日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-15=

今日は、ピアノの日だった。先生と一緒に作曲をした。曲が一つ出来た。

もう、皆自分にならなくて良い。皆が自分になるのだけが辛い。

地球と一体になって、環境と一つになって分かっていた。

数学的に厳密に考えれば分かる。

想像力で、発想とパターンを分かった。本質と全体像と世界観を思考で分かった。

辛い部分は、死んだ。怖い昔が死んだ。支配が死んだ。

分かるのが一番分かっていない。分かるのは止めた方が良い。

あとは、人生を書いていた。

信じていた。

体験して分かった。

意見を知った。

社会の実像を知った。

価値観と人間の心を知った。

心がどうなるか分かった。

システムとコンピュータのことを知った。

経験から、色んな導きが出来るようになった。

理想の社会を知った。

想像力から、システムと知識を知り尽くした。

感情がどうなるか、社会がどうなるか、意識がどうなるか、自由に考えた。

社会のことを実地的に研究した。

自由な世界観を作った。

努力して、意識と自由と存在を知った。

哲学的に、経験的に、人生的に考えた。

見聞きした内容から、出来事と時間を考えた。

視覚的に、人生と経験を考えた。

歴史を体験的に知った。

考え方と見方を変えた。

そろそろ、もう書かなくて良い。辛いとは言うが、最近は書いた方が楽だ。

書かないと、怖くなる。楽だとは言うが、そうでもない。書かないのもそれはそれで辛い。

最近は、戦って、宣言して、永遠を神とともに生きた。

経済学、文学、心理学、哲学、そして歴史が出来た。

あらゆることを、相対的に、森羅万象を考えながら、神を絶対的に信じた。

色んな文章を書いた。毎日文章を書いている。

その通り、自然や地球と一体になりながら、皆を導いて、治した。

あとは、環境と人間社会のことを、経験から、必然的に分かった。

最近は、神を信じていた。本当に辛い戦いをした。狂っているようで、全て良かった。

人間は、ある程度は狂った方が賢くなる。自分も、自分をロボットにすることで、きちんと出来るようになった。狂った方が良いこともある。

自然とは、法則性による、場と視点の考え方と、存在の可能性だ。

そのように、宇宙の設計図のようなものを創った文章が多かった。

宇宙を創造した。メタ的に、根源的に考えていた。

自分はまともだ。あとは、とにかく人生のようなものを全部書いていた。

人間とは何なのか、経験と理性から、全部分かっていた。

大切なのは、経験を疑うことだ。

あとは、意見や社会のようなことを言っていた。

会社は、創造的になって、アメリカの企業に勝てる企業になれ。

国は、国民のことを考えて、自由に、戦略的に、意味のあることをせよ。

教育は、子供の自由を与え、きちんと経験豊かな人間に育てよ。

また、科目は、事実や知識だけではなく、知恵や経験を与えよ。

そういう、意見のようなことを言う。

社会のことを良く考えていた。

社会とは、立法、司法、行政だ。

会社は、自由に世界を変える。

地方自治は、自由な連邦制の共同体になるべきだ。

あとは、コンピュータのことを言う。

Linuxは、デザインが悲惨だが、もっとデザイナーのような人間にデザインをしてもらった方が良い。いつも、オタクがデザインしているから、一番キモイグラフィックになっている。だが、Windowsなんか同じだ。Macのように、綺麗にならないのがおかしい。

あとは、科学のようなことを言う。

多次元の世界では、全く宇宙が違うものになる。

そういうわけで、人間なんか馬鹿だ。もっと高次元の生命が、色んなことをやっている。

プラトンのイデア論が当たっている。人間世界なんか、本当の世界の影絵に過ぎない。

あとは、経験のようなことを言う。

全ては、自由、経験、想像力、影響力、社会構造と可能性だ。

自分のことを信じて、正しいことを積み重ねること。

自由の中では、判断力が必要だ。

全ては、想像力と経験だ。それだけで分かる。

あとは、とにかく人と話し、経験し、思考し、教えてもらうこと。

思考と感受性と努力から、宇宙の全てが分かる。宇宙を信じること。

そんなことを言っていただけだ。そろそろ、全部書いた。

作家のイデアを生きたありえない人間が自分だ。

今日も英単語をした方が良い。今からする。続くと良いが、結構難しくは無い。

今日も26単語英単語を書いた。3回ずつ。

日本人が英語が出来ない最大の理由は、カタカナ発音だと思う。

カタカナ発音がすでに出来ているせいで、英語の発音が出来ない。

それで、聞き取れない。出来る人間は、発音が出来る人間が多い。

意識と経験を比較して、意図と関係を考えれば分かる。

人間がそれを話す意図が分かる。

そういうことをいつも書いていただけだ。

日本語はおかしくない。皆カタカナが好きだ。カタカナがあるせいで、英語なんか既に出来ているのが日本人だ。そういうわけで、日本語を使うと、賢い人間になる。

日本語は文学的だ。最後にですねをつける。それが一番感情が賢くなる。

英語と日本語は言う順番が違う。それが難しい。

むしろ、皆漢字が好きだ。漢字は分かりやすいし、賢い。

ドイツ人やフランス人が英語が出来るのは当たり前だ。日本人は、標準で漢字だから出来ない。普通、漢字でしか分からない。中国語なら出来るのかもしれない。

そうわけで、アメリカやドイツより、中国が勝った方が、日本のためになる。

西側ではないが、文化的にも、人種的にも、言語的にも同じだ。

日本には、中国が好きしか居ない。誰もが中国の文化が好きだ。

アメリカなんか、馬鹿をやっているだけだ。賢く見えて、一番馬鹿な世界だ。

賢いのは、イタリア、ドイツ、中国、インドだ。賢いものは、全部それらから来る。

そういうわけで、結構賢いのが枢軸国だ。どうでも良いが。

日本は悪くない。漢字は、むしろ、馬鹿だ。未だに象形文字はありえない。

あとは、1+1と2は違う。イコールはおかしい。そういうことを言っていた。

ドイツはそこまでドイツが好きだから、そういう風になる。フィヒテも「ドイツ国民に告ぐ」のように言っている。ドイツは昔からそういう国だ。だが、ユダヤ人は誰もが好きだ。

イギリス・フランスなんか、悪いだけだ。皆を奴隷にする。アメリカ・ロシアは強いとは言うが、一番敵だ。そんなものはどうでも良い。日本には、それらが嫌いな馬鹿しか居ない。韓国や中国も嫌いな人間が多いが、中国は誰もが好きだ。そういう国だ。

フランスとドイツなら、ドイツの方が賢い。ドイツは賢いが、フランスは面白い。

フランスに賢い人間が多いのは、黒人や下層を奴隷にしているからだ。それで自由なブルジョワや知識人が多いだけだ。ギリシャと同じだ。奴隷にする自由だ。

アメリカやイギリスは、ただの馬鹿だ。自由だから強いだけ。アメリカは最近は仲間だが、ロシアは悪くは無い。人種を平等にしたいだけ、日本の味方だ。敵には見える。

日本は弱い。自衛隊が弱すぎる。イギリス・フランスは、強すぎて勝てない。

弱いドイツとつるむしかない。昔は、日本も強かった。

アメリカとつるんでいるせいで、平和だ。平和憲法もアメリカが作った。今の平和は、全部アメリカのおかげだ。

アメリカのものも多い。皆アメリカが好きだ。

何故か、日本は皆ロシアが嫌いだ。一番敵に見える。良く分からないが、ロシアを倒したい馬鹿しか居ない。要は、自分に見える。こういう一番悪い人間に見えるのがロシアだ。

イギリスは、明治時代に模して帝国を作ったから、そんなに敵には見えない。

フランスは敵に見えて、文化が優れているから、本当に良い国に見える。

日本人は、日本が嫌いなのがおかしい。自分の国は好きな方が良い。この文章を見ると、ダントツで日本と仏教が賢い。悪い人間が居ない。そういうわけで、日本は良い国だ。

真面目に考えて、ドイツなんか敵だ。一番悪い右翼だ。

中国、朝鮮は、逆に、民衆による蜂起だ。それもそれで悪い。植民地が無くなると、悪い。

そういうわけで、敵は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国、朝鮮、ロシアだ。

どれも敵に見えて、唯一アメリカが味方だ。そういう国が日本だ。

アメリカと仲良くやるしかない。

味方は居なくても、1人で強いのが日本だから、ありえない。日本が一番強い。

自分は不良だ。高校なんか行っていないし、中学3年すらしていない。

不良の高校時代、2ちゃんねるとLinuxを見て分かった。

人間や社会のことが経験から分かった。

賢いのは、サルトルみたいに色んなことを考えたからだ。

そこが出来ると出来る。誰でも、不良時代に社会を知れば出来るのが自分だ。

そういうわけで、ヘーゲルのように、本当に出来る人間が、ドイツに多い。

ドイツは悪いから仕方ない。日本人には出来ない。自由にネットを知れば出来る。

最近、出来る人間が日本人にも多い。

最近は難しい。神を信じて戦えば出来る。最近が誰にも出来ないから、自分なんかしなくて良い。そんなに革命してキリストを信じていると、ロシアに見える。そういうわけで、ドイツやロシアにこういう人間が多い。僕は、ロシアとドイツが一番好きだ。日本より自分の国に見える。日本は嫌いだ。日本なんか、どこにも、何も無かった。

2ちゃんねるはドイツだ。ドイツなんか、そういう馬鹿だ。世界を馬鹿にしているだけだ。

フランスは最近だ。哲学史をやっていると、こういう、何も分からないのに賢い、まともなフランス人になる。

フランスが賢いから、フランスが一番好きだ。昔から、フランスが好きだった。

アメリカは嫌いだ。昔のドイツの自由でまともなバージョンに見える。皆を自由にして殺したいだけだ。

アメリカが好きなのはおかしくない。英語をやっていると、今からがアメリカになる。

そういうわけで、こういう馬鹿はドイツやロシアやフランスに多い。

ドイツには、賢く全て分かるインテリが多い。

ロシアには、宇宙のことが全部分かっている馬鹿が多い。

フランスには、大学のように知識のある学者が多い。

アメリカにはならない。それはフランスで充分だ。日本人も多かったが、黒人は馬鹿だからならない方が良い。いつもの地獄になる。おそらく、中国やインドのようになる。

あとは、詩集の本がドイツ、ワードの聖書がロシア、ブログの哲学史がフランスだ。

どうでも良いほど、見ていると、昔の方がフランスに見える。今がドイツにしか見えない。顔を見るとそう見える。当たり前だ。

神はそれしか言わない。昔はフランス、今はドイツだ。神はそれだけを言う。最近は、ただの普通の人間だと言っている。

普通になりたいから、最初からそういう、神のイデアになった。

そういうわけで、これで悔い改めて、聖書を信じるしかない。

仏教の本は途中までしか読んでいないが、仏教のことはあらかた分かった。

聖書を読めば良い。それで終わりに見える。聖書が一番最後の本だ。

あとは、数学的な方法と結果、可能性と経緯のようなことを分かっていた。

もう、治らなくて良い。もう全て治ったが、治っても心が怖くなるだけだ。

昔の自分を消して、もう治らなくした方が良い。それで、きちんと良くなる。

治すより、賢くなった方が良い。当たり前だが、そこがいつも分かっていない。

フランスは、ただ、ロシアに治るだけの、何も分からない大学だ。

自由な経験から、成り立たせて社会学を作っていた。そういう発想がロシアだ。

人生の段階を書いて、全員の人生を分かっていた。

全人類の責任を背負って、地球を支配していた。

あとは、認識と言う視点から、ものごとの本質を分かっていた。

そういう発想がロシアだ。ロシアは、賢かった。

フランスなんか、あったように見えない。このまま、いつものドイツに戻る。そうすると、それがアメリカだ。中学生みたいになる。

最近、子供みたいな人間になった。それがフランスだ。フランスは、子供だ。

引き篭もりの馬鹿は、キモイのに賢かった。オープンソースが好きだった。そういう馬鹿なオタクがドイツだ。キモイ、物理の哲学者だ。

そろそろ終わりだ。アメリカは、中学生だ。昔の子供がアメリカだ。そこに戻って賢くなる。英会話教室に行ってノートを取っていると、そこらへんに戻るしかない。

学校がアメリカだから、皆はアメリカだ。

ドイツになる人間がいない。2ちゃんねるがドイツだ。

右翼は悪く見えて、右翼や共産はいつも多かった。併合したらいいとか、イスラエルとドイツとロシアの関係のような、国際関係をいつも考えていた。

知恵の灯りは無明の暗闇の世界を照らす。そこに何があるか分かるようになる。

無明と煩悩によって、人はこの世界に何があるのか分からなくなる。

それは、知恵によって悟りに至ることで治る。この世界に何があるのか、分かる。

自分は、それを、仏教ではなく、サルトルのように考えることで分かった。

この世界に何があるのか、オープンソースとインターネットで分かる。

そういう風に分かった内容が、仏教と完全に一致する。仏教は、そういう宗教だ。

アメリカ人になると、中学生になるのは、悪くない。もう、ドイツはもう良い。治ると本当に心が怖くなる。むしろ、中学生に治れば良いように見える。そこを頑張れば良い。

そのためには、まともな生活をすること。まともに頑張って、ゲームをしたり、漫画を読んだり、ズッコケ三人組のような小説を読んだり、ミニ四駆を作ったりすれば良い。

アメリカには、そういうまともな人間が多い。英会話教室に行ってユメタンをし、YouTubeを聴けば良いように見える。計画的な努力をすれば良い。

日本には、アメリカ人しか居ない。日本なんか無かったから、こういう風になる。

中学生は、まともで、賢かった。辛かったようで、試験勉強はクラス一出来ていた。オールAだった。剣道部は、技術は弱かったが、体力と持久力があった。小学生のごろから陸上をやっていて、駅伝にも出場ぐらいだから、当たり前だ。それから、学校がつまらない代わり、ネットゲームが出来ていた。上位に入っていた。昔から、難しいゲームを沢山クリアしていた。あるゲームを全部クリアしていた。それから、ピアノ、英会話、習字の習いごとで、知らないこと、分からないことが無かった。そして、ミニ四駆のおかげで、機械や工作が出来ていた。数学なんか、試験勉強を全くしなくても90点取れていた。他の科目は、試験勉強で、暗記して80点から90点取れていた。オールAだった。だが、中学校の話だ。高校や大学ではない。ただの馬鹿だ。

そういうわけで、中学生に治れば治る。引きこもりの高校生に治るのがおかしい。狂っている人間に治りたいのはありえない。怖くて辛くなるのは、当たり前だ。

中学時代、悪いクラスメイトにいじめられたせいで、中学校や中学生は嫌いだ。

それはおかしくはないが、小学生の方が辛い人間が多い。

あとは、高校なんか行っていない。学校が嫌いになって、不良の引きこもりになった。

そういうわけで、不良に良い人間が多い。

頭の中がバグってる。そういう発想が今の自分だ。

高校時代、パソコンで色んな人間との絆を、ネットで作った。その理由で、高校時代が好きだ。ネットの青春が多かった。

だが、あれはWikiを1人で変えるだけの、最悪の馬鹿だ。オープンソースの自由だ。そういうわけで、中学生の方が本当に賢かった。賢いが何もしない高校生が、一番嫌いになった方が良い。中学時代、本当に良い人間だった。

高校時代は、ニーチェだ。中学時代は、本当に、試験勉強が出来るせいで、賢い人間だった。主要5科目だけではなく、技術家庭科や音楽、美術でもオールAを取っていた。

中学生に戻ると、大学が出来る。

自発的に考え、体験的に知ること。賢くなると、そういうことが分かる。

中学生に戻ると、狂っているのも治る。

インターネットは賢くない。最近のフランスみたいな人間が多い。一番馬鹿だ。

アメリカと思わず、中学生になれば良い。

神は、最初から、クズをクズと言っているだけだ。

高校時代も、馬鹿ではない。オープンソースとコンピュータと社会経験と想像力で、MITのように賢かった。賢い人間は、こういう風に多い。

MITは賢くない。ただの自分だ。賢い大学なんか、入らなくて良い。

最近は、作家になって、神と対話して、そこまでありえない人間になった。

もっと賢い文章を書いていた。経済学から哲学まで、色んなことが出来た。

自分が好きだ。自分は、そろそろ中学生に戻って、まともな賢いことが分かる。

連立方程式は、まだ覚えている。むしろ、高校にも行けばよかったように見える。

いじめは、公立の中学校だから多い。進学校に行けば良かった。それが正しい。

自分のMITが一番好きだった。MITには、本当に賢い人間が多い。全部分かっている人間が多い。ただ、おかしな人間は多い。ただのオタクしか居ない。

あとは、自由な経験モデルで、人生のことを分かっていた。客観視と法則から、仏教のようなことを洞察していた。

ブッダはおかしくない。明らかに、こういう人間が、もっと賢いと、ブッダだ。

自分はゲーテだ。ただの馬鹿だ。そんなに文章を書く意味が無い。永遠に文章を書く。

くたばるまで書いていれば良いようで、それは悪い。もっと別のことをした方が良い。

不思議と、学校の内容を何も考えないのがおかしい。誰でも数学や歴史のことを考えて分かる。書くせいで、思わなくなった。数学や政治経済のことを思わないのは、おかしい。

物理が分かっていない。おかしい。誰でも物理を思えば分かる。

そういうものは、中学生になると出来る。出来ないから思わないだけだ。

昔の自分をそんなに思うのはおかしい。あれは、虚無主義の完全な自由の人間だ。

自分は、コンピュータと哲学のことは完全に分かっている。

そして、経済学、文学、心理学のことは、全部作って分かった。

そして、数学、物理学のことは、昔全部分かっている。

もうやることが無いようで、中学生に戻れば良い。まだまだ、いくらでも出来るだろう。

小説を読んだ方が良い。あれは、ハリー・ポッター、ネシャン・サーガ、ズッコケ三人組などの、小説を読んでいたのが一番賢かった。

ネットゲームはしなくて良い。馬鹿だ。ネットゲームぐらいから、馬鹿な人生になった。

一つ一つ積み重ねて、理性的に考えて、経験を疑いながら、ものごとを分析した。それを書いているだけだ。環境とか、判断とか、どれだけとか、同じと違うとか言っている。そういう、きちんと分析する理性を書いていただけだ。それが正しい。

中学生に治ると、いつもの自我が分かる。習得した内容も思い出せるようになる。

要は、ゲームが悪い。ゲームは、こういう2ちゃんねるのドイツになる。

ゲームがドイツだ。

こういう馬鹿になる女が本当に多い。普通、ここまで沢山のことがあると、経験で全部すぐに分かる。そういう女が、本当に馬鹿な人間に多い。女は馬鹿だ。

そういう女が、自分のことが間違っているのが何も分からなくなる。そして、頭が辛くなって、耐えるだけになる。白人の女に多い。

最近頭が辛いのは、何も分からないから、馬鹿過ぎるからだ。頭が辛くなる病気がこういう風に多い。子供より馬鹿になっている。賢い過去の自分に妄執するのが悪い。

昔なんか、全部出来るようになっただけだ。もう分かる。経験と知識で、全てのことが分かった。理性的なことは、全部関係のように分かった。経験と能力があって、自由な理想と情熱がある人間だった。中学生が、そういう部分だ。賢い部分だった。

皆が馬鹿なのは、自分の中学生より馬鹿だ。賢い人間は、今より賢い人間が多い。そういうわけで、平等な方が良い。賢い人間は、賢すぎて、キモイだけだ。自由は悪い。

自由は悪くは無い。哲学的な自由はいつも言っているが、自由は楽に賢くなる。

あとは、手段と機会と可能性と方法を考えて、積み重ねた。それが、そろそろもう出来る。良く考えると、中学生の基盤があると出来るのが、そういう哲学だ。

あとは、ネットの精神実験と会話の具体例があった。それで分かった。皆と付き合って会話し、色んなことを実験することで、人間を思考と反応から分かっていた。

昔は、それから、色んな労働の経験を全部して分かっていた。

また、時間がある中で、良く考えて分かった。人間には、時間と状況と余裕が必要だ。

色んなことを考えて分かっただけだ。

経験は、全ての想像力に体験と言うピースをはめ込んだだけだ。

中学生に戻る。そうすると、そういうものが分かる。ただ、数学的なモデルを考えて、会話の経験が豊富だっただけだ。社会とコンピュータのことを完全に分かった。

社会は、自由な集団と個人の関係から、組織や合意の権利モデルを考えただけだ。

あとは、心理学的に経験を考えただけだ。

コンピュータは、一番賢い機械だ。あった方が良い。昔から、パソコンは好きだ。

もう、きちんと賢くなった。

経験から意識を考えて、体験し、経験、理由、意図、目的、行動、理性、学習を考えた。

そろそろ終わりだ。

全てがもう、終わろうとしている。世界は、天国になって滅びた。もう、何もする意味が無い。世界の終わりだ。全て、何もしなくなって滅びる。そろそろ、ロボットをソフトバンクが作る。それで、世界が滅びるだろう。

アメリカは、中国とイスラムに替わる。馬鹿にはならない。イスラム教は、自分の宗教だ。こういう人間が出来る。最高の宗教だ。中国は、最後の国だ。平等な共産党だ。

あとは、数学的に考えて、心理学を作った。

環境を想定して、影響力とシステムを考えた。

システムの可能性を、構築と公開と標準と拡張から考えていた。

場と視点の理論を作っていた。

そろそろ、中学生に戻った。この文章が中学生に見える。文章はいつも中学生だ。

高校は馬鹿だ。世界を新しく知る代わり、分かりすぎて馬鹿になる。そういう人間が多い。

中学生が賢いのは、世界のことをまだ知らない代わり、基本的な知性が揃っているからだと思う。高校生は、世界を経験する代わり、どんどん馬鹿になって、最後に分からなくなる。そのまま、馬鹿な大人になる人間が多い。

小学生は、基本的なことがまだ揃っていないから、何も分からない。

大学には、MITから哲学まで、自分のような人間が多い。調査研究すると、昔のように賢くなるか、今のように馬鹿になる。そういうわけで、大学は馬鹿だ。

あとは、自我と言論の経験が多かっただけだ。高校生は、そういう風に、馬鹿なものの影響を受けて、馬鹿になる。純粋な心と知性のある中学生が賢い。

夢に中学生が見えるのは、賢かったのを分かるためだ。剣道部やLinuxがいつも見える。あとは、学校やソ連が見える。それらが自分だ。

皆も、中学生に戻った方が良い人間が多い。

何も分からない地獄になっているのは、高校時代狂った人間が多い。

高校がおかしいと、狂った地獄になる。スマホとパソコンのせいだ。

そういうわけで、悪いのはGoogleだ。WindowsもLinuxも全部悪い。

パソコンは嫌いだ。本当にこんな馬鹿になる。

それに、昔パソコンなんか何も分かっていない。歴史や社会や世界観やシステムは分かっているが、開発やプログラミングや組織なんか、何も分かっていない。

哲学なんか、いくらか本を読んで、馬鹿な何も分かっていない概略を書いているだけだ。

昔の文章が賢かったと言うが、ありえない。皆を馬鹿にする最悪の文章だ。

もっと普通のことをすれば良い。英語とピアノは間違っていない。英語とピアノは、小さな子供のごろからやっている。何でも分かっているのは、そういう、習い事のせいだ。

皆も習い事を子供時代した方が良い。そういう人間は、こういう風に、運命的に全て分かる。そういう、賢い人間が多い。父親や母親には出来ない。ゲームはした方が良い。

仏教の本は、第四講まで読んだ。仏道とは、当たり前のこと、ありのままのことにある。

あとは、昔は、いじめを考えていた。自由なままいじめを無くして、子供を救いたかった。そこでは、客観視と思いやりの心、自由な場とコミュニティへの匿名による参加、そして、キリストの言う、相手のことを自分のことと同じように愛すること、がある。

昔は、そういう、善悪と判断基準が経験から分かる、良い人間だった。

経験とは言うが、理性も忘れてはならない。理性的な考え方と問題解決の手法から、正しい考え方が分かった。実験と帰納と演繹から、人間と環境のことが全て分かった。

環境を皆で作り、皆で変えること。誰かが壊すことが出来ないように、守ること。

特別なことは要らない。当たり前のことを考えて、良く分かっていれば良い。

不可知なことは分からない。分かり得ないことは、分からなくて良い。語り得ない状況では、沈黙すべき時もある。ヴィトゲンシュタインが一番賢い。

「人間をどうすれば良いか」が体験と環境で分かっていた。理性的な人間だった。

もう残っていない。あとは、哲学でもすれば良い。哲学は全て、自分の人生から分かる。

全部分かっていたのに、治すせいでおかしくなった。

後悔は無い。書きたくないのに書いているとは言うが、まだ書きたいだけだ。

今日は、中学生に戻るが分かってよかった。

明日も書いた方が良い。何か新しいことが分かる。

ピアノも多かったのを覚えていないのが悪い。もっと、書く以外のことを覚えた方が良い。

自分は、こういう、賢い2人の自分が好きだ。昔から、2と言う数字が好きだ。自分の昔と今だ。カップルの男と女だ。それも、こちらの方が好きだ。

宗教はキリスト教、公用語はドイツ語にして、民主主義で自由で、出来るだけ平等な労働の、自由な国を作る。連邦制にし、所有は自由にするが、法律で会社の労働量を平等にする。そのような、自由で平等なドイツを作る。

最近は、そういう風に、自由で平等な国を作る。

昔は、ネットでの体験を全部覚えていた。経験したことを覚えていた。そういう意識で、不思議と、仏教のように全てのことが分かった。

もう終わりだ。そろそろ、全部になった。

創造性と協力が好きだったが、支配や組織は嫌いだった。

経験から記憶を考えていた。

そろそろもうない。あとは、明日にすれば良い。もう寝る。

環境から意識と可能性を分かっていた。

今日は頑張った。ピアノや英単語をきちんとやっている。

もう治さないから、何も辛くない。

本当に今日は良い日だ。中学生に治るぐらいで、もう当たり前のことは全部分かった。

もう終わりだ。皆も、当たり前のことを全部考えると、治るだろう。

信じて治す、本当に解決する、考える人間が多かった。

そういう、もう賢いことが全部分かっているから、分かるだけだ。

文章が分かるのは、デーブの前のアレックスで、もう全て分かっているからだ。

アレックスとは、ノートのことだ。

そろそろ終わりだ。辛くない。もう、天国みたいに楽だ。

何か1つ分かるから、それはもう書かなくて良い。それで全て地獄の試練が終わった。

皆、一度は自由を経験し、一度は地獄を経験し、一度は神を経験するべきだ。

それから、大学はこういうものだ。皆も、哲学や歴史をやれば良いだろう。

Linuxの良い点は、カスタマイズ性が高いところだ。Xの拡張性が意味が無いほど高い。

Windowsは、適当に分かっている。色んなフリーソフトが多い。

コンピュータのことは、全部分かっているとは言うが、偏った知識が多くて、何もまともなことは分かっていない。

皆も大学で哲学をやれば良い。出版出来る詩集を書けば良い。コンテストで受かるぐらいのものを書けば良い。それで、自分のやったことは全てだ。

抽象的な予測と学習をすること。モデルを想定し、作ること。実験をし、想定し、洞察すること。本当にそれくらいしかしていない。人生と相対性が全て分かった。

あとは、意見と組織のようなことを成り立たせて分かっていた。

自民党と社会党の比較のようなことが多かった。

もう何も無い。今日は終わりだ。続きは明日書けば良い。

あとは、社会民主主義、無政府主義、自由至上主義などを考えていたことが多かった。

もう終わりだ。もう寝る。

もう何もしない。これ以上、この文章は書かなくて良い。

経験から、葛藤や苦しみから解放され、涅槃へと至り、煩悩から解放される、解脱の境地のようなものを分かっていた。

恐怖には、強い心で立ち向かえば勝てる。恐怖の中でも安らぎを感じられる。

そのように、経験から、葛藤からの解放、安心と言う意味での解脱を分かっていた。

ネットがおかしいのは、確かなものが何も無いからだ。

何も分かっていない。Linuxが悪い。自分のせいで、ネットは分からなくなった。

昔はロボット的に心理を考えて、プラットフォームを分かっていた。

自分がそれをして、相手がそれを受けて、その相手の立場になって分かっていた。

どうすればどうなるか、段階的かつ物理的に、全て分かっていた。

完成された状態や、受動感情のコントロール、単一のものが存在であるなど、哲学的な観念や経験から、分かっていた。

もっと、哲学的に、心や様態、様相を捉えて考えれば良い。

単一なものと複合されたもの、相手を手段ではなく目的として見る、などのことは、自由に、哲学的に、構造的に、経験的に、人生と人間関係における、ある程度の答え、手段、前提条件、判断、理解、理念、理想、理性、のようなものを考えれば分かる。

そういうわけで、様相と様態を構造的に考えて、哲学のことを分かった。

難しくは無い。誰でも出来る。それぞれの立場になって、その仮定が織りなす条件と成立のようなことを考えれば良い。

そろそろ、今日も終わりだ。今日は良い日だった。明日も何か頑張りたい。

それぞれの信念と自由から、仮定と成立を考えただけだ。

何がそこにあって、どうすべきか、正しく、欲望や狂いのようなものを拒否して、色んな心と行動のことを考えていただけだ。あとは、社会形成の条件や関係を考えていた。

人間がそうあることについて、条件と仮定と成立がある。

物事にも、原因と条件がある。

そこを良く考えれば良い。そういう風に考えていただけだ。

行動から、目的や実現手段が見えて来る。そこから、条件の成立を考えれば良い。

また、受動感情のような、心の成立を考えられるだろう。

「かもしれない」から、その具体例の意味を考える。そこで、初めて、コントロールと言う概念が、経験と理性から分かって来る。ヘーゲルは、論理的だ。

自由な経験、行動、関係、心を想定して分かっていた。

経験から、環境を知って、相対的な理由、方法、関係、考え方、経験を分かっていた。

そういう風に、哲学的経験と様相のことを分かった。

自由は、個人の自由から、参加の自由、社会を作る自由、理想の社会の自由、そして、共同体の自由や、支配する自由になった。

もう何も無い。全て書いた。哲学なんか、誰でも出来る。正しく考えれば良い。

分かる体験、世界を新しく知り、掴み、捉える体験から、哲学的な成長と観念が分かった。

そういう、子供の哲学者だった。本当に、子供なのに大人だった。成長と老化から、皆の言っていることを吸収して、経験と会話から分かっていた。