昔の悪い人格になる。多重人格になる。
それがそうなっているのは、必然的に、なるべくしてなっているが、目的や理由はない。縁起とはそのことだ。
ドストエフスキーの白痴を読んでいる。
読んでいると、面白い。わたしの哲学入門の著者が、起きている間中読んでいた、と言う理由が良く分かる。
自然に読み進んで、著者の考えている世界に引き込まれる。
読んでいると、小説と言うものが良く分かる。
ギロチンのことが書いてあったが、小説とは、色んな沢山の話を書かなければならない。
色んなことを全部知っていて、書ける人間が出来る。
自分にも出来るかもしれない。
見ていると、哲学なんかただの馬鹿だ。文学の方が良いと思う。
昔は、手段で世界観のことが分かっていた。生産手段で分かった。
最近何も分かっていないが、昔はネットできちんと分かっていた。
だが、ネットで分かるのは悪い。もっと別のもので分かった方が良い。
英単語を今日も書いた。英語は、綴りだけではなく、発音や発音記号を覚えるべきだ。
特に、綴りと発音記号を照らし合わせて考えると、英語の発音が良く分かる。
あとは、昔、ネットでルールのようなことを分かっていた。
まだ書いていた方が良い。続いた方が良い。すぐに止めたいせいで、頭がおかしくなった。
文章は、残らなくて良い。誰も見ない。いつか書いた文章は、記憶に残っている。昔の自分なんか、どこにも残っていない。そんなに残す意味が無い。消えて良い。
治す可能性を残すのが悪い。それで辛くなった。治す可能性を残すのではなく、すぐに治せば良い。それで治る。もうすぐに治る。
昔は、感情で、特に自分の感情と皆の感情を考えて、実感で分かっていた。
透明になれば治る。
思考から外れたことを言えば良い。
治っても馬鹿になるだけだ。変なことを考える馬鹿になる。
もう治った。話は無くなる。神はもう居ない。
もう何も出来ない。治ると、馬鹿になる。
治ると、辛い。感情が辛くなる。
あとは、もう死ぬ。死ぬ時は、分かる人間が多い。
心が治った。足も治った。
必要なことをこなすだけではなく、自由に考えれば良い。
必要なことをするだけではなく、もっと自由自在に考える。
それで認知症が治る。
昔は、自由な経験から正しい考え方を分かっていた。それを書いていた。
自由に考えるために、手段や方法を知り、それと併せて実際のところを知り、考える。
そういう風に、自由に考える知性や方法のようなことを言っていた。
あとは、見通すような文章が多かった。
世界観を知り、モデルを作り、人間がいかにして生きているか、どのような時にどのようなことをし、考え、行動し、活動するかの中で、自分が何が出来るか、何をどのようにすれば良いか考えた。
そこでは、全ては未知であり、可能性だった。
未知であり、可能性であることは、自分の考え、感じる、論理や考え方や経験から、実際の自分の実感として、明らかになる。
そういう、世界を見通すだけの文章を、いくらでも書いていた。
個別の場合、状態、状況から、可能性と相対性を理解出来る。
そして、経験から理解し、真理を分かることが出来る。
そこで使われる考え方は、場合によるものであると同時に、帰納的な方法で考えられる。
それは、それがそこでどうなるか、何を出来るか、欠損を補充し、問題を解決出来るか、であり、同時に、それがどこから来て、いつどうなり、何が正しく、どんな法則になるか、である。
それは、現象学であると同時に、世界の救済を行う救世主である。
そういう発想が経験論だ。
本当に、そろそろ分かった。そういう、世界に対するビジョンのようなものを書いている。
もっと自由に考えれば良い。自由自在に考えることから、行動や活動の判断力へと至る。
何事も、早くすればするほど良いようで、そうではない。熟成してから、大器晩成のようにすることで、きちんと良い作品を最後に作ることが出来る。放っておけば良くなる。
これは、皆の方が馬鹿だ。皆、馬鹿なことを考えるせいで、馬鹿になる。
馬鹿なことは、何も考えない方が良い。馬鹿な意志を持たない方が良い。
いつも、何も無いから、賢くなった。賢い人間には、こういう人間が多い。何も分からない代わり、馬鹿が無いのが賢い人間だ。
ただ、昔の自分をやるためには、それでは悪い。色んな経験と考えを沢山持って分かった。色んなことを考えるためには、馬鹿の方が都合が良い。そこから始めるしかない。
いつも馬鹿だった。本当に馬鹿なのに、賢いと思っている。虫みたいにキモイ。最近、成虫のようになった。虫が変化した。虫から女になった。その女をまだやっている。
あとは、考え方の変転のようなものを書いていた。
まず、現状の人間の活動を知り、それぞれがどのように考えているかを知る。
次に、自分の出来ることから、この世界の可能性を知る。
そして、それぞれの価値観と信念から、世界モデルを作る。
また、システムのことを知り、発想する。
俯瞰的な立場から、全ての世界と経験を見通す。
そして、理想の世界を構築する。
ここまでに至る経緯の中で、現状分析と創造性の構築と理念を知る。
そのような、考え方の経緯のようなものを書いていた。
あとは、社会の変化や段階のようなものを書いていた。
原始的な社会は、自由から生まれる。
それは、自然とそれぞれの考え方によって、争う社会になる。
1人の指導者が治めることによって、平和な社会になる。
沢山の社会が多様に生まれ、独立することによって、争いは国家レベルのものになる。
自由を無くすことによって、それぞれの社会は強制的に平和になる。
それは、それぞれの自由を平等なまま許すことによって、ユートピアになる。
そして、文化が発展し、人類が進歩し、楽園へと変わる。
そのまま、経済が発展して、平和なまま強い国になる。
そういう発想が日本だ。日本は、そこまでの国だ。
自分の病気に原因や理由なんかない。
ただ、なっているだけだ。なっているのを止めれば良い。
そのように、病気は何も理由なんか無い人間が多い。
今なっているそれを止めれば終わりだ。すぐに止めれば良い。
それで、もう治った。
そういうわけで、辛いと思うから辛いだけだ。
理由を全部分かるだけは、終わりだ。
いつも理由を分かるが、理由なんか無いことも多い。
こんな人間に理由は無い。ただ、居ただけだ。
あとは、何もしないのに慣れるしかない。
いつも何もしていないようで、色んなことを全部しているのが分かっていない。
そういうわけで、何もしないのに慣れる。
怖いものなんか、無いのが分かっていない。
テレビが怖いとは言うが、ありえない。何も怖くない。
怖がるから怖いだけだ。
過去の記憶を怖いとは言うが、怖いものなんか何も無かった。
怖い自分が怖い。それはありえない。何も怖くない。
ラファエルが馬鹿だから、神はラファエルを馬鹿と言って、普通と言っている。
ミカエルが高いとは、出版した本のことを言っている。
ガブリエルは大きくて、色んなことをしていたのは、昔のことを言っている。
白痴を読んでいるが、色々と面白い。色んな話を入れるのが、読者を引き込んでくれる。あまり書く意味が無いが、公爵が本当に面白いことを言う。
機械と、書いた馬鹿を治せば治る。機械になるのはおかしい。馬鹿はすぐに治る。
昔はダイナミックな人間だった。最近は思慮深い人間になった。
全てを包括するような、論理的な文章が多かった。
そろそろ、増えた。もう思い出せる。
脳を治さずに、もっと増やせば治る。
論理的な文章は、構造を作っていた。
全ては、場と決まりである。
場は、それぞれの存在する、基盤である。
決まりは、それぞれの決定する、考え方である。
決まりには、生命、言語、構造、関係、自由、平等、愛、平和、価値観が存在する。
その中で、生命は、植物と動物が存在し、遺伝子によって決定される。
また、言語は、自由なそれぞれの関係として存在する。
また、自由は、それぞれの決定される関係である。
平和と価値観は、愛によって生まれる。
愛とは、自由な中で感じられる、全ての感情の融和である。
あとは、論理的な構造のようなものを作っていた。
動物とか植物から、物理作用、そして社会や宗教のことに至るまで、構造のようなものを全て作っていた。
関係を考えていた。
きちんと考えて、基礎の上に全てを積み重ねた。
意識から、植物や動物、歴史や時間まで、全部作っていた。
もう分からないから、馬鹿になる。怖い。もう全部分かった。
新しい人間になる。
意識からシステムを作っていた。システムのようなものを全部作っていた。
それをもう消した方が良い。
うじゃうじゃとしているものが消える。一点を見つめるのが悪い。
認識の法則のようなものを作って、場を作っていた。
色んな手段から、システムを成り立たせた。そういうシステムだった。
環境から価値観や契約まで、システムのようなものを作って、構造にしていた。
もう分からなくなる。もう、認知症になったように見える。何も分からない。
自分のやりたいことを全部許可すれば治る。してはならないのがおかしい。