日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-16=

作用で分かっていた。物理的な作用を全体の関係を作って考えていた。

自分の考えていることが分かっていない。思い出しているだけだ。

もう黙る。

すぐ前を思い出して、肯定や否定で分かっている。

治った。つけて、休めば良い。

足は、確実に分かりたいだけだ。

誰でも、怖い。本当は怖いのに分かってもらえないことが多い。そこを分かってあげると、敵は親友になる。

足は、皆がおかしい。

全員分かった。

背景知識と場や経験を想定すれば、全員理解出来る。

馬鹿になって賢くなるのはおかしい。

フリーソフトや2ちゃんねるブラウザが好きだった。

Open Jane、p2、twintail、Sleipnir、Donutなどが好きだった。

きちんと背景知識と裏の経験を理解すれば、誰のことでも理解出来る。

そのように、人間を全員吸収した。

あとは、ネットで何か言う経験から、皆のことを分かっていた。ネット経験で分かった。

色んなサイトを見ていた。X51やスラッシュドット、はてなブックマークが好きだった。

人間の立場と前提から、全ての人間を吸収した。

皆は、自分のせいで、馬鹿になって賢くなっている。その馬鹿を治した方が良い。

馬鹿を治すためには、知性をつければ良い。

最近は、戦って知性をつけただけだ。思い出して、信じて、考えて分かった。

生命は、生きている。生きているのは、不思議なことだ。

そういう風に、意味を疑って考えれば良い。生きているのは、本当に不思議だ。

中学生になるとすぐに分かる。

意識、構造、方法、可能性、協力、自由、理由で分かった。

視点とモデルを考えた。

正しさの構造を積み重ねた。

皆の中の自分がどうなっているか考えた。

共感と一体感から分かっていた。

あとは、相対的な決まり、方法、考え方、概念、定義、記憶のようなことを書いていた。

昔は、感情と想像力で分かっていた。

どのようにすれば作り替えることが出来るか、自由にするとどうなるかだ。

どのようにすれば自然から価値が生まれるか、だ。

場はプラットフォームだ。

生命は自然に発生し、成長し、構造になって、エネルギーを蓄える。

人間は、全てを作り替える。

あとは、環境への適応と、創造性、回想が多かった。

予測から思考力がついた。

日本は馬鹿になる。自分がもう出来る。こちらになる。

文章は、生態系とか、多様性とか、インフラとか、ただ説明しただけだ。

手順からシステムが具体的に生まれる。そういう賢いことを書いていた。

文化とか、次元とか、社会や理科のようなことを言う。

本は、ユダヤ人だ。ユダヤ人そのものだ。ワードがロシア人で、ブログがアメリカ人だ。

どれもドイツ人だ。現実の自分がドイツ人だ。それで終わりだ。

ものの分析、方法論、環境論、思考分析などの、比較的応用的な内容が多かった。

プラットフォームと言っていた。

制度、経験、決まりを作って考えていた。

そういう馬鹿な人間だった。本当に馬鹿だったが、いつも全て分かっていた。

王の権力が強大な国か、権力を分散し、流動化させた自由な国か、皆で代表を選ぶ国か、のように、国家モデルのようなものを作って分かっていた。

あとは、抽象性と具体性による予測のような内容が多かった。

挑戦し、反省し、努力すること。チャンスは無限だ。成功するまで、何度でもやり直せば良い。何度も何度もしていると、そのうち分かって来る。

皆の話を聞くこと。言うのではなく、聞くことを大切にする。それが一番賢い。

英単語を30単語書いた。3回ずつ、1ページ分書くことにしている。

農園には最近毎日行っている。今日も行った。これでもかと言うぐらいトマトが採れる。

昔は、良く反省していた。同じと違うを考えていた。

反省はした方が良い。しないと何も出来ない。最近、反省しなくなった。おかしい。

ホームページは消した。あると、馬鹿に見える。紙で見た方が賢く見える。

昔は、思考の科学、環境の必然性、社会構造、人生経験で分かっただけだ。

孔子のように全部分かっていた。

仏教のように正しく考えた。

サルトルみたいに分かった。

中学生が大人になったと思えば分かる。コミュニケーションとコンピュータから分かった人間だった。科学を作るのが好きだった。人間のことを具体例と法則から考えた。

抽象的に体験を予測し、感情と感覚から言葉を分かっていた。言葉の科学だった。

考え方と自由から分かっていた。言語論を展開した。全ての経験と人間の分かる、実地的に研究する、科学者のような人間だった。心理学と社会学を作って分かった。

あとは、人生のことが良く分かっていた。引きこもりの経験で、世界観を分かっていた。

影響力とシステムの全体像が分かっていた。それくらいの自由な人間だった。

意識と環境のことから、適応でこの世界を分かった。手段と機会から、世界のことを全部分かっていた。自由から、哲学的に社会と組織のことを、説明と実験から分かっていた。

そういう、キリストのような人間だった。

あとは、階層的に積み重ねて、認識を作って分かった。それを書いていた。

言葉で民衆を操る、おかしな人間だった。

あとは、意識の変転のようなものを書いていた。

環境を知って、見方を変えて、経験して、考え方を作った。

自然に任せて、地球の力に委ねていれば良い。それで楽に治る。

抵抗しないこと。ただ、壊れるなら、壊れれば良い。分からなくなるなら、それで良い。

今の自分を受け入れて、過去の自分に対する葛藤は忘れること。

女は死んだ。ニキビも治る。そのまま、何もかも、地球の力に任せていれば良い。

地獄とは言うが、地獄を受け入れて、拒絶せず、抵抗しなければ、すぐに天国になる。

楽園だ。バラ色の楽園だ。そういう、賢い今の自分を、もっと褒めてやれば良い。

治るわけがない。治らなくて良い。そういうものを認識するのが怖い。

治らない。そういう風にすれば、もう楽だ。

皆は、テレビを見ていると治るが、治りすぎて馬鹿になる。認知症になるだろう。

構造を作って、全部作っただけだ。だから、構造を作れば分かる。

自分が去ると、日本は終わりだ。皆は、死ぬようで死なない。もう、言葉が聞こえなくなって、馬鹿になる。自分がテレビを操ったせいだ。

あとは、意見したこと、発想したこと、作ったことのようなことを言う。

教育はいじめ対策員、会社は自由な公社、選挙は免許制、EUは文化の融和、と言う。

それから、核兵器を無くすために、金で売れ、と言うようなことを言っていた。

もうまともになった。

テレビは、忘れるだけだ。何も分からないし、馬鹿になるから、見なくて良い。

もう思い出さなくて良い。忘れるべきだ。

脳がまともになった。もう終わったから、分かるようになる。

あと一月で死ぬと言っている。皆も死ぬ。

まだ多い。グループから社会を成り立たせたり、法則のようなものを書いたりしていた。

自分が一番良い。こういう風に、不可能を分かる人間は、居ない。

あとは、全部作っている内容が多かった。

意志とは、創造性と目的における、根源的で第一的な要素だ。

考え方とは、創造性の発揮だ。

そういうことを色々と言っていた。もっと相対的で、理解の関係のようなことを言った。

そろそろ分からない。もう、世界が馬鹿になる。治るのは、家族だけだ。

日本中が馬鹿になって、滅びてしまう。それは、無いだろう。

そうなると悪い。そこが分からないのがおかしい。滅ぼすべきではない。

滅ぼすべきではないから、テレビは見ない方が良い。

自由、平等、独立、一体と言って、生産手段や、多様性と統一を考えていた。

国家モデルを作っていた。

認識を得る過程のようなものを書いて、プロセスを作っていた。

不思議と、それくらいの文章だった。

滅ぼさずに、自然に治れば良い。それでテレビが治る。

滅ぼさない。それで楽になる。

滅ぼしていると、こういう風に、辛くなる。滅ぼしたいだけだ。

滅ぼせるのは、いつ何を思うのか、社会がいつどうなるか分かっているからだ。

滅びに導くのを、そろそろ止める。そういう人間は、こういう風に、死ぬようになる。

そういうわけで、終わりだ。もう、皆、まともに自然に治る。

テレビの上の自由な王をきちんとやっている。そういうありえない人間が自分だ。

テレビは嫌いではない。好きだったこともある。だが、基本的に嫌いだ。

昔の馬鹿に戻った。そろそろ終わった。昔は、クズみたいに性格の悪い不良だ。

今の方が好きだ。賢い天才の子供になった。

そのまま多重人格になる。それが望みだったはずだ。

悪い方がすぐに死ぬ。そろそろ終わった。もう、世界は滅びない。もう既に、完全に治っている。きちんと治めたから、自分に良いことがある。もう好きにして良い。

この対話は、昔と今の自分が、その通り永遠に対話しているだけだ。

昔もクズだが、今もクズだ。それが、自分の望んだ自分で、果たして良かったのかは分からない。だが、結構本当に、面白くて良い人生だった。

日本は治った。誰も馬鹿になることなく、全て治った。

もう日本には関与しない方が良い。自分が関与すると、そこまでの馬鹿になる。

安保法案は、衆院で可決された。おかしい。そろそろ、安倍も倒れるべきだ。

法則は法則ではなく、相対的なふるまいであることがある。

メタで分かっているだけだ。

法則の法則もあるし、社会を構築する方法や認識の方法もある。

そういうものは、全部メタで分かっている。

考え方による認識の分析とか、学習の本質とか、全体像の完成された状態とか、全部、メタで分かっている。

あとは、もうない。最近はもう終わる。最近は虫だ。昔の方がまだ人間だった。

昔に戻る。多重人格は、知的障害だ。

同じことを言うなら、影響力を遡るとか、影響力を効果的に与える場を作るとか、設計図を共有する場とコミュニティを作るとか、そういうことを言えば良い。

メタで分かっている。それだけが、永遠に多かっただけだ。それは覚えている。

昔の自分を哲学と言うが、あれは存在しか分かっていない。正しく捉えること、世界を新しく知ることで分かっている。全てが未知で、捉えて分かっただけの、存在論だった。

あとは、関係を考えただけだ。構造は、全部自然に作り直した。その経緯を書いていた。

全てを相対的だと考える、おかしな狂った人間だったが、勇敢に行動していた。

自由に人間の関係を考えて、精神を吸収し、行動を考えながら、方法と可能性を積み重ねて、真似をして、人と自分を比較して、客観視して、相手の視点に立って分かっていた。

最近は、そういう方法論を言う。また、本質や階層性みたいなことをさらに作っていた。

あとは、基礎を作って人の話を聞いて分かっていた。

Linuxでは、沢山の実践的なことをやったが、殆どは失敗だった。

挑戦すること、自由から経験を考えることで、見方を変えて、考え方を分かった。

とにかく考え方を分かっていた。モデルを積み重ねて、考え方を作った。

殆ど、自由と存在しか分かっていない。存在を考えて、自由から成り立たせていた。

あとは、自然で分かっていた。科学が好きで、宗教や右翼が嫌いだった。

プログラミングでいう、関数のようなものを考えると良く分かる。

自由が好きだった。支配や組織は、全部悪い、悪だと考えて、反抗で分かっていた。

そういう、クズな人間だった。支配は、自由に、自分が勝つようにしていた。

言葉で相手を支配して、導きながら、自由に勝つ、統制された人間だった。

もう忘れた方が良い。最近は、クズをいくらでも言うのは、作家だから仕方ない。最近は、子供みたいに見える。赤ちゃんみたいな人間になった。ただの、虫だ。

存在とは、像である。そういう発想が多かった。

昔はハイデガーで、今はヴィトゲンシュタインだ。あるいは、ニーチェとゲーテだ。

興味深いこと、創造的なこと、正常なこと、自然なこと、勇敢なこと、守ること、決まりを作ること、適応することから分かっていた。おかしなマスターの科学者だった。

力やエネルギーや重力は、人間が勝手に作り出した概念だ。そういう、「本当の物理のふるまい」のようなものを分かっていた。波は反射であるとしていた。

あとは、「そうなっているかもしれない可能性」から、色んな考え方を分かっていた。

確かにそうなっているのか、なっていないのか、かもしれないのか、可能性が大きいのか、などを考えていた。カントが似たようなことを言っている。

あとは、自由な意味を考えていた。意志に反してすることを強制されるなら、それは奴隷だ。会社の役員を、特に幹部をアメリカ人が占めるなら、それはアメリカの奴隷だ。

そのように、自由から解放や奴隷を考えていることが多かった。格差の問題や、給与の自由、所有の自由と不自由、自然と可能性のようなことを考えていた。

あとは、全員の思考を辿って、再利用、再思考、再分配から分かっていた。サルトルのように思考で人間を分かった。ヤスパースのように、集団に没しないように考えた。経験論も多かった。経験から感情を考えた。あとは、経験を良く疑う人間だった。

嵐が歌っているように、ありのままを受け入れること。それが一番正しい、天国への道だ。

昔は、そういう風に、行動と心のことを分かっていた。経験から分かった。

そろそろもうない。昔なんか、それくらいだ。自由と存在しか分かっていない。

あとは、集団と個人や、理想の参加と経験、コミュニティと場のようなものを分かった。

オープンソースは、クズだ。虫みたいにキモイ。オープンソースをやっていると、性格の悪い狂った人間になる。誰でも辛い。何も価値の無い、ハッカーのOSだ。

Linuxをやっていると、精神が辛くなって、悪くなる。そこまで狂う機械だ。

そういうわけで、ネットなんかしない方が良い。

ネットは、そんなに悪くは無い。賢い人間にはなる。だが、すぐに馬鹿になる。

辛くない。最近の自分と昔の自分を、どちらも生かして終わりだ。

本当に、皆のことが好きだった。

自分の本は、そこまで皆のことを励ましているだけだ。

自分は、神が好きだ。自分は、天使だ。

そうなっているかもしれない可能性から、心のことが分かる。

あとは、コンピュータのことが多かった。カーネルとシェルとコマンドの関係のようなものを分かっていた。ディレクトリ構造が分かると良く分かる。UNIXはGentoo Linuxを使うのが、習得の早道だと思う。

関係から、認識や行動や学習の本質を考えていた。

認識は経験的だ。きちんとした人間には、経験的な認識がある人間が多い。

最近、自分に認識が無くなった。虫になっている。そのうち翼が生える。

あとは、プログラミングを学ぶためには、DelphiとC#/VB.NETが良い。特に、Delphiが良い。僕は、昔Delphiでプログラミングの初歩を学んだ。

あとは、UNIXはデーモンとXだ。最近はGNOMEとKDEだ。きちんとアーキテクチャを分かってしまうと、多様性と自由が一番あるのが分かる。特に、MATEが賢い。

昔から、GNOMEはRubyすらGUIで動く。賢いのがマルチプラットフォームだ。

良く分かっていない。そういうものは、マルチプラットフォームとは言わないかもしれない。そういう発想は、JavaやMozillaだ。それこそ、Javaぐらいしか賢い技術は無い。

自分の今は、自分の持つ1つの可能性に過ぎない。

もっとLinuxを統合したいなら、それは出来ない。もっともっと分裂して、自由になる。どうでも良いほど、それが一番、虫と同じだ。ただ、悪くは無い。

行動は自由で、悪いものを良いと思うのも自由だと考えていたが、悪いものは嫌いな人間だった。判断基準を経験から作って、善悪から分かった。だが、そんなに良い人間では無かった。おかしな悪い引きこもりだった。

最近は、科学を概念から作る。力、質量、エネルギー、脳、細胞分裂、一部が全てだ。

色んなことを思考して、作って、経験して、考え方を適用して分かった。

自然な環境から経緯を知って、道を考えた。沢山のことを考えた。言葉遣いで分かった。

人格を吸収し、思考を辿って、人生のことを分かっていた。

想像力と発想法があった。森羅万象の博物学を分かっていた。

それくらいの人間だった。本当に、悪い人間だった。クズみたいに皆を狂わせる。

だが、結構理想的だった。唯一、全部分かった人間だった。

あとは、成長を分かっていた。人生のことを、普遍的な成長と経験を包括して分かった。

もっと正しく、意味や中身を分かれば良い。それで経済学が出来る。

相対的な自由の意志の尊重を分かっていた。

そろそろもうない。今日はこれで終わりだ。また明日書けば良い。

今日は楽しかった。何も無かったが、もう楽になった。本当に良い日だった。

農園ももう辛くない。中学生に戻れば楽になる。

あとは、応用的でメタ的なことを書いていた。

神から生まれ変わりの地獄まで、全部あった。自由な戦争だった。

メタが分かったから、もう全部分かった。

もっと色んなことを書いている。覚えていない。自由や弁証法を言っていただけだ。

きちんと分かっていることを良く分かる、仮想的で本質的な文章だった。

仏教と哲学は、そういういつもの文章と自分が良く分かる。仏教を信じなさい。

平和は、神と国家のモデルだ。そういうわけで、共同体や国家モデルが書いてあるから、もう全部書いてある。

宣言すること。僕は、これ以上は、宇宙よりももっと別の良いものになる。

日本は、もう馬鹿になって滅びる。滅びずにそうなれば良い。