中世の東アジア世界は、律令国家である唐と、それを学び、自国の形成に生かそうとする、周辺諸国による遣唐使によって、共通の文明圏が形成されていた。
今から、Linuxをインストールする。今日は、あまり書くことは無い。
中世の世界は、東アジア世界、イスラム世界、ヨーロッパ世界に大別される。
当時は、ヨーロッパは後進地域だった。
良く分かっていないから、間違っているかもしれない。
特に、ヨーロッパが後進地域だったのは、どこかの本に書いてあったが、情報が不確かだ。
ヨーロッパは、ルネサンス以降と、フランス革命以降が賢い。
科学的で自由で人間的な精神が目覚めた。大航海時代によって、世界をわがものにした。宗教改革も自由だった。絶対王政の後に、啓蒙主義で知を万人のものにしたかった。民主主義の精神から、国を自由な市民のものにした。産業革命で、蒸気機関を発明した。
ヨーロッパは確かに賢いが、アジアのように、自然に調和するのではなく、自然を支配し、利用し、わがものにしようとしているところがある。白人はそういうところが馬鹿だ。
Fedoraをインストールして、KDEも入れた。英単語もやった。
ただ、僕はLinuxは使わない。たまに誰かが使う時のために、最新にしただけだ。
辛かったから狂っている。辛い人間は、こういう風になる。
楽をすれば良いのが分かっていない。出来ないなら、楽が出来るようになれば良い。
ただ、楽をする。そうすると、普通に楽だ。そんなに辛くなりたいのがおかしいだけだ。
自分から楽になれるのに楽になろうとしないから、辛くなる。誰でもこうなる。
普通、辛かった人間がこうなる。辛いのが普通だから、誰でもこれで辛い。
自由と人生のようなものを書いていた。
自由な共存や発展など、自由と社会のことを書いていた。共同体のようなことを言う。
発見や反省など、人生や考え方のことも書いていた。
学習と予測のような、科学のことも書いていた。
Linuxは見ていると賢くなっている。何故か、本当に使えるようになっている。
昔は、人生の変化を考えて分かっていた。
自由な経験のモデルと行動の結果から、客観視して、社会と心を把握して、全員の発想を包括して分かっていた。何かをする行動の結果を見て、捉えて、哲学を分かっていた。
人生と環境の変化を考える。そういう哲学者だった。
色んな環境を想定して、1つの環境の変化を考えていた。そして、世界観を考えていた。
自由な知性があった。本当に哲学的な思考能力がある人間だった。
学習、発想法、判断基準、前提条件を考えて、前提から方法や自由を捉えて分かっていた。
あとは、人間を推論して、未知を捉えて分かっていた。
知が何なのか、この世界が何なのか、と言ったことを、哲学的に考えていた。
意識の段階で分かっていた。高い意識の、さらに深い意識を分かっていた。経験から意識が分かっていた。知の前提となる経験を沢山知っていた。
昔は、そういう風に、分析して分かっていた。
何をすべきなのか、何が許されるのか、善悪と正しさと自由みたいなものを考えていた。
中国はヨーロッパや日本などよりも皇帝権が強く、荘園制で税などを徴収する関係から、自由な市民の発達が望めず、長い間封建制から脱することが出来なかった。