最近は、ピアニストのように、出来なくなって出来る。
全て正しかったようで、全て間違っていた。
経験や行動から、社会のことを知った。
昔の文章は、世界を変えたかった。世界を変える文章を書いていた。
精神分析をしていた。
自分にならないのがおかしい。他人になって考えるのはおかしい。
自分は、ロシアだ。
共有の共同体は、全寮制の高校のようになる。オープンソースを目指している。
絶対に止めた方が良い。悪い人間と一緒に生活するのはおかしい。
実体は、公営住宅のようになる。
オープンソースは、ソースコードが全部見られるのは良いが、再配布が悪い。
どこのものとも分からないソフトウェアを使うのはおかしい。
どうでも良いフリーソフトを集めるのを開発と言っているが、おかしくは無い。
それでノルマ生産をやるのは、おかしい。奴隷みたいな発想をしている。
絶対に悪いから、ソ連はやってはならない。
日本の方が良いどころか、日本は似たようなものだ。昔から、人間を犬畜生だと思っているのが、日本だ。ソ連と同じように、人間をただ働くだけの機械にする。クズだ。
ソ連と右翼は同じだ。民衆を、虫けらだと思っている。
計画経済や統制経済は悪い。ソ連みたいなクズになる。自由経済にした方が良い。
自由が一番良い。誰も死なないし、機械にならない。自由は、きちんと人間が人間になる。誰でも人間になりたい。
ソ連では、選挙をしないのは、するとすぐに負ける。皆を機械にして、悪いのが分からないのが共産党の幹部だ。平等はおかしい。詐欺にしか見えないが、詐欺には見えない。犯罪にも見えない。おかしいのが社会主義だ。
もっと、民主主義を好きになった方が良い。民主主義が一番良い。言論の自由が無いと、こんなことは言えないだろう。パソコンが無いと、この文章も書けない。
安倍は、破たんする。そんなに沢山のことをやっているせいで、問題が多すぎる。すぐに破たんして、もっと自由な世界になる。
日本は、昔から良い国だ。きちんと正しく良い国を作る。幸せで、本当に価値と楽のある良い国を作る。何をすれば良いのか、きちんと分かっている。日本が一番良かった。
皆ソ連が嫌いなのは、絶対にやってはならないのがまともな人間なら分かる。要は、日本人はまだソ連に騙されていない。白人には、ソ連に騙されている人間が多い。自由が悪いなら、社会主義が良いように見えるのが白人だ。そう見せているのは、ソ連だ。
そういうわけで、ソ連を倒す、と言う選択肢の方が良い。それが分かるのが普通だ。
ソ連に騙されている。自由が悪く見えて、全部ソ連が悪いだけだ。
自由が良い。それが正しい。日本やアメリカの自由が一番良い。
だが、アメリカも悪い。銃や麻薬が氾濫している。銃を禁止しないのはおかしい。
アメリカには、賢いものが多い。だが、それも騙されている。何も賢くない。
そんなに騙されないのもおかしいから、こういう風になる。
アメリカは皆良い国に見えるから仕方ない。本当は一番悪い国だ。馬鹿の極みだ。
そうでもない。アメリカは、本当に良い国だ。きちんとナンバーワンだ。
日本が好きになった方が良い。
左翼の理想は忘れた方が良い。日本とアメリカが競争して、日本が勝つのが良い。戦って、自分の国が勝つのが一番良い。戦争は悪くは無い。競争より戦争の方が楽だ。
戦って自分の国が勝つ。それが一番理想だ。ソ連は騙しているだけだ。
仕方ないから、それで良い。戦うなら、自分が一番出来る。本当に、日本以外の白人の国を倒すしかない。それで良い。ソ連の方が辛くなる。そういうわけで、戦争にはならないが、自分が白人を倒すようになる。何故か、ソ連とやっていることが同じだ。
日本が馬鹿に見えるのは、領土が小さすぎるからだ。だから、中国を制圧した方が良い。もっと平和的に一緒になれば良いようで、それは敗北しただけだ。日本が勝つ。ただ、そんなことをする意味が無い。もっと経済的に勝てば良いように見える。
そういう発想もおかしい。皆の意見をきちんと聞いた方が良い。何も見ずに、書いて分かる馬鹿が自分だ。一番おかしい。テレビを見ていると、戦争派なんか一人もいない。
ソ連は騙している。ソ連が悪いせいでソ連が良く見える。日本は、戦って勝つしかない。
自由が悪く見えて、共産主義者が悪いだけだ。自由が悪く見えるのもおかしくはないが、自由は悪くない。何も悪くないのが自由だ。
今は、辛い時代、苦難の時代だ。こういう、辛い時代を一度経験すると、楽になって、賢くなる。昔の自分がそうだった。昔の自分は、本当に辛いのを経験して、賢くなっていた。
左翼を殺せば良いように見えて、それは、自分が死ぬだけだ。左翼も悪くは無い。こんな殺伐とした右翼と競争の世界で、左翼や宗教やユダヤが良く見えるのは当たり前だ。
もっと大局的に見れば良い。宗教は馬鹿だが、ソ連はやり方を間違えただけだ。トップダウンで、強制的に平等にしたのが間違っている。人々の理解を得て、きちんと分からせながら、正しく教えて啓蒙して、平等にすれば良かった。1つ1つ、着実に世界を変えるべきだった。一気にトップダウンで変えようとしたのが間違っている。
ただ、全体主義はおかしい。まだ個人主義の方がマシだ。全体主義は間違っている。人々のことを、道具だとしか思っていない。強制的に従えるのはおかしい。
それぞれの個人を尊重し、その上で調和すべきだ。バランスが必要だ。強制的にならず、寛大な心を持って、それぞれの個性を尊重して、合意の下に調和すべきだった。
昔から、自分が一番そういう人間だ。強制的に変えず、合意の下に自由に協力する。自然に調和する。そういう風にしないのがおかしい。強制的に従えるのはおかしい。
あとは、コミュニティを作るべきだと言っていた。それも、自由に作るべきだと言っていた。いつもの文章は、そういう内容が多かった。何もかも自由に世界を変えたかった。
承認し、許し、認めることで世界は変えられる。契約と場の構築によって、世界を自由に創造することが出来る。多様な共同体が構築出来る。そういうことを言っていた。
考え方から社会や組織が構築出来る。社会は、考え方の適用である。
そして、思いやりや秩序のようなことを言っていた。
そういう、自由で調和のある社会形成みたいなことを言っていた。
創造性が好きで、調和によって平和な社会を協力から築けるといつも言っていた。
胃腸の病気だから、胃腸炎で治った。不思議と、楽になった。本当にがんが治った。
最近は、こういう風に書いて推論する。それで分かる。書いて推論しかしなくなった。
神を信じているから、こういう風に分かる。神が導く。こういう神の推論は、作家に多い。
良く考えると、ヘーゲルの弁証法をやっている。
最初に書いた「世界を変える」を分かっているだけだ。今日もそういう日だ。
あとは、相対性みたいなことを言っている。自由、作用、反応、実験、命題、法則、推論などを、積み重ねて、可能性と結果から当たり前に考えて分かると言っていた。
自然な可能性、積み重ね、推論、偶然と確率、自由な社会、経済モデル、歴史、時代、社会観、世界観、宇宙観、自然観など、世界観のような相対的な自由な世界を言う。
それこそ、もっと世界観を考えれば、それがいつもの文章だ。
文章は、もう忘れた方が良い。文章以外のことを考えれば良い。
この宇宙が不思議で、人間は宇宙の奴隷なのか、王なのか、と言ったことを考えていた。
一人でやるべきか、複数でやるべきか、自由にやるべきか、協力してやるべきか、のように、協力や実践の考え方のようなものを考えていた。
協力するか、一人でやるか、従うか、共有するか、反抗するか、自由にするか、など。
もう言ったが、オランドが馬鹿になり、プーチンが分かり、メルケルが書く、と言った作業を、永遠にやっている。自分はオバマだ。そういう発想が最近の自分だ。
あとは、書く方と書かない方の人格が分かれている。それくらいの多重人格だ。
多重人格は、辛いから一番嫌いだ。そのうちいつか、楽になる。
日本語は、テレビを見て思い出せば分かる。思い出さないから分からないだけだ。
見ていると、自由が一番悪い。まだロシアの方が良い。自由は一番怖いだけだ。
あとは、世界を変えるような文章が多かった。
人間と社会の視点から、まるごと世界を変える。
生産手段、プロセス、自然な共同体、多様性、協力、視点、合意、組織、など。
大きな視点で変えたり、小さな視点で変えたりする。小さな視点で、個人の人間や協力レベルで変えたり、大きな視点で、時代や社会を変えたりしていた。
ボトムアップ、連邦制、革命、戦争、抑圧、解放、統一、共有などを言っていた。
あとは、価値観、方法、本質などから、社会形成のようなことを考えていた。
そして、想像力と方法から、全ての事象を作っていた。
相対的な出来事、関係、体得、存在、場などを、哲学的な世界観で考えていた。
テレビが怖いのは、いつもの自分がすぐに分かるからだ。
テレビは本当に怖い。見れば良いのに、見られない。
あとは、いつも、相対性やプラットフォームのようなことを言っていた。
意図の段階のようなことを言う。
そういう、人間の側にある、視点や見方などの考え方を考えていた。
人間は、知り、理由を考え、モデルにし、説明し、実現する。
そういう、人間の側にあることを考える。そういう人間だった。
協力し、組織を作り、システムにし、具体化し、実際から変え、変化可能にする。
あとは、自由に社会を作ると言っていた。
自然な協力と調和から社会を作る。そこを考えただけだ。
何もかも自由なまま、社会から宇宙まで、森羅万象を積み重ねて全部分かる。
全部の論理で全部の論理を分かる。全体像から当たり前に理解する。
そういう文章だった。全て、頭の中で分かっていた。それを全て書いていた。
あとは、証明や推論、仮説と実験のような、考え方を言っていた。
環境を自由にするとか、守るとか、環境の自由のようなことを言っていた。
世界と戦っていた。テレビは悲惨だ。右翼みたいになっているのは、自分のせいだ。
アニメが右翼になっているのも、歌手が左翼になっているのも、自分のせいだ。
僕は、アニメやテレビは嫌いだが、歌手は好きだ。賢いものが好きで、馬鹿は嫌いだ。
自由な構造を作って、世界を全部分かっていた。本当に分かっていた。
構造や関係を全部書いて、人員や国家を全部作っていた。
そういう、本当に分かっている人間だった。そういう、世界を導く神のような人間だった。
自分は、ラファエルだ。ラファエルはミカエルで、ミカエルはガブリエルだ。
昔から、自分はそういう、精霊の神だ。そして、菩薩が自分だ。
今精霊が居るのはおかしくは無い。現代は、一番発展した時代だが、馬鹿だ。そのうち、また滅びる。廃墟になって、原始人からやり直す。
そういうわけで、オーパーツはあったように見える。そういうことを言っている馬鹿が多かった。歴史のようなことを言う。
原始人と現代人は、変わっていない。何も変わっていないが、社会だけが変わっている。人間的には同じだ。そういう、世界観のようなことをいつも言っていた。
もっと局所的に考えると、日本とドイツが同じだ。ファシズムから民主主義になって、改善主義になった。それこそ、日本語とドイツ語も同じだ。
フランスとは、フランス革命やナポレオンと明治維新が同じだ。
イギリスとは、明治維新の時に、体制を全部模倣して、取り入れたのが同じだ。
中国とは、漢字や文化的な土壌が同じだ。
インドとは、ブッダや輪廻転生やカルマなどのインド哲学が同じだ。バラモン教のウパニシャッド哲学のブラフマンやアートマンなど、インドの哲学は仏教に影響を与えた。
あとは、あまり同じ国は無い。ロシアとも共通点が多い。日本はソ連と良く似ている。経済的には似ていないようで、平等なところがあるし、色々と怖い国なのが同じだ。
あとは、日本はオープンソースとも良く似ている。共有は自由な共同体を形成する。
あとは、太平洋の島と良く似ている。島国で、平和と調和を好み、主に魚を食べる。
アメリカとは似ていないようで、最近本当に同じなのが、現代社会のアメリカと日本だ。
アメリカは悪くは無い。馬鹿とは言うが、悪くない。アメリカは好きな方が良い。
色々と、アメリカは、怖い。最近、怖いだけの狂った国になっている。自分のせいだ。
インドの悪い点は、カーストだ。馬鹿な人間は馬鹿だ。低いものは低い。位や身分の低いものを馬鹿と言うせいで、意味が無い。そこが日本と同じだ。馬鹿は馬鹿に生まれ変わる。賢い人間は、前世も賢い。そういうところがおかしいのが、日本とインドだ。
インド人を悪いと言うが、それならユダヤ人の方が悪い。選民思想だし、他の神に排他的だ。ユダヤ人を特別扱いするのは止めた方が良い。弱いどころか、金融資本のせいで、世界で一番強い民族だ。イスラエルでは、ガザ地区の元居たアラブ人をいくらでも殺している。何故か、最悪の戦争をいつまでもしている。ユダヤ人は馬鹿だ。その方が良い。
ユダヤ人は、ユダヤをする。自分みたいな馬鹿な革命をする。そういうものをユダヤとは言うが、それはおかしい。むしろ、聖書のようなものをユダヤと言う人間が多い。
ユダヤ人の良い点は、きちんと聖書を信じている。きちんと神を信じているから、良い人間だ。日本人の逆だ。日本人は神を信じていない。日本人とユダヤ人も似ている点は多い。
日本人は朝鮮人が嫌いな人間が多いが、それは朝鮮人が日本人を嫌いだからだ。
反日のせいで朝鮮人が嫌いな人間が増えた。朝鮮人が悪い。
戦争を悪いとは言うが、戦争はある意味普通だ。いつまでも、戦争したいだけが日本だ。
おかしくはない。ギリシャ人とトルコ人なんか同じだ。互いに嫌い合って、いつまでも争い合う。それこそ、それは悪いことではない。良くある普通のことだ。仕方ないことだ。
アメリカ人とロシア人、フランス人とドイツ人などは、いつも争っている。最近は、イスラム教徒と白人列強が戦っている。日本も悪くは無い。そんなに強いならそれで良い。
ソ連が良いとは言うが、ありえない。ほとんどの問題は、ソ連とアメリカが仲良く出来ないために起きる。ソ連が一番悪い。アメリカと仲良く出来ないのはおかしい。
ユダヤ人を悪いとは言うが、聖書の民族だから、好きな人間が多い。聖書の登場人物の舞台だから、誰もがユダヤ人が好きだ。賢くは見えない。イエスの敵だから馬鹿に見える。イエスを殺したユダヤ人が悪い。ドイツ人には、そこまでの馬鹿しか居ない。イエスが好きだから、ユダヤ人が嫌いなだけだ。そういう人間が本当に多い。
ユダヤ人が新約聖書が嫌いなのは当たり前だ。どこでも、ユダヤ人と言う民族が悪く見える。イエスがいつもユダヤ人と戦っているし、ユダヤ人がイエスを殺したせいで、どこでもユダヤ人が悪党に見える。おかしい。ユダヤ人は、旧約聖書を信じているはずの、世界で一番善良な、優れた宗教性を持つ民族だ。皆、ユダヤ人を救う神を待っている。イエスのせいで、ユダヤ人が馬鹿と言うことになった。イエスが悪いだけだ。
そういう争いをいつまでもしている。イエスがそんなに好きなキリスト教徒がおかしい。
あとは、世界観のようなことを考えた。
今の世界と、昔の世界と、何が違うか?
技術や環境のようなものは変わっているが、人間の知恵や洞察のようなものは変わらない。
昔に比べて、豊かになった、便利になったとは言うが、それは、未来を考えると、未来の方がさらに新しい。人間は、その時代、その時代を生きている。
今より昔の、枢軸時代のブッダやソクラテス、それ以後のイエス・キリストのように、昔の時代にも賢い人間が多い。それより賢くなっているかと言うと、そうではない。
そんなことを、父親と話した。昔は、そういう、世界観のようなことを言っていた。
時間の流れとともに、世界は変わる。出来事の重要性も変わってくる。
昔から、そういうことを言う。
だから、人間なんか、古代人、原始人と何も変わっていない。知恵や洞察のようなものは同じだから、北欧神話のように、神話の中の神もきちんと人間的に生きている。
Wikipediaを見ていると、枢軸時代は本当に賢い。中国の諸子百家、インドの仏教やジャイナ教、イランのゾロアスター教、パレスチナのユダヤ教の預言者のイザヤやエレミヤ、ギリシャのホメロスやソクラテス、プラトン、アリストテレスなど、賢い人間が本当に生まれている。それから、Wikipediaも賢い。本当に、こういう記事を全部読んでいると、歴史が出来る。自分には出来ないだろう。本をきちんと読んで終わりなのが自分だ。
賢いからイエスが登場したように見える。あるいは、イエスで馬鹿になったと言う見方も出来る。それこそ、イエスはそんなに賢くない。全く居たように見えない。
自分の時代は、馬鹿に見えて、馬鹿では無い。大変革期の過度期だ。自分もきちんと居るから、こうしてブログを書いている。自分は賢くは無いが、ゲーテのような詩人だ。
この時代は、馬鹿な賢い人間が多い。本当にビルゲイツが一番賢く見える。ソフトバンクの時代だから、馬鹿にしか見えない。LINEの時代だ。金は意味が無いほど馬鹿だ。
自分は、オープンソースとキリストが好きなだけだ。こういう馬鹿が、いつの時代も多い。革命家の右翼は、キモイだけだ。それこそ、自分は作家だから、これで賢い。
成功なんか、しない方が良い。成功すると、賢い相対的なことが分からなくなる。普通、誰でも分かる。いつも、そういう風に相対的なことを書いていただけだ。
地球は宇宙にある存在の中での一番特別の存在だが、他の星と何も変わらないところもある。地球よりありえない星が、明らかに、いくつかはある。そういうことを言えば良い。
最近は、クズの時代だから仕方ない。誰もがクズだ。皆、馬鹿な時代、馬鹿が好きだったせいで、クズになった。そういうわけで、自分が一番クズだ。
皆も自分と同じようにクズだ。クズが賢いだけだ。最近、賢い人間は居ないようで多い。きちんと賢いザッカーバーグが多い。リーナス・トーバルズのような天才もきちんと居る。
パソコンの時代だから、パソコンが嫌いな自分はつまらない。ただ、昔は好きだった。オープンソースが好きで、いつまでもオープンソースの研究と調査をしていた。
Wikiも好きだった。自分で情報をまとめながら、Linuxのことは全部Wikiとニュースと掲示板で分かった。スラッシュドットと2ちゃんねるが本当に好きだった。
最近は、そういうものが嫌いだ。いつまでも文章を書いているから、むしろ、最近はワードが好きだ。ワードは悪くない。機能は多すぎるが、使えないものではない。
GNOME 3は間違っている。いちいち画面全体が変わるのは、使っているものに対する負担が大きい。賢いのは分かる。もっと、最低限しか画面が変わらないようにした方が良い。それが一番、上級者にとって使いやすい。そういう発想をするべきだ。
オープンソースの賢い点は、こういう馬鹿がいくらでも好きなことを出来る。
それだけが賢い。GNOME 3の表示画面の変化を少なくするのでもやれば良い。
それは、下準備が大変だが、やろうと思えば誰でも出来る。しなくて良い。
日本とイスラエルは、劣悪な民族との評判が高いところと、マイノリティであるところや、国が戦争と奴隷と抑圧しかしない悪い国なのが同じだ。昔から、一番良く似ている。
イスラム圏とは、タリバンの戦いや、独自の宗教をかたくなに信じているところが同じだ。
明らかに、Red HatがおかしいのがLinuxだ。会社が作るのはありえないし、名前が共産党だ。Red Hatのせいで本当におかしいものになった。だが、それがLinuxだ。
自分は、作家だから、これで賢い。馬鹿でも賢いように見える。ただ、ただのブロガーは馬鹿にしか見えない。ブログなんかしなくて良い。むしろ、本当にITの方が馬鹿だ。賢くても、馬鹿に見える。ブログは悪くない。発表の場ぐらいあった方が良い。
昔は、自由に状況を考えたり、社会構造を洞察したりしていた。
最近は、いっぺんに全部考えるようになった。
起業は、自衛隊よりはマシだ。失敗すると借金地獄になって死ぬが、成功すれば賢い人間だ。会社は本当に作りたい人間が多いが、すぐに失敗するから、絶対に止めた方が良い。
ドイツ人はユダヤ人をユダヤの民族と言う。世界中に散らばって、革命で色んな国を倒すように見える。それは、誰もしていない。
ユダヤ人は、聖書の民族だ。むしろ、キリストの弟子は好きな人間が多い。
そんな些細なことで殺すのは、日本人には理解出来ないが、白人は本当にイエスが好きだ。
日本人は、アフリカ人とも良く似ている。未開社会で、マイノリティで、原始人なのが、全く同じだ。異文化過ぎるところも良く似ている。
アメリカの黒人も黒人で、アメリカ人から差別されている。日本人と同じだ。
自分は、最近、肉より魚の方が好きだ。肉は胃にこたえる。魚の方が良い。刺身が好きだ。
認識とは言うが、認識は実際の世界を考えていただけだ。
実際のことを考える。
あとは、助け合いと統一の世界のようなものを作っていた。
そういう文章だった。それくらいしか書いていない。
全員の認識を統一して考える。そういう人間だった。
今日は、久しぶりにユメタン(英単語)をやった。二か月やって、二か月サボった。また、続きをやる。簡単な単語だ。それから、英会話教室も来週の木曜日に予約した。
Fedoraが古くなっているから、Fedora 23をインストールすることにした。
ダウンロードして、DVDを焼いた。今日はもう寝る時間だから、明日インストールする。
インドと日本の共通点は、帝釈天など、ヒンドゥー教から神を取り入れている。
真面目に、同じ神を信じている。信じていると言うとおかしい。まつっている。
ただ、日本は本当に異文化だ。世界のどことも違う。全くローカルな鎖国の世界だ。
ユダヤ人は、聖母みたいな馬鹿に見えるのが普通だから、嫌いな方が良い。
岩崎宏美みたいに見える。岩崎も馬鹿には見えない。昔から、僕は岩崎が好きだ。
Linuxをやっていると、賢い人間になる。
今見ると、ロイとマーガレットは多い。ロイみたいに、社会を経験して、戦って死ぬ人間が多い。何かやっている人間はそういう風になる。マーガレットも多い。何もしない人間は、まともになる。この2人を見れば分かる。どこにもこういう人間が多い。
昔は、心理と経験を推測して、心で経験を想定して分かっていた。
グーグルの衛星写真は賢い。昔は、そういうところが分かっていた。
Linuxは、賢くなると怖くない。知性が無いと、誰でも怖い。一番悪く見える。
自由を考えて、想定して分かっていた。
Linuxは、やっていると仕事のように、本当に賢くなる。仕事をしないなら、それで良い。会社員のようにきちんと賢い人間になる。その代り、多少怖い。
場、環境、心、経験、行動、などを、それぞれの場合を具体的に想定して分かっていた。
相対的な視点と場を成り立たせて、記憶を考えていた。
人を信頼し、許すこと。恐怖は、許すことで無くすことが出来る。許さない間、怖い。それは、馬鹿だからそういう風になる。賢い人間は、許すことで、さらに賢くなる。
そろそろ馬鹿が治った。Linuxは、本当に、馬鹿でない賢い人間になる。
あとは、自由に選ぶ、決める、社会を構築する、と言った発想が多かった。
相手の自由にして、選択肢を与え、選ばせ、教え、導く。それが自然に正しい結果になる。そういう、自由な選択肢、選ばせる、と言う発想が多かった。
自由な中で、何を作るべきか、決めるべきか、そうあるべきか、何があるべきか、などと言った、実践と具体性の自由のようなものも多かった。
また、人生の自由も考えていた。どのように生きるべきか、誰に何をするべきか、どのように手助けするべきか、真実はどこにあるのか、そういう風に考えていた。
真実は、自分の心の中にある。ソクラテスが似たようなことを言っている。
環境を守り、場を作り、場を想定し、システムを公開し、情報を共有する。
そういう、環境の自由のようなことをいつも言っていた。
決定し直しながら、方法やマニュアルのようなものを考える。そういう、世界観のような文章が多かった。そういう風に、可能性を考えて、把握して、世界を掌握していた。
あとは、教育を自由にする。それぞれの成績や努力に応じて、自由に昇進させる。むしろ、その方が良い。不良と優等生が同じ扱いでは悪い。そういう、右翼の教育は悪くない。その上で、子供に経験や社会活動をさせて、影響力の風上に立たせて、社会全体の中で自分が今いる立ち位置のようなものを分からせる。そういう発想が良いと思っていた。
子供は、専門性を高めて、数学者や社会学者を生ませるべきだ。その方がさらに良い。
学校全体を民主主義の学校にして、子供に社会の作り方を教える。そういう発想が良い。
数学者のように、確かな少ない方法から新しい知識を作る方法を学ばせる。
あとは、社会は、モデルにして、豊かな経験から考えていた。オープンソース社会は、生産的に全体主義で、消費的に個人主義だ。そうでもない。逆にも見える。そういう風に考えれば良い。誰でも、そういう風に、作って考えれば分かる。独立企業よりさらに独立した、モジュラー型の政府のようなものを、オープンソースを模して作れるかもしれない。
そろそろ賢くなった。今日は頭が冴えている。オープンソースで賢くなった。
知性ももう全部ついた。日本語はまだ分からないが、思い出す知性で分かる。
子供には、こういう風に、6歳ぐらいで怖くなくなる人間が多い。それくらいで分かる。
哲学は、そろそろ最初から出来る。ゼロベースでデカルトのように考えていると、誰でも4年ぐらいで全て分かる。昔の自分がそういう人間だった。
オープンソースは、生産も消費も個人主義だ。
普通、共産主義が、生産が全体主義で、消費が個人主義だ。逆に、自由主義は、生産が個人主義で、消費が全体主義だ。ただ、そうでもない。本当に逆だと思う。
明らかに、自由主義の消費は個人主義だ。生産は全体主義的なところもある。共産主義は、生産も消費も全体主義だ。むしろ、生産が個人主義的だと言うと、おかしいが、そうは見える。どうでも良いが、そういう風に分析する馬鹿が昔に多かった。何も賢くない。
実際のところを見ながら、モデルと方法に照らし合わせて考えることで、考え方が見えて来る。そこから、宇宙の本質と概念が分かって来る。そういう文章が多かった。
経験から、可能性が分かって来る。
本質は、意識の高まりの先にある、この生命の根源の全てだ。
そういう風に、宇宙推論のようなことをしていた。昔は、そういう文章が多かった。
昔は、何度も知り直して、経験し直して、勉強し直して分かっていた。
大学には、そういう人間が多い。工業大学に多い。何度も勉強し直して分かる。
研究は、こういう風にした。おかしくはない。歴史と哲学の研究だ。
あとは、意識を知って分かっていた。
今日はもう寝れば良いのに、まだ眠れない。もう夜の一時だ。本当に眠れなくなった。
Windowsのフリーソフトが多かった。
認識と思考の段階が多かった。それが何なのか、自分はそれを何だと思っているか、それは何で出来ているか、それは何になれるか、それは何から生まれるか、それは何になる可能性があるか、それは必然的にどうなるか、どのように生まれるか、法則的には本当はそれはどういうものか、それは何をすることが出来るか、どのような見方で考えられるか、何をどうすれば意識と存在が吸収出来るか、全体としての立ち位置は何か、元になるシステムは何か、など、論理学と思考の段階をいつも書いていた。
平和が好きだった。自然と自由を平和だと思っていた。ソ連は嫌いだった。自由な創造性と有用性の方が、平等な社会に勝ると思っていた。最近、ソ連が好きになった。それは、色々と戦う中で、自由の悪い点や、平等の良い点、革命や戦争の経験が合わさったからだ。
あとは、社会はどんな風に出来るのか、経験と構造から考えていた。社会経験があった。
そろそろ楽だ。今日は普通の良い日だ。
今日は、Linuxで、もう脳も賢くなった。
今日は、眠れないから、まだ起きていたい。こういう日も、普通ある。
Linuxをやっていると、そういうところが狂う人間が多い。そうならない方が良い。
最近はまともだ。最近は、馬鹿な代り、おかしくなくなった。本当にまともだ。
本当に昔の方が狂っているからありえない。狂った人間は、狂った方がまともだ。
Linuxには、Fedora 23を入れて、GNOME 3の他にKDEやMATEを入れようと思っている。楽しみだが、いつも、本当に使うと失望するのがLinuxだ。だから、期待はしない。
それこそ、僕はWindowsの方が本当に嫌いだ。何も賢くないが、印刷だけは使える。
世界や組織は、考え方の適用だと言っていた。
統一、可能性、自然、助け合い、などが考え方だ。マネジメントのことを言っていた。
眠れないなら、休んでいれば良い。休んでいる間、楽だ。
学校は、自由に参加し、離脱も出来るような、新しい学校を作り出した方が良い。
新しい学校コミュニティは、民間が学校をし、生徒は自由に組織に所属する。
あとは、公理主義みたいな文章を書いていた。数学みたいに文章を作っていた。
まるでスピノザのようだった。結構賢い数学者だった。
心理学は、ありえなく全ての異常を治す。本当に、この世界がそれで全部治った。
だが、それが悪い。そのせいで、皆何も治らなくなって、賢くなくなった。
治るためには、一度分からなくなって、狂えば良い。
だから、もう皆、分からなくて良い。だから、皆もう分からなくなる。
昔は、経験と勇気があって、純朴で、世界がはっきりと分かっていた。
マスターや救世主のような人間だった。
経験と理性で、デカルトやニーチェのように、この社会と人間のことが全て分かっていた。
本当に、神のようにこの世界が分かっていた。ゼロから経験して、考えて分かった。
哲学者にああいう人間が多い。本当にゼロから経験して、ゼロから考えた。
マスターのように全て分かっていた。デカルトのような、全知全能のキリストだった。
それこそ、Linuxはそういう人間になる。そういう宇宙の概念だ。ただの自分だ。
それが、普通、こちらになって、馬鹿になって、悪い人間になる。
右翼は左翼になる人間が多いのは、馬鹿な右翼が、そのままLinuxの左翼になる。
こういう風に、馬鹿は馬鹿だ。馬鹿の方が賢い人間が多い。
昔は、Linuxと成長で全て分かっていた。本当に、世界を変えるだけの力があった。
影響力の風上に立つことで、Wikiで世界を変えていた。
本当に努力していたが、ただ破壊したかっただけだ。
色々と、悪い体験や不純な体験も多かった。黒いカラスから白い天使を知った。
そろそろ終わりにする。今日は良い日だった。そろそろ全て書けて、知性もついた。
組織になる自由を、手段と思えば分かる。そういう風に考えれば賢く分かる。
そして、制度を経験だと思えば良い。
世界を離れた側、裏側から見ながら、全てを手段と経験と考えて、自由な目的で考える。
そういう発想が多かった。全て、世界を構築者の視点から考えていた。
それが自分だった。自分が構築する、と言う視点で、この世界の世界観を考えていた。
そして、自然なシステムにする。自動化された環境にすることで、自発的な協力と活動から、この世界の目的と活動が見えて来る。そういう文章だった。
教育は、共有可能なシステムにするべきだと言っていた。
制度は、全員で作るべきだが、作りすぎるべきではないと言っていた。
生産と消費は、それぞれが、それぞれのために、必要なものを合理的に与えるべきだ。
明らかに、そういうものが金だ。
あとは、関係の考え方がある。
ものは、作れば生まれる。
ものは、材料と目的がある。
ものは、環境との作用がある。
心は、環境への適応がある。
心は、経験的に働く。
社会は、構成人員がある。
社会は、目的と手段と実現方法がある。
ものには、原因と結果や法則がある。
システムには、全体像と手順がある。
社会は、影響力の段階がある。
ものは、方法と学習から生まれる。
ものは、変化する可能性がある。
社会は、時代とともに変化し、移り変わる。
人生は、知り、経験することで、成長する。
人は、環境を知り、環境を変えられる。
社会は、それぞれが世界を変え、助け合う、協調の場である。
そのように考えると、良く分かる。
経験と考え方で考える。
そういうものは、経験と照らし合わせることで、より見えて来る。
世界は、それぞれが世界を変え合って、出来事を積み重ねる、共存の場だ。
いつもそういうことを言っていた。
世界は、自然な助け合い、積み重ねであると言っていた。
モデルとは、全体の中での立ち位置のようなことを考えていた。
全体の中での立ち位置で分かっていた。
フィルターのような、見方の裏側を考えて、認識を分かっていた。
もう2時13分だが、まだ眠れない。まだ書いている。今日は眠れない。
時計は、夜治る。もう、試さなくて良い。
支配者は、平等であるべきだ。支配者が平等でないと、悪い。
マイナーな分野からメジャーな分野へと進むべきだ。
公理主義の数学のような論理学を作っていた。
仮想世界を作っていた。
本当の理由を考えていた。
学習して、手段などを考えて、法則を知って、全部出来るようになった。
正しさが後から分かった。
今日は眠れなかった。夜は、時計の支配が無いから、今日は楽になった。
治らないと思うのが悪い。夜は時計のロボットになっていないから、これで治る。