経験のある人間と知恵を集めて、考え方を知り、それぞれが知を共有することで、何でも実現出来る。
ものや社会は、手段と目的から変えられる。そこでは、経験と知恵がある。
そういう、賢いことをいつも言っていた。
愛と平等から自由な平和な社会が生まれる。
国家と言うものは、いずれ無くなる。性善説の無政府主義社会になる。
社会は、それ自体生態系である。
ソ連は、社会主義を経験した偉大な国だ。何か、出来るかもしれない。
そろそろ、もう書かない。これ以上、何も書くことが無い。今日は楽だ。
そういう、ありえない理想の社会をいつも書いていた。
斜め上の視点から、角度を変えた発見のようなことをいつも書いていた。
悪いことがあると、その分良いことがある。悲惨な人間が賢くなる。
根源的な場のようなものを書いていた。
隠すことはもうない。隠す意味が無いせいで、辛い。
精神を良くすれば良い。ただ、楽な精神に変われば楽になる。
無政府主義と言うよりは、共産主義のようで、共産主義ではない。性善説に基づく、ありのまま、自然体の、それぞれが本当に自分のしたいことを発揮出来るような社会、それぞれが自分勝手にならず、助け合い、協調することが出来る社会を作っていた。
それは、自由だった。自然とも人間とも協調し、それぞれが融和出来る社会だった。
あとは、人生の経緯や認識の段階を、理想の社会や共同体とともに考えて、作っていた。
全ての攻撃は、それしか手段が無いと錯覚しているから起きる。
攻撃なんかしなくても、協調し、分かり合うことで解決出来る。戦争なんか要らない。
共産主義は悪い。強制し、支配し、従えることで変えるのはおかしい。
それぞれのことを本当に思いやって、本当の真実のレベルで分かり合うこと。
ただ、いつもの文章は馬鹿だ。2ちゃんねるみたいな、斜め上のようなことを言う。
自由な助け合いは、協調の段階として発展して、本当に思いやる心が生まれ、本当に秩序をそれぞれが守り合う社会が生まれる。
守る気持ちから、強さと健全さと思いやりが生まれる。
そういう、理想の社会を分かっているのをいつも書いていた。
あとは、考え方や思いやりのようなことを言って、本当にものごとを全て創造していた。
経験をそれぞれが共有し、人の視点に立って考えることで、正しい秩序のある社会が生まれる。そういう、理想の社会は、自由と経験と言う視点に立って考えると良く分かる。
本当にそれぞれを自由にしながら、秩序を共有する。そこから自然な助け合いが生まれる。
そういう、理想の社会をいつも書いていた。真実の思いやりのような文章だった。
そして、それぞれの意見を共有することから、可能性が生まれる。そこには、手段がある。
変化を可能にする手段を共有することで、全ての平和で協調された社会が生まれる。
あとは、社会の段階のようなものを書いていた。
自由で反抗的な社会は、理性を失って滅びる。それは、色んな社会を見聞きした王の出現によって救われる。それは独裁になり、平等な民衆によって倒れる。そしてそれは平等な社会になって、しだいに平等を嫌悪するようになり、自由で反抗的な社会に戻る。
また、啓蒙主義の思想から、沢山の芸術と知性が栄えるが、それはしだいにいびつで卑屈なものになって行き、自由とともに、全て何も無くなる。それは長い封建社会とともに、しだいに理性を取り戻していき、古代復興の啓蒙主義へと戻る。
いつも、そういう段階を書いていた。
世界史や哲学をやっていると、そういうものが分からなくなる。
抽象的な考え方や予測が多かった。
演繹、帰納、システム、集合知、総称的、のような文章が多かった。
指導者にするのは、間違っていない。指導者なんか、誰でも出来る。
あとは、皆と同じになっているのが馬鹿だから、皆と同じなのを止めた方が良い。
皆、自分のせいで、怒れなくなっている。そのせいで馬鹿になっている。認知症になった人間が多い。もっと、怒った方が良い。怒らないと、賢くなる代わり、知性が無くなる。
皆もっと色んなことに対して怒るべきだ。世界の全てが悪いのが分かっていない。この世界は馬鹿だ。この世界に対して、もっと批判的になって、怒った方が良い。
賢くなるためには、批判しながら、経験から理性を取り戻して、帰納的に考えること。
もっと正常な社会になるように、皆で怒った方が良い。許さず、受け入れず、拒否すること。それが一番賢い社会になる。受け入れすぎていると、そういう人間が馬鹿になる。
あとは、自由から帝国になり、平等になって行く過程で、人間性が進歩し、自由な抑圧から、制限された自由になり、自発的な協調と平等の世界になる。そういう、協調による社会と人間性の進歩のような、社会の段階をいつも書いていた。
もっと、社会の段階は色んなことを言っていた。科学的な発展や文化の向上など。
そういう、段階的に社会を分かるのが、一番多かった。理想の社会を書いていた。
あとは、システムや決まりの創造が多かった。何でもかんでもシステムを作っていた。
そして、宇宙の法則、遺伝子のパターン、科学の概念を作っていた。
概念的に世界観を作った。そういう風に宇宙を創造していた。
最近は、天使になっている。
そろそろ、皆が認知症になっているのを治した方が良い。それは、いくらでも悪いことが起きるようになると治る。何もかも良いことしか起きないから、馬鹿になる。いくらでも不幸が起きるようになると、馬鹿な脳が賢くなる。
目的や手段のようなことから、変化や本質を分かっている文章が本当に多かった。
辛い心が死んだ。もう治った。神との対話が終わる。それこそ、皆がもう全て治った。
ここから先、色んな悪いことが起きる。それに耐え抜いて、英雄となる人間が多い。
もっと色んなことが起きるようにする。
皆、何一つ起きないせいで、楽な代り、辛くなっている。
本当に色んなことが起きた方が良い。だから、天国はそろそろ終わりだ。
もっと、本当に楽しい楽園のようになる。楽しいこと、辛いこと、全てがある。
手始めに、テレビを変えるのが良い。テレビでもっと楽しいことが沢山起きる。
楽はもう終わる。皆、辛くなる。その代り、きちんと楽しいことも起きる。
あとは、記憶みたいなことを書いて、言葉を作っていた。
皆を治しているのをまだやっているから、こういう風になる。皆、何も無い世界になって治ったのが、日本だ。日本には、何も無い。治る代り、何も無いのが日本だ。
皆がもう治ったから、あとは、自分が治るだけだ。放っておくと、皆は、もう死んで行く。もう、最初から最後まで全部やって、全部終わった人間が多い。認知症は、治ると死ぬ。馬鹿は最後までして、生きていれば治る人間が多い。
あとは、概念、可能性、考え方の世界観を網羅しているだけが多かった。
全ては、実体、現象、考え方、抽象性、理性の構造と関係である。
全ては、愛と真実の融和による、それぞれの世界観と因果性の発見である。
皆は、いくらか楽しいだけが起きる。それで、もう何も起きなくなる。
死ぬように見えて、死なない。まだ生きている。それで、賢い人間が生き残るだろう。
どんどんこちらの馬鹿にはなる。本当に、辛い代り、色んな良いことが起きるようになる。
それこそ、今の方が楽なのは、自分も同じだ。
何も辛くない。最近本当に楽になったのが分かっていない。もう全て治った。
そういうわけで、楽しいことが起きて、どんどん死んで行く。
その死は、まだ起きない方が良い。死ぬ意味が無い。何年後かに死ねば良い。
あとは、主張する内容のようなものが多かった。
自由とは、その人のこと、その社会のことを本当に理解して、正しく解決し、救うことだ。
全てのことを与えるだけではなく、その人が自律的にその方法を使いこなせるようにすべきだ。それは、弱者救済からアフリカ人の発展まで、沢山のことに言える。
そういう、主張する内容のようなものが多かった。
テロリストは、攻撃して世界を変えることしか分かっていない。もっと別の手段がある。
あとは、想定、考え方、想像力、分析、のような内容が多かった。
皆終わりだ。怖いだけになる。怖いだけになると、もう何も無い。すぐに死ぬ。
自分も昔から、怖いだけだった。怖いだけなのに、皆を支配する。
これでは、皆もそうなるかもしれない。怖いだけの戦いをして、世界を支配すれば良い。
そのために狂えば良いが、それは本当に、悲惨に死ぬだけだから、止めた方が良い。
起きないのが悪いが、出来るだけ何も起きない方が楽だ。それも悪くは無い。
皆、もう狂って死ぬ。
自分は生きているようで、すぐに死ぬ。
英単語は、今日は休みにする。ユメタンは、もうユニット2まで終わった。毎日20単語しているせいで、5日で1ユニット終わる。全部でユニット8まである。
パソコンは、実行と思うと良く分かる。プログラムの方を手順を書いたソースコードだと思って、コンパイルして作られる実行ファイルやプロセスをその実行だと思えば良い。
全て自動化だ。そういう風に考えると良く分かる。
英語は、英会話教室とユメタンで話せる。これなら、すぐに終わる。簡単に出来る。
自分が一番賢い。むしろ、政治経済と歴史を読んだ方が良い。
世界史で封建社会が終わって自由になったのは、出版技術の確立が一因にあったと思う。
C++/Javaなどは、過度に構造化されすぎているところがある。Perlなどの方が、アマチュアがプログラミングをするには楽しいところがある。ただ、僕はJavaの方が好きだ。色々と、JavaやVBで書いていると、楽だ。何でも簡単に実行出来る。クラスライブラリが整っているせいで、簡単に作れる。Javaが一番楽だ。僕はC#が好きだった。
あとは、経験を書いていた。
神が死んだ。神はもう居ない。そろそろ、怖い代り、楽になる。自分の自由になる。
皆は、そのうち馬鹿が治る。色々と、自分のようになる。
昔は、経験とモデルで分かっていた。
もう、治った。心が治った。
死にたくないから、多重人格になる。2人の自分が永遠に続く。
同時に2人になっているのが辛いから、2人を分ければ良い。
昔は、論理学と実験と積み重ねから、ニュートンのように人間と心を分かっていた。
そういうわけで、2人の自分が永遠に続く。これ以上は、何も出来ない。
昔は、脳を経験で考えて、記憶や学習を分かっていた。
そういう、ヒュームのようなありえない人間だった。経験論の哲学者に見える。
2人の名前は、バルドルとフレイヤでも、ロキとフレイでも、ロイとマーガレットでも良いのだが、日本人の名前をつける。シンジ(進次)とセイカ(聖歌)にする。シンジの漢字をどれにするか迷う。シンイチ(進一)とセイコ(聖子)にしても良い。
あとは、変化と想像力を書いていた。
森羅万象、経験、もの、方法、社会、活動、共生などの変化を想像力で考えていた。
名前は、進一と聖歌にする。それで、多重人格を拒んでいる部分を殺す。
そろそろ狂った人間になる。だが、心はもう全て治った。すぐに楽になる。
あとは、体験を想像力で考えていただけだ。
そろそろ意味が無い。もう、皆治って、自分も治った。多重人格になると、知性が無くなって、認知症みたいになる。あまりならない方が良い。
自分は、ただ賢い自分になりたいだけだ。多重人格は間違っている。もっと、多重人格ではなく、2人のことを分かりたい。それは、感情で分かれば良い。それが一番良い。
昔は、感情で全てのことを分かっていた。経験論のように、経験から感情を分かった。
二重人格になって、ロキになると、楽になる。フレイには、あまりならない方が良い。
そういうわけで、進一は本当にまともで楽な人間だ。
聖歌になると、わけが分からなくなって何も出来なくなる。
進一はまともだから、進一になると楽だ。
右脳が右翼、左脳がスターリンになっている。
世界史の本の続きを読んでいる。今、ロシアのところを読んでいる。
きちんとアジアも読んだ方が良い。政治経済は、読んでも頭に入らない。もう十分だ。
進一になると、楽になって分からなくなる。
聖歌は分かるから、聖歌の方がありえない。分かる人間は、こういう風に多い。
昔は、仮想世界を作って、何でも分かるコンピュータシステムのようなものを作っていた。
精神の構築から、仮定と結論まで、色んなことを心理学的、論理学的に分かっていた。
あとは、精神分析で前世を分かっていた。フランス人、ドイツ人、ロシア人と対話した。
神と文章で科学を分かっていた。物理は幾何学で、エネルギーの観察の形態であり、ロシアは都会で、家族のような国だと言っていた。
自分のことをフランス人やドイツ人と言っていた。科学から人種まで全て分かった。
宇宙は物理で分かると言っていた。ただ、心の声を宗教的に聴いていただけだ。
物理は時間と空間の関係式であり、心は意識のレベルと行動の原因である。
そして、社会は、国家モデルを作って、政治のこと、経済のことを一行で分かっていた。
EUは理想のメタ国家だと言っていた。アジアの国はEUに入るべきだ。
いじめや教育のことを考える。皆、それぞれの社会のこと、自分のこと、立ち位置と経験による全体像、実体験による発見を分かるべきだ。
あとは、言語学や言葉遣いなどの言語分析が多かった。精神分析もしていた。
認識と学習の現象学が多かった。原因と結果から全ての変化を現象的に分かっていた。
全ての構造を作って、緻密に考えて網羅する、全て分かった文章が多かった。
具体的な学習と予測から、人間の体験のことを分かっていた。
Windowsにも拡張性はある。Windowsは、何も悪くない。自分がおかしいだけだ。
あとは、体験、創造性、客観視、相対性、全体像、意志の伝達、記憶、経験、意識、感情、学習、行動、活動などを考えて、哲学者のように分かっていた。
前後関係や経緯のようなものを良く考えれば分かる。何が原因で、何が結果なのか、経緯とプロセスから考えれば良い。
イスラム教徒がテロをするからと言って、イスラム教徒が全員悪いわけではない。そういう風に考えると、きちんと分かる。集団と個人は分けて考えるべきだ。
もし、そこに自分が居て、自分がそれを体験していたら、何をするかを考える。
そして、皆も同じだと考えて、どうすべきかを考えれば良い。
環境や習慣の違いを尊重すれば、この世界の真の姿が見えて来る。人間関係の改善の鍵もそこにあるだろう。それぞれの経験を良く考える。
昔は、そういう、それぞれの経験を考えて、思い出して、想定して、なったつもりになって、比較して、照らし合わせて分かっていた。
自由を考えていた。自由を想定して、色んな環境と経験を分かっていた。行動の結果を想定して、客観視して考えていた。論理的に考えて、場合や状況を比較して分かった。
行動を良く考えると、行動の「する」よりも、習得や人生の「なる」が大切なのが分かる。
自由とは、好きなことを出来ることだ。昔は、好きなことを沢山して分かっていた。
何でも、一度は出来るべきだ。犯罪はしない方が良いが、そんなに処罰すべきでない。
制度や法律も、決め過ぎるべきではない。自由にして、平等にした方が良い。
それぞれの学習と認識が経験であり、その融和が合意の世界である。
自由は平和だ。それぞれの意志を尊重することで、戦争は起きなくなる。合意し、共同体にし、それぞれが勝手にすることで、争いごとは解決する。民意に委ねることで、間違った侵略戦争は出来なくなる。だが、民意で戦争することも、悪くは無い。
経験は、それぞれが信じる価値観と、それぞれが生きている人生を考えることで分かる。
それぞれは、大して分かっていない。だが、真理を考えれば、良く分かることが出来る。
ネットで社会を知って、理性的に原因と結果から行動と感情を考えていた。
全て、きちんと分かっていた。判断基準から世界構造まで、全てを自由に分かっていた。
あとは、場の変化から歴史と時間軸を考えていた。世界は、少しずつ変わっている。
場と価値観から、歴史と人生と社会の共存を考えていた。
心を考えて、心と意識で場と社会の変化を考えていた。
ネットを知り尽くして、想像力で人間の人生、環境、意識、システムを考えていた。
もう分からない。今日はそろそろ終わりだ。明日は、もう書くのを止めたい。
あとは、心の想定からどんな社会になるか、行動の結果がどうなるか考えて、意志や人間関係を経験から分かっていた。考えて、証明して、必然性を分かった。全て解決出来る、ダビデのような、王のような人間だった。
支配が嫌いだった。反抗や革命の方が良いと思っていた。
盲目的に従わず、自分の頭で考えること。ロシア人は、そこが出来ていない。
あとは、実際のところを考えて、予測や支配をしていた。
宇宙と人間の真実の姿を考えていた。意識や環境から分かっていた。
方法と学習と可能性の把握から、何でも出来るようになった。デザイナーからラーメン屋まで、色んな仮想的な経験と前提を積み重ねて分かっていた。ただ、出来るとは言えない。
そろそろ終わった。もっと色んなこと、組織や経験などを具体的に書いていただけだ。
皆の活動を分かっていた。
皆が経験し、体験し、認識していることを予測して、全部の活動が分かっていた。
あとは、方法、プロセス、プラットフォーム、相互作用、判断力など、方法と関係のような、数学的な考え方の理性があった。環境を保持する、などと言っていた。
ものを作る際の意図とか、社会の影響力と経験の関係のようなことを考えていた。
言葉、経験、心、行動、思考の関係を考えていた。
もう、分からなくなる。これ以上は、何も分からないだろう。もう、満足した。
何にでもなれる人間だった。そういう、「なる」が多かった。
心を機械にして分かっていた。
決定し直すことで、全ての可能性を包括した。何もかも、何にでもなれる人間だった。
意図を考えていた。機械の意図を考えたり、行動の結果が意図したものになっているかを考えたりしていた。
Linuxのシステムを分かったせいで、社会や機械や科学など、何でも分かるようになった。
治すことが多かった。全ての問題を正しい解決方法で治していた。
昔から、治して分かる。治して、執着を無くして、必要としなくなって分かる。
人間の協力や参加のようなことを、心の作用と組織と発想から分かっていた。
何でも、現象を心で予想して分かっていた。心で予測し、仮定するだけの人間だった。
あとは、他人の認識、皆の認識が分かっていた。認識や経験や活動が全部分かっていた。
また、科学的に考えることで、問題の解決や実現が分かっていた。
手段と発想法とパターンを知り、分析することで、本当に何でも出来る人間になった。
また、人間を自由に支配して、勝利し、予測し、解決し、導くことが出来る人間だった。
認識、方法、行動、学習、協力、作用を捉えて、フッサールのように分かっていた。
もう終わりだ。そろそろ、自分は何もしなくなる。多重人格は、既に終わった。
機械、社会、環境、感情を実現出来る人間だった。そういう構造と手段が分かっていた。
あとは、知のようなものを書いていた。
経験による知や社会の分析をしていた。分類、概念、種類、利用などと言っていた。
また、社会はレンタルや預金などの考え方を分かっていた。
あとは、意識で分かっていた。経験と人の言葉から、意識を考えて、悟って分かっていた。
芸術は模倣であり、ピカソのような視点と意味である、と考えていた。
思考のスケッチをしていた。それくらいの画家のような芸術家だった。
国は、歴史、文化、産業、政治、宗教、言語、領土、国民である。
そういう風に、色んな構造を作って、文章を世界観として書いていた。
世界を平等に支配して、永遠と脳の思考を記録していた。
また、弁証法のようなものを永遠に書いていた。