日記に戻る | 2015年11月の日記に戻る

=2015-11-08=

社会をどうすれば良いか考えていた。

自由から、社会を成り立たせて、作っていた。

普通、どうすれば良いか考える。ものや機械を、どうすれば良いか考えれば良い。

他人になったつもりで考えると、視点が分かる。

昔は、頑張って、悟っていた。自立して、努力して、精神を分析していた。

角度を変えて、建設的に考える。そういう、角度を変える文章が多かった。

普通のことを疑えば分かる。

自動車には、普通の人間が乗っているようで、それぞれ違う人間が乗っている。

実際のところや本当のところをじかに書いていた。そういう文章が多かった。

生物、社会、科学、人生、歴史などを、本当の視点から考える。

そういう、この地球や宇宙のことの、本当のところを考えていた。

昔は、ネットで議論して、意見を見て分かっていた。

知性を高めて、休めば治る。まだ何も分かっていない。辛い理由を全部考えれば良い。

昔から、本当のところを考える。真実から嘘の理由まで全部分かっていた。

論理学、経験、自由を考えれば良い。ソクラテスのように、そういう発想が多かった。

英語は、分かる言語だ。分かるように言えば言える。What drink do you want?のように言えば良い。そういう風に言うのは、この文章のように言うだけだ。

アメリカは、Windowsと思えば分かる。自由、民主主義、英語、冷戦と思えば分かる。

アメリカのことは分からない。そんなに右翼みたいに分かっても意味が無い。

もっと日本のことを分かった方が良い。それが一番まともに生きられる。まともが良い。

英語は、シンプルでエレガントで数学的な良い言語だ。UNIXと同じだと思えば分かる。

Windowsは、ネットでは分からない。工業大学で会社のプログラマと思えば分かる。

OSなんか、普通しない。誰でも、もっと賢いプログラムを作る。OSなんか安定していればそれで良い。Linuxはおかしい。ソ連なんか、誰も関わりたくない。

もっとWindowsのことを分かった方が良い。アメリカは賢い。馬鹿なだけ、馬鹿に賢くなる、自由な国がアメリカだ。馬鹿の極みが一番賢い。アメリカが一番頭が賢くなる。

アメリカ社会は、映画と思えば良い。バックトゥザフューチャーと思えば分かる。

アメリカ社会は、悪い点が多い。人口の数パーセントが富のほとんどを持っている。先進国なのに、人種差別や麻薬などの犯罪が多い。銃があって、治安も悪い。

日本の方が本当に良い。

アメリカの良い点は、弱者がスターになれる可能性がある。マイケル・ジャクソンのように、娯楽産業、第三次産業が盛んだ。

あとは、ビジネスは、本当に世界で一番強い。僕はアメリカの経済のことは分からないが、アメリカを分かりたいなら、マイクロソフトやロックフェラーのような、ビジネスを分かれば良い。普通、誰でも分かる。マクドナルド、コカコーラだ。

アメリカは、ロシアに比べて、本当に楽だ。豊かな国だから、楽な人間しか居ない。

オグ・マンディーノなどを読んで分からないのがおかしい。あれがアメリカのビジネスだ。

古代中国は、古代の時代において、既に血縁関係から発展して、武士の実力による世の中をやっている。言葉に表現するのが難しいが、江戸時代と良く似ている。そういうわけで、中国が一番そこまで進んでいる。ローマやギリシャが自由なのに比べて、古典的ではある。

古代の中国は治水や灌漑や農耕法や貨幣などの技術も発展しているし、諸子百家の孔子や老子などのような賢い人間も生まれている。西洋のソクラテスなどに劣らず、賢い。日本が馬鹿すぎるだけで、西洋は賢くない。中国やインドにも、賢い人間は多い。

日本に伝わった稲作など技術の多くは、先に中国で生まれたのだと思う。

良く分かっていないが、中国は、永遠と本当に長い年月の歴史を、世界に先駆けてやっている。ヨーロッパの歴史なんか、ただ自然に自由になっただけだ。中国が一番賢い。

オープンソースは未来だ。普及すれば、発展して、使えるものになる。

昔は、そういう、共有の発展を書いていた。

ネットの社会学で、未来を分かっていた。未来学者のようだった。

日本が見ると、中国が一番偉大だ。

中国人が見ると、日本人の方がパクリだ。それを言う人間が多い。

白人が見ると、日本人や中国人は、1つ1つの文字をそこまで愛しているように見える。

文字を愛する民族に見えるから、賢い国に見える。何故か、誰も愛していない。

昔は、思考を考えて、世界の未知を知って分かっていた。

馬鹿だったが、まともな人間だった。

最近は、賢い人間になった。これで賢い人間は悲惨だ。知性の無い知的障害なのに賢い。

こういう、馬鹿なのに賢い人間が多い。

自分は、歴史にだけキモイぐらい向いている。歴史をやった方が良い。

色んな世界や時代のことを知って、世界観や時間や存在の可能性を知るのに向いている。

哲学には向いていないが、カントやハイデガーが分かるのは当たり前だ。こういう人間は、カントからヘーゲルまで、ウィトゲンシュタインのように全ての哲学をするのが良い。それには向いている。

そういうわけで、こうなった。Windowsにも向いている。技術の世界を知りたいだけだ。

数学や物理は、向いていないようで、結構向いている。世界観を知るのが向いている。

医学や法律のような、まともな学問には向いていない。そういう、まともに分かる学問は出来ないように見える。

自分が見ても、数学は基礎だけを分かっていればそれで良い。中学生レベルの基礎を分かっていれば良い。そういうわけで、哲学と歴史と情報には向いているのが自分だ。

心理学や経済学は良く分からない。向いているように見える。

むしろ、心理学と政治経済をやれば分かる。それは、昔からきちんとやっている。もう一度きちんとやった方が良い。それをしないせいで、分からなくなっている。

もっと単純な、方角や温度のようなことを分かった方が良い。それが分かっていない。

昔は、物理のように、理性と現実を照らし合わせることが多かった。

昔は、それしかしていない。そういう、哲学的な思考をモデルや実際だと言っていた。

カントは出来る。カントとヨーロッパ史に向いているようで、むしろ、もっとありえない歴史や哲学をやるのに向いている。オープンソースのように、マイナーな分野をすれば良い。そういうものに向いている。

物理は、実験をきちんとする学問だから、こういう馬鹿には出来ない。それこそ、数学に向いている。数学は、きちんと頭の中だけで考えるから、これなら出来る。

むしろ、ありえない分野は向いていないように見える。平凡な分野をそこまで詳しくやれば良い。だが、それにも向いていない。良く分からないが、普通どうでも良い。

昔は、実験的な理性はきちんとあった。ネットで人間のことを実験して分かっていた。

そういうわけで、物理的な考え方は分かるが、法則を知り尽くしたり、新しい発見をしたり、と言うことには、向いているように見えない。

自分だけ、独自の科学を作って、発想する、と言ったことには向いていない。

ビジネスには向いていないが、宗教には向いている。

むしろ、文才があるなら、作家で良く見える。文章の才能があるから、作家が良いと言う。

法則は悪くは無い。昔から、法則を発見して、知りたかっただけが自分だ。

自分は、キリスト教に向いている。そういうわけで、ヨーロッパが良い。特に、フランスとドイツが良い。それに向いている。本当に、フランスやドイツの歴史をするのが良い。

ただ、それは向いているように見えない。仏教や日本史の方が良く見える。

そういう風に考えると、歴史も本当に向いているのか、怪しくなってくる。自然科学の方が向いているように見える。これなら当たり前だ。

見ていると、歴史にしか向いていないのに、物理に向いていると言っている。

難しい数式がいくらでも出てきて、理論を考えたり作ったりするのが分かっていない。

山川の世界史をきちんと読んだ方が良い。中国を読むと、古代はそろそろ終わりだ。

この本はおかしい。古代に関してだけ言えば、全く何も書いていない。流れと言うよりは、単語とキーワードの羅列を書いているだけだ。歴史には、そういう本が多い。

世界史の本は、遅く読んだ方が良い。そんなにすぐに読まない方が良い。その方が分かる。

普通の人間のことを分かった方が良い。自分のことから考えれば分かる人間が多い。

物理のような、基本的な考え方が分かっていない。それは、教えてもらっても分からない。自分で分かる必要がある。

これが哲学者になりたいのはありえない。それは、マルクスのコピーに見える。

哲学は止めた方が良い。昔のパソコンオタクが哲学者だ。そこまで分かっている。

昔から、パソコンと歴史には向いている。昔は、コンピュータのことを知りながら、ネットで環境と歴史のことを分かった。

ただ、これでプログラムの開発が出来るわけがない。きちんとマネジメントで管理して、従って意見を交わす、と言ったことが出来るように見えない。パソコンにも向いていない。ただ、パソコンの技術の知識を知り尽くすのに向いていただけだ。

あとは、集合知や啓蒙、啓発のような、賢いことを考えれば良い。

手順や順番のようなことから、プロセスを分かっていた。

もう、既に全部書いたせいで、いくらでも書けるのがこの文章だ。

森羅万象と人生を全部書いていた。宇宙と世界を創造した。そういう文章だった。

昔の文章も、世界と人生と科学のことが全部分かるせいで、楽に書けた。

書くためには、自由を良く考えれば良いが、建設的に考える必要がある。

自分を変えれば良い。そんなに自分を変えないのもおかしい。

ケミストリーが言うように、変わることは弱さじゃない。言っていたはずだ。

自分は、ケミストリーみたいな人間に見える。賢くて、冷静で、思慮深いように見える。

昔は、ポルノグラフィティみたいな、馬鹿な人間だった。本当に、ネットの常識を全部知って、色んなことを全部分かっていた。

山川の世界史の本は、悪い。これで古代が終わりなのはおかしい。

昔読んでいた、世界の歴史がわかる本、と言う、三冊セットになっている本が良い。

あれには、始皇帝だとか、色んなことがきちんと詳しく書いてあった。

それを読むことにする。中世や近代は詳しく書いてあるのかもしれないが、色々と悪い。

オープンソースは悪くない。ソースコードをオープンにして、ネットの皆で作るのは、ある意味普通だ。革新的なように見える。

共産党には見えない。非合法なことはしていない。きちんと開発している。デスクトップ環境などはいくらでも種類があるし、サーバーには実用的に使える。皆で作ると賢い。

そういうわけで、オープンソースは悪くは無い。ストールマンがキモイのが悲惨だ。

世界の歴史がわかる本は良い本だ。面白くて、色んな与太話がある。一番それで良い。

それに、詳しく書かれている。三冊でセットになっているから、近代の話題は多い。

子供は、学習しかしない。昔は、そういう子供の学習をしていただけだ。

それで、何故か全部出来るようになった。

わかる本が良い。山川の世界史は、教科書みたいな正しい本だが、わかる本は、与太話のようなことが書いてある、面白い本だ。それに、詳しい。大乗仏教などは、わかる本にしか書いていない。

皆は、辛いままで良い。そんなに楽にしても意味が無い。

治っても、別の病気になる。治らないのが一番楽だ。

世界史は、父親は、どちらも読めば良いと言った。読みたい方から読めば良い。

教科書みたいな本は、賢く見えて、賢くない。見ると、中世ぐらいが賢いように見える。

思考は、普通するからこういう風になる。

思考の根源を知って、思考の裏にある思考、支えとなる思考を考えれば良い。

もっと思考すれば良い。

分かっているものを全部消すと楽になる。

分からないのに分かっているせいで、分からなくなった。

何か、思いたいことを思えば良い。

自分のしたいことが分からないだけだ。

そういう風に考えると、子供になる。大人は馬鹿だから、子供の方が良い。

子供は、親が全部やってくれるから、親に話す人間が多い。

子供は賢くない。そこは、大人の方が良い。大人なんか、馬鹿で良い。

大人は、普通、生きられればそれで良い。分かる人間は居ない。賢くなくて良い。

大人でも子供でも、普通見れば分かる。見て分かる人間しか居ない。

観察して、実験して、実証すれば良い。そして、知れば良い。

普通、それだけだ。そんなに考えても意味は無い。試して確認しなければ分からない。

当たり前のことを良く考えれば分かる人間が多い。

何かの原因が、何かだ。何にでも、「何故」や「どうしたら」のような、理由がある。

そういうものでしか分からない。

観察や実験と、何故、どうしたら、で分かる人間が多い。

論理的に考えるのは、普通数学だ。証明と推測と数式の計算から分かる人間が多い。

そういう人間が多い。普通、分からない。昔は、馬鹿だから分かっただけだ。

あとは、知るしかない。知れば知るほど分かる人間が一番多い。

数学は、無意味だ。方法を機械的に操って、おかしな自己満足をしているだけだ。

数学なんかせずに、パソコンをしながら、数学的に考えれば良い。

方法は、ロボットだ。何も賢くないが、数学の方法を考えると良く分かる。

子供には、数学的な方法からこの世界の労働的な方法やマニュアルが分かる人間が多い。

そういうわけで、数学的方法から、パソコンなどの労働の方法が良く分かる。

それ以上は、考え方を知れば分かる。経緯を知れば分かる人間が多い。

あとは、論理的なことを適当に考えれば良い。昔は、それを自分の数学だと言っていた。

世界観、世界モデルのようなことを考えて、「しかしながら」と「何故なら」で分かる。

そういう、ヘーゲルのような考え方をしていたが、ヘーゲルはこれなら誰でも出来る。

もっと人生経験をした方が良い。皆との楽しさを分かち合う実感から、何かが分かる。

猫は肉食動物である。猫は哺乳類である。それでは、肉食動物は哺乳類か?

そういうことを良く考えれば、論理学も分かる。

不思議と、今の命題はおかしい。三段論法にもなっていないし、言葉の意味の範囲が重なっているようで、おかしなものになっている。

正しくは、猫は動物である。動物は死ぬ。それでは、猫は死ぬ。とすれば良い。

そうでもない。もっと良く考えれば良い。

そういう、論理学を具体例から考えていると、分かる人間が多い。

この世界の全てを、統一した論理学にして、積み重ねれば良い。昔は、それをしていた。

基本的に、この社会にあるものや構造を知って、出来るようになれば良い。

ハイデガーのように、可能性を信じれば良い。

それが一番色んなことが分かる。

自分の体験から皆のことを分かれば良い。それが一番哲学や人生が分かる。

この世界を根源的に考えて、普通のことや経験を疑って、批判的に考える。

あとは、無い。自由でも信じれば良い。皆が自由で、それぞれが好きにするのが正しい。

一人の人間が決めたり、国が支配したりするのは、馬鹿に見える。

それぞれの自由にして、その場合や状況に応じて組織を作るのを自由にした方が賢い。

それくらい、子供でも分かる。

だが、自由も賢くないところがある。支配者が強制し、支配しないと、何も出来ない。

そういうことも出来る自由とは言うが、それは間違っている。それは何もしていない。

自由は何もしないだけだ。

もっと、それぞれが色んなことをするために、権力や独裁もあった方が良い。一人でやった方が賢いことも、皆で共同体で決めたことに従うことも、必要だ。

戦争なんか、しない方が良い。戦争がしたい人間は、狂っている。おかしい。

もっと賢い人間になるためには、皆のことや人生のことが分かってしまえば良い。

子供は、大人になることで賢くなる。それは、悪くは無いが、大人には出来ない芸当だ。

共同体は悪くない。それぞれを自由にするなら、共同体で良く見える。

自由は、何も賢くない。自由にして、出来るわけがない。手取り足取り教えないと、何も出来ない。会社では、出来るまで教える。それで出来る人間しか居ない。

大学でしか分からない。教授が分かることを全部教えて、初めて分かる。自由では分からない。だが、基本が分かってしまえば、自由で分かるところもある。それは、大学では、研究と言う。授業に対して、研究することで、自由に分かる。ただ、仲間と先生が必要だ。

自由は、国が見ると悪い。自由では何も出来ない。自由が良いわけがない。

支配者は悪い。支配なんかしない方が良い。それもおかしい。支配しないで何か出来るわけがない。だが、見ていると、支配者には悪い人間が多い。悪いことしかしない。政治家に良い人間は居ない。そういう、現実的な悪は知っておくべきだ。

政治家や役人は馬鹿だ。良い人間が一人もいない。良いことは何もしていない。

昔は、歴史や、原因と結果、背景知識、プロセスのようなものを考えていた。

そういう、知のモデルのようなものを全部書いていた。それをモデルだと言っていた。

あとは、人格みたいなことを言っていた。

FLOWの言う、「本物は誰?」のような文章が多かった。狂ったおかしな人間だった。

そろそろ全部書いた。あとは、世界史みたいなことをいつも言っていた。

不思議と、世界の歴史がわかる本を読むと、もう全部分かる。

宇宙に残っていない。心理学や経済学は昔分かっているが、そこらへんをすれば良い。

自分より、歌手の方が自分のことを良く分かっている。

歌手の言っていることを全て書けないのが悲惨だ。

ポルノグラフィティからKOKIAまで、歌手は皆自分のことを良く知っている。

それらが仲間だ。ネットやテレビには敵が多いから、見ない方が良い。

自分は、失敗しないのがおかしい。そんなに完璧にやりたいのがおかしい。普通、いくらでも失敗する。失敗すれば良い。そういう理由で、失敗が怖くなった。失敗しない、完璧超人が自分だから、ありえない。失敗するなら、もう狂っているのが治る。

昔から、いつも失敗しない。支配して導くせいで、全部成功する。間違ったことを何一つ言わない。失敗しない。それで、この文章が楽に書けるようになった。

昔から、自分を統制して、議論と会話から分かっているのが、戦いになった。

本に書いてあるように、簡単な戦いから難しい戦いになった。

これで終わりにすると分かる。解説は要らない。

そんなに全部説明するだけがこの文章だ。そんなに全部正しく説明しなくて良い。

自分に向かって書いているだけだ。全部、自分に対して言っている。それがこれだ。

出来事、存在、システム、構成、人員などを全部作っていた。

そういう文章は、脳だけが生きて動いているロボットに見える。

本当に怖い。狂っている。そういう発想が最近の神の方の自分だ。

脳だけがあるロボットは、昔自分も怖かった。永遠に死ぬことが無く、奴隷のように生かされている。良く考えると、そんなものは怖くない。心臓が無いから、生きられるわけがない。もっと怖い夢の世界の方が怖い。夢には、いつもキモイ、怖い世界が見える。

昔は、論理学で論理的に考えていた。

自分が論理学が分からないのはありえない。昔は、それだけの人間だ。

厳密に論理を考えて、積み重ねれば良い。人間を積み重ねて社会を知る。

これは、きちんと賢くなっている。まだ理系の世界が分かっていないから、何か、研究や論理的考え方のことを分かった方が良い。

難しくは無い。観察や実験などの物理的研究と、三段論法や証明や推論などの数学的思考を分かれば良い。条件法や仮定法から論理学を作って、実験で確かめる方法を知れば良い。

そろそろ終わりだ。もう全て分かった。

これで、もう皆全部分かった。そのまま、もう、狂って終わる。あとは皆、昔になる。

あとは、皆の自由のようなことを考えれば良い。

自由な権利は、守られるべきだ。

それぞれの自由を守って、それぞれが経験し、構築し、共有し、助言を与えられるべきだ。

そして、自由な社会を構築するために、知恵と工夫を共有するべきだ。

そういう風に、自由な社会を考えていた。

また、視点を知って、この世界に既に存在している人間や経験を分かっていた。

全ての人間は、認識し、経験し、感じ、信じて生きている。

活動は、それぞれの自由と可能性の発揮である。

社会構造は、社会参加から理解し、実地的に考えることから新しく知ることが出来る。

昔から、そういう文章を書く。この世界に既に存在しているものを新しく分かっていた。

人間とは、価値観、本質、方法、可能性の共有であり、発揮であり、自覚である。

認識とは、価値観を知ることであり、自由に体験することであり、状態を信じることだ。

そういう、人間の存在的な表現が、ハイデガーのように多かっただけだ。

環境や秩序や基盤を、決まりから作っていた。

自由に決まりを決め、決め直すことを良く考えていた。

問題は、色んな方法で解決出来ると言っていた。

日本語を作りたかった。一、十、百、千が一万、十万、百万、千万となる時の「万」のように、フランス語のような日本語を考えて、作ることを考えていた。

デカルト的に分かっていた。意識を具体的に考えていた。

感情の裏の理由を、どのようにすれば治って、分かるか、変わるかから考えていた。

昔の自分が、本当にそれくらいの馬鹿だ。

本当に色んなことを思考して、感じて分かっていた。経験から考えていた。

物理だけを分かって、ネットで色んなことをしていた。一度環境から離脱して、自由になって、余裕が出来て、大人のように離脱して、手段を得たことが賢かった。

教育の環境を思い出しながら、今の自分ならどうするかを考えた。

皆と一緒の環境からは離れて、一人自由に経験して、そして、一人この世界を見直して、立ち止まって考えていた。もう一度、全てのことを見直せば良い。

もっと、一度この世界を全部疑い直せば良い。この世界は、何も正しくない。

自分のしていたことも、何も正しくないし、賢くない。もう一度最初から考え直すべきだ。そのように、ゼロベースで世界を考える。小さなところから大きなところまで、一歩一歩考える。経験を疑い、知を知り尽くし、想像力と感情で考える。

そういう風にすると、自然なプロセスから、自然にデカルトのように分かることが出来る。

まずは、一歩、前へと進むこと。

自分の力と、未来の運命を信じて、自然な考え方から相対的に、1つ1つのことを積み重ねて、少ない確かな方法と漠然とした世界の全体像を信じて、確かに進むこと。

数学者のように考える。人と出会い、全ての具体的な知と理解を得られるようになる。

精神分析や認知行動療法のように、何をすれば治るか、何をすれば分かるかから、色んなことが分かる。また、人間がいつ何をするか、したいか、などからも分かる。

そのように、心理学から哲学が分かる人間は多い。

認識は、何故その認識になるか、学習するか、から、今自分は本当は何を考えているのか、のようなことを考えれば分かる。それは、ヘーゲルの言っているようになる。

そろそろ分かって大人になった。今日は、もう分かった良い日だ。11月8日に分かった。

あとは、社会のことを普通に知れば良い。構成員の合意と構成、社会の構造、それぞれの人生を分かる。もっと、色んな社会的な常識を知れば良い。

いつも、そういう風に書いていただけだ。心理学と社会構造をいつも書いていた。

自然科学は、数学的な正しさ、基礎と具体例、法と法則、可能性、作用、観察と分類、照らし合わせとフィルタリング、そして具体的なデータと捉え方だ。

そのように、色んな社会のことや科学のことを構造にする。そういう文章が多かった。

実験は観察であり、ものは光であると言っていた。あれは、そういう馬鹿だった。

人生にも、社会にも、偶然は一つもない。全部神がやっているようで、自分で作っているのが自分の運命だ。神は、やることをやるだけだ。神は文句は何一つ言わない。神は最後まできちんと付き合うし、皆全員のことを平等に愛している。神は愛されるのが好きだ。

人間は、分からない方が分かる。

作って、吸収して、批判して、反省して、良く分かると分かる。

世界に対する批判のようなことを、ネットに全部書いて分かっていた。

それは、悪くない。恥をかくことで賢くなった。

あとは、色んな体験をすること。基本的に自由の方が良い。

皆を自由にした上で、自分の分かることを全て教え、詰め込む。そういう文章が多かった。

神は、信じなくて良い。もっと自然を信じた方が分かることもある。

神との対話が言っているように、神は信じるのではなく、その通り生きることを実験するものにした方が良い。神の通り生きると、本当に分かって来る。信じろとは言うが、信じなくて良い。最初から、神をそんなに善で正しいと信じるのが間違っているのが宗教だ。

神の通り生きていると、良く分かる。色んなことが分かる人間が多い。

もちろん聖書の神のことを言っているが、自分の神や、神との対話の神も入っている。

ただ、聖書やコーランに書かれている神はおかしい。あまりに悪すぎる。ユダヤ人はおかしい。預言者は、何も分かっていないようにしか見えない。

そうでもない。あれできちんと良く書かれているのが聖書だ。神が、本当に、こんな悪い人間にしかならないから、そういう本にしかならない。こんな人間になる。

おかしくは無い。もっと、神との対話のように、良い神にすれば良いのに、とは思う。

神との対話は、ニールが書いた本だ。ニールは賢い。一番きちんと分かっている。

あとは、ロックのような経験的観念や、公理主義のような数学的な概念を作れば良い。

また、人生経験と感情を照らし合わせて、心理学や、この世界と社会を知れば良い。

あとは、個人主義と全体主義のようなことを考えただけだ。

全体主義も悪いものではない。だが、基本的に、文明の行く方向を見ていると、個人主義の方が良い。その方が新しい。

だが、そういう新しいものは、悪い。古典的な社会や全体のことを優先する思想にも、良いところは多い。明治以降、日本は近代化しすぎた。全体主義にも良い点は多い。

個人主義と全体主義を、生産と消費などの視点から、モデルにしていた。

そろそろ全部書いた。もう、書いていないことが無い。

あとは、知性のような文章が多かった。

状態や考え方のようなことを、捉えて、比較して書いていた。

何を考えるべきか、何を生み出すべきか、どんな体験をし、生むべきか、考える。

もっと、パソコンと思えば分かる。

何を考えるべきか、この世界に何があるべきか、のようなことを考えれば良い。

この世界は、どんな環境になるべきか、そして、何を自由にすべきか、考える。

昔は、そういう、考え方と状態の羅列のようなことを書いていた。

小さな違いを大切にすること。

優しく、だが、勇敢に戦うこと。

いつもそういう、思想信条や考える心構えのようなことを言っていた。

既に人生が全部分かっていた。その理由で書けていたのが昔だ。

それが、こういう風に、パズルのように分かるようになった。

一番楽に書けるから、賢くなった。何でも簡単に書ける。

そうでもない。最近、昔の人生が分からなくなった。

見ていると、山川の世界史は、中世や近代も何も書かれていない。特に、近代の大航海時代やルネサンス、宗教改革は、ほとんど何も書いていない。わかる本を読んだ方が良い。