地球しか無いようで、他の星は、確かにある。宇宙の知的生命体も居るかもしれない。

それこそ、科学的でないものは馬鹿だ。だが、月はあるだろう。それなら、違った世界なんか、いくらでもあるはずだ。行ってみると、何か違う。全く違う広大な世界だ。

太陽エネルギーはすごい。地球上の生命体、特に植物を生かし、食物連鎖で間接的に動物も生かしているのは、太陽のエネルギーだ。エネルギーは偉大だ。そこから、こんなにも多様な生命と人間の生態系が生まれた。生物の数は多い。それこそ、遺伝子も偉大だ。

細胞は高度だ。人間には作れない。そういうわけで、人間の力なんか、宇宙や地球に遠く及ばない。二酸化炭素を酸素に変える機械すら作れない。肝臓の能力は、工場より高い。

ニュートンの賢い点は、物質がどのように動いているかだけではなく、何故動いているのかが分かった点だ。万有引力で、全てが説明出来た。

ニュートンは、微積分も作ったし、ニュートン力学も作った。一般の高校生には、ものを数にする算数のような力学が有名だ。

シンプルな法則で全てが説明出来た。そこが賢い。

正しさを積み重ねて、道徳的な判断基準を考えれば、哲学は良く分かる。

もっと捉えて考えれば良い。目的として考えれば良い。それで良く分かる。

経験から他者との関係性を考える。

もっと違ったことを考えた方が良い。ピアノの鍵盤は整然と並んでいる。そういうことは、普通あまり意味が無い。誰でも分かるのは、誰でもそういうものは考える。

EUは、ドイツのフランスだ。ドゴールが見える。そういうものは、見える人間が多い。一番悪い、ドゴールがEUだ。

チプラスはありえない。わざわざ国民投票をやって、自分の属する反対派が勝ったのに、何故か緊縮策を容認すると言っている。国民がデモをしている。おかしい。EUに脅されたように見える。良く分からないが、どうなるかは分からない。

ドイツやフランスが嫌いなのは、止めた方が良い。好きな方が良い。本当に自由な国だ。何でも自分で経験させる。国家主義と民主主義が違う。ドイツには、従う人間が多いが、フランスには、考える人間が多い。

皆ソ連が嫌いだから、ソ連は嫌いで良い。独裁者の王国だ。誰をもを殺す。従う人間も、逆らう人間も、全部逮捕して殺している。

EUはソ連と同じだ。失業と移民版のソ連だ。むしろ、アメリカだ。ヨーロッパをアメリカにしたいように見える。EUは、嫌いな人間が多い。

だが、EUは結構、昔から好きな方なのが、自分だ。ドイツでもフランスでもポーランドでもあって、弱者を助け、強者を強くするのは、良く見える。

そういうことを言わない方が良い。本当に、Linuxの馬鹿に見える。

全部好きなのはおかしい。むしろ、ソ連が嫌いだとおかしいだろう。

どうでも良いから、政治にはあまり口を出したくない。これ以上何もしたくない。

アメリカの音楽をYouTubeで聴いていると、アメリカが分かる。

アメリカには、馬鹿しか居ない。馬鹿になっている。

アメリカには、社会問題が多いが、そこらへんは、アメリカのラジオを聴いていると分かる。ネットでニュースでも見れば良い。

ギリシャは乞食だが、EUは弱い者いじめだ。どちらも悪い。

ドイツは悪くない。反省している。ファシズムの政策の逆しかしていない。フランスの方が悪い。おかしな、男と女のカップル選挙みたいなことをやっている。本当におかしな国だ。誰もが嫌いだ。

アメリカはそんなに嫌いではない。まともな国だし、ビルゲイツが嫌いなだけで、グーグルは好きだ。そうでもない。グーグルは嫌いだ。犯罪企業に見える。

アメリカは、悪い。世界を我が物にして、地球を馬鹿にして、崩壊させている。おかしな人間が多い。アメリカの歌手は、狂った人間も居れば、成金みたいな人間も居る。

日本が良い。むしろ、本当に日本がマシだ。本当に良い国だ。何も悪くない、善人だ。

人間なんか、ただの馬鹿だ。むしろ、日本も馬鹿だ。

内政なんか、金を考えるだけだ。社会問題なんか、何も出来ていない。法律は作っても、詐欺が無くなったりはしない。会社も悪い。競争は、ブラック企業になる。

競争は、最近、本当に悪い競争が多い。グーグルみたいに多い。競争はクズだ。

ただ、僕はグーグルは好きだ。YouTubeを使っているから、あまり言いたくない。

ただ、YouTubeは明らかに悪い。歌手本人がアップロードしている動画が多いが、明らかに、無料で公開して良いわけがない。

そういうわけで、最近の人間社会なんか、ただの馬鹿だ。

農家はTPPで悲惨だ。三菱なんか、ただの財閥だ。ソニーは赤字しか出ていない。教育なんか、いじめしか起きていない。大学は馬鹿だ。人間なんか、ただの馬鹿だ。

そうでもない。人間は賢いものだ。

戦い、科学を作り、信じる。そこに、愛を見出すべきだろう。きちんと賢い学者しか居ない。ロシア軍とNATO軍は、最後まで戦う。神は、全員の救世主だ。

そうすると、人間なんか馬鹿に見える。それこそ、ただの馬鹿だから、仕方ない。

細胞を高度なものとは言うし、誰も1人では生きられない代わり、高度な便利な文明を築いている。

だが、人間は、やはり、馬鹿だ。ヘーゲルなんか、何も賢くない。狂っているだけだ。

本当に日本が賢い。仏教と天皇と日本経済が賢い。馬鹿なのに強いから、怖い。

むしろ、ロシアの方が馬鹿に見える。従う人間も、逆らう人間も死ぬ国は、おかしい。

日本が一番良い。日本は、極楽浄土みたいに良い。そうでもない。最近は、日本に一番、辛い地獄が多い。いじめや労働の問題で、こういう風になる。人間は辛いだけだ。

ブッダの言いたいことは良く分かる。普通の賢いことを言いたいだけだ。本当に一番賢いことを言っている。悟っているのは、細かなことまで全部分かったのを言っている。

自分も自分で、細かいことを全部分かって分かった。こういう風に分かる人間は、どこにでも多い。明らかに、ヘーゲルやヴィトゲンシュタインがこうだ。全部分かっているのは、普通に分かっただけで、分かったことや分かる方法を言っている。自分と同じだが、自分は明らかにただの馬鹿だ。詩人の哲学者は、ゲーテに見えて良いが。

細部まで分かったのは、歴史や世界観で分かっただけだ。文章を書いて、生命の誕生からドイツの教育制度まで、全部、知って、考えて分かった。不思議と、本当に全部分かっているのを覚えていない。博物学や考え方とは、そういう、分かったことを言っている。

あとは、決まりを考えただけの文章を書いていた。アインシュタインみたいに見える。おかしな、科学と社会の改善策の文章だったが、自由で相対的だった。哲学者が、同じような文章を書いている人間が多い。自分と同じことを考えた哲学者が一番多い。

仏教には、さらに考えたことがある。特に、私、というものはどこにもない、と言う発想は、昔の自分に多かった。神の眼、と言う発想も多かった。他にも色々とあった。無常もおかしくはない。こういう人間は、誰でも無常になって、消えて賢くなる。

あとは、共有が好きで、歴史の価値観を良く分かっていた。

自分独自のものが無いように見える。そうではない。本当に、自分独自のものが多かった。コミュニティは自由にすべきだとか、助言を与えるべきだとか、パソコンはテキストの自動化のシステムだとか、環境は変えられるとか、意識は自在だとか。本当に、自分の独創的な発想が多かったのを覚えていない。そこを思い出したいだけだ。

分からない。それこそ、小学校の次を大学にすべきだとか、子供に政治参加させるべきだとか言っている。最近は、自由ノルマの自由な公社を作るとか、町のデザインを公募するとか言っている。そういう、自分の発想が旺盛な人間だった。

今思うと、高校はあった方が良い。何も知らないと分からない。高校できちんと全ての科目が出来る。だが、僕が思うに、高校はある意味、無い方が良い。辛いのに何も出来ない。引きこもりの自分の方が、賢くなった。辛かったようで、本当に楽だったから、良い。何もしていないようで、作家になればそれで良い。考えたのは、全て昔の時代だ。

想像力で厳密に考えて、視点と場のようなことを分かっていた。今考えると、そんなに厳密に考えても意味が無い。

こういう風に考えれば良い。このまま数学的に考えれば分かる。

ただ、厳密に考えれば哲学が分かる。

手段で無く目的にせよとは、セカオワも同じことを言っている。そんなものは誰でも分かる。自分だけではない。哲学を見て、同じことを考えた人間が多いのは、当然だ。そういうわけで、そういう、誰もが考えることを考えれば良い。

生命の発生のような、根源的なものは、誰にも分からない。そこは、意識を信じると分かるところがある。宇宙を信じれば何かが分かる。そういう人間が多い。

ただ、カントを読むのは悪くない。ただ、哲学や仏教の原著が分からないのは、当たり前だ。全てのものは、無常であり、空である、で分かる人間は居ないだろう。

視野を広げて考えれば分かる。

キリストの言うように、反省し、悔い改めなければ分からない。

キリストは、本当に居たのか分からない。内容を見ると、フィクションに見える。北欧神話のバルドルのような、神のような理想化された人間だから、つまらない。

キリストが居なかったように見えるせいで、ヨーロッパが悪くなった。何をしても良く見える。それこそ、キリストは社会に対して反抗的なアピールをしているだけだ。

昔の自分は、そういう、心理的な影響力と反応を考えていた。そこを真面目に考えれば出来る。本当にそれくらいの人間だった。フーコーのように考えていた。

ドイツがそういう国だ。日本には居ない。日本には、最近のようなまともな人間が多い。

ドイツは馬鹿だから仕方ない。おかしな心理学は、今でも多い。BMWのようにする。

全部忘れた方が良い。忘れると楽だ。覚えていると、誰でも煩悩にしかならない。

忘れても残っているものが賢いと、アインシュタインだったか、誰かが言っていた。

そういうわけで、忘れても残っているものが賢い。忘れるべきものは、忘れた方が良い。そういう、忘れるべきものを覚えていると、そういう人間が馬鹿になる。

ブッダぐらいが分からない。悟ってから全部言っているのは、おそらく、全部分かってから説法をしている。自分は、あまり違わない。全部分かってから書いているのが自分だ。同じには見えないが、ブッダは良く分からない。本当に悟ったように見える。

色々と、経験から悟ったように見えるのが、ブッダだ。自分も、そんなには及ばないが、似たようなことをしている。これもこれで、宗教の開祖だ。

環境は環境だ。何かが行われる、基盤となる場所だ。そこでは、あらゆる前提と、支配者と、自由な存在が生まれ、関係して生きている。

秩序と価値観は、多様で、それぞれが違った正しさを持っている。

価値観から、社会が生まれる。秩序によって、社会は平和になる。

そういうことを言っていたのかもしれない。

場は多様に生まれ、影響力から自然な調和になり、それぞれの正と負の感情から、社会構造が生まれ、経験が生まれ、自然な積み重ねとプロセスから、環境が生まれる。

おそらく、そういうことを言っていた。

不安から愛が生まれる。不安が無ければ愛も無い。

不安を打ち消すだけの、勝利の感情が愛だ。

仏教では、その元の不安を無くすべきだと言うが、その不安は悪くない。

不安が無ければ、愛も無い。

キリストを信じると、逆に、不安の多い、悲惨だが分かる正しい人間になる。

そういうわけで、日本人とドイツ人は、そこが違う。

ドイツ人には、いくらでも不安になって、愛を信じる、正しい人間が多い。

日本人には、心に不安の無い、まともな人間が多い。

そういう風に違う。ただ、宗教と文化がそういう風に違うだけが、人種だ。

不安と愛の理論のようなものは、昔多かった。

不安から愛が生まれる。不安を打ち消すことで楽が生まれる。

全てのことが苦であるとは、全てのことが愛であると言っている。

不安の原因は、煩悩や迷いにある。

それは、きちんと知って、正しい知見を得れば、治る。

煩悩の原因は、無明にある。

今言うとそうなるが、昔は、不安の原因や、不安と安心による環境論、心理論、経験論、人生論のようなものを良く書いていた。それくらいしか書いていない。

悪は善の欠如から生まれるとアウグスティヌスが言っているが、不安もそのように、安心を信じる心の欠如から生まれる。

世界に滅びて欲しいのはおかしい。安心を信じて、皆を安心させるべきだ。

そういう、安心を信じないから、心が不安になって、煩悩になる。

当たり前だが、出来ない人間が多い。

そろそろ、安心を信じる。それで、恐怖や不安が全て治る。

皆も治る。ありえないほど、極楽のような世界になる。

プラトンは、ソクラテスと同じだ。特に、善のイデアが同じだ。

ネットを見ていると、普通、善のイデアが分かる。

コミュニケーションしていると分かるのが、善のイデアだ。

皆は、もう安心して良い。僕は、誰も殺さないし、迫害しない。

昔は、経験から記憶を分かった。意識から記憶を考えた。そういう、記憶みたいなことを分かっているだけだ。最近も、そういうことを書いていた。

逆境に打ち勝つこと。おかしくは無い。逆境に打ち勝つためには、強い心で立ち向かうことだ。気持ち次第で、誰でも勝てる。あとは、受け入れる勇気を持つことだ。

ただ、本当に辛いなら、逃げてしまえば良い。あとのことはそんなに考えなくて良い。神様が、きちんと見ていてくれる。不遇な環境でも、良い人間には良いことが起きる。キリストは、平等に、誰しもを守っている。

ドイツも馬鹿だが、日本も馬鹿だ。日本は、馬鹿なのに強いから、良い国に見える。

ハイデガーは、現存在(人間)をそのつど己の可能性と言う。そういうことを分かりたい。それなら、哲学に向いている。ハイデガーは、昔の自分と同じことを分かっている。

そうでもない。ハイデガーは、無数の他の研究者が同じことを分かって考えるほど、思慮に富んだ、賢い人間だ。自分みたいな馬鹿なはずがない。

そうでもないだろう。自分も賢いと思った方が良い。

自分が馬鹿だ、日本が馬鹿だ、皆が馬鹿だでは、馬鹿になる。

賢くなったなら、賢いと思うべきだ。そういう、傲慢な人間は、不思議と、楽に賢くなる。

最近は、死を体験しただけだ。死は、こういう風に辛い。誰でも、こういう、永遠の生まれ変わりを体験すると、死ぬ。不思議と、自殺で治った。本当に死ぬと治る人間が多い。

役所は縦割りだが、分散も分散で悪いから、仕方ない。

日本は、従う国だ。こんな人間は居ない。

仏教の悪い点は、地獄を悪いもの、馬鹿なものが生まれ変わるとしたところだ。

キリスト教の方が良い。弱者を、富めるものよりも賢いと言っている。そこらへんが賢い。

ハイデガーを知りたいのは、止めた方が良い。向いていない。

キリスト教に向いているように見えるが、そうでもない。

そういうわけで、歴史はしようと思えば出来る。

むしろ、大学はもう良い。仕事をすれば良い。その方が生きられるし、結婚も出来る。

26歳でまだ仕事をしないのもおかしい。そろそろ結婚すべきだ。

大学をしたいなら、おかしくはない。きちんと卒業するためには、覚えれば良い。

ただ、デカルトからヴィトゲンシュタインまで、きちんと全部覚えて分かっている。

そういうわけで、大学を終わりにしたいなら、すれば良い。

日本は、昔から、反抗する人間は嫌いだ。

何をすれば良いか、分からない。大学は馬鹿だ。このまま作家になるしかない。

行きつけの中華料理店が、閉店した。終わる時は終わるものだ。どこもそういう風だ。

日本語は、安心すると分かる。すぐに聞こえるようになる。

テレビが怖いから、日本語が怖くなった。テレビが日本語だから、仕方ない。