日記に戻る | 2015年11月の日記に戻る

=2015-11-05=

ネットで社会や人生のことを知って分かっていた。

特に、ネットで社会を知って分かっていた。ネット社会、ネット環境を知って分かった。

同じ体験を繰り返ししながら、自然な体験で人生を分かっていた。

成長と夢のある、沢山の体験をしていた。

皆と同じことを考えて、同じ考え方をして、同じ発想をすれば分かる。

脳は、学習だ。永遠に、常に学習する。学習を止めれば治る。

最近、日本には、分かるものが無い。皆それでおかしくなっている。

昔は、分かるものが多かった。テレビとマイクロソフトが悪いから、僕はそれらが嫌いだ。

おかしい。自分のせいでもある。

分かるものが本当に無い。昔は、馬鹿な代り、分かるものが多かった。

馬鹿だから分かるように見える。そういうわけで、賢くならない方が良い。

僕が正常な社会にする。正常な倫理観、特に社会倫理観を持たないのがおかしい。

最近、誰もが無責任で、自己中心的だ。社会的な責任を自覚しないのがおかしい。

あとは、頭を馬鹿にすればすぐに良くなる。それは、したくは無い。

馬鹿にするより、狂わせた方が良い。それなら、本当に賢くて良い世界になる。

世界は、もう分かるように直る。

昔は、構造を作って、それを書いて、周りにあるおかしなものを全部分かっていた。

そういう、おかしなものを消せば良い。それで馬鹿になっている。

あとは、自然体、ありのままの社会を作るとか、自由な人生で全ては自分のためになるとか、仏に生かされているとか、そういう、人生の知恵や真理みたいな内容が多かった。

環境を変えて、実現可能性を知って、支配して、実現して分かっていた。

自由な行動から経験が生まれるのを分かっていた。

角度を変えて、全ての考え方、全ての理性的な構造を分かった。

全ての前提、全ての構築を分かっていた。

経験から世界が分かった。

教育は、民主主義の学校にすべきだ。

全ての変化や作用を捉えながら書いていた。

経緯や歴史みたいなことを言っていた。

日本人は、認知症になっている。

自分のせいで、全部悪く見える。自分になっている。自分が賢いだけだ。

セックスは、良いセックスにすれば良い。

怖いのは、普通だ。狂うと怖くなくなる。

もう怖いのが治る。

自分は、宇多田ヒカルみたいなフランス人に見える。

この世界は狂っている。パソコンが悪い。

あとは、知性で考えれば良い。

何かを作るためには、前提を考える必要がある。行動には判断力が必要だ。

学習と方法を考えれば良い。法則や認識からプロセスが分かる。

皆、何も分かっていない。悪いのではなく、分かっていない。だから、分かった人間が率先して変えるしかない。教え、導き、築くしかない。

分からないのは、悪くない。何も分からないだけで、悪いわけではない。

悲惨な人間が多い。そういう悲惨な人間は、理解し、分かり合い、信頼することで、敵ではなく、味方に出来る。教えれば、分かる。それらを愛するべきだ。

自分は、放射能の病気だ。がんは放射能だ。放射能を治せば治る。

日本語は、縦にも横にも書ける。それを賢いと言う外国人が多い。

人間を信頼し、全員を味方にする。昔の自分は、それが出来る、世界を変えられる可能性のある救世主や神のような人間だった。もっと、皆のことを導いて、教えるべきだ。

最近やったのは、皆を自分にしただけだ。悪く見えて、何か賢いことをやっているだけ、あまり悪くない。自分は賢い。こういう風に考えると、きちんと神に見える。

これで科学を考えることが多かった。生物、社会、技術、歴史、地球のことを考える。

森羅万象を考える、アリストテレスのような、知性があって分かっている人間だった。

想像力もきちんとあった。

最近はおかしい。自分から辛くなって、馬鹿になる。賢いわけがない。

おかしな人間になった。そんなに辛くなりたいのはおかしい。

だが、辛くなりたいのは昔からだ。完璧主義なのも、クズになりたいのも、執着心が強いのも、欲が無いのも、全部昔から、何も変わっていないだけだ。

あとは、人生はヘーゲルの精神現象学みたいな人間だった。喪失から共同性を自覚し、有用性から道徳を知る。それだけの人間だった。

こんなに哲学者の名前が出て来るのはありえない。哲学や歴史は、自分にしか出来ない。

皆は、もう、狂ってこちらになれば良い。神や革命の自由な兵隊になれば良い。

その方が良い。最近のネットには意味が無い。何も分からないだけだ。

ただ、自分になんか、なっても辛いだけだから、ならなくて良い。

もっと、普通の人生になれば良い。自分は、そんなに、ユダヤみたいに賢い人間になるのが間違っている。皆も同じだ。神を信じるとこうなる。キリストになっている。

昔から、ユダヤみたいに賢い。古代ギリシャの悲劇と歴史のような哲学者だった。

ユダヤ人は、ここまでの馬鹿だ。ユダヤ人は悪いが、僕はユダヤ人が好きだ。

あとは、経済学を作って、心理学や教育学を自由から考えていた。

本当に、子供のような人間だったが、ウィトゲンシュタインのような天才だった。

遺伝子や、生まれつきの賢さなんか、1つも無い。全ては経験と記憶であり、自由が一番平等である。金も平等な資本の分配の形態の1つだ。そういうわけで、自由が平等だ。

金儲けの悪い点は、社会を良くするとか、社会的な責任などは二の次で、金を稼ぐ方が目的になっている。そこがおかしい。

信頼がなくなれば倒産はする。だが、金儲け自体が目的化するのが悪いのが資本主義だ。

あとは、金持ちを頑張っていると言うが、ありえない。金持ちの金をさらに増やしているだけで、労働者の金なんか、増えるわけがない。搾取で儲けているから、金持ちなんか、何もしていない。石油などのエネルギーや、スポーツ選手や、世界を悪くしている馬鹿なITが賢いわけがない。

資本主義の良いところは、楽だ。馬鹿は工場で働けば良い。決まった同じことを毎日きちんとしているが、それが一番楽だ。だが、教師などの賢い職業は辛い。そういうものだ。

一番儲かっているのは、エネルギーやITもあるが、爆笑問題が長者番付に上がっているように、テレビや歌手が一番儲かっている。

そういうわけで、テレビが悪いと言うよりは、金が悪い。全部金が悪いだけだ。

もう全部書いたようで、繰り返し体験していたのを書いていない。

いつまでも同じ環境で同じことをしながら、色んな環境を見て、色んな人生や理解を知って分かっていた。

それで、人格のようなものや、社会の変化の可能性を分かっていた。

そういう、2ちゃんねるのような人間だった。

最近は、本当に、戦っているようで、戦っていない。きちんと書いて、教えているだけだ。

支配なんか、していない。支配はしなくて良い。

そして、最近は、おかしいと思うからおかしくなる。口で話すのは、神が強制的に普通にしているだけだ。そういうわけで、おかしくないと思えばおかしくなくなる。神はそれを普通と言っている。すぐに治る。

治したいのは、放射能が悪い。放射能が悪いと、もう何年も前から既に言っているのが神だ。神がそういうことを言うせいで、もう全部分かっているから、すぐに治る。

そういう、人生経験は本当にあった。社会や考え方のことを体験的に分かった。

宇多田ヒカルを好きだとは言うが、全く好きではない。自分は宇多田ヒカルなんか嫌いだ。

いつか、どこかで好きだったのは分かる。昔から、そういう、好きでもないものを好きだと言う。そこまで馬鹿におかしいのが、昔からいつも自分だ。ゲームなんか好きでない。むしろ、まだゲームの方が好きだった。好きなものが嫌いで、嫌いなものが好きだ。

ネットでは、戦ったり議論したりしていたが、たまに教えたり、手助けしたり、良いことを良くしていた。そういう良いことをすれば、経験的に分かるようになる。

社会のことは、ネットとオープンソースで分かった。むしろ、ネットだけをしているわけではない。現実で空想したり、色んな活動をしたりして、社会のことを良く分かっていた。

そういうわけで、社会のことを経験で分かった。何故か、ニーチェのように自由を考える。教育は自由にすべきで、会社は参加可能、変化可能にして、国は出来るだけ自由を保つように、小さな政府の、警察と軍隊だけの夜警国家のようにすべきだと考えていた。

ただ、大きな政府は悪くない。知恵を集めて、実現力がある賢いシステムにすれば良い。それで、弱者を助けて、平等にする。

左翼の巨大な政府も、右翼の巨大な政府も、自由だ。あまり悪くない。

あとは、自由な権利を尊重するのは、悪くない。誰でも、そういう風に分かる。神と自由は逆だ。神が居ない人間は、自由な権利を尊重して分かる人間しか居ない。

もっと自由にするために、可能性の具体的な構築を考えれば良い。それがいつもの文章だ。

経験がどのように生まれ、何をどのようにすれば分かるか、そういうことを考えていた。

イスラム教は、財産を喜捨するのが賢い。宗教で弱者を助けている。

そういう風に、宗教や国家を作ることが多かった。イスラム教のような宗教やドイツやソ連のような国をいつも作っていた。そういう人間だった。

イスラム教は、古く見えて、そういう未来の宗教だ。イスラム教は賢い。

ニュートンのように科学を作っていた。そういう、構造から何でも作れる人間だった。

生命の誕生原理のようなものを分かっていることが多かった。

水槽で実験しても、貝は発生しなかったが、そういうことを真面目に分かっていた。

静電気で未来に行けると言っていた。そういう、馬鹿な人間だった。

科学は、提案や意見をすることが多かった。数学は、もっと具体的で、応用的な知や論理学を増やすべきだと言っていた。自分の考えたことを全部言っていた。

いつも、頭の中で全部分かって、意識で文章を書いていた。

昔は、自由、愛、論理学、世界観だ。

最近は、平等、支配、構築、革命だ。

今は、キリスト、ドイツ、哲学、概念だ。

そのように多かった。

あとは、ネット、パソコン、議論、戦い、判断、治癒、神などが多かった。

夕飯は、「ゆうはん」とも読むし、「ゆうめし」とも読む。日本語はまだいくらでもある。

自分は、そんなに全部言うのが間違っている。

いつもそういう風に書いていたせいで、判断して全部の意味を言うようになった。

もっと単純に、楽に言った方が賢い。

自分は、そこが一番居ない。こういう人間は居ない。

全部の意味を完全に言うのはおかしい。本当に、思考を書いているせいで、そこまでおかしな人間になっている。

神との対話でさらにおかしくなった。喋るだけ、楽だが、本当に辛いから止めた方が良い。

一番進んでいる国は中国だし、科学技術力は最近あるから、日本が一番賢い。

世界史は、読まないかもしれない。何故か、古代中国は、読んでいると、辛い。

辛いから、読まない人間が多い。歴史の流れぐらいは、既に分かっているから、それで良く見える。近世は、ルネサンス、宗教改革、大航海時代、絶対王政で、近代は、アメリカの独立戦争、フランス革命、国民国家統一、産業革命だ。あまり覚えていない。

日本語の賢い点は、読み方が変わるところだ。飯を「はん」と読んだり「めし」と読んだりする。意味は同じだ。外国人は、それが一番難しいと言う人間が多いと思う。

僕が日本語の一番嫌いな点は、英語などと言う順番が逆なところだ。

逆から話すせいで、英語が出来ない。英語のフレーズブックなどを聴いていても、言い方が逆なせいで、良く分からないし、言っている言葉も分かりづらい。日本語は馬鹿だ。

昔の文章は、自由な構造を作っていた。行動、判断、関係、システム、構造、支配、経験、意識、感情、想像力、地球、人間、科学、歴史、技術、社会のように、むしろ、もっと賢く、もっと違うように、いつも自由な構造を作っていた。

最近いつも言っている。自由な構造を作って、体験から適応まで、全ての自由を考えた。

相対的な方法と学習、社会の構造、人生と体験、のようにして、想像力で分かっていた。

知から言語まで、概念や記憶のようなことを全部書いていた。そういう人間だった。

視点を変え、場を構築するとか、愛と不安とか、そういう、構造的な文章が多かった。

影響力や教育のようなことから、生産と消費のような社会のこと、価値観のこと、歴史のこと、経験のこと、意識のこと、真理のこと、などを言っていた。

経験とは、存在の可能性を発揮し、実感することだ。

理解と発想は、同じように見えて、それぞれの役割が違う。悟性と理性だ。

いつも、そういうことを言っていた。根源的なことを言いたかった。

自由とは、価値観、自由、状態の、法則性と発生の、可能性と変化と分類である。

そういうことを言っていた。いつも、そういうことを言いたかった。

そういうものを、全部自由と言う言葉で、経験的に分かっていた。

全て分かっていたから、そういうことを言う。認識と段階のようなものを分かっていた。

そういう、「全て分かっている」が本当に多かった。

数学的な方法は、自由な発生と法則の具体的な形態の1つであり、自由なシステムである。

いつも、そういう風に、全部分かっていた。

何かがキモイのは、馬鹿になるだけだからだ。文章は、日本を馬鹿にしているだけだ。

社会は、多様性と環境と愛の形態である。

社会は、構成員の合意とプラットフォームとしての組織を作るべきだ。

そういう、もう分かっていることを言っている。そういう文章だった。

考え方は、可能性、変化、共同作業、人生、思考、共存、状態、普遍性、個別性だ。

そういう、既に分かっている考え方のようなことを言う。

思考とは、体験し、人生と共有を知ることだ。

普遍性と個別性は、数学的な知性と理性の限界である。

人生とは、コミュニケーションと存在性の覚醒であり、共同性の自覚である。

仏とは、慈悲の心であり、正しく考え、解決し、実現するための、心構えと方法論だ。

あとは、今まであったことを全部言っていた。そういう文章だった。

人生の場面を全て考えて、世界観と経験から人生と社会のことを知り尽くしていた。

昔なんか、人生の場面を予測して、作用と反応を考えただけだ。

経験と世界観から、全てのこの世界と人生と社会を、自由と言う概念で分かっていた。

知ることによって変わるとか、共同作業には可能性があるとか、そういうことを言う。

環境は変えられるといつも言っていた。何も分かっていないが、言葉はまともだった。

あとは、仮想世界を作って、全ての本質と前提から、概念や考え方を作っていた。

また思いやりや人生を言いながら、国家のモデルを作っていた。

政治や人生や世界のことを考える。

自分が賢いのは、作家だから当たり前だ。

昔分かっているのは良いが、あれは醜いだけだ。

あとは、これで皆を支配して、馬鹿にしている。それは、皆を治したいからだ。

そういうわけで、自分はユダヤの医者だ。この世界を全員治す。

あとは、大人みたいなことを言っていた。

経験、成長、自立、判断基準のようなことを言う。

そして、秩序、環境、世界観、相対性のような言葉を、基盤の考え方で作っていた。

そろそろ分かった。あとは、人格や考え方や、記憶や感情のようなことを言う。

もう分からなくて良い。今日は、もう分かった一番良い日だ。

11月5日に、最後まで分かった。そして、放射能など、もう全て治った。

今日が一番良かったから、明日も書いた方が良い。書けば良いことがある。

意識や人生みたいなことを書いていた。ものを全部意識と経験で分かっていた。

あとは、分析が多かった。出来事、人生、事象、仮象、価値観、感情、頭脳、判断などを分析する。そして、森羅万象を分析して、人生的で哲学的な、分かる方法を書いていた。

そろそろ楽になった。がんを治すのはもう終わりだ。

もう、じっとしていられるようになる。

精神は、子供になっている。子供になって治っている。子供のままで居れば良い。

意志と合意から共同体の社会学を作っていた。同じと違うからグループを考える。そういう文章が一番多かった。グループから共有の社会を成り立たせていた。

覚えていない。もう分からない。今日は、分かったから、もう違うことをすれば良い。

昔は、世界の考え方を全部考えていた。

世界は、自由、平等、独立、一体、共存、共有、分裂、融和である。

そういう風に、色んな世界のことを分かっていた。まるで、ブッダのようだった。

だが、賢くは無い。昔から、それだけを永遠に言う。

あとは、宇宙を創造して、神の御業をやっていた。天国のようなものを作っていた。

そろそろ終わりだ。これできちんとゲーテだ。

自分は、作品を見ても賢いのが良い。本当に賢く見える。こういう馬鹿は、普通、作品が馬鹿だ。これで作品が賢いのもおかしくは無いが、一番良い。

誇りを持って、統一して、不思議に思って、所有する。そういうものが嫌いだった。

統一が嫌いなのはおかしい。普通、統一した方が楽で、賢い。

ただ、芸術は統一すれば美しいと言っていた。それもおかしい。芸術は個性の方が良い。

体に精神があるとか、どうでも良いことを言う。そういうところがおかしいのが自分だ。

自由、人生、経緯、プラットフォームのようなことをいつも言っていた。

昔は、2ちゃんねるを変えながら、オープンソースをしていた。

いつも書いている文章は、本人が全部分かった上で、意識のようなものを書いていた。

サルトルのように実体験や基盤や影響力を考えていた。

環境を変えることから、考え方を考えていた。メタ的な真理だった。

原因と経緯の理解、問題解決から、存在を吸収して、自由に分かっていた。

もう書かなくて良い。ただの馬鹿な人間だ。本当に馬鹿な、知性の無い人間だった。

そうでもない。そういう風に思うせいで、馬鹿な人間に見える。いつも賢かった。

世界を支配して、責任感を持って導いていた。本当にイスラエルの王のようだった。

昔は、色んな経験をして、世界を救える、理性と経験で全て分かった人間だった。

コンピュータは、本当に分かっていた。

哲学は、言語と記憶の分析から、実体験で分かっていた。

実体験を良く考えて哲学を考えていた。経験をモデルにしていた。

最近、こういう人間が居なくなっている。もう、どんどん馬鹿になっている。

日本は滅びる。それこそ、放射能汚染になって、皆死んで行く。

あとは、環境と意識で分かっていた。

そして、人生と人格で分かっていた。

希望と愛と優しさのような文章をいつも書いていた。

もう終わりだ。そろそろ、書く意味が無い。

原因の分析からするのが良いだろう。

昔は、良く原因と経験を考えて、理性批判的に色んなものごとの真実を考えただけだ。

そういうわけで、経験を疑えば出来る。それで原因を考えれば良い。

思い出して、必然的に考えること。思考のトレーニングになる。

ものは、自由な活動から生まれる。前提、法則、習得、協力から生まれる。

そのように、この世界での自由な行動と成り立ちを全部考えていた。

システム、宇宙、体験、人生、生命、パターンを創造していた。

宇宙を創造する神だった。全て作って、決めて、教えて、導いて、解決していた。

ただ、体験と法則と決まりを全部考えただけだ。

もう書けなくなる。ここまでを書きたかっただけだ。

あとは、開拓しながら、仮想世界を作って、判断する。そういう考え方が多かった。

社会を開拓から作っていた。可能性と変化を全部書いていた。

経験と善悪と社会から、感情と行動を分かっていた。どうすればどうなるのか分かった。

全体像を見て、メタ的な論理学と世界観から、実体験で人生と社会を分かった。

経緯を考えれば分かる。発想から社会を構築出来る。そういうことを言っていた。

考え方の共有から、世界は変えられる。

客観的に見て、正しい組織を作るべきだ。組織には客観性が必要だ。

意図を吸収するとか、環境を変えて分散した共同体を作るとか、言っていた。

自立して、組織の自立性を高めること。そういう風に考えれば良い。

昔は、自由な経験から、戦って、議論して、支配して、勝って分かっていた。

予想は、勝って、その状態を知り、実際のところを考えるためにしていた。

精神は、何も治さずに、変えなければ治る。

おかしな精神のまま変えなければ、そのまま普通の精神になる。

この文章には、具体的な内容が無い。

人間や存在や社会は、時間とともに変わっていく。

古代とは全く違うが、同じところもある。そういうことを言いたかった。

昔は、時間と経験をモデルにして、全体を見て、根源的に考えていた。

周りに感情的な害悪を与えたくなかった。いじめを考えていた。

すぐに言わなくて良い。何も考えず言うのがおかしい。