人間がいつ何をするのか、どんな行動をするのかを分かっていた。
学習や抽象的な予測、原因と結果から、全部分かっていた。
正しい考え方で、書いて推論していた。推論して全部分かっていた。
皆、馬鹿が賢いだけだ。馬鹿になると賢くなるから、馬鹿になった方が良い。
良い人間で無い方が良い。馬鹿なものは、嫌いな方が良い。それで賢くなる。
世界史は、ロシアのところを今読んだ。クリミア戦争で、農奴国ロシアが、産業革命のイギリスやフランスに完全に遅れているところを読んだ。昔からロシアは遅れている。
ただ、僕は昔からピョートル大帝が好きだ。生まれ変わって彼になりたいと思っていた。
あとは、関係、方法、相対性、予測のように分かっていた。デカルトみたいな人間だった。
昔は、人生の考え方のようなものを全部分かっていた。経験と考え方で分かっていた。
そういう文章が多かった。マスターのように、人生と考え方を分かっていた。
ロシアを読んだ。次はアジアだ。チムール帝国を読む。
昔は、原因と結果や認識を考えて分かっていた。
何故か、全部分かっていた。宇宙は、概念的に考えて、意識で分かっていた。
ゲームをした方が良い。昔は、ゲームで賢かった。
ネットゲームのおかげで、学校の勉強が出来ていた。数学は、ゲームで出来る。
日本は、Windowsを作れないとは言うが、ゲーム機なら作れる。日本は賢い。
学校の勉強の方法なんか、普通、ゲームだ。学校には入れない。ゲームをすれば良い。
昔は、経験論のように、記憶や概念から脳や経験を分かっていた。
全部分かっている。人間はロックのような自由な経験の存在だと考えていた。
また、ハイデガーのように、人間や人生は可能性の発揮であると考えていた。
心理学的に、認識、経験、学習、行動、感情、意識などを考えていた。
猫とは言うが、猫はただの名前だ。経験的に分かるだけだ。
名前は、他の人間と共有する、1つの決まりに過ぎない。
機械は、そのように作ってあるから動くだけだ。素材的な特性も理由に含まれている。
心が何故それを感じるのか?それは、何なのか?どのように出来るのか?
そんなことを考える。そういう風に考えると哲学が出来る。
自由に正しく考えれば良い。経験と関係から協力の段階のようなことが分かるだろう。
人間が見ている像は、虚偽のものだ。本当に正しい宇宙は、全く違う見え方をする。
だが、そういう像は、確かに存在する。それも間違いではない。
法則はいつも同じで、誰でも同じだ。そういう風に考えれば分かる。
関係とは、それぞれを成り立たせる手段であり、協力のシステムと依存関係である。
昔は、そういう風に、哲学的な理由、経験、歴史のようなことを考えて分かっていた。
社会や世界は、全て人間の作り出したものだ。そういうことを書いていた。
あとは、相対性、創造性、歴史的な社会形成、協力、関係、モデル、説明を考えていた。
そういう風に書いている考え方が一番多かった。そういうものを中心に書いていた。
あとは、全ての方法や、実験的な考え方、経験的な世界観のようなことを言っていた。
小さな違いを大切にするとか、影響力とか、色んなことを言っていた。
生活必需品は、全員に平等に与えないと悪い。
ぜいたく品だけを金にすれば良い。必要以上に資産を持ちたい人間だけが金を稼げば良い。
だが、それでは誰も働かない。それが問題だ。社会の経済が破たんする。
ただ、全部与えて、強制労働にするしかない。
パンやアパートを与えても、トイレットペーパーや台所が無ければ意味が無い。そういうわけで、全部与えるのは悪くは無い。働かないなら、働かなくて良く見える。
ソ連では、悪いものが悪い。コカコーラやマクドナルドが良いわけがない。最近は、そういうものが良いものに変わっている。低俗な変革が起きている。一番終わっている。
精神は、普通おかしい。おかしなことをしなければ治らない。
忘れないのと、経験を覚えていないのと、辛いので治っていない。
足は、右足と左足がつけば治る。そのように、おかしくすれば治る。
パソコンは、ハードディスクだけを防水にするべきだ。それで、データが壊れない。
人間は、分かることは全部経験的に分かっている。そういう風にすれば、哲学が分かる。
発想は、確かに実現出来る。参加して、手段を得て、本当に良い発想をすれば、この世界を変えられる。自由な発想から、色んなこの世界の可能性が分かる。この世界は、確かに変えられる。色んな可能性から、ああも出来る、こうも出来ると考えれば良い。
人間は、学習と知から変わっていく。そういうことをいつも言っていた。
経験、知の機会、コミュニケーション、社会参加などで、人間は賢くなる。
人間は、環境を変えることで、自由になる。
人間は、必然的に、自由になることを望む。
人間は、自由になり、解放され、平等になり、見聞きし、観念を作り、システムを知り、経験し、発想し、考え方から自由になり、理想の社会を実現する。
そういう風に、適当に人生のようことを書いていた。自分の変化を全部書いていた。
僕は、全体主義は嫌いだ。昔から、自由と個人主義が好きだ。
それこそ、ソ連や帝国の日本なんか、一番嫌いだ。
民主主義と個人主義は、フランスに見えて、アメリカとヨーロッパの普遍的な価値観だ。
自由は、哲学的に考えて正しい。キルケゴールのような個人主義は、馬鹿では無い。
神に融和するよりも、自分は細胞の中で神経として独立していると考える。
社会の全体の中での自分より、自分のため、国民のための社会と考える。
全体主義は悪くは無いが、僕は個人主義の方が好きだ。
それこそ、大きな政府より、小さな政府の方が良い。夜警国家は悪くない。
国家に関与されたくないが、ネットのような情報共有と体験と助言の場は必要だ。
自由と思えば分かる。自分には、何人にも侵されない自由の権利がある。
相手のことも自由にする代わり、自由なままで協力し、可能性を高める。
自分の勝手にし、自由にする権利がある。国家権力の正当性なんか、馬鹿だ。
そういう風に考えれば良い。
不思議と、そういうことを言っていると、その方がコミュニストに見える。
ただ、右翼のコミュニストはまともだ。それがソ連や日本と言うのは、まともな人間だ。
自由とは、ネットで経験し、社会を形成し、平等な権利を得る自由のことを言っていた。
昔から、ネットで自由に経験して分かる。そのまま、オープンソースになった。
これで、構造主義だ。自分は、構造主義の哲学者だ。これなら、そう見える。
全体主義も悪くは無い。全体主義をやる自由もあって良いように見える。
全体主義者とは言うが、国家の主権を行使するだけだ。それも、国民の権利だ。
支配なんかしなくて良い。支配は賢くない。
だが、自分のような自由な支配は、すると賢い。それこそ、自由にすれば良くなる。
それは、論理的に考えて当たり前だ。自由と可能性の論理学を信じると、哲学が分かる。
人間はどんな世界から来たのか、どんな世界にすべきなのか、哲学者のように真面目に考えれば良い。ロックの統治論は読んだことが無いが、いつか読みたいと思っている。
支配の問題点は、片方が支配すると、もう片方に自由が無い。
そういうわけで、支配も自由だが、平等な自由が正しい。
それこそ、そんなものはどうでも良い。
賢い人間が馬鹿を支配するのも、悪くは無い。そういう風にも考えられる。
それこそ、賢い人間が賢いところを担当するなら、普通その範囲は少ない。
馬鹿な労働者の役割の方が、多い。だから、支配者は一人で良い。奴隷は多い方が良い。
だが、奴隷が革命すれば、そんな支配者はすぐに負ける。
それなら、親衛隊のような直属の軍隊を作れば良い。
どうでも良いほど、独裁者が賢いわけがない。それぞれの自由にして、支配せず、それぞれが関係して生きた方が良い。その方が自然で自由な可能性がある。その方が良い。
それぞれが影響力を行使して、自由な積み重ねで自然に発展するべきだ。
共同体は、分散し、互いに関与し、連合となるべきだ。
だが、そういう国は、アメリカやソ連のような、知的障害のような馬鹿な国になる。
だから、支配者の国の方が良い。コルベールのような、経済の分かる大臣や宰相を使って、王が好きなことをすれば良い。王は、戦争すればそれで良い。
それで良いから、王国に戻すしかない。だが、王は、いくらでも大虐殺をする。
難しい問題ではない。民主主義のまま、王国のようにすれば良い。それが右翼だ。
国家は安定してくると、中央集権より地方分権の方が良くなる。
だが、国民は統一した方が良い。それが統治だ。皆を同じにするのは、悪くない。それが統治と言うものだ。自分も、反省はしなくて良い。皆を自分にする支配は悪くない。
連邦制にした方が良い。王が一人で国全部を見ることは出来ない。
だが、国を全部同じにすれば、統治出来ないことは無い。それが統一だ。
独裁者は、誰でも、国を同じにして、自由にして、そして戦争する。
それは悪くは無い。ロシアのような、本当に強い国になる。それが勝つべきだ。
共産主義の理論なんか要らない。賢くない。
右翼にして、統一して、統治して、連邦制にすれば良い。それは、悪い国ではない。
ソ連の場合、大量に居る奴隷の方が、皇帝や貴族より良く見える。それを、プロレタリアの独裁と言っている。だが、良く考えると、奴隷を王にして良いわけがない。
あとは、社会の段階のようなことを言っていた。
共同体から帝国になって、戦争し、平和になり、社会的な組織を沢山作って、多様化する。
そろそろ、足も治った。いくらでもおかしくするとすぐに治る。
オープンソースのような、自由な社会の生成のようなことをいつも言っていた。
生命は、海から生まれて、進化した。
最初は、進化するだけの生命が生まれた。遺伝子は、海が考えた。
地球は、偶然奇跡的に生まれたように見えて、本当は、星を作る星のようなものがある。
どこかの星の宇宙人が、超人的なパワーで地球を創った。それが正しい。
あとは、社会を構造にして分かっていた。
嘘、虐待、殺害、盗難を禁止するべきだ。
理論か、指導者か、金か、法律か、宗教で決めるべきだ。
そういう風に、構造の文章を書きながら、そういうものを分かっていた。
日本は、インドネシアからトルコまでを併合して、巨大なアジア帝国を作るべきだ。
ただ、戦後の方が良い。皆頑張って、経済的に豊かになった。自分は、戦後皆が頑張ったのが分かっていない。皆本当に頑張ったのが日本人だ。
もっと、沢山の変化が許容される、革新的な国を作った方が良い。
全ては、可能性のある平等な共同体と、正しい自由な帝国のバランスだ。
帝国を作るなら、虐殺や迫害をせず、ペルシア帝国のように、現地人の自由を尊重すべきだ。自由な、アメリカのような帝国にすれば良い。
また、経済は、沢山の科学技術的な発展を行うべきだ。そういう国が一番良い。
国民を豊かにして、豊かな文化圏を日本以外の世界に広めること。それも一つの理想だ。
一番悪い発想が、警察国家だ。国民をすぐに捕まえる。
あとは、意識や様相のモデルを書いていた。意識を書いている馬鹿が一番多かった。
足は、頭や脊髄とくっつけると治る。根を生やして、飛び立てば治る。
英語は、色々と話し方がありえない。言葉の機能を組み込んで考えるところがある。
自分のして欲しいことを、他人にもしてあげること。
昔から、神との対話と言う本が好きだった。もう一度読みたいと思う。
そろそろ完全に治った。あとは、黙ってしまえば良い。足は楽になった。
昔は、理由を良く考えていただけだ。
実地的に人間を知って、場の意識と歴史で分かっていた。
意味と意識を考えて分かっていた。
あとは、生命の誕生と発生のようなことを考えていた。
理由と意味を良く考えて、理性的、論理的に考えていた。
今は、もっと盲目的になった。理由なんか、要らない。それもおかしくは無い。
自分の経験から、何も必要とせず、関係なく生きる方法を知った。
そういう、積極的でマスターのような人間だった。