可能性を高めていた。己の可能性を高めながら、社会の可能性を考えていた。
社会の可能性を高める文章が多かった。
最近は、そういうものが全部無駄になった。本当に辛くて、悲しかった。
宇宙を言葉で創造していた。
民主主義は、賢い指導者が現れる。そういう理由で、民主主義はファシズムになる。
伝達せず、積み重ねることで賢くなった。皆も、あまり人に話をしなければ賢くなる。
論理みたいなことをいつも言っていた。論理的に考えて、論理的に分かっていた。
自分は、認知症だから、結婚なんか出来ない。
そういうわけで、自分を2人作った。カップルにした。ドイツ人の男と女だ。
昔は、クズだが、まともで賢い人間だ。最近は、狂っているが、知識が全部ある。
そういうわけで、終わりだ。これ以上、何も書かなければ良い。
今日は書いて良い。書かないと、怖くなる。書くと辛いとは言うが、そんなに大量に書かなければ楽だ。書く量を減らして、毎日いくらか書くのが良い。
昔は、本当に社会の可能性を全部考えていた。最近は、そういうものが無駄になった。
社会のことを心理的に考えただけだ。皆、それは出来ないと思う。
そういうわけで、もっともう一度色んなことを考えれば良い。
社会のことを考えないのがおかしい。だが、心理的に可能性を考えるのは、出来ない。
神とは、未来の自分のことを言っている。神は、結婚していると言っていた。今日は、そういう、結婚の日だ。男のウィトゲンシュタインと女の神が結婚した。
あとは、自由な考え方や人生や誇張みたいな文章が多かった。
何でも、分かっていることを誇張して書く。それが、考え方と人生を作っていた。
本当に想像力を信じて、自分の理想となる思いやりを達成すれば良い。
そのような、誇張のような文章を書いていた。
そして、自由と存在を全部作っていた。それくらいの文章だった。
昔は、社会を空想すれば出来る。ただ、社会を空想して、可能性を考えれば良い。
二人の子供は、生まれるようで、生まれない。新しい人格はもう良い。
昔は、馬鹿なのに分かっている。
馬鹿な経験で全て分かった、賢い社会主義者のような人間だった。
そういうわけで、ソクラテスとキリストに見える。最近は、宗教家の作家だ。
ブッダとキリスト、と言うことにすれば良いが、そこまで賢くするとキモイ。
ウィトゲンシュタインとゲーテに見えるが、キリストやレーニンも多かった。
実地的に考えて、全員を吸収して、哲学的に考えていた。
宇宙のこと、意識のこと、人間のこと、社会のことが、全部分かっていた。
いつも書いている。もう、オーズルも終わりだ。オーズルは、最後の方で、いつも言っていることをまだ言っている。終わったから、オーディンになる。
オーズルは、最後の方で日本史を最後までやっている。本当に哲学者みたいになった。
ロキは普通の人間だった。フレイが賢かった。フレイは、大学みたいに哲学史を分かった。
ワルキューレは、あまり居たように見えない。何故か、ブッダのように悟っている。
ロキを今見ると、賢い。昔の自分なんか、あれで誰でも分かる。
昔の自分が書けないのは、ロキにいくらでも書いて、書きすぎたからだ。
ロキは、そんなに見なくても分かる。そんなに同じことを言う意味が無い。
どうでも良いが、日本語には、「食べる」の他に「食う」がある。「食い物」と言ったりする。それから、「召し上がる」のような言葉もある。どうでも良いが、まだ多い。
オーディンとは言うが、新しい人格にはもうなりたくない。人格破壊はつらいだけだ。もっとまともな人格になりたい。そういうわけで、もうきちんと一人の正しい人格になる。
最近なんか、人格を破壊しているだけだ。
そういう、人格を破壊する方の人格を殺せば良い。そうすると、フレイヤが死ぬ。
そのまま、バルドルに戻る。それで終わりだ。
結婚したせいで、すぐに死んだ。今日は結婚式の日だ。
不思議と、いつまでもバルドルとフレイヤの永遠の愛が叶う。いつまでも永遠に居る。
他に要らない。これ以上新しい人格は要らない。辛いだけの、地獄になる。
最近は、あまりに人格を増やし過ぎるせいで、全人類みたいに人格が増えた。
オーズルは、本当に日本が分かって良かった。自分は、昔から、日本が分からないだけの人間だ。オーズルは賢くないが、そこらへんの高校生ぐらい、まともな知性のある人間だ。
賢いのは、ロキだ。ああいうまともな賢い人間が多い。
フレイは馬鹿すぎるだけだ。ただの右翼の左翼が、哲学を全部知っている。一番居ないようで、大学にこんな馬鹿しか居ない。大学には、ロキとフレイが一番多い。
ワルキューレはどうでも良い。適当な天使だ。天使はああいう風に分かるように見える。本当に何万と居る天使に見える。そういうわけで、その天使が好きだっただけだ。
オーズルが賢くなったのがありえない。馬鹿な知的障害なのに、大学みたいに賢くなった。これなら賢くなるように見える。良く考えると、子供時代ゲームをしていたのが悪い。
ロキを分かったせいで、簡単に分かるのが自分だ。
もう、賢くなるのを止める。これ以上賢くなる意味が無い。
昔は、起きるべくして起こるとか、そういうことを分かっていただけだ。
今日は結婚した日だから、それを覚えていた方が良い。結婚が11月3日だ。覚えていないからありえない。そんなに書いて忘れるせいで、何も分からないのが自分だ。
あとは、いつも神を分かっていた。永遠に神を分かる。それが続いているだけだ。
もう終わった。賢くなりたいだけが頭だから、こうなる。もう賢くならなくて良い。
そういうわけで、これ以上はもうない。こういう風になる馬鹿が子供に多い。
自分は、子供すぎて赤ちゃんに見える。良く分からないが、こういう子供が本当に多い。
見ていると、カメレオンではなく、リスに見えるのが最近の自分だ。こういう動物が多い。
終わったから、人間になる。それで、もう何も起きなくなって、平和になる。
神を忘れた方が良い。いつもの、狂って死んでいる馬鹿が神だ。
キリストが見える。こういう人間は、キリストになっている。神は、死んだ。
昔から、神と対等に話していたのが自分だ。そういうわけで、これくらいが神だ。そういう自分のことを神だと言っている。昔から、神のような発想が馬鹿に見える。日本に多い。ドイツには、神が賢く見える馬鹿が多い。ドイツ人はこうなっている。
昔していた、積み重ねのようなことを、もう一度したように見える。
昔のチュールやトールは、いつも書いているようで、書けていない。馬鹿な集団だから、もう分からない。二人を合わせてロキで良く見える。それがバルドルとも同じだ。
そういうわけで、ロキ、ワルキューレ、フレイ、オーズルを合わせてフレイヤだ。
そういう、バルドルとフレイヤが結婚したのが自分だ。何度も言えば覚えるように見える。今日は結婚した日だ。何もしなくなるから、そのうち何かすれば良いようで、子供を産むしかない。その子供になるしかないだろう。どうでも良いから、そうなると思う。
頭の中では、この世界の皆をやっている。そういう発想が今の自分だ。
皆は、もう一度最初から何かすれば良い。もう終わった人間が多い。
何も出来なくなっている人間が多いから、それを治した方が良い。
不思議と、普通に考えれば良い。そして、普通のことを考えれば良い。
そんなに賢いことを考えず、政治経済など、普通のことを考えれば良い。
自分なりに何か分かるのを止めて、普通にすればすぐに治る。
あとは、そろそろ、自分のように皆、全て失って狂うと思う。それが正常な運命だ。
何も失っていないのが分からない。命があるなら、まだ終わったわけじゃない。
自分なんか、こんなに新しく作った。要は、失うと言うこと、それしか分かっていない。
そんなに作り直そうとするのは悪い。失ったと思うからこうなる。何も失っていない。
不思議と、そういう全部死んだ人間になると悪い。そういう死んだ人間は、キモくなると治る。イモムシは、死が治っている。そういう生命だから、虫になって治る。
そういうわけで、皆もう治って良い。皆はもう安心出来るようになる。
これで、もう皆、まるごと全部分かる。
不思議と、こういう風に書いていると、分かる。まだ何かあるように見える。こういう風にすると書ける作家が多い。そういうわけで、作家がこういう風になる。
そろそろバルドルになるから、クズになる。ポルノグラフィティみたいな馬鹿になる。
それで終わりだ。あまりに悪い人間に戻って、知性が無くなる。それが昔だったはずだ。
最近の子供の女がフレイヤだ。フレイヤは良い人間だったが、もう終わりだ。
バルドルのせいで、皆何も無くなっている。頭の中が何も無くなっている人間が多い。
そこを治した方が良い。不思議と、前置詞で考えるのを止めれば良い。
皆、きちんとこの世界を覚えた方が良い。
この世界にあるものを普通に覚えれば良い。普通、言うと覚える。
二人の知性を融和すれば良い。
旗をひるがえして分かるのを、もう止める。ガンダムのシャアみたいになっている。
どうでも良い女が死んだ。
目は、全部分かっている。ただ過ぎ去って分かっているが、脳が全部分かっている。
あとは、肺と胃が治し合っている。肺が胃を治して、胃が肺を治している。
良く分からない。もう、全部分かっているのを止めた方が良い。
あとは、2ちゃんねるみたいなゲイツを倒せば良い。それで楽になる。
もう終わった。死んだように見える。
ようやく止まった。過ぎ去るのが終わったように見える。
そろそろ、自分が止まっているのも治る。きちんと一年が普通に過ぎるようになる。
皆が止まった方が良い。そういう、皆が止まるのが怖いせいで、動き回るようになった。
皆を止めて、皆が反抗するのを止めさせれば良い。止めると反抗するから、辛かった。
昔は、抽象的な言葉を全部正しく作って、厳密な条件にして、物理を作っていた。
もう、鬼のようになって、皆に反抗させず、皆を殺せば良い。
信じていると分かる。信じると分かる人間が多い。
あとは、時系列みたいにして分かっていただけだ。そういう物理を作っていた。
抽象性と時間から、実体験のように具体例で分かっていた。
記憶の概念から哲学的に人生を分かっていた。そういう人間だった。
宇多田ヒカルが最近歌っているような、科学者のような人間だった。
Goodbye Happiness(グッバイ・ハピネス)みたいに見える。良く分からない。
皆を強制的に殺して、追い出せば治る。すぐに楽になる。
デカルトやハイデガーが死んで行く。ハイデガーは、分かっているようで、何も分かっていない。ただ、自分と同じように存在や時間を書いているだけだ。
それで、皆の部分は、もう死ぬ。皆の部分を消すだけで治るのに、皆が反抗するせいで、何も治らない。それが神のような自分の存在だ。
天みたいに高いところまで、ハシゴで登っているのが終わる。もう、急降下する。
スピノザ、ニーチェ、ハイデガー、ウィトゲンシュタインなどは、全部同じだ。
それらは、こういう風に書いているだけだ。ロックからヘーゲルまで、皆こうだ。
マルクスは、昔の自分と同じように国を作っている。
変化や時間の無い世界になったのは、一番悪いからだ。
夢の世界は、こういう風に作っている。それが自分だ。
皆はもう本当に死んで行く。皆の部分を消せば、もうやっと楽になる。
最近は、全員の意志をやっている。
不思議と、足が治る。足の精神には、全員が生きている部分がある。
皆もう本当に死ぬ。そろそろ、またゲイツが死んだ。ゲイツになって死んでいる。
自殺が悪い。自殺したせいで、常に死ぬようになった。
あとは、書くのも悪いから、全部悪い。
昔は分かっていた。その通り分かれば分かる。最近何も分かっていない。
実際のところからモデルにして分かると言っていた。良く覚えていない。
何故か、それを全部言っていただけに過ぎない。
あとは、事実関係、背景知識、体得的方法、のようなことを言っていた。
そして、前提やプロセスから、方法や結果まで、全部書ける文章が多かった。
結果からプロセスをまた作って、永遠に分かっていた。
死んだのは、最後の地点で留まっているのが悪い。
もう、最後の地点を忘れるべきだ。そのまま、一歩一歩、歩み出せば良い。
最近は、最後になって辛くなっている人間が多い。おそらく多いと思う。
それこそ、自分で変わるのはおかしい。皆を最後にして殺すのは、悪い。
全部、可能性を出来るだけ排除して考えれば分かる。
要は、世界を変えることを全部試している。そんなに世界を変えたいのがおかしい。
海が波立つのは、沢山の海水の中でも同じなのだろうか?
魚の目は良いのだろうか?そういうことを考えた。
海流みたいなものがあるから、違うように見える。
プラスチックのようなものにも、原子はある。そういう風に考えれば分かる。
生きていれば良い。生きていれば、すぐに楽になる。死ぬ時に治らなくて良い。
おかしなもので世界を変えている。何故か、鼻を使って世界を変えるようになった。
むしろ、神に戻った方が良い。神にならないと、何も分からない。
スターリンにはならなくて良い。神に戻らないのがおかしい。
そういうわけで、また自分が神になる。皆、神が居なくなって、辛くなっている。
自分は、そろそろ、もう一度神だ。良く分からないが、まだ神をやっている。
皆を変えて、最後の中心にするのが悪い。
中心を消せば良い。英語のように言っているだけだ。
そういうわけで、木から枝が伸びた。そういう、風に揺れている木をやっている。
英語を遡るのが悪い。いつも、英語を遡って分かっている。
そういうわけで、何でも殺して分かっている。それが辛いだけだ。
要は、英語は普通こういう風に言う。英語の知性がついただけだ。
何もかも、最後に言う言葉を先に分かっている。
そういうわけで、もっと何も分からず言えば、日本語になる。
最後から二番目の言葉になっている。
先んじて手を打ったりしなければ良い。
最後から二番目の言葉になって、その上で、最後の「だけだ」で跳ね返っている。
それだけの文章をいつまでも言っている。おかしな壊れた機械だ。
言語の知性で、判断して、書きながら分かっている。それが悪い。
言語の知性を消した方が良い。
英語は、もう出来なくなる。日本語を分かれば良い。
英語的な知性で考えるのを止めて、日本語のように、適当に言えば分かる。
適当に言った方が賢い。
英語のtheは、もう分かる。そういう風に、言語の知性で言うのが、theだ。
英語的な言語の知性で分かるのを消すと、もう楽になる。
昔は、全てを包括する英語のような文章や、逆上がりして分かるドイツ語のような文章を書いていた。そして、昔の自分は、フランス語のようなものを作っていた。
前置詞を良く考えること。そういう発想が昔多かった。全部作っていた。
時計になっているのは、セックスになっている。セックスを止めれば時計も終わる。
そろそろ楽だ。あとは、はっとしていれば良い。
昔は、自由な行動で分かっていた。全部同じ、自由な行動を想定して分かっていた。
怖いから、自由な行動を消した方が良い。自由な行動が怖い。
歌手が自分を歌っているが、そういうものは全部神だと思えば良い。
まともなことを考えれば良い。
皆を幸せにしたいなら、何が幸せで、そうすれば幸せに出来るのか、考えれば良い。
昔は、自由を幸せだと思っていた。自由になって、出来ることが幸せだと思っていた。
自由とは、出来るようになって、自由になることだ。
自由は、幸せで無いから、自由を無くした方が良い。もっと考えて幸せにすれば良い。
あとは、数学的に考えれば分かる。状態や条件のモデルと、抽象的な関係を考える。証明のようなことから、全体をモデルにして、予測する。カテゴリーなどを考えれば良い。
原因を考えることで、認識から対象は吸収出来る。そのまま、仮象の世界になる。そういうことをいつも言っていた。ヘーゲルでも良いが、デカルト的に考えれば良い。
インフラは基盤であり、主体性であり、主と奴であり、主観と客観であり、国民と国王のどちらが上になるか、のようなことである。インフラは、皆の手で変えられる。
もう分からない。もう書けなくなるかもしれない。
主観と客観の一致から、認識と対象は同一であることが分かる。ヘーゲルがそういうことを言っていたはずだが、それは、経験的、体験的に分かる。
また、アプリオリと先天性、習得性のような、経験の考え方が多かった。子供は、最初から全ての理性のカケラを持っている。そういうわけで、先天性は多い。