昔は、仏教で言う、縁覚や声聞のような人間だった。
皆の意見を聞く学者のようになって、心の内を表現する芸術家の覚者になっていた。
今日は、まだ書いた方が良い。まだ良い文章が書ける。
人々の意見を聞きながら、己の望むことをやっていた。
人の意見を聞いて、知性をつけて、積極的な活動をすること。
いつも、そういうことを言っていた。
分からないを信じると、分かる人間が多い。ネットを信じると分かる。
分からなくて良いなら分かる人間が一番多い。
人の意見を知って、出来事を知って、理由の段階を知って、背景知識を知る。
そういう、相対的なことを言っていた。体得と言っていた。
昔は、世界を吹き荒れる嵐のように、勇敢に世界と戦っていた。
最近は、大学みたいに全部知っている。
それが、ハリケーン・リリとボストン・マリに見える。AAAが言っている。
皆に勇気と希望と巨大な愛を与えた。そういう人間だった。
時が止まっているのは、動くと怖い世界が分かるからだ。
全て分かっているのに、アメリカみたいに怖い。
その怖い世界を消すと、すぐに分かる。
自分のせいで、そういう風になった。
分かるのが怖い。
絶望の意識や因果関係で分かっていた。
もっと抽象的なことを分かれば良い。
一歩離れた視点から、全体の中での位置関係を分かる。
受け入れて、全てに意味があるのを知る。
時が止まっている。一年が一秒になって、時間が機械になっている。
家族だけを治せば良い。皆は治らない。治すと馬鹿になる。
いつもの文章は、全部分かっているが、悪い。
発展や有用性を信じて分かっていた。
そういう、社会的な思想や発想を信じて分かっているのを書いていた。
無意識を考えていた。人が無意識に何かし、考えることや、集団の中での意識、行動の欲求などを考えていた。
意識を部分化して、機能別心理学のように考えていた。
植物は、どこからでも再生する生命だ。
自分は、泣き叫ぶように怖い。赤ちゃんが泣くように怖い。誰も怖くないようで怖い。本当に辛い。
今日は、農業をした。いつもに比べると、頑張った。いつも何もしていないで、見ているだけだが、今日は玉ねぎの苗を植えた。
皆、普通を受け入れて、仕方ないと思えば楽になる。
昔は、皆のことが分かっていた。昔は皆普通だった。
五感、感受性、角度、順序、パターン、環境、生態系、プラットフォーム、のようなことを言っていた。
市民のための社会を作るべきだ。
怖い部分が死んだ。
言語、数、時代、表現などを考えていた。
全ては行動と経験である。
全ては発想とチャンスである。
全ては理解と実験である。
全ては判断と実践である。
いつもそういう風に書いていた。
全ては論理と作用である。
全ては信仰と倫理である。
全ては自由と人生である。
全ては平等と支配である。
あとは、考え方、状態、状況、場や、具体的な施設や社会や経済を作っていた。
相対性や自然のようなことを言っていた。
皆が馬鹿に見える。皆、争うだけだ。自分は、争わない。誰でも戦いたいからそうなる。自分も馬鹿だ。
皆が見ても、皆が馬鹿だ。自分が普通に見えるから、皆が馬鹿に見える。
馬鹿は馬鹿になる。認知症になる馬鹿が多い。
あとは、自由な推論をしていた。厳密に推論する文章が多かった。
定義と説明のようなものを、スピノザのように書いていた。
公理主義を作っていた。
具体性を作っていた。
相対的で、論理性に優れた推論の文章だった。
自由な理由のようなものを作っていた。
考え方から考え方を導いていた。
表現や概念のように、本質を比較して、自由と形容のようなものを考えていた。
知の分類と属性を考えることが多かった。
決まりを作っていた。
経験から何が分かるか、何が出来るかを考えて、経験から社会を作っていた。
自由なモデルによって、説明して分かっていた。
原因と結果を想像力と理性で考えていた。予測して、支配していた。
意味のある行動とは何なのかとか、人間の可能性と習慣などを考えていた。
何が正しい行動なのか、考えた。
昔は、推論したかっただけだ。正しい考え方で、具体的に推論して分かっていた。
最近、推論しなくなった。これで推論すると、馬鹿になる。
もう分かっているせいで、推論する意味が無い。
もう死ぬかもしれない。何もかも全部書けて、良かった。
推論で何でも分かっていた。本当に、何でも分かると思っていた。
ほとんどのことは既に分かっていた。
全ての可能性や未知も、推論で分かることが出来た。
本当に、英語ぐらいが分からなかったが、ほとんど全てのことは分かっていた。
生物学や心理学などは、自分で作って、考え方と想像力と理性と研究と思考で分かった。
自由、環境、経験などを推論していた。
皆で価値やシステムを作り、自由に発想し、意見を集めると言っていた。
皆で創造的なものを作って、自由に共有し、自然な体験を生む、と言っていた。
平和な環境では自由に出来るとか、秩序のある環境では安心出来るとか、言っていた。
それ以上、自由に推論して、色んな行動や思考のことが分かっていた。
作用と真実から、正しい宇宙の見方、実存的な人生観などが物理的に分かっていた。
環境の推論は、そういう風に考えていたようで、もっと普通に推論していた。
カントのような、経験的な認識や、空間と時間のような前提条件を考えていた。
人間がどうなるか、状態は何になり得るか、などを考えていた。その環境では、それはどうなるか、その場合それはいつどうなるか、のようなことを考えていた。
推論は、そこでどんな体験をするか、どんな行動をするか、どんな結果があるか、何に制限されるか、どんな限界があるか、何を見るか、どんな場所があるか、のように考える。
繁華街も海も、今、この世界にきちんと存在する。場所と視点は、同時に存在している。総理大臣も、自分の親も、自分も、皆人間だ。人間は、皆同じで、同じように経験する。
そういう風に考えて、平和な環境、秩序のある環境などを推論すれば良い。
昔は、そういう、場所と環境から推論する人間だった。
自由な状況判断のようなことを考えて、国のようなものを作っていた。
一人の王が全部を見ることは出来ない。連邦制や地方自治、地方分権にするべきだ。
そういう、自由な上での国家理論のようなものをいつも作っていた。
自分が一番賢い。哲学者とは言うが、相田みつをと同じだ。ただの詩人だ。
ただ、世界政府は悪くは無い。競争や戦争で争い合って、同じことをする意味が無い。協力して、無駄をなくして、1つの同じ会社を作った方が良い。そういう発想の方が良い。
心理学とは言うが、経験を考えただけだ。
全部、経験と行動から、きちんと分かっていた。想像力と感情で宇宙が分かっていた。
マスターのように人生経験があった。人間や社会は、全てを悟って作っていた。
全部自由を考えて、積み重ねただけだ。
勝者は存在出来るべきだし、努力には報酬があるべきだが、協力し、組織となることは、悪いことではない。支配者が行う自由は、あるべきに見えて、要らない。
社会主義を悪いとは言うが、ほとんど共同体が自立してやっているせいで、スターリンは何もしていない。破たんはしない。独裁者は戦争すれば良いから、戦争しかしていない。
心理学、経済学、言語学、論理学、のようなものは、自分で作って出来ていた。
そういう、森羅万象の博物学のようなものが多かった。
知性があった。知識も無いことは無かった。
最近、分からなくなった。最近は、馬鹿で良いから、馬鹿になっている。
最近の方が大学が多い。歴史と哲学なんか、きちんと知っている賢い人間が自分だ。
そこがありえない。何もしていない。書くだけで分かったから、書いた方が良い。
哲学はありえない。何故なら、そんなに大して読んでいない。
もっと賢くて詳しい人間は多い。そういう人間になれば良いように見える。
今日は辛くない。本当に楽になった。
もう、怖い部分も死んだ。自分の文章のせいで、皆分からなくなって、止まっている。そういう、自分の文章が怖い。忘れると、すぐにまともになって、全て分かる。
そういう、分かるが怖いだけだ。分かってしまうと、もう何も分からない。
昔は、自由に推論して、手段と機会を分かっていた。
人種差別と社会主義が悪いのがまだ分かっていない。それらは、犯罪者と同じだ。本当に、そういう極端な思想は止めた方が良い。カルトより悪い。
昔は、スターリンを評議会の上の王だと思っていた。評議会と共産党が管理しているように見える。スターリンなんか、ソ連のことは何も分かっていないように見えた。
それこそ、それは評議会と言いたいだけだ。
これなら、大人に見える。悪いどころか、悪くない。犯罪者も、神を信じれば悪くないだろう。犯罪者も人間だ。ただ、間違って誤ったことをしてしまっただけだ。
子供には、意味が分からない人間が多い。最初からまともに分かる子供は多いが、意味が無いことの意味が分からないから、何も出来ない人間が多い。
姪を見ていると、姪は最初からきちんと分かっているが、色んなことの意味が分かっていない。そういう子供が幼児に多い。そのうち、きちんと成長して分かるだろう。
自分は、何をして良いのか分からない。
そういう理由で、こうなる。子供みたいになった。
自由も悪く見えるのに、右翼や左翼も悪く見える。全部悪く見えて、悪い国がまともに見える。こういう人間は、さだまさしが見ると多い。不良少女白書だ。ただの不良少女だ。
後悔は無いが、無いのもおかしい。ただ、自分が馬鹿なだけだ。それを反省するだけだ。
こういう人間は、悪い人間にはならない。普通の人間になる。
ただ、良い人間にはならない。本当に悪いだけの、悪い賢い人間になる。
子供には、最初から意味がきちんと分かる人間が多い。
もっと意味をきちんと考えれば良い。それで分かる。
社会は、労働、独立性、発展、生産、報酬、のようなことを考えれば分かる。
ただ、読まないから分からないだけだ。
世界史なんか、読んでも意味が無い。もっと普通の、労働や経済の本を読んだ方が良い。
本は、昔ネットで色んな文章を読んでいたから、それで良いように見える。
本当に、色んな文章を全部読んでいた。ネットを知り尽くしていた。
最近は、きちんと分野とポイントを絞って、哲学や仏教や歴史の本を読んだ。
もう読まなくて良い。本は、もう十分だ。読めないのに読むのが辛い。読みたくない。
新聞を読みたいと思ったが、情報量が多すぎて読めない。何も読まなくて良い。
皆の方が賢い。皆は大学を出て、仕事をして、きちんと読んで、やっている。
昔は、本当にマスターのような人間だった。意味が無い人間だったが、色んなことを分かって、経験して、科学を作って、思考して分かっていた。
考え方から組織のことが分かっていた。意味の無い人間は悪くはなるが、賢くなる。
だから、悪い人間が賢くなる。意味が無い、が賢い。
もう、これ以上は、あまり読まなくて良い。世界史の本を読めば良いのは分かる。きちんと読むから、それで良い。それ以上は、何もしなくて良い。もう何もしたくない。
昔から人に手助けする人間だったが、最近は人や社会に尽くして、奉仕するようになった。
おかしいから、止めた方が良い。
昔は、推論の知性があったのが賢かった。最近、馬鹿になった。本当に馬鹿だ。
自分は、成功したのが悪い。成功したせいで、馬鹿になった。
そこを消すと、昔みたいな賢い人間になる。マスターみたいになる。
自由とは、存在し、独立し、推論し、科学的な正しさを知ることだ。
昔から、そういうことを言う。成功したのを止めれば、すぐに分かる。
自由とは、意見を戦わせ、視点を成り立たせ、考え方を作り、状態を発見し、過去に無かったものを作り出すことだ。
過去の自分に囚われず、斬新な発想をすること。
あとは、賢い考え方のようなことを言う。
社会と市民の相互作用とか、生命はプラットフォームだとか、そういう、賢い考え方や命題のようなものを、本当に全部作っていた。
前提とは、世界を変えるための法則を知ることである。
世界は環境であり、本当に皆の力を出して、団結すれば、自由に変えられる。
そういうことを言う。ヘーゲルやマルクスやハイデガーのような人間だった。
人間は、知ること、経験すること、考え方を知ることから、変わっていく。
人生とは、自然な努力と、予定調和的な運命と、体験的な善悪と共同性の自覚である。
プラットフォームとは、歴史、構成、関係、モデルの中での、拡張性と自然発生である。
あとは、認識のようなことを言う。相対的、現象学的に、人生の体験と認識を考えていた。
本当に、成功したのが悪い。そのせいで本当に馬鹿になった。誰でも賢いのに、馬鹿だ。
あとは、全て分かっていた。
はっきりと、確かに、正しく、構造、意識、世界観、想像力、経験、感情で分かっていた。
そろそろ終わりだ。もう分かった。今日が一番良かった。もう楽だ。
自然発生と助け合いのようなことから、自然な社会発展のモデルを作っていた。
普通、そういうものが賢い。自動で自然に発展する社会モデルをいつも作っていた。
あとは、具体例や心の理由みたいなことを言っていた。
科学や社会や会社や国などの具体例、具体的な発想と提案をいつも言っていた。
単純に、具体例が多かった。それくらいの文章だった。
あとは、宇宙観を考えていた。コペルニクス、ガリレオ、ケプラーが地動説を分かったように、宇宙観の歴史は、いつか変わる。そのうち、ありえない宇宙なのが分かる。だから、人間はまだ何も分かっていない。解明出来ていないし、いつまでも分からない。そういうことを言って、逆に、不可知や不思議なものすら科学的に考えて、神すら分かっていた。
自由とは、愛であり、平等から社会を作って、歴史を創造する。そういうことを言う。
人間が全部分かるまで、宇宙は続く。
意味が無いことは止めるべきだが、意味が無いように見えるものの中に、意味があることは多い。本当に意味が無いと分からない限り、否定するのは止めるべきだが、そうでもない。何でも否定して、恥をかきながら、人間は賢くなる。
恥はかいた方が良い。そうでなければ、何も分からない。客観視もすべきだ。
あとは、国や考え方を作っていた。
自由な思想を作りながら、機械的に、大東亜共栄圏のような国を作る。
何もかも、国のようなものを全部作っていた。
そして、考え方のようなことを言っていた。思想みたいなものを作っていた。
国は、グループによる共有だと言っていた。あとは、自由に構造と経験を考えていた。
国家社会主義にも、良い点はある。統制経済で、格差が生まれずに、全員雇用と平等分配が出来る。計画経済をする。だが、共同体は嫌いだし、戦争と独裁しかしない。
あとは、国籍や貨幣や言語や宗教を共有すると言っていた。生産と消費のようなことも分析していた。そして、国家主義的で、国際的な、共同体の政府を作っていた。
ソ連は、国家社会主義と社会民主主義をどちらもやっている。不思議と、民主主義も同時にやっているところがある。評議会で議会制民主主義をきちんとやっている。そういうわけで、共産主義は、そういう風に、全部の思想を同時にやるようになる。
ソ連は発展しなかったが、中国が発展している。中国人旅行客の日本などでの爆買いが今盛んだ。中国では、若い世代を小皇帝世代と言って、全ては自分のためにある、と言った価値観が生まれている。いくらでも金を払う。本当にそこまで民衆が豊かになっている。
イスラムも石油で発展している。ドバイでは、本当に値段のことなんか考えず、イスラム教徒のアラブ人が高級レストランでいくらでも良いものを食べている。
アジアが賢くなっている。そろそろ、白人と資本主義による支配は終わりだ。
真面目に、全員雇用は悪くないのが国家社会主義だ。全員公務員にして、平等分配して、全員を生かして、全てのものを全員に与えれば良い。自由は要らない。戦争して軍需産業で発展すれば良い。だから、ファシズムとソ連は、同じにしか見えない。
ただ、国家社会主義は、普通一番悪い。普通、ファシズムと言う。皆を殺したいだけだ。
戦争は悪い。平和な方が良い。左翼と右翼は、普通戦争になるのが悪い。
これでは自由に見えない。僕は本当に自由が好きだ。国家の統制は嫌いだ。
スーチーが勝って良かった。ミャンマーは、強いだけの江戸時代から、先進国になる。
ドイツは、悪いだけに見えて、勝てば良い国になる。最初の王が悪いのは、革命家は何かやりたいのが普通だからだ。だから、ドイツが勝っても悪い世界にはならない。不思議と、ローマ帝国の王政期の最初の王である、ロムルスも、女を集団で略奪したりしている。
左翼は、普通、平和にして、自由を無くして、ありえない社会を作る。
平等にして、社会の可能性を高める。そういう、左翼が良い。左翼はまともだ。
左翼は、普通、民主主義を目指す。それこそ、左翼の民主主義は多い。
僕は、本当に左翼の方が好きだ。
社会は、学習とマニュアルだと言っていたが、そうでもない。専門知識は多い。
マニュアルと思えば、民主主義のことも分かる。
資本主義も、そんなに良いものではない。儲かるのは、ソフトバンクやアリババだ。
資本主義には、成金みたいな馬鹿が多い。良く知らないが、若大将シリーズに出て来る青大将みたいに、そういう馬鹿が多い。
ただ、逆に、ヤクザみたいな馬鹿も多い。寅さんみたいにそういう馬鹿が多い。
ただ、資本主義が一番発展する。少なくとも、昔はまともに発展していた。
昔は、体験や精神を全部作って、全部分かっていた。
先にやって、後で後悔する。最近は、それだけだ。
遺伝子が悪い。遺伝子を治すと治る。
いつも、後悔しないのに地獄になるのは、遺伝子が悪い。遺伝子がおかしい。
そんなに欲が無くて、自分が悪いことにするのはおかしい。そのせいでマスターみたいになった。そういう遺伝子が間違っている。ただ辛いだけだ。何も優れていない。
全部諦めても意味が無い。諦めない方が良い。
悪い人間を許すのもおかしい。許すせいでクズになったのが最近の自分だ。
もう怖くない。黙っていれば良い。
昔は、パソコンのプログラムやシステムのようなものを作っていた。
そういうもので、まだ分かっている。
店で売られている家電製品は、ゴールド、シルバーのように、品質保証をすれば良い。
国がしないなら、雑誌ででもすれば良い。
今、品質の良いものから悪いものまで、ごちゃまぜになっている。
品質保証のようなことをすれば良い。きちんと良いものがどれかが分かる。
あとは、経験的、理性的、数学的観念を頭の中に作って分かっていた。
プログラムと思えば分かる。そういう人間だった。
価値観の発生と構築、全員の信念のようなものを考えて分かっていた。
いつでも戻れると思って、引き篭もりになって、経験して分かっていた。
だが、それは、戻れなくなった。帰る場所が無いのは、分かっていた。
昔が右脳の男で、今が左脳の女だ。分かれたせいで辛くなったから、治したい。