日記に戻る | 2015年11月の日記に戻る

=2015-11-22=

昔は、環境を心の中に沢山作って分かっていた。

環境や精神を作って分かっていた。

環境が怖いだけだから、環境と思えば治る。

皆が自分を出来なくなるのが怖い。それこそ、もう出来なくすれば、楽になる。

役割、能力、対処法、本当の理由と法則を考えて科学を分かっていた。

自由な行動を積み重ねて、論理的に分かっていた。

皆を導いていた。全て分かるように、支配して導いていた。

植物は、放っておいても勝手に育つ。

水は、循環する。

それが何なのか分からなくても、どう出来るのかが分かってしまえば良い。

足は、治るわけがないが、脳を治すと治る。

むしろ、この文章を書かなくなれば良い。

白人は悪い。イギリスは、インドに対して悪魔のような植民地支配をしているし、アフリカでは、奴隷貿易によって、アフリカの歴史を何世紀も後退させている。

だが、奴隷が欲しいのは、おかしくは無い。今のように、便利な家電製品は無かった。奴隷が居なければ、まともに楽な生活は出来なかった。

もう、そろそろこの文章は書かない。それで、もう楽になるが、世界が滅びるだろう。

自然な環境や基盤のようなものを作っていた。自然に自動的になるのを考えていた。

帰納法や演繹法のような、カントのような考え方をいつも書いていた。

経験から理性を分かっていた。状態や見方と言っていた。

現代史は、まだ読んでいない。読まずにアフリカを書いている。

むしろ、家電製品が無いから奴隷にしたようには見えない。植民地支配だから、プランテーションをやっているように見える。奴隷の労働が過酷なことには違いは無い。

あとは、キャバレーに黒人が居たりするのがフランスだ。悪いとは言うが、そんなに悪くは無い。ただ、奴隷が欲しいだけだ。金で人間を買うのも悪いが。

自由、自然、環境、考え方、帰納、網羅、のようなことを言う。

経験的、帰納的、物理的、相対的な、経験から来る発見の方法のようなことを言う。

ネットで色んな人間の言っていることを見聞きして分かっていた。社会を見聞きした。

売り買いのシステムなど、相対的でプラットフォーム的な考え方を全部言っていた。

頭の中で全部分かっていた。考え方を全部書いていた。

何でも書ける人間だった。

平静を装うのが悪い。動くのが全部辛い。動かずに、止まっていれば楽になる。

昔なんか、ロバだ。ロバが居ないと、何も出来ない。誰でもロバが欲しい。それが歴史だ。

帰納は、昔本当に分かっていた。

経験から共通性を見出して、いつも同じ法則から実験して分かる。

そして、説明し、視野を広げ、気づいて分かる。そういう、物理学的な心理学が多かった。

ために、よって、ならば、もし、などの言葉遣いや、しかしながら、何故なら、などの弁証法で分かっていた。それがそれで、それもそれなら、同じだ。それで、仮説が成り立つ。実験して、正しさが分かる。そういう風に考えていた。

今日は辛い。もう、この文章は止めれば良い。ただ、平静を装うのを止めた方が良い。それで、世界もすぐに自分が居るのが分かる。それで終わりにすれば良い。

カントが賢い。かもしれない、でなければならない、と言っている。

それから、ヘーゲルなどは普遍性と個別性と言っている。それも、カントが既に、いくらかの、全ての、1つの、と言っている。そういうところを考えるのが哲学だ。

カントは、善意志が善であると言っているが、カントだけそこまでまともなことを言う。

自由な因果性なんか無くて、自然で決まっているように見える。カントはそれを考える。

共通性から法則を発見すれば良い。

モデルを作って考える。昔はそういう人間だった。

自分は、何でも分かる人間になって良かった。

不思議と、平静を装うのを止めると、もう何も辛くない。完全に楽になった。

ただ、今日は辛い。そろそろ書かなくなるせいで、もう辛い。

実際のところから説明するのを書いていた。それくらいしか書いていない。

だから、認識の法則や精神の法則、客観的な法則と想像力による像の視点が多かった。

そういうものしか書いていない。本当に分かっている神のような人間が自分だ。

最近は、そこまで神の体験があった。あまり覚えていない。ただの地獄だ。

あとは、人生を分かっていた。段階的な人生を全て分かっていた。

思いやりを持って、ありのままに生きる。それが理想だと言っていた。

自然体の精神から、全ての自由な考え方を知る。そういう思いやりの社会を言っていた。

怖いのは、何もしないからだ。

精神の法則のようなものを、考えて、実験して、発見すれば良い。

昔は、ネットで分かっていたが、ネットは要らない。皆あまりに馬鹿だから、見ない。

それこそ、自分の精神の成長、法則を分かっていると、ヘーゲルみたいになる。

ヘーゲルのように、精神の現象を考えれば良い。自然と、成長するようになる。

精神が、いつ怖くて、いつ楽なのかを考える。そうすると、何もしないせいで、常に辛くなっている。何をすれば楽なのかを考えれば良い。そこには、原因と条件と方法がある。

昔は、メタ論理のようなものを考えていたが、そういうものは全部パソコンの影響だ。

何か、昔あったものが怖い。過去の何かが怖くて、自由になることを防げている。

精神病は、そういう風に考えると分かる。

何故か、ありえないものが怖い人間が多い。心理学的に経験と認識と恐怖の原因を考えれば治る。だが、それは間違えると、本当に狂った人間になる。あまりしない方が良い。

何かが心のたがになっている。それは、学校時代を思い出すしかない。テスト勉強や剣道部が悪かったように見える。それこそ、猫がいつも食べ物を吐くのが一番悪い。

ロボットになって、馬鹿になりたいのは、ゲームが悪いように見える。

どうでも良いが、親がおかしいように見える。分からない。親とゲームが、何か悪い。

いつもの怖い戦争が怖いだけだ。その前のネットも怖い。

怖いと、足の精神が治る。だから、怖い方が良い。治していると、狂う。

もっといくらでも怖くすれば良い。そうすると、怖くなくなる。怖くないと、怖い。

怖いと、すぐに治る。

怖いと良い精神になる。昔は、そういう、怖い良い精神の人間だった。

怖くないのが怖い。怖いものは誰でもある。怖いものが何も無いと、怖くなる。

あとは、実地的に、スラムの社会で分かっていた。全てが分かった。狂っているだけだ。

そういうわけで、戦った方が良い。戦っていると、良い精神になって、病気が治る。

ただ、戦いたくはない。本当に怖いだけになっているから、戦争はしない方が良い。

治るのが怖いだけだ。それが正しい。

昔は、段階や方法や考え方のようなことを全部言う。

社会と人生における、考え方や段階や経緯や方法のようなことを言っていた。

そういうわけで、段階と経緯が全て分かっていた。

場の変化のようなことや、相対性の発見のようなことを言う。

そして、人生の根源的な記憶と場面のようなことを言っていた。場の文章だった。

あとは、もうすぐに治る。怖いだけですぐに治るのが、精神だ。

戦うなら、アメリカを倒せば良い。フランスもイギリスも倒した方が良い。

それら白人の国は悪い。アジア人を奴隷にする。白人なんか、嫌いな方が良い。

右翼は悪い。右翼は、反抗して、敵対して、憎しみ合って、復讐して、全てを破滅へと向かわせる。そこが分かる人間が多い。

自分は、これで左翼だから仕方ない。ドイツ人の左翼と言うよりは、ロシア人の右翼だ。

あとは、アメリカが良い。マルチカルチャーで民主主義が正しい。本当にアメリカが良い。

だが、僕はアメリカを倒す。イギリスやフランスも倒す。それですぐに楽になる。

それらの国は、嫌いではない。むしろ、それらにも良い方が良い。それは正しい。アメリカを倒したいのが一番右翼に見える。民主主義のアメリカは、何も悪くない。

左翼を反抗的だと言うが、右翼の方が反抗的に見える。アメリカと一緒に右翼を倒す。そうすると、楽になる。日本とソ連が勝てば良い。ドイツは仲間だ。

ただ、日本、ドイツ、ソ連は怖い。全体主義の秘密警察国家に見える。

そういうわけで、それらも嫌いな方が良い。

好きなのは、戦後の新しい日本と言うことにすれば良い。

それこそ、僕はアメリカが好きだ。それも悪い。アメリカなんか、嫌いな方が良い。

アメリカには、食べ過ぎてデブになった、中産階級の馬鹿が多い。一番キモイ。

良く考えると、一番賢いのは広島だ。

核兵器で一度廃墟になったのに、復興している。日本人は、滅びない。

あとは、名物が多い。広島風お好み焼きや、宮島、それから原爆ドームなど。

こじんまりした地方都市だが、路面電車が良い文化になっている。

広島が廃墟から復興しているのは、驚く外国人が多い。日本人でも驚く。

広島は滅びない。滅びても、全員の力で復興する。それを見ていると、本当に、人類の偉大さが分かる。広島は、そういう、偉大な日本の都市だ。ただ、東京は右翼だ。

広島人にしか分からないが、東京とは、路面電車と地下鉄が良く似ている。

広島は、路面電車だけの町だ。プロ野球のカープを応援している馬鹿が多い。

広島は、良く見えて、ヤクザやチンピラが多い。だから、そんなに良い町ではない。

アメリカには核兵器を廃絶せよといつも言っているが、アメリカ人が嫌いな人間は居ない。平和だから、まともにアメリカ人などの外国人と交流する。それが一番ありえない。

広島に英語が多いのは、外国人から見て悲惨に見えるが、何も悲惨ではない。

広島は、国際的な良い町だ。

ただ、ものは少ない。何も無い。遊んだり、騒いだりは出来ない。流行にも遅れている。

広島は、日本の良い点がそのまま受け継がれている。財布を無くしても返ってくるし、銃も無くて、治安も良い。

だが、日本と同じように、いじめが多い。広島人は、弱者なのに弱者をいじめる。いじめが本当に多い。学校が左翼みたいに滅びている。知らない人間が多い。

広島は、自分のせいで自分になっている。そのせいで、超賢い人間が多いのが広島だ。本当に、そこまで賢い人間が多い。広島は、天国みたいな楽園だ。

広島は、学校で平和教育をしているが、それはただの洗脳だ。それこそ、自分の何が悪いかと言うと、広島の洗脳教育が悪い。親が教師だから、そのせいで狂っているのが自分だ。

分かって良かった。広島の洗脳教育が悪いのが自分だ。それでおかしくなっている。

そろそろ分かったから、もうロボットが治る。

昔が思い出せる。ネットの経験と創造性と意識で分かっていた。

演繹と帰納から、受動と能動のようなことを、ネットで分かっていた。

あまり賢くなかった。それでも、きちんと分かっていた。

神とは言うが、全て自分がやっている。そういうところが分かる人間が多かった。

ユダヤ人が考えていて、ドイツ人は太陽のように大きい。自分は、ユダヤ人とドイツ人だ。そういうことを、神が言う。ドイツに神が生まれると言っていたのは、この文章のことだ。

そろそろ足が治った。

自由を平和だと思っていた。自由は平和で、発展して、合理的である。

自由に共有することで、世界が変えられる。そういうことを言っていた。

学校の洗脳教育を消すと、知的障害が治る。

学校はそこまでの馬鹿だ。それで日本語が分からなくなった。

ありのまま、自然体になって、人を許し、許可するのが良い。そういう自由だった。

学校を消すと、本当にまともな人間になる。全部学校が悪い。

昔は、学校が嫌いなのに学校が好きだった。それで狂っていた。

本当に気持ちの悪い人間だった。おかしな、キモイ人間だった。

ただ、反抗から従属まで、全部のことを分かっていた。自分の体験から分かっていた。

抑圧に対抗して、解放し、差別に対抗して、受け入れる。そういう人間だった。

右翼は悪くない。広島の方が悪い。そういう風になったのが、最近の自分だ。

ネットが右翼の東京なのに、現実が左翼の広島だ。昔は、そういう風に狂っていた。

そのせいで、オープンソースになった。全部そういう風に、右翼なのに左翼だ。

それこそ、広島には自由が多いようで、居ない。自由なんか、おかしいだけだ。

広島の洗脳教育と言うよりは、2ちゃんねるで左翼がおかしい。革命家で右翼なのもおかしい。そういう風に、全部殺し合いみたいに悪いのに、平和主義者だ。一番おかしい。

イスラム教の一夫多妻制は、おかしくは無い。男が女は、そういう風にしか愛せない。

ただ、イスラム教はおかしい。世界宗教となるためには、おかしな点が多すぎる。

昔は、経緯や原因を考えて、自由に人生を分かっていた。

何故か、そういう賢い人間は居ない。何も分からない馬鹿しか居ない。

自分しか賢くない。皆馬鹿だ。

仏教は、日本しか信じていないように見えて、東南アジアでも信じている。

中国のチベット自治区でも、信じている人間が多い。

ただ、世界宗教となるためには、おかしな点が多い。

そういうわけで、キリスト教で世界統一するしかない。それも悪いと思う。

昔は、中国やインドでも仏教を信じている人間が居たが、はるかに昔の話だ。

アジアの宗教は、仏教とヒンドゥー教だと言われる。西方のユダヤ教、キリスト教、イスラム教と、対抗はしていない。平和に共存するか、統一するかは、どちらも悪いと言う。

あとは、ゾロアスター教とか、マニ教とか、儒教とか、神道とか、色んな宗教がある。

宗教に詳しいと馬鹿に見えるが、自分は結構、宗教に詳しい方だ。

アメリカは、サダム・フセインを殺したのが悪い。イラクの天皇だ。それこそ、そこから全てが狂ったのがアメリカだ。イスラム国(IS)に負けるかもしれない。

皆の人生と経験と知る機会を考えていた。学校教育を変えれば、変わると言っていた。

アメリカは、パソコンだ。一番アメリカが悪いから、アメリカはもう滅びる。

最近、恐怖の社会になっている馬鹿がアメリカだ。滅びてしまえば良い。

もっと、人生と社会と経験のことを考えて、皆の人生を考えて、何をすれば分かるか、のようなことを考えれば良い。そういう風にすると、賢い。経験と知が分かる。

人間の経験から、人生でいつ何が分かるか、のようなことを分かっていた。

まるでロボットのように人生と経験を分かっていた。

感じていれば治る。何も無い感情を感じていれば良い。

あとは、まともな感情と行動のようなことを言っていた。

感じて思考するとか、抽象性と判断力から経験を知るとか、そういうことを言う。

まともな賢い、推論のようなこと、頭のようなことをいつも言っていた。

感受性の高い人間が賢い。言葉より、音を聞くこと。そういう、感情や解決のような文章が本当に多かった。何でもかんでも構造と実体験で分かっていた。考え方を言う。

国と国の関係は、均衡して、同じぐらい強いと平和になる。共同体で争い合えば良い。

あとは、治している方が治していない。治さない方が治している。それがおかしい。

自由な理想は、動的な分散した共同体の連合である。そういうことを言っていた。

そろそろ足が治る。何故か、精神が穴ぼこだらけになっている。おかしな病気になった。