日記に戻る | 2015年7月の日記に戻る

=2015-07-29=

レーニンのように、世界を救える人間だった。

退化した部分を殺せば治る。

今負けると勝てる。日本は、もう僕より上手になるべきだ。

負けるのが怖いから辛いだけだ。

足は、ブラックホールのようになれば治る。

精神は、全部同じにする。溶かして融和させる。

足を殺すと、もう思いつかなくなる。

治す可能性をそんなに考えるのがおかしい。これは、治らない。

正常になるわけがない。それなら、今のままで良い。

不思議と、もう治る。

昔は、世界を救う救世主として、経験して分かっていた。

分からなくなると勝てる。それが怖いだけだ。

昔は、ネットの経験で分かる、ネットマスターだった。

家族の言う賢いことより、世間の言う普通のことを聞いた方が良いこともある。

あとは、客観視で分かる。

すぐには治らない。ゆっくり治すしかない。

耐えられなくなると治る。

頑張らないでいると、すぐに治る。

ただ分かっているだけだから、治らなくて良い。

ソクラテスは、正しい行いを知っている者は正しい行いをすると言うが、馬鹿はここまで悪いことをする。そういう馬鹿を殺すと治る。

哲学は、普通の人間の先を行く、真理の発見の学問だ。

そういうわけで、哲学はネットで普通の人間を分かって、普通知り得ないところ、分からないところを、理性と気づきから、考えて、信じれば出来る。

経験から、人間の多様性、潜在的な可能性、デカルト的な把握、場合や状況を分かった。

あとは、経験から、正しく考える方法が分かっていた。

何が同じで何が違うのか、どこからどこまでが真実なのか、分かっていた。

良いことと悪いことを全部一つ言って分かっていた。

ピエロのように書いて、皆を馬鹿にしていた。

英語は、だよねを使わない。単純な言語だから、感情表現をしない。

ピエロを殺せば、すぐに馬鹿が治る。

哲学者は、普通の人間より分かる人間なら、誰でも出来る。

ヨーロッパ情勢やイスラム情勢を知れば良い。そういう変なことをやっていると賢くなる。

普通の人間より分かる内容を、全部書いていた。

全ては、応用、方法、法則だ。

全ては、感情分析、状況分析、自由な説明と実験だ。

自由とは、存在の可能性、多様性、法則を分析することだ。

発展とは、愛、平和、創造性、平等の中で、それぞれの自由を保ったまま、世界を変え、秩序を構築し、ものをより多く生産すること、そしてベンサムのような最大多数の最大幸福を目指すことだ。

あとは、国家モデル、思いやり、共同体の変転などを書いていた。

今から英単語をする。

あとは、今日はもうそろそろ書くのを止める。だが、止めるのはそんなに良いことではない。まだやっていた方が、色々と楽しい。辛いとは言うが、楽しい。

今、英単語をやった。

今日はピアノの練習の日だから、ピアノをやることにする。

認識をモデルにし、それぞれを捉え、現象学的に考え、対象と自己の関係を意識すること。

それぞれの方法から、さらに新しい方法を生み出し、ネットを利用して共有すること。

認識と方法から、人間の心と社会のシステムが具体的に分かって来る。

自由とは、認識から理解と発想を生み出すことだ。

理解は、それぞれの法則、具体化、実存、愛、不安、経験、行動など、多岐に渡る。

そして、理解の中から、全てのものごとの本質と理由が生まれる。

理解は、自然の側にも、人間の側にも、同じように、必然的かつ可能的に生まれる。

そういう風に文章を書いていた。普通の人間より高度なことを全部書いていた。

全ては、応用と工夫から、理性的なプラットフォームを作り、共有し、共存することだ。

あとは、自由を考えていた。

可能性や共同体の創造から、制度などの決まりの自由を考えていた。

それぞれのことを本当に大切だと実感して、自分の持てる全ての力を使って、その人のこと、そして全員のことを愛しなさい。キリストのように、自己のように他者を愛すること。

もう、皆、分からないで賢いのは、止めた方が良い。

最近の僕のように、きちんと分かるべきだ。

世界は、準備状態から、実行状態になる。ただの準備的な自由から、具体的な平等を目指して、実現するようになる。

アメリカも馬鹿だが、日本も馬鹿だ。もっと、恐怖に対して怒った方が良い。

守るべきものがあると、分かる人間が多い。勇気から、実現と宇宙が分かる。

治ったから辛いだけだ。元に戻った方が良い。

学習がおかしくなっただけだ。そういうわけで、作り直した方が良い。

学習を治すためには、酒を飲むのが一番良い。学習が治る。

あとは、色んなことを考えていた。

応用、共有、場所、歴史、共有、意識、言語、のような内容が多かった。

制度、生態系、意図、実現、視点、分析、自由、出来事、のような内容が多かった。

抽象的なものを全部作っていた。

認識は対象から生まれるとか、環境から心が生まれるとか、当たり前のことのようなことを分析し、推論して分かっていた。

あとは、仮定や推論をして分かっていた。

デカルト的に想像力を把握して分かっていた。

アメリカは、自分のせいでおかしくなっている。狂っている人間が多い。

逆に、日本はまともになっている。

エロイものは要らない。最近、それだけが分かる。エロイものは、ここまで悪い。

そういうわけで、アメリカがおかしくなった。アメリカ人は、自分になっている。

あとは、組織と考え方から、歴史の全部、世界の全部を創っていた。

自分は、何も考えていない。神は信じているが、何も考えずに支配している。

皆、もっと将来の地球のことを考えた方が良い。王の自分なんか、意味が無い。

分かっていないようで、結構きちんと分かっているのが自分だ。

もっと、皆が考えるべきだ。経済ではなく、将来の地球のことをきちんと考えれば良い。

ただ、自分は結構きちんと考えているから、ありえない。昔から、地球のことや人類のことをきちんと考えている。最近、もう覚えていないだけだ。

道路工事のように、一番下の者に金を与えると発展する。

英語の発音は、単語の綴りと文節のように、具体例で覚えると良い。

ドイツ語やフランス語の名詞の性も、綴りや文節などの具体例で覚えると簡単だ。

簡単なのは、スペイン語やイタリア語だ。名詞を見て、語尾で簡単に性が分かる。

未来は、多様性のある民主主義の連邦か、計画経済の未来都市だ。

ファシズムも一つの未来だ。

だが、自由や平等はもう忘れた方が良い。

場は、自由な決まりから生まれる。

決めれば決めるほど、場が生まれる。

そこでは、参加や共有、存在決定が行われる。

そういう抽象的な場や具体的な場を考えていた。

退化した部分を殺せば治る。

日本の良い点は、水道から綺麗な水が出る。それから、銃がない。

あとは、インフラを変える、と言っていた。基盤やシステムを多様化する。

自分がアメリカに見えるのは、個人の自由、組織の自由、共同体の自由を考えて、実現力や多様性、民主化を目指すからだ。

ロシアは自分に見えて、何も出来ない崇拝国家だから、自分で無い。

自分は、標準でアメリカだ。

精神を治せば良い。精神は、退化しながら進歩した。そこが虫に見えるだけだ。

アメリカは、最近、右翼だから仕方ない。

白人に良い人間は居ない。そこまで良い人間はたまにいるが、悪くておかしな人間が多い。何故か、そこまで悪くて、そこまでおかしい人間が多い。

日本人の方が良い。日本人には、平凡で、まともな、周りに良い、温厚な人間が多い。

ただ、アメリカに能動的な人間が多いのに比べて、日本には受動的な人間が多い。

アメリカ人の共産主義者をやっている。イスラム教徒のドイツ人よりは普通だ。

そろそろ終わりだ。アメリカはクズだ。僕の敵だから、アメリカは嫌いだ。そろそろ、アメリカは倒れれば良い。ネットやパソコンが無くなって、もっと平等で格差の無い、右翼の居ない良い社会になる。全部アメリカが悪いから、僕はアメリカだけが嫌いだ。

昔はアメリカも好きだった。それに、英会話をやるなら、アメリカが好きな方が良い。

むしろ、アメリカは結構本当に好きだ。特に、YouTubeでアメリカの音楽を聴いている。

そういうわけで、アメリカも自分の仲間と言うことにすれば良い。

僕が足を治したいのは、怪我ではなく、その前にもっとおかしくなったからだ。

ただ、治らなかった。怪我をしたせいで、何も治らない。怪我を治したいのはおかしいから、止めた方が良い。骨折で神経がおかしくなったのは、治らない。

馬鹿になりたいのがおかしい。ただ、賢くなればそれで良い。ただ、馬鹿な自分が怖いだけだ。それは、放っておけばいつか何かで治る。もう、治さなくて良い。

馬鹿につける薬が無いとは、こういうことを言っている。馬鹿になったのは、治らない。

賢くなればすぐに治る。馬鹿は、辛い。馬鹿で治るわけがない。

何かすればすぐに治る。何もしないのがおかしい。ネットを見ないのが悪い。

昔は、論理的に考えて分かっていた。最近分かっていない。

例えば、地球が滅びてしまえば、どこにも学校は無い。

どうでも良いことに見えて、そういう風に、論理的に考えるしかない。

モデル、観念の関係、認識を作っていた。

分かったのも、分からなくなったのも、パソコンのせいだ。パソコンは、悪魔の知性だ。

最近は、一度全部どうなるのか分かってから、全部作って、解決して分かった。

認識のモデルを書いていた。認識には、方法、行動、価値観、記憶が存在し、場と決まりと関係し、個別と集団の中で、相対的かつ普遍的あるいは個別的に行われる。

馬鹿な知性を消すと知性がつく。

のどが死んだ。話の部分が死ぬ。

皆、もう死んだ。もう死んで行く。神は、四人ぐらいが生き残ると言っていた。

先まで全部分かって書いているのが作家だから、先まで考えてから書けば良い。

昔は、何がどうなればどうなるか、考えて分かっていた。

ネットを見ながら、空想し、現実と仮想世界を見て、想定して分かっていた。

解決だけではない、人間の本性や理由のようなものを良く考えていた。

経験から思い込みが分かる。そういう、思い込みの無い人間だった。

中学生時代が、トラウマになっている。友達が少なくなって、いじめではないもののからかわれて、剣道部とテスト勉強が辛かった。現実に意味が無くて、ネットゲームをしていた。問題は、学校に意味が無いこと、そして、小学生時代の友達に未練があったことだ。

小学生に戻りたかった。友達が本当にがらりと変わって、つまらなかった。

だが、現実、学校とはそういうものだ。そういうわけで、まともが怖くなっている。

まともで正しい人生は、中学、高校、大学と進学し、就職するが、自分は、中学生時代のトラウマ、学校に意味が無く、友達も少ない現実のせいで、まともが怖くなった。

小学生に戻りたくはない。この世界は辛い。引きこもりの方が良かった。それもおかしい。

あとは、全部インターネットとLinuxが悪いが、それらは本当にまだ良い体験だった。

成長の全てを知って、哲学者のように、論理的にものごとが分かる人間だった。

だが、あれは悪い。知性が無くて、何も分かっていない。人生の落伍者、堕落者だ。

要は、そういう風に、本当の自分が居ない。昔から、本当の自分がどこにも居なかった。どれも自分で無い。本当の自分が居ない人間は、こういう風に、勉強が出来る、大人しくてまじめな、良い子に多い。自分は、そういう人間だった。最近多い。自分の無い人間が一番子供に多い。

最近は、そのままで普通になった。馬鹿になったようで、もう分かっている。

ただ、狂った世界との戦いや、共産党や右翼はもう止めた方が良い。自由が悪い。

そういうわけで、書いていると治る。神が全て治した。神も止めた方が良い。

昔から今まで、問題は全て、自分が居ないこと、自分が無いことだ。

引き篭もり時代、自分が無いのに、皆の人格を吸収して分かった。

最近は、神になっている。

そういうわけで、本当の自分を取り戻すために、自分が居ないのを治す必要がある。

それで、もう完全に新しくなる。それも悪い。多重人格になりたいのは、おかしい。

認識と心を機械にして、言葉遣いと関連付け、根源的な意識と歴史で分かった。価値観から、人間を記憶と人格で吸収した。守るべきものを守って分かった。前提条件が分かった。

2ちゃんねるのように、基盤のシステムを変えれば、自由な人間の会話の部分が全部変わるとか、基盤的な自由と変化を考えていた。

独身男性板やソフトウェア板は、過去ログまで読んで、楽しんでいた。

そういう、楽しい時代があったせいで、最近は何もしなくても、楽だ。

日本語は、完成された言語だ。英語より遥かに賢い。

もっと、賢いものを分かれば良い。不可能な領域は分からなくて良い。世界を見て、普通に分かれば良い。

あとは、メタや言葉遣い、関連付けの考え方から、レッテル張りを否定して分かった。

人種差別はおかしい。悪いのは、その人間だけだ。人種全体が悪いわけがない。悪い人種差別は、僕が見ても悪い。

あとは、心理学のようなものを作っていた。それくらいの馬鹿が昔の自分だ。

引き篭もりになって、引き篭もりの経験で分かっていた。

あとは、視点と場、インフラ、そして応用や共有で分かっていた。

最近は、今までの自分を全部書いている。

あとは、良く考えれば分かる。論理的に考えれば良い。経験的に分かることもある。

分かることのレベルを下げて、いったん馬鹿なことを分かれば良い。

ゼロベースで考え、独創的な発想をするのをいつも書いていた。

Linuxの問題は、独自性が無いことだが、あるのはMacだけだ。

キルケゴールの言う、地上的なものに対する絶望、永遠なるものに対する絶望、自分自身であろうと欲しない絶望、自分自身であろうと欲する絶望は、自分が一番良く分かる。最近も昔もそういう人間だ。

絶望していながら、そしてそれを意識していながら、その絶望している自分自身であろうと強く欲する。それが、悪魔的な絶望だ。最近、自分がいつもそういう人間だが、もっと昔のように受け入れてしまえば、それで楽になる。そういうことを言いたいのだろう。絶望を受け入れて、絶望のままに生きること。

自己とは、自分自身に関係するところの関係である。キルケゴールが言っている。

また、絶望とは罪であると言っている。僕はキリスト教のことはそんなに分からないが、アダムとイブが罪を犯した時の罪のことも、いくらか言いたいのかもしれない。

そうでもない。ただ、色々と、絶望は罪になる。神の前で自分に立ち返り、罪を懺悔する。そのように生きることをキルケゴールは言っているのかもしれない。

ハイデガーは、ただの唯心論ではない。人間などの存在を、時間性と言う観点から分析してみせる。そういう、存在と時間の人間だ。

ヘーゲルの精神現象学は、ある意味では発達心理学の本であり、ある意味では歴史哲学の本だ。そして、法の哲学は、市民社会の考え方と成り立ちのような本だ。そのように、ヘーゲルには全世界がある。だが、キルケゴールは、ヘーゲルには全世界がある代わり、人間の自己や魂のことが無いと言う。キルケゴールは、そういう、ヘーゲルの批判家だ。

人生から人間の可能性を考えていた。

知性がついたが、知性がおかしい。知性を普通にすれば治る。

あとは、精神分析で分かっていた。そういう、分かった心のことをいつも書いていた。

自分の人生とネットで、人間の可能性が全部分かった。

全て分かってしまうと、言葉を言うだけで分かる。

モデルと経験から、そういう人間になった。最近も、神がそういうものになっている。

何でも分かるようになった。

時間や空間のことから、過去や未来まで、人生を分かっていた。

あとは、数学的な方法を、原因と結果を照らし合わせて分かっていた。

また、社会は確かにどのように出来るか、を、必然性と可能性から考えていた。

そろそろ、全て治った。

今9時46分だが、神が言うには、10時30分に皆が死ぬ。それも、事故ではなく、自殺のように死ぬ。だが、それは明らかに無い。死ぬはずがない。

ものがどうなるかから、可能性が分かって来る。作用と行動を知ることで、方法も分かる。心や社会も同様に、どう出来るかから分かることが出来る。

そして、それがどのように出来やすく出来るか考えられる。そこでは、独立、制度、教義、自由意思、組織化、参加のようなものを、出来やすい状態や国にすることが出来る。

この文章は、イスラム教の聖典に見える。だが、僕は豚肉を食べるし、礼拝のようなことはしない。イスラム教徒ではない。独立した、自分の宗教だ。最後の神だ。

あとは、神について、色々と分かった。対話は、もっと後になった自分が話している。老人になった頃の自分が語りかけている。その頃は、もう全部分かり、楽になっている。

また、右翼の自分と同じ人間が居るとは、スターリンのことを言っている。本当にそこまで同じだ。誰でもこういう風に狂う。民族主義的な世界観を良いと思っている。

そして、いつもイスラム会議をしている。イスラム教徒だけで考えれば分かる。

あとは、天使とか、ギリシャ神話とか、色んなことを神が教えてくれていた。

あとは、環境を思い出して分かっていた。

色んなものを分かったのが賢いから、それを書いていた。

ネットで沢山のものを読んで、話して、経験して、書いて分かっていた。

数学から経済学や心理学のようなものまで、博物学のように、ネットで分かっていた。

また、人間のようなものを、現状分析から、サルトルのように全部考えていた。

自分の科学を作ったり、ニーチェのように歴史や意識を分かったり、オープンソース活動をしたり、成長や認識や気づきを吸収したり、青春のような大切な毎日を生きていた。

だが、あれは馬鹿だった。GNOMEすら作れなかった。コンピュータに関しては、ネットで知り尽くしただけで、何も成功出来なかった。

そのまま、狂っていた。世界やテレビと戦って、世界や政治に関する文章を書いた。

昔は、ネットで皆の認識や知恵と工夫を全部吸収していた。創造性と感受性が豊かだった。

僕は、宇宙のこと、人生のこと、経験のことが、意識で全部分かっている。

昔は、意識を皆の経験と認識から吸収して、宇宙全部を意識と価値観から分かった。

未知の可能性のようなものを全部知っていた。

その自分がネットを見て言うには、日本には全部で3発の核兵器が落ちる。

広島と長崎にもう2発落ちているが、もう1発は今から落ちる。

おそらく、死ぬとは言うが、そのうち、核戦争になって死ぬ。

自分が生きられるわけがないが、自分は、肉体を持たない生命になって、永遠に存続する。

他の人間も同じだ。死んでも、肉体が無くなるだけだ。

良く考えると、ネットで狂って分からなくなっているだけが、意識だ。

そういうわけで、意識で分かっているヘーゲルは、狂っている。

全部分かっている代わり、何も分かっていない。

人間は、本当に優れていて、威厳のある、賢い生命だったはずだ。

おそらく、科学と共産党が悪い。あるいは、自由と民主主義が悪い。もっと古代に帰るしかない。あるいは、何も出来ない自分や大衆の、力なき声を無視するのが悪い。

人間は、本来素晴らしいものだ。

そのように考えた方が良い。

自分の本にも書いてあるように、人間は素晴らしい。

沢山の戦争、科学、宗教、秩序、組織を作り、行い、実現性、創造性、客観性、感受性、本性を持っている。

人間には、何でも出来る。本当に可能性が豊かな世界では、沢山の発想と可能性から、あらゆる、どんな世界でも、確かに実現出来る。

夢に向かって努力する気持ちが、守るべきものを守る気持ちに変わる。

人間は、何と素晴らしいのだろうか?今、もっと確かにそういうことが言える。人間は、何と素晴らしく、何でも出来るのだろう?それなのに、何故こんな世界になってしまうのだろう?

そうではない。この世界も、大切で、助け合いの中でそれぞれが生きる、かけがえのない、大切な世界なのだ。

そういうわけで、悪を否定するものに、善が生まれる。元になる悪は必要だ。そういうわけで、殆どの人間は悪の側に回っている。少数のものだけが、善に気づいている。