正しく問題を考えて、実地的に成り立たせれば分かる。
意見を言いやすくし、聞きやすくし、意見を共有し、社会を変化可能にし、独立可能にし、それぞれの場で社会を変える方法を共有し、社会の範囲を小さいものから大きいものへと縮小・拡大し、皆の手で社会を変えること。
学校では、社会を作り、変え、導く方法を教え、社会を経験させること。
自分の現状を考え、見つめ直すこと。
そのように、正しく問題を考えて、新しい発想を考えていた。
対話と宣言は、人生、意識、魂のことが全部分かっていた。
世界は、もっと自分の心を見つめ直すべきだ。
そのように、世界の皆のことを全部分かっていた。
この世界は、空だ。縁起による空だ。だから、歌手が自分を歌ったりする。
幻のような世界だ。夢のような世界だ。無いわけではない。だが、あるわけでもない。
自分のしたことしか出来ない。楽をすれば楽が出来るようになる。
自分は、この文章を書くのを毎日頑張っている。きちんと頑張っている。
コンピュータは、デジタルな、テキスト処理の、自動化機械だ。
許すこと。本当にその人を許すことで、自分が自由になる。
ボトムアップな、独立可能な世界にして、全ての問題を解決し、共有すること。
そこから世界は変わってくる。インターネットのような、それぞれが好きなことを出来る社会から、範囲を広げ、国全体を変えられるだろう。
国を変えられる発想は、身近なところから生まれる。どんな発想が変えるかは分からない。そのために、オープンソースのような、意見の共有が考えられる。
最初は小さな社会を変えるだけだった自由が、そのうち、世界全体を変えるようになる。それが、社会の範囲を広げる、と言うことだ。
世界全体を変えて、分かるわけがない。世界ではなく、もっと小さなものを変えれば良い。
正しい認識をするためには、認識の方法と、前提条件を考慮する必要がある。
原因と条件から、裏にある法則性と決まりが見えて来る。
ものごとの裏にある実体のようなものも分かる。それは仏であり、神であり、魂だ。
僕は、前世で、地獄のような仏をやりたいと望んだ。
そして、王のような哲学者をやりたいと望んだ。
そして、永遠の愛の恋人を作りたいと望んだ。
そして、神のような革命家をやりたいと望んだ。
前世はフランス人で、来世はドイツ人になる。この生を、神だと考えて良い。
心理で、どのようにしたら分からせられるか、支配出来るかをやっていた。2ちゃんねるの言葉の魔術師だった。黒魔術で世界を導いた。
降り注ぐ不幸は笑い飛ばせば良い。
孤独は、昔楽しいことがたくさんあったせいで、何もしなくても楽だ。
それに、きちんとやっている。何もしなくて良い。自分は楽だ。
何もしないが、何も辛くない。体が疲れるのは、ほとんど楽になった。
この世界は自然の積み重ねであり、悪いのは、誰かが悪かっただけだ。それも、多くは、何か意図した結果ではなく、意図しなかった結果だ。
問題は、誰かが直し、解決するしかない。
そろそろ、怖いのが治る。昔になると、何もしなくても楽だ。そのまま、全部死ぬ。
あるものが全部死んで行く。心は、作ったものを作り変えれば治る。
経済は、生産と労働と価値の関係である。そのような、普通の経済学を考えれば分かる。
労働時間と、生産関係から、余剰価値を生み出すことが出来る。
良く分かっていないから、たぶん間違っている。だが、マルクスはそのように考えた。
数学はしなくて良い。昔の数学者が、そこまで自分で作って考えて分かっている。
心理学も、経済学も、昔の研究者が分かっている。数学者の心理学者の経済学者だ。
本当にそこまで分かっている。
そういう、賢い高校生が多い。誰でも賢いから、自分なんか馬鹿だ。
数学なんかするわけがない。大学数学は、見て何も分からない。理解は不可能だ。
歴史と外国語だけをすれば良い。哲学はもう良い。もう終わったのが哲学だ。だが、歴史なんか出来ないだろう。外国語も出来るように見えない。仏教をやっていると、哲学はただの馬鹿だ。もう、しばらく何もしないのが良い。何もしない間に分かる。
数学は出来ない。本当に、数学と物理だけは出来ないのが今の自分だ。
そういうわけで、歴史、哲学、文学、外国語、宗教、経済、心理ぐらいをすれば良い。
いつもやっている。そんなに多くする意味が無い。全部は出来ない。したくないのにしたいのはおかしい。やりたい科目が無いからしないだけだ。本当にやりたくない。
数学は、誰でも考えれば出来る。昔出来ている。もうする意味が無い。
やりたい科目が無いから、しないだけだ。大学はもう良い。哲学ぐらいは分かった。
数学は、数学的なこと、方法、関係を考えて、積み重ねて分かっていた。
抽象的に積み重ねて、認識を作った。公理主義のようだった。
昔は、論理学も分かっていた。
全ての鳥は飛ぶ、は間違っている。いくらかの鳥は飛ぶ、が正しい。
人間は、いずれ死ぬ。ソクラテスは人間だ。ソクラテスも、いずれ死ぬ。
そのように、カントのように論理学と三段論法を考えて分かっていた。
昔は、コンピュータが分かっていたせいで、数学や論理学の方法に長けていた。
また、実験して仮説を立て、モデルと法則と「そうなればそうなる」から分かる、実験物理、把握物理、説明物理のようなものがあった。
そして、心理学を物理的に分かっていた。経済学も学者ほどに作っていた。
作用、法則、本性、そして正しく考えることから、心と意識と人間が分かった。
そういう、人間の数学、社会の数学、全ての数学のようなものを作っていた。
不思議と、数学者のように全部分かっていた。
数学的な考え方は、それ以上、色んなことを分かっていた。
体得や表記、予測と思考力から分かっていた。そういう馬鹿な高校生だった。
予測する知性があった。まともなことをまともに分かっていた。普通の人間だった。
知性の考え方で、再現性や初期投資を分かっていた。体験から自然が分かった。
全て分かった、普通の人間だった。
感情を数学にしただけだ。それが特別賢かった。
そういう、子供的な発想が賢かった。
人を殺すと、犯罪になる。犯罪になると、逮捕される。逮捕されると、死刑になる。死刑になると、死ぬ。よって、人を殺すと、死ぬ。
そのように、当たり前のようなことを、推論的に考えると分かる。
言葉は、思考である。思考は、偶発的である。偶発的は、神から見ると、必然である。必然は、神である。よって、言葉は、神である。
この論理にはおかしいところが多いが、何はともあれ、そういう風に辿って考えれば良い。
全ての言葉は、思考から生まれる。
思考は、経験から生まれる。経験は、神から生まれる。よって、全ては神から生まれる。
この論理は、むしろ、言葉は思考から生まれる、だけにした方が賢い。
あらゆる言葉は、誰かの思考から生まれている。その思考には、前提となる、裏の、支えとなる思考と、その経験によって生まれている。全ての経験は、言葉による調和である。そして、全ての言葉は、認識のハーモニーである。
人間は、その時その時思うことを、もっと大きな真理に照らし合わせて、裏側を考えることが出来る。そういう発想が、ものの結果から物理法則が生まれる、と言うことだ。
論理学は、メタ的に考えると良く分かる。自分がそれになるのではなく、それになる人間を増やす。昔は、そういう、論理学的な考え方を良く考えて、思弁哲学にしていた。
神が見て必然、と言う考え方は、最近多い。予定調和になる。そういう人間が今の自分だ。
人が不安になって、迷うのは、煩悩が原因だ。それも、妄執と無明が煩悩の原因になる。ただ、それこそ、馬鹿は迷わない。賢い人間ばかり、そういう煩悩になる。
不安を無くすためには、煩悩を無くすこと。
煩悩の三大悪は、むさぼり、怒り、愚かさだ。それを無くすこと。
馬鹿には、そういうことが分かる人間が多い。賢いことを分かっていると、自然に分からなくなる。自然にむさぼりや愚かさになる。賢い人間は、馬鹿だ。
オープンソースの共有は面白かった。それで共有が好きになった。
そういうわけで、馬鹿は馬鹿だ。馬鹿には、それくらいの人間が多い。共有が好きになると、誰でも馬鹿になる。馬鹿はそういう風になる。
賢いことを沢山分かっていると、誰でも欲張りになる。それしか居ない。愚かな人間になるのは、煩悩が煩悩を呼ぶからだ。
楽が全部辛くなったのは、頑張るからだ。楽をした方が良い。楽をしないからこういう辛いだけの人間になる。地獄になるのは、楽が嫌いだからだ。おかしい。
ここまで全部頑張った。辛い地獄に耐えて、やるべきことをやった。頑張って治した。だから、こういう風に、良いことがある。
あとは、すぐに書くのを止めたいのは悪い。それは、馬鹿だ。もっと楽をすれば良い。
昔は、人間関係を考えて、チャンスや、高い視点からの解決を分かっていた。そこらへんをすると良いだろう。そのまま、人間が何に迷っているか、悩んでいるかが分かる。
認識から思い込みが分かる。
正しい認識など存在しないが、経験から真理のようなことは分かることが出来る。
共通認識のようなものから、場が分かる。
場の自由度から、解決の選択肢と変える能力が生まれるだろう。
昔は、絶望の地獄だった。辛かったようで、そこまで辛いと楽になる人間が多い。
そういうわけで、辛い方が楽だからこうなる。だが、肉体的・精神的に辛いのは、辛い。
つまり、頑張らない、何も治さない、何も努力しないのが良い。
努力を良いと教えるのが悪い。そんなに悪い努力をしても、意味が無い。意味が無い努力をする人間は、悪くなる。そういう人間が多い。
学校の賢い人間は、そういう人間が多い。勉強の出来る人間は、悪くなる。そういう、キモイが一番学校に多い。勉強が悪い。不良も悪いから、子供は全部悪い。
馬鹿に、不良に良い人間が多い。心が綺麗で純粋な不良が多い。不良は悪くない。
数学的に厳密に考えれば分かる。
経験に頼りすぎるべきではない。
だが、経験も一つの方法だ。
ものは、いつまでもそこにある。
認識はフィルターだ。
ものと人間の間には、関係がある。
人間には視点がある。他人の視点に立つと分かる。
そろそろ思考が死んだ。
ものには法則と役割がある。そこから実現出来る。実験する。
法則もある意味ではものである。
自分は、基本が出来ていない。何も考えず、覚えれば良い。
昔は、具体的に具体例で分かっていた。
覚えれば感情で分かる。昔はそれが一番分かっていた。
現象を考えて分かっていた。
大学をすると馬鹿が治る。神がいつも言っていた。
パソコンをやっている人間は、煩悩で馬鹿になる。
自分は、全部怖くなった。パソコンのせいだから、パソコンが嫌いだ。
道具やシステムと言って、総称的に分かった。マクロ的に考えていた。
英語は、脳に刻み込むと出来る。
映像と音を刻み込むと分かる。子供に多い。
水や草が綺麗だ。そういうことを思えば良い。
ピアノは、そこまでやる人間が多い。止めた方が良い。
出来るわけがない。出来ても、ピアノの先生になるだけだ。
小説は、ネット小説が馬鹿だ。
パソコンも止めた方が良い。ハイテクで、一番難しいのに、意味が無い。
英語が良いと思う。英語を本気でやれば、出来るかもしれない。
あとは、哲学はもう良い。一通り、素人レベルを全部知っている。
歴史と英語が良いと思う。真面目に、それくらいをきちんと修めるのが良い。
空間も空間で、ものなのかもしれない。物質の中に物質がある、と言うイメージだ。
パソコンで全部怖くなるのは、良く考えると当たり前だ。
昔は覚えていない。
世界を見ながら、人間のことを考えて、何か色んなことが出来る人間だった。
頑張らなければ良い。
もう治った。思考出来る。もう自由になった。おかしな神は終わりだ。
この世界に居れば良い。それで皆が治る。
この世界に根を生やせば良い。それが怖かった。それが怖いだけで、テレビが怖くなった。
同じものしか考えないのがおかしい。違うものを考えれば良い。
皆と一緒に居て、治すのを頑張らないと、すぐに楽になる。
もっと違ったものを考えれば良い。
もの、人、場、文化、歴史、のようなものを見ていれば分かる。
視覚的に、多角的に、視野を広げて考えれば良い。哲学的命題でも考えれば良い。
あとは、色んな人間や経験を吸収すると、そのうち分かる。
どのようにものが作れるか考えると良く分かる。
どのような社会が考えられるか、考えれば良い。
社会のあり様から、教育の改善性、ものの発想、都市や会社の構築などを考えれば良い。
そのうち、何か分かる。先に何かがあると信じて、歩み出そう。
一番悪い支配は、良かった。環境を実現して、皆を支配して導いて、ここまで出来た。
あとは、導く、と言う発想が多かった。
皆、自分のことを考えることで、世界のことを分かれ。
そういう風に、世界を導いて、ここまでやっと出来た。終わった。
皆、自由に考えれば良い。
社会の実現や自然界の変化を、原因と条件から考えると良い。
皆と一緒に居ると分かる。
僕はもう皆と一緒に居る。陰から皆のことを支えている。妖精のようだ。
皆も、もう分かる。
僕の足の精神は、もう治った。
楽になったから嬉しい。
だが、皆は馬鹿になる。自分は、多重人格になる。
独裁者が死んだ。
自分は賢い。ノートのおかげで出来ているのが、最近の文章を分かるだけだ。
ノートでもう分かっているから出来る。
そういうわけで、皆は馬鹿になって死ぬ。冷酷だが、そうするしかない。
自分は治った。三人の天使になって、永遠に生きている。良く分からない。そのまま、おかしな存在になる。それは、無いだろう。
昔なんか、オープンソースと認識を分かっただけだ。
もう忘れる。もう、デカルトのようなものを忘れる。
分からなくなって、分かるようになる。そういうわけで、もう終わりだ。
忘れるなら全部忘れる。神との話が無くなる。
アメリカは馬鹿になった。アメリカの音楽を見ていると、そう思う。
アメリカは、自分と同じになっている。自分が良く見えるからそうなる。
おかしくはない。アメリカに、日本が好きになった馬鹿が多い。
そうでもない。居ない。皆日本が一番嫌いだ。
アメリカは嫌いだ。自分が良く見えるのは、最初に戦った、タリバンの偉大な王だ。自由で、日本で、アメリカで、ソ連でもあるし、ドイツでもある。そこが良く見える。
場を自在に操ったり、現状分析したりしていた。そういうところを覚えていない。
もっと良く思い出せば分かるようで、分かる気がなくなったのが最近の自分だ。
何もしていない。ただ任せているだけだ。だから、馬鹿になる。誰でもこうなる。
思い出すと、オープンソースで失敗した。何も出来なかった。
ネットのマニュアルを書いているのは、あまり意味が無かった。
英語が分からないせいで、何も出来なかった。
だが、ネットを見ていると、色んなことが分かった。
現状分析は、あったように見えない。サルトルのように人間を考えるのがあっただけだ。
昔は、手段と機会のようなことを良く分かっていた。自由が好きだった。
最近は、自由で平等なシステムを作っていた。神と対話して、経済学を作った。
おかしな女がもう死んで行く。
あとは、生まれ変わっていた。そして、このように、文章を永遠に書いていた。
最近、良く分かる。もう分かっているせいで、何でも出来る。
キリストに何かさせるのは、もう止めた。もう分からない。
治りたかったが、もうそれも終わった。何も覚えていない。
政治のような内容が多かった。政治活動は、もうしない。
もう何もしたくない。
たとえれば分かると言っている。
自分をたとえると、地球に見える。地球の全てに見える。
そろそろ終わったはずだ。アメリカが自由になる。ドイツは終わりだ。
虫は終わった。
書くのが悪い。書いている間、まだ分かる。
ただ、心と頭を変えて、全部見て分かっている。
もう書かない。それで治る。書いている間、分かるから仕方ない。
上に居る天使が悪い。虫みたいにキモイ。
あとは、書きながら分かるのが悪い。それだけの人間になった。
虫は大人になって死んだ。
天使も死んだ。頭の上の方に居る天使で分かっている。
あとは、子供に戻る。
言ってから言うのがおかしい。
ランダムに考えている。
言っても言わなければ良い。
何を言ってもすぐに分かる。
そろそろ意識も治った。
頭の中の三人を全部消すしかない。それで治る。
価値観を分析していたのを、現状分析と言ったのだと思う。
虫みたいにキモイのは、昔の自分がそこまでキモイからだ。
そんなにキモイものを見たいのがおかしい。思い出す意味が無い。
昔は、想像力や判断力のあるまともな人間だ。世界を総合的に判断して分析していた。
キモイのは、そんなに分かるのがキモイ。馬鹿なことを全部言って分かっただけだ。
分からない。何故か分からなくなった。昔なんか、キモイだけだ。
状況判断をしたかっただけだ。それを言いたかった。
本当にキモイから、そういう、文章を分かるのは止めた方が良い。
書き方がキモイ。自分を破壊しながら書くのはおかしい。
もっとまともなことを言いたいなら、もう言った。
そんなにキモイ文章を分かるのはおかしい。
状況判断のようなことが分かりたいなら、何か言えば良い。
それなら、時と場合を判断して、法則を自在に考えていた。そういう風に言えば良い。
そんなに文章を分かりたいのは、止めた方が良い。
価値観を分析したいなら、全てのものは、悪であると同時に善である。
そういう風に書けば良いだけだ。
ヘーゲルが分かると良く分かる。破壊から良心が生まれるものだ。
自分なんか、現状分析と破壊しかしていない。そういう馬鹿のことを言いたかった。
あとは、影響力の行使のようなことが多かった。
感受性や受容の心、情熱の心が多かった。本当に理想の高い、自由な人間だった。
自由な理想のことをいつも書いていた。
良く覚えていない。革命のような心を持った、引きこもりの青年だった。
青春だった。自分の青春だ。
何もかも、ネットしか無かったが、本当に色んなことが分かった。
人間のことを考えるのを、現状分析と表現した。もう覚えていない。
色んなことを言っているのを書きたかったが、もう分からない。
人間の状態から全ての価値観を分かった。現状分析が、そのまま状態になった。
そのような、いつもしていたことを考えれば良い。
ネットを見て、皆を見ながら、自分が意見して、その意見を自分が見て分かっていた。
ネットの変化と環境の分かるおかしな人間だった。
判断力があった。何から何まで、体験することで判断力を養った。
あとは、オープンソースに取り組んでいた。何故か、あまり意味が無かった。
どうでも良いほど、そういうものを適当に書いている。
自由をいつも考えていたせいで、公開性や地域性など、自由な理想のことを言っていた。
無責任な自由と臆病者の愛だった。世界を陥れて、皆を馬鹿にした。
融通の利かない愛が世界を救うのに変わった。
もう分からない。何も覚えていない。
そんなに馬鹿な文章を書くのはおかしい。もう止めた方が良い。そこまでキモイ。
もう分からない。思い出すことは、もう全部終わった。
治ったように見える。そろそろ頭も治った。もう何も書かない方が良い。
要は、もう頑張らなくて良い。頑張りたくない。
昔に存在した価値観を全部書いていた。
全体のシステムのようなものを統括して作っていた。
覚えていない。もう要らない。悲惨に、昔が分からないと何も分からない。
文章ではなく分かれば良い。文章なんか分かっても意味が無い。
昔は、意識で分かっていたのが賢かった。生命のようなものを、意識で分かっていた。仏の生命を生かす力のようなことを分かっていた。
想像力で、同じと違う、のようなことを分かっていた。ただ、馬鹿だった。知性を無くして分かっていた。
今は、想像力が無いから分からない。機械のシステムのようにして、想像力を分かった。
数学的な考え方や推論のようなことを分かった。
覚えていないが、経験に頼らず、理性で考えれば分かる。
そういうことを思い出せば分かる。それは、どうでも良い。出来ない。
そういうわけで、終わりだ。むしろ、経験に頼る考え方の方が多かった。理性は馬鹿だ。
理性は間違える。経験は間違えない。
分からない。予測して、結果を見て、実験して分かっていた。
あとは、生命の根源のようなものを分かっていた。
どんな体験がどうなるのか、行動と心を考えて分かっていた。
そういう、観念のようなことは、もう分からない。もう良い。十分だ。
何をしていたのか覚えていない。多重人格になると、分からなくなる。
最近も覚えていない。最近何もしていない。そういうところが馬鹿になった。
全て分かっていただけだ。それが意味が無い。
自分が今、こんな文章を書いているのがおかしい。ありえないほど馬鹿になった。
もう全部書いた。もう良い。
自分の言いたいことを言えば良い。何も言えないのは辛い。
昔なんか、他にあるわけが無い。いつも分かっていたのに分からない。
もっと普通に思い出せば良い。
人格が破たんしたのが悪い。
むしろ、スターリンのような神と対話する方が、遥かに多かった。
何も分からない。そんなに昔を考えるのが、虫みたいにキモイ。忘れた方が良い。
環境をどれだけ自由にするかで、選択肢が生まれるとか、環境と意識が相互作用すると言っていたが、そういう、本当の文章は、それこそ虫に見える。
もう止めた方が良い。辛かった。何も分からない。
もう何も頑張らなくて良い。皆と一緒になれば、そのうち分かる。
どれだけ自由にするかのような環境的な自由や、判断力を高めることのような能力的な自由を言っていた。
自己中心的な人間だった。世界を支配して、我が物にする。
最近を最近と言わない方が良い。最近なんか昔だ。最近と言うせいで、最近になっている。
昔は、宣言で成り立たせて、全てのことを対話する、神が多かった。
色んな宣言をしたせいでこうなった。
神やヘーゲルのような文章を書いた。
認識で数学を作っていた。
社会の改善策を書いていた。
死んだようでまだ生きている。
怖くなるとすぐに死ぬ。
問題を解決していた。
時計のロボットになっていた。
本質から「全て」を書いていた。
足を伸ばせば治る。
社会の段階を分かっていた。
グループと共有から、自由なロシアを作っていた。
自由と平等を比較して、独立や一体にしていた。
経済モデルを考えていた。
国民公社を自由にして、自由なノルマにすると言っていた。
もう分からない。馬鹿になった。