日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-27=

そろそろ、もう書くのは止める。

今日も英単語をする。

皆に立ち返って、実地的に考えて分かっていた。

皆の立場になって、皆になって、サルトルやヤスパースのように考えた。

会話すれば分かる。人間は、会話しないと分からない。

一行を書き直して分かっていた。同じ一行を言い直すことで分かった。

あとは、思考と感情を辿って、照らし合わせて分かった。

自分の感情から皆の感情が分かった。想像力をモデルにして分かっていた。

あとは、認識と心を分かった。適応から、人間がいつ何を思うのかを分かっていた。

そろそろ、もうこの文章は書かなくなる。

きちんと歴史と英語をやりたい。そういうわけで、あとはそれらをやる。

哲学者ではなく、プロフェッショナルになる。中国人は、職人の芸術家になる。

王や研究者には、もうなりたくない。本を読んで、金を稼ぎたい。

金が欲しい。それだけだ。あまりおかしくは無い。

共産主義者は止める。もっとまともで賢い思想家になる。

ピアニストになる。芸術家になりたい。

そうでもない。もっと、何か、出来ることで賢くなる仕事がしたい。

仕事をしたい。それが一番大学の勉強が出来る。

不思議と、昔プログラマのように物理が出来たように、仕事をした方が大学が出来る。

そんなに大学がしたいなら、今のままでは出来ない。

もっと仕事をした方が良い。作家や編集者のような仕事か、もの作りのような仕事、あるいは、もっと低い仕事で良い。もの作りになると良い。

大学はどうでも良い。大学なんか、仕事をしていると、誰でも簡単に出来る。

大学は、馬鹿に見える人間が多い。内容が、基本的なもの過ぎて、馬鹿に見える。

もっと賢い方が良い。大学は止めた方が良い。賢くない。

本を読みたいなら、それで良い。きちんとスケジュール通り、歴史や哲学や英語をやる。

それは悪くない。本は読むのが好きな人間が多い。自分は、読まないで書くのがおかしい。

そういうわけで、大学は無視して、本を読んで、仕事をする。それは悲惨ではない。

皆、賢くなって楽になったせいで、面白いものが何も無い地獄になっている。

それで、狂っている。

もっと、適度に馬鹿になって、適度に辛くなると、楽になる。

そうすると、賢い人間が終わって、最近の僕になるだろう。それは、辛いだけだ。

勇気を持った方が良いようで、臆病になった方が良い。

あとは、可能性を考えれば分かる。予測したり、ものを作ったりすれば良い。

当たり前に考えれば分かる。経験から分かるところもある。

辛くて良いなら、こういう風に文章を書くと、楽に賢くなる。

スヌーピーのイベントに行った。そんなに何も無かったが、Tシャツを買った。

基本的に、何も分からないと思えば分かる。理性批判のように考える。

なるのが怖い。何かになれば分かる。それで自分が分かる。なるのが怖いのは、賢いからだ。そういうわけで、賢いのが馬鹿なだけだ。馬鹿になれば分かる。

哲学者は、考えて分かるだけだ。認識や観念のようなものを、考えて分かる。そういうわけで、大学で哲学書なんか読んでも意味が無い。

ヘーゲルは止めた方が良い。わたしの哲学入門にも書いてあるが、精神現象学は分かっている人間に読んでもらって初めて分かる本だ。

最近は入門書もあるが、普通の人間には分からない。自分はもう分かっている。自分の人生経験から分かる。それで十分だ。

英単語をやった。今日は14単語やった。

皆は、馬鹿になって辛くなると、最近の自分が出来る。もう昔は全員終わっている。もう全部分かった人間しか居ない。

そういうわけで、戦う人間が今から増えるだろう。それが、永遠に続くだろう。それが一番、辛く見えて、達成感と努力の成果がある。何か、1つのことを続ければ良い。

言葉にならず、現実になれば良い。

ネットが悪い。

最近は、自分だけのネットを作った。

自分の持てる限りの全てを書いて、自分の世界を作った。

あとは、皆が悲惨だ。皆、何も面白くないだけの地獄になっている。

一度、賢くなるのから解放されて、馬鹿になる経験をすれば良い。

馬鹿な体験は楽しい。そういう風に、賢い自分をいくらか適度に止めれば良い。

戦争の部分を消して、現実の自分になると楽になる。

戦争は、普通こうなる。問答無用で、戦うしかない。革命なんか同じだ。

心理学、経済学、文学、宗教、哲学などは、まともに出来たように見える。

歴史ぐらいが出来ていない。これも、いつもと同じように、ありえない方法でやれば良い。

情報もLinuxできちんと出来たように見える。物理も昔分かっている。

仕事をしないのもおかしいから、仕事をした方が良い。もうプログラマにはならない。

昔の引きこもり・ネット時代から、今の神・戦争時代まで、いつも、フランスが分かっている。ドイツやイギリスではなく、フランスだ。

最近ドイツが分かった。こちらみたいに、馬鹿になって地獄になるだけだ。

フランスは、賢くて聡明な良い国だ。革命的な人間が多い。

そういうわけで、フランスだけ全部分かれば良い。それで終わりだ。

今日は歴史の日で、ヨーロッパ史の日だが、歴史の日だからフランス史をすれば良い。

もっと、普通のフランスのことを知った方が良い。それできちんと文系が全部出来た。

通史は読まなくて良い。王しか出て来ない。

歴史とは関係なく、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、ロシアのことを知る。

中国やイスラム、アフリカやインドのことも知る。

それで歴史だ。それこそ、通史なんか読んでも意味が無い。フランスのことなんか、何も分からない。王と戦争と、革命や宗教のことが出て来る。たまに農村や都市の変化が出て来る。そんなものはどうでも良い。普通にいくらか分かっていれば、それで良い。

そういうわけで、もうフランスのことを知れば終わりだ。文系がきちんと出来た。

芸術家や科学者、哲学者のことが分かるのが、歴史だ。そういう、人物を分かりたいなら、哲学者で充分だ。そういうわけで、自分が一番きちんと哲学者を知っている。知っているから、賢い。自分にしか分からない部分も多いから、自分しか賢くない。

むしろ、日本史をすれば良いように見える。

外国の歴史なんか、そろそろもう良い。日本史をすれば、終わりに見える。

歴史は、日本史からするのが普通だ。フランス史は分からないが、ただのフランス人だ。いつものドイツとフランスで良く見える。

むしろ、世界史の流れぐらいは分かっているし、ドイツ史はいつも書いていた。

ソ連も分かっているし、キリスト教やイスラム教も良く分かっている。自由でアメリカ、仏教でインドも分かる。そういうわけで、外国の歴史はもう良い。

日本史をすることにする。歴史は、誰でも日本史をするのが普通だ。

やっぱり、日本史が良い。自分の国の歴史からが良い。

日本史をキモイとは言うが、反面、キモイ人間になれば誰でも出来るのが日本史だ。

作家には、日本史できちんと分かって書ける人間が多い。

昔のネットは忘れるべきだ。ネットより、現実のことを分かった方が良い。

フランス史のおかしい点は、フランスと言う国が分からないのに、王や昔のことを分かる意味が無い。フランスなんか知らないのにルイだけを知っていると、意味が無い。

そういうわけで、まともに考えて、日本史をやって終わりだ。

フランス史をやっている人間はありえなく見えて、日本史なんか過去にきちんとやっている人間しか居ない。そういうわけで、日本史をしなければ、歴史は出来ない。

作家には、日本史で分かる人間が多い。むしろ、UNIXやネットできちんと分かった人間が自分だ。だが、それで狂っている。日本史で狂っているのが治るだろう。

昔は、認識や観念を作って、想像力で分かっていた。実体験で分かった。

フランス史をすれば終わりに見える。だが、フランス史はしない。

やった方がフランスが分からなくなる。フランスなんか、いつも分かっている。

そういうわけで、フランス史はしない。

日本史をするとは言うが、そろそろ歴史ももう良い。むしろ、普通に読めば良いだけだ。

何かをすると決めるのではなく、本を読めば良い。

大学なんか、もうしない。本を読めば終わりだ。それで忘れるなら、読まなくても良い。

もっと政治経済のことをすれば良い。

歴史は忘れた方が良い。歴史は出来なかった。代わりに、キリスト教と哲学史とマルクス経済学が出来た。それだけでも大したものだ。文学なんかきちんと出版出来た。

情報やネットには関わりたくない。怖いから、昔ネットにアップした自分の文章は、放っておけば良い。消したくても、消さなくて良い。それこそ、アップしたかったのは、読んでほしかったからだ。放っておけば、いつまでも残っている。それで良い。

歴史のことは、価値観で分かっていた。分かる人間にしか、分からない。最近は、本当に分からなくなっている。歴史や哲学をしたいのがおかしい。それで分からなくなった。

そういうわけで、本当にしない方が良いから、大学は忘れた方が良い。

大学は、馬鹿になる。大学をしたいのは、馬鹿になりたいだけだ。そこがおかしい。

あとは、数学的な体得や、法則の段階などが、数学者やヘーゲルのように分かっていた。

大学はしない方が良い。馬鹿になる。むしろ、もう全部出来た。

歴史は、した方が良い。やることが何も無い。世界を知りたいなら、ドイツからロシアまで全部すれば良い。日本史はした方が良い。

ただ、もう終わりだ。もう全部死んで行く。それが一番楽になって賢くなる。

昔は、キモイ人間だった。泡のようになって死んで行く代わり、爽快な人間に見える。

あとは、色んな人間と社会を吸収して、可能性を具体的に予測して、可能性の全てを実験と実体験から分かっていた。経験から可能性が分かった。

思考の裏側、意識の深層のようなものを分かっていた。

哲学も心理学ももうしたくない。経済学も文学もしない。そろそろ、いくらか休んで居れば良い。ひと段落したから、休んでから考える。

歴史はすぐに逃げないし、そんなにすぐには終わらない。フランスをじっくりやって、それから日本をやれば良い。逆でも良い。いつまでも続くのが分かっていない。

自分は、すぐにやって、すぐに終わりたいのが馬鹿だ。もっと継続的に、いつまでも同じことをすれば良い。そのためには、本当にやりたい、好きなことを作った方が良い。

そういうわけで、歴史なんかしなくて良い。歴史は嫌いだ。何も分からないだけだ。

自分は、神との対話と執筆できちんと分かった。それをもっと楽にすれば良い。そうすると、自分が一番楽だ。神と対話しながら文章を書くことで、まだ分かる。

大学は要らない。やっていると分からなくなる。宗教の方が良い。それが大人だ。

あとは、自由な権利や平等な権利と思えば分かる。だが、自由は悪い。

そういう風にすると、大人のようにきちんと分かる。

認識を良く考えて、システムを具体的に構築する。大人はそういう人間が多い。

研究と宗教できちんと分かる。そういうわけで、物理と仏教は賢い。

ただ、大学は忘れた方が良い。宗教が良い。そういう人間が多い。

日本史が出来る人間は、仏教をやっている人間が多い。

文学的なキリスト教は書いた。むしろ、イスラム教に見える。

そういうわけで、宗教は悪くない。大人は、信じれば賢く分かる人間が多い。

むしろ、右翼やネットの方が悪い。宗教は悪くないだろう。悪いとは言うが、普通、宗教は悪く見えて、本当に良い、善人しか居ない。

罪を信じれば、罪を犯さなくなる。八正道と因果応報を知れば、正しい行いをする。

そのように、宗教には善人が多い。宗教が悪く見えるのは、学校と子供が悪いだけだ。

昔は、自由で分かっていた。社会を構築する、秩序や会社を作ることを、自由にすること、国民に委ねることで、平和で創造性豊かな、理想の世界になると言っていた。

最近は、平等に変わった。国は出来る限り、国民を平等に助けるべきだと思った。

そして、もっと最近は、宗教に変わった。

宗教で良いなら、もっとまともな宗教になる。

むしろ、カトリックをきちんと信じるのが良い。罪を何でも罪と思えば良い人間になる。

賢い人間は、罪を罪と思わない人間が多いが、それは宗教から見ると愚かな人間だ。

あとは、自由だった。皆による価値観の構築や、知る機会、作る手段で分かっていた。

自由は悪い。自由には、罪が多い。悪く見えることは、すべきでない。

明らかに、そんなにセックスがしたいのはおかしい。そこが一番悪い。したくない。

そういう風にすれば、自由なアメリカ人のように、神で賢くなる。

神を信じない人間は、意味が無い。そういう人間が、アメリカやドイツに多い。

こういう、イスラム教の神は悪い。もっとまともで正しいキリスト教の神にした方が良い。

キリスト教の悪い点は、自分の存在を否定する。ただ、そうでもないと思う。

キリスト教なんか、何も分かっていない。賢いから、分かった方が良い。

このままキリスト教を信じれば終わりだ。

そろそろ、こういう書き方をもうしなくて良い。

もう全て書いた。

キリスト教の神を信じることにする。

宇宙には、イエスが何故か、不思議と、本当に居る。宇宙はイエスの通りになる。

聖書の神で、神が分かる。悪人でも、神を信じれば赦される。

辛くても、神が見ていて下さる。

そういう神を信じれば良い。自由より、神の方が良い。

場と目線から、人間や存在のことが分かった。

ハイデガーの言う、存在は関心と意識であるとは、分かるような気がする。

だが、どこにでも存在がある、と言う視点から考えることも出来る。

昔は、キモイ人間なら誰でも出来る。だが、賢い人間にしか出来ない。

最近は、普通のことが怖くなって、辛くなった。

頭が動くのは正常だ。気にするからおかしいだけだ。仕方ないから、もう治らない。

昔は、社会の全体像を知って、経験から解脱のようなことをして分かった。

真摯に向き合うことが大切だ。

神は、自分が一番普通だと言っていた。こうなる人間の中で、一番普通だ。

神は、自分を宇宙より大きいと言っていた。

足が治る。死ななければ治らない。ただ、死ねば良い。

もっとまともな神を信じる。その方が良い。

神を信じると、ありえないことが起きる。

自分の場合対話になったが、あとは、治らない病気が治るようになる。

頭にある、観念的なことを言っていた。

社会は方法と学習、経緯と可能性である。方法から会社が生まれる。

ただ、皆を自分にしたかっただけだ。

神を信じると治る。不思議と、それでもうすぐに治った。

出来事は、抽象的な予測から捉えることが出来る。

そういう、観念的な頭の中にあることをいつも言っていた。

認識とシステムから分かった。真面目に分かる、賢いまともな正しい人間だった。

パソコンは、Plan 9のように、ファイルシステムをバージョン管理にすると良い。

受け入れるとすぐに治る。受け入れると、何でも治る。賢くなる。

精神は、独立を止めて、統合すれば治る。そのまま、単純な精神にすれば良い。

いつも統合しなかったから、馬鹿になった。

神との対話で分かるのは止めて、統合すれば良い。それですぐに足が治る。

足が辛いのは、怪我のせいだから、怪我を治せば治る。

皆も統合して、支配すれば良い。それで皆が治る。王が支配しないのはおかしい。

本当に支配するのが怖かった。世界が変わる。それでもうきちんと全員が楽になる。

テレビを利用して皆を支配したのが悪かった。

もう、テレビは利用しない。好きなようにして良い。ロボットにするのはおかしい。

皆、もうこちらになる。最近になる。死ななくて良いが、生きたままで死を体験する。

死は、色々と辛いが、結構面白いものだ。

そういうわけで、世界は今から僕が支配する。支配した方が楽だ。

昔は、もう分かっていたから、あまり考えなくても分かった。

きちんと正しく考えることで、何でも哲学者、心理学者、経済学者のように分かった。

昔は、知恵と工夫から、決まり、初期投資、再利用、基盤のように分かっていた。

あとは、経験から主体性のようなことを分かった。

そして、方法と概念のようなことを考えていた。

あとは、認識の裏側、見るための方法のようなことを分かっていた。

そろそろ、皆、死が起きる。

生き残る人間も居るが、それなら、自分の通りの地獄になる。

辛いこと、悲しいこと、耐えがたいことを、困難と葛藤の中で、耐えながら考えて、努力しながら、苦しさと戦う。それが、死だ。それで、終わりだ。

あとは、神やキリストと対話していたのが自分だ。経済学と心理学を作った。

皆、地獄になって死ぬ。自分と対話すれば良いように見える。だが、僕はもうこれ以上、この世界に何かしたくない。勝手に相手の方で対話すれば良い。

辛いままを受け入れれば治る。治りたいのがおかしいだけだ。

いつまでも、足が同じで、辛いままで良い、と思えば良い。

その方が楽だ。それで治る人間が多い。

それぞれのことを決めるために、前提が必要だ。

愛とは、不安で無く、感覚的に、経験と理想を実現することだ。

そういう風に、色んな文章を書いていた。

経験、意識、認識、組織、社会などを、全部分かっていた。

そういう、分かっている自分を書いていた。

未知の可能性と言っていた。

自分は全て分かっている。足はもう終わった。そのまま、賢い昔になる。狂うようで、もう、治るのは全部終わった。もう全て治り終えた。

最近の自由は、終わらせて、認識と意識を変化させ、信じることを変えて、1つ1つ疑って分かっている。皆も、正しく疑えば出来るだろう。

そして、思い出して、知性をつけ、治すことだ。それが最近だ。

抽象化し、方法を知り、法則を知り、成り立たせ、具体的に推論し、仮定する。

実現のために、何がどうなっているかを知り、手段と目的からネットで情報を得る。

そして、会社は世界の全てを変える、影響力がある。

そういう、方法論のようなことをいつも言っていた。それがそのまま、経験論だった。

全ては、自分の理想の通り、世界を変えるために、努力し、正しく考え、信じることだ。

意識は、共有から理想になり、自由になり、別の可能性と秩序になる。

そのような、意識の変転のような文章も多かった。

それくらいで、全部だ。もう残っていない。全部書いてある。

人生のような内容が多かった。

パスケの詩のように、戦って栄え、国と争い、実現し、滅びる人生を全部書いていた。

そろそろ自由だ。もう、皆、自由になるだろう。死にはなるが、それで生きるべきだ。

経験や認識や方法など、全てのことがきちんと分かっていた。

そういう、分かっている自分を書いただけだ。

いつも、発想法、記憶、概念のようなことを書いていた。

それで終わりだ。自分が一番全て分かっている。

皆が死んで行く。皆、死が起きるのは、ネットが狂っているから、仕方ない。

あとは、生命の誕生とか、問題の解決とかを分かっていた。

足は、治らないのを受け入れれば良い。足を受け入れると楽になる。

治すのを止めて、辛いままで良いと思えば良い。それが一番楽に治る。

そういうわけで、もう治らない。不思議と、もう完璧に治った。

あとは、EUの理想とか、いじめの解決のようなことを言う。

そろそろ、足は完全に治っている。

それから、ロシアの歴史のようなものも多かった。

共同体のことも良く分かっていた。全員をそう言う風に作っていた。

辛くない。もう終わりだ。皆ももう治る。辛いのは、受け入れるしか治らない。

何故か、受け入れなくなったのや、統合できなくなったのが多かった。

そういう、正常ではないものを考えれば分かる。

脳は、腫瘍のようなものがパーキンソン病になっている。腫瘍を取り除けば治る。

環境に適応しないのは、まだ世界を救う希望を信じているからだ。

テレビに何か言うせいで、人に何か自分の姿を見せるだけで怖くなった。

戦いは、時計だ。戦うのを止めると思えば、時計も治るだろう。

機械やインフラは応用であり、共有であり、手段であり、方法だ。

金に出来るところは金にすれば良いが、出来ないところは税金でやるしかない。

金は悪いと言う人間も多い。全部国営にすると、巨大権力になって破たんするが、その方がまともで、正しい。そういう発想が、ソ連だけではなく、日本にも多い。

自由にすると、おかしなものが増える。

国家によって統制し、減らすことも出来るべきだ。

管理所有や社会所有のようなものは悪い。だが、計画経済はおかしくは無い。

後進国は、経済成長したい国もあるが、平等が好きな国もある。平等に発展しないと、意味が無い。後進国に自由を与えても、何も出来ない。自由は、悪い。

足は辛いだけ、賢い。

辛いのが賢いから、辛いのを全部残して、そのままで楽にすれば治る。

アフリカに自由なんか与える意味が無い。金を与えると、何も出来ない。

戦って勝つぐらいしか出来ない。アフリカには、戦争と貧困の自由しかない。

誰もがロシアが好きだ。アフリカは、原始生活をしているせいで、共産主義の原始の理想が良く見える。アフリカは、黒いロシアだ。

そろそろ終わりだ。もう何も無い。自分が一番賢かっただけだ。

あとは、自由を良く考えれば分かる。

自由にすることで、世界は変えられる。

会社を作り、意見を共有し、知恵を集め、独立した国家を作って、共存することが出来る。

そこでは、習得と適応と体験が自由に行われる。

そういう風に、自由を考えていた。

制度や法律を自由に決めるモデルのようなものを考えていた。

秩序と環境を作り、守ること。レーニンとスターリンは矛盾しない。

そういうものだ。あとは、何も無い。今日でもう終わりだ。

皆が死んで行く。

今日はこれで終わりだ。あとは、明日書けば良い。もう寝る。おやすみ。